1 元日本軍「慰安婦」9人が『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河氏を名誉毀損で告訴したという。かつて触れた日本軍と「慰安婦」の「同志的な関係」という記述が、問題となっているとのことである。まだ断片的な情報しか伝わっていないため訴訟についての判断をできる段階にはない。ただ私自身、この本の内容には看過し得ない問題があると考えていたこともあり、以前の記事では部分的に触れるに留まった『帝国の慰安婦』の問題点について、以下に若干のコメントをしておきたい。 率直にいってこの本は決して読みやすい本ではない。ただこれは分析が細部にわたっているとか、複雑に入り組んだ論理展開をしているからというわけではなく、検討の対象が曖昧なうえ、用いられる概念が理解可能なかたちで定義されていないためである(例えば「国民動員」という語の特殊な使用)。この本で朴は、朝鮮人日本軍「慰安婦」の置かれた状況は多様であったと繰返し説く一方で、自らは個別の証言や伝聞、文学作品の描写をパッチワークのようにつなぎ合わせつつ推測も交えて「彼女たちは…」と一般的に論じており、その驚くべき内容もさることながら、方法という側面からみても無視できない問題を抱えている。特に朝鮮人「慰安婦」と日本軍を「同志」と記述した箇所は、こうした問題点が最も明確にあらわれている部分の一つといえる。 この本の基本的な視角は、朝鮮人・台湾人「慰安婦」は中国やインドネシアなど占領地の「慰安婦」とは異なる、というところにある。朴は次のように指摘する。
朴が「帝国の慰安婦」と題した理由はここにある。「日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた」がため、検討する対象を日本軍「慰安婦」問題全体ではなく、大日本帝国の「臣民」であった日本人・朝鮮人・台湾人「慰安婦」――すなわち「帝国の慰安婦」に限定したのである。もちろん、朝鮮と中国の「慰安婦」としてのあり方に差異があるという主張自体は取り立てて珍しいものではない。すでに数多くの研究が日本軍の占領した諸地域における「慰安婦」徴集や性暴力の現れ方の特徴について論じている。だがこの本の特徴は、そうした差異の捉え方にある。 上の引用文にもあるように、朴は「帝国の慰安婦」は「日本軍との基本的な関係」において他の日本軍「慰安婦」たちと異なっていた、と主張する。この主題が論じられているのは「第二章 慰安所にて――風化される記憶たち」の「1.日本軍と朝鮮人慰安婦――地獄のなかの平和、軍需品としての同志」である。この節では、千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』、田村泰次郎の小説「春婦伝」、古山高麗男の小説「蟻の自由」、そして韓国挺身隊問題協議会が編んだ証言集を用いて議論が展開される。ここで「帝国の慰安婦」と日本軍の関係が、他の「慰安婦」と異なるいかなる特徴があったと論じられているのかについて、二つの主張をとりあげて検討してみよう。 (1)「帝国の慰安婦」たちは、過酷な生活を生き抜くため、国家が求めた肉体的・精神的「慰安」者としての役割を受容した 千田の本に登場する、ある日本軍兵士の日本人慰安婦に関する証言――「立派に死んでください!」と言われたという回顧――に触れながら、朴は日本国家は「帝国の慰安婦」に日本軍人の身体的「慰安」に加え、精神的「慰安」も要求したが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(61頁)とし、次のように論じる。
また同じく千田の本にあらわれる、ある業者の証言――日本人慰安婦のなかには借金を返しても仕事をやめようとしない者もいた、それはこんな身体でも軍人のため、国家のために身体を捧げることができると彼女たちが喜んだからだ、と答えた記録――を引用し、次のような解釈を提示する。
つまり、日本人「慰安婦」と同様、「帝国の慰安婦」であった朝鮮人「慰安婦」も、兵士の精神的「慰安」を行うという役割を引き受け、そこに苦しい生活耐えるなかでの「矜持」を見出していた、という。次に移ろう。 (2)「帝国の慰安婦」たちのなかには日本兵と「愛」と「同志意識」で結ばれていた者もいた これは以前にも触れたことがあるが、ある元「慰安婦」が、一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言に触れ、朴はなぜそのようなことが起こったのかについて以下のように論じている。
続けて朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介しながら、同様に以下のように指摘する。
さて、説明は不要かもしれないが、一読すればわかるようにこれら二つの「日本軍との基本的な関係」を論じる際の朴の手法には深刻な問題がある。 まず、(1)で朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。(1)に関する朴の叙述は、このように二重の意味で問題があるのである。 (2)も同様である。日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。しかも、後段に至っては、(1)で触れた千田の集めた証言の場合と同じく、古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。 朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。 朴はこの節での検討をふまえて、韓国社会や支援者の認識を以下のように批判する。
しかし、これまでの検討からみるに、むしろ「新たな記憶」を創り出しているのは朴自身ではないかと思わざるをえない。仮に「異なる記憶」にこだわるというのなら、証言と証言者の固有性に徹底的にこだわり、安易に「彼女たちは…」「朝鮮人慰安婦は…」と一般化すべきではないはずである。証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開することこそが、「一つの暴力」なのではないだろうか。 (鄭栄桓)
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by kscykscy
| 2014-06-21 00:00
| 歴史と人民の屑箱
昨今の排外主義的な民族差別・迫害の教唆煽動の横行に伴い、改めて関東大震災時の朝鮮人虐殺が注目を集めている。だがその「注目」には、虐殺の事実を知り、反省的に歴史と現代を見つめようというものばかりでなく、むしろ「虐殺」を否定しさろうという歴史修正主義者によるものも含まれる。1923年9月に起こされた朝鮮人虐殺については、各地でのねばり強い史料発掘や証言の調査などにより、今ではもはや軍隊や警察による虐殺を否定することは不可能となった。このため歴史修正主義者たちは虐殺したのは自警団だけだという、いわば歴史修正主義の第一段階にあたる主張を放棄しつつある。代わりに現れているのが、軍・警・自警団による朝鮮人殺害は「虐殺」ではなかった、という主張である。 工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009)はこうした理屈で朝鮮人虐殺否定論を展開した問題作であり、ネット上に無数にある虐殺否定論の情報源でもある。この本の問題点についてはすでに山田昭次氏の批判があり(「関東大震災・朝鮮人虐殺は「正当防衛」ではない 工藤美代子著『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』への批判」『世界』2010年10月号)、ネット上でもいくつかのブログで批判がなされている。ただ、その虐殺否定論の驚くべきレトリックについてはいまだ批判的言及がなされていないようである。工藤の主張は後述するように、かつて触れた「悪い朝鮮人だけ殺せ」の論理そのものであり、またその主張は到底許容しがたい恣意的な史料の操作に支えられたものであり、現代の排外主義の特質を考えるうえでも避けては通れない著作であるため、以下に若干の検討を行いたい。 「あれは本当に「虐殺」だったのか?」という帯の文句にもあるように、工藤は関東大震災の際、朝鮮人に対する「虐殺はなかった」と主張する。だがこれは、軍や警察、自警団による朝鮮人殺害がなかったという意味ではない。工藤は次のように書いている。
すなわち、殺された朝鮮人のほとんどは皇太子(後の昭和天皇)暗殺を狙った「テロリスト」であった、「テロリスト」を殺すのは「虐殺」ではない、よって「虐殺はなかった」――これが工藤の理屈である。つまりこの本で工藤が試みたのは、虐殺の事実そのものを否定することに加えて、「虐殺」という言葉の意味を改造することで日本軍・警察・自警団の朝鮮人虐殺を正当化することである、といえる。 震災時の虐殺をめぐる争点は長らく流言発生と流布、そして殺害への日本軍や警察などの公権力の関与にあった。政府や警察は虐殺発生直後よりその責任を自警団に転嫁し続けたが、ねばり強い調査と研究の蓄積により、流言の流布と公認、そして虐殺に警察や軍が関わっており、それどころか戒厳令下での公権力による虐殺正当化は、この大虐殺の核心的な要素であることが明らかになった。だが、もはや工藤は自警団に責任転嫁すらせず、いわば堂々と殺害行為を認め、かつそれを正当化したのである。 こうした、事実ではなく言葉の解釈を争うことにより加害の事実を否定したかのように装う手法は、関東大震災下の朝鮮人虐殺に関するものとしては新しい言説ではあるが、広く歴史修正主義という次元でみれば決して工藤独自のものではない。むしろ歴史修正主義者がしばしば使う詐術の一つといってよい。 例えば南京大虐殺をめぐる「論争」において、加害の事実が様々な史料により立証され「虐殺無かった論」が維持できなくなると、歴史修正主義者たちは「指揮官不在の投降兵や便衣兵は戦時国際法の適用外であり、これを殺すことは虐殺ではない」と主張し始めた。確かに日本軍は中国人を殺害したが、その殺害は合法であり「虐殺」とは呼べない、だから南京「虐殺」は無かった、という論法で虐殺を否定しようとしたのである。 この手法は加害の事実を正面から否定することが不可能になったときにしばしば用いられる。近年特に多用される傾向にあり、戦時期には朝鮮人・日本人問わず「徴用」により強制的に動員されたのだから、(日本人と区別されるところの)「朝鮮人強制連行」は存在しない、といった理屈も同種のレトリックといえる。日本軍「慰安婦」の強制連行を「広義」と「狭義」に分けて、後者については「証拠」がない、だから「強制連行」は存在しない、と強弁する安倍晋三の論法をここに含めてもよいだろう。 事実を否定できないため、屁理屈をこねて言葉の解釈を変えることで否定しようというわけである。いわば「屁理屈型」歴史修正主義といえる。 一見これは馬鹿げた論法にみえるが、この「屁理屈型」歴史修正主義の影響は決して無視できるものではない。彼らのねらいは教科書記述に代表される公の言論空間から「虐殺」や「強制連行」の文字を消し去ることにあるのだから、こうした屁理屈を誰かが打ち上げて、あとは全力で教育委員会なり何なりを攻撃すればよいのである。実際、昨年1月に東京都教育委員会が都独自の高校日本史副読本「江戸から東京へ」の「数多くの朝鮮人が虐殺された」という記述を「碑には、大震災の混乱のなかで、『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」という無責任な記述へと差し替えた際、都教委の担当者は「いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する」と弁明したという(『朝日新聞』2013年1月25日・朝刊)。工藤の虐殺否定論が影響を与えているものと思われる。 しかし、工藤の虐殺否定論は、他の歴史修正主義言説と同様、そもそも歴史学的な検討に堪えるような代物ではなく、またその論理自体にも破綻が見られる。例えば、工藤の著作は、「虐殺」を否定するものと宣伝されているが、少なくとも工藤は内務省の認めた233人については「誤認、過剰防衛、巻き添え」による殺害が行われたと認めており、「幾人であろうと誤認殺害は虐殺だ」と書いているのである(305頁)。工藤の理屈をもってしてさえ、「虐殺はなかった」などという主張は成り立たないのである。にもかかわらず工藤の主張は「「流言蜚語」による「虐殺」だったのか」といった見出しと共に紹介され、あたかも一切の虐殺を否定した「研究」であるかのように報じられる。『産経新聞』や『読売新聞』は近年、日本の侵略についての中国や朝鮮からの批判を、すべて「宣伝」「謀略」「情報戦」と片付ける手法を多用しているが、これこそが誇大な宣伝であると言わざるをえない。こうした著作と宣伝が歴史教育の内容に多大な影響を及ぼしている現在の日本の状況なのである。 何より重大な問題として、工藤がそもそもその主張の中核にある皇太子暗殺計画すら自らの著作で論証していないことをあげておくべきだろう。工藤は殺害された朝鮮人のうち800人前後は、「いわずもがな」皇太子暗殺を企てた「テロリスト」であったという。しかし、本書を一読すればわかるがその証明は試みられてすらいない。わずかに工藤の挙げる史料も、恣意的で極めて問題の多い史料操作に基づいたもので、800人どころか1人の「暗殺計画犯」すら立証できていないのである。 以下に工藤がその「実例」としてあげる事例を検討してみよう。工藤は越中島の陸軍糧秣本廠を「爆破」し「逮捕」された朝鮮人の「証言」なるものを根拠に、「朝鮮人テロリスト」が1923年11月27日の皇太子の結婚式に狙いを定めて暗殺計画を企てていたと主張する。関連箇所を引用しよう。
この「越中島の朝鮮人テロリスト」の話を工藤は他の媒体でも用いている。
工藤の多用するこの「越中島の朝鮮人テロリスト」の話の問題点は、朝鮮人の「証言」なるものが記録された状況を、工藤が極めて歪めたかたちで整理していることにある(他に、そもそも「御大典」は天皇の即位の礼を指す言葉で婚礼には用いないのだが、工藤は二度も記事を鵜呑みにして「御大典」としているなど、この本にはこうした杜撰な記述が目立つ)。この記事は『河北新報』に掲載されたもので、月島で被災した人物の見聞を基にしている。工藤はこの記事を基に、「身柄を拘束された」「逮捕された」朝鮮人が「証言」したと記しているが、根拠である『河北新報』の記事をみると引用された「証言」の前後は次のようになっている。
つまり、月島でこの「被災者」がみたのは、越中島の糧秣本廠が燃えたことを朝鮮人の仕業であると考えた「在郷軍人団」「青年団」の捜査により捕まったある朝鮮人が「厳重」な「詰問」をされた末に犯行を「白状」させられ、その結果、衆人環視のもとで斬首された、という光景なのである。この「被災者」がどの時点からこの現場をみたのかもわからない。仮にこの「被災者」の見聞が正確なものであったとしても、これは「逮捕」や「身柄を拘束された」朝鮮人の「証言」の記事ではなく、ある朝鮮人が拷問され虐殺された事件の記事なのである。斬首されてしまった以上、本当にこの朝鮮人がそう「証言」したかすらわからない。 しかも、この記事はさらに以下のように続く。
こうした凄惨な殺戮の描写を一切捨象し、工藤はあたかも何らかの捜査によって「逮捕」された朝鮮人の「証言」「自白」であるかのように、この記事を扱い「越中島の朝鮮人テロリスト」の話をつくり上げる。糧秣本廠の火災が本当に爆破によるものであったのかといった問いなど考慮せず、まさにいきり立って朝鮮人を拷問し、虐殺した在郷軍人会と同じ認識の水準において、この虐殺された朝鮮人は「テロリスト」であったと断定するのである。 工藤は他にも、自警団が朝鮮人を「竹槍で責めて訊問」して「自白」させた事例、あるいは「死ぬ程責めても到頭吐かなかった」記事などをあげて、皇太子暗殺計画があった「証拠」としている(274-275頁)。しかしこれらの事例はむしろ、自警団や在郷軍人会が、朝鮮人が皇太子暗殺のために爆弾を投げたというストーリーのもと、朝鮮人を捕らえて拷問して殺しまわったことを示す証拠なのではないだろうか。しかもその「事例」なるものも新聞記事としてはわずか三例にすぎない。これをもって800人の朝鮮人テロリスト団が震災に乗じて皇太子暗殺を図った、と主張しているのである。 もう一つ、工藤の恣意的な史料の省略の例をあげよう。工藤が「朝鮮人テロリストが「目標は御大典〔ママ〕だった」と自白していた例は枚挙にいとまがないが、その具体例をもう少し紹介しておこう」(274頁)としてあげる「具体例」のなかに、次のような新聞記事がある。
だが、この記事の原文は次のようなものである。少々長いが重要な箇所なので引用する。
青太字は工藤の引用で(略)となっている部分、緑太字は省略記号無しに省略されている部分である。見出しからもわかるように、そもそもこの記事は朝鮮人の虐殺を報じたものであるが、工藤はこれらの記事から三箇所を省略することにより、爆弾投下の計画とそのための資金を運んでいた朝鮮人集団がいたかのような記事に編集しているのである。 詳しくみよう。まず「小石川辺」での朝鮮人の襲撃や爆弾投下などの説が「流言」であったことを伝える箇所を省略し、あたかもこれらが事実であるかのように資料をつなぎあわせている。罹災者のあいだでロシア革命記念日と関連付ける「流言」が広まっていたことは、前述のように在郷軍人会や自警団が朝鮮人を拷問にかける際にいかなる予断を持っていたかを探るうえで極めて重要な情報であるにもかかわらず、これが省略されてしまっているのである。 次に、記事中の緑太字の箇所を省略記号無しに省略し、浅草から来た罹災民を中心に「我々の敵不逞鮮人」と叫ぶ声が多かったこと、汽車中で配られた芋を受け取らなかった男が、その事実のみをもって集団により虐殺されたことが省かれている。これは、杉山の乗った汽車の乗客が、三人の「爆弾を抱いた」朝鮮人を見つけて殺した際の、パニック状況を伝える極めて重要な事実であるにもかかわらず省かれている。 そして、最後の朝鮮人が「多大の金を持って」いたという箇所は、伝聞情報であるにもかかわらず、この箇所が省略されているため、あたかも「爆弾を抱いた」朝鮮人がいずれも「多大の金を持って」いたかのように資料が操作されている。わざわざ「多大の金を持ってをり」云々を引用しているのは、朝鮮人が大韓民国上海臨時政府や社会主義者から多大な資金を得て暗殺計画を練った、という工藤のストーリーを強調したいためであるが、実際にこの記事で書かれていることは虐殺された朝鮮人が千五百円をもっていた、という伝聞情報だけである。 こうして工藤は流言と拷問、そして虐殺の事実を捨象し、「朝鮮人テロリスト」の「証拠」としてしまう。そしてこれらに黒竜会の内田良平の「分析」を付け足して、「いずれにせよ、大集団がいくつかの分派に別れ、それぞれが我先に功名を競っていた」(277頁)と断じるのである。 以上みたように、工藤が「あらゆる史料を再検証してその真相を探」(前掲『歴史通』43頁)ったと豪語するこの著作で展開される「分析」と「論証」なるものは、不適切な引用というレベルをはるかに越えた史料の恣意的な接合によって作り出されたフィクションというほかない。そして、こうした恣意的な史料の切り貼りによって作り出された虚像にもとづいてなされる工藤の主張は、まさしく典型的な「悪い朝鮮人だけ殺せ」の論理なのである。 工藤が朝鮮人「テロリスト」殺害が「国家の自衛権行使」だと主張するとき、そもそもいかなる「法」に依拠して判断しているのだろうか。当時の日本政府ですら、極一部であるにしろ、戒厳令下の自警団による朝鮮人殺害を違法なものとして裁いているのである。軍隊による殺害はいずれも衛戍勤務令により正当化され全く処罰されなかったが、工藤はこれら約800人を殺害した者はいずれも軍隊であった、と主張したいのであろうか。もちろん、衛戍勤務令による正当化自体を批判的検討の対象とすべきであるが、これらがいずれも軍隊による殺害であったことを証明しなければ、当時の「大日本帝国」の論理に従って虐殺行為を正当化することすらできない。工藤の主張は、それ自体が極めて杜撰な論理による南京大虐殺正当化論のレベルにすら達しておらず、ただひたすら「国家の自衛権行使」「国際常識」と繰り返すだけである。 ただ、この本の恐ろしさはむしろそこにあるといえるかもしれない。工藤は「テロリスト」という現代の用語を多用して、虐殺を正当化する。過去の行為は過去の法によって判断すべきだという理屈にすら立っておらず、いま現在の工藤の法規範のレベルで「テロリスト」と国家が認定すれば虐殺しても「自衛権」の行使であると判断している。つまり工藤は歴史の話をしているのでなく、現在の話をしているのである。こうした公然と大量殺人を正当化する本が、当たり前のように流通し、かつ歴史教育から「虐殺」の二字を葬りさるのに少なくない力を発揮している現状にいまさらながら慄然とせざるをえない。 (鄭栄桓)
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by kscykscy
| 2014-06-10 00:00
| 歴史と人民の屑箱
ちょうど二年ほど前のことになるが、このブログで金明秀氏(以下、敬称略)の「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」というエッセイを批判したことがある。これに対しては、ツイッターを通じて金からの「反論」があったが、金が論点をずらし続けたため全く議論にならなかった。私としては金との議論そのものにはあまり価値を見出していないので、それはよいのだが、最終的に金がレッテル貼りで「告発を無力化」しようとしたため、これについては「抗議」を掲載した。いずれにしても非常に不毛な体験だった(その後の金のツイッターでの対応をみると、他の「論争」においても似たようなスタイルで応じているようだ)。 そんな金のツイッターに一月前、以下の投稿がなされた。
以前の記事を読んでいただければわかるが、すでに匿名の時代から金は私への「反論」を行っており、「本名を開示した」から「反論してもいいなあ」という金の主張は奇妙なのだが、それは措こう。わざわざ反論の予告があったので待っていたのだが、結局今に至るまで「反論」はない。「反論する意欲が立ち上がってこない」といったきりである。 あるいは金は、そもそも反論する価値がない、という「反論」をしているのかもしれないが、だとすれば非常に困ったものである。この投稿だけを読んだ者は、論点を現代を「リスク社会」かどうかをめぐるものであると考え、私が現代は「リスク社会」ではないとみなして金を批判しているかのように誤解するであろう。もちろん私はそんなことは言っていない。金が意図的に議論を誤導し、私の批判が検討にすら値しない無価値なものだという印象を読者に与えようとしていると思いたくはないが、私としてはこれを放置するわけにもいかないので以下に再論したい。 金は上の投稿に続けて、次のように書いている。
直接的に明示しているわけではないが、上の投稿に続くものなので、私の批判を想定したものだと考えてよいだろう。つまり私が金の主張を理解できないのは「学問分野」が異なり、「世界を認識するフレームが違うため」だというわけだ。二年前の批判を「学問分野」の違いということで落着させたいのであろうか。そのようなことにいかほどの意味があるのか私には理解しがたい。 もちろん問題は「学問分野」の違いなどではない。金の最初のエッセイの要旨は、現代はリスク社会であるからマイノリティーからの反論としては、人権や平等などの近代の市民的規範に沿った主張ではなく、「リスク・コミュニケーション」が有効だ、具体的には在日朝鮮人や朝鮮学校がいかに日本の「リスク」ではないかを証明することが必要であり有効だ、というものだった。そして「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」という批判がなされた場合、金は「私の経験から具体的にいうと、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論すれば、デマに対して有効な打撃を与えるようだ」と主張したのである。 私はそんな反論はむしろ在日朝鮮人が歴史的に行ってきた民族教育の意義を貶めるものであり、そもそも「有効」ですらない、と批判した。実際あれから二年が経ちながらも朝鮮高校生は無償化から除外されたままであり、それどころか補助金の全国的な削減が進んでいる。遺憾ながら、朝鮮学校が日本の多文化共生にとって役立っている云々の主張(だけ)を語る人は後を絶たないが(そうした意味では金明秀式の論法は「勝利」している。ただ、さすがに「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と「反論」する人物はみたことがないが)それがどの程度の「有効性」を持ちえていたかは大いに疑問である。 さて、上の投稿で金がこだわっている「リスク社会」をめぐる主張については、これもかつて「続々・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」の「9.「リスク社会」というハッタリについて」で批判した。関連箇所を再掲する。
少なくともベックは『危険社会』において、今はリスク社会だからマイノリティーは「リスク・コミュニケーション」が必要だ、などとはは言っていないのである。私はもしベックがそのようなことを主張しているならば、それに即して金を批判しようと思い探したのだが見つからなかった。金自身もそれは認めている。つまりベックとは関係ない金自身の主張なのである。よって「ハッタリ」だと書いた。金のエッセイを検討するものはベック云々を考慮する必要はさしあたりはない、また、金も自らの言葉で反論すればよいではないか、と。もちろん、「学問分野」の問題などでもない。 いずれにしても、民族的・歴史的な権利性を前面に押し出さない歪んだ言説は日本の「反レイシズム」を極めて問題の多いものにしている。「反差別」「反レイシズム」を自称する言論人のなかにも、在日朝鮮人の歴史についての歪んだ認識を持つ者は少なくない。例えば安田浩一『ネットと愛国』は、「終戦直後に一部の在日コリアンがアウトロー化したのは事実」(p.219)として「愚連隊と化した一部の朝鮮人・台湾人」などという表現を使い、解放直後の在日朝鮮人の生活権擁護闘争や民族教育擁護闘争についても「暴動」「騒擾事件」と位置づけている。驚くべき認識である。また、平気で朝鮮人に対し差別発言を用いて罵倒している野間易通のような人物が、「反レイシズム」運動の首領のような扱いを受けている現状にはめまいすら覚える。特に野間の「糞チョソン人」という発言は、本来ならばこれだけであらゆる反差別運動から追放されてもおかしくない種類の罵倒・差別発言である。罵倒語としてあえて朝鮮語を利用するこの人物の振る舞いを見過ごすことができるならば、在特会すらも許容できるのではないだろうか。野間『「在日特権」の虚構』の問題については別に詳しく扱いたい。 (鄭栄桓)
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by kscykscy
| 2014-06-03 00:00
| 朝鮮学校「無償化」排除問題
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