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「共同提言 対北政策の転換を」を批判する①――欠落した「侵略責任継承国」という認識

  2008年7月号の『世界』に和田春樹氏らの12名の連名で「共同提言 対北政策の転換を」(以下「提言」)が出た。提言者に名を連ねているのは石坂浩一、川崎哲、姜尚中、木宮正史、小森陽一、清水澄子、田中宏、高崎宗司、水野直樹、山口二郎、山室英男、和田春樹の12氏で、平和基本法系の人脈に加えて、日朝国交正常化、朝鮮植民地支配、あるいは在日朝鮮人の諸権利をめぐる問題に比較的積極的に関わってきた人々が網羅されているといっていい。一読して、私はあまりの内容のひどさに衝撃を受けた。早く批判しなければと思いつつ今までまとめることができなかったが、以後何度かにわけてこの「提言」の分析と批判を行っていきたい。

 具体的な批判を始める前に、まずはこういう「良心派」の提言に対する誤った対応について触れておこう。それは「この人々はそれでも最も良心派なのだし、朝鮮をめぐる情勢が悪い中ではよくやっているほう」といった妙な温情をかけて、放置し容認する態度である。だが、こういう対抗的な「提言」が、以下記すような驚くべき認識を示していることは、むしろ日本国内のこの問題をめぐる認識が「統一」されていっていることを表している。「最も良心派だから」容認するのではなく、だからこそしっかり批判しなければいけない。当たり前すぎることだが、一応確認しておこう。

 さて、「提言」の内容の検討に入っていこう。まずタイトルである。「提言」は「対北政策」という用語を使用している。「対朝鮮政策」でも「対北朝鮮政策」でもない「対北」である。「良心派」はもはや朝鮮民主主義人民共和国を「北」としか略さなくなったようだ。ただ問題は、この「北」という略称は、「提言」の内容とそれなりに符合しているということだ。一読すればわかるのだが、「提言」は一貫して共和国との国交問題を、「朝鮮北部の国」との国交の問題として位置づけている。

 冒頭で「提言」は「国交を持たない唯一の国」という節から説き起こす。共和国は隣国にもかかわらず日本と国交を持たない唯一の国なのだ、これは異常だ、と。日朝関係の問題の核心は、「日本と朝鮮北部の国の間に国交が無いこと」として把握される。これはまえがき的部分として読み過ごす人もいるかもしれないが、非常に重要な、「提言」の日朝関係観の核心的部分だ。次に「1500年の交流」が続くのにも理由がある。この節では、高句麗と日本の交流を説き、高句麗の壁画古墳と日本の高松塚古墳の影響関係を語り、豊臣秀吉の平壌占領に言及する。すべて「朝鮮北部の国」と日本の交流の前例として出されてくる。日朝関係の問題を「日本と朝鮮北部の国の間に国交が無いこと」というレベルでしか把握しないならば、当然こういう超歴史的な記述になる。

 だが翻って考えるならば、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化交渉と、高句麗や朝鮮王朝に何の関係があるのだろうか。ここで問題となるべきは、戦前日本の侵略・植民地支配と、それを継承した戦後日本の法的・政治的責任である(もちろんそれ以外にも「戦後責任」がある。後述)。つまり「侵略責任継承国」としての日本という認識が求められる。豊臣秀吉の平壌占領について謝罪と賠償をするなら(つまり、秀吉の侵略責任を国家として継承しているというラディカルな視点ならば)別だが、そうでない以上、ここで豊臣秀吉が持ち出されるのはおかしい。問題になっているのは、日本列島に歴史的に存在してきた日本ではなく、19世紀中ごろ以降の近代国家日本である。だが、「提言」の筆者たちが、そもそも日朝交渉をそうした戦前日本の侵略・植民地支配の責任を継承した戦後日本と、旧植民地の朝鮮の交渉というレベルでとらえていないと考えるならば、この叙述は納得がいく。

 「提言」の筆者たちにとって、あくまで日朝交渉は「朝鮮北部の国」と日本との交渉に過ぎず、豊臣秀吉の朝鮮侵略も、植民地支配もその間にあったさまざまな不幸な出来事の一つなのだろう。後に植民地支配の清算が第一の課題だと「提言」は記すが、これもあくまでこうした様々な不幸のなかで時間的に近く、被害者が生存しているから言っているにすぎないことになる。

 こうした戦前日本の侵略・植民地支配責任とそれを継承した戦後日本が問題にされているという認識の欠落が端的に示されているのが、日清戦争の位置づけである。「提言」では「1500年の交流」に続いて「36年間の植民地支配」の節が始まるが、日清戦争は「1500年の交流」の最後に記されている。日清戦争の最大の地上戦闘が平壌の戦いであったことや、日本軍が平壌を占領したことが触れられつつ、あくまでこれは「1500年の交流」の最後なのである。

 日清戦争前後、日本軍は甲午農民戦争に蜂起した東学軍・農民軍を武力で弾圧し、3万人以上を殺戮した。その後続く義兵戦争における殺戮と合わせて、広い視野からみればこれは日本と朝鮮の「植民地戦争」といえるものだが、「提言」ではこうした数一〇年にわたる植民地戦争の結果としての「併合」という視点は無く、せいぜい日露戦争以降の「併合」過程に切り縮められてしまっている。何より、豊臣秀吉の朝鮮侵略と日清戦争を特に区別することなく併記する発想自体が、「侵略責任継承国」として朝鮮と交渉をしているという認識が欠落している証拠である。

 このように、「提言」の冒頭は後に続く問題含みの各論を準備する認識を提示している。その認識とは日朝関係を「侵略責任継承国」と旧植民地の交渉とみるのではなく、あくまで隣国なのに国交のなかった「朝鮮北部の国」と、日本との交渉として見ようという認識なのである。(続)
by kscykscy | 2008-10-05 02:53
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