いつのまにか日朝国交交渉をめぐる対抗軸が、驚くほど右側にずれている。
少なくとも日朝交渉の始まった90年代の頭の時点では植民地支配をめぐる問題が論点だったはずだが、目下論争の的になっているのは「核が先か、拉致が先か」である。核問題の解決を拉致問題よりも優先するのが「左派」で、その逆が「右派」ということになっているのだ。そしてその右側に国交回復時期尚早論者があり、そのまた右側に北朝鮮体制崩壊論者がいる、というのがおおまかな構図だろうか。 ここで完全に忘れられているのが植民地支配の問題だ。そもそも植民地支配をめぐって何が論点だったのかすら、知る人は少ないのではないだろうか。だが、これはこの間朝鮮植民地支配に関する問題が、全く扱われなかったということではない。「核か拉致か」に目を奪われている間に、日本の朝鮮植民地支配をめぐる重大な「合意」が、既成事実化してしまっているのである。そのひとつが2002年9月17日に結ばれた「日朝平壌宣言」だ。 第一次小泉訪朝の際には、朝鮮民主主義人民共和国による拉致加害の承認と謝罪があったためほとんど話題にならなかったが、平壌宣言には植民地支配をめぐる重要な記述がある。平壌宣言の第二項には次のようにある。 日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。 下線部が重要だ。90年代の日朝交渉が始まって以来、少なくとも小泉訪朝の直前まで、朝鮮民主主義人民共和国側の立場は、日本は朝鮮に対し「賠償」あるいは「補償」をするべきだ、というものであった。それに対して日本側は一貫して植民地化は「合法」であり、朝鮮人民軍とは交戦状態になかった、それゆえ「賠償」も「補償」も認められないと主張していたのだ。平壌宣言第二項に記されているのは、言うまでもなく「賠償」でも「補償」でもない「経済協力」である。つまり、ほぼこの問題に関しては日本側の主張が全面的に通り、植民地支配について「日本無答責」となったのである。朝鮮民主主義人民共和国は大幅な、しかも交渉の原則に関わる部分についての「大妥協」を呑んでしまったといえる。 この認識は決定的に重要だ。なぜなら、平壌宣言で朝鮮民主主義人民共和国が深刻な妥協を強いられたこと、植民地支配責任について「日本無答責」とされたこと、この事実から目を背けることが、その後の左派の基本スタンスになったからだ。これは何度繰り返しても繰り返し過ぎということはない。ひとまずここを強調するところから始めよう。
by kscykscy
| 2008-08-11 00:00
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