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金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」について――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑬

 “SYNODOS JOURNAL”に金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」が掲載された。
  http://webronza.asahi.com/synodos/2012051100001.html

  このQ&Aは、このブログで幾度か批判した、金のいうところの「リスク社会」における「新たな運動戦略」の実践篇とでもいうべき内容となっている。すでに朝鮮学校が再三述べてきた主張を取り入れている部分を除けば、金のオリジナルの部分の論理は前にも指摘したように『朝日新聞』のラインの無償化適用論であるといえる。さまざまな問題点があるが、ここではさしあたり重要な問題点に絞って指摘したい。

 *参考 
  朝鮮学校「無償化」排除問題 http://kscykscy.exblog.jp/i6
  抗議 http://kscykscy.exblog.jp/18212443/

  第一に、このQ&Aは朝鮮学校の教育「内容」に踏み込み、無償化排除問題を論じてしまっている。

 具体的に、金は朝鮮学校は「反日教育」をしておらず、朝鮮民主主義人民共和国とは異なる「教育制度」の「在日コリアンの学校」である、と主張する。しかし、無償化排除問題の焦点は朝鮮学校の教育「内容」ではない。こうした「反論」に有効性は無く、むしろ論点を朝鮮学校の教育「内容」へと固定する効果を生む。

 例えば「【Q9】反日教育をしている朝鮮学校に公金を支出するのは抵抗がある。」という問い。この問いへの正しい答えは、具体的な教育内容は就学支援金の支給とは関係がない、である。

 しかし、これに対し金明秀は、朝鮮学校では反日教育をしていない、と誤った答えを与える。しかも、その論証の方法は、20年近く前に実施された調査における、朝鮮学校に通ったことのある人間の各国への愛着度の提示、というものである。そもそも卒業生の意識は朝鮮学校で反日教育がなされていないことの直接的な「論拠」にはなりえない。もし、本当にこうした反論をするためには、当然ながら、朝鮮学校の教育「内容」の検討に踏み込まざるを得なくなる。そして実際、『産経』や極右知事はそうした方法を採っている。つまり、金の解答はそれ自体が不適切である上に、反論にすらなっていない。

 これでは「教育内容は変わったから適用しろ」(『朝日』)→「じゃあ見せてみろ」(『産経』・知事)→「見たんだから許してやれよ」(『朝日』)→「当日だけそうしたのではないか、もっと見せろ」(『産経』・知事)⇒「〔一緒に〕もっと見せろ」(『朝日』『産経』)の無限ループを止めることはできない。それどころか拍車をかけることになる。朝鮮学校の教育「内容」が論点であるという前提自体を許している限り、この状況を脱することはできない。

 そして、特に強調しておきたい重要なポイントだが、そもそも、現在の朝鮮高校無償化排除をめぐって知事や極右メディアが問題としているのは「反日教育」云々ではない。朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮総連との関係である。というよりも、おそらく排除派は現時点では「反日教育」問題を論点とすることを意識的に避けている。

 なぜか。もし「反日教育」問題として論を立てると、当然ながら韓国学校・中華学校の教育「内容」の問題にも飛び火することになり、アジア系の外国人学校全体を批判せざるを得なくなる。逆に言えば朝鮮学校と韓国・中華学校を連帯させかねない。おそらく排除派からすれば、民団が朝鮮学校の無償化排除に賛成して在日朝鮮人団体が分断している現状は大変好ましいものであり、わざわざ「反日教育」問題という新たな論点を立てるような真似はしないだろう。よって注意深くこの論点を避け、「拉致を行い不法なテロ国家である朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮総連との関係」という問題から一点突破しようとしているものと思われる。しかも、この議論ならば、民団が極右に成り代わって主張しているように、民族的マイノリティの教育を否定しているわけではなく、朝鮮総連と関係を有する朝鮮学校を否定しているだけだ、という弁解が成り立つ。

 金は『人権と生活』のエッセイ以来、一貫して朝鮮学校の「反日教育」という論点を重視しているが、これはこうした現状を全く理解していないものといわざるを得ない。

 第二に、第一の問題と関連するが、このQ&Aは朝鮮学校を「民族的マイノリティの学校」としてのみ規定してしまっている。

 例えば、「【Q2】北朝鮮とは国交がなく朝鮮学校の教育内容を確認できないので、「高校無償化」の対象から外されているのではないか」という問いへの金の答えにそれは典型的に現れている。

 金は文科省令の以下の三類型、
(イ)高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの
(ロ) その教育活動等について、文部科学大臣が指定する団体(国際的に実績のある評価機関)の認定を受けたもの
(ハ) 文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるもの
 のうち、朝鮮学校が(イ)には該当しないことを前提としている。しかし、常識的に考えれば朝鮮学校は明らかに(イ)に該当するはずであり、だからこそ、文科省は(イ)に該当させないための詭弁を弄したのである。そして、文科省は(ハ)にあたるかどうかというレベルへと問題を自らの都合のいいように後退させたのである。

 しかし金はこの点を理解せず、(イ)に該当しないことを大前提としてしまう。ここで金は「第二に、そもそも朝鮮学校は「北朝鮮の高校に相当する」学校ではありません。というのも、北朝鮮の学校と朝鮮学校とでは教育制度が異なるからです。北朝鮮では、幼稚園が1年、小学校4年、中学校6年の計11年が義務教育です。一方、朝鮮学校は日本の教育制度に合わせて6-3制をとっています。したがって、たとえ北朝鮮政府と外交関係があったとしても、「朝鮮学校が北朝鮮の高校に相当する」ことを証明できるかどうか極めて微妙です。」と述べる。

 これは韓国学校や中華学校と同じ適用ルートから朝鮮学校を外すことを、在日朝鮮人の側から主張してくれたわけであるから、文科省にとっては大変好ましいものといえる。文科省の詭弁の矛盾をつくことができない。

 しかも、ここでいう「外国の学校の課程と同等の課程を有する」とは、金のいうような朝鮮学校が「北朝鮮の高校に相当する」という意味ではない。(イ)ならば、その判断は朝鮮民主主義人民共和国側によるものとなるが、(ハ)のみ該当となると当然、文科大臣のみとなる。もちろん、だとしても文科省の除外措置は違法であるが、(イ)の可能性を除外してしまうのは大問題である。

 これは金がこのQ&Aにおいて、朝鮮学校は「北朝鮮の高校」ではなく、「民族的マイノリティの学校」として押し出す戦略を採ったことから帰結したものといえる。しかし、この結果、無償化排除後に現在地方自治体が行っている補助金削除における教育「内容」への干渉への有効な批判をなしえていない。

 また、金は「【Q8】閉鎖的な朝鮮学校の側にも問題がある。お互いに理解に向けて努力すべきでは」と問いを立て、「日本の新聞各社は朝鮮学校の「無償化」除外を批判しながら、一方で朝鮮学校も閉鎖性を改善すべきだと社説に書いています。どうやら、朝鮮学校が閉鎖的であるというイメージはずいぶん強固なようです」と答えて、朝鮮学校が閉鎖的でないことの説明を試みる。

 しかしこれは「反日教育」と同じく、問いの設定自体が極めて不正確である。金は「新聞各社」の具体名を挙げていないが、無償化適用賛成論の『朝日新聞』の場合、朝鮮学校が閉鎖的で問題があることの指摘は、さして重要なポイントではない。『朝日』らが重視しているのは、朝鮮学校の教育「内容」の変化と朝鮮総連との関係である。以前にも言及したが、例えば以下の二つの社説を見てみよう。
「だが在日の世代交代が進む中、教育内容は大きく変わった。大半の授業は朝鮮語で行われるが、朝鮮史といった科目以外は、日本の学習指導要領に準じたカリキュラムが組まれている。/北朝鮮の体制は支持しないが、民族の言葉や文化を大事にしたいとの思いで通わせる家庭も増えている。/かつては全校の教室に金日成、金正日父子の肖像画があったが、親たちの要望で小・中課程の教室からは外されている。そうした流れは、これからも強まっていくだろう。」(『朝日』社説、2010.2.24)

「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。/その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。/多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。」(『朝日』社説、2012.3.3) 
  つまり、朝鮮学校の教育「内容」は、朝鮮民主主義人民共和国とは距離をとるものになっている、だから、適用すべきだ、と主張している。前提となっているのは、あくまで朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮総連との関係である。

 すでに述べたように、同じく、現在自治体や右翼メディアが問題としているのは「マイノリティの教育」の実践ではなく、また、「反日教育」の有無でもない。それは朝鮮民主主義人民共和国並びに朝鮮総連との関係であり、具体的に各知事は拉致問題を知事の指示通りに教授せよと干渉している。よって「民族的マイノリティの教育」を擁護することは、現行の無償化排除問題における有効な批判になりえず、むしろ『朝日』を初めとする朝鮮学校の教育「内容」修正=無償化適用論と相補的といえる。

 このように、金は排除派の主張に正面から反論しない。金は、在日朝鮮人の自主的な民族教育権(もちろんそこには朝鮮民主主義人民共和国の公民教育を行う権利も包含される)の擁護ではなく、むしろ朝鮮学校が「民族的マイノリティの教育」であると表象することによって迂回的にこれを「擁護」しようとするため、結果的には現在問題となっている排除継続への有効な反論となっていない。それどころか、むしろ論点を誤った方向へと誘導しかねない。

 これは、金が「【Q10】そもそもなぜ日本生まれの四世、五世にもなって民族教育を行う必要があるのか。日本の公立学校に通えばいいのでは。」という問いに対し、日本の公立学校の教育内容が日本人に限定された民族教育だからだ、と誤った答えを与えるところにも現れている。これでは民族教育の存在意義は、日本の公立学校の教育内容の改善問題と関連付けられることになってしまう。そもそも日本の公立学校における教育を「民族教育」と捉えるべきか疑わしいが、それはおくとしても、この理屈だと日本の公立教育が十分に多民族・多文化を尊重するものへと転換し生徒の「自尊心」が満たされるならば、朝鮮学校の存在意義は消滅する。しかし、朝鮮学校の存在意義は差別的な日本の学校の代替のみにあるわけではない。

 また、金は「移民の子孫は「国家と国家の懸け橋」にたとえられることがありますが、朝鮮学校出身者は日韓朝3か国の懸け橋になれる可能性を持った貴重な人材です。「反日教育をしている」といった根拠のない偏見によってその価値を否定するのは、とても残念なことです」と述べているが、こうしたこれまでウンザリするほど繰り返されてきたレトリックは、権利としての民族教育という視点を欠いた、在日朝鮮人を道具視するものであり、一部のマスコミ業界内在日朝鮮人を除けば、実態にすら合っていない。

 以上のみたようにこのQ&Aは、(1)朝鮮学校の教育「内容」という排除論者の土俵に乗ってしまっている、(2)排除論や巷間の「誤解」の焦点を「反日教育」問題であると誤解している、(3)朝鮮民主主義人民共和国との関係という排除論の主論点に関わることを回避し、「民族的マイノリティの学校」論へと逃げている、という問題を抱えている。これらはこれまで繰り返し指摘した金のエッセイ以来の問題点を継承したものといえる。しかし、同じく繰り返し述べてきたように、必要かつ有効なのは日本社会にとって受け容れられやすいものへと変化したことのアピールではなく、もちろん、在日朝鮮人の「懸け橋」アピールでもなく、在日朝鮮人の民族教育権の擁護/日本政府の不法性の徹底的な追及である。
by kscykscy | 2012-05-13 16:33
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