前回と同様発表から若干時間が経っているが、社会学者の金明秀氏が昨年書いた「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」という文章がある。はじめ在日本朝鮮人人権協会発行の『人権と生活』に掲載され、現在は加筆・修正の上、金明秀氏自らが管理するサイトにアップされている。これは在日朝鮮人の「民族運動」に対する一種の「提言」であるが、その内容は大変危うい。少し日が経ってしまったが、まかり間違えてこの提言が受け入れられることのないよう、ここに批判を記す次第である。
金明秀氏の主張は次のように要約できる。現代日本は「リスク社会」になったのだから、在日朝鮮人も「人権」「平等」などの「近代の市民的規範」を訴えるばかりではだめだ、リスク・コミュニケーションが必要だ。そして、「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」との主張に対しては、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが「有効な打撃を与える」リスク・コミュニケーションだ、と述べている。 「リスク社会」云々は一種のハッタリと考えられるので無視して構わないだろう。ここでの核心は、高校「無償化」除外に対し在日朝鮮人は「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが有効だ、という部分にある。さて、在日朝鮮人は高校「無償化」除外に際し、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するべきだろうか。また、そうした反論は果たして有効だろうか。 現状をみるに、確かに朝鮮高校や在日朝鮮人団体のうち、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という理屈で「無償化」除外反対を訴えるものはいない。理由は明白であろう。そもそも事実に反するからである。朝鮮学校は在日朝鮮人の民族教育のために存在しているのであり、「日本の国益」とは無関係である。市民社会に訴えるために「日本の多文化共生に役立っている」くらいは言っている朝鮮人団体もあるかもしれないが(それ自体大変危うい主張であると思うが)、さすがに「朝鮮学校は日本の国益につながっている」はない。 何より、「日本の国益につながっている」などという理屈は事実に反する上、これまで日本政府の弾圧政策にも屈せず民族教育を継続し、担ってきた在日朝鮮人一人ひとりの歴史と尊厳を毀損するものである。金明秀氏のいうように「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という理屈を用いて仮に「無償化」適用となったとしても、私は、その後永久に朝鮮学校は「日本の国益」という鎖につながれ、また、数多くの在日朝鮮人の尊厳を傷つけることにより、金銭ではあがないきれないほどの大きな「損害」を蒙ることになるのではないかと考える。 ただ、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」というレトリックはおそらく「有効」ですらない。金明秀氏は「有効な打撃」を与えうると主張しているが、実際にはむしろ逆の効果しか生まないことは明らかだ。そもそも、「日本の国益」という言葉は、その性質上日本政府あるいは日本人マジョリティに独占的な解釈権がある。一度「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などというレトリックを用いたが最後、今般の情勢をみればわかるように、政府や自治体、マスコミ、右翼、ネットイナゴが朝鮮学校に押し寄せて「日本の国益」に反する「事実」を無限に挙げ続けるだろう。これに反論するのは困難である。何より金明秀氏自身が認めているように、「この種のデマは事実に基づいて形成されるのでなく、情動的側面が強いため、反証する事実を示すだけでは修正されにくい。しかも、「反日教育」というあいまいで都合のよいマジックワードが、あらゆる反論を無効化してしまう」からである。よって有効ですらない。 さて、金明秀氏は結びの部分で、こうした批判を想定していたとでもいわんばかりの調子で、次のように記している。 「祖国志向の強い在日コリアンであれば、「朝鮮学校の存在が日本のためになる」という発想そのものを嫌悪するかもしれない。また、「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください」とでもいわんばかりのリスク・コミュニケーション戦略に、強い屈辱を感じる人も少なくはないだろう。 しかし、そういう人に考えてもらいたいことが二つある。 一つは、「移民はこの国の役に立つ」と信じている人ほど移民に悪感情を持たない(逆にいえば、「移民はこの国の厄介者だ」と信じている人ほど移民の排斥に賛成する)ということだ。この命題は、世界各国の調査で手堅く支持されている。 たしかに、在日コリアンがこの国の厄介者だという信念は、まことに馬鹿げたものである。世界の民族状況を知れば、在日コリアンはむしろ「モデル・マイノリティ」と呼べる理想的な隣人であることがわかるはずだ。とはいえ、いかにナンセンスであろうとも、実際にそういう誤解と偏見が流布してしまっているなら、それを払しょくするために合理的な努力をせざるをえまい。 もう一つは、朝連解散以降、在日コリアンは、実際に日本社会において「リスク」とみなされないように努力してきたという歴史だ。前述した通り、在日コリアンは、差別と不平等にあえぎながら、それを克服して日本人と相同の社会的地位を形成してきた。 世界中の国家が民族的マイノリティにそれを望んで膨大な予算を支出しているというのに、在日コリアンは日本政府からそのための補助など受けることなく、独力で不利益を跳ね返してきたのだ。この地で立派に市民生活を営んできたということ自体、いくらでも誇ってよい民族集団の歴史なのである。」 確かに、私は金明秀氏の主張を嫌悪する。何より、予想される反論に「祖国志向の強い」という限定をかける金明秀氏の手法にも嫌悪感を抱く。福岡安則氏が用いて人口に膾炙して以来、心ある在日朝鮮人を苛立たせ続けている「祖国志向」云々のレッテル貼りを、金明秀氏はなぜ立論とは直接関係が無いにもかかわらず持ち出したのだろうか。そこには論敵を陳腐化する「戦略」があるのではないか、と勘ぐりたくなる。また、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という主張は、実は「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください」よりも多くのことを述べている。正確には金明秀氏は「あなたたちの国の国益になっているのでいじめないでください」といえと勧めている。これは容易に「あなたたちの国の国益になりますのでいじめないでください」に変わりうる。これは嫌悪せざるをえない。 何より、私は金明秀氏がその「リスク社会」なる像をすでに到来し受け入れざるをえないものとして提示するところに嫌悪感を抱く。在日朝鮮人が進んで自らが「日本の国益につながっている」と主張し、日本政府と日本人がそれをうけて「在日朝鮮人はこの国の役に立つ」と信じ、在日朝鮮人を「モデル・マイノリティ」(この言葉をここまで肯定的に用いる在日朝鮮人を私は始めて知った)として位置づける社会。「移民」がマジョリティにとって「役に立つ」限りで「悪感情を持たない」社会。マイノリティに「役に立つ」競争を求める社会。確かにこれは日本社会そのものだろう。しかし、ベックという「権威」を用いてそうした社会が到来したのだと宿命論的に説き、在日朝鮮人に対し、これに抵抗するのではなく、順応すべしと説く金明秀氏の主張には、どうあっても嫌悪感を抱かざるをえない。朝鮮学校側がこの「提言」を採用しないことを願うばかりである。
by kscykscy
| 2012-01-08 23:20
| 朝鮮学校「無償化」排除問題
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