人気ブログランキング | 話題のタグを見る

三たび1948年の民族教育弾圧について

 前田年昭氏が再反論を掲載している(「歴史の止揚とは二重性を噛みしめ続けることである」参照)。

 批判の意味を理解していただいてないようなので、しつこいようだがもう一度説明する。私は、前田氏の書いた「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります」という記述には誤りがある、と指摘した。

 1948年4月24日の学校閉鎖令撤回は軍事的弾圧によって「5.5覚書」に後退させられてしまった。また、1948年4月24日の学校閉鎖令撤回は、「日本人と在日朝鮮人は肩を組んで」なされたものと言い得るほどの日本人側の闘争を伴うものではなく、むしろ「撤回」は圧倒的多数の朝鮮人大衆の孤立した闘争によって勝ち取られたものである。日本人の充分な擁護闘争が無かったため、朝鮮人側は「5.5覚書」を受けいれざるを得なかった。よって、「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります」という記述は、日本人の運動を過大評価するものである。これが私の批判の要旨である。

 この批判に前田氏は正面から答えていない。前回のエントリーで前田氏は1949年のエピソードを持ち出し、また、今回のエントリーで「1948-49年の在日朝鮮人の民族教育に対するアメリカ占領軍と日本政府による非道な弾圧とこれに対する闘い,阪神教育闘争を今に生きる私たちがどう捉え,そこから何を学ぶのか」〔強調引用者〕と記している。だが当初の記述は明らかに1948年の「阪神教育闘争」を指している。これは論点を逸らすもので誠実な対応とはいえない。私は、前田氏が「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります」と書いたことに対し、その理解は間違っていると言っているのである。

 そもそも前田氏は、自身の「日本人と在日朝鮮人は肩を組んで」という記述に対する私の批判の意味を理解しているのだろうか。例えば以下の記述を見よう。
 「kscykscyさんは,一度撤回させても結局は後退した,つまり,結果がアウトなら途中経過もアウトと強調します(そういう言葉は使っていませんが,そういうことになります)。私は,ここがどうしても納得できません。1968年9月30日,日大全共闘一万人は古田重二良会頭との翌朝に及ぶ大衆団交で要求を呑ませ,会頭以下出席理事は,学生自治弾圧への自己批判,使途不明金の全容公開,大衆団交再開の確約書に署名しました。翌10月1日,佐藤栄作首相は「政治問題としての対処」を表明,3日,古田重二良会頭=日大当局は緊急理事会を開き,大衆団交は数の威力による強要だとして確約書を破棄しました。kscykscyさんの手にかかればこれも,この時点での成果は9・30確約書でなく10・3破棄であり,ありうべき呼びかけは「9・30のように闘おう」ではなく「9・30を繰返すまい」ということになるのでしょうか。」
 これは極めて不適切なアナロジーに基いた私の批判の曲解である。前田氏のたとえ話に付き合うならば、私の批判の核心は、そもそも1948年4月の時点で、このたとえ話における「日大全共闘」の位置に日本人はいなかったのにあたかもいたかのように書くのはやめて欲しいという点にある。つまり、日本人が「4.24のように闘おう」と言うのは、闘ってもいないことを、あたかも闘ったかのように語るものであるからやめるべきだと批判したのである。むしろ朝鮮人が勝ち取った「4.24」をみすみす「5.5覚書」に後退させることを許した日本人の闘争の弱さを想起する意味で、日本人は「4.24を繰返すまい」と言ったほうがまだよいのではないかと書いた。

 以上である。それでも前田氏は、「敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と吉田政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります」という記述が歴史的検証に耐えるものと考えるのだろうか。
by kscykscy | 2010-05-13 17:54
<< 「『無償化』適用=植民地支配へ... 再論・1948年の民族教育弾圧... >>