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「東アジアの平和を毀損する」のは誰か

「このような本の主張が韓国社会に受け入れられる場合、東アジアの平和を現在以上に毀損することになる」(2016年7月7日)。

 さきごろ韓国で刊行された私の著書『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』の朝鮮語版に対する朴裕河の評価である。

 朴裕河は7月11日、私の本への反駁のためだけに新聞記者懇談会を開くという。「この本の主張に深刻な問題があり、特に引用や論旨の展開において、極めて恣意的な方式で私の本といわゆる「良心的」な現代日本知識人すら歪曲していることを明らかにするつもり」だという。上に引用した「東アジアの平和を現在以上に毀損する」云々という文句は、記者懇談会の案内文に朴が記したものである。日本のメディアへのアピールも念頭に置いているのであろう。

 韓国での私の本の刊行に、朴裕河は相当に狼狽しているようである。「少なくないメディアが36歳の在日僑胞研究者の歪曲された認識を、たいそうな洞察であり認識であるかのように伝え、彼の言葉を韓国社会が信じるようになったのみならず、私を詐欺師扱いする事態が展開してしまった」(2016年7月6日)との認識のようなので、あわてるのも無理もない。在日の若造の言うことを韓国メディアが評価しているのが気に食わないのだろうが、自らの蒔いた種である。朴裕河が採るべきは自らの著作に誠実に向き合い、批判に正面から答えること以外にない。ところが、朴裕河は私の本の韓国での出版を自己省察の機会にするどころか、私の入国拒否や出版記念会をめぐって、にわかには信じがたい言動を繰り返している。

 既報のとおり、拙著の刊行にあわせてソウルで7月1日に出版記念会が開催されたが、私は韓国政府にふたたび入国を拒否され、行事に参加することができなかった。このため、当日の昼に記者会見を行い、私は中継で抗議の意思表示をした。記者会見にあたり、出版記念会実行委員会は入国拒否への抗議声明を発表した。声明への賛同署名には600人にのぼる方々が抗議の意思を示してくださった。もとは韓国の方々を中心に始まった署名であったが、少なくない日本在住の方々も署名してくださった。抗議の意思をともに示してくださったことに、改めて感謝の意思を表したい。

 7月1日の出版記念会には朴裕河本人がカメラクルーとともにあらわれた(詳細は『ハンギョレ』の報道を参照)。このため私は『忘却のための「和解」』の要旨を説明し、具体的にいくつかの質問を示した。だが30分近い時間を浪費したにもかかわらず、朴裕河はあいかわらず「誤読している」とくりかえすばかりで、私の質問に何らまともに答えることがなかった。日本のメディアは議論のやりとりを伝えず、この場が「険悪」になったことを紹介する記事のみを配信している。だが、むしろ私からみると、朴の言動は参加者たちを激昂させるに充分であったにもかかわらず、主催者や参加者は最大限丁重に遇したと思う。質問に答えない朴の姿勢に、みかねた参加者から早く質問に答えるよう促す声があがったが、当然の反応であろう。私も、入国ができずようやく中継でつながった読者との対話の時間をくだらないやりとりで朴が奪ったこと(指定討論者を除けば会場から発言できたのはたったの一人であった)、にもかかわらず何ら誠実な応答をしない朴の傲岸不遜な姿勢に平常心を失いかけたが、貴重な場を用意してくれた主催者のためにも堪えた。そもそも出版記念会にカメラクルーを連れてきて、撮影をする神経が私には理解できないが(自分のドキュメンタリー用のようだ)、それは措こう。

 この間の朴裕河の言動のなかで到底座視しがたいのは私の入国不許可処分に対する発言である。この間、朴裕河は私の入国拒否の判断が妥当であるかのようにほのめかす発言を繰り返した。拒否処分直前の、6月28日、朴は次のように書いた。

「鄭栄桓氏は韓国と北朝鮮で政治的活動をしたとの理由で韓国入国が不許可となった人物だ。国家が個人の移動の自由を管理することに私は批判的であるが、彼らの言説が韓日和解に強い懸念を示すのはだからかもしれない。
 事実、鄭栄桓の懸念を理解できないわけではない。だが、人々が私抜きで(彼の表現に従えば忘却して)和解するかもしれないと恐れるよりは、在日僑胞社会や日本との、あるいは北朝鮮と日本との和解を模索するほうがはるかに生産的である。」(「誰のための不和なのか」2016年6月28日

 朴裕河らしい文章である。「国家が個人の移動の自由を管理することに私は批判的であるが」と、あからさまな反共主義者と思われないように予防線をはる一方で、私が韓国や朝鮮民主主義人民共和国で「政治的活動をした」ため入国不許可となったという韓国政府当局の説明をそのまま垂れ流し、だからこそ韓日和解に懸念を示すのだろう、と根拠のない推論を示す。この文を読む者は、私の「和解」批判が朝鮮民主主義人民共和国と何らかの関係があるかのような、そして入国不許可にも相応の理由があるかのような印象を抱くであろう。だが朴はほのめかすに留めているため、その責任は読み取った読者に転嫁されることになる。『帝国の慰安婦』と同じく、きわめて無責任な文章である。

 この投稿には相当な批判が寄せられたとみえる。朴裕河は翌日になると次のような弁解を行った。

「私は国籍を持たないことを選んだ朝鮮籍の方々を立派だと考える人間だ。その頂点に作家・金石範先生がおり、私「朝鮮籍」の意味が何かを知るようになったのもあの方を通してだった。
 私が言及したのはただ「韓国政府の判断」だ。書いていない非難をあえて読み取り非難する者たちの行為は、慰安婦はもとは日本人が対象であったし、国家により移動させられた貧しい女性だという意味で「朝鮮人はからゆきさんの後裔」と書いたのに、「それは売春婦という意味!」としながら板金[削除要求を指すのであろう]を要求した支援団体と何ら異なるところがない。」(2016年6月29日

 朝鮮籍者の金石範を尊敬する私が、朝鮮籍者を差別するはずがない、といいたいのであろう。自分は「鄭栄桓ではなく政府を批判した」のだとも書いている。いまだに告訴したのが「慰安婦」被害当事者であることを認めないその姿勢には驚くほかないが、呆れてしまうのは、上の文章で意図したのは韓国政府批判だ、という弁解である。この文を読んで、朴が私の入国不許可処分を批判したと考える読者はおそらく地球上に一人もいまい。自らへの批判を「勝手に、深く、歪めての読み」と非難し、「冷戦後遺症を患っている私たちの社会の断面であろう」としているが、これまた『帝国の慰安婦』と同じく、もし朴の「真意」が読者の理解と異なっていたとすれば、その責任は書き手である朴自身にある。

 しかも朴はこの投稿においても、私の入国不許可が妥当であるかのようなほのめかしを続けている。朴は投稿の末尾で「鄭栄桓問題[!:引用者]についての参考資料として、趙寛子先生の論文をあげる。在日僑胞/朝鮮籍について語るならこの論文は必ずや読まねばならないだろう。入国制限問題については特に第六節が詳しい。」として、趙寛子の論文(*조관자「재일조선인 담론에 나타난 ‘기민(棄民)의식’을 넘어서: ‘정치적 주체성’을 생각하다」『통일과평화』(7집 1호·2015))のリンクを貼り付けている。

 趙寛子はソウル大学日本研究所の助教授で、日本語の著書もある朝鮮近代思想史研究者である。朴が参照することをすすめた趙寛子論文の第六節には、私の入国に関する次のような記述がある。注とあわせて引用する。

「イラク戦争で高揚した反米運動の現場で朝鮮籍の在日朝鮮人たちが北朝鮮の反米、統一のスローガンと一致する内容をそのまま叫ぶ場合もあった。54)」(209頁)

「注54 筆者は在日朝鮮人鄭**氏を日本でみたことがある。2006年冬だと記憶しているが、当時大学院生だった彼が東京のある出版記念会で平澤の反米集会に参加した経験を披瀝した。日本に居住しながらちょうど鄭**氏の演説を聞くことになった筆者は、北朝鮮を自由に往来する在日朝鮮人青年が平澤住民たちのまえで北朝鮮の語法で米軍撤収を叫ぶ場面を頭に浮かべ、韓国の変化と政権の寛容さに驚いた記憶がある。[中略]筆者は鄭**氏が決して脅威であるとか無謀な人間ではなく、彼の学術活動は許容されねばならないと考える。だが北朝鮮の反米民族主義が韓国で生生しく再現されることを「脱分断」と考えることはできず、いままでに展開された朝鮮籍の統一表象と統一運動を首肯できないため、朝鮮籍の政治活動を制限する政府の立場に基本的に同意する。」(210-211頁)

 念のため確認しておくが、これは公安警察の報告書ではない。ソウル大学の研究所紀要に載った、れっきとした「学術論文」である。言うまでもなく、ここでの「鄭**氏」とは私を指す(この「論文」のもとになった学会報告ではフルネームが上がっていたという)。趙寛子のこの論文は朴裕河のいうような「在日僑胞/朝鮮籍について語るならこの論文は必ずや読まねばならない」ような質のものではなく、上の引用をみてもわかるように、治安当局の視点と同一化した立場から書かれた極めてイデオロギー色の濃い「在日論」であり、率直にいって研究としての価値はゼロである。

 ここで触れられているのは、私がはじめて韓国に入国した2005年の出来事をさす。韓国に行ったのは、ソウル大学で開かれたある国際シンポジウムで報告をするためであった。そして、このシンポジウムの関連行事として、当時米軍基地移設の予定地とされていた平澤へのフィールドワークが企画された。私もこれに同行して地域で反対運動に従事する人々との交流会にも参加し、短い時間であったが感想を発言した。日本で生まれ育った身のため「自分の土地」という感覚を実感として持ったことがなく、みなさんの土地への思いは想像するほかない、といった内容の発言をしたと思う。「北朝鮮の反米、統一のスローガンと一致する内容」などというご立派なものではない。

 しかも、趙寛子は文中にもあるようにこの行事にもフィールドワークにも同行しておらず、私の日本での発言から、「北朝鮮を自由に往来する在日朝鮮人青年が平澤住民たちのまえで北朝鮮の語法で米軍撤収を叫ぶ場面を頭に浮かべ」たのだという。つまり、「朝鮮籍の在日朝鮮人たちが北朝鮮の反米、統一のスローガンと一致する内容をそのまま叫ぶ場合もあった」という記述の根拠は、趙の想像なのである。そのうえで、私の学術活動は許容するが(当たり前だ)、「朝鮮籍の政治活動を制限する政府の立場に基本的に同意する」と主張し、事実上私の入国不許可を是認している。趙寛子「論文」の私に関する記述は以上のようなものである。

 朴裕河が趙寛子論文の参照を指示することで、韓国の読者に何を示唆したかったかは明らかであろう。朴裕河は、はじめに私の入国不許可処分を擁護するかのような印象を読者に与え、それが批判されると、自分は韓国政府を批判したのだと無理な弁明を行いつつも、同時に、私の入国不許可を是認する「論文」の参照を読者に求めたのである。いかに朴が私の入国不許可には相応の理由があるという印象を韓国の読者たちに与えたいかがわかる。冒頭で引用した「東アジアの平和を現在以上に毀損することになる」云々という私の本への評価もそうであるが、この数日のあいだ、朴は一貫して私の入国問題を国家の安全保障や治安の視点で考えることをほのめかしている。論争の相手に対するこのような手段を用いた報復は、控えめにいっても「卑劣」と評さざるをえない。改めてこの場を借りて抗議する。

 果たして「東アジアの平和を毀損する」のは私の本なのか、それとも朴のかような姿勢なのか。答えは明らかではあるまいか。冒頭で紹介したとおり、7月11日に朴裕河は記者懇談会をするという。安易な反共主義的レッテル貼りに頼らず、自らの著書への批判に対して誠実に応答することを求めたい。これは私と朴裕河のあいだの問題に留まらない。何より『帝国の慰安婦』により名誉を毀損されたと主張する被害者たちが存在することを忘れるべきではない。

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2016-07-10 00:00

研究集会「『慰安婦問題』にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」の記録公開

 今年3月28日に東大で開かれた研究集会「『慰安婦問題』にどう向きあうか」の記録が公開された。当日配布の趣旨文や報告者のレジュメもすべて公開されている。以前に言及した浅野豊美氏のレジュメと発言もそのまま掲載されている。私の発言も含め、記録に極力修正を加えないよう指示があったため、若干読みづらいところがあるが、関心のある方はリンク先よりダウンロードしてご覧いただきたい。

研究集会「『慰安婦問題』にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」

*参考
研究集会「「慰安婦問題」にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」について


# by kscykscy | 2016-06-27 00:00

米軍の朝鮮人捕虜尋問記録の「発見」?――『毎日新聞』6月10日付記事について

 『毎日新聞』は6月10日付で、米軍の尋問調書を米国立公文書館で「発見」したとして下記の通り報じた。

米調書発見 日本の支配、過酷さ記録 慰安婦「志願か身売りと認識」
朝鮮人捕虜:米の尋問調書発見…日本支配の過酷さ記録
朝鮮人捕虜尋問:米、反日意識鼓舞狙う?
朝鮮人捕虜尋問:調書の概要

 記事によれば、かつてアジア女性基金の資料委員会は、米軍による朝鮮人捕虜の尋問記録のうち、捕虜の「回答」のみを発見した。これはその後「所在不明」となっていたが、2016年に入って「見つか」ったという。また今年3月、浅野氏と毎日新聞は新たに米軍がいかなる「質問」をしたのかを示す資料を「発見」したという。つまり、この記事は【資料1】捕虜の回答と【資料2】米軍の質問という二つの資料を扱っており、後者がこの度「発見」されたものということになる。

 記事に掲載された浅野・秦・木宮・熊谷各氏の資料解釈もただちには納得しかねる部分があるが、それ以前の問題として、この『毎日』報道に対しては、韓国の研究者から「研究倫理」と「報道倫理」を問う批判が示されている。すなわち、浅野氏及び毎日新聞が「発見」したとする【資料2】はすでに公表されており、今回の「発見」報道は妥当性を欠くというのである。重要な指摘と思われるので以下に紹介したい。

 指摘したのは聖公会大学の康誠賢研究教授(社会学)である(*1)。康誠賢氏によれば、『毎日新聞』6月10日付報道が依拠した二種類の資料は、それぞれ下記の通りである。

【資料1】“Composite Report on Three Navy Civilians, List no. 78 dated 28 Mar, 45, Re Special Questions on Koreas”
【資料2】Special Questions for Korean PWs, 1945. 4. 4.

 前述のとおり、【資料2】が今回毎日新聞と浅野氏が「発見」したとされるものだが、康誠賢氏によれば、この資料はすでに昨2015年2月に、ソウル大学校人権センター日本軍「慰安婦」米国資料調査チームが公表しKBSニュースと『聯合ニュース』で報じられている。また、その後に制作されたKBSのドキュメンタリー『連れていかれた少女たち、ビルマ戦線から消え去る』でも言及されているという。康誠賢氏はソウル大学校人権センターのチームの一員であった。

 康誠賢氏は自身のfacebook上で、今回の「発見」報道に対する論評として、【資料2】は「すでに本調査チームが2015年1月に発掘し、韓国のメディアに公表したものだ。これをもってあたかも今年の3月に自身らが新たに発掘したかのように書くことは、この重要な時点においては、意図的であろうがなかろうが歪曲である。その内容も悪意的である。」と厳しく批判し、「浅野教授と毎日新聞の研究倫理と報道倫理」を問うている。

 確かにweb上に残された記事をみても、2015年2月にKBS及び聯合ニュースは朝鮮人捕虜に対する米軍の質問(【資料2】)も含めて、国史編纂委員会とソウル大学校人権センターが「発掘」したと報じている(*2)。2015年2月27日付の『聯合ニュース』報道の一部を以下に翻訳しよう。

「太平洋戦争当時、日帝が朝鮮人女性が軍慰安婦として強制動員した事実を米軍が認知していたことを立証する、米国側資料が第96周年3.1節を前に公開された。
 国史編纂委員会(国編)とソウル大学校人権センターは、米国国立公文書記録管理局(NARA)とマッカーサー記念図書館にて調査・発掘した日本軍慰安婦関連資料のうち、日本軍捕虜尋問に関連する文献を27日公開した。
 これらの機関によれば、太平洋戦争期米軍は捕虜尋問を専門に担当する組織を地域または戦域別に置いた。連合軍翻訳通訳部局(ATIS)、東南アジア翻訳・尋問センター(SEATIC)、戦争情報局(OWI)、戦略諜報局(OSS)などでこれらの組織を運用した。
 米軍は捕虜のうち、技術・戦略的に重要な情報を持っていると判断される捕虜は、米国カリフォルニア州トレイシー基地に移送し、再尋問した。
 当時、米陸軍省が1945年4月4日、トレイシー基地に下達した「朝鮮人捕虜に対する特別尋問」(Special Questions for Korean PWs)文献からは、当時米軍が日帝の軍慰安婦強制動員の事実をすでに知っていたことが明らかになる。
 あわせて30の質問項目のうち、18番目の質問項目をみると、米軍は捕虜に「一般的に朝鮮人たちは日本軍が慰安婦として働くように朝鮮の少女たちを充員したことを知っていたのか?このプログラムに対する普通の朝鮮人の態度はいかなるものか?捕虜はこのプログラムのために発生した何らかの騒乱や抵抗を知っているのか?」という質問を朝鮮人捕虜にすることになっている。
 国編関係者は「30の質問項目のうち、軍慰安婦関連項目が含まれていることは米軍がすでに軍慰安所制度について相当の情報を蓄積し、この問題を重要なものとして取り扱っていることを意味する」とし、「朝鮮人の抵抗があったのかを聞いたのは、対日本軍心理作戦において朝鮮人と日本人のあいだの葛藤を活用できるとみたため」と語った。」

 この報道からも、今回浅野氏及び毎日新聞が「発見」したとされる【資料2】の米軍による質問項目は、2015年2月に国史編纂委員会とソウル大学校人権センターによって公表された資料と同一のものであることは明らかであろう。

 もちろん既出の資料を利用し、その解釈を公表することが非難に値するわけではない(当然のことである)。だが、今回の報道は明らかに質問項目の「発見」を重要なニュースバリューの一つとして提示している。相当なことでもない限り、既出の資料の解釈が全国紙の一面を飾ることは想像しがたく、資料の「発見」がこの記事の価値を裏付けていることは明らかであろう。

 康誠賢氏の指摘のとおり、浅野氏及び毎日新聞が資料を「発見」したとの報道は、上記の韓国における資料調査と公表の事実を無視したものというほかない。浅野氏や毎日新聞は2015年2月の韓国メディアの報道を知らなかったのであろうか。知っていながらあえて「発見」と報じたとは考えたくはないが、仮に知らなかったとしても資料「発見」を報じるための最低限の裏付けを欠いているといわざるをえず、「研究倫理と報道倫理」を疑われても仕方がないだろう。毎日新聞社は早急に事実関係を確認し、「発見」報道を訂正するべきではなかろうか。

*1 康誠賢「6月10日付『毎日新聞』記事に対する論評」

*2 KBS及び聯合ニュースの報道は下記の通り。

[단독] “버마 위안부는 모두 조선인”…‘일본군 심문’ 입수[KBS]
[취재후] 버마 전선의 위안부, “그들은 모두 조선인”[KBS]
"미군, 조선인 일본군 포로에 軍위안부 문제 물었다"[聯合ニュース]
軍위안부 문제 관련 진술 담긴 미군의 포로심문 문건[聯合ニュース]
軍위안부 문제 관련 문항 담긴 미군의 포로심문 문건[聯合ニュース]

追記(6/12)

 康誠賢氏は前掲の論評の続編を自身のfacebookに投稿している。

康誠賢「6月10日付『毎日新聞』記事に対する論評(2)」
康誠賢「6月10日付『毎日新聞』記事に対する論評(3)」

 論評(2)で康氏は次のように指摘している。

「何より、資料を新たに発掘したと公表しながら、果たして本当にそうかと左右を確かめてみなかったことも、結果的に意図したかどうかとは関係なく、このようなやり方で『毎日』に記事化したことは、研究倫理の点で責任を負うべき部分があるように見える。
 率直にいえば、日本軍「慰安婦」研究者として言論に公表された韓国の資料調査発掘状況を確認しなかったことは、彼が研究者として不誠実である証拠であるか、そうでなければ、韓国などはみないでもよろしい、という[姿勢を想像させる:訳者注]ものだ(あるいは仮に韓国で調査発掘されたことを確認したにもかかわらず、今年3月に自身が発掘したと主張したのであれば、これはより深刻な問題である。そうでないことを信じたい)。」

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2016-06-11 00:00

拙著『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』正誤表

 拙著『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房、2016年)に誤植がありました。お詫びし、下記のとおり、訂正いたします。世織書房のHPにも正誤表(pdfファイル)を掲載しましたので、あわせてご参照ください。
拙著『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』正誤表_b0143228_20190708.jpg






 

# by kscykscy | 2016-04-27 23:35

研究集会「「慰安婦問題」にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」について

 以前に若干触れたが、去る3月28日、東京大学駒場キャンパスで研究集会「「慰安婦問題」にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」が非公開で開かれた。以下では、参加した一報告者としての視点から、簡単な感想を記しておきたい。

 まず経緯を整理しておこう。この集会は東京大学の外村大氏の呼びかけにより実現した。擁護(主として在宅起訴反対声明の賛同人たち。当日はA側との呼称が用いられた)・批判(『帝国の慰安婦』批判を執筆したことがあるか、その意思があると思われる者たち。B側)双方の立場から、この問題に関心があると思われる人々に参加が呼びかけられ、実行委員会が組織された(私は実行委員にはなっていない)。

 当日は蘭信三、板垣竜太両氏の司会のもと、報告を西成彦(A)、岩崎稔(A)、鄭栄桓(B)、浅野豊美(A)、小野沢あかね(B)、梁澄子(B)の6人が、コメントを木宮正史(A)、吉見義明(B)、太田昌国(A)、金昌禄(B)、上野千鶴子(A)、北原みのり(B)、李順愛(A)、金富子(B)、千田有紀(A)、中西新太郎(B)の10人が行ったのち、総合討論に入った。討論では報告者がリプライを行い、その後、司会者が論点を整理したうえで総合討論に入った。

 研究集会は6時間近くに及んだため、ここでその内容を要約することは不可能である。いずれ集会の記録が公開されるだろうから、関心のある方はそちらを参照されたい。また、日本語で読める記事としては『東京新聞』の報道がもっともまとまっているのでご覧いただきたい。

 そもそも私がなぜこの研究集会に参加したかを説明しておく必要があるだろう。研究集会「『慰安婦』問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」の呼びかけ文(外村大氏執筆)には、次のような一節がある。

「植民地支配の反省を確立し、被害者の心に届くような謝罪と補償を実現していくためには、この問題に対する関心を高め、正確な史実を伝えるためのいっそうの努力が必要となっています。そして、目標実現のためには、幅広い市民の力をまとめることが必要です。」

 私は呼びかけ文のいう、「植民地支配の反省」の確立、「被害者の心に届くような謝罪と補償」、そして「正確な史実」を明らかにするための努力の必要、という問題意識に賛同し、本研究集会に臨んだ。上にあげた呼びかけ文の問題意識を前提として共有できるならば、私と『帝国の慰安婦』に対する評価の異なる人たちとも建設的な議論が可能であると考えたからである。

 私は、『帝国の慰安婦』には「正確な史実」を明らかにしようという謙虚な姿勢がみられず、むしろ恣意的な史料や文献解釈により「正確な史実」の探求への道を遠ざけている、と考える。「反省」や「謝罪」「補償」などの重要な用語や概念を朴裕河氏は自分流に修正し、被害者たちの目標自体を換骨奪胎している。研究集会の報告においては、これらについて具体的な事実をあげて指摘した(詳細は拙著『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』世織書房、2016年を参照されたい)。

 だが意外なことに、『帝国の慰安婦』を評価する側の報告者・発言者は、私のこうした批判に具体的な反論をいっさい示さなかった。私はこの一年半にわたりブログなどで『帝国の慰安婦』を批判してきた。日韓会談をめぐる朴氏の誤謬については『季刊戦争責任研究』に掲載された論文で指摘しており、私の『帝国の慰安婦』批判の論旨は予測できたはずである。実際に研究集会において西成彦氏は私のブログの記述に言及して反論を行った。また、浅野豊美氏は韓国の歴史学研究誌『歴史批評』に掲載した私の批判に触れていた。にもかかわらず、私の提起した論点について、ただのひとつも具体的な反論が示されることがなかった。大変意外であり、また、遺憾である。

 私は当初、次のような主張がなされるのではないかと予想していた。『帝国の慰安婦』の命題は確かに十分に立証されてはいない。だが朴氏が言及していない他の史料や証言には、朴氏の命題を支持するような内容が含まれている。『帝国の慰安婦』は論証としては不十分だが、日本軍「慰安婦」の実像に迫っている、と。これならばまだ議論になりうるが、この種の反論すらついに示されることがなかった。

 もちろん『帝国の慰安婦』の誤りや「脇の甘さ」を認める発言がないわけではなかったが、それらはいずれも極めて抽象的であり、それが具体的に何を指すのかは示されなかった。ある書物のすべてが誤っていることなどありえないから、抽象的に「誤りもある」と認めるだけでは批判に応じたことにならないのは当然である。仮にそのように考えるならば、具体的に何が「誤り」「脇の甘さ」なのかを明らかにすべきであろう。その指摘がなされず、「誤り」「脇の甘さ」はあるが評価すべき点もある(その多くは日韓和解のための意義の強調であった)、という言明を繰り返すだけでは、議論になりようはずがない。

 ただ、興味深く感じたのは、上野千鶴子氏の『帝国の慰安婦』評価である。上野氏は開口一番、私のレジュメをとりあげたうえで、A側について、すべて一緒くたにしないでほしい、私は「避けて通れない書物」とは書いたが優れた本だとは言っていない、と発言した。確かにその通りである。『毎日新聞』掲載の上野氏の『帝国の慰安婦』評には、内容がいいとは一言も書いていない(ただし上野氏も賛同人である「抗議声明」は本書の内容を高く評価している)。私自身もこの点は気になっており、実際には『帝国の慰安婦』の問題点に上野氏が気づいているがゆえに、『毎日』では奇妙な紹介の仕方をしたのではないかと推測していたので、この発言を聞いてやはり内容の評価には踏み込まないのだなと思った。

 だがここから上野氏は一転して、『帝国の慰安婦』の優れた点を指摘し始めた。上野氏によれば、『帝国の慰安婦』は日本の免責などしておらず、むしろ植民地支配の罪をつきつけたところにおいて日本人としての痛覚をもっともついた。戦時性暴力の普遍性に対して植民地女性という視点を持ち込んだ。私や金昌禄氏の「業者主犯説」との評価は誤読である。これが上野氏の『帝国の慰安婦』評価である。これは意外であった。私はひそかに、上野氏は『帝国の慰安婦』のほとぼりが冷めた頃に「別に評価していたわけではない。起訴に反対しただけだ」と言い出すのではないか、と思っていたので、ここまで内容に踏み込んだ評価をするとは思わなかった。しかし、上野氏は『帝国の慰安婦』が「業者主犯説」ではないとする根拠を一切示さなかった。これでは反論のしようがない、というのが正直なところである(*1)。

 反論に具体性がないこと以上に私が気になったのは、『帝国の慰安婦』擁護の論者たちのなかに、批判者(私を含む)に対する印象操作をするような「反論」があったことである。例えば浅野豊美氏は自身の報告において、私の批判は「先輩」たちの枠組みを前提にしており、誤っているにもかかわらず、若くて威勢のいい朝鮮人に言われると反論できないため、周囲は贖罪意識からしぶしぶ従っているにすぎない、という趣旨の「批判」をおこなった。そして浅野氏はこれを「鄭栄桓現象」と名付けた。この主張には何らの根拠もなかった。浅野氏自身、反証可能性がないことを認めながら発言していた。「研究集会」の場でこのような憶測が述べられたことに私は驚きを禁じ得なかった。

 仮に浅野氏が上のような主張をするならば、最低限以下のような手続きを経てなすべきである。私が特定の先行研究の問題意識を無批判に受容していることを指摘したいならば、「先輩」という通俗的な表現を用いず、具体的に当該の研究及び研究者を指摘すべきである。また、浅野氏の批判(「鄭栄桓現象」)が成り立つためには、(1)私の主張(『帝国の慰安婦』批判)が誤っていること、(2)周囲がそれを認知しながら贖罪意識から同意していることを立証しなければならないが、浅野氏はこれを証明しようと試みることすらなかった。浅野氏も研究者である以上、上のような手続きを欠いた批判が単なる「誹謗」にすぎないことは十分に理解できるはずである。

 それゆえ私は、浅野氏がここまでの主張を表明したからには、相応の根拠があるものと考え、報告後のリプライにおいて再度二点の質問を名指しでおこなった。(1)日韓会談で韓国政府が朝鮮人「慰安婦」の個人請求権を進んで放棄したとする『帝国の慰安婦』の主張に賛同するのか、(2)朴裕河氏は浅野の研究に言及したうえで、もし個人請求権が認められれば日本は在朝鮮日本資産の請求権を主張できるようになるというが、この主張にも賛同するのか、の二点である。ほかにも問うべきことはあったが、浅野氏は日韓会談関係文書の資料集編纂者であるから、少なくともこの二点については別途の準備を経ずとも回答できると考え限定した。だがこれについても浅野氏が回答することはなかった。

 もし何らの根拠なく上記のような主張を行ったのであれば、それは浅野氏自身の偏見の表明にすぎず、私のみならず『帝国の慰安婦』批判を行ったことのある人々の主体性を愚弄するものとみなさざるをえない。ひいては『帝国の慰安婦』擁護論は、朴裕河氏と同様「正確な史実」の探求には関心がないとの疑いを免れないのではないか。ここでは浅野氏の主張への言及にとどめたが、他の発言者も、西成彦氏をのぞいてはそもそも『帝国の慰安婦』の内容に触れることすら稀であった。これは集会主催者や参加者のみならず、そもそも朴裕河氏に対する敬意を欠く振る舞いではあるまいか。

 冒頭に記したとおり、私は本研究集会を『帝国の慰安婦』というテクストの内容をめぐる真摯な議論の場になりうると考え参加した。だが残念ながらそのような場にはならなかった、と評価するほかない。せめて本研究集会の記録ができるだけ正確な形で公表されることを願うばかりである。

*1 『帝国の慰安婦』評価とは直接関係がないが、上野氏の発言をめぐっては印象深い一幕があった。上野氏は最後の総合討論の席上、司会が論点を二つに整理して討論に入ろうとしたところに割って入り、三つ目の論点がある、として刑事告訴への批判に合意するよう参加者たちに訴えた。私は韓国の裁判所が判断すればよい問題であると考えており、上野氏のような起訴反対の立場を採らないため合意できないと指摘した。続けて上野氏が告訴は検察がしたのだから、という趣旨の発言をしたところ会場から「違う」の声があがり一時騒然となった。すると上野氏は次の用事があるからと壇上を降りて退場した(ちなみに、上野氏が総合討論の壇上にあがった時点で、すでに終了予定時刻を過ぎていた)。このため司会が整理した論点は十分に議論することができなかった。残念である。

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2016-04-21 00:00