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朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)

 日韓請求権協定による「経済協力」は実質的な補償・賠償であった、日本軍「慰安婦」の請求権は韓国政府により放棄されたため、元「慰安婦」女性たちに日本政府に損害賠償を求める請求権はない。本書『帝国の慰安婦』において、朴がこう主張することはこれまで見たとおりである。

 ここで一つの疑問が生じる。朴の理解に従えば、「慰安婦問題」はとうに「解決」したことになりはしないか、という疑問である。だが、これに対する本書の答えは否である。朴は繰返し「慰安婦問題」を「解決」しなければいけない、と主張する。そして日本政府に何らかの行動を「期待」している。それは一体何か。「第五章 ふたたび、日本政府に期待する」の「一九六五年の日韓協定の限界」について、朝鮮語版の記述も参照しつつ引き続き読み進めてみよう。

 その前に、本書を「読む」上で、筆者の主張の再構成や矛盾の指摘、そして日本語版と朝鮮語版を比較対照することがいかに重要かについて記しておきたい。言うまでもないことだが、日本語版の刊行に際して加筆や修正を加えることは当然ありうることだ。修正を行ったこと自体を批判するつもりは全くない。これまでの作業は、あるいは悪意をもって朴の主張を歪曲するためにあえて重箱の隅をつついているにうけとられるかもしれないが、私からすれば筆者の主張の再構成という作業抜きに本書を「読む」ことが出来てしまう方が不思議である。

 論旨の再構成と矛盾の指摘という作業が重要な意味を持つのは、本来これらの前後矛盾や不整合、自家撞着は本書の欠陥を示すものにすぎないにもかかわらず、ある局面においては、本書への批判を無効化する機能を果たすからである。AとBという相対立する叙述が同居することは、普通に考えれば単なる欠陥である。だが雑多な情報が不整理のまま盛り込まれ、明瞭さが著しく欠如している場合、A批判に対しては「Bとも書いている」と言い返し、B批判に対しては「Aとも書いている」と言い返すことであたかも反批判をしているかのような外観を取り繕うことが可能になることがある。本書はまさにその典型例といえる。

 本書が植民地支配責任を問う本であると「誤解」されているのも、こうした欠陥に起因する。個別のセンテンスやパラグラフ単位でみれば、確かに植民地支配責任を問うかのような記述は存在する。しかしそれは前後の脈絡とは明らかに矛盾する形で存在するのである。なかでも日本語版ははじめからこれらの弁明を意図して挿入されたと思われる記述が多く、とりわけこうした作業が求められるのである。そうした意味では、本書は読み手に法外な負担を強いる――にもかかわらず得られるものは極端に少ない――驚くべき書物といえる。

 朝鮮語版との比較対照が必要なのも、この点に関わっている。日本語版の刊行に際しての加筆・修正により、ただでさえ明晰さを欠く本書の混乱に一層の拍車がかかっているのである。日本語版には明らかに矛盾する記述が散見され、著者の主張への賛同以前に、論旨を読み解くこと自体に困難をおぼえることがままある。その原因の一つは日本語版刊行に際しての加筆・修正のためである。この加筆・修正には行論上必然性のない弁明的性格を持つものが多いため、結果的に本書の論旨自体を崩壊させてしまっている。ただ、そうであるがゆえに、日本語版加筆部分が筆者の意図を曝け出す機能を果しており、そうした意味においても、両者の比較対照は重要な意味を持つのである。

 本題に入ろう。そもそも、朴のいう「日韓協定の限界」とは何か。それは、日韓交渉は植民地支配を「公式には問題にしなかった」会談であったため、条約に「「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言」がなく、このため「名目は補償とはかかわりのないようなことになっていた」こと(247頁)である。だから、「経済協力」は「〈戦後〉補償」ではあったが、「〈帝国後〉補償」にならなかった。こうした理解の前提に潜む問題点については以前の記事で指摘したが、日韓会談が植民地支配責任を充分に追求する場にならず、日韓諸協定が日本の植民地支配責任を認めたものではないことは事実である(以前に触れたようにそもそも「〈戦後〉補償」ですらないが)。

 それでは朴は、具体的に何を「日本政府に期待する」のか。ここからは段落番号を付して可能な限り朴の主張を再構成してみたい。

 「経済協力」があくまで「〈戦後〉補償でしかなった」(誤りなのだが)という批判に、以下の段落が続く(以下、強調はいずれも引用者)。

【1】「その意味では、日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない。両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきたし、そのことはもっと韓国に知られるべきだが、それは実にあいまいな言葉によるものでしかなかった。一九一九年の独立運動の際に殺された人たちに対しても、関東大震災のとき「朝鮮人」であるという理由だけで殺された人々に対しても、そして帝国日本の方針に従わないという理由だけで監獄に入れられ、過酷な拷問の末に命を落とした人々に対しても、一度も公式には具体的に触れる機会のないまま今日まで来たのである。」(251頁)

 「両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきたし、そのことはもっと韓国に知られるべき」という主張が具体的に何を指すのか明確ではなく、朴の論理を知るものからすると「併合」100年に際しての菅直人談話への言及が無いのは若干奇妙な気もするが――「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という表現は、朴からすれば「韓国に公式に謝罪したこと」になると思う――まともに謝罪していない、という意味では異論はない。だがすぐさま次の段落があらわれ、議論の筋が霧散する。

【2】「もっとも、同じような境遇に処された日本人もまた、そのような謝罪や補償の対象にはならなかった。もちろんそれは治安維持法など、当時の体制批判を取り締まれる法律に則ってなされたものだから、少なくとも〈法的〉には責任がないことになる。」(251頁)

 この「同じような境遇」なるものは、【1】の「帝国日本の方針に従わないという理由だけで監獄に入れられ、過酷な拷問の末に命を落とした人々」を指すようだ。だが【1】の趣旨は、植民地支配への謝罪と補償がないことであり、その具体例として民族独立運動への弾圧が語られているはずだ。にもかかわらず【2】は突然この具体例の部分を拾いあげ、「同じような境遇」の日本人の話題へと分岐するため、読者は混乱に叩き込まれる。植民地支配責任の話をしているのか、日本人も含めた治安維持法による人権侵害の話をしているのかがわからなくなるのだ。しかも、ここからさらに話題は韓国へと移る。

【3】「しかし、韓国では二〇〇〇年代以降、韓国において国家がなした不当な人権弾圧に対し、「真相究明」を行う作業を通して補償を行った。そして、一九六五年の協定によって個人被害者に補償はしたが、そのとき漏れていた人たちも加えて、当時の金額が少なすぎると判断しての追加補償も実施している。アメリカも、戦後、排日移民法への謝罪と補償を行ったことがある。「国家がやったこと」に対して責任を問うことは不可能ではないのである。そして、日本国内のこともさることながら、他の国に対して国家がやってしまった人権被害は償う必要がある。何よりも、そのときの「国家への抵抗」は、その国家の主体が他民族である以上、必然的な抵抗だった。」(251-252頁)

 本書の内容からすれば、極めて異質な段落である。本書における朴の主張との整合性が疑われる箇所でもある。だが次の段落で、ようやく本題である「日本政府に期待する」ことを論じる段になると突如としてトーンダウンし、それまでの論旨へと復帰する。

【4】「日本の場合、対国内の責任は、侵略戦争自体に対する認識で意見が対立しているので簡単なことではないだろう。しかし少なくとも本来なら巻き込まれずに済んだ他民族女性――朝鮮人慰安婦たちが〈自発と他意による動員〉をされ、日本軍の士気を高める役割をさせられ、苦痛の日々を送ったことに対して、日本国家はどのような言葉ででも応えるべきではないだろうか。そして、それを直接受け止められる生存者はごくわずかとなっている。」(252頁)

 「どのような言葉ででも応えるべき」が具体的にいかなる行動を指す(指さないのか)のかを検討する前に、ここで朝鮮語版の記述を確認しておこう。この箇所は次のように記されている。

「いわば日本は1945年に「帝国」が崩壊する以前に「植民地化」した国家に対し、実際には公式に謝罪・補償しなかった。朝鮮朝廷の要請を受けたというが、植民地化過程での東学軍の鎮圧に対しても、1919年の独立運動当時、収監/殺害された人々に対しても、関東大震災当時殺害された数多くの人々に対しも、その他に「帝国日本」の政策に従わないという理由で投獄されたり過酷な拷問の末に生命を失った人々に対しても、公式的にはただの一度も、具体的に言及したことはないのである。そして「朝鮮人慰安婦」らは国民動員の一形態とみることができるが、帝国の維持のための動員の犠牲者という点で、この人々と同じく植民地支配の犠牲者である。」(262頁)

 日本語版【1】~【4】は、この朝鮮語版の一段落を引き伸ばしたものである。一読してわかるように朝鮮語版の叙述は極めてシンプルである。もちろん、なぜ東学軍への弾圧や関東大震災時の朝鮮人虐殺などが「帝国の維持のための動員の犠牲者」なのかはよくわからないなど、不明瞭さや杜撰さはある。ただ、植民地支配の「犠牲」の話であることはひとまず維持されている。

 だが、日本語版では東学への言及は削除され、代わりに「同じような境遇に処された日本人」や、韓国・アメリカにおける補償の話題が挿入される。これに伴い謝罪や補償をめぐる主体間の関係性も、【1:国際】→【2:国内】→【3:国内から国際】→【4:国際】とめまぐるしく遷移する。行論の都合から考えても、明らかに【1】→【4】で話は通じる。【2】【3】は不要なのである。

 しかも厄介なことに、【3】で記されていることは明らかに本書の論旨と矛盾する。【3】で朴は、行為がなされた時点で合法であったとしても、それらの国家の過去の行為の責任を問うことは可能である、と主張する。そして具体例として、韓国での「過去事」清算や米国での日系人強制収容への謝罪と補償をあげる。言うまでもなく、韓国政府や米国政府の行った補償は、民間からの募金ではない。もし【3】のケースのような例が、元「慰安婦」女性たちへの日本政府の補償のモデルだとするならば、国民基金を拒否した当事者たちや挺対協を批判する必要はないはずだ。

 だが本書で朴は、国家補償と責任追及を求める「支援団体」を繰返し批判する。裁く法がない、という論理で日本の法的責任を否定し、行為がなされた時点で合法であるということを重視する。【2】は【3】に否定されるために呼び出された主張なのだが、本書で朴が主張するのはまさに【2】の論理なのである。冒頭の危惧はこの箇所を想定したものだ。論旨は明らかに【2】なのだが、「私は【3】のようなことも書いている」とも「反論」することで、批判者を煙に巻くことができるのだ。はっきりさせておかねばならないが、日本語版で挿入された【3】は明らかに本書の論旨と矛盾する。実際、【3】のケースや論理は顧みられることはなく、日本語版は次のように議論を展開する。

【5】「とはいえ、一部の学者が主張するように、日韓協定自体を揺るがすのは、あまりにも問題が複雑になる。それは学術的・法的・政治的議論になるほかなく、そのような議論はいまの関係を根底から崩すものなので、両国関係をいま以上に壊してしまうだろう。協定をとりあえず守るのは、単に国家間の約束だから守るといった形式的意義以上の意味がある。」(252頁)

 つまり日韓協定を改定してはならない、と朴は主張するのだ。理由としてはほとんど「ダメだからダメ」といっているに等しいため、もう少し具体的な論拠を提示している朝鮮語版の記述もみておこう。

「だからといって一部で主張するように韓日条約自体を壊し再協商することが必ずしも最善の解決策ではない。そうすれば国家としての信頼は壊れてしまうほかない。また前にもみたように、韓日合邦[ママ]が日本の国民になろうという約束であった以上、「慰安婦」動員を「法的」に問題とすることもできないのである。何よりも国家が合意した「個人の権利」が依然として残っているものとみなすようになれば、当時の朝鮮に財産を残していった日本人たちの請求権問題にも韓国は応じなければならない状況が生じうる。」(263頁)

 本書で日韓交渉を論じる際の朴の力点は、いかに韓国政府が植民地支配全体の補償を求めなかったか、にあった。普通に考えれば、ならばいまこそ韓国政府は植民地支配全体への補償を求めよ、となるはずだ(読み手もそのような展開を予想するだろう)。だが朴はあまりにもあっさりとそうした主張を捨て去る。しかも「問題が複雑になる」「国家としての信頼が壊れてしまう」からという理由で。直前の記述で「「国家がやったこと」に対して責任を問うことは不可能ではない」として韓国の「過去事」清算の例をあげた人物が、である。そして、朴はこう主張するのである。

【6】「となると、いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すことではないだろうか。」(252頁)
【7】「日本は、個人に対する法的責任は果たしたと言うだろう。しかしそれは植民地支配に対するものではなかった。だとすれば、そのような時代的限界を検証し補うことこそ、後裔たちの権利であり義務ではないだろうか。」(252-253頁)

 「当時の時代的限界を見ること」とは何だろうか。注意深く読まねばならない。【7】は一見すると、植民地支配に対する法的責任を日本が果たすべきだ、と主張しているようにも読める。「それ」は明らかに「個人に対する「法的責任」を果たしたこと」を指すため、植民地支配に対する法的責任を日本政府は果たしていない、と朴が書いていることは明白だからだ。しかしここでも「植民地支配に対する法的責任を果たせ」という主張へと展開するのではなく、「時代的限界」という語を持ちだして問うこと自体をやめてしまう。朝鮮語版もみてみよう。

「いま必要なことは韓日協定はもうひとつの帝国であった米国が主導した冷戦体制下でなされたがために、植民地支配に対し徹底して問いなおす機会を韓日双方に与えなかったことを認識することである。」(263頁)

 珍しく朝鮮語版の方がひどい。周知の通り、交渉に際し、日本政府は全力で植民地支配責任を否定した。誰かに強いられたわけではなく、主体的に否定したのである。そもそもこの文には、「植民地支配に対し徹底して問いなおす機会」を与えなかった者が誰かが明示されていない。アメリカのせいで日本が植民地支配責任を果たせなかったかのようにも読めるが、厳密にいえばアメリカの責任であるとすら書いていない。強いていえば「冷戦体制」が与えなかった、ということになろうか。前回の記事で本書では「構造」といった言葉が主体を免責する文脈でのみ用いられる、と指摘したが、ここでの「冷戦体制」という語も同様の機能を担っている。

 まだ朴が「日本政府に期待する」ことはわからない。続く段落をみよう。

【8】「近年、西洋の元帝国も過去の植民地だった地域に対して謝罪をしたことが報じられるようになった。イタリアはリビアを一九一二年から一九四三年まで支配したことについて「苦しい思いをさせた」と謝罪し、イギリスもアイルランドに対して女王が謝罪した。」(253頁)

 だから日本政府もそうせよ、と「期待する」かと思いきや、そうはならない。

【9】「もっとも、日本も、あいまいではあっても植民地支配に対する天皇や首相の謝罪はあった。そのうえ慰安婦問題に限ってではあったが補償もしたのだから、日本の〈植民地支配謝罪〉は本当は元帝国のうち、もっとも具体的だったとも言えるだろう。アジア女性基金は、オランダなどに対しては法的に終わっている戦後処理をさらに補ったものであり、韓国に対しても実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つものだった。」(253頁)

 日本政府のやってきたことはむしろ世界で一番進んでいる、というわけだ(【1】で「日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない」と書いていたはずだが)。では一体何を「期待する」のか。

【10】「しかし、そのときの処理は、すでに述べたように、あくまでも「戦後処理」(しかも法的にはしなくていいこと)と考えられ、慰安婦問題をめぐる「謝罪と補償」が〈植民地支配後処理〉であることを明確にしなかった。意識もしていなければ、意味づけもしなかったと言えるだろう。
【11】「しかも、それはあくまでもあいまいかつ非公式に行われた謝罪にすぎなかった。公式の窓口がなかったためと言えるが、公の場でなされていないせいで、過去への謝罪が韓国人に記憶される機会もそこでは失われていた。」(253頁)

 国民基金の意義付けを明確にすることを求めているものと、ひとまずは理解できる。だが、国民基金は本当に「実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つものだった」のか。ならばなぜ「〈植民地支配後処理〉の意味を持つものであることを明確にしなかった」のか。そもそも「意識もしていなければ、意味づけもしなかった」ものが、なぜ「実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つ」といえるのか。重要な問いにもかかわらず、「実質的に」という語をマジックワードとして用いることにより、議論を展開するにあたって必ず論証しなければならないプロセスを省略している。ワープ航法とでも呼ぶべき、このマジックワードを用いた論証省略の「方法」は、以前に「経済協力」の箇所でもみたようにしばしば本書で朴が用いるものであるため、本書を読む際には注意しなければならない。

 さて、本題に戻ろう。この章「ふたたび、日本政府に期待する」は次のような言葉で結ばれる。

「本当の誇りは責任を認め、残された問題に向き合うことにあるはずだ。そのほうが、韓国のみならず世界の心を動かせただろう。/過去において国家や帝国が人間にもたらした不幸に対して現在どう思っているのかを、いまの日本国家に聞きたいものだ。その内容が、世界が共有すべき新たな〈価値〉となれば、すばらしいだろう。」(260頁)

 結局、「日韓協定の限界」に関連して朴が日本政府に何を「期待する」のかははっきりしなかった。「当時の時代的限界を見ること」、「時代的限界を検証し補うこと」、「冷戦体制」のもと「植民地支配に対し徹底して問いなおす機会を韓日双方に与えなかったことを認識すること」といった曖昧なレトリックが並べられるだけだ。

 ただ、朴が日本政府に求めないことだけは明確である。元「慰安婦」女性たちは損害賠償を請求できない、植民地支配の当時には責任を問う〈法〉はなかったし、日韓協定により〈法〉はなくなったからだ(矛盾だが)。日韓協定に従った紛争解決もすべきではない(憲法裁判所決定批判)、「日韓関係を悪化させただけ」だからだ。問題が明るみに出た現在の立場からも〈法〉をつくるべきではない(日韓協定再協商批判)、「問題が複雑になる」、「国家としての信頼が壊れてしまう」からだ。朴によれば、なすべきは、これら以外のことである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱

杉田敦「根源は家父長制・国民国家体制」(『帝国の慰安婦』書評)について

 遅ればせながら『朝日新聞』(2014年12月7日付朝刊)に掲載された政治学者・杉田敦による『帝国の慰安婦』の書評を知った。杉田は本書『帝国の慰安婦』を次のように評価する(強調は引用者)。

「本書で著者は、政治的な争いの中で、肝心の当事者である女性たちが置き去りにされがちなことを問題とし、韓国の運動団体側の資料からも引用しつつ、女性たちの生の声に耳を傾けようとする。[中略]戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが、募集や運営を直接手がけた、朝鮮人を含む業者の責任も問うべきだという。
 こうした内容を含む本書の韓国語版は運動団体から告訴され、著者は韓国で攻撃の的となっている。ナチス高官の弁明をも受けとめ、一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレントが、ユダヤ人社会で孤立した経緯が思い出される。
 そもそも日本の植民地支配がなければ女性たちが戦地に赴くこともなかったろうし、彼女たちの運命は、支配の記憶と重ねられてきた。しかし、欧米や韓国が日本だけを責めたために、女性差別的な家父長制や、利益のために戦争を行う国民国家体制に問題の根源があることが見失われてしまったと著者はいう。
 責任を広くとらえすぎて、責任追及を困難にするとの批判もあろう。しかし、苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」

 杉田は本書の内容について、根本的な誤解をしているのではないか。本書の問題は「責任を広くとらえすぎ」るところにあるわけではない。あまりにも狭く責任をとらえすぎることにあるのだ。これまでみてきたように、本書は恣意的な論法で日本軍の「責任」を極めて限定的に解釈し、元「慰安婦」女性たちの権利を極小化する。前後矛盾や自家撞着をもおそれず、当の政府自身が否定しているにもかかわらず、戦後日本政府が「補償」「賠償」をしてきたと強弁する。天皇制ファシズム批判、戦後日本批判には過剰なまでの反発を示す一方、「責任」を論じる段になると途端に具体性は見失われ、その責は数々の抽象概念――「帝国主義」「ファシズム」「家父長制」「国家」「国民国家」「資本主義」――へと転嫁させられる。とりわけ「構造」という概念は「運命」という言葉とあわせて、本書においては、主体、すなわち日本軍や政府(そして実は韓国政府)の責任を解除するためだけに召喚されるといってもよい。

 あるいはこうした疑問を抱く者もいるかもしれない。本書は日本軍とあわせて、業者の責任をも追及しようとしたのだ、決して免責しようとするわけではない、と。杉田が朴をアーレントになぞらえたのには閉口せざるをえないが、韓国内部の問題を指摘していると理解してのことだろう。だが果たしてそうだろうか。日本軍の責任を限定的にしか認めず、法的責任は一切否定することはすでに幾度か述べたが、そもそも本書で朴が本当に「業者」の責任を問うているのかも疑問である。朴はしばしばこうした論法を使う。もし日本軍の責任を問うならば、直接的な加担者である業者の責任を問わねばならないし、それならば朝鮮人の業者を責任もまた問わねばならない、と。それならば問えばよいだろう。だが、実際には業者の責任追及へと朴が向かっていくわけでもない。「業者」の固有名は一切登場しない。責任追及そのものに本書は関心がないように思える。

 概念の乱暴な多用、思わせぶりな〈 〉の濫用と一貫性のないキーワード――〈自発と他意による動員〉、〈戦後〉補償と〈帝国後〉補償、〈植民地支配謝罪〉、〈植民地支配後処理〉――に、政治学者としての杉田が疑問を抱かなかったのかも気になるが、それは措こう。最大の問題は、本当に本書は「女性たちの生の声に耳を傾けようとする」ものなのか、ということだ。私には、朴は明らかに証言を選別し、簒奪しているように思える。次の文章は衝撃的ですらある。

「韓国は、〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた。「被害者」に対しては疑問を提起しない、人権をめぐる意識構造に安住してきたともいえるだろう。それは、表面的に脱帝国主義の顔を持っていたが、そのような志向性が、罪を犯してしまった加害者の羞恥と悔悟を理解しようとしたことはない。傲慢は、想像力に乏しい。そしてそのような傲慢と糾弾は相手をかえって萎縮させる。そういった道徳的志向性が、相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形になったこともしばしばあった。たとえば「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」(「ニュースロ・コム」二〇一一年一二月一三日付)と話す慰安婦の言葉は、そのような心理を表すものである。
 しかし、屈服させたい――ひざまずかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義でしかない。また、大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史を思い起こすと、そのような欲望が目新しいものでもないことがわかる。それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造と言うべきだろう。」(299-300頁)

 この罵倒は度を越した名誉の侵害としか考えられない。訴訟においてこの箇所が問題になっているかはわからないが、本書を読んで憤激する当事者が存在するであろうことだけは容易に理解できる。

 だからこそ、杉田の評価は納得しがたいのだ。「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」との元「慰安婦」女性の言葉には、「傲慢と糾弾」「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」「屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義」という最大級の罵倒を投げつけ、あろうことか「大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史」になぞらえる。天皇批判は捕虜虐待と同じ「強者主義的欲望」だと貶めたとしても、「生の声に耳を傾けようとする」ものと杉田は評価するのだろうか。他方で「わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない」という証言は都合よく掠め取られ、「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。[中略]葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる」(92-93頁)と讃えられる。これは「耳を傾け」ているのではない。朴の主張の代弁であり、証言の簒奪ではないか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-09 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

 前回、本書『帝国の慰安婦』の、元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄されたという「新説」が、先行研究の歪曲により彫琢されたものであることを指摘した。だが出典とされた文献の恣意的な解釈や引用による「新説」の創出は、先の個人請求権に関する箇所に留まらない。日韓協定に基く「経済協力」についても、朴は本書で驚くべき新解釈を提示している。以下ではこの問題を本格的に論じた第三章「ふたたび、日本政府に期待する」の「1,一九六五年の日韓協定の限界」の叙述に即して、朴の主張を検討してみよう。

1.「経済協力」=「事実上の補償」「賠償」説

 日韓協定に基く「経済協力」の性格について朴は以下のように「事実上の補償」「賠償」であると主張する。

「日韓両国は国交を正常化するにあたり、過去のことについて話しあい、その結果として日本は韓国に合計一一億[ママ]ドルの無償・有償金[ママ]や人的支援[ママ]をした。しかしその提供は、「独立祝賀金」と「開発途上国に対する経済協力金」との名目でなされたものだった。つまり、日本政府は、莫大な賠償をしながらも、条約[ママ]ではひとことも「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言を入れていない。つまり事実上は補償金でありながら、名目は補償とはかかわりのないようなことになっていたのである。皮肉にもこのことは、九〇年代の「基金」が事実上は政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとったことと酷似している。」(247)

 まず事実関係の誤りから指摘しておこう。請求権・経済協力協定は日本政府が韓国政府に対し、無償3ドル、有償2億ドル相当の「経済協力」を行なうことを定めた。朴はここで「一一億ドルの無償・有償金や人的支援をした」と記しており、何をもって11億ドルと算定しているかはわからないが、誤りである。また「無償・有償金」とあるが日本政府は無償3億ドルの金銭を韓国政府に支払ったわけではない。3億ドル相当の「日本国の生産物及び日本人の役務」を供与(請求権協定第一条1a)したのである(ちなみに朝鮮語版では「日本が韓国に無償3億ドル、政府借款2億ドルの「補償」をしたことは間違いのない事実だ」(258頁)となっている)。もちろん「政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとった」わけもない。

 本題に移ろう。上の引用に明らかなように、朴は「経済協力」は「事実上の補償」「賠償」であると主張する。朝鮮語版でも「この賠償は「独立祝賀金」と「開発途上国への経済協力金」という名前で実施された。言い換えれば、日本政府は莫大な賠償を行ったが、条約では「植民地支配」や「謝罪」や「補償」といった表現を全く用いなかった。実際には補償金であるにもかかわらず、その「名目」は補償とは関連の無いもののように見えるのである」(259頁)と記しており、この点は変わりない。

 ただし、「経済協力」は「事実上の補償」であるという主張自体は必ずしも新しいわけではない。請求権・経済協力協定に基づく「経済協力」の性格については、日韓両政府の間に長らく解釈の対立があった。日本政府は「経済協力」は請求権問題「解決」の対価ではなく、両者に法的な相関関係はない、との解釈を採っており、「賠償的性格」も全面的に否定する(*1)。他方、韓国政府は無償3ドルの供与は、「実質的な賠償である」と主張してきた。日韓協定批准の国会における張基榮経済企画院長官の答弁(1965年8月5日)は次の通りである。

「ご存知のとおり、サンフランシスコ平和条約第二十一条により大韓民国はどう条約第十四条による賠償以外には受け取れないものとなっております。しかし請求権協定にはご覧のとおり、請求権協定の前文に明白にこれは請求権問題の解決を主とし、付随的にその結果として経済協力を加味することになったものです。
 政府はいわゆる請求権の場合に、その根拠と証拠物を提示して検討するよりかは、一括的に受け取る方が有利であると考えました。そのためこの請求権第二項にあるいわゆる無償三億ドルは請求権ではなく、さらに一歩進んで実質的には賠償的な性格を持つものと考えます。
 そうした意味ではこれは経済協力ではなく請求権が主となっており、請求権ではなく、この三億ドルは賠償である。実質的には賠償である、こうした見解を持っております。」(『第五十二回国会 韓日間条約と諸協定批准同意案審査特別委員会会議録』第五号、18-19頁)

 朴の「経済協力」理解が、協定締結当時の韓国政府、つまり朴正煕政権と同じ立場のものであることがわかる。それでは、いかなる根拠に基づき、一方当事者である日本政府が明確に否定する「経済協力」=「賠償」説を朴は主張するのか。先にあげた金昌禄論文によれば、韓国政府の「経済協力」=「賠償」という解釈は、日韓基本条約第二条の解釈と関連していたという。第二条「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」の規定について、韓国政府は、当初より併合条約が無効であることを意味すると解釈した(日本政府は有効であると解釈する)。よって併合無効を前提とした「経済協力」であるから、補償であるという理屈になるのだという(なお、こうした論法は日朝平壌宣言の「解釈」としても存在する。「日本政府は変わったのか? 「平壌宣言=実質的補償」論について」参照)。だが朴は以前にも触れたように、本書は韓国併合に関する条約は合法的に成立したと主張するため、韓国政府と同様の解釈を採るとも思えない。

2.「経済協力」=1937年以降の「戦争動員」に対する「賠償金」?

 この問題について探るため、もう少し丁寧に第三章の「1,一九六五年の日韓協定の限界」における朴の議論を読み解いてみよう。本節の課題は「日韓協定の限界」を議論することである。日韓基本条約や関連する諸協定には植民地支配への反省や謝罪を示す文言はなく、「植民地支配による」「損害」への言及も規定されていないが、朴はそうした「日韓協定の限界」をもたらした原因として次のように指摘する。

「不思議なことに、[韓国政府の:引用者注]人的被害に対する要求は、一九三七年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、一九一〇年以降の三六年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事項に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は、「保護」に入った一九〇五年からとするべきだが)、一九三七年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。」(248頁)
「[なぜなら:引用者注]日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまで戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基くものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。」(248頁)
一九六五年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、一九三七年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(249頁)
「植民地支配を終えて二〇年もの歳月を経て作られた条約に、ひとことも「植民地支配」や「謝罪」の言葉がなかった理由は、おそらくここにある。日韓基本条約は、少なくとも人的被害に関しては、〈帝国後〉補償ではない。あくまでも〈戦後〉補償でしかなかったのである。」(251頁)

 これらの記述をさらに要約すれば次のようになる。

〈日韓会談における韓国政府の人的被害に関する要求は「1937年の戦争以降の動員に関する」ものにとどまった。それは日韓会談がサンフランシスコ講和条約に基くものだったからである。結果、会談では「戦争をめぐる損害と補償」に関するものだけが議論され、請求権・経済協力協定では、「1937年以降の戦争動員」に限り、「賠償金」が韓国政府に渡された。〉

 朴のここでの議論の趣旨は、日韓協定がいかに「〈帝国後〉補償」(植民地支配総体の損害への補償という意味か?)ではなかったか、を論じるところにある。それ自体は確かに事実なのだが、それでは実際になされた「経済協力」は「〈戦後〉補償」なのだろうか。そもそも「〈戦後〉補償」を朴がいかなる意味で用いているのかが明らかではないため確かめようがないが、朴が日韓協定に基く「経済協力」が「事実上の補償」「賠償」であると主張する根拠をあえて本書から探るとすれば、「1937年以降の戦争動員」に対する「賠償金」であった、と理解しているがゆえということになるだろうか。朴は本書で「経済協力」が、いかに「植民地支配に対する賠償金」(178頁)ではなかったか(これは事実である)を度々指摘するのであるが、それは「戦争に対する賠償金」であったという意味なのだろうか。だとすれば、これは驚くべき「新説」というほかない(*2)。

 むしろこれまで度々指摘されてきたのは、日韓会談は連合国と日本との「戦争」をめぐる賠償等の交渉の枠外で行われた、ということである。確かに、日韓会談と対日講和条約には密接な関係があることは事実である。特に第四条(a)は日本国・日本国民と、「第二条に掲げる地域」(日本国が権利・権原を放棄する地域=朝鮮、台湾、樺太等)の当局及びそこの住民との間の「請求権」の処理を両当局間の「特別取極の主題とする」とした。ただし、だからといって、第四条(a)の「請求権」をめぐる交渉が、ただちに「戦争」をめぐる損害の交渉を意味したわけではない。むしろ太田修の指摘するように、第四条の「請求権が日本と連合国から除外された韓国の間で処理されるべきものだとしたに過ぎず、まして植民地支配・戦争による損害と被害の清算を規定した概念ではなかった」(太田修『日韓交渉』クレイン、2003年)からである。

 対日講和条約から韓国政府が外された事実自体は、朴も指摘している。だとするならば、「1937年の戦争動員」への「賠償金」という記述はどこから出てきたのか。出典として示された文献にあたってみよう。

 この節の議論にあたって、朴がほぼ全面的に依拠したのは張博珍『植民地関係清算はなぜ成し遂げられなかったか 韓日会談という逆説』(ノンヒョン、2009年)である。この本は在日同胞の著者が、なぜ日韓会談で過去清算問題が「消滅」せざるをえなかったのかという問題意識に立ち、主として韓国政府の交渉戦略とそれを取り巻く構造(国際環境)を批判的に分析した548頁に及ぶ大著である。日韓会談を日本・韓国両政府の対立の歴史とみるのではなく、むしろ過去清算を「消滅」させるための共犯関係の構築として捉えており、非常に刺激的で示唆に富む労作である(*3)。朴が依拠したのは、このうち会談開始前の韓国政府の過去清算構想を検討した第六章第一節である。

 張がこの節で分析したのは、1949年9月に李承晩政権が作成した『対日賠償要求調書』(以下、『調書』)である。『調書』は賠償請求の正当性の根拠として「1910年から45年8月15までの日本の韓国支配は自由意志に反する日本単独の強制的行為」であることをあげたため、先行研究は『調書』の立場を(それ以後とは異なり)植民地支配期を総体として問題とし賠償を求めたものと解釈してきた。だが、張はむしろこうした基本方針の闡明にもかかわらず、実際には『調書』は賠償要求の範囲を「中日戦争及び太平洋戦争期間中に限り直接戦争により我々が被った人的・物的被害」に限定したことに注目する。韓国政府が範囲を限定したのは、張によれば、講和条約における賠償問題があくまで連合国と日本の戦争の処理という枠組みで行なわれることが予想されたためだった。そして「この事実は韓国政府が交渉が始まった当初から日本の植民地支配に対して包括的にその責任を追及する姿勢を持っていなかったことを意味する」と指摘するのである(247頁)。

 朴のいう「1937年の戦争動員」云々の叙述が依拠する張の分析は以上のようなものだ。一読してわかるとおり、張がここで論じたのは、1949年段階における韓国政府の交渉方針であって、1965年に日韓で妥結された「経済協力」の中身ではない。つまり、韓国政府が1937年以降の被害に賠償要求を限定しようとした、と指摘したに過ぎない。むしろ張が怒りを込めて(と私には読める)論じたように、実際に日韓会談が始まると、韓国政府はこの日中戦争以後の戦争被害に関する賠償すら十分には主張しなかった。当然ながら、張は請求権・経済協力協定の「経済協力」が、「1937年の戦争動員」の「賠償金」を意味するなどという馬鹿げたことを論じてはいない。

 それどころか、張は1965年当時の韓国政府の「経済協力」=「実質的な賠償」という解釈について、韓国側はそもそも交渉でこう主張しておらず、成り立たないと強く批判する。日韓交渉過程での議論自体が、こうした韓国政府の説明が虚偽であることを証明しているとし、「韓国側もまた提供される資金が請求権に基き受け取るものではないにもかかわらず、請求権問題が解決されることを認める論理矛盾をそのまま受容していたのである」(523頁)と指摘する。そして、「請求権問題に関して、韓国の対日請求権が行使され、それに基き日本から資金が提供されたことで問題が解決したと判断しうる解釈の余地が全くない」、「請求権問題はそうした意味ではただ「消滅」されたに過ぎなかった」(524頁)と結論づけるのである。

 つまり、請求権・経済協力協定に基き支払われた「経済協力」は、「1937年以降の戦争動員」に関連する「請求権」に基いて支払われた「賠償金」である、という理解は、依拠した文献の主張を朴が理解していないがゆえに生じた誤謬である。しかもその誤謬に基づく解釈がその文献自身が積極的に批判する主張(「事実上の補償」説)とつまみ食い的に接合されている。珍妙な「新説」が本書で頻出する背景には、こうした「方法」の問題があるといわざるをえない。

(鄭栄桓)

*1 「経済協力」の性格についての日本外務省見解は下記の通りである。

「経済協力を行う趣旨は、戦争の結果、韓国がわが国から分離独立したことを念頭におき、今後日韓両国間の友好関係を確立するという大局的見地に立って、この際わが国にとって望ましい韓国経済の発展と安定に寄与するため、同国に対し無償有償の供与を行なうこととし、これと併行して請求権問題を最終的に解決することとしたものであり、経済協力は請求権の対価ではなく、両者間に法的相関関係はないが、交渉の経緯上同一の協定で扱うこととなったものである。/今次の協定の無償供与の方式は、賠償協定の例によっているものが多いが、これは今回の経済協力が賠償的性格をもっているからではなく、従来経験を積み重ねてきた無償供与方式としての賠償の方式を採用することが、便利かつ適当であるという実際上の理由によるものである。」(山口達夫[外務省条約局条約課]「経済協力」、『時の法令別冊 日韓条約と国内法の解説』大蔵省印刷局、1966年、42-43頁)
「協定第一条1の末尾に、無償供与および貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない旨の規定が設けられているが、これは、この無償供与および貸付けが、賠償または請求権の対価として行なわれるものではなく、韓国経済の発展に寄与する経済協力として行なわれることを明らかにし、この目的にそわない供与や貸付けは、年度実施計画の合意または契約認証の際に、これを除くことができるように意図した規定である。」(同上、44-45頁)

*2 この「新説」を読み思い出したのは、かつて韓浩錫が唱えていた「日朝平壌宣言」は日朝の「戦争被害」を相互認定したものだった、という説である。詳細については「韓浩錫「朝・日頂上会談の推進背景と朝・日平壌宣言の歴史的意義」批判」を参照。

*3 このため、先に金昌禄論文を紹介した際に触れた個人の請求権行使の余地に関する韓国側代表の発言に対しても、「これが韓国側の真正な要求事項ではなかったことは何よりその後の同問題に対する韓国政府の対応自体が立証した」(526頁)と厳しい評価を下している。

by kscykscy | 2015-01-08 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

 本書『帝国の慰安婦』が、日本軍の「責任」について極めて限定的にしか認めず、それに対してすらも「法的責任」を認めない立場であることを前回みた。それでは軍の責任と密接な関係にある、元「慰安婦」女性たちの権利、なかでも「個人の請求権」についてはいかなる認識を示しているのだろうか。本書の「請求権」認識は以下の通りである。

(1)人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。
(2)元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。

 第四章の「韓国憲法裁判所の判決〔ママ〕を読む」は、以上の二つの主張を、韓国憲法裁判所の決定への批判的な検討を通じて示した章である。韓国の憲法裁判所は2011年8月30日、日韓請求権協定により元慰安婦女性たちの請求権が消滅したか「否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲である」との決定を下した。本章で扱われるのは、この「決定」の妥当性である。

 朴は、2011年の韓国憲法裁判所の決定は、「支援団体」の認識に依拠した不正確なものであり、決定をきっかけに始まった「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と極めて否定的に評価する。以下、憲法訴願審判の争点を確認したうえで、その論拠と論理の問題点について検討しよう。

1.憲法訴願審判の争点

 まずは韓国憲法裁判所の決定をめぐる争点を確認しておこう。2006年7月5日、「日本軍「慰安婦」被害者である64名」(=請求人)は、憲法裁判所に憲法訴願審判請求を行ったが、請求の要旨を「決定」は以下のようにまとめている(原文と日本語訳及び関連資料は、女たちの戦争と平和資料館「韓国憲法裁判所決定「慰安婦」全文(日本語訳)」で閲覧できる)。

「請求人らは、請求人らが日本国に対して有している日本軍慰安婦としての賠償請求権が、この事件の協定第2条第1項によって消滅したか否か関して、日本国は上の請求権が上の規定によって すべて消滅したと主張し、請求人らに対する賠償を拒否しており、大韓民国政府は請求人らの上の請求権は、この事件の協定によって解決したものではないという立場であり、韓・日両国間にこれに関する解釈上の紛争が存在するので、被請求人としてはこの事件の協定第3条が定めた手続きに従い、上のような解釈上の紛争を解決するための措置を取る義務があるにもかかわらず、これを まったく履行せずにいると主張し、2006 年 7 月 5 日、このような被請求人の不作為が請求人らの基本権を侵害し、違憲という確認を求める、この事件の憲法訴願審判を請求した。」

 賠償請求権の有無について、韓日両国に明らかに紛争が存在するにもかかわらず、韓国政府は請求権協定第三条に規定された解決のための措置をとっていない、こうした「不作為」は請求人の基本権を侵害するものであり、違憲である。これが被害当事者らの主張だった。つまり、憲法訴願審判の争点は請求権協定をめぐる紛争を解決しない韓国政府の不作為の違法性の有無であった。

 韓国政府の反論は次の二点に要約できる。

(1)韓国政府は請求人らの基本権を侵害していない。そもそも侵害されたと主張する基本権の内容が明らかではなく、戦時期の不法行為の主体は日本政府であって韓国政府ではない。よって、請求権協定に従った国家の具体的作為義務までは認定されない。何より、韓国政府は「請求人らの福祉」のために努力している。
(2)韓国政府に具体的な外交措置をとるべき法的義務はない。外交保護権の主体は国家であるため個人が自国政府に主張できるものではなく、憲法上の基本権ではない。また外交保護権の行使等については国家の広範囲な裁量権が認められるため、具体的な外交措置をとるべき法的義務があるとはいえない。

 ここからも明らかなように、審判対象となった争点は、請求人らが「日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権」が日韓請求権協定により「消滅したのか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為が、請求人らの基本権を侵害するか否か」であった。日本軍の行為がいかなるものであったか、それが国際条約に反するものであったか、請求人らの賠償請求権は認められるか、といった論点について被害当事者と韓国政府が争ったわけではない。

 そして、結果的に憲法裁は請求人の主張を容れ、2011年8月30日、以下の決定を下した。

「請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲であることを確認する。」

 元「慰安婦」の被害当事者の賠償請求権をめぐり請求権協定の解釈上の紛争があるにもかかわらず、これを「解決」しようとしない政府の不作為は憲法違反である、との決定を下したのである。「決定」の論理の詳細は原文及び日本語訳にあたっていただきたいが、韓国政府の負うべき国民の外交的保護義務を、以下のように、憲法前文を一つの重要な根拠として認めたことは注目すべきところだろう。

「韓国憲法は、前文で「3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」の継承を明らかにしているところ、たとえ韓国憲法が制定される前のことだとしても、国家が国民の安全と生命を保護すべき最も基本的な義務を遂行出来なかった日帝強制占領期に、日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の政府が、国民に対して負う最も根本的な保護義務に属すと言える。」

2.憲法裁判所「決定」理解の問題点

 それでは本書がこの憲法裁判所の決定をどう論じたかをみよう。まずは上にあげた朴の第一の主張――人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――に関連する箇所から。

 朴は、請求人の主張を次のように批判する。前回も触れた箇所だが再度引用しよう。

「この請求の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。そして、被害を受けた「個人」の「損害賠償」が請求されていないと言う。つまり「婦女売買」の責任主体を日本国家にのみ帰している。しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」を抹消したのは、韓国政府でもあった。
 実際に、このとき外交通商部は、被害者が日本の賠償を受けるように動くことが政府の義務ではなく、政府が憲法違反をしているとは言えないと、強く反論している。」(180)

 第一に注目すべきは、朴が憲法訴願の争点とは異なり、日本軍「慰安婦」制度に関する事実認定のレベルで日本国家の責任を否定していることである。前回みたように、朴はこれらの「責任」ある日本国家の行為についても法的責任を認めないのであるから、結果的に請求人たちの賠償請求権をそもそも認めない立場であることになる。つまり朴は、人身売買の主体は業者だったのだから、日本国家に法的責任はなく、請求人たちに賠償請求権はないと主張するのである。憲法訴願に即して言えば、日韓両国間に請求権の有無をめぐる紛争は存在しない、という認識なのであろう。

 これは被請求人であった韓国政府の立場とも異なる朴独自の主張である。朴は「五年もかかった裁判の末に、裁判所は訴訟者たちの味方になった。裁判所が、日本国家だけを責任主体とする考えに同調した形となる」(180頁)と、あたかも韓国政府が自らと同様の主張をしたかのように書く。だが、内容を読めばわかることだが、被請求人である韓国政府は、さすがにこのような反論をしたわけではない。韓国政府の外交が請求人の基本権を侵害しているわけではない、と述べているにすぎない。上の二つの段落は前半を証明する論拠として外交通商部の主張があるように記されているが、まさしく「実際に」は、この二つの段落は全く違うことを論じているのだ。

 そもそも、「決定」が引いているように、韓国政府は過去に、日韓請求権協定によっては「日本政府等、国家権力が関与した「反人道的不法行為」」は解決しておらず、「日本政府の法的責任が認定される」という立場を示した(2005.8.26「民官共同委員会」決定)。決定への少数意見を述べた裁判官の主張も、同じように、あたかも朴の主張――請求人にはそもそも賠償請求権がない――に同調するものであるかのように引かれているが(195-196頁)、あくまで韓国政府の義務について論じたのであって、請求人たちの賠償請求権を否定したわけではない。外交通商部の反論と同様、朴の主張とは異なる争点について論じた文であるため、誠実に本書の記述を読もうとする読者であればあるほど、ますます混乱させられることになる。

 このように、憲法訴願の争点を大幅に踏み越え、事実認定のレベルで(人身売買の主体は業者である!)日本国家の法的責任を否定し、請求人たちの賠償請求権を認めないところに本書の「画期性」がある。1990年代に始まった元日本軍「慰安婦」が原告となった戦後補償裁判はいずれも最終的には敗訴に終わったが、原告の請求を斥けた判決においても、事実認定のレベルでは日本軍の「直接経営」や「設置管理」を不法行為と認めたケースがあったことはよく知られている。しかも、後述するように、厳密にいえば、日本政府も個人の請求権が消滅したと主張しているわけではない。だが朴は韓国政府や日本政府の立場をはるかに踏み越えて、請求人たちの損害賠償請求権そのものを否定したのである。

3.日韓会談論の問題点――金昌禄論文の歪曲

 次に朴の第二の主張――元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――を検討しよう。

 朴は、憲法裁の決定を批判しつつ、以下のように賠償請求権否定論を補強する。

「繰り返すまでもなく、慰安婦たちの多くが過酷な人権蹂躙的状況にいたことが確かな以上、そのことに対して後世の人によるなんらかの謝罪と補償が行われるのは当然のことである。しかし韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。何よりも、このときのすべての判断は「朝鮮人慰安婦」に対する不十分な認識と資料に基づいて下されたものだった。」(193頁)

 日韓会談で元「慰安婦」女性たちの個人請求権を放棄したのは韓国政府だった、という主張は本書で度々繰り返されるものである。

 もし朴のこの主張が事実ならば、日韓会談研究における極めて重要な発見であることは疑いを容れない。日韓請求権協定において「完全かつ最終的に解決された」とされた「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権」が一体何を指すのかは、日韓会談研究における極めて重要な論点であったが、元「慰安婦」女性をめぐる問題が議論されたのかいなかは明らかになっていないからだ。近年公開された日韓会談関係文書からも、1953年の会談で韓国側委員が占領地から引き上げた朝鮮人の「預託金」を議論する文脈で、「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」と述べたことが指摘されるに留まっており、請求権をめぐる交渉で議論されたかいなかは明らかではない(吉澤文寿「日韓請求権協定と「慰安婦」問題」、西野瑠美子他編『「慰安婦」バッシングを越えて』大月書店、2013年)。

 だが朴の主張は、これらの研究の成果を踏まえたものでは全くなく、先行研究の歪曲によりなされたものである。上記の主張に際し朴が依拠したのは、金昌禄の論文、「1965年韓日条約と韓国人個人の権利」であるが(国民大学校日本学研究所編『外交文書公開と韓日会談の再照明2 議題からみる日韓会談』ソニン、2010年。以下金論文と略記する)、朴は金論文の趣旨を全く理解しておらず、むしろ論文の趣旨とは正反対の主張の論拠としている。以下に検討しよう。

 金論文の課題は、1965年の日韓条約及び諸協定の調印により「韓国人個人の権利がいかに処理されたのか」(229頁)、両国政府が「何を「合意」したのか」(230頁)について検討するところにある。これまで日韓両政府は、請求権協定により「完全かつ最終的に解決された」「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題」(第二条第一項)とは何かをめぐり互いに異なる解釈を採ってきたが、そもそも65年の調印当時にはいかなる内容での「合意」がなされたのかを、主として韓国側公開の会談関連文書を用いて探ろうというものだ。

 金論文の結論は、この問いに直接かつ明確に答えうる資料は韓国側公開の資料からは発見できなかった(258頁)、というものだ。ただし、「糸口」となる資料はある。そこで金論文が注目するのは、1961年の予備会談及び第六次会談での「被徴用者」をめぐるやりとりである。

 日韓予備会議に先立ち、韓国側は「韓国の対日請求要綱」(1960.11.10)を提示して「弁済を請求する」「請求権」として五項目を示した。なかでも「被徴用人未収金」をめぐり日韓は、(1)解決時期、(2)補償金の性格、(3)補償の形式をめぐって対立したことを金論文は紹介する。日本側は、(1)国交正常化後に、(2)日本法(国民徴用令、工場法、援護法)で認められるものに限り、(3)「個別的に解決する」ことを提案したのに対し、韓国側は、(1)正常化前に、(2)日本法以外の「新たな基礎のもと」で「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」を、(3)韓国政府への一括支払することを求めた(249頁)。

 本書で朴が引用したのはこの箇所である。金論文を引用したうえで、朴は以下のように指摘する。

韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある
 日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国の訴訟が敗訴したのは単に〈日本の謝罪意識がない〉ためのことではない。すでによく知られているように、一九六五年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは、時代的な限界でもあった。」(188頁)

 もし金昌禄氏がこの箇所を読んだら、驚きのあまり卒倒するのではないだろうか。

 そもそも、ここで扱われた日韓間の議題は「被徴用者の未収金」問題であって、日本軍「慰安婦」問題ではない。また「被徴用者の未収金」は、請求権協定のいう「財産、権利及び利益」に属するものであって、反人道的不法行為や強制動員を理由とした損害賠償請求などの「請求権」に関連するものではない。金論文はこれについて明確に分けて議論しており(245-246頁)、まともに読めば混同の余地はない。

 何より金論文が正しく指摘するように、ここでの日本側代表の提案の趣旨は、補償を日本の「法律上有効に成立したものに限」り(250頁)、日本の法が想定しない「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」は一切不可であると主張するためのものだった。これは、金の指摘するように「関連資料の多くが消失し、韓国人が日本国内の法的手続を踏み支給を受けることが容易ではないことを考えると、事実上補償を有名無実化しようとする主張であった」(250頁)といえる。日本法はいうまでもなく元「慰安婦」を軍人・軍属として扱っておらず、この条件のもとで補償の対象となることは絶対にない。「日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能」になるはずがないのである。何より、元「慰安婦」は軍に直接雇用されたわけではないとくどいほど強調するのは朴自身ではないか。

 むしろ金論文は、韓国側代表が会談で議論されなかった問題以外の請求権行使の余地を残そうと試みたケースを紹介している。第六次会談では、韓国側は先に示した請求権要綱の内容に関連して、「要綱第一項乃至第五項に含まれないものは、韓日会談成立後であっても個別的に行使できることを認めること。この場合には、国交正常化まで時効が進行しないものとすること」を提案した。その理由は、「議題に入っていないにもかかわらず、会談が成立したからとこうした個人の請求権がなくなるのは困難な問題ではないか。よって、この場合には会談とは関係なく個人間の請求または裁判所への訴訟を提起できるようにしよう」というものだった(251頁)。だが日本側は、あくまで会談により請求権問題を完全に終結させるという立場を譲らなかった。

 金論文は、韓国側のこうした要求について「極めて妥当なものといわざるえない」と評価する(252頁)。だが、1962年11月の「金・大平メモ」による合意以後、経済協力の名目をめぐる「大きい話」についての議論に移り、これらの個人の請求権が具体的に何を指すのかは議論されなくなってしまった(254頁)。このため、1965年の協定締結の時点での「請求権」の範囲を明らかにすることはできなかった、と金論文は結論づけたのである。

 つまり、金論文は日本軍「慰安婦」問題などの、会談では議論されなかった問題に関する請求権行使の余地を残そうとした韓国側代表の提案を指摘したのにも拘らず、朴は、むしろそれとは真逆の主張――韓国政府こそが日本軍「慰安婦」などの請求権を進んで放棄した――を展開するために用いたのである。こうした引用は単なる誤読を越えた、論文の趣旨の悪質な歪曲である。

 金論文をふまえて韓国政府の問題を指摘するならば、むしろ会談におけるこうした請求権をめぐる議論を政治的な考慮により取っ払い、足早に協定締結へと走ったことにあるといえるだろう。だからこそ、憲法裁の決定は、以下のように指摘するのだ。

「さらに、特に、韓国政府が直接、日本軍慰安婦被害者たちの基本権を侵害する行為をしたのではないが、上の被害者たちの日本国に対する賠償請求権の実現、及び人間としての尊厳と価値の回復において、現在の障害状態がもたらされたことは、韓国政府が請求権の内容を明確にせず、「すべての請求権」という包括的な概念を使って、この事件の協定を締結したことにも責任があるという点に注目するなら、被請求人〔韓国政府:引用者注〕にその障害状態を除去する行為に進むべき、具体的な義務があることを否認するのは難しい。

 すなわち、憲法裁判所の「決定」は、韓国政府にも責任があるがゆえに、そこから排除された人々の基本権を保護する「具体的な義務」がある、と論じたのだ。もちろん、韓国政府に責任があるといっても、憲法裁判所は朴のように請求人たちの賠償請求権が請求権協定によって失われたと主張したわけではない。むしろ日韓交渉でほとんど議論されなかった問題があり、依然として請求権があると主張する人々がおり、そこに相応の根拠がある以上、協定に基き解決するべき義務があると判断したのである。「決定」をきっかけとする「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と朴は切り捨てるが、歪曲と混同、事実誤認により勝手に被害当事者たちの権利を消滅させることにより問題を「悪化」させているのは、朴自身ではないだろうか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)

 日本軍「慰安婦」制度に関する日本政府や軍の責任について、『帝国の慰安婦』で朴はいかなる認識を示しているのだろうか。この極めて重要な論点について、本書はかならずしも明解に説明していない。これに限らず、本書を読む上での最大の障壁は、著者が何を言わんとしているのかをただちに読み取れない――つまり何を言いたいのかわからない――ことである。読み手の知識や情報の有無の問題ではない。論旨の展開や概念の使用が著しく明晰さを欠くためである。このため、以下では可能な限り本書の記述に基いて本書が何を言わんとしているのかを再構成したうえで、その「責任」論の特徴を検討したい。

1.「動員」の特殊な用法

 検討に先立ち、まずは本書における「動員」という語の極めて特殊な用法について触れておこう。第一章が「強制連行か、国民動員か」というタイトルであることから推測できるように、「動員」という語に、朴は本書で極めて特殊な意味を与えようとしたようだ。「与えた」と書かないのは、これほど重要な概念であるはずにもかかわらず、本書では「動員」あるいは「国民動員」について一切の説明が省かれているからである。このため、ここでは本書における「動員」の用例から、その意味を推しはかってみたい。

 まずは、代表的な用例を以下にあげてみよう(以下、強調はすべて引用者)。

国家――大日本帝国が軍人のために動員した慰安婦の最も重要な役割がここに示されている。性的に搾取されながらも、前線で死の恐怖と絶望にさらされていた兵士を、後方の人間を代表する女として慰安し、彼らの最期を〈疑似家族〉として見守る役割。〔中略〕それはもちろん国家が勝手に与えた役割だったが、そのような精神的「慰安」者としての役割を、慰安婦たちはしっかり果たしてもいた。」(77頁)
「もちろん、慰安婦までが軍隊化している慰安所の実態を、業者の責任にのみ帰するわけにもいかない。軍隊化された慰安婦の姿が、戦争への国民総動員のもうひとつの姿である以上、業者もまた、その構造の下に動いたことも確かだからである。」(110-111頁)
「本来なら巻き込まれずに済んだ他民族女性――朝鮮人慰安婦たちが〈自発と他意による動員〉をされ、日本軍の士気を高める役割をさせられ、苦痛の日々と送ったことに対して、日本国家はどのような言葉ででも応えるべきではないだろうか。」(252頁)

 大日本帝国が、あるいは日本軍が元「慰安婦」女性たちを「動員」した――本書はこう記している。一見すると、戦時動員体制の一環として「慰安婦」たちが組み込まれ、徴集されたと著者が認識しているように読める。だが実際にはそうではない。ここに注意が必要だ。むしろ以下の引用に明らかなように、朴の主張はそれとは正反対である。

「「慰安婦」を必要としたのは間違いなく日本という国家だった。しかし、そのような需要に応えて、女たちを誘拐や甘言などの手段までをも使って「連れていった」のはほとんどの場合、中間業者だった。「強制連行」した主体が日本軍だったとする証言も少数ながらあるが、それは軍属扱いをされた業者が制服を着て現れ、軍人と勘違いされた可能性が高い。たとえ軍人が「強制連行」したケースがあったとしても、戦場でない朝鮮半島では、それはむしろ逸脱した例外的なケースとみなすべきだ。」(46頁)
「訴訟者〔憲法裁判所への:引用者注〕の被害者団体の賠償要求の根拠は「強制労働」と「人身売買」であり、それが当時の国際法に違反するものだということにあった。しかしそのことを〈直接に〉犯した主体が「業者」だった以上、日本国には、需要を作った責任(時に黙認した責任)しか問えなくなる。そういう意味でも、法的責任を前提とする賠償要求は無理と言うほかない。」(191頁)
 
 すなわち、強制連行や人身売買、強制労働の主体は大多数は「業者」であり、日本軍ではない、というのが朴の主張なのである。「本書で試みたのは、「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした」(10頁)という割には、あまりにあっさりと強制連行された者の証言を「逸脱した例外的なケース」と断定しており、その根拠も本書においては示されていない。むしろ確かに証言が存在するならば――朴が証言を虚偽のものとして斥けない限り――日本国に責任を問えないという朴の理屈自体が通らないと考えざるをえない。そもそも朴は甘言による詐欺を強制性の範疇に入れていない。

 また強制労働について、朴は別の箇所で、「慰安婦たちを強制労働に近い形で酷使したのは、軍人だけでなく業者でもあった」(105頁)「一人の慰安婦に一日のうちに何十人もの相手をさせていたのは単に日本兵の圧倒的な数字と強制だけではない。業者たちもまたそのような軍の需要に協力、さらに率先して過重な労働を強制していた。」(107)「監禁、強制労働、暴行による心身の傷を作ったのは業者たちでもあった。」(113)と記している。業者がやったことを強調する文脈ではあるが、業者だけが行ったわけではないことは朴も認めている。にもかかわらず、法的責任を論じる段になると責任の一切を「業者」に転嫁してしまうため、本書の内的な整合性すら破綻することになる。

 それでは、そもそも本書のいう大日本帝国/日本軍による「動員」とは何を意味するのか。実は驚くべきことに、本書をどれほど読んでも、その意味は明確には示されないのである。ただはっきりしていることがある。ここでいう「慰安婦」の「動員」については法的責任を問えない、と著者が主張していることだ。以下の引用をみよう。

「この条約〔韓国併合に関する条約:引用者注〕が〈両国合意〉のものだとすると、その条約によって形は対等な併合でも、実質的には植民地となり、突然、日本人となった朝鮮人にとって、被害の補償の根拠は〈法的には〉存在しないことになる。慰安婦を被害者と規定して補償の対象とするべく立法をするためには、「植民地支配という不法行為による他国国民動員に関する補償」にならなければならない。しかし当時の併合が〈法的〉には有効だったという致命的な問題が生じるのだ。」(185頁)

 「韓国併合に関する条約」は合法的に成立したので、本書で朴がいうところの「慰安婦」の「動員」は「他国国民動員」にはあたらず、補償の法的根拠がない、よって法的責任を問えない、こう主張しているようである。朝鮮語版ではより明確に「韓日合邦[ママ]が日本の国民になろうという約束であった以上、「慰安婦」動員を「法的」に問題とすることもできない」(朝鮮語263頁)と記している。この理屈は非常に奇妙なものだが、これについて朴の日韓協定への理解とも関係するので、別の機会に触れたい。いずれにしても、「動員」という語を用いてはいても、日本の法的責任はない、というのが朴の主張であることがさしあたりは重要なポイントである。むしろ「動員」という語は、強制連行を否定する文脈において用いられているとすらいえる。

2.「需要」を作り出した責任/「黙認」した責任?

 これを踏まえたうえで、冒頭の問い――本書の日本軍責任論の特徴――の検討に移ろう。すでに示されているように、本書の重要な主張の一つは日本軍による強制連行を過小評価するところにあるが、だからといって朴が日本軍の一切の「責任」を否定しているわけではない。朴の「責任」論の重要なキーワードは「需要」と「黙認」である。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。軍が募集のやり方を規制したことをもって、慰安婦問題に対する軍の関与を否定する意見があるが、不法な募集行為が横行していることを知っていながら、慰安婦募集自体を中止しなかったことが問題だった。つまり〈巨大な需要〉に誘拐やだましの原因を帰せずに、業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない。慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた国家である。」(32頁)

 「強制連行があったか否か以前に」と留保しているが、朴が日本軍に強制連行や強制労働の責任はない、と主張していることはすでに見た通りである。ここで朴のいう「責任」とは、すなわち、(1)業者の不法な募集を横行させるほど多数の「慰安婦」の「需要」を作り出したこと、(2)業者の不法な募集を黙認したこと、の二つである。「軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった」として、注意深く「責任」の語を回避したうえで、「数」の問題へと矮小化している。軍の業者への指示には一切言及がない。

 とりわけ「需要」という用語を選ぶことの最大の問題は、そもそもの日本軍による軍慰安所設置の責任が問われないことである。「需要」という「客観的」な用語により、設置や運営の責任は一切捨象され、あたかもそれが当然に必要であったものであるかのように語られる。「戦争を始めた国家」の「責任」が抽象的に語られるが、肝心の設置・運営の責任は議論の俎上に登らない。読みようによっては、「不法な募集行為が横行」しない程度の「合法的」な募集であれば(そんなことが可能とは思えないが)、軍慰安所設置自体には何らの問題はなかったとも受け取れる記述である。後述するように、ここで朴のいう「責任」が、「法的責任」を伴わないものも含んでいることを考えると、この欠落は極めて重大なものといえる。

 設置・運営の責任について議論すること自体を回避する姿勢は、あえて「「軍用慰安婦」を発想した」という表現を使っていることからもわかる。「発想」という表現は同じく「慰安婦となる民間人募集を発想した国家や帝国としての日本にその〈罪〉はあっても、法律を犯したその〈犯罪性〉は、そのような構造を固め、その維持に加担し、協力した民間人にも問われるべきであろう」(34頁)というかたちで用いられている。「民間人にも」とする以上、当然、「国家や帝国」及びその一部である「日本軍」の「法律を犯したその〈犯罪性〉」も問われるべきであろうが、前述の強制労働の箇所と同様に、責任を論じる段になるとこうした叙述との整合性は放棄されてしまう。

 ちなみに、原著では「他の地に軍隊を駐屯させ、長い間戦争を行うことにより巨大な需要を作り出したことだけをみても、日本はこの問題で責任を負わねばならない第一の主体である。加えて、規制したとはいえ不法な募集が横行した事実を知りながらも募集自体を中止しなかった点でも日本軍の責任は大きい。黙認はすなわち加担することでもあるからだ。」(朝鮮語版25-26頁)という比較的おさえた表現であったが、日本語版ではより明確に「需要」創出と「黙認」に「責任」が限定されている。

 同趣旨の主張をしたもので、日本語版のみにある記述を一つ引用しておこう。

「安倍晋三首相は慰安婦を、韓国のかつてのキーセンハウスと比較したことがある(『歴史教科書への疑問』一九九七、三一三頁)。しかし、慰安所は戦争遂行と軍人のための場所だった。もっとも、七〇年代の韓国が日本からの観光客目当てに女性たちを配置したキーセンハウスは、国家の外貨稼ぎのためになると考えられた点で、かつての「からゆきさん」と同じ構造を持つものだった。とは言っても、慰安所の多くは、遠くに移動させられ、生命を脅かされ、暴力が日常化されていた場所にあった。そして朝鮮人慰安婦は、絶対服従命令に慣らされていた軍人たちにとって、自分たちの権力を行使しうる唯一の対象にもなっていた。朝鮮人慰安婦問題における日本の責任は、そのような構造に女性たちが置かれることを黙認し、ときに進んでその構造を作ったことにある。」(234頁)

 「黙認」の責任がここでも強調されている。連行や労働への軍による強制性を否定するという前提があるため、因果関係が明確にならず、「慰安所の多くは、遠くに移動させられ、生命を脅かされ、暴力が日常化されていた場所にあった」というような不自然な表現にならざるをえないのだろう。冒頭で本書の読みづらさを指摘したが、これは無理のある議論の展開と密接な関係があるといえる。

 そして何よりも重要なポイントは、これらの「責任」についてすら、朴は「法的責任」を認めないということである。
 
「そういう意味では、慰安婦たちを連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的」責任は、直接的には業者たちに問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うことは難しいことになるのである。」(46頁)

 つまり、「黙認」「需要」創出というそれ自体極めて問題含みで、限定された日本軍の「責任」すら「法的責任」は問えない、というのが本書における朴の主張である。こうした「法的責任」論を理解したしたうえで再びこれまで検討した朴の主張を振り返ると、本書が法的責任を排除したより広義の「責任」すら、日本軍については極めて限定的にしか認めていないということに、改めて驚きを禁じえない。これらの「責任」に関する解放後の日韓交渉における議論への本書の評価については、改めて検討することにしたい。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)

 朴裕河『帝国の慰安婦』の日本語版が出版された。改めてこの本を要約すれば次のようになろう。

〈朝鮮人や台湾人の日本軍「慰安婦」は、日本人と同様の「帝国の慰安婦」なのであり、敵国である中国や東南アジアの人々とは異なる存在であった。日本軍による朝鮮人への暴力的な拉致や強制連行も存在せず、大多数は「業者」によってだまされた人々だった。「慰安婦」とされた女性たちも占領地の女性たちとの違いを理解しており、むしろ日本軍兵士に共感を寄せ、「同志意識」を抱いた人もいたが、そうした感情は解放後の韓国での圧力で語れなかった。日本軍の責任を問う根拠となる「法」はなく、むしろ元慰安婦女性たちの個人請求権を日韓会談で放棄したのは韓国政府であり、個人補償相当分の金額を日本政府から受け取っていた。よって日本政府に法的責任を問うことできない。韓国の運動団体や政府は本質的には補償だった「国民基金」を拒否し、無理な日本への責任追求を繰り返して、むやみに日本を右傾化させた。いまこそ対話を進めて「慰安婦問題を解決」し、女性たちを「一人の個人」へと帰してあげるべきだ〉

 ほかにも色々と論じているが、骨子をまとめればこういったところになるだろうか(ただ意外なことに、本書を読んでも結局のところ「慰安婦問題の解決」が何を指すのかはわからない)。

 以前に本書の朝鮮語版について、その「方法」が非常に恣意的であり、疑わしいところが多いと指摘したことがある(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について」)。今回の日本語版出版に際し、こうした観点から朝鮮語版との異同がどの程度あるかを確認してみた。仔細かつ全面的な検討とまではいかないが、朝鮮語版のころから気になっていた箇所について興味深い修正がなされたので紹介したい。

 原著には次のような一節がある。

「慰安婦の募集は比較的早い時期になされたが、「挺身隊」の募集は戦争末期、すなわち一九四四年からだった。そして挺身隊とは朝鮮人たちを対象にしたものではなく日本で施行された制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」、「国民勤労報国協力令」、「国民勤労動員令」などへと名前を変えてゆき一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにしたが、「一二歳以上」が対象となったのは一九四四年八月だった(日本ウィキペディア「女子挺身隊」の項目)。/それさえも、「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」。」(p.43)

 はじめこれを読んだとき、内容以前にwikipediaの項目を出典として示していることに驚いた。朝鮮植民地支配や戦時動員という極めて論争的なテーマの出典としてwikipediaを指示することは、なかなか「勇気」のいる行為である。しかも閲覧日の記載がないため、どの時点の記事を参照してよいのかわからない(巻末の参考文献一覧には項目自体が記載されていない)。また、末尾に「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」とあるが、この一文を読む限りでは、何が「発動されなかった」のかわからない。引用のようだが出典が明らかでないため、確認もできない。

 さすがにこのまま翻訳されてはおらず、今回の日本語版では次のように修正されている。

「慰安婦の募集は早い時期からあったが、「挺身隊」(=勤労挺身隊)の募集は戦争末期、一九四四年からだった。そして挺身隊は最初から朝鮮人を相手に行われた制度ではなく、日本で行われた制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」「国民勤労報国協力令」「国民勤労動員令」など名前を変えながら一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにした。そして一二歳にまで募集対象年齢が下がったのは、一九四四年八月だった(チョン・ヘギョン(鄭恵瓊)二〇一二)。/それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」(イ・ヨンフン(李栄薫)二〇〇八、一二〇頁)。」(52頁)

 この修正により、当初は出典のなかった「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」の意味が、李栄薫の論文が根拠であることがわかった。さて、問題はwikipediaである。他の出典表示に修正されているが、一読すればわかるように、本文は全く修正されていない。本当に鄭恵瓊論文がこの記述の出典たりうるのか疑わしく思い、元の論文にあたったところ、さしあたり二つの問題点が見出された。

 第一に、書誌情報が誤っている。巻末の文献一覧には、鄭恵瓊「勤労挺身隊支援条例 制定の意味と今後の課題」(光州広域市議会主催『第三十六回政策討論会資料集』、2012.12)とある。だが論文の正確な題は鄭恵瓊「女子勤労挺身隊被害者支援の意味と今後の展望」であり、韓国の光州広域市議会主催で2012年2月に行われた朝鮮女子勤労挺身隊の支援に関する討論会での報告を活字化したものだ(なお、この報告は光州広域市議会HPより全文がダウンロードできる。)

 第二に、鄭報告の内容は、朴の叙述の根拠としては不適切である。鄭報告は、「朝鮮女子勤労挺身隊とは、日帝によりアジア太平洋戦争末期の労働力不足を充当するため、植民地朝鮮から多数の未成年女性らを動員し労働力を収奪した人的動員を意味する。主として朝鮮半島と日本本土へと動員された」という前提のもと、戦時期末期における朝鮮人女性労働力の搾取・動員とその被害状況を概観し、支援条例案についてコメントしたものだ。鄭は、朝鮮では1944年の女子勤労挺身隊による動員が開始する以前より工場に幼い少女らた動員されており、紡績工場の平均年齢は12.4歳で、10歳以下の者も18.9%いたと指摘する。そして、挺身隊による動員はこうした少女たちへの労働力搾取を合法化したものだったと位置づけた。

 鄭報告のこうした要旨を理解したうえで、改めて上の引用文を読むとその出典表示の奇妙さがただちに理解できる。朴は日本人を対象とした勤労動員の拡大を時系列的に叙述しているが、鄭報告はそれとは異なり朝鮮人女性を対象とした勤労動員を主題にしたものだ。wikipediaに従って書いたものを、体裁を整えるために無理に他の出典表示に置き換えたため、不適切な引用となってしまったのだろう。

 こうした杜撰さは本書の重要な特徴というべきであるが、もちろん最大の問題はこうした「方法」によって導き出される朴の主張それ自体である。本書は基本的には前著『和解のために』と同様の問題点を継承しており、その限りでは、前著への金富子や徐京植による批判で事足りる。そもそも個別の主張がそれぞれ成り立つかすら大いに疑わしいが、もし本書に前著と比較して新しい主張があるとすれば、それはタイトルにもなっている「帝国の慰安婦」という規定に示された植民地認識であろう。これは、理屈としては朝鮮人強制連行否定論が多用するレトリック、朝鮮人もまた「帝国臣民」として日本人と同様に動員されたのだから、特殊な「朝鮮人強制連行」などはない、とほぼ同じである。だがより問題が根深いのは元「慰安婦」女性たちの内面をさまざまな恣意的な史料の接合により作り上げ、あたかも朝鮮人女性側もそのような構図に納得し、内面化していたかのように主張するところである。本書では一見著者が植民地支配責任を問うかのような素振りを見せるところがあるが、そこで語られる「帝国」の問題云々は極めて抽象的かつ空疎な言明にすぎず、実際には韓国併合条約については明確に合法的に成立したと述べており、戦時動員や強制労働と人道に対する罪の問題なども全く論じられることはない。むしろ前述したように、一貫して「帝国」の一部だったのだから、それを問う「法」はない、と繰り返すのみである。こうした前提に立つ「解決」とは何なのか、そこで表明される植民地認識とはいかなるものなのか。

 日本語版には、この問いへの答えが明瞭に示された追加の記述がある。以前にも触れた「同志」云々に関連する箇所だが、ここで朴はまずある「証言」を引用する。挺対協の編んだ証言集に記録された「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だから。わたしが間違った世の中に生まれたのも私の運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない」という証言である。この「証言」を朴はどう解釈するか。まずは朝鮮語版を引こう。

「慰安婦体験を「運命」だと語る者は我々の前にもいる。いわば全く同じ苛酷な「運命」を負っても、その運命への「態度」は慰安婦ごとに異なっていたのであり、今も異なる。この彼女は日本軍ではない業者を「暴行」の主体と記憶する。
 苛酷な体験をした者達にも「楽しかった」瞬間は無くはなかったし、軍人に身の上話をしながら精神的交換を分かち合う「慰安婦」もいなくはなかった。この者たちは国家により故郷を離れ、遠い他の土地へと移動しなければならなかった「蟻」の境遇であったことを互いに敏感に感知した孤独な男女でもあった。
 もちろん繰返すが、愛と平和の同志がいたからといっても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変わらない。それはいかなる名誉や賞賛が伴うといっても戦争が地獄であるほかないことと同様である。しかしそうであればいっそうそうした地獄を生き抜く力となった憐憫と共感、そして憤怒より運命へとかえる姿勢もまた記憶されねばならない。」(p.75-76)

 この解釈の問題については、以前にも言及したのでひとまず措こう。この箇所は、日本語版では以下のように大幅に書き加えられている。

「慰安婦の体験を「運命」と話す人は、小説の中にのみいるわけではない。現実の慰安婦のなかにも、自分の体験を「運命」とみなすひとはいた。自分の身に降りかかった苦痛を伴った相手を糾弾するのではなく、「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは、彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる。
 しかし、被害を受けた側のこのような姿勢や態度は、これまで注目されることがなかった。それ以上に、慰安婦と兵士が共有する憐憫の感情も理解されることはなかった。国家の抑圧の中で待っていた共感や憐憫の記憶を無化したまま、抵抗や憎しみの記憶だけが受け継がれてきたのである。
 このような日本兵士や慰安婦の思いや言葉が受け止められてこなかったのは、彼らの関係を単に対称的なものと捉えてきたからである。記憶の選択には、当事者のみならず、受け止める側の感情や感性もかかわってくる。」(92-93頁)

 「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している」――これは証言者の言葉ではない。著者である朴の言葉であり、解釈である。日本語版において追加されたこの箇所には、ある意味では本書の最も本質的な問題が凝縮してあらわれている。朴はあらかじめ「彼女〔証言者:引用者注〕の世界理解が間違っている」というニセの批判を対置しているが、ここで本来問われているのは、証言者の言明ではなく、それを「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している」という鋳型へと流しこむ、そして、そうした解釈を日本語圏の読者にのみ提示する朴自身の「世界理解」である。ここではそうした書き手の責任が、あまりにもあからさまに証言者の責任にすり替えられている。「何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではない」とはいかなる意味なのか、なぜそのようにいえるのか。「被害を受けた側」がこれは「運命」であると理解し、「許す」ことが、なぜ「和解へと導くひとつの道筋」になりうるのか。これを証明すべき者は「証言者」ではない。朴自身である。

 本書において筆者は明確に、植民地支配を「不正義」と認識してこれを批判・糾弾する立場を放棄するよう朝鮮人側に求めている(しかも「証言者」の言葉を借りて)。それは、日本人に対して「帝国」の側からの憐憫と同情を示すことを促すかのような叙述と対応している。本書については早速日本では好意的な紹介がなされている。今後もされるであろう。本書の内容も去ることながら、今後、誰が、どのような形で好意的に紹介するかにもあわせて注目すべきであろう。本書はある意味ではその対応を通じて評者たちの「見識」を露わにせずにはおかない、ある種の破壊力を持っているからである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-12-31 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について

 元日本軍「慰安婦」9人が『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河氏を名誉毀損で告訴したという。かつて触れた日本軍と「慰安婦」の「同志的な関係」という記述が、問題となっているとのことである。まだ断片的な情報しか伝わっていないため訴訟についての判断をできる段階にはない。ただ私自身、この本の内容には看過し得ない問題があると考えていたこともあり、以前の記事では部分的に触れるに留まった『帝国の慰安婦』の問題点について、以下に若干のコメントをしておきたい。

 率直にいってこの本は決して読みやすい本ではない。ただこれは分析が細部にわたっているとか、複雑に入り組んだ論理展開をしているからというわけではなく、検討の対象が曖昧なうえ、用いられる概念が理解可能なかたちで定義されていないためである(例えば「国民動員」という語の特殊な使用)。この本で朴は、朝鮮人日本軍「慰安婦」の置かれた状況は多様であったと繰返し説く一方で、自らは個別の証言や伝聞、文学作品の描写をパッチワークのようにつなぎ合わせつつ推測も交えて「彼女たちは…」と一般的に論じており、その驚くべき内容もさることながら、方法という側面からみても無視できない問題を抱えている。特に朝鮮人「慰安婦」と日本軍を「同志」と記述した箇所は、こうした問題点が最も明確にあらわれている部分の一つといえる。
 
 この本の基本的な視角は、朝鮮人・台湾人「慰安婦」は中国やインドネシアなど占領地の「慰安婦」とは異なる、というところにある。朴は次のように指摘する。

「職業軍人であったある人物は、中国人などより朝鮮人慰安婦をより多く募集したのは彼女らが自ら知ることになった事実を「敵に通報したり軍事情報を流すことが無か」(121頁[千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』:引用者注])ったからだと語る。「朝鮮人慰安婦」はこのように中国やインドネシアのような占領地/戦闘地の女性らと区別される存在だった。いわば日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた。植民地となった朝鮮と台湾の慰安婦はどこまでも「準日本人」として帝国の一員であり(もちろん、実際には決して「日本人」になりえない差別があった)、軍人たちの戦争遂行を助ける関係であった。それが「朝鮮人慰安婦」の基本役割であった。」(『帝国の慰安婦』60頁。強調は引用者、以下同。)

 朴が「帝国の慰安婦」と題した理由はここにある。「日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた」がため、検討する対象を日本軍「慰安婦」問題全体ではなく、大日本帝国の「臣民」であった日本人・朝鮮人・台湾人「慰安婦」――すなわち「帝国の慰安婦」に限定したのである。もちろん、朝鮮と中国の「慰安婦」としてのあり方に差異があるという主張自体は取り立てて珍しいものではない。すでに数多くの研究が日本軍の占領した諸地域における「慰安婦」徴集や性暴力の現れ方の特徴について論じている。だがこの本の特徴は、そうした差異の捉え方にある。

 上の引用文にもあるように、朴は「帝国の慰安婦」は「日本軍との基本的な関係」において他の日本軍「慰安婦」たちと異なっていた、と主張する。この主題が論じられているのは「第二章 慰安所にて――風化される記憶たち」の「1.日本軍と朝鮮人慰安婦――地獄のなかの平和、軍需品としての同志」である。この節では、千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』、田村泰次郎の小説「春婦伝」、古山高麗男の小説「蟻の自由」、そして韓国挺身隊問題協議会が編んだ証言集を用いて議論が展開される。ここで「帝国の慰安婦」と日本軍の関係が、他の「慰安婦」と異なるいかなる特徴があったと論じられているのかについて、二つの主張をとりあげて検討してみよう。

(1)「帝国の慰安婦」たちは、過酷な生活を生き抜くため、国家が求めた肉体的・精神的「慰安」者としての役割を受容した

 千田の本に登場する、ある日本軍兵士の日本人慰安婦に関する証言――「立派に死んでください!」と言われたという回顧――に触れながら、朴は日本国家は「帝国の慰安婦」に日本軍人の身体的「慰安」に加え、精神的「慰安」も要求したが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(61頁)とし、次のように論じる。

「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍[ママ→人?]慰安婦と同様に扱うことはできない。しかし同時に、そうしたジレンマを忘れ、目の前に与えられた「嘘の愛国」と「慰安」に没頭することは、彼女らにとって一つの選択でありえたという事実を無視することはできない。日本軍との恋愛や結婚が可能であったことは、こうしたジレンマを抱くことを放棄した者たちの選択であったと見ねばならない。あるいは幼ければ幼いほど日本人意識が強かったであろうから、ジレンマとしてすら考えなかった者たちが遥かに多かったかもしれない。」(62頁)

 また同じく千田の本にあらわれる、ある業者の証言――日本人慰安婦のなかには借金を返しても仕事をやめようとしない者もいた、それはこんな身体でも軍人のため、国家のために身体を捧げることができると彼女たちが喜んだからだ、と答えた記録――を引用し、次のような解釈を提示する。

「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた「日本帝国の慰安婦」であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。そうでなくては敗戦前後に慰安婦たちが負傷兵の看護もし、洗濯や裁縫もした背景を理解できない。」(62頁)

 つまり、日本人「慰安婦」と同様、「帝国の慰安婦」であった朝鮮人「慰安婦」も、兵士の精神的「慰安」を行うという役割を引き受け、そこに苦しい生活耐えるなかでの「矜持」を見出していた、という。次に移ろう。

(2)「帝国の慰安婦」たちのなかには日本兵と「愛」と「同志意識」で結ばれていた者もいた

 これは以前にも触れたことがあるが、ある元「慰安婦」が、一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言に触れ、朴はなぜそのようなことが起こったのかについて以下のように論じている。

「もちろんこうした記憶たちはどこまでも付随的な記憶であるほかない。仮に世話をされ、愛し、心を許した存在がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは抜け出したい場所であるほかないから。だとしても、そこでこういった愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。問題は彼女たちにとっては大事だった記憶の痕跡を、彼女たち自身が「すべて捨て去」ったことである。「それを置いておけば問題になるかもしれない」という言葉は、そうした事実を隠蔽しようとしたのが、彼女たち自身であったことを示す言葉でもある。そしてわれわれは解放以後ずっと、そのように「記憶」を消去させて生きてきた」(67頁)

 続けて朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介しながら、同様に以下のように指摘する。

「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(75頁)

 さて、説明は不要かもしれないが、一読すればわかるようにこれら二つの「日本軍との基本的な関係」を論じる際の朴の手法には深刻な問題がある。

 まず、(1)で朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。(1)に関する朴の叙述は、このように二重の意味で問題があるのである。

 (2)も同様である。日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。しかも、後段に至っては、(1)で触れた千田の集めた証言の場合と同じく、古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。

 朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。
 
 朴はこの節での検討をふまえて、韓国社会や支援者の認識を以下のように批判する。

「この間、慰安婦たちはただ自身らが経験したことを淡々と語ってきた。しかしその話を聞く者たちは自身が聞きたい話だけをよりわけて聞いてきたわけだ。それは慰安婦問題を否認する者であれ、支援する者であれ、異なるところはない。われわれのなかに位置を占めた日本軍と朝鮮人慰安婦のイメージは証言の一方の面に過ぎない。こうした意味ではわれわれみながこの人びとの体験を歪曲するのに加担してきたわけだ。そこでの慰安婦はもはやありのままの慰安婦ではない。彼女たちの記憶を聞く者が願う「新たな記憶」であるのみである。」(80頁)

「彼女たちはこうした記憶を特別に強調しはしなかった。モノのみならず記憶までも、一度発話した後には、われわれの社会では「捨てられ」てきた。いわば彼女たちが自身の大切な記憶を捨てることは、彼女ら自身が選択したことではない。「問題」になるであろうと考えられた「社会」の抑圧である。それは彼女の記憶たちが「被害者としての朝鮮」に亀裂をもたらすことを慮る無意識的な了解事項であったといえる。しかし慰安所の苦痛を忘れさせてくれたかもしれない、また異なる記憶たちを無化させ、忘却させたことは、彼女たちにとってもう一つの暴力ではなかったか。」(68頁)

 しかし、これまでの検討からみるに、むしろ「新たな記憶」を創り出しているのは朴自身ではないかと思わざるをえない。仮に「異なる記憶」にこだわるというのなら、証言と証言者の固有性に徹底的にこだわり、安易に「彼女たちは…」「朝鮮人慰安婦は…」と一般化すべきではないはずである。証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開することこそが、「一つの暴力」なのではないだろうか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-06-21 00:00 | 歴史と人民の屑箱

「国民基金」の再来

 『聯合ニュース』の和田春樹へのインタビューに、次のようなやりとりがあった(強調は引用者)

――日本軍慰安婦に関する一般の日本人の認識はどんな状態だとみるか。
「ここにきてそれ(教育不足)が問題だ。(右翼性向の雑誌を指して)このようにいち早く週刊誌がこの問題を扱ったことは無かった。全体的に、韓国を嫌い朴大統領を憎むよう毎回朴槿恵大統領の写真を載せ、ああだこうだと攻撃している。こうした異常な状態になった。[中略]
――一般人の意識すら危険な状態になったということか。
「(右翼勢力が)そのようなキャンペーンをした一つ(の根拠)は、日本政府がアジア女性基金で謝罪し、贖罪しようと申請したのに韓国が拒絶したのが日本人としては痛いということだ。日本人はそうしたことをみな知っている。それで日本が謝罪をし、何かをしようとするとき、その成功は韓国人と日本人が互いに助け合わなければ可能ではない。日本がしようとすることがすべていいことではないから批判も必要だが、頭を下げてすまないと言おうとするときには、韓国人も日本を助けてくれねばならない。ベトナムと韓国の間にも問題があるではないか。同じことだ。これはやはり(日本が)謝罪をしなければ始まらない。

 せっかくアジア女性基金(以下、「国民基金」)をつくったのに韓国が拒否したから右翼が大量に跋扈することになった、今度日本が「何かをしようとするとき」、「韓国人も日本を助けてくれねばならない」と、和田は韓国に向かって呼びかけているのである。日本の右傾化をタテに韓国に「和解」の受け入れを迫るもので、脅しにも似た驚くべき発言といえる。ただこうした「物語」の流布は、日本軍「慰安婦」問題をめぐる「国民基金」型の「和解」モデルの再来に備えて、あらかじめ批判を無力化しておくための発言とも考えられる。

 こうした「和解」のねらいについて、最もあけすけに発言してきたのは、同じく「国民基金」を推進した大沼保昭であろう。最近、『朝日新聞』に掲載された「日本の愛国心」と題されたインタビュー(2014年4月16日付朝刊)でも、次のように語っている。

「集団的自衛権の行使について、朝日は反対、読売は賛成という論調に終始していますが、10年、50年後の日本の安全保障という共通の課題を両氏で議論してほしい。中国の軍事的暴走を抑止するため、短期的に見て日米安保体制の充実は確かに必要でしょう。しかしそれは日本が過去の戦争を反省していることを、中韓を含む世界の国々に分かってもらったうえでの話ではないか。靖国神社に参拝し、修正的な歴史観をぎらつかせながら集団的自衛権の行使を容認するのが、日本国民の安全保障に本当に資するのか。そういうことを論じ合うことが、批判合戦よりもずっと建設的ではないでしょうか」

 中韓との「和解」と「日米安保体制の充実」はセットというわけだ。大沼は「戦後日本は過去を反省し、世界の国々から高く評価される豊かで平和で安全な社会をつくり上げた。それを私たちの誇りとして描き出さず、戦前・戦中の日本に焦点を当てて、愛国か反省かの二者択一の極論を見せ続けた。その結果、いびつな愛国心が市民に広がった」とも述べており、日本のメディアが反省ばかり求めたから戦後日本への「誇り」を持てずに右傾化が進んだのだ、という認識を示している。いずれにしても、日本をなだめるためには戦後日本を認めてやることが必要だ、ということである。

 他方、中国の日本批判については「百年国恥の屈辱感の裏返しである現在の中国の攻撃的な路線が永久に続くわけではない。対立するより、諸国と共に中国の過剰な被害者意識をなだめ、卒業してもらう工夫を日本はするべき」とし、具体的には日本の「ソフトパワー」、すなわち「製造業やサービス業、医療のシステム、アニメやファッション、さらには秩序だった市民生活のルール」を使って「中国の懐に入り込み、ウインウインの関係をつくり出すべき」と説いている。ここまであからさまにパターナリスティックな姿勢を示されて受け容れる者がいるとは思えないが、大沼自身の中国認識は非常によく伝わってくる。

 和田と大沼はそれぞれ別の対象に向かって似たようなことを言っているのだが、こうした右傾化の原因を日本批判に求める言説は、昨年韓国で出版された朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘争』(根と葉っぱ、ソウル、2013年)にもみられる。

「90年代以降、日本と韓国の進歩が日本政府を信頼しなかったことも、自身と異なる思考を無条件「右傾化」の証拠とみようとした冷戦的思考によるものである。この間、日本も韓国も一貫して「日本の右傾化」を叫んできたが、以後の日本ではむしろ敗戦後最初の進歩政権がはじまり、こうした批判が必ずしも正しい批判ではなかったことが証明されもした。そしてそれから三年後に再び保守政権がはじまったことには、2011年8月の大統領の独島訪問をはじめ韓国との葛藤が影響を与えた面も無くはない。いわば韓日間の連帯は政治においても効果的ではなかった。むしろこの過程で進歩左派の連帯運動は結果的には20年前よりもより多くの慰安婦問題に反発する人びとを作り出した。慰安婦問題解決運動を通して「日本社会を改革」しようとする左派運動方式が決して効果的ではなかったことが証明されたわけである。」(305頁)

 日本と韓国の「進歩」が「国民基金」を提案した日本政府を信頼せずに「右傾化」とばかり批判し続けた結果、「慰安婦」問題に反発する人びとを大量に生み出したというわけだ。この『帝国の慰安婦』は前著の『和解のために』よりもさらに踏み込んだ叙述のオンパレードで、読んでいて驚かされることしきりである。例えば、ある元「慰安婦」が一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言を引用した後に、次のような解釈を提示する。

「もちろんこうした記憶たちはどこまでも付随的な記憶であるほかない。仮に世話をされ、愛し、心を許した存在がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは抜け出したい場所であるほかないから。だとしても、そこでこういった愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。問題は彼女たちにとっては大事だった記憶の痕跡を、彼女たち自身が「すべて捨て去」ったことである。「それを置いておけば問題になるかもしれない」という言葉は、そうした事実を隠蔽しようとしたのが、彼女たち自身であったことを示す言葉でもある。そしてわれわれは解放以後ずっと、そのように「記憶」を消去させて生きてきた」(67頁)

 これは決して例外的な記述ではなく、むしろ「同志的な関係」という言葉はこの本のキーワードの一つである。『帝国の慰安婦』の「後記」には「批判者たちは日本で私の本が高く評価されたこと(朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」受賞)を指して日本が右傾化したためだと語り、私があたかも日本の右翼と似た主張をしたかのように扱った」(317頁)と自らが不当にも右翼扱いされたと、暗に徐京植や尹健次による批判を示唆しながら反発しているが、こうした記述を読むと「日本の右翼と似た主張」といわれても仕方がないだろう。この本は日本語に翻訳されるそうだ。「国民基金」の再来とあわせて、出版後にどういった「評価」がなされるのか、注視する必要がある。
  
(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-04-19 00:00 | 日朝関係