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朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)

3.「反論」の検証③――【3.『和解のために』批判について】について

 「反論」第三節は、拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」への反論である。なお、『歴史批評』掲載の拙稿は、下記のブログ「東アジアの永遠平和のために」に全文転載していただいた。ブログ管理者のご厚意に感謝したい。

정영환「일본군 ‘위안부’문제와 1965년 체제의 재심판 ― 박유하의 『제국의 위안부』 비판」(『역사비평』111호、2015年여름)

 拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」は、韓国の読者向けに『和解のために』をめぐる論争を整理したものだ。『和解のために』が出版された時点では朴裕河は韓国ではほとんど名前が知られておらず、本も話題にはならなかった。よって『和解のために』への批判も日本語圏の人々によるものがほとんどだった。いくつかの批判は韓国で翻訳されはしたがあまり知られていないため、金富子や徐京植の議論を中心に『和解のために』への批判を紹介したのである。ここでの私の批判は、以下の二つの記事をもとにしている。

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)(2)

 私は、上の記事でも書いたように、金富子・徐京植らの朴裕河批判は妥当なものであると考えている。『歴史批評』論文でも①吉見義明の研究の誤読、②軍「慰安所」設置の目的、③国民基金の評価という三つの論点に即して議論を整理し、朴裕河批判は妥当であると評価した。朴裕河はこうした私の評価について反論を試みている。

 朴はまず、①吉見義明の研究の誤読との指摘について、次のように反論する。

「1)道徳的攻撃の問題

 鄭栄桓は金富子を引用しながら、私が既存の研究者らの文章について「正反対の引用」(477)をしたという。これは鄭栄桓が私に論旨のみならず道徳性にも問題があるかのように考えるよう仕向けるために選択した「方法」である。

 だが鄭栄桓が知らないことがある。あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない。言い換えれば、あらゆる文章は著者の全体の意図とは異なる部分もいくらでも引用されうる。鄭栄桓自身が私の本を私の意図とは正反対に読んでいるように。重要なことはこの過程に歪曲があってはならないということだが、私は歪曲してはいない。私は吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない。日本の責任を追及するいわゆる「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ。この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ。いまでは「構造的強制性」があるという者は少なくないが、「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。慰安婦を売春婦だという者たちに向けて「当時の日本が軍隊のための組織を発想したという点では、その構造的な強制性は決して稀釈されない」(改訂版、69)と。

 だが批判者たちは私の本は決して引用しない。最近ではこの問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている。これについては改めて書くつもりだ。

 2015年5月、米国の歴史学者たちの声明が示したように、もはや「軍人が連れて行った強制連行」は世界はもちろん支援団体すら主張しない。だが多くの者たちは「強制連行」とだけ信じていた時点から、強制連行ではないということがわかったために、私は「強制性」について否定的な者たちがこの問題の責任を稀釈させることを防ぐため、10年前に「構造的強制性」について語った。また、『帝国の慰安婦』で「強制性の有無はこれ以上重要ではない」と書いた。」

 朴の「反論」は妥当なものだろうか。「あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない」――確かにそうだ。引用の過程で「歪曲があってはならない」――これもその通りだ。しかしながら、「私は歪曲してはいない」――これは誤りである。「吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない」という朴の反論は成り立たない。

 かつて朴裕河は『和解のために』で次のように書いた。

「ところで「強制性」についての異議は、韓国内部でも唱えられている。ソウル大学の李栄薫は、「強制的に引っ張られて行った」「慰安婦」はいなかったとしている。[中略]
 慰安所の設置には日本政府が関与したことをはじめて明らかにした、「慰安婦」研究者の吉見義明もまた、「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)

 この記述の問題について私は次のように指摘した。

「この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。」(「朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)」)

 朴の「意図」はともかく、このように『和解のために』では明らかに「「強制性」についての意義」の例示として吉見を引用している。今回の「反論」でも、朴は吉見のような「「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ」という。だが吉見は「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」へと狭く限定するべきではない、と指摘したのであって、「物理的強制性」(この言葉が何を意味するかが不明だが)を「否定」したわけではない。「占領地においては奴隷狩りのような暴力的な連行を示す資料さえあり、植民地においては奴隷狩りのような暴力的な連行のケースを別にすれば、広義の強制連行を示す資料はある」と、吉見は明確に指摘している(吉見義明「「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える」)。

 なぜ朴裕河は吉見の研究の意義を正しく理解できないのだろうか。もう一歩踏み込んで考えてみよう。『和解のために』以来の朴の「強制性」をめぐる議論の最大の問題は、日本の右派が設定した「狭義の強制性/広義の強制性」という政治的枠組みを受け入れるところにある。朴は「この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ」と、あたかも、日本軍「慰安婦」に関する研究の進展とともに、論点が「人身売買」へと移っていったかのように書く。だが、これは誤りである。軍「慰安婦」をめぐる強制性を、「軍人が連れて行ったといったような強制性」とそれ以外へ分割した背景にあるのは、実態解明の進展ではなく、政治的な要請である。

 強制性を「奴隷狩り」のような暴力的・直接的拉致に限定しようとするのは、日本の歴史修正主義者たちの常套手段であった。そしてついて安倍晋三首相(第一次内閣)は2006年10月6日、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」ことを「狭義の強制性」とし、「そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったこと」を「広義の強制性」として、前者を示す資料がないとして軍の関与を否定しようとした(衆議院予算委員会での答弁)。このような政治的な広義/狭義の分割に対し、実態からみてそうした線引きはあまりに恣意的であるとの批判があがり続けた。「強制性に対する問題提起が受け入れられ」たのではなく、政治的に無理やり狭義/広義という枠組みが作られたにすぎない。こうした事情を朴裕河自身も知らないわけがないにもかかわらず、朴は『帝国の慰安婦』においても、安倍政権による狭義/広義という政治的な線引を受け入れる。

 朴裕河の「強制性」理解が、このように安倍政権的な枠組みを前提とせざるをえないのは、その「和解」論がそもそもにおいて外交的・政治的な決着を目的として設計されているからであろう。日本軍「慰安婦」の被害実態やそれをめぐる研究と運動の進展、何より当事者たちの主張を出発点とするのではなく、あくまで日本・韓国両政府の「和解」を目的とするがゆえに、日本政府の設定した「慰安婦」問題理解の枠組みを前提に思考せざるをえない。歴史修正主義者、並びに安倍政権の設定した狭義/広義の強制性という枠組み自体を問うのではなく、その枠組のなかで、すなわち「広義の強制性」という土俵に限定して、日本政府の「責任」を問い、何らかの「和解」への行動を引き出そうとする。それゆえ、朴の日本軍責任論は、強制連行や軍慰安所設置や軍慰安婦徴集の指示といった「狭義の強制性」の土俵に踏み込みかねない事例を避け、慰安所を「発想」した責任であるとか、慰安婦を大量かつ暴力的に業者が集めねばならないような「需要」を作り出した責任、といった珍妙な「責任」論に限定されるのだ。

 吉見義明の研究の意義を朴が根本において理解できないのもこのためだ。朴裕河の「意図」はよくわかる。李栄薫も秦郁彦も吉見義明も、朝鮮では「官憲による奴隷狩りのような連行」を示す文書を確認できないという点では一致している、それなら強制連行にこだわるのをやめて、一致している論点(「広義の強制性」?)だけ議論して「和解」しましょう、というわけだ。だが繰り返しになるが、吉見はそのような論点の設定そのものを批判的に問うているのである。この点を朴は全く理解しておらず、おそらく今後も理解することはできないだろう。

 朴裕河は「「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。」と誇るが、結局のところこの「構造的強制性」なる「概念」は、安倍政権のいう「広義の強制性」とほとんど大差ないものになってしまっている。「物理的強制性」なる造語は、同じく「狭義の強制性」と大差ない。吉見の議論からもわかるように、「官憲による奴隷狩りのような連行」に「強制性」を限定すべきではないという議論は、『和解のために』以前から存在する。朴のオリジナリティは、安倍政権的な政治的かつ恣意的な「強制性」の分割線を、政治主義的な「和解」の達成のために、「慰安婦」論争に持ちこんだところにあるとみるべきだろう。

 「この問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている」という朴裕河の憤慨に至っては、率直にいって失笑を禁じ得ない。日本軍「慰安婦」問題を考えるうえで植民地支配という要因を重視する視点は当然ながら朴裕河のオリジナルではない。それどころか極めて一般的な指摘であろう。むしろ『帝国の慰安婦』のオリジナリティは、表面的には「植民地」について饒舌に語りながらも、実際には「帝国の問題」云々といって朝鮮人「慰安婦」と日本人「慰安婦」の類似性を強調したところにある(*1)。自著を改めて読みなおし、日本-朝鮮、すなわち宗主国と植民地の間の質的差異を軽視したことこそ、「私の提起」であると朴裕河は自覚すべきだ。

 朴裕河は次に、②軍「慰安所」設置の目的について次のように反論する。

「2)誤読と歪曲

 鄭栄桓は私が慰安婦が「一般女性のための生贄の羊」(『和解のために』87)であったと書いた部分を指し、あたかも私が「一般女性の保護を目的」(金富子)としたかのように非難する(478)。だが「日本軍のための制度」という事実と、「慰安婦が一般女性のための生贄の羊」だっという認識は代置されない[訳者注:互いに排他的ではないという意味か?]。

 歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないことだが、「批判」の文脈であれば、しかも訴訟を起こされている相手に対する批判ならば、もう少し繊細に接近せねばならない。加えて鄭栄桓は一般女性にも責任がないわけではない、という私の反駁すら非難しながら、「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)という誤読に加え、「日本軍の暴力をどうしようもない当然のものとして前提」(478)とした、「戦場での一般女性が自らの代わりに強姦された慰安婦たちに責任がある」という主張だとすらいう。

 私が一般女性の問題について指摘したのは階級の視点からだ。つまり、「学のある奥様」(『和解のために』88)の代わりに慰安婦として出た慰安婦の存在に注目したのであり、彼女たちを見下して後方で平穏な生活を送ることのできな韓/日の中産層以上の女性たち、そして彼女たちの後裔たちにも責任意識を促すための文脈である。もちろん、その基盤には私自身の責任意識が存在する。」

 「「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)」としているが、金はこのような批判をしたわけではない。これは私からの批判である。もちろん、①と同様に、ここでの朴裕河の「意図」がわからないではない。私も「一般女性のための生贄の羊」云々の箇所を読みながら、本当は日本の(朝鮮が入っているとは思わなかったが)「中産層以上の女性たち」の「生贄の羊」だと言いたいのだろうな、とは考えた。だが実際には朴の「テクスト」には、次のように書かれているのだ([]内数字は筆者が挿入)。

「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性[①]の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性[②]を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性[③]のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)

 この文章をどう読んでも、「生贄の羊」となった③の「一般女性」が、「韓/日の中産層以上の女性たち」であったとは読めない。①と②の「一般女性」は、明らかに「強姦」される可能性のある中国などの「戦地における」女性を指すからだ。正しく「意図」を伝えたいならば、丁寧に推敲すべきである。

 最後に、③国民基金の評価について、朴は次のように反論する。

「3)総体的没理解
 鄭栄桓は徐京植の批判に依存しながら、アジア女性基金と日本のリベラル知識人らを批判するが、徐京植の批判にはどこにも根拠がない。旧植民地宗主国らの「共同防御線」を日本のリベラル知識人たちの心性と等置させるならば、具体的な準拠を示さねばならなかった。
そして私は韓日葛藤を挺対協の責任にだけ負わせているわけではない。日本側もはっきりと批判した。にもかかわらず鄭栄桓をはじめとする批判者たちは、私が「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」と規定し、以後その認識は拡散した。

 あまりにひどい言いがかりである。末尾では再び例の悪癖があらわれている。あたかも引用であるかのように記しているが、私は「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」などと書いていない。また、徐京植は何の根拠も示さずに、国民基金が「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」の一環であると主張したわけではない。徐は「和解という名の暴力」で次のように指摘している。

「前に述べたような、「植民地支配責任の回避」という先進国共通の防御線を守るために頻繁に使用されたレトリックが「道義的責任」である。

 日本政府が「植民地支配」の事実をしぶしぶ認めたのは敗戦から五〇年を経た一九九五年のことである。当時の連立政権で首相を務めた社会党出身の村山富市が記者会見で、「過去の戦争や植民地支配は『国策を誤った』ものであり、日本がアジアの人々に苦痛を与えたことは『疑うことのできない歴史的事実』」であると述べたのである。

 この談話は植民地支配の事実すら認めようとしなかった従来の政府の立場から見れば一歩前進と言うこともできよう。しかし、談話発表時の記者会見で村山首相は、天皇の戦争責任があると思うかという質問に対して「それは、ない」と一言で否定した。また、いわゆる韓国「併合」条約は「道義的には不当であった」と認めつつ、法的に不当であったということは認めず従来の日本政府の見解を固守したのである。この線、すなわち「象徴天皇制」と呼ばれる戦後天皇制を守護し、植民地支配の「法的責任」を否定すること、相互に深く関連するこの二つの砦を死守するための防御線を当時の日本政府は引いたのだといえる。

 これが、それ以来、日本政府が頑強に維持している防御線であり、いわゆる「慰安婦」問題においても国家補償をあくまで回避して「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金)による「お見舞い金」支出という不透明なやり方に固執した理由でもある。国民が支出する「お見舞い金」は「道義的責任」の範囲と解釈されるが、政府が公式に補償金を支出すればそれは「法的責任」を認めることにつながるからである。ここで「道義的」という語は、法的責任を否認するためのレトリックとして機能している。

 私たちはやがて、このようなレトリックに、別の文脈で遭遇することになる。

 先に述べた二〇〇一年のダーバン会議において、初めて、奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起された。しかし、欧米諸国はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」は認めたが、「法的責任」は断固として認めなかったのである。その結果、ダーバン会議の宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれなかった。欧米諸国が法的責任を否認する論拠は、「法律なければ犯罪なし」とする罪刑法定主義の原則であり、奴隷制は現代の尺度から見れば「人道に対する罪」に該当するかもしれないが、当時は合法だった、という論法である。

 ここに、どこまでも植民地支配責任を回避しようとし、そして、それができない場合でも、「法的責任」を否定して「道義的責任」の水準に止めようという、先進国(旧植民地宗主国)の共同防御線がはっきりと見て取れるのである。」

 これは「具体的な準拠」ではないのだろうか。朴の「どこにも根拠がない」という主張こそ「どこにも根拠がない」決めつけである。

 朴は、この節の結びとして、次のように「反論」する。

鄭栄桓は私が使った「賠償」という言葉を問題視するが、挺対協は「賠償」に国家の法的責任の意味を、「補償」に義務ではないものとの意味を込め、区別して用いている。鄭栄桓が指摘する「償い金」とは本にも書いたように「贖罪金」に近いニュアンスの言葉だ。もちろん日本はこの単語に「賠償」という意味を込めなかったし、私もまた挺対協が使うような意味に準じて、「賠償」という意味を避けて「補償」といってきた。これは基金をただ「慰労金」とみなした者たちへの批判の文脈でだった。「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」(479)という点には、私もまた異論はない。だが鄭栄桓は誤った前提で接近しながら、私が用いた「補償」という単語が「争点を解消」(480)させたと非難する。
 参考に言及するが、日本政府は国庫金を直接使えないという理由から、はじめは間接支援することになっていた300万円すら、結局は現金で支給した。アジア女性基金を受領した60名の韓国人慰安婦たちは実際には「日本国家の国庫金」ももらっていたことになる。依然として「賠償」ではないが、基金がただの「民間基金」だとの理解も修正されねばならない。」

  拙稿の関連する箇所は以下の通りである。

「『帝国の慰安婦』と関連して注目せねばならない点は、ここで朴裕河が国民基金の「償い金」を「補償」と呼んでいることだ。西野瑠美子が指摘したように、日本政府は「国民基金」の「償い金」は「補償」ではないと繰り返し主張してきた。国民基金副理事長であった石原信雄は「これは賠償というものじゃなくて、ODAと同じように、人道的見地からの一定の支援協力ということです」と語った。「償い金」が日本政府の法的責任を前提とした補償ではないということが徐京植の批判の核心であるが、朴裕河は一括してこれらを「補償」と総称してこの争点を解消してしまうのである。」

 つまり、「補償」かどうかは極めて重要な問題であったにもかかわらず、朴裕河は国民基金は実質的な「補償」だったというレトリックでこの対立点を曖昧にしてしまっている、と批判したのである。私が「「賠償」という言葉を問題視する」と朴はいうが、ここをみればわかるように、私が問題視したのは朴の「補償」の恣意的な用い方である。「賠償」の用法を問題視したのは、朴裕河の日韓協定に関する理解を問う文脈においてであり、別問題であるため、これについては後述する。また自らが挺対協の「補償」「賠償」の定義に従っているという主張についても、この「反論」で初めて登場したものであるため、節を改めて検討したい。

 いずれにしても、この項での「補償」をめぐる朴の主張は、相変わらず全く反論の体をなしていない。徐京植はダーバン会議を例にあげて、国民基金は法的責任を否定する「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」を共に守るものだと主張した。一方、朴裕河は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ことに「異論はない」という。だとすれば、少なくとも事実認識のレベルで徐京植と朴裕河の対立は無いはずだ。そして、このような事実認識に立脚するならば、本来朴裕河のすべき反論は、徐の国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」という等式は誤りだ、ではなく、国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」のラインの「和解」で何が悪い、というものでなければならないはずだ。徐は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ということをもって、他の旧宗主国が絶対に譲らない線を日本もまた守ろうとしている、と主張しているのであるから、少なくとも朴のなしうる反論は「それで何が悪い」以外にありえないだろう。


*1 『帝国の慰安婦』のこうした植民地認識の問題を指摘する興味深い書評があった。ペ・サンミ(女性文化理論研究所)「主題書評 慰安婦言説のフェミニズム的転換の必要性」(『女/性理論』31号、2014年11月、図書出版ヨイヨン)は、朴裕河『帝国の慰安婦』は「帝国主義戦争に対する歪曲された理解と、慰安婦制度が[ママ]戦場での女性動員が持つ問題の核心を度外視」している、と批判する(268頁)。「和解」が実現しないのは、朴裕河のいうように「慰安婦」の動員/管理主体(軍or業者)が不明確であることや、女性たちの「誇張された被害」に照明があたったためではなく、日本が帝国主義膨張による植民地支配と、満州事変以後続いた戦時体制下で行った収奪と搾取を認め、それへの反省をしないからだ、と至極まっとうな指摘をしている。他にも「慰安婦」たちが「精神的「慰安者」」としての役割を果たしたという朴の主張についても、日本軍側からの史料や小説をもってそのように規定することの問題点に言及している。後半の上野千鶴子評価には同意しがたいところもあるが、『帝国の慰安婦』評価としてはまっとうな書評であると思う。

 なかでも興味深いのは、朴裕河の矛盾した叙述についての次のような指摘である。

「ところが矛盾することに、著者もまた慰安婦制度が帝国主義膨張政策と相俟ったものであることを知っており、慰安婦制度には米国も例外なく責任を感じねばならないと主張している(280-289頁)。慰安婦制度が帝国主義と密接な関係を結んでいることを知っている彼女が、日本の慰安婦問題の場合は帝国主義への反省と結びつけようとしない理由は、彼女の考える韓国と日本の「和解」像が慰安婦問題における日本の責任を軽減させ、韓国における日本への反感を縮小させ、日本帝国主義自体とその遺産への総体的な反省ではなく、慰安婦個人に極限した謝罪と補償のレベルで慰安婦問題を解決しようとするためだろう。」(269頁)

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-18 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)

2.「反論」の検証②――【2.「方法」批判について】について

 「反論」第二節「「方法」批判について」の検証に入ろう。朴裕河はここで私の「方法」批判について、自らの「方法」を理解せずに批判している、的はずれな批判であると主張する。この節は三つの項に分かれているので、それぞれについて検討しよう。

「1)的外れの物差し
 鄭栄桓は私の本が概念を「定義」せず混乱しているという。だが多くの資料を用いながらも、その本を学術書の形態では出さなかったのは、一般の読者を念頭に置いていたからであり、一般の読者たちは誰もそんな問題提起をしていない。この本が鄭栄桓にとって「読みやすい本ではな」(474)いのは、概念を定義していないためではなく、この本の方法と内容が鄭栄桓にとって馴染みが薄いからだ。」

 一般書に学術書のような定義を求めるのはおかしい、実際、「一般の読者」でそのような「問題提起」をしたものはいない、という批判である。確かに、一般向けの本に学術書レベルの精緻な定義を求めるのは「的外れ」であろう。だが私は朴裕河に学術書レベルの定義を期待したわけではない。「強制動員」や「補償」、「責任」といった、本書のテーマを理解するためには不可欠の、極めて論争的な概念について、最低限の定義をすべきだと指摘したのである。それが無いと著者が何を言いたいのかがわからないからだ。必ずしも「読みやすい本ではな」いとしたのは、そのためである。

 実際に、本書は行論の都合上必要な最低限の定義すら欠いており、そのため誠実な読者ほど混乱に陥る。例えばすでに拙稿で指摘した通り、「強制動員」について朴は極めて特殊な意味で用いているにもかかわらず、全く説明がない。また、国民基金について日本政府が明確に補償であったことを否定したにもかかわらず、実質的な「補償」であるとも書いている。だとすれば著者なりの定義と説明が必要であるのは当然であろう。だがその作業が一切ないため、読み手がそれぞれの概念がいかなる意味で用いられているかを推し量り、再構成しなければならないのである。「本書は読み手に法外な負担を強いる――にもかかわらず得られるものは極端に少ない――驚くべき書物」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)」)と評したゆえんである。逆に書き手には、真意や「意図」を後出しすることで反論に代える怠慢が許される。

 次に移ろう。

「2)貶め
 鄭栄桓は私が慰安婦の差異について言及した箇所を問題視して、「差異があるという主張自体は取り立てて新しいわけではな」(474)く、「数多くの研究が日本軍が占領した地域の慰安婦徴集や性暴力問題にあらわれる特徴を論じている」という。だが私は朝鮮人と日本人のポジションの類似性(もちろん、彼らの間の差別についてもすでにかなり前に指摘した)を指摘しながら、大日本帝国に包摂された女性たちと、それ以外の地域の女性たちの「差異」を指摘した研究を知らない。鄭栄桓の「方法」は、私の本が「売春」に言及したことをもって、実は右翼がすでにした主張だと貶める方法に似ている。だが私の試みは、ただ「慰安婦は売春婦」だというところにあるのではなく、そう主張する者たちに向けて「売春」の意味を再規定するところにある。」

 この「反論」を読んだ者は、私が「朝鮮人と日本人のポジションの類似性」を指摘した研究はたくさんあると主張した、と考えるだろう。朴裕河はそれについて、そのような研究はない、自分が初めて言ったのだと反論した、と。確かに本当に私がそのように指摘したのならば、朴の反論は妥当だ。しかし、朴裕河が引用した箇所を含む段落で、私は次のように指摘した。

もちろん、朝鮮と中国の「慰安婦」にその被害実態において差異があるという主張自体は取り立てて新しいものではない。すでに数多くの研究が日本軍が占領した各地域の「慰安婦」徴集や性暴力問題にあらわれる特徴を論じている。だがこの本の問題は朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある。」(474頁)

 一読して明らかなように、私が先行研究に指摘があるといった「差異」とは朝鮮と中国のそれである。朝鮮と日本ではない。むしろ、本書の特徴として、「朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある」とはっきり書いている。私は正しく朴の主張を理解していると考えているが、どこに問題があるのだろうか。何が「貶め」なのであろうか。「鄭栄桓の「方法」は、私の本が「売春」に言及したことをもって、実は右翼がすでにした主張だと貶める方法に似ている。」という決めつけに至っては、残念ながら私には朴裕河が何を「反論」したいのかすら、この文だけでは理解することができない。
 
 三番目の項、「3)「方法」理解の未熟」は若干長いため、三つに分けて検討しよう。

鄭栄桓は朝鮮人慰安婦の「精神的慰安者」としての役割についての私の指摘が、「飛躍」であり「推測」であるという。だがこれはまず証言で容易に見いだせる。そして私が指摘しようとしたのは、心情以前に朝鮮人慰安婦がそうした枠組みのなかにいたということだ。「国防婦人会」のタスキをかけ、歓迎/歓送会に参加した者たちが、仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。根拠なき「推測」はもちろん排除されねばならないが、あらゆる学問は与えられた資料を通じて「想像」した「仮説」を構築する作業であるほかない。何より私は、あらゆることを証言と資料に基づかせた。本で用いなかった資料も、すぐに他で整理して発表するつもりだ。「同志」という単語を用いたのも、まずは帝国日本に動員され「日本」人として存在したことをいうためだった。」

 自らの「推測」には根拠があり、「飛躍」ではないという。では私が問題にした「飛躍」とは何であったか。拙稿の関連箇所を引用しよう。

「朴裕河は千田夏光が紹介したある日本軍兵士の証言――日本人慰安婦が「立派に死んでください!」と言ったという回顧――を紹介しながら、日本は「帝国の慰安婦」に日本軍兵士の身体的「慰安」とあわせて、精神的「慰安」も求めたが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(朝鮮語版、61頁)と主張する。「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍慰安婦と同様に扱うことはできない。」(朝鮮語版、62頁)という留保をひとまずはしながらも、結論的には日本軍兵士の証言をもとに、その証言には登場すらしない朝鮮人「慰安婦」の意識を推測する飛躍を犯しているのである。

 私のいう「飛躍」の意味は明らかであろう。千田夏光の紹介した証言は、日本軍兵士による、日本人「慰安婦」に関するものである。にもかかわらず、なぜそこから朝鮮人「慰安婦」の意識を「推測」することができるのか。それは「飛躍」ではないのか。これが私の批判の核心である。だがこの問いについて、朴は上にみられるように、全く反論していない。一般論を繰り返すばかりで、「証言で容易に見いだせる」とか、「あらゆることを証言と資料に基づかせた」といいながら、その実、「証言」も「資料」も示していない。なぜ、千田夏光の紹介した日本人「慰安婦」についての証言から、朝鮮人「慰安婦」の意識まで「推測」できるのか。この問いについて朴裕河は誠実に応答すべきである。

 私は本書を読んだとき、これはあくまで朴裕河の想像であり、朴の言葉を借りるならば「根拠なき「推測」」にすぎないと判断した。それゆえに、「この本の問題は朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある」と指摘したのである。個々の証言や資料から実態に迫るのではなく、朴があらかじめ作り上げたストーリーに沿って、証言や資料を解釈しているのである。だからこそ、日本人「慰安婦」に関する証言を、ただちに朝鮮人「慰安婦」にも妥当するものと読んでしまうのだ。この「方法」にこそ、本書の最大の問題がある。

 また、朴は「「国防婦人会」のタスキをかけ、歓迎/歓送会に参加した者たちが、仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。」と「反論」を試みている。おそらく朴はここで、当事者たちは「内心その役割を否定したかった」かもしれないが、「表面的状況に対する解釈」、すなわち客観的には「歓迎/歓送」したと解釈しうる、と言いたいのであろう。

 この主張には二つの問題がある。第一に、このような「表面的状況に対する解釈」は、まさしく表面的にすぎる。普通こうした事実、つまり、(A)「国防婦人会」に動員されて「歓迎/歓送会」に参加した朝鮮人がいたという事実と、(B)内心では「歓迎/歓送」する役割を否定したいと思っていた事実を示す史料があったならば、表面的には動員されているが(A)、動員の際に用いられたイデオロギーを朝鮮人たちは内面化していなかった(B)と解釈すべきであろう。実際、(A)を示す史料は決して珍しくないが(体制のイデオロギーを「表面的」に説明するものであるから当然であろう)、(B)のような史料を見出すのは容易ではない。それはみながイデオロギーを「内面化」していからではなく、民衆の心性の記録はなかなか残されないからである。戦時体制期であればなおさらだ。それゆえ貴重なのである。にもかかわらず、朴は(B)のような事実よりも、(A)を重視するというのだ。まさしく「表面的」解釈である。

 第二はより深刻である。上に引用した『帝国の慰安婦』の記述を読めばわかるように、朴は明らかに、元「慰安婦」たちが「内心」において、「「精神的「慰安」者としての役割」への「(多少無理な)矜持」を持ち、それが「彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえた」と「想像」している。「内心その役割を否定したかった」ことを指摘したわけではない。「内心」において、生きるために「「慰安」者としての役割」を引き受けた、と主張したのだ。よって「仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。」という「反論」は、全く反論になっておらず、それどころか従前の自らの主張を大幅に変更しているのである。自らの解釈の誤りに気づいたならば、それを明らかにすべきである。こっそり変えるような真似をすべきではない。もしこの「反論」が自らの従前の主張とは異なることに気づいてすらいないとすれば、なおさら問題は深刻であるが。

 検証を続けよう。朴裕河は次のようにいう。

「鄭栄桓は軍人に関する慰安婦の「追憶」を論じた箇所をあげて、「追憶」とそれに対する「解釈」とに「遠い距離がある」(475)と批判する。だが学者の作業は「個別的な例」を分析して総体的な構造をみることだ。私が試みた作業は、「証言の固有性が軽視」されるどころか、この間埋もれてきた一人一人の証言の「固有性を重視」し、結果を導き出すことだった。「対象の意味」を問う作業に自らが習熟していないからといって、他の者の作業を貶めてはならない。
 同じ文脈で鄭栄桓は「日本人男性」の、それも「小説」の使用という「方法それ自体に大きな問題がある」(475)と批判する。こうした批判は、日本人男性の小説はその存在自体が日本に有利な存在であるかのように考える偏見が生み出したものだが、私は日本が慰安婦をいかに過酷に扱ったかを説明するための箇所で小説を用いた。慰安婦らの残酷な生活が、他でもない慰安婦を最も近くでみていた軍人たち、後に作家となった者たちの作品のなかにあらわれるからだ。いわば日本人たちに向けて、自身らの祖先が書いた物語であることをいうために、慰安婦の証言が嘘であるという者たち向けて、証言に力を与えるための「方法」として用いたにすぎない。鄭栄桓は歴史研究者たちによくみられる「小説」軽視の態度をあらわにしているが、小説が、虚構の形態を借りてときに真実以上の真実を明らかにするジャンルであることは常識でもある。」

 拙稿の該当箇所は上にあげた段落に続くもので、次の通りである。

「裁判で問題となった「同志的関係」を論じる方法もそうだ。証言と小説をもとに日本軍と「同志的関係」があった、「同志意識があった」との解釈をするが、ある個人が日本軍人の追憶を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的関係」にあったという解釈のあいだには、あまりに遠い距離がある。証言の固有性が軽視されているのである。日本人男性の小説を通して朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、それも日本軍との「同志意識」の存在を論じる方法自体に大きな問題がある。」

 朴裕河は、ここでも私の問いに何ら具体的に答えていない。しかも朴は、あたかも私が小説という表現形式そのものの「真実」性を否定しているかのように問題をすり替えている。『歴史批評』論文では、目次をみればわかるように本書の日韓協定理解への批判を第一の目的とした。このため紙数の都合上、「同志的関係」への批判は具体的な例をあげて行うことができなかった。私はあくまで具体的な小説作品におけるエピソードの扱い方を問題にした(ブログでは指摘したので、それは朴も理解していると思うのだが)のだが、この結果、朴の幼稚な言い逃れを許すことになってしまったのは本当に残念である。

 私がここで念頭に置いているのは、本書における古山高麗雄の小説の扱い方である。朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介して、次のように指摘した。

「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(『帝国の慰安婦』朝鮮語版、75頁)

 だがここで朴は、「古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について」)。

 朴裕河は「小説が、虚構の形態を借りてときに真実以上の真実を明らかにするジャンル」であるという。確かにそのような例もあろう。だが私が問うているのは、一般的な小説の真実性如何ではない。なぜ、古山の小説に描かれた朝鮮人「慰安婦」像から、現実の朝鮮人「慰安婦」たちに「同志意識があった」ことを主張できるのか、という具体的な問題である。この問いに答えるべきである。「歴史研究者たちによくみられる「小説」軽視の態度をあらわにしている」云々といった揶揄でもって、ディシプリンの差異へと問題をすりかえるべきではない。

 むしろ私は、本書に対して文学研究者からの異論や批判があらわれないことが不思議で仕方がない。小説の描写をただちに現実を表現するものと捉え、それを歴史的な現象の解釈にあてはめるようなナイーブな「文学」観は、端的に言って文学研究の素人のそれではないだろうか。フィクションであるところの小説から、いかなる歴史に関するリアリティを導き出し、解釈するのか。その方法こそが文学研究者の腕の見せ所であると文学研究の素人である私は想像するのであるが、朴の古山の小説の論じ方には、そうした痕跡を全く見いだせない。ただ、古山の小説の描写を引用し、そこから、「事実」を推し量るだけだ。これは「文学研究」なのだろうか。文学研究者の方々にぜひ教えていただきたい。

 「反論」第二節の最後の箇所を引用しよう。

「鄭栄桓は、自身の状況を「運命」であると語った慰安婦を私が評価したことを批判するが、慰安婦の証言に対する評価もまた「固有性を重視」することだ。「運命」という単語で自身の状況を受け入れる態度を私が評価したのは、世界に対する価値観と態度に肯定的な何らかのものを見出したからだ。個々人の価値観から生じるそうした「評価」が否定されねばならない理由もないが、それと反する態度への批判が慰安婦の「痛みに耳を傾ける行為とは正反対」(476)となるものではない。学者であればむしろ、証言に対する共感に留まるのではなく、付随的な様々な状況を客観化できねばならない。加えて嘘の証言すら黙認するという話ではないはずだ。そうした状況に対する黙認はむしろ解決を困難にする。
 何より、私が「運命」だと語った選択を評価したのは、ただ、そのように語る慰安婦が存在した事実、しかしそうした声が聞こえてこなかったという事実を伝えなかったためにすぎない。日本を赦したいと語った彼女の声を伝えたのも同じ理由だ。私は「異なる」声を絶対化しなかったし、鄭栄桓のいうようにただ「耳を傾けた」だけだ。そうした声がこの間あらわれえなかった理由は、他の声を許容しない抑圧が、彼女たちにも意識されていたからだ。さらにいえば、鄭栄桓のいう「証言の簒奪」はむしろ、鄭栄桓のような態度と思考方式をもつ者によって生じるというのが、私がこの本で指摘したかったことでもある。
 よって私の「方法」が「倫理と対象との緊張関係を欠いた方法」であり「歴史を書く方式として適切ではない」(476)という批判は、私の「方法」を理解できないところから来た批判であるにすぎない。」

 ここでも朴裕河は、私の批判を誤って理解しているようだ。私は次のように書いた。

「この「証言」を最大限評価する反面、「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と「証言」したある女性には、「〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉」、「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」、「屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義」と最大限の罵倒をする(299-300頁)。こうした文章を書く方式は、「証言」の痛みに耳を傾ける行為とは正反対の、「証言」の簒奪行為ではないか。」

 私は「自身の状況を「運命」であると語った慰安婦を私が評価したことを批判」したわけではない。なぜ天皇を批判したこの女性は、ここまで朴に罵倒されねばならないのか、と問うたのだ。結局朴はただ「耳を傾けた」のではなく、「運命」と許す声と、天皇を許さないとした声を選別しているのではないか、という問いである。また、奇妙なのは、朴の「加えて嘘の証言すら黙認するという話ではないはずだ。そうした状況に対する黙認はむしろ解決を困難にする」という「反論」である。これは何を指しているのだろうか。管見の限りでは、本書で朴は、「嘘の証言」なるものについては何も書いていない。誰かが「嘘の証言」をしている、ということなのだろうか。これだけでは全く意味が不明である(*追記参照)。

 以上みたように第二節でも、朴裕河は抽象論と揶揄・皮肉をくり返すだけで、私の批判に一切まともに答えていない。

*追記

 ようやく『歴史批評』最新号を手に入れたので確認したところ(facebookの「反論」では注が省略されている)、上記の「嘘の証言」に関する文に付した注で、朴裕河は次のように記していた。

「李容洙ハルモニの証言はこの20数年間、何度か変わった。最近、過去の証言集に対する不満を吐露したが、これは証言の不一致を指摘されたからと考えられる。http://www.futurekorea.co.kr/news/articleView.html?idxno=28466」

 つまり、朴裕河の言う「嘘の証言」とは李容洙氏の証言を指すようだ。ちなみに、「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と語ったのは李容洙氏である。朴裕河が引用した『未来韓国』の記事は、李容洙氏の「証言集への不満」について次のように紹介する。

「李容洙ハルモニは挺対協が1993年に出版した証言集への不満も吐露した。証言の聴取を不誠実に行い、日本に行き証言した時にも通訳がまずく慰安婦となった経緯が事実とは異なるかたちで伝わったというのだ。
「証言は私の命のようなもの。それなのに挺対協の担当者たちは本人に確認もせずに事実とは違う証言集を出し、6500ウォンで販売までした。証言を聞きたいならば、静かなところで正式にするべきなのに、食事をしながら「ハルモニ、どこに行って来たの?」と質問して答えたのが大部分です。それで証言にはちぐはぐなところが多いのです。」」

 ここからは、李容洙氏の「不満」とは、「慰安婦」となった経緯に関するものであることがわかる。経緯の証言の変化、不一致を「嘘の証言」などと断じることができるのかそもそも疑問であるが、変化や不一致があるからといって「〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉」、「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」云々といった罵倒が許されるわけではあるまい。李容洙氏が「慰安婦」被害者であることには変わらないのであるから「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と主張するのは当然ではないのだろうか。それとも朴裕河は、李容洙氏の証言の総体が「嘘」であるとでもいうのだろうか。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-09-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(1)

 韓国の歴史学術誌『歴史批評』112号に朴裕河氏(以下、敬称略)の反論が掲載された(朴裕河「日本軍慰安婦問題と1965年体制――鄭栄桓の『帝国の慰安婦』批判に答える」『歴史批評』112号、2015年秋、以下「反論」と略す)。 「反論」の目次は以下の通りである。

1.誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」
 1)慰安婦問題に関する日本国家の責任に対する立場
 2)韓日協定に対する立場
 3)方法について(以上、(1)で検証)
2.「方法」批判について
 1)的外れの物差し
 2)貶め
 3)「方法」理解の未熟
3.『和解のために』批判について
 1)道徳的攻撃の問題
 2)誤読と歪曲
 3)総体的没理解
4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬
 1)慰安婦問題に関する責任について
 2)憲法裁判決について
 3)韓日会談について
5.生産的な談論のために

 「反論」は私の批判への反駁であると同時に、私の批判のあり方への批判も含んでいる。だが「反論」における朴裕河の反駁のあり方は、『帝国の慰安婦』における著者の「方法」の欠陥を改めて浮き彫りにしたと私は考える。率直にいって『歴史批評』編集委員会は、本人のためにも、もう少し意味のある反論になるよう意見をつけて返却すべきだったのではないかと思う。

 検証に先立ち指摘しておきたいが、朴裕河は『帝国の慰安婦』への批判的指摘の深刻さをもう少し真摯に受け取るべきなのではないだろうか。少なくとも私は、『帝国の慰安婦』が一般向けの歴史書(この本は学術書ではない)としての最低限のモラルすら欠いた欠陥品である、と主張し、研究者としての倫理を疑うような批判を放っているのである。相応の検証の末に、あまりの酷さに愕然とし、全面的な批判の論評を『歴史批評』に掲載したのである。

 しかし、今回の「反論」もまた、残念ながらあまりにレベルが低く、まともな反論になっていない。問われていることの深刻さは、批判を中途半端に切り貼りし、適当に皮肉を織り交ぜつつコメントすることで「反論」できるような次元のことではない。まず自らへの批判を丹念に読み、そして何より、自らが何を書いたかを仔細に再検討すべきである。そうでなければ生産的な論争など成り立ちようがない。手遅れかもしれないが、朴裕河には批判に誠実に向き合うよう、改めて強く求めたい。

 ただ、そういった朴裕河の杜撰さも含めて「反論」それ自体を検証することは、いまだに朴への幻想を抱いている日本語圏の人々にとってもそれなりに有益であろうと思う。以下に、「反論」を詳しく翻訳・紹介しながら、私の批判に答えたものになっているのか、「反論」たりえているのかについて、順を追って検証したい。なお、拙稿「日本軍『慰安婦』問題と1965年体制の再審判 朴裕河の『帝国の慰安婦』批判」の目次は以下の通りである。基本的にはブログで連載してきた『帝国の慰安婦』批判を基に再構成し、韓国向けに加筆修正したもので大きな変更はない。

1.はじめに
2.『帝国の慰安婦』の「方法」について
3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』
4.『帝国の慰安婦』の韓日協定理解の誤謬
 1)『帝国の慰安婦』の憲法裁判所決定批判の論理
 2)争点の錯誤
 3)韓日会談論の問題点① 権利を抹消したのは韓国政府?
 4)韓日会談論の問題点② 「経済協力」は「戦後補償」なのか?
5.おわりに

1.「反論」の検証①――【1.誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」】について

 「反論」はあわせて五節で構成される。まずは第一節の「誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」」からはじめよう。ここで朴裕河は反論に先立ち、私が『帝国の慰安婦』を批判したことそれ自体を問題視する。「反論」は次のように始まる(なお、以下では「反論」からの引用は青字で示す。強調は引用者。)。

「在日僑胞学者鄭栄桓が私の本『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘争』への批判を『歴史批評』111号に掲載した。まずこの批判の当為性について語る前に、批判自体に遺憾を表明したい。なぜなら、私は現在この本の著書として告発されている状態であり、そうである限り、あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになるからだ。
 実際に、2015年8月に提出された原告側文書には、鄭栄桓の批判論旨が借用されていた。[中略]私への批判に加わった学者・知識人たちがこうした状況を知ってか知らずか、私は知り得ない。だが批判をしたいのであれば、訴訟を棄却せよという声をまずあげねばならないのではないか。それこそが「法廷に送られた学術書」に対して取るべきであった、「学者」としてなすことでなかったか。」

 私の考えは朴裕河とは異なる。「あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになる」という決めつけを学術誌で表明できる感覚は、そもそも私には理解できないが、朴裕河が9人の元「慰安婦」被害者たちに「人格権と名誉権」を侵害したとして告発されたことと、公的な言論の空間で『帝国の慰安婦』を論評することは全く別の次元の問題である。私が『帝国の慰安婦』を論評する自由は、元「慰安婦」被害者の告発によっても妨げられはしない。しかも、本書は日本語でも出版されており、日本と韓国の読者を主たる対象とした本書について、告発を理由に論評を控えねばならない理由はどこにも存在しない。

 確かに私は9人の被害者たちの主張の多くに賛同するが、告発それ自体を批判する立場からしても、「人格権と名誉権」の侵害かどうかが争われる法廷での議論を離れて、本書が総体として公的な言論空間で論評されることは著者にとって望ましいことなのではないか。そして、仮に「この本の著書として告発されている状態」であるから論評をするなというのならば、本書を賞賛する論評に対してもまた、朴裕河は同様の「遺憾を表明」すべきではないのか。朴の「遺憾」の表明は次元の異なる問題を持ちだした不当なものである。

 続けて朴裕河は次のように記す。

「早くから始まりついにはハンギョレ新聞にまで引用されて私に対する世論の批判に寄与したにもかかわらず、鄭栄桓の批判にこれまで答えてこなかったのは、彼の批判が誤読と曲解に満ちたものだったからだ。彼の文章は、彼が私が行ったと主張した「恣意的引用」によって綴られたものであり、結論が先にあり、敵対を前提にしており、実際、読むこと自体が憂鬱であった。よって、具体的な反論に入る前に、まず私の立場と論拠を確認しておくことにしよう。」

 私の批判は「誤読と曲解に満ちたもの」であり「恣意的引用」によって綴られ、「結論が先にあ」る、という。だがこの指摘は誤っているうえ、反論に際して朴は再び「恣意的引用」を繰り返し、生産的な議論を妨げている。以下に具体的に検証しよう。

 朴裕河の第一の反論は、自らは日本国家の責任を追及しているのに、あたかも責任を否定したかのように歪曲する、というものだ。以下、いかに私が朴裕河の主張を「歪曲」しているか、という「反論」が続く。

「鄭栄桓は私が「日本国家の責任を否定」(482-483頁、以下「頁」は省略)したとして、「植民地主義批判が無い」(492)ために、「植民地支配責任を問う声を否定しようとする「欲望」にこの本はよく呼応」するといい、甚だしくは「歴史修正主義者たちとの隠密な関係を検討せねばならない」(491)とまでいう。だが私は慰安婦問題において、日本国家の責任を否定しなかった。私が否定したのは「法的」責任であるに過ぎず、当然ながら日本国家の責任を問うた。日本語版では「国会決議」が必要だと書きもした。にもかかわらず鄭栄桓は、こうした部分に沈黙するのみならず、「歴史修正主義者」という、韓国で批判されている存在を呼び出し、彼らと同じような存在であると考えさせるような「歪曲」を、自身の批判の「方法」として用いる。」

 このパラグラフでは、私の批判から三箇所が引用されている。それぞれの箇所を以下に引用しよう。まずは「日本国家の責任を否定」の箇所から(太字は朴の引用箇所)。

「朴裕河の「決定」批判の特徴は、以上見たように日本軍「慰安婦」制度について、事実関係のレベルで日本国家の責任を否定するところにある。だがこうした論理の基底には、憲法訴願の争点についての錯誤がある。元来、憲法訴願の争点は日本軍「慰安婦」制度についての日本国家の責任の有無ではなく、韓日請求権協定第三条が基底した「解決のための措置」を韓国政府が採らなかったという不作為が、憲法違反かどうかにあった。だが朴裕河は『和解』の論理を踏襲し、「業者主犯説」を展開して日本国家の責任を否定した。前述したように、朴裕河は日本軍の責任はどこまでも「需要」を作り出した責任、あるいは人身売買を「黙認」した責任にあり、こうした行為についても法的責任を問うことはできない、と主張する。」(拙稿「日本軍『慰安婦』問題と1965年体制の再審判 朴裕河の『帝国の慰安婦』批判」、482-483頁)

 「私が否定したのは「法的」責任であるに過ぎず、当然ながら日本国家の責任を問うた」と朴はいう。確かに責任を問うかのような記述はある。だが仔細に読むとそれは業者を主犯として、日本軍の責任を「需要」創出と人身売買「黙認」に限定するものだ。それは日本軍「慰安所」制度への誤った理解に基づくものではないのか。これが私の批判の論旨である。私は朴が日本国家の責任を「慰安婦」の「需要」を作り出し、人身売買を「黙認」したことに限定し、かつこれらの行為についても法的責任を否定した、と正確に要約している。あたかも責任を問うかのように書いているが、実際には日本国家の直接的な責任を否定し、しかも限定的に認めた「需要」「黙認」についてすら、法的責任を否定しているではないか、と私は問うたのである。これは歪曲ではなく、批判である。

 次に「植民地主義批判が無い」以下の箇所について。私は次のように書いた。

「『帝国の慰安婦』の流通と消費の構造もまた上のような徐京植の指摘を避けては理解できないだろう。「民主主義者」としての「名誉感情」を維持したまま、植民地支配責任を問う声を否定しようとする「欲望」に、この本はよく呼応しているからだ。わかりやすい歴史修正主義者とは距離を置く「リベラル」知識人たちと歴史修正主義の隠密な関係を検討せねばならない
 『帝国の慰安婦』は表面上は従来の戦争責任論の限界を克服し植民地支配責任の観点から日本軍「慰安婦」問題を論じた著作のようにみえる。だが、この本が主張する内容の核心に植民地主義批判はない。韓日会談を論じる際、朴裕河は韓国政府がどれほど植民地支配の補償を求めなかったかを強調する。これは筆者も同意する事実だ。にもかかわらず朴裕河はこの「1965年体制」を再審しようとする傾向を批判しながら、むしろ「いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すこと」「そのような時代的限界を検証し補うこと」(252-253頁)であると説く。」(同上、491-492頁)

 ここでも私は、『帝国の慰安婦』には、一見すると植民地主義を問うような叙述があるが、実際には異なるものである、と批判している。朴の議論を紹介したうえで、それを批判しているのであり、「歪曲」しているわけではない。「日本国家の責任を問うた」ことに「沈黙」など全くしておらず、むしろ長々と朴の議論を紹介したうえで、そのレトリックの詐術を暴いているのである。主張を誤ったかたちで紹介すること(歪曲)と、主張に同意しないこと(批判)の違いを、朴は理解していない

 続けて朴裕河は次のように反論する。

「鄭栄桓の言うとおりならば、この本に対する日本人たちの反応――「この問題提起に日本側がどのように答えていくのかという問いが私たちに向けられている」(杉田敦、書評、朝日新聞2014.12.7)、「どこでもあったことだと日本が強弁せず、帝国主義膨張を越える思想を新たに提起できるならば世界史的意義は大きいのではないか[という朴裕河の問いに]私は反対する理由を考えられない」(山田孝男、コラム、毎日新聞2014.12.21)、「私はこの本を読んで慰安婦のお婆さんたちに対する痛い気持ちが一層深まっただけだ」(若宮啓文、コラム、東亜日報2014.7.31)――はみな誤った書評だという話になる。ある右派は私の本が戦争責任の枠組みでのみ扱われてきた慰安婦問題で、植民地支配責任を問おうとするものだといって「日本の左派より怖い本」だといったり、「固陋とした支配責任論を持ち出してきた」と非難すらした。」

 このパラグラフに典型的にあらわれているように、朴はしばしば、進歩メディアの××が評価しているのに私を右翼だというのか、とか、逆に、右翼の××が私を批判するのに歴史修正主義だというのか、といった論法での「反論」をする。だが朴裕河批判の多くは、産経・文春的な歴史修正主義のみならず、朝日・岩波的なリベラルを批判している。朴が『産経』的な右翼であるとだけいっているわけではない。その『朝日』的な言論を批判しているのである。それは朴自身がよくわかっているはずである。「リベラル」による賞賛記事を持ちだしても何の「反論」にもならない。

 ついでにいえば、『帝国の慰安婦』の出版元=朝日新聞出版と同系列の朝日新聞や元朝日記者の若宮の好意的書評を紹介しても、一般的にはただの「宣伝」と受け取られるだけだろう。また、『週刊文春』で秦郁彦が朴裕河の主張は自らと同じものと褒めていたが、それはどうなるのか。そもそも、紙数を充分に与えられなかったと憤るならば、誰それに褒められた/けなされたから、といったことで自らの主張を飾り立てるような幼稚な「反論」など載せないほうがよい。言論は社交ではないのである。ちなみに、朴裕河の言うとおり、私はこれらの論評における『帝国の慰安婦』の評価は誤っていると考えているので、このパラグラフに異論はない。

 朴はさらに「歪曲」の実例として、次のように記す。

鄭栄桓は同じ方法で私が「韓日合邦を肯定」したと書く。だが私は韓日合邦無効論に懐疑を示しながらも、「もちろん現在の日本政府が慰安婦問題をはじめとする植民地支配に対する責任を本当に感じるのであれば、そしてそれを敗戦以後国家が正式に表現したことが無かったという認識がもし日本政府に生じたならば、「法的」には終わった韓日協定だといっても、再考の余地はあるだろう。女性のためのアジア平和国民基金の国内外の混乱は、その再考が源泉的に排除された結果でもある」(『和解のために』235)と書いた。私は韓日合邦も韓日協定も「肯定」していない。」

 朴裕河には、引用でもないのに引用符を用いる、という研究者としては致命的な悪癖がある。この箇所を読んだ者は当然ながら、私が、朴が「韓日合邦を肯定」したと書いたと思うだろう。だが驚くべきことに、私はこんなことは書いていないのである。実際この引用には頁数が記されていない。存在しないから当然である。そもそも私は「韓日合邦」などという表現は用いない。私が「併合」の問題に言及したのは以下の箇所である。

「ところで金昌禄によれば、こうした韓国政府の「経済協力=賠償」論は、韓日基本条約第二条の解釈と関連があるという。韓国政府は第二条をはじめから韓国併合条約が無効であることを表現したものとして解釈し、「併合無効論」を前提にした「経済協力」であるため、「賠償」であるという解釈を採ったのである。『帝国の慰安婦』では、朴裕河は「併合」が法的に有効であることを繰り返し主張しているため、1965年当時の韓国政府とも立場は異なる。」(488頁)

 これがどうして「韓日合邦を肯定」という話になるのだろうか。朴は韓国併合条約が無効であることを認めない、と書いただけだ。「韓日合邦無効論に懐疑を示し」たことは、当の朴自身が認めている。しかも、朴の紹介する『和解のために』からの引用は、「併合」条約に関する主張ではなく日韓協定についての説明であって、何らの「反論」にもなっていない。しかも、こうした杜撰な「反論」をもとに、朴裕河は次のような主張を展開する。

「私は慰安婦を作り出したのは、近代国民国家の男性主義、家父長主義、帝国主義の女性/民族/階級/売春差別意識であるため、日本はそうした近代国家のシステムの問題であったことを認識し、慰安婦に対し謝罪/補償をすることが正しいと書いた。にもかかわらず鄭栄桓は「朴裕河は韓日合邦を肯定し、1965年体制を守護しており、慰安婦のハルモニの個人請求権を認めない」というのである。私は「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える。
 鄭栄桓の批判の「方法」は、徐京植や金富子ら他の在日僑胞たちの私の批判の方式と非常に似ている。彼らもまた、『和解のために』の半分が日本批判であるという事実に言及せず、私を「右翼に親和的な歴史修正主義者」というようにいってきた。」

 ここでも、引用でもないのに引用符を用いる悪癖があらわれている。後述するが、朴裕河が元「慰安婦」女性たちの対日賠償請求権を認めていないのは、『帝国の慰安婦』の叙述を読めば明らかである(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)」も参照)。また、韓日協定の再協商を否定し、協定の枠内での交渉を求めた憲法裁決定すら認めないのも同様である。「韓日合邦を肯定し」た云々は馬鹿げた「歪曲」であるが、併合条約の不法性を認めないのも上にあるように事実ではないか。朴裕河の主張を要約して紹介し、かつそれを批判的に論評したことが、なぜ「犯罪レベル」なのか。朴がそこまで主張するのならば、私の批判がいかなる「犯罪」を構成するのか、説明すべきであろう。この箇所は私に対する名誉毀損であるというほかない。

 また、私は「『和解のために』の半分が日本批判であるという事実に言及せず」に批判したわけではない、言及したうえで、その批判のあり方を批判したのである。それは、上にあげたいくつかの引用を読めば明らかである。事実に言及していないのではない。朴の主張を承認していないだけだ。両者を混同してはいけない。

 「反論」第一節は残すところ三つのパラグラフとなった。以下に引用する。

「鄭栄桓は私が「1965年体制の守護を主張」(492)しているという。だが再協商が無理だという考えが、ただちに「守護」になるわけではない。実際、私は日本に向けて書いた箇所で韓日協定は植民地支配への補償ではなかったと書いた。鄭栄桓がいうような「守護」どころか、その体制に問題があるとはっきりと指摘した。韓国政府が請求権を無くしてしまったことを指摘したのは、1965年体制を「守護」するためではなく、自身らがしたことへの「責任」意識が伴わねばならないと考えたためだ。」

 協定への評価については、第二節以降で本格的に論じているので、ひとまず措く。第一節の締めくくりとして、朴裕河は次のように指摘する。

「鄭栄桓とは異なり、批判したいと考えるほど、自らも省みるのが私の「方法」である。歴史学者や法学者には馴染みのない方法かもしれないが、問題それ自体以上に、両国の「葛藤」の原因と解消に関心が大きい研究者として必然的な「方法」でもある。
 鄭栄桓は日本語版と韓国語版が異なることに、陰険な「意図」があるかのようにいうが、この本が対立する両国国民らに向けて可能な限り事実に近接した情報を提供しながらも、「どう考えればよいのか」に重心を置く本である以上、日本語版が日本語読者を意識して「再び」書かれたのは当然のことだ。また、時々刻々悪化する韓日関係を眺めながら、可能な限り早く出さねばならないという考えにとらわれた韓国語版には、当然ながら粗い箇所が多かった。よって日本語版を書いたときにそれらを修正するのも当然のことだ。「韓国の問題」、「日本の問題」を別に見ることができるよう構成を変えたのも、そうした脈絡からであるに過ぎない。」

 「方法」云々はくだらない言葉遊びなので相手にする必要はあるまい。しつこいようだが、ここでも引用でもないのに、引用であるかのように引用符を用いる悪癖が出ている。私は朝鮮語版と日本語版での書き分けに、「陰険な「意図」があるかのようにい」ってはいない。「意図」という言葉自体、私は使っていない。読者が異なる以上、朝鮮語版と日本語版で内容が異なる場合があるのは当然であろう。あたかも私が書き分けたことそれ自体を批判したかのように書くのは、それこそ歪曲である。かつて書いた指摘を再掲する。

「その前に、本書を「読む」上で、筆者の主張の再構成や矛盾の指摘、そして日本語版と朝鮮語版を比較対照することがいかに重要かについて記しておきたい。言うまでもないことだが、日本語版の刊行に際して加筆や修正を加えることは当然ありうることだ。修正を行ったこと自体を批判するつもりは全くない。これまでの作業は、あるいは悪意をもって朴の主張を歪曲するためにあえて重箱の隅をつついているにうけとられるかもしれないが、私からすれば筆者の主張の再構成という作業抜きに本書を「読む」ことが出来てしまう方が不思議である。

 論旨の再構成と矛盾の指摘という作業が重要な意味を持つのは、本来これらの前後矛盾や不整合、自家撞着は本書の欠陥を示すものにすぎないにもかかわらず、ある局面においては、本書への批判を無効化する機能を果たすからである。AとBという相対立する叙述が同居することは、普通に考えれば単なる欠陥である。だが雑多な情報が不整理のまま盛り込まれ、明瞭さが著しく欠如している場合、A批判に対しては「Bとも書いている」と言い返し、B批判に対しては「Aとも書いている」と言い返すことであたかも反批判をしているかのような外観を取り繕うことが可能になることがある。本書はまさにその典型例といえる。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)」

 また、朝鮮語版と日本語版の双方を読んだ立場からいえば、後者よりも前者のほうがはるかに内容としては整っている。「韓国語版には、当然ながら粗い箇所が多かった」というが、日本語版のほうが粗さが増しているのである。『歴史批評』論文では紙数の都合上省略せざるを得なかったが、これまでの記事を読んでいただければ、日本語版がなぜ原書に輪をかけて支離滅裂なものになったかがわかると思う。

 以上、全五節の「反論」のうち、第一節についてほぼ全文を引用して検討した。この「反論」には、『和解のために』批判への反論と同様の、朴の手法が典型的にあらわれている。日本を批判しているのに、あたかも歴史修正主義者や右翼のように扱う批判者は、私の主張を歪曲している、という「反論」である。だが、こうした「反論」は上に見たように、完全に破綻している。また、恣意的な引用にとどまらず、「反論」では引用らしきものの創作すら行っている。『帝国の慰安婦』で露わになった問題点が、再び噴出しているのである。

(鄭栄桓) 

by kscykscy | 2015-09-15 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の徐京植批判について

 朴裕河の反論の検討に入る前に、せっかくなので朴裕河「批判が志向する場はどこなのか?――鄭栄桓の『帝国の慰安婦』批判に答える(1)」(以下、「反論(1)」)にも触れておこう。これを読むと朴裕河の議論のスタイルがよくわかる。私への反論をはじめるにあたり、朴は自らへの批判を「理解するためのヒント」として、以下のような「構図」を紹介する(以下、[]内は引用者注)。

「私は彼[ここだけはおそらく私を指す]とは、私が最も関心を抱き、また発表もした日本のある研究会で2000年代初頭に出会った。その研究会は日本の在日僑胞問題、沖縄問題など帝国日本が生み出した様々な問題に対する関心が高い場であったし、何より知的水準が極めて高い場であったため、その存在を知ってからは企画があれば参加していた。文富軾、鄭根埴、金東椿などが、その研究会が関心を持ち招待されたこともある人々だった。

 徐京植もその研究会でとても大事な存在であることはただちにわかったし、私もまた彼に好感を持っていたため彼と本を交換もした。ところが私が在日僑胞社会の家父長制問題について発表すると、彼らの態度は変わった。徐京植は「ジェンダーより民族問題が優先」だと露骨に言ったこともあった。当時の研究会メンバーたちの間では、公式の場ではそうした徐京植を批判しなくとも、私的な席では徐京植を批判した者もいた。

 いわば徐京植、尹健次、そしていまや鄭栄桓に代表される私への在日僑胞たちの批判は、基本的には「ジェンダーと民族」問題をめぐるポジションの差異から生じるものだ。興味深いことに、私に公式的かつ本格的に批判を行ったのは、みな男性の学者たちだった。女性である場合は、金富子や尹明淑ら慰安婦問題研究者に限られる。この構図をどう理解するかが、私と彼らの対立を理解する第一のヒントになるだろう。韓国で徐京植から始まった私への批判に加勢した学者たち――イ・ジェスン、朴露子、尹海東ら――もみな男性の学者だった。(もちろん、女性の学者、あるいは女性学専攻の者たちのはかにも訴訟に反対したり、私に好意的に反応した者は極めて珍しかった。)

 後にも書くが、彼らの批判は約束でもしたかのように、私の論旨が「日本を免罪」するという前提から出発する。鄭栄桓が繰り返し強調するのもその部分である。」

 念のため確認しておくが、この文章の副題は「鄭栄桓の『帝国の慰安婦』批判に答える」である。だがこの調子で「反論(1)」はひたすら徐京植の話が続く。「あえてこの文章で徐京植に言及する理由は、鄭栄桓が『和解のために』を批判する際に徐京植の批判を持ちだしたから」ということのようだ。

 朴はここで、〈在日社会の家父長制を批判する私 vs 「民族問題が優先」だという在日の男(徐京植)たち〉という構図を提示して批判者に「家父長制批判を許さない民族主義者」のレッテルを貼っている。だが、これはあまりに乱暴な単純化である。大体、私を批判したのは「みな男性の学者だった」、但し慰安婦問題研究者除く、とはどういうことなのだろうか。それでは「みな男性の学者」ではないのではないか。イ・ジェスンや朴露子からの批判もあるなら「在日僑胞たちの批判」でもないではないか。提示した直後に破綻するような粗雑な「構図」など、何の「ヒント」にもならない。

 何より、徐京植の議論をあまりに歪めている。2000年代前半の徐は「ジェンダーより民族問題が優先」などという粗雑な議論はしておらず、むしろ植民地支配が二つのカテゴリーによる複合的な差別を生み出し、解放後の在日朝鮮人たちも二重の桎梏のもとにあったことを指摘していた。「慰安婦」問題についても、1998年の文章で徐京植は次のように書いている。

「憤り、悔しさ、悲しさ、申し訳なさ、それらすべての入り混じった思いに胸が詰まる。――十六歳の少女に加えられた凄まじい暴虐に。国家意志によって、組織的に、何千、何万という女性たちに対して、こうした暴虐が加えられたことに。それが当たり前だと考えていた植民地支配者の民族差別と性差別に。それ以上に、現在なお、それを当たり前だと考えて疑わない人々がこんなにも多くいることに。「慰安婦」の存在を知識としては知っていながら、こんなにも長い間、具体的なことは何もしてこなかった私自身の罪深さに。そして、日本の国家犯罪の「手先」となって同胞の少女を売買し、殴打し、搾り取り、寄生虫として私腹を肥やした「サイ」や「コウ」、その他多数の朝鮮人犯罪者にも。
 朝鮮人の「手先」がいたからといって、「元締め」である日本国家の責任はいささかも減免されない。「『慰安婦』を連行した業者の中には『朝鮮人』もいた」などという、民族差別意識につけこんだ責任のがれは許されてはならない。同時に、いかに「元締め」の罪が大きかろうと、「手先」には「手先」なりの罪がある。「元締め」の罪を追及するためにも、これら朝鮮人内部の犯罪者の追及は私たち朝鮮人自身の手でやりとげなければならない。」(「母を辱めるな」、『ナショナル・ヒストリーを超えて』東京大学出版会、1998年、引用は『半難民の位置から』影書房、2002年、31頁より)

 この文章からもわかるように、朝鮮人「業者」の問題を指摘したのは別に朴裕河が初めてではない。強制連行の有無という論点の問題点についても、すでに同じ文章で徐京植は「日本による朝鮮「併合」そのものが「強制」だった。あの時、すべての朝鮮人が大日本帝国の臣民へと「強制連行」されたのだ。それ以上、どんな詮索が必要だろうか。」(35頁)と指摘している。朴裕河は「批判者たちは私の本は決して引用しない。最近ではこの問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている。」と憤激するが(「反論(2)」)、その理由は簡単である。朴裕河に教えられるまでもなく、上にあげた徐京植をはじめとして、1990年代に朴裕河の議論よりもはるかに本質的な指摘があったからだ。二番煎じを引用する必要はない。むしろ朴裕河はこうした議論を横領して歪曲したからこそ、その横領と歪曲に批判が集中するのである。当然のことだろう。

 そもそもこうしたレッテル貼りは、あくまで別個かつ独立の人格である私や徐京植ほかここであげられた人々への侮辱であるのみならず、朴裕河自身の言論の価値を貶めるものである。それぞれの批判に即して反批判をするべきであって、批判者たちにレッテルを貼って済ませてよいはずがない。「~~だと露骨に言ったこともあった」とか、「私的な席では徐京植を批判した者もいた」といった類の下劣な内輪話ではなく、当人の主張に即して、具体的に批判をすればよいではないか。批判者たちが同じ指摘をするということは、誰しもが共通して見出しうるような欠陥が『和解のために』や『帝国の慰安婦』にあることの証左ではないのか。

 「反論(1)」の数少ない私への批判として、朴裕河はこうも書いている。

「それ[徐京植]に比べれば鄭栄桓は、それでもバランスを取ろうと苦心しており、その部分では一歩進んだ在日僑胞の姿ではある。だが鄭栄桓は、私の「方法」が、何らかの不純な意図を持ったものであるかのようなやり方で書いている。本の全体の意図と結論を完全に無視し、文脈を無視した引用とともに、フレームをかぶせて「危険で不道徳な女性」に見えるようにするのが彼の「方法」である。そうであるために私の本が結論的には「日本の責任」を問う本であることはどこにも言及されていない。彼らは日本に責任を問う方式が、自身らとは異なるということだけをもって、私を非難しているのである。」

 どうあっても話を「在日僑胞(男)からの批判」というフレームにおさめたいようだ。「日本の責任」云々については、「反論(2)」が具体的に論じているのでそちらの検討に譲る。困ったものだと思うのは、「フレームをかぶせて「危険で不道徳な女性」に見えるようにするのが彼の「方法」である」という箇所である。私は『帝国の慰安婦』の誤りを指摘し、方法の上でも看過しがたい問題があると指摘したのであって、別に著者自身を「危険で不道徳な女」などとは書いていない。論文で朴裕河の人格について論じるわけがないではないか。繰り返しになるが、こういう論法は自らの言論の価値と品性を貶めるので、やめたほうがよいと思う。

 ところで「人格」と「方法」で思い出したのだが、朴裕河の思い出話にあるように、私が朴を知ったのは2003-4年ごろだった。民族差別と家父長制をあまりに機械的に論じる議論の雑な人だな、とは思っていた。ただ朴裕河が私にとって忘れられない存在になったのはそのためではなく、その論文から受けた衝撃ゆえである。

 私が初めて読んだ朴裕河の論文は、2003年11月号の『思想』に掲載された「1960年代における文学の再編 「国民文学」と「在日文学」の誕生」である。内容はよいとして、今でも鮮明に憶えているのはその「注」の書き方である。「むろん、その言説[江藤淳のような本質主義]から排除されているはずの「在日」社会においても正しい「父」=「近代国民国家」が夢見られている限り(注51)、江藤や『こころ』の浮上に現れる「精神」は忠実に踏襲されていたことになる。」(121頁)という一文があるのだが、何とこの注51をみると、「代表的な存在として尹健次をあげることができよう。」(125頁)と書いてあるのだ。著作や論文といった主張ではなく「存在」である。「正しい「父」として「近代国民国家」を夢見ている」「存在」=尹健次……。後にも先にも学術論文で「存在」が出典として表示された例は見たことがない。大変衝撃的だった。『思想』編集部は何も言わなかったのかと思ったものである。

 もちろん、だから朴裕河の『帝国の慰安婦』は信用ならない、といいたいわけではないし、いえるはずもないのだが、『帝国の慰安婦』の出典の示し方などを考えると徴候的であるとは思う。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-05 00:00 | 歴史と人民の屑箱

【紹介】朴裕河氏の反批判二篇

 朴裕河氏が自身のfacebook上に、私への反批判を投稿した。

 朴の今回の投稿は、今年の6月に韓国の歴史研究雑誌『歴史批評』に掲載された私の朴裕河『帝国の慰安婦』批判(「日本軍「慰安婦」問題と1965年体制の再審 朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『歴史批評』111号、2015年6月)への反論である。下記のfacebookのページで朴の主張を読むことができるので関心のある向きは確認されたい(但し朝鮮語である)。なお、私の『帝国の慰安婦』批判は『季刊戦争責任研究』にも掲載されている(「歪められた植民地支配責任論――朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『季刊戦争責任研究』84号、2015年6月)。こちらは日本語なので同じく関心のある方は参照していただきたい(『歴史批評』とは内容は若干異なる)。


 反論は(1)と(2)に分かれているが、(1)はほとんどが徐京植や金富子への批判に費やされており、私の批判への反論は(2)でなされている。『歴史批評』にもこの反論のうち(2)が掲載されたようだ。ちなみに、(1)には次のような一節がある。

「彼ら[徐京植ら在日朝鮮人知識人]は「戦後日本」を全く評価しない。そしてそうした認識が韓国に定着するのに大きく寄与した。/端的にいって、正しいかどうかは別にして、2015年現在の韓国の対日認識は、彼ら在日僑胞が作り出したものだといっても過言ではない。」

 もし本当に韓国における日本のリベラルや「戦後」への「不信」の定着に在日朝鮮人知識人が寄与したのだとすれば、大変誇らしいことだと私は思う(私は「不信」だとは思わないが)。ただ残念ながら韓国の対日認識の形成に在日朝鮮人の知識人が寄与できているとは到底思えない。日本は「平和主義」で「反省してきた」と宣伝する日韓の知識人(*1)を胡散臭いと思う大衆的な反日感情には、当然ながら相応の根拠があるわけで(九条があるのに何で自衛隊があるんだ、安倍に議会の圧倒的多数を与える者たちが反省しているわけがない、と思うのは当然だろう)、こうした正しい日本認識を大衆が持っているというだけではないだろうか。むしろ多くの在日朝鮮人知識人は胡散臭い役割の片棒を担いでいると思う。

 一方(2)の反論は次のように始まる。「在日僑胞学者鄭栄桓が私の本『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘争』への批判を『歴史批評』111号に掲載した。まずこの批判の当為性について語る前に、批判自体に遺憾を表明したい。なぜなら、私は現在この本の著書として告発されている状態であり、そうである限り、あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになるからだ。」

 印象深いパラグラフである。朴の反論への反批判は今後順次行うとしても、反論を読む限り、残念ながら朴は私の批判の意味をまともに理解していないようであり、何より自分がどんなことを『帝国の慰安婦』に書いたのか忘れてしまっているようでもある。朴の反論の日本語全訳と私のこれまでの主張を並べるだけで、日本語の読者への反批判は済むような気もするし、手元に朴の反論の日本語訳もすでに用意しているのだが、流石に著者本人の了解なしに全文公開するわけにも行かないので、今後これまでと同様のスタイルで反論を検討していきたい。

 なお、先月の『ハンギョレ新聞』に私とノルウェー在住の韓国研究者・朴露子氏の対談が掲載された。朴裕河『帝国の慰安婦』をはじめとする「和解」論を主題としたもので、日本語訳もネット上に公開されているので併せて参照されたい。

“과거 얽매이지 말자는 ‘한-일 화해론’, 중국과 대립 부를 위험”
【朴露子-鄭栄桓 教授対談】「過去に囚われるのをやめようという『韓日和解論』、中国と対立を呼ぶリスク」

*1 和田春樹は安倍談話について『中央日報』の取材に対し、「歴史修正主義であった安倍総理が「平和国家」へと転換した戦後日本の一般的理解を認識している点は合格点」と評価するコメントをしている。(『中央日報』2015年8月21日付web版)。小此木政夫、船橋洋一、若宮啓文などの韓国紙向けコメントもほぼ同趣旨である。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-04 00:00 | 歴史と人民の屑箱

大沼保昭の朴裕河「擁護」と和田春樹の朴裕河「批判」

 和田春樹『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』(平凡社新書、2015年)と大沼保昭『「歴史認識」とは何か』(中公新書、2015年)を読んで印象的だったのは、この二人がそろって朴裕河『帝国の慰安婦』を正面から論じることを避け、奇妙な触れ方をしていることだ。果たしてこれは偶然だろうか。そうでないならばその政治的意味はどのあたりにあるのだろうか。この問題は朴裕河『帝国の慰安婦』の論じ方に関わる極めて重要な論点を含んでいると思われるので、ここでいくつかの可能性について考えてみたい。

 まず、大沼保昭は、日本国民の取り組みが韓国に理解されない背景について語る文脈で、次のように述べている。

「韓国はどうか。二十一世紀になって韓国は慰安婦問題についてますます強硬になっている印象ですが、別に全国民一丸となって強硬姿勢を取っているわけではありません。たとえば世宗大学の朴裕河教授。朴さんは『和解のために』と『帝国の慰安婦』という本を公にして、アジア女性基金による償いを高く評価し、韓国の側における冷静な議論と自己批判の必要性を強調している。それを冷静に受け止めた書評も韓国の新聞に掲載されました。
[中略]
 しかし、朴さんは『帝国の慰安婦』の叙述をめぐって訴えられ、民事だけでなく刑事告訴までされてしまった。この問題に対する朴槿恵政権の姿勢も韓国メディアの態度も、九〇年代よりさらにかたくなになっている面もみられる。韓国国民にも、日本の植民地支配や戦争を知る世代が少なくなって、かえって観念的でナショナリスティックな反日論が増えているように感じます。これは、日本で歴史的事実を無視した観念的な嫌韓論がネットや一部の雑誌、書物ではびこっているのと、ちょうど合わせ鏡のような関係にあります。
 そもそも、あらゆる元慰安婦や彼女たちを取り巻く支援団体、日韓両政府や学者やメディア、多様な日韓両国民、さらに国際社会をすべて満足させる「真の解決」といったものはあり得ないのです。日韓両政府が交渉を重ね、お互い譲り合って政府間の解決に合意することは、数少なくなってしまった生存している元慰安婦のためにも、日韓の友好的な関係のためにも、もちろん大切なことです。しかしそれでも、そうした「解決」を激しく非難する人は、日本にも韓国にも必ず残るでしょう。」(p.156-158)

 ここで朴裕河は、あくまで「反日」韓国の世論を批判し、大沼のフレームを証明するために呼び出されているにすぎない。国民基金を高く評価したこと、韓国に「冷静な議論と自己批判の必要性」を求めたことを評価してはいるが、『帝国の慰安婦』の内容それ自体については奇妙な沈黙を守っているといえよう(*1)。

 一方、和田春樹はどうか。『慰安婦問題の解決のために』の第二章「慰安婦問題とはいかなる問題か」には次のような興味深い記述がある。

「日本からの慰安婦の獲得はおおむねこの形で行われたと見ることができます。民間の業者が勝手に女性たちを集めていったというものではありません。業者も国家的体制の一部です。日本からは売春婦であった二一歳以上の女性が集められたと考えられます。この人たちには金銭的な約束のほか、「お国のため」「戦争に勝つため」というイデオロギー的な説得がなされたでしょう。ですから、この人びとをたしかに「帝国の慰安婦」(朴裕河)と呼ぶことができるかもしれません。
 しかし、このとき、朝鮮、台湾にも女性たちを集めることが要請されています。[中略]
 朝鮮、台湾では、これまでに売春婦であったという条件がはずされ、普通の娘たちが良い働き口があるということで欺されて、集められたのがもっとも多いケースであるようです。貧しさ故に前借金を受け取って、出かけることを承諾した人もいるでしょう。もちろん売春婦であった人も少なからず含まれていたと考えられます。ここでも、「お国のため」「戦争に勝つため」というイデオロギー的な説得がありました。しかし、その気持ちになったのは、まず朝鮮人の業者たちでした。集められた女性たちにそのような意識があったかどうか疑問です。」(p.60-61)

 これは和田による『帝国の慰安婦』批判であるといってよいだろう。和田が念頭においているのは、朴裕河が『帝国の慰安婦』(特に朝鮮語版)で全面的に展開した、「慰安婦」たちは日本軍兵士に「同志意識」を持ち両者は「同志的関係」にあった、という主張であろう。和田はそのような「同志意識」、すなわち日本による「イデオロギー的な説得」を受け入れ、内面化したのは日本人「慰安婦」に限られ、朝鮮人の場合は「そのような意識があったかどうか疑問」だと指摘しているのである。本書で唯一の『帝国の慰安婦』への言及は、このようにその基本的なモチーフ(*2)を否定する文脈でなされている。

 なぜこのような朴裕河「批判」が挿入されたのか。一つの可能性として、和田のように国民基金型の「和解」を進めたい者たちにとって、朴裕河『帝国の慰安婦』がある種の「お荷物」になりはじめているのではないか、ということが考えられる。毎日新聞の山田孝男のように、未だに「「日本軍の慰安婦=性奴隷」説を否認した労作」と礼賛するものもいるにはいるが(「風知草:「帝国の慰安婦」再読」『毎日新聞』2015年7月27日・朝刊)、和田は流石に山田のように能天気でも無知でもない。この本の出来の悪さは重々承知しているだろう。さすがにこれでは、日韓「和解」と慰安婦問題「解決」という政治的目的を同じくしている者であっても、賛同できないかもしれない。だからこのあたりで朴裕河を「批判」して切り離し、むしろ裁判だけを取り上げて韓国ナショナリズム批判に利用する戦略を取った。こういう仮説が考えられる。

 ただ、この仮説はあまりに単純で一面的な気もする。大沼の内容に対する沈黙は説明がつくかもしれないが(つまり徹底的な朴裕河の政治的利用である)、上の引用から明らかなように、和田の朴裕河「批判」は単純に切り離そうとするものにしては、あまりにまわりくどい。内容上は明らかに『帝国の慰安婦』批判なのだが、そうと明示してはいない。「朴裕河さんは~~と述べていますが、~~は疑問です」といったように、もっとわかりやすい書き方もできたはずだ。むしろ『帝国の慰安婦』の広範な流通を考えれば、誤った認識があるなら、秦郁彦や西岡力に対してそうしているように、直接的に明示して批判すべきであろう。それでこそ誤った認識は正される。これでは事情がわからない読者は読み飛ばしてしまうかもしれない。なぜこのようなまわりくどい書き方をするのだろうか。

 たかが新書を深読みしすぎだと考えるかもしれないが、ときに激昂しあけすけに本音を語る大沼とは異なり、和田の著作には常に周到に仕込まれた政治的含意があると私は考えている。とりわけこのタイミングで出された和田の著作が、単なる歴史学的な「慰安婦」論であるはずがない。地の文のみならず、引用や出典表示の全て、すなわち、誰を批判し、誰を引用し、誰を引用しないか、に全て政治的意味があると考えるのが自然であろう。例えば和田が「忘れがたい話し合い」として挿入する次のエピソードも興味深く読める。

「このころ[1995年:引用者注]、五月の半ばに、私はソウルで挺対協の尹貞玉先生たちと会いました。前年に会って以来、半年、日本の状況を説明したいと思ったからです。ともに共同代表である池銀姫氏と鄭鎮星氏が一緒に来ました。[中略]私は、三人に日本政府が進めようとしている基金の構想について解説し、申し訳ないが、日本の状況からすればこれで進めることはやむをえないだろうと話しました。長く話し合った最後に尹貞玉先生は、思いがけなく、「どうしてもだめなら、国民から集めたお金でもいい。政府の代表者が謝罪とともに、そのお金をもってきて、ハルモニに差し出してほしい。そういうことなら受け入れられる」と言われました。池銀姫氏も同意されるようでした。しかし、若い鄭鎮星氏は到底納得できないという立場でした。
 今から考えれば、日本の政府が謝罪をして、その謝罪を表すお金を政府が差し出すという形が貫かれれば、償い金の財源については、ある程度日本の事情により、いろいろな形が考えられるという尹先生の意見はきわめて重要なものでした。もちろん鄭鎮星氏の反発も無視はできません。尹貞玉先生自身もはなしてその案でいけるというほどの確信はもてなかったかもしれません。実現するには、日本政府の方に決定的な困難があったことはたしかです。しかし、このとき瞬間的に開いた可能性の空間で、もう少し話し合いができて、それを生かせばよかったのにと残念に思っています。話し合いはいかなる結論もなく終わり、私たちは別れました。」(p.113-114)

 和田はこの「話し合い」を描くに際し、植民地期を知る挺対協の重鎮で真の「解決」を探る尹貞玉と、若く批判的な研究者・鄭鎮星という図式を採用する。「忘れがたい話し合い」の情景を描写し、「あのときの尹貞玉」を形象化することで、挺対協を割り、国民基金的「和解」へと誘おうとする。この描写は和田なりの挺対協「批判」なのである。

 この点は大沼とは全く異なる。例えば、一読してわかるように、上の引用における告訴についての大沼の説明は不正確である。『帝国の慰安婦』を訴えたのは「ナヌムの家」の元「慰安婦」女性たちであるにもかかわらず、大沼は「植民地支配や戦争を知らない世代」による「観念的でナショナリスティックな反日論」にすりかえ、それどころか、嫌韓流や在特会のような排外主義と同列視してしまう。「植民地支配や戦争を知らない世代」による「観念的でナショナリスティックな反日論」だということにしたい、という欲望がもろに表出してしまっている。歴史認識問題とは各国の過度なナショナリズムの問題であり、「解決」への道は各国がナショナリズムを抑制することだ(「嫌韓・反日どっちもどっち論」)、という日本の「リベラル」内では支配的なフレーム(*3)に『帝国の慰安婦』提訴を無理やりあてはめようとするため、無理が生じ、願望がバレてしまう。大沼・和田は同じ政治的メッセージを発しているが、その方法が違う。和田の本を読むときにはこの点に留意すべきだと思う。

 ここからは私の推測にすぎないが、おそらく和田は「ナヌムの家」へのメッセージとしてこの記述を挿入したのではないだろうか。上にあげた大沼の歯切れの悪い朴裕河「擁護」にあらわれているように、「ナヌムの家」の女性たちの朴裕河提訴は、国民基金=「和解」派にとっては手痛いものであったと思われる。何より、女性たちの『帝国の慰安婦』への批判は根拠のない誹謗ではなく、その内容は妥当なものだ。和田は再び当事者女性たちを敵に回すことになった朴裕河『帝国の慰安婦』の「同志意識」に関する記述を暗に「批判」し、「ナヌムの家」を「和解」へと包摂しようとしたのではあるまいか。この点も、「それでも、そうした「解決」を激しく非難する人は、日本にも韓国にも必ず残るでしょう」と語り、異論派を切り捨てることを明言してしまう大沼とは異なる。

 いまだに朴裕河をもちあげている者とは異なり、和田は朴裕河『帝国の慰安婦』が一種の「地雷」であることは理解していると思う。「和解」云々を言論や社交のネタ程度にしか考えていない凡百の「リベラル」とは違うのである。だが『帝国の慰安婦』がもたらした韓国ナショナリズム批判・挺対協批判の「空気」は、挺対協を「和解」へと包摂するうえで利用価値があるため、明示的に朴裕河を批判して「空気」を変えることは避けたい。だからこそ、周りくどいかたちで、事情がわかるものにだけ伝わるよう、朴裕河「批判」を挿入したのではないか。日本語で出版された書物ではあるが、和田の書いたものならばただちに韓国の運動関係者へ伝わるであろうし、おそらく朝鮮語版も出版されるだろう。和田の朴裕河「批判」の理解としては、ひとまずこうした解釈が可能ではないだろうか。

 ここからは、朴裕河『帝国の慰安婦』の手法や内容があまりに粗雑であるがゆえに生じた逆説を読み取れる。あまたある朴裕河の方法上の誤謬や歴史的事実への無知や誤解があまりにひどいがゆえに、その最も本質的な問題である「和解」論を生き延びさせてしまう、という逆説である。『帝国の慰安婦』の欠陥は学問的には致命的な短所だが、政治的には長所になりうるのだ。朴裕河という「おとり」にやっきになるがゆえに、実際にはほとんど同じことをいっている和田の朴裕河「批判」に飛びついてしまう。私も含めて『帝国の慰安婦』の実証的・方法的問題に集中的に批判を浴びせ、それなりの成果を収めたがゆえに、新たに浮上した問題群であるといえよう。「ナヌムの家」の人々は、くれぐれも気をつけて欲しい。

*1 ちなみに大沼はこの前段で日本の右傾化は過度な戦争責任・植民地支配責任の追及のせいだ、という自説を繰り返している。これは日本の右傾化の原因についての謬説であると同時に、戦争責任・植民地支配責任を追及する日本内の動きの過大評価であり(歴史修正主義者と同じ認識)、同時代史の歴史修正であるといえる。

「日本についていえば、一九九五年ごろは、ほとんどの支援団体が裁判で勝てる、あるいは特別立法がなされて国家補償がおこなわれるという非現実的、空想的といっていい議論をしていました。メディアもそれに引きずられて、観念的な国家補償論や法的責任論を論じる傾向が強かった。それが、裁判では敗訴続き、民主党政権下でも特別立法はできないという現実に直面し、その一方で国民・市民を含む新しい公共理念への理解も進み、人々は慰安婦問題について以前よりはるかに多面的で、問題の核心を突く見方ができるようになってきた。かつてはアジア女性基金に批判的だった人も、その意義を高く評価するようになってきた。二十年前に比べて、この点に関しては日本の市民社会は明らかに成熟を示していると思う。
 その一方で、『朝日新聞』をはじめとする「進歩的」メディアが自分たちの正義をふりかざして一方的で偏った報道をしてきたことについて、九〇年代から日本国民の不満が溜まってきていたように思います。その不満や批判はある程度は正当なものだと思いますが、それが行き過ぎて感情的な嫌韓、反中の論調が雑誌やウェブ上で展開されるようになってしまった。自分に都合のいい事実だけを集め、きわめて煽情的な見出しで記事を書く。聞くに堪えないような低劣な表現で韓国や中国への非難をくり返す。本来は正当な根拠をもっていた不満や怒りが、汚ならしい、偏見に充ち満ちたことばで発信されてしまっている。歴史の事実を認めようとしない言説も、かつて以上に広範に出回っているという印象もあります。身近に戦争をしる世代がいなくなってきたこともあり、若い世代がそういうものを簡単に信じてしまいがちになっているのかもしれない。」(p.155-156)

 『朝日新聞』に掲載された、声明「戦後70年総理談話について」に関する座談会でも、大沼は同趣旨の発言をしている(「座談会 70年談話、学者の危機感 三谷太一郎さん、大沼保昭さん、藤原帰一さん」『朝日新聞』2015年7月25日付・朝刊)。

「大沼 戦後日本では、それまでもっぱら被害者意識で語られていた戦争を、アジアに対する加害の面からも捉える試みがなされました。それ自体は望ましい歴史認識の多面化でした。ただ、一部の知識人や朝日新聞をはじめとするメディアは、日本の戦争責任・植民地支配責任について過度な倫理的追及をして、「日本は無限に頭をたれるべきだ」といった風潮が社会に生まれた。一般の人々は「中韓の主張にもおかしいところがある」と正当な批判の感情を抱くのに、「加害者は被害者を批判すべきでない」と言って、それを抑え込んだ。その結果、人々の不満は極端な排外主義者にすくい取られてしまい、それが中韓にはねかえって、さらなる反日の反応を招いている。こうした歴史認識をめぐる悪循環を克服するには、相互に過剰な倫理的要求を控えなければならない。」


*3  前述の『朝日新聞』座談会(*1参照)で、三谷太一郎は「冷戦後、グローバルな規模で国際秩序の一種のアナーキー化が進み、それが歴史認識を国際問題化させたのです。」「しかも、冷戦後は、ある種の平等観念を前提としたナショナリズムが強まり、そのことが国際秩序のアナーキー化にさらに拍車をかけているのです。」と、あからさまに90年代以降のアジアからの対日戦争責任・戦後補償要求を否定的にとらえている。冷戦とは、いわば「ある種の」序列的な「国際秩序」のもと、アジア民衆からの戦争責任追及を封じることができた時代といえるのだが、三谷の発言からはこうした時代への郷愁を読み取れる。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-07-29 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(2・終)

3.徐京植の批判と反批判

 続けて徐京植による『和解』批判を検討しよう。徐京植の論考「和解という名の暴力――朴裕河『和解のために』批判」(以下引用は『植民地主義の暴力』高文研、2010年より)は、世界的な植民地支配責任をめぐる論争をふまえ、朴裕河『和解のために』の誤りと問題点を仔細に明らかにしたものである。著作としての『和解』の問題点のみならず、この本が「リベラル」を自称する日本の知識人たちの間で流通・消費される理由にまで分析が及んでいる。

 徐京植は、90年代はじめ日本軍「慰安婦」をはじめ植民地支配の責任を問う被害者証人があらわれ加害国の責任を問うたが(「証言の時代」)、日本では90年代半ば以降「反動の時代」に突入し、「日本植民地支配の被害者たちは右派や歴史修正主義からの暴力だけでなく、中間派マジョリティからの「和解という名の暴力」にまでさらされている、という(75頁)。そして、その代表的事例が朴裕河『和解のために』が日本で「異常なほど歓迎される現象」であると指摘する。

 徐京植の『和解』批判の論点は多岐にわたるが、第一に問題とされるのは、日韓の「不和」の原因は韓国側のナショナリズムに基づいた対日「不信」にあるという朴裕河の主張である。朴裕河は日本がどんな謝罪をしようが「不信が消えない限り、どういう形であれ謝罪は受け入れられない」から、「和解成立の鍵は、結局のところ被害者側にあるのではないか」と主張する(『和解』238頁)。朴裕河は、徐京植の『ハンギョレ』に掲載されたコラムについて「問題は、このような認識自体もさることながら、「日本のマジョリティ」批判が、韓国のリベラル新聞に大きく載り、韓国のリベラル市民が日本に対するさらなる不信に陥ることを促すということである」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」147頁)と批判しており、とにかく対日「不信」を解消することが朴にとって最も重要な「解決」への道なのだ。だが徐はこれを「原因と結果とが意図的に転倒されている」と批判する。「不信があるために謝罪を受け入れないのではなく、まともな謝罪が行われないために不信が増幅されてきたのだ」、と(87頁)。

 朴裕河の論理の「転倒」については、金富子も同様の批判をしている。金富子は、『和解』のもう一つの問題として、「日本政府や国民基金へは高い評価を与える一方、それに否定的姿勢をとった韓国、とりわけ韓国挺対協の運動姿勢を厳しく指弾」することをあげる(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」107頁)。そして、国民基金の拒否を「日本に対する本質主義的な不信」のゆえである、と主張する。だが、国民基金が被害者たちの反発を買ったのは「国民基金が文字どおり謝罪として「不十分」だったから」であり、むしろ問われるべきは「被害者や被害国に必要のない分裂や葛藤をもたらした」国民基金の「曖昧な金銭による決着という方法」である。朴裕河のように「その責任を被害者や支援運動に転嫁するのは本末転倒である」(108頁)、と金富子は指摘する。

 さらに徐京植は『和解』が歓迎された背景に、朴裕河のような主張を渇望する「日本のリベラル派」の「秘めた欲求」をみる。朴裕河の議論の前提には「大枠においては、日本は韓国が謝罪を受け入れるに値する努力をした」(『和解』238頁)との認識がある。だからこそ、日本は相応の努力をしている。にもかかわらず韓国が受け入れないのはナショナリズムにとらわれた「不信」のせいである、国民基金への反発も被害者の誤解のゆえであり、かかる誤解を生ぜしめた「支援者/支援団体」のせいである、という論理が成り立つのである。かような「論理」を歓迎する人々の「欲求」について、徐京植は次のように指摘する。

「彼ら[日本のリベラル派:引用者注]は右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって近代史の全過程を通じて獲得された日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。[中略]右派と一線を画す日本リベラル派の多数は理性的な民主主義者を自任する名誉勘定と旧宗主国国民としての国民的特権のどちらも手放したくないのだ。その両方を確保する道、それは被害者側がすすんで和解を申し出てくれることである。」(93頁)

 つまり、朴裕河の議論は、欧米も含めた「先進国マジョリティ」共通の、植民地支配責任を問う声を封じたいという心性に親和的な「和解」論であり、「それはつまり、植民地主義という世界史的潮流に対する反動の一現象」(97頁)なのだ。徐京植の『和解』批判の核心はここにあるといってよいだろう。他にも、朴裕河のいう「和解」の主体には朝鮮民主主義人民共和国と在日朝鮮人が入っていないことや、日韓条約を批判することは「無責任」だとする主張の問題点の指摘(*1)など、徐京植の批判は多岐にわたる。web上でも読むことができるので一読を勧めたい。

 なお、徐京植の『和解』批判は、徐が90年代後半に精力的に展開した「反動的局面」を支える「リベラル」への批判の延長線上に位置づけられるものだ。「つくる会」や小林よしのりに代表される歴史修正主義的免責論への批判にとどまらず、構成主義的国民観に立って「日本人としての責任」から逃れようとする人々の問題点を先駆的かつ直截に指摘し続けた徐からすれば、朴裕河の言説のもつ問題点はあまりに明瞭だったのであろう。「反動的局面」における徐の一連の主張については、このブログでも以前にとりあげたのであわせて一読いただきたい。

*参考
「徐京植を読み直す――「反動的局面」と現在(1)」
「徐京植を読み直す――「反動的局面」と現在(2)」

 徐京植のこうした『和解』批判に応えたのが、朴裕河「「右傾化」の原因、まず考えねば 徐京植教授の「日本リベラル」批判、異議あり」(『教授新聞』2011年4月18日付[朝鮮語])である。

 朴裕河は次のように反論する。

「[略]『和解のために』は徐教授のいう「植民地支配責任を問う世界的潮流」と無関係な本ではない。それは国民基金もまた同様である。慰安婦問題とは、徐教授がいうように、仮に「強制的に」連行されなかったからといっても、慰安婦問題は植民地支配の構造のなかの出来事だ。ところでこうした指摘はすでに六年前に「和解のために」で私が書いたことでもあった。「法的に」1965年に植民地支配に対する補償が終わったといっても、1990年代に政府が予算の半分を出資し、再び補償をしたのであるから、「国家補償」の形態を取っていれば良かっただろうと私も明確に書いた。だが徐教授は私の本にそのような指摘がないという事実については語らない。問題はこうした書き方が私の本や「日本リベラル」に植民地支配責任意識が無いことを読者たちに考えるように仕向けている点だ。私の本の内容の半分が日本右派批判であるということをただの一行で処理することも、こうした書き方の結果である。」

 文意を読み取りづらい箇所があるが、あえて要約すれば、朴裕河は①国民基金は「植民地支配責任を問う世界的潮流」に応じたものだ、②国民基金は「国家補償」の形態をとればよかったと主張したが徐はそれを無視している、③徐の書き方は韓国の読者に「日本リベラル」への「不信」を植え付ける、という三点にまとめられるだろう。①と②の要約が妥当ならば、本来両立しえない主張のはずだが、朴裕河の書き方が曖昧で主旨が判然としないため、これだけでは判断できない。少なくとも、朴裕河が『和解』に引き続き、「国民基金」が「補償」であったと認識し、それを根拠に「植民地支配責任を問う世界的潮流」に応じた(無関係ではない?)ものと反論していることは間違いないだろう。

 だがこれでは堂々巡りである。すでに西野瑠美子が指摘したように「国民基金」の「償い金」が「補償」ではないことは当の日本政府が繰り返し主張していることである。国民基金の副理事長であった石原信雄が「これは賠償というものじゃなくて、ODAと同じように、人道的見地からの一定の支援協力ということです」といっているのである(西野瑠美子「被害者不在の『和解論』を批判する」、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年、138頁)。朴裕河はそれを強引に「補償」といいかえ、被害者が「誤解」したかのように言い募る。「そもそもの誤解は『和解』が全てを「水に流して」あらたな「謝罪と補償」なしにことを終わらせようとする議論に受け止められたことから始まったようだ」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」144頁)というが、朴裕河が「補償」について奇天烈な解釈を採る以上、議論など成り立つはずがないのだ。

 さて、朴裕河がこの反論で最も強調したのは③である。上に続けて次のように説く。

「「在日」に対する差別やその他の日本社会の矛盾をすべて日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」でもある。自身と少しでも違う考えに対し、たやすく「反動」のレッテルを貼る「暴力」は彼がいう「世界平和」の基盤になるべき「信頼」ではなく「不信」を助長するだけだからだ。「日本リベラル」の「右傾化」を批判するならば、何が彼らを「右傾化」へと追い立てるのかをまず考えねばならない。明らかなことは「日本リベラル」を敵に回すことは補償を一層難しくするだけだということだ。」

 ここで不思議なのは、なぜ「日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」」なのかが、全く説明されていないことだ。「日本リベラル」(誰?)を批判することは「不信」を助長するだけだ、という主張が繰り返されているだけだ。「何が彼らを「右傾化」へと追い立てるのか」――朴裕河によれば、徐京植のような(そして挺対協のような)批判こそが、「日本リベラル」を「右傾化」に追い立てるのであろう。

 この論法は、当の「日本リベラル」を朴裕河が実際には馬鹿にしきっており、その限りでは「日本リベラル」の性格を正しく理解していることを表していて興味深い。徐京植への反論に際し、朴裕河は「日本リベラル」の思想と行動に即した反批判を試みていない。仮に「「在日」に対する差別やその他の日本社会の矛盾をすべて日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」でもある」というのならば、具体的に「植民地支配に対する責任意識」があった事実を提示する必要があろう(おそらく困難な作業となるだろう)。だが朴は事実かいなかを脇に置き、「「右傾化」へと追い立てる」から批判を控えよ、という。あまり批判すると逆ギレするから、ほどほどにして「和解」したほうがいい、というわけだ。朴裕河によれば、「日本リベラル」とはかくも幼稚な集団なのだ。確かにそれは事実だろう。

 だとすれば、そのようは集団との「信頼」に何の意味があるのか。むしろ徐京植の「リベラル」批判こそが正しいのではないか。やはり「和解」の主体に在日朝鮮人が含まれていないではないか。朴裕河は徐京植の指摘の正しさを自ら証明しているといわざるをえない(*2)。

4.結び

 『和解』をめぐる「論争」はかくして朴裕河が批判に充分に応えないまま終わり、舞台は『帝国の慰安婦』へと移ることになる。先の徐京植への朴裕河の反論は次の一文で締めくくられる。

「私は2010年、日本の新聞に書いたコラムで慰安婦問題の補償が必要だと書いた。また、補償を拒否する右派の思考を批判的に検討する本を準備中だ。ただ徐教授とは異なる方式の語り口になるだろう。レッテル貼りと先入観では彼らを変化させることはできないから。」

 果たして『帝国の慰安婦』は「レッテル貼りと先入観」を克服した著作になったであろうか。「償い金」が「補償」であるという充分な理由を提示したのであろうか。日本軍「慰安婦」制度への独特な理解について、説得的な説明が与えられたであろうか。答えは否である。それどころか『帝国の慰安婦』は日韓協定による「経済協力」は「補償」であったという驚くべき主張を加え、さらなる混迷の淵へと人々を導いていくことになるのは、すでにみた通りである。最後に『帝国の慰安婦』がこれらの前著への批判についてどのように扱っているのかに触れておきたい。

 まず指摘しておかねばならないことは、『帝国の慰安婦』は先にみた金富子の批判をはじめ、ほとんどの内容に関する批判に全く触れておらず、それどころか参考文献にすら入れていないことだ。事実上無視を決め込んだといってよい。『和解』への批判は『帝国の慰安婦』朝鮮語版のみにある「後記」で、次のように触れられるだけだ。

「『和解のために』は半分は慰安婦問題や植民地支配に対するいわゆる「右翼」の思考と行動に対し批判的に書いた本だった。だがこの本を批判する者たちは、誰も私の本のなかの右翼批判については語らなかった。そしてただ進歩陣営の慰安婦問題解決運動方式への批判だけを激しく非難した。/批判者たちは日本で私の本が高く評価されたこと(朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」受賞)をあげて日本が右傾化したためだと語り、私があたかも日本の右翼と同じ主張をしたかのように扱う。」(317頁)
「こうした話をあえてするのはいまこの人々を恨みがましく非難するためではない。進歩側のこうした対応は、「正義」の側に立っているとの自己確信が生み出したことは明確である。問題はこうした方式の自己確信が時には硬直した姿勢と無責任な暴力を生み出すということだ。そして重要なことは、本文でも記したように、そうした方式の思考に基づく非難が、日本政府と国民全体を対象に行われもしたということだ。そして、そうした20年の歳月が日本内の嫌韓派を増やしてきた。」(318頁)

 他に、ある進歩メディアの記者の無断録音や「支援団体のある者」のMLへの無断投稿、あるいはある新聞記者が「日本の右翼の賛辞を受けた」と誤って紹介したことなどをあげて、自らがいかに批判派からハラスメントを受けたかが縷々記されるが、『和解』の内容への批判は全くとりあげられない。徐京植の批判も「韓国で名望高いある在日僑胞作家」が「ある日突然「和解という暴力」というコラムを代表的な進歩新聞に書きもした」とぼかされたうえ(318頁)、批判への反論がされるわけでもなく、繰り返し日本批判が「嫌韓派」を増やしたという主張が述べられるだけである。日本語版では「後記」すらも削除され、批判の存在自体が消去されてしまった。

 こうした対応は公正さを欠くものといわざるをえない。『和解』への批判が単なる右傾化批判ではないことは朴裕河も充分理解しているはずだ。徐京植は「『スカートの風』(角川文庫)の著者である呉善花が「サンケイ新聞」の読者層である右派の需要を満たしてきたとすれば、朴裕河は「朝日新聞」の読者であるようなリベラル派の需要を満たしてくれる存在であるといえよう。」(96頁)と明確に指摘しているのである。内容に即した批判にまともに答えず、「先入観」にもとづき批判者への「レッテル貼り」をして済ませているの朴裕河自身といわざるをえない。

 『帝国の慰安婦』にはかように不毛な前史があった。『和解』をめぐる「論争」の時点で、すでに問題はあらかた出揃っていたのである。再び「舞台」が与えられたことの異様さをこそ問題にすべきだろう。

*1 韓国からの日韓協定批判は「無責任」だとする朴裕河の主張に対し、徐京植は次のように適確に批判する。

「朴正煕軍事政権が国内での反対運動を弾圧しながら結んだこの条約は、冷戦体制下で強要された不平等条約であるともいえよう。それの見直しを求めることは、朴裕河によれば、無責任なことだというのである。それでは日米安保条約に反対する日本人は無責任だということになるのか?/朴裕河にとって責任ある知識人とは、たとえそれがどんなに反人権的かつ非人道的なものであろうと、国家がいったん締結した条約には最後まで黙々と従う人のことらしい。これほど国家権力を喜ばせ、植民地支配者やその後継者たちに歓迎されるレトリックもないであろう。」(83頁)

 朴裕河の理屈に従えば、仲井真知事が辺野古埋め立てを「承認」したのだから、基地建設に反対している人々は「無責任」だということになる。

*2 ところで、日本の「右傾化」について朴裕河は2009年には次のように主張していた。

「あれから一年も経たないうちに、日本は戦後六〇余年続いた自民党政権が終わり、民主党政権となった。そうであれば改めてこのような否定的な「現状認識」自体が問われるべきであろう。むろん植民地時代や戦後への「歴史認識」も改めて問われていかねばなるまい。確かなのは韓国のナショナリズムが高まると、今度は日本の右翼のナショナリズムが発動されるだろうことである。そして「責任の主体」との対話はますます難しくなるだろう。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」147頁)

 この文章が発表されたのは2009年10月、つまり鳩山内閣発足直後である。「日本リベラル」を批判するが、実際に日本は「政権交代」したではないか、徐京植のような「否定的な「現状認識」」と「戦後への「歴史認識」」も改められるべきだ。こう朴裕河は主張しているのである。さて、その「政権交代」の結果はどうであったろうか。米軍基地問題、朝鮮高校無償化問題など、「日本リベラル」なる集団の問題を全面的に露呈した後、無残な結末を迎え、極右寡占体制へと帰結したのではなかったか。それも朴裕河によれば、それは韓国が「慰安婦」問題を持ち出しすぎて「日本リベラル」を右傾化させたから、ということになるのだろう。だが、朴裕河の指示どおり韓国の人々が行動するとなれば、日本は「右傾化」すればするだけ韓国に自らの要求を呑ませることができるようになるから、むしろ「右傾化」は合理的選択となるのではあるまいか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-04-12 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)

1.朴裕河『和解のために』と『帝国の慰安婦』

 朴裕河の日本軍「慰安婦」をめぐる主張については、前著の朴裕河(佐藤久訳)『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社、2006年、後に平凡社ライブラリー、2011年、以下、『和解』)が刊行された際にいくつかの決定的な批判がなされた。もちろん、朴は批判を一切無視したわけではなく何度かにわたり『和解』批判への「反論」を試みたが、それらはいずれも説得力を欠く弁明に終始した。このため『帝国の慰安婦』はこの際に指摘された問題をほぼすべて継承することになる。おそらく今後なされるであろう『帝国の慰安婦』批判に対しても、朴は同様の弁明を反復するものと思われる。不毛なやりとりの反復を極力回避するためにも、この機会に『和解』をめぐる「論争」について整理し、コメントを付しておきたい。

 検討に先立ち、『和解のために』刊行の当時に発表された批判を紹介しておこう(煩瑣なため初出は省略した)。幸いいくつかはweb上で読むことができる。これらについてはあわせてリンクを貼っておく。

金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』青弓社、2008年
中野敏男「日本軍「慰安婦」問題と歴史への責任」、同「戦後責任と日本人の「主体性」」、前掲『歴史と責任』所収
尹健次『思想体験の交錯――日本・韓国・在日一九四五年以後』岩波書店、2008年
高和政・鄭栄桓・中西新太郎「座談会 いまなぜ、「和解」が求められるのか?」、『前夜 NEWS LETTER』第4号、2008年5月
早尾貴紀「『和解』論批判――イラン・パペ『橋渡しのナラティヴ』から学ぶ」、『季刊戦争責任研究』第61号、2008年秋号
宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて』有志舎、2009年
徐京植「和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判」、『植民地主義の暴力』高文研、2010年
西野瑠美子「被害者不在の『和解論』を批判する」、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年
鈴木裕子「日本軍「慰安婦」問題と「国民基金」 解説編」、鈴木裕子編・解説『資料集 日本軍「慰安婦」問題と「国民基金」』梨の木舎、2013年

 これらの批判に対する朴裕河の反論としては、私の知る限り以下の二つの論考がある。

朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか 「慰安婦」問題をめぐる九〇年代の思想と運動を問いなおす」、『インパクション』171号、2009年


2.金富子の批判と反批判

 まず、金富子による『和解』批判を取り上げよう(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』青弓社、2008年。初出は『インパクション』158号[2007年]、引用は『歴史と責任』より)。金富子の批判は、当時発表された『和解』批判のなかでは最も体系的なものであった。朴裕河の日本軍「慰安婦」や補償問題理解への全面的な反論といってよいだろう。金は『和解』は先行研究をご都合主義的に引用して朝鮮人元「慰安婦」被害者への強制性や証言の信頼性に否定的な右派の議論を踏襲しており、1990年代の「慰安婦」制度の研究成果を無化・誤読・誤用していると指摘する(102-106頁)。『帝国の慰安婦』に通じる問題といえよう。

 一方、朴裕河は金の批判について次のように反論した。

「私はこれらの批判にたいして、批判自体よりも批判のほとんどを覆う憶測や警戒や不信を憂慮せざるをえない。本の半分を満たす「右翼批判」には一言も触れずに「歴史修正主義に親和的」とすることもさることながら、「日本の責任」を回避する「意図」を読もうとして繰り返される「戦略的」「政治的意図」などの断定に見られる疑心暗鬼的な態度こそ、すべての混乱の根本にあるものと思うのである。もっとも長い枚数を割いての金富子の批判が、いちいち指摘できないほどの誤読と曲解に満ちた論になってしまっているのもそのような態度によるものと私は考える。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141頁)

 「いちいち指摘できないほどの誤読と曲解に満ちた論」というのだから、ほぼ全面的な否定といってよい。金の批判は本当に「誤読と曲解に満ちた論」なのだろうか。以下に検証してみよう。

①連行の強制性について

 第一の論点は連行の強制性に関する吉見義明の研究の歪曲である。金は「日本の右派は公文書中心主義の立場に立って被害者証言の信頼性を否定し、日本の責任を否定する詐術を使っているが、問題は朴裕河もこの同じ土俵上で議論を展開している」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、103頁)と指摘したうえで、朴裕河が吉見義明の研究を主張の核心とは「真逆の引用をおこなっている」と批判する。『和解』が「慰安婦」問題を否認」するつくる会の主張(=「慰安婦」は世間一般の「売春婦」と変わらない)を紹介したことに続けて、李栄薫の主張を紹介し、さらに吉見義明が「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)と記したことについて、金は次のように批判する。

「しかし、吉見は引用された同じ著書の同じ個所で「違法な指示を命令書に書くはずがないではないか」「「官憲による奴隷狩りのような連行」が占領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている」(吉見『ウソと真実』二四ページ)と述べ、また「官憲による奴隷狩りのような連行」は「問題を矮小化するものだ。さらに、強制連行だけを問題とするのはおかしい」(吉見『ウソと真実』二二ページ)とはっきり批判している。つまり、朴は吉見の主張の核心部分に対し、真逆の引用をおこなっているのである。これは研究者としてあってはならない引用の仕方である。」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、103-104頁。強調は原文では傍点。)

 これに対し、朴裕河は次のように反論する(強調は引用者。以下特に断りの無い限り同じ。)。

「たとえば金氏は「強制性」問題に関して私が吉見義明氏の著書が「強制性を示す資料はない」としたことをとりあげて私が著者の意図に反しての「恣意的な」引用を「意図的に」やったかのように批判し「研究者としてあってはならない」としてあたかも道徳的に問題があるかのような非難をしている。しかし、私は吉見氏の著書がどのような立場から書かれたものであるかは当然ながら承知で、わたし[ママ]の論で必要だったのは吉見氏の本の意図を説明することではなく、そのような意図を持っている研究者さえも「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」と「ファクト」を述べていることだった。長い引用をしないのは単なる私の書き方のスタイルでしかなく、それをもって「恣意的」で「意図的」とすることは曲解でしかない。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141頁)

 すなわち、自身は吉見の「意図」は理解しているが、他方で「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」と記したこと自体は間違いではないのだから、「ファクト」の引用としては不適切ではない、というのである。だがここには金の批判への無理解があるようだ。改めて問題となった『和解』の該当個所を引用しよう(強調は引用者)。

「ところで「強制性」についての異議は、韓国内部でも唱えられている。ソウル大学の李栄薫は、「強制的に引っ張られて行った」「慰安婦」はいなかったとしている。[中略]
 慰安所の設置には日本政府が関与したことをはじめて明らかにした、「慰安婦」研究者の吉見義明もまた、「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)

 この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。

 朴裕河はこうして強制をめぐる議論の表層をすくい取るに留まり、日本軍の問題を問うことをやめてしまう。そして、売春が女性本人の自由意志なのかどうか、慰安所が「合法」だったのかどうか、というそれまでの議論とは無関係な論点へと移る。「てっきり軍の部隊で掃除や洗濯でもするものと思って「みずから願い出た」少女であろうと、「売春」をするとわかっていながら赴いた女性であろうと、当時の日本が軍隊のための組織を発案したという点からみれば、その構造的な強制性は決して弱まりはしない。」(64頁)という文からもわかるように、慰安所への徴集は「自発的に」行った例だけが言及され、「構造的な強制性」という言葉でもって、総督府の女性徴集における関わりや、甘言・騙しによる連行といった問題を検討することは回避されるのである。

②慰安所設置の目的について

 第二の論点は、慰安所設置の目的に関する吉見の研究の誤読である。この箇所は、朴の立論の混乱が如実にあらわれている個所である。

 朴裕河は吉見の研究を援用して、「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)と書いた。これに対し、金富子は、「「慰安婦」制度は一般女性を強かんから”保護”する目的で考案されたのではなく、吉見によれば、日本軍による強かんが地元の住民の怒りを買ったために治安維持上、作戦上支障をきたしのでそのための対策(吉見『従軍慰安婦』三〇ページ)として実行されたのであり、あくまで日本軍のためだった。」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、105-106頁)と批判した。

 これに対する朴裕河の反論は以下の通りである。

「また、慰安婦制度が「軍隊のため」の制度だったと本のなかで繰り返し書いているにもかかわらず、直接の設置目的が「一般女性の強姦からの保護」も意識されてのことだったこととしたことをとりあげて、その言葉が「日本軍のため」であることを回避したものであるかのような批判をしているのである。しかし慰安婦という存在が「構造的には一般女性のための生贄の羊」と書いたのは、慰安婦施設の目的を知らないからではなく、「女性」もまた「慰安婦」という存在の責任から自由でないことを強調したかったからにすぎない。さらに、慰安婦制度を国家が「黙認」したと書いたところを金氏は、国家をもって責任の主体ではないとするものと受け止める。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141-142頁)

 『和解』において朴は「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった」と書いた。ここでの「一般女性」が、占領地や戦場における日本の「敵国」の女性を指すことは明らかだ。朴裕河は中国人女性等への「強姦」を抑止するために「慰安婦」は考案された、と書き、金富子はそれはあまりに主・従を転倒した見方だと批判した。あくまで日本軍の作戦遂行上の必要が主であって、「敵国」女性の保護など眼中に無いからである。

 こうした理解を前提に改めて上の反論を読むとその異様さが際立つ。この反論では「「女性」もまた「慰安婦」という存在の責任から自由でない」という。明らかにここでいう「女性」「一般女性」は戦地の「敵国」女性を指すのであるから、例えば日本軍に「強姦」される可能性のあった中国人女性が、「「慰安婦」という存在の責任から自由でない」ということを朴裕河は主張していることになる。女性への「強姦」を抑止するために慰安所は作られたのだから、「強姦」されるかもしれなかった女性は「慰安所」という存在の責任から自由ではない、と。恐るべき「責任」論である。

 朴裕河は本気で、戦地の「敵国」女性たちは「「慰安所」という存在の責任から自由ではない」と考えているのだろうか。この箇所が朴の理解力・筆力不足から生じた誤記であることを願うが、少なくともテキストを素直に読む限り、この理解以外は成り立たない。

 あるいは朴裕河はこう反論するかもしれない。自分は日本軍を免罪したいわけではない。事実、「日本の責任」について論じているではないか、と。だが、上のような責任論は表面上の「日本の責任」への言及をその根底において否定しさるものだ。朴の立論が成り立つためには、日本軍の暴力は所与のものと想定する、すなわち「自然化」する詐術を用いざるをえない。兵士の強姦が許されざる暴力であるという認識に立つ以上、どうあっても「強姦」されるかもしれなかった女性たちの「責任」など問いえないからだ。逆に、兵士の強姦を「自然化」し所与・不可避の現象とみなせば、問題はその所与の暴力をどこに割り振るかへと矮小化される。

 こうした意味では、金富子による『和解』の慰安所設置目的理解への批判がいかに核心を突くものであったかがわかる。設置目的を「女性の保護」とみなしたがゆえに、「保護」される女性の側にも、慰安所設置の何らかの「責任」がある、という倒錯した主張が生み出されるに至ったのだ。

 朴裕河の倒錯した「責任」論は『和解』の他の箇所にも見て取れる。「生贄の羊」云々に続けて、次のように記す。

「それでも一般の女性は、「売春」を自分とは関わりのないことと考えている。そして「売春」が指弾されればされるほど、「純潔」な「貞操」を身につけた女性の価値は相対的に高まる。「挺対協」の代表が日本の国民基金を受け取った人々を「公娼」だと語ったのは、そのような構造と無関係ではない。当時「慰安婦」として送られる娘を目にしながら黙って見過ごした、あるいははなから積極的に送り出す側に立っていた者に、責任はないのだろうか。これまでの認識通りに、路上で強制的に引っ張られて行ったとすれば、そうしたまことに荒っぽい暴力的な場面だったとすれば、それでもいかなる反発や抵抗もなかったとするなら、そうした状況をただ眺めていた、傍観していた人々に責任はないのか。」(『和解』、87頁)

 これは「「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」という記述に続く個所である。「一般の女性」という言葉で一括りにされているが、そこで具体的に想定される対象は、戦地の「敵国」女性から「一般の女性」、そして挺対協の女性たちへとめまぐるしく移り変わる。そのうえ、「当時「慰安婦」として~」に続く個所では、もはや「女性」の話ですらなくなり、読者は煙に巻かれてしまう。

 そもそも、充分に抵抗できなかった/傍観した責任と、連行した責任が、全く次元の違う「責任」であることは自明であろう。しかも、『和解』において朴は植民地での強制連行を事実上否定しているにもかかわらず、「それでもいかなる反発や抵抗もなかったとするなら、そうした状況をただ眺めていた、傍観していた人々に責任はないのか」と問うわけである。もはや議論ですらなく、単なるあてこすりといわざるをえない。

 朴裕河は金富子への反論を次のように結んでいる。

「このような誤読は金氏が「歴史研究者」で「言葉」の読解になれていないからだろうか。『和解』を「朴は韓国の日本文学研究者であるため、同署は著書にとって専門外の歴史問題を扱った一般啓蒙書」としながら内容が「粗雑」とする批判から、私は「専門家」の傲慢と閉塞を見ざるをえない。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141-142)

 あまりに不当な決め付けといわざるをえない。朴裕河が反論した箇所に限定しても(反論していない箇所もある)、金富子による批判が「誤読」とはいえないことは明らかだろう。『帝国の慰安婦』の第一部などを読むと、筆者が「日本文学研究者」であることを疑いたくなるが、少なくとも金富子の批判は朴に何らかのオリジナルな史料操作や分析を求めたわけではない。むしろ、文献からの引用を適切にせよ、先行研究を理解せよ、と求めたにすぎない。これは当該テーマについて著作を刊行する者に求められる最低限の要求である。それをクリアしていないのだ。朴は「批判自体よりも批判のほとんどを覆う憶測や警戒や不信を憂慮せざるをえない」と述べているが、かような水準の著作が流通するのであるから、人々が本書の内容のみならずその政治的背景に関心を注がざるをえないのは当然であろう。

 上に見たような朴裕河の議論は、「責任」という語を定義せずにマジックワードとして用いることにより可能になる。これまで『帝国の慰安婦』批判において、繰り返しこうした概念定義の曖昧さを指摘してきたのは、何も学術書の作法を指南したいがためではない。「責任」「補償」「帝国」「動員」「和解」といった極めて重要かつ論争的な概念を定義しないことが、本書の極めて核心的な「方法」だからだ。人々は朴裕河の叙述に各自の幻想を投影し、「理解」した気になる。矛盾や疑問を指摘されても、朴裕河は無限に「真意」を語り続けることにより「知識人」としての命脈を保ち続ける。こうした知的詐術に惑わされないためにも、「方法」への批判は極めて重要な意味を持つのである。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-04-05 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河氏の「反論」について

 朴裕河氏(以下敬称略)が私の批判についてfacebookに「反論」を投稿していることを知った。タイトルは「私の”方法”」、原文は朝鮮語である。下記に翻訳して紹介する。

「鄭栄桓教授[韓国には職位に関係なく専任職の大学教員を「教授」と呼ぶ慣習がある:引用者注]は私の文章を書く方法が日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向へと向かっていると書くに留まらず、「だれが私を支持するかをみよう」とまで書いた。もちろん、彼と彼の周辺人物たちが取る「方法」は、自らと異なる方式を採る進歩[的立場の人物:引用者注]を絶え間なく「右翼に親和的」であるとか、「右翼」という言葉で指差し、糾弾することである。

今日の朝もある人物が厳しい叱責とともに彼の文章--「帝国の慰安婦の方法」を送ってきた。鄭教授の誹謗は確実に効果をあげているが、私を誹謗する時間があるならば、日本政府や右翼を説得することに時間をさらに使ってくれればよいと思う。私はヘイトスピーチが激化したとき、彼らに向けて日本語ツイッターを始めた。そして本当は、嫌韓感情を抱く者たちと闘ってきた日本人と僑胞たちに異なる有効な論拠と論旨を提供しようとしたのが私の真の意図であった。それが私の「方法」である。

[中略]鄭栄桓教授の周辺人物たちは、私への批判を次々と韓国語に翻訳してアップしているが、私はいままでそうした組織的な対応をする考えをしなかった結果です。そしてその理由は彼らを敵に回したくなかったためです。ところが支援団体の告発を代表的な進歩言論と知識人たちが支持する現局に来ているため、考えを変えなければならないようです。」
 
 批判者たちは自分を「右翼」扱いしている、という「反論」は『和解のために』への批判に対しても朴裕河が繰り返してきたものだが、こうした論法の問題については別の機会に譲りたい。ひとまず基本的な事柄についてのみコメントしておく。まず、朴裕河は訳者について「周辺人物」などというおどろおどろしい書き方をしているが、朝鮮語への翻訳はあくまで訳者の方の善意により自発的に行われたものである(私は訳者とは面識もない)。翻訳者の名誉のために記しておく。翻訳者の方のおかげで韓国の多くの方に読んでいただく機会を得た。この場を借りて感謝の意を表したい。

 次に、私の批判は「誹謗」ではない。私は批判に際して本書の内容に即して行うことを心がけた。日本語版・朝鮮語版の双方を参照し、問題箇所を指摘するにあたっては該当部分を引用し、かつ可能な限り根拠を示して批判した。単なるそしりや悪口ではないことは私の批判を一読すれば明らかであろう。丁寧に読んだことを感謝されるどころか、「誹謗」などと誹謗されるのは心外である。

 また、私の本書の「方法」への批判は、本書が「日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向へと向かっている」ことのみに向けたものではない(確かにこれは事実であるが)。それ以前の「方法」の問題がいくつかある。まず、論旨に関わる重要な概念についての最低限の定義すらなく、かつ互いに矛盾する叙述が散見されるため論旨を読み取ること自体が困難なこと、次に、証言や史料の恣意的な使用が目立ち、かつ主張の論拠とされた史料や先行研究の多くがそもそも論拠たりえないことである。だからこそ「方法」の批判と題したのである。

 もちろん、本書の最大の問題点は不適切な「方法」に限られるものではない。日本軍「慰安婦」問題における軍責任否定論、戦後補償問題についての歪んだ理解に基づいた国民基金への賛辞、元「慰安婦」女性や挺対協への度を越した「誹謗」などをもって、確かに本書は「日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向」へと明確に読者を導こうとしているといえよう。そしてまさに本書の「方法」の杜撰さは、こうした問題のある主張の必然的帰結なのだ。本書の様々な仮説は先行研究や史料によって検証されないまま揺るぎない命題=前提とみなされ、この前提をもとに証言や史料が都合よく切り貼りされる。予想される批判については、弁明的な言辞を随所に織り交ぜることによりあらかじめ封じ込めようとし、この結果、叙述は一層の混乱に陥る。無理な結論にあわせようとするから、粗雑な方法に頼らざるをえなくなるのだ。巨大な暴力の被害者たちの生と尊厳にかかわる問題に介入しようとする者がとるべき「方法」ではない。

 上の「反論」で、朴は私が「「だれが私[朴裕河]を支持するかをみよう」とまで書いた」としているが不正確である。私は次のように書いた。

「本書については早速日本では好意的な紹介がなされている。今後もされるであろう。本書の内容も去ることながら、今後、誰が、どのような形で好意的に紹介するかにもあわせて注目すべきであろう。本書はある意味ではその対応を通じて評者たちの「見識」を露わにせずにはおかない、ある種の破壊力を持っているからである。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」

 再説する必要はあるまい。本書の「方法」の問題については、私以外にもいくつかの批判があらわれた(*1)。いずれも本書の初歩的な誤りや不適切な出典の参照を指摘した説得的な批判である。もし日本の言論・学術界が最低限の健全性を保っていたならば、本書のような書物は市場に出回らなかっただろう。その主張に賛同しない者からの批判以前に、参考文献との単純な比較対照によって粉砕されてしまうような本(逆にいえば、読み手の信頼を裏切り、法外な負担を課す本)を刊行することは、著者のみならず出版社の信用にかかわるからだ。朝日新聞出版は製造物責任を厳しく問われるべきであろう。

*1 『帝国の慰安婦』の方法的な問題点については下記のブログをあわせて参照されたい。

「「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1) 」(ブログ「歴史修正主義とレイシズムを考える」)

「『帝国の慰安婦』における「平均年齢25歳」の誤り/『帝国の慰安婦』私的コメント(2)」(同上)

「『帝国の慰安婦』の驚くべきアナクロニズムについて/『帝国の慰安婦』私的コメント(3)」(同上)

「『帝国の慰安婦』における証言者の“水増し”について」(「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会ブログ)

「日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな?」(ブログ「思いつきのメモ帳」)

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-04-01 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(7)

 以前の記事で、朴裕河『帝国の慰安婦』の憲法裁判所決定への批判が先行研究の誤読と歪曲に基づく根拠の無いものであることを指摘した(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)」)。この記事を執筆した際に割愛したもう一つの論文の誤読について、補足として指摘しておきたい。

 「韓国憲法裁判所の判決を読む」で朴は次のように指摘する(強調は引用者)。

「訴訟者たち[憲法審判の請求人:引用者注]は、慰安婦は売春が禁止されていた当時の法規に違反していたので、慰安所運営が不法行為だと主張する。しかし国際法の専門家である藍谷邦雄弁護士はこの問題について次のように述べている。[中略]
 つまり、たとえ慰安婦制度に問題があったとしても、それが損害賠償の根拠に直結せず、未支払い「(強制)労働」があったのならば、それに対しての補償は可能としている。たとえ人身売買を日本国家主導でやったとしても、それに対する損害賠償を求めるのは不可能だということになる
 被害者団体は、一九六五年の条約により「補償」は終わったという現実に対し、日韓の法ではなく、国際法上の法規を適用しようとしてきたようである。しかし、そういったものも「法的」に日本を追及できるものではないという結論ともいえるだろう。
 ならば結局、挺対協の主張する法的賠償の根拠はないということになる。」(193-195頁)
 
 朴が根拠とした論文は、藍谷邦雄「時評 「慰安婦」裁判の経過と結果およびその後の動向」(『歴史学研究』849号、2009年1月、以下藍谷論文)である。この箇所を素直に読めば、藍谷邦雄が日本政府に「損害賠償を求めるのは不可能」、国際法に基づき「「法的」に日本を追及できるものではない」と主張しているように読者は受け取るであろう。だが実際には、藍谷論文の主張は朴の主張とは全く異なるものである。

 藍谷論文の課題はタイトルにもある通り、1990年代以降の「慰安婦」裁判の経過をたどり、特に裁判で問題となった争点を紹介するところにある。朴が参照したのはこのうち国際法をめぐる争点を整理した「3 国際法による主張について」である。

 藍谷は国際法に基づく原告の主張について、(1)賠償の根拠と(2)違法性の根拠に分けてそれぞれ検討する。(1)についてはハーグ第3条約及びILOの強制労働禁止条約をあげ、それぞれが損害賠償責任及び違法な強制労働への報酬を支払うべきと規定しており、国家無答責がなく時効・除斥期間も適用されないため原告の重要な根拠となったことを紹介する。(2)については「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をあげ、「国際法上も「慰安婦」制度を違法行為と認定すべき根拠であることに、争う余地はなかった」と評価する。ただし、同条約はあくまで違法性の根拠であるため、「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」とも指摘した。

 朴が「損害賠償を求めることは不可能」と主張した根拠は、藍谷論文のこの箇所である。朴はわざわざ傍点を付して「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」という藍谷の指摘を紹介し、上のように主張したのである。

 だが、すでに説明した通り、藍谷論文は元「慰安婦」への損害賠償が不可能と主張したわけではない。「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠であるため、賠償については別の法規によって主張しなければならない、と述べたに留まる。また、引用文の第一段落では、あたかも藍谷論文が「慰安所運営が不法行為」との主張を否定するものであるかのように記しているが(「慰安所運営が不法行為だと主張する。しかし国際法の専門家である藍谷邦雄弁護士は…」)、この論文は「不法行為」であることを否定してもいない。

 それどころか、藍谷論文は国際法による主張について次のように指摘する。
 
「④ハーグ条約、ILO条約に基づく主張に対しては、国は以下の反論をした。条約は、国家と国家との約束であり、その権利を定められるのは国家に限る。個人は国際法の法的主体とはなりえない。それゆえこれら条約を根拠に請求権は生じない、というものであった。結果、裁判所もほとんど国のこの主張を認め、国際法による請求を1つとして認容しなかった。しかし、この議論の過程では、個人の国際法上の法主体性として議論され[中略]、国際法の理論的深化が図られたといえる。今や、近時のいろいろな人権条約では、個人の国際法上の法主体性が当然視されるところまで、深化した。」(36頁)

 つまり藍谷は、ハーグ条約及びILO条約に基づく損害賠償請求に対し、国は個人は国際法の主体ではないとの論法で斥けてきたが、近年の人権条約は「個人の国際法上の法主体性を当然視」するに至っており、国の論法はこうした国際法の発展から逸脱するものであると批判したのである。朴のいうように、日本政府に「損害賠償を求めることは不可能」などと主張したわけではない。「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」という主張の根拠にもなりえない。

 「3 国際法による主張について」は四つのパートで構成されており、それぞれ番号が付されているのだが、朴はこのうち①②③だけを紹介し、なぜか本節の結論にあたる上の④に一言も触れていない。この結果、③の末尾の違法性の根拠であるから賠償については別の法により主張すべしという意味の「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえない」という一節が、あたかも本節の結論であるかのように読者に示され、「損害賠償を求めることは不可能」という朴の主張の「根拠」とされることになった。繰り返しになるが、藍谷論文はこのようなことは全く主張していない。ここでも朴は論文の趣旨とは真逆の主張の根拠として歪曲しているのである。

 ちなみに、藍谷論文の「結論」は次のようなものである。

「2007年4月27日の最高裁判決は、「慰安婦」訴訟のみならず、前記西松建設事件でもまったく同様な判決となった。同判決の付言のなかで、「サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても、個別具体的な請求権について、債務者側において任意の自発的な対応をすることを妨げられないところ、本来被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった・・・・・・、上告人(被告)を含む関係者において、本件被害者らの被害救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と述べているのは、判決の結論からいえば当然のことであり、今後、新たな立法により被害回復を図る努力をすることが期待される。過去には、新たな被害回復立法は、サンフランシスコ条約の枠組みを崩壊させるがゆえに不可能といわれ、それがアジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」)に繋がった悪しき法解釈が存在した。しかし、この最高裁判所の法理は、かかる悪しき法解釈の弊害をただし、「慰安婦」問題解決のための立法を行うことを当然視することに繋がりうる。
 平和条約によって、被害者の裁判上の請求権をすべて否定すること自体は、承服しがたいものがあるが、裁判上の請求から、立法による被害回復への転機になると考えれば、この最高裁判決は、新しい被害回復請求の地平を築く契機となりうるものと理解することも可能である。」(38頁)

 すなわち、近年の判決の法理は、「アジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」)に繋がった悪しき法解釈」をただす可能性を有しており、むしろ「新たな被害回復立法」を求める契機となりうるのではないか、これが藍谷論文の結論である。ここでの「新た被害回復立法」が、「アジア女性基金」とは全く異なるものであることは言うまでもないだろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-02-25 00:00 | 歴史と人民の屑箱