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声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」を支持する

 明日12月28日、日韓外相会談が開かれる。詳述する余裕はないが、会談をめぐる報道は改めて日本社会の「慰安婦」問題認識の歪みを曝け出している。当事者たちを無視した水面下の交渉が是とされ、さらには「蒸し返し」を禁じることが獲得すべき外交的目標であるかのように語られる。恥ずかしげもなく「口封じ」を「解決」とみなす主張が横行している。結局のところ、1965年以来、この社会は何ら本質的には変化していないのである。

 ただ1965年よりも悪いといえるかもしれない。歪んだ「和解」観は日本政府が独力でつくりあげたわけではない。日本政府はこれまで度々日本軍「慰安婦」問題についての日本の責任を否定する発言を繰り返してきた。明らかに、問題を「蒸し返し」続けてきたのは日本政府である。にもかかわらず、日本式の問題解決案(国民基金)を受け容れなかったこと、少女像を設置し抗議したことがあたかも問題「解決」の障害であるかのような報道が、日本においては繰り返されている。

 そして、このような問題の捉え方は、大沼保昭、和田春樹をはじめとした国民基金推進派の諸氏が繰り返し日本の言論界に宣伝し続けてきたものである。言うまでもなく、朴裕河『和解のために』『帝国の慰安婦』は、そうした「和解」観の伝播に、極めて重要な役割を担った。「口封じ」を最終的な解決であると考える歪んだ「和解」観は、いわばこの間の日本の政界・言論界が挙国一致で作り上げてきたものといえよう。

 この問題に関連して、本日12月27日、韓国の「日本軍「慰安婦」研究会設立準備会」(*)が、下記の声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」を発表した。私は同準備会の声明を支持する。ぜひ多くの方々、とりわけ日本の人びとに下記の声明の熟読を願う。

 *同準備会は、朴裕河の起訴に抗議する声明への批判として声明「『帝国の慰安婦』事態に対する立場 」を発表した人びとを中心とした集まりである。

(鄭栄桓)

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日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する

 日韓国交正常化50周年である2015年の暮れに、日本軍「慰安婦」問題をめぐる日韓両国政府の慌ただしい動きがメディアの報道を埋め尽くしています。

 日本の安倍晋三総理が岸田文雄外相に訪韓を指示し、日韓両国は12月28日に外相会談を開催し協議することにしたと伝えられています。また、この背後には李丙琪青瓦台秘書室長と谷内正太郎国家安全保障局長による水面下の交渉があったといいます。

 すでに高齢である被害者たちが存命中に問題を解決することが最善であるという点については異議を差し挟む余地はありません。しかし時間を理由として早まった「談合」をするのならば、それは「最悪」になるでしょう。

 1990年代初めに日本軍「慰安婦」問題が本格的に提起されてからすでに四半世紀が過ぎました。この長い月日に渡って、被害者たちと、彼女たちの切なる訴えに共感する全世界の市民たちが問題解決のための方法を共に悩み、それによって明確な方向が定まってきました。「事実の認定、謝罪、賠償、真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰」がそれです。このことこそが、これまで四半世紀をかけて国際社会が議論を重ねてきた末に確立された「法的常識」です。

 日本軍「慰安婦」問題の「正義の解決」のために、日本政府は「日本の犯罪」であったという事実を認めなければなりません。この犯罪に対し国家的次元で謝罪し賠償しなければなりません。関連資料を余すところなく公開し、現在と未来の世代に歴史の教育をし、被害者たちのための追慕事業をしなければなりません。そして責任者を探し出し処罰しなければなりません。

 そうすることではじめて、日本の「法的責任」が終わることになるのです。

 私たちは日本軍「慰安婦」問題に対する韓国政府の公式的な立場が「日本政府に法的責任が残っている」というものであることを再び確認します。韓国政府は2005年8月26日「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」の決定を通じ「日本軍慰安婦問題など、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたものと考えることはできず、日本政府の法的責任が残っている」という立場をはっきりと表明しました。

 また、これは2011年8月30日の憲法裁判所の決定と、2012年5月24日の大法院判決でも韓国政府の公式的な立場として重ねて確認されました。

 私たちは1995年に始まった日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が失敗したことは「日本の責任」を曖昧な形でごまかそうとしたためであることをもう一度確認します。国民基金は日本国民から集めた募金で「償い金」を支給し、日本政府の資金で医療・福祉支援を行い、内閣総理大臣名義の「お詫びの手紙」を渡す事業でした。しかし日本政府が「道義的責任は負うが、法的責任は決して負えない」と何度も強調し、まさにその曖昧さのせいで多くの被害者たちから拒否されたのです。

 今、日韓両国政府がどのような議論をしているのかは明らかではありませんが、メディアによって報道されている内容は上述のような国際社会の法的常識と日本軍「慰安婦」問題の歴史はもちろん、韓国政府の公式的な立場とも明らかに相容れないものです。1995年の国民基金の水準さえも2015年の解決策とはなりえません。それ以下であるのならば、さらに言うまでもありません。何よりもそれはこれまでの四半世紀の間、「正義の解決」を訴えてきた被害者たちの願いをないがしろにするものです。

 今から50年前、日韓両国政府は「経済」と「安保」という現実の論理を打ち立て、過去清算問題に蓋をすることを「談合」しました。まさにそのために今も被害者たちは冷たい街頭で「正義の解決」を訴えざるをえなくなりました。50年前と同じ「談合」をまたしても繰り返すのであれば、これは日韓関係の歴史に大きな誤りをまたひとつ追加する不幸な事態になってしまうでしょう。

2015.12.27.
日本軍「慰安婦」研究会設立準備会


by kscykscy | 2015-12-27 00:00 | 日朝関係

「その後ろには在日の知識人がいる」(朴裕河)とはどういうことか

 なぜこのような語り方しかできないのであろうか。本当に腹立たしく思う。『毎日新聞』に載った朴裕河へのインタビューのことである。

「韓国で私を告訴している形になっているが、その後ろには在日の知識人がいるし、告訴の後も日本の研究者の研究を基に私の本は「うそ」だと原告側が言い続けたという点では、日本ともつながっている。」

 今回の告訴の「後ろには在日の知識人がいる」とはどういうことか。これは一体、誰のことを指すのか。断っておくが私は「ナヌムの家」の女性たちの行った告訴には何ら関係していない。女性たちや「ナヌムの家」関係者と面識もない(そもそも私は韓国に入国できない)。それとも別の誰かを指しているのか。何を根拠にこんなでまかせを朴裕河は言うのか。朴裕河は、いい加減「ナヌムの家」の女性たちが誰かに操られているかのような印象操作をするのはやめるべきだ。
 
 度々指摘したことだが、朴裕河は「反論」する際、批判に答えるのではなく、批判者の属性や悪意(「誤読」「歪曲」)を問題にする悪癖がある。「後ろには在日の知識人がいる」という根拠なき決め付けにも、自分を「在日(男)」が批判している、という構図を作り出したい欲望が透けて見える。もちろん『和解のために』や『帝国の慰安婦』を批判しているのは在日朝鮮人だけではない。早くから朴を批判していたのは西野瑠美子であったし、中野敏男、前田朗ほか様々な批判がある(「朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)」の文献リストを参照)。

 同じ記事には次のような発言も載っている。

「問題点を指摘する際には、自分の解釈が入っている。「売春婦であってはいけない」とか「自発的であってはいけない」という観念がある。/もちろん、私は「自発的な売春」という言葉は使っていない。全体としてそういうふうに受け止められてしまう書き方だったのかもしれない。しかし、私はそこが重要なポイントではないと言っているつもりだ。/全ては読解、解釈の問題だ。私は専門が文学なので、テキストを読むことをずっとやってきた。その分、読むのに忍耐が必要な書き方をしているのかもしれない。「A」と書いて、いや同時に「Aダッシュでもある」というように。日本と韓国の両方、支援者と批判する人の両方に向けて書いているからだ。(問題点を)分析した人は、そこを耐えて読むことをしなかったということだろう。」

 「全ては読解、解釈の問題」のわけがないだろう。事実の問題に決まっているではないか。朴は明らかに「自発的」な「売春」であったことを、朝鮮人「慰安婦」の重要な特徴と主張している。これは事実の問題である。そのうえで「解釈」のレベルで右派を「批判」しているにすぎない。だから朴裕河の事実の理解が批判されているのだ。「A」と「Aダッシュ」云々も全く馬鹿げている。『帝国の慰安婦』には明らかに両立し得ない「A」と「B」が平気で並んでいるから読み手が混乱する、といっているのである。読み手の「忍耐」力のなさに責任を転嫁すべきでない。朴はしばしば言い逃れに「文学」研究を利用するが、本来ならば「文学」研究者こそこうした悪用を批判すべきであろう(小森陽一は内容を評価しているようだが)。朴裕河は自らの著作が批判される原因を、批判する側の属性や能力のせいにするような姑息な「反論」をいい加減やめるべきだ。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-12-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の記者会見における「反論」について

1.日本の「学者」問題

 朴裕河が12月2日、ソウルプレスセンターで在宅起訴に反論する記者会見を開いた。在宅起訴自体に抗議するのは、一方の当事者であるから理解はできる。それを論評するつもりはない。だが、そこでの『帝国の慰安婦』の内容に関連する「反論」はあまりに問題だらけの内容であった。以下に具体的にその問題点をするが、それに先立ち一つだけ今回の事件について記しておきたい。

 もし刑事裁判で決着をつける以外にこの問題の「解決」への道があるとすれば、朴裕河が民事裁判後の刑事調停で女性たちが求めた条件を容れて謝罪し、34ヶ所伏せ字版の修正と日本語版の当該箇所を削除することで赦しを乞い、女性たちに告訴取り下げを求める以外の方法はないと思う。「ナヌムの家」の発表をみても、刑事調停が成立すれば、女性たちは民事も含めたあらゆる訴えを取り下げるつもりだったという。女性たちにしても刑事罰を課すことが目的ではないのだ。民事裁判の資料を見る限り判決はそれでも抑制的であり絶版にせよとまでは命じていない。あくまで該当箇所の削除である。朴裕河の対応如何で別の展開もありえたことは明白である。

 だが前回書いたとおり、朴裕河と出版社の判決後の対応はあまりに挑発的であり、これでは判決の意味がないと考えても無理はない。この点も含めて朴裕河は女性たちに謝罪し、赦しを乞うべきなのではないか。少くとも私からみて、『帝国の慰安婦』における朴裕河の主張が当事者女性たちに著しい二次加害を与えていることは否定しがたいと思う。もちろん、朴裕河にその「意図」はなかったかもしれない。だが、現に出版されているテキストには、明らかに女性たちの名誉を侵害する内容が含まれている。女性たちの主張には相応の根拠があるのだ。「ナヌムの家」の女性たちに無用な裁判の負担を負わせないためにも、朴裕河は上のような対応をただちに採るべきではないだろうか。もちろん、「ナヌムの家」の女性たちが受け入れるかどうかまでは保証できない(一度あった機会を壊してしまったのだから、拒否されても文句はいえないと思う)。もう手遅れかもしれないが、一応申し添えておく。

 私はこれまで韓国の歴史学研究誌やSNS上で朴裕河と『帝国の慰安婦』の内容をめぐりいくどか「論争」をしてきた。その際、常に頭の片隅にあったのは、なぜこんな簡単な話が伝わらないのだろうか、もしかしたら朴裕河は本当に何も問題を理解していないのではないか、という疑念であった。今回の記者会見をみても、同様の疑念は晴れなかった。本当に自分はなぜ善意なのに批判されるのだろう、誤解されるのだろう、と信じきっている可能性がある。「意図」「真意」を語れば理解してもらえると考えているかもしれない。『帝国の慰安婦』のような本を書きながら、なおかつこのように信じられるのは、確かに研究者としては完全に失格であると思う。ただこのような人間はざらにいる。だからこそ、朴裕河の知人・友人たちは「確かにあなたは善意なのだが、この文章は表現上明らかにこれこれのことを書いている。客観的にこういう意味になる」という批判を本人に伝えるべきだと思う。

 なぜこのような事を書くかというと、日本の「学者」たちの支持声明に心底腹が立っているからである。私は本当に朴裕河を小馬鹿にしているのは、この「学者」たちであると思う。私には朴裕河を政治利用しているようにしか見えない。上野千鶴子にしろ、大沼保昭にしろ、自分が責任をとる必要のない安全圏で事態を煽っている。歴史修正主義的な内容を含む本書の問題(秦郁彦は吉見義明の裁判において「外出の自由」があった根拠として『帝国の慰安婦』の記述をあげている)を隠蔽し、「和解」のために自分たちが言いたいことを「韓国人女性」に言わせて、反論が起こると言論弾圧だと騒ぎ出す。朴裕河もまた、自分には日本の「リベラル」知識人がついているという自信があるから、絶対に反省もせず、強硬姿勢を貫く。朴裕河の強硬姿勢の背景には、明らかに日本の知識人が自分にはついているという自信があると思う。

 だが、どう考えてもこの「学者」たちが『帝国の慰安婦』の内容のもつ問題点を理解していないとは思えない。もちろんその可能性もあるが、「河野談話」の事実上の修正に帰着するであろう本書の叙述の問題点を理解したうえで、あくまで政治的観点から賛同しているのではないか。大沼保昭が朴裕河の国際法理解に賛同しているとは到底思えず、浅野豊美にしてもそうだ。ほかの「学者」たちも同様であろう。和田春樹はより酷薄である。日本への紹介者の一人であったにもかかわらず、いま朴裕河と関わるのは「和解」の関係上まずいと判断したのであろう、声明に名を載せていない。もちろん、紹介を反省してのことならばよい。ならば公に批判すべきであろう。わかりづらい『帝国の慰安婦』「批判」をするのも、酷薄な政治的リアリズムのためと考えるほかない。かつて鈴木裕子が日本の朴裕河礼賛の風潮を「朴裕河現象」と呼んだことがあるが、私がこの呼称に抵抗があるのは、日本軍「慰安婦」問題をめぐる国民基金路線での「和解」運動において、朴裕河は明らかに従であり、和田春樹や大沼保昭が主だからだ。朴裕河問題として矮小化すべきではない。これは和田春樹問題であり、大沼保昭問題であり、上野千鶴子問題なのである。

 おそらく現実にはこのような「解決」の方向には向かわないと思う。朴裕河は徹底抗戦の構えである。日本リベラルの飛び道具の役割を演じ続けることになろう。そして、当分『帝国の慰安婦』をめぐる不毛な「論争」が続くことになる。だが、これは「朴裕河問題」ではない、ということだけは強調しておきたい。とりわけ日本にいる私たちはこの点を忘れてはならないと思う。

2.記者会見での「反論」について

 前置きが長くなった。記者会見での「反論」の検討にうつろう。この記者会見での論法には、批判に反論する際朴がしばしば用いた論点のすりかえ術が用いられている(一年近く朴裕河の著作と反論に付き合い続けたので、流石にその「クセ」がわかってきた)。『帝国の慰安婦』を正確に読解するうえでも(そして、あらゆる詭弁にだまされないためにも)、こうしたすりかえへの批判が重要であると考えるため、以下に要点のみを指摘したい。

 『帝国の慰安婦』の叙述には、ある規則性が存在する。まず、韓国で流布している「慰安婦」に関するイメージ(なるもの)を提示する(A)。次に、この枠に収まりきらない事実を紹介し(B)、Bの事実こそが「本質」であると主張する(C)。これを図式化すると以下のようになる。

 通説提示(A)
通説におさまらない個別的事例の提示(B)
個別的事例の一般化(C)

 そもそも朴裕河の示す通説(A)や事実(B)自体が、著者に都合よく加工されているという問題があるが、ひとまずそれは措こう。一見してわかるように、ここで重要な問題はBからCへの一般化に妥当性があるかどうかである。例えば、ある兵士に恋をしたと語る元「慰安婦」の証言があるとする。日本兵がつねに慰安婦たちをモノあつかいし乱暴にあつかった、というイメージを持っている者がいるとすれば、この証言は確かにそうしたイメージとは異なるものであろう。だが、だからといって日本軍「慰安婦」の多くが兵士に恋をした、という話にはならないことは明白である。Cと主張するためには、さらに検討すべき問題が山ほどあるからだ。

 だが朴裕河は『帝国の慰安婦』において、何らの論証手続を経ずにBを一般化する誤謬をしばしば犯している。「愛国」的な証言(B)を提示したのち、これこそが日本軍「慰安婦」の「本質」であるという(C)。なぜ「本質」といえるのか。それは朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」だからだ、と。本来、朝鮮人=日本人「慰安婦」=「帝国の慰安婦」という主張は、朴が本書で証明すべき仮説だったはずだ。だが本書ではしばしばその仮説を根拠に、Bの一般化が「説明」される。ここに本書の極めて深刻な方法上の問題がある。

 『帝国の慰安婦』への批判の核心は、Cへの批判であった。日本軍「慰安婦」制度の本質は朴裕河のいうように規定できないのではないか、という疑問である。これに対する朴の批判は、普通ならばCが本質的であるという証明に費やされねばならない。だが朴はそうはしない。朴は驚くべきことに、批判者たちはBという事実を認めようとしない、なぜならそれは批判者たちにとって都合が悪いからだ、と「反論」するのである。確かに朴のAやBの理解そのものが間違っている場合もあるため、本書の事実理解そのものへの批判があることは事実だ。だが、本書への最も本質的な批判は、なぜそのような一般化が可能なのか、それは妥当なのか、というところにある。朴はこれに答えず、自分はBという異なる「事実」を指摘し、問題の多様な側面を示したかっただけだ、と「反論」する。Cへの批判を、あたかもBという事実の提示そのものへのであるかのようにすりかえ、批判者たちが利害関係からAの通説に固執する極めて偏狭な頑固者のように印象操作をするのである。

 朴裕河のこうした論点のすりかえ術をふまえて、今回の記者会見を読み解いてみよう。

 第一に「業者」をめぐる弁明をみよう。最も端的にこのすりかえがあらわれている箇所である。

「この本で論争の対象となったもうひとつの概念〈業者〉の問題を語ったのも、まずは国家政策を口実に協力し、利得を得る経済主体の問題としてみたかったためですが、実際はそうした〈協力と抵抗〉の問題を語りたかったためでもあります。[…]しかし、こうしたあらゆる指摘は研究者と支援団体にとって不都合なものです。彼らは他の状況をみることは、ただ〈日本を免罪〉することだと考えます。そして〈日本〉という政治共同体だけを罪と責任の対象とみなします。私はこの本で日本に責任があることを語りました。[…]」

 これだけをみると、「研究者と支援団体」が朝鮮人業者の問題を語ること自体を、日本を免罪するものだと批判しているように読める。だが朴裕河は業者「にも」責任を問うべきだと主張したわけではない。以下のように、日本国家には法的責任を問えず、それは業者「に」問うべきだと主張した。そこが批判されているのだ。

「慰安婦たちを連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的」責任は、直接には業者たちに問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うのは難しいことになるのである。」(日本語版46頁)

 問題となっているのは、業者の責任を指摘したこと(B)ではなく、業者の責任を語ることを通じて、日本軍の法的責任一般を否定したこと(C)なのであるが、朴裕河は論点をすりかえている。しかも、厄介なことに、本書には「慰安婦となる民間人募集を発想した国家や帝国としての日本にその〈罪〉はあっても、法律を犯したその〈犯罪性〉は、そのような構造を固め、その維持に加担し、協力した民間人にも問われるべきであろう。」(34頁)などという叙述もあり、後者は一見すると軍「にも」「法律を犯したその〈犯罪性〉」を問えると主張しているかのように読めてしまう。矛盾する叙述が平気で並存しているのである(明らかに著者の主張は前者にある)。私は本書を学問的論争以前の欠陥品であると考えるゆえんである。

 朴裕河はこうして本来問われていることに答えず、批判者たちは朝鮮人の加担を認めるのは都合が悪いから自分を否定しているのだ、という誤った説明を流布する。こうした「説明」は、韓国は反日ナショナリズムに囚われて歴史認識を歪めている、という日本の(リベラル含む)韓国認識=予断と極めて相性がいい。むしろ日本の韓国認識を念頭において、わざとこのような「説明」を放っているのかもしれない。そして一部の、主観的には「大衆」のナショナリズムを「憂慮」している韓国知識人もこれに飛びつく。結果、朴裕河の誤った「説明」は、あたかも「研究者や支援団体」の実態であるかのような認識が拡大する。『帝国の慰安婦』が行ったことと全く同じすりかえ術が繰り返されるのである。極めて不誠実なやり口であると言わねばならない。

 「反論」の第二の問題は、「売春」「同志的関係」に関する論点のすりかえである。まずは「売春」に関する説明をみよう。

「原告側は特に〈売春〉と〈同志的関係〉という単語を問題にしました。/しかし彼らの考えは売春婦ならば被害者ではないという考えに基づいたものです。こうした職種に幼い少女たちが動員され易いのは今日でも同様ですが、年齢/売春の如何に拘らず、この苦痛は奴隷の苦痛と異なるところがありません。いわば慰安婦を単純な売春婦だとして責任を否定する者たちや、売春婦ではないといって「少女」イメージに執着する者たちは、売春に対する激しい嫌悪と差別感情を持っているのです。「虚偽」だと否定する心理もまた同様であるといえます。重要なことは、女性たちが国家の利益のため故郷から遠く離れた場所に移動させられたなかで身体を毀損されたという事実のみである。」

 驚くべき「反論」である。日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度であった、あるいは「強制売春」であった、という批判に対し、「売春を差別するな」と朴裕河は反論しているのである。流石にこれは誰がみてもわかる論点のすりかえだと思う。なぜ「売春」が本質的側面であるのかを説明すべきところで、批判者たちが「売春」であることを否定するのは「売春」を差別しているからだ、とレッテル貼りをして切り抜けようとしているのである。ちなみに以前にも触れたことがあるが、本書は明らかに日本軍「慰安婦」制度を、女性たちが「自発的」に行った「売春」制度という枠組みで理解するよう促している(自発的に行くような意識を作り出した社会の問題を指摘しているが、自発的に行ったこと自体は否定していない)。

 朴裕河の手法は「業者」の説明の際と全く同じである。本来ならなぜ「売春」が本質であるといえるのかと問われているのに、批判者たちは「売春」を差別しているから自分を批判するのだ、と問題をすりかえる。それを聞いた朴裕河支持者たちが「挺対協はナショナリズムから少女イメージにこだわって売春を差別するのか」と一緒になって責め立てる。あまりに理不尽であるが、現実に起こっているのはこういうことである。

 そして、朴裕河は「反論」の際に、意味不明なことを述べて聴衆を煙に巻くことも忘れない。

「このような私の本が慰安婦のお婆さんたちを批判したり貶める理由がありません。検察が〈名誉毀損〉と指摘した部分は、大部分〈売春婦扱い〉をしたと彼らが断定した叙述です。しかし〈売春〉という単語を用いたといっても、それがただちに〈売春婦扱い〉をしたことにはなりません。ひいては売春婦だという者たちを批判するために用いた部分すら、原告と仮処分裁判部と検察は確認もせずにそれを私が書いた言葉であると置換させました。もちろん言論は大部分そのまま報道しました。しかしやはり一次的な責任は原告と仮処分裁判部と検察にあるといわざるをえません。」

 「しかし〈売春〉という単語を用いたといっても、それがただちに〈売春婦扱い〉をしたことにはなりません」とはどういう意味なのか。何の意味もないのだろう。ただ矛盾したことを、本当に「なんとなく」言ってみただけだと思う。だが一応大学教授であるから、普通はこれがどういう意味なのかを考えてみたり、朴裕河の意図を推し量ったりしてしまう。本当はそのような作業は全くの無駄なのだが、少くとも朴裕河はこれで時間は稼げる。このような時間稼ぎを許さないためにも、わからないことは「意味がわかりません」と表明することが必要である。

 最後に「同志的関係」についての朴裕河の説明をみよう。

「また、〈同志的関係〉という単語を用いた第一の理由は、朝鮮は他の国とは違い、日本人の植民地支配をうけ〈日本帝国〉の一員として動員されたという意味です。また、そうした枠組みのなかでありえた日本軍と朝鮮人女性のもうひとつの異なる関係を書いたのは、まずは総体的な姿を示すためのことであり、同時にこうした姿すらみてこそ表面的な平和のなかに存在した差別意識、帝国の支配者の差別意識もみることができるためです。
 
 第二の理由は、朝鮮人慰安婦を徴兵された朝鮮人たちと同じ枠組みでみなすことになれば、すなわち〈帝国〉に性と身体を動員された個人としてみなすようになれば、日本に対する謝罪と補償の要求がより明確になるからです。前に述べたとおり、彼ら[徴兵された朝鮮人]ですら補償された法の保護がなかったことを、日本に向かって言うためでした。つまり、彼らのいう単純な〈売春婦〉ではないということを言おうとしたのです。」

 これらの反論を読む際に気をつけねばならないことが二つある。第一に、朴裕河は「動員」「補償」「謝罪」という言葉を、一般的な用法とは相当に異なる意味で使っているということである(これについても以前にも説明した)。「動員された」と言っているが、これは国家権力による直接的な徴集を意味しているわけではない。それではどういう意味なのだろうか。それは誰にもわからない。私も何度も読んでいるが、朴裕河のいう「動員」の意味は全く理解できない。おそらく本人もよくわかっていないのではないだろうか。これらの大事な用語を朴裕河は「なんとなく」使っていると考えるほかない。

 第二に、本書出版後に朴裕河が公表した「要約」や説明は、多くの場合、本書の内容とは異なっていることである。引用した反論のはじめの段落でも、「同志的関係」とは「〈日本帝国〉の一員として動員されたという意味」と説明しているが、本書の理解としてこうした説明は誤りである。本書は日本が外的な力で「同志的関係」に組み込んだことのみを問題にしているのではなく、女性たちと日本人兵士のあいだに「同志的関係」があったとし、女性の内面においても「同志意識」があったことを、日本軍「慰安婦」制度を理解するうえでの核心的要素であると主張している。とりわけ女性たちにとっては酷い記述だと思うのは、本書はこうした「記憶」を女性たち自らが解放後の韓国で生きるために抑圧し隠蔽した、と一般化して記していることだ。このような本書の主張が一般的に受け入れられるならば、女性たちのあらゆる異議申し立ては「ウソ」とみなされ、無化されてしまうだろう。いずれにしても、本書が上記のような主張をしていることは明白なのであるから、本書の内容とは異なる「意図」を示して論点をすりかえるべきではない。

 次の段落も同様である。本書は朝鮮人慰安婦と朝鮮人日本兵を同じ枠組みでみることを主張したわけではない。「同志的関係」はあくまで日本人日本兵との関係を指す概念である。そもそも「彼ら[徴兵された朝鮮人]ですら補償された法の保護」とは何を指すのか。恩給法や遺族等援護法から朝鮮人元軍人・軍属が排除されたことは周知の事実であるが、近年支払われた一時金・弔慰金を指しているのだろうか。最近朴裕河は日本軍「慰安婦」は軍属であった、と主張し始めているが(日韓会談理解に関する私の批判に反論するため)、つまり軍属として一時金・弔慰金を支払え、と主張しているのであろうか。軍属であるという主張と、朴の業者責任論は矛盾しないのだろうか。朴裕河の意図を詮索する暇はないので、この問題はひとまず措くが、いずれにしてもここで朴が新しい論点を持出して『帝国の慰安婦』とは関係のない話をしていることだけは確かだ。

 もちろん反論するのは結構だが、問題となっているのは『帝国の慰安婦』における著者の主張なのであるから、それに即して反論を行うべきであろう。批判の内容を歪曲してレッテル貼りし陳腐化しようとしたり、本書とは関係のない論点を絶え間なく繰り出して煙に巻こうとする態度は、私の批判を封じ込めたり、周囲の知人たちに弁明するうえでは「有効」だったかもしれないが、問題はもはや個別的な論争の次元を超えているのである。何より、自身の主張により名誉を傷つけられたと主張する人びとが現に存在するという事実に、真摯に向き合うべきではないだろうか。

 朴裕河や韓国・日本の「学者」声明の支持者たちは、おそらく今後、本書への批判は些細な誤りの揚げ足取りをしている、全体をみていない、といった類の反論をくり返すことになるだろう。だが少くとも私としては、あまたある本書の些細な事実関係の誤りはひとまずおき、本書の核心的テーゼとその方法に絞って批判を展開したつもりだ。金富子や能川元一による批判も同様である。本当ならば、「徴兵自体は国民として国家総動員法に基づいて行なわれたものなので、「日本国民」でなくなった韓国人はいまや日本による補償の対象ではないことになる。」(184頁)といった呆れた叙述(徴兵の根拠法は兵役法)は山ほどあり、揚げ足をとろうと思えばいくらでもできる。だが些末なものには目をつむり、朴裕河が最も重要であるとみなす主張に多くの批判者たちはあえて付き合っているのである。繰り返しになるが、現実に名誉を傷つけられたと主張する人びとのいる問題なのだから、もう少し真面目に考えて欲しい。まずは自ら著作を改めて読みなおすところからスタートすべきだ。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-12-04 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河氏の在宅起訴問題について――『ハンギョレ』インタビューの補足

 先月18日、ソウル東部地方検察庁刑事第1部は、名誉毀損の罪で朴裕河を在宅起訴したと発表した。この事件を朝日・読売・毎日・産経など在京の全国紙はこぞって社説でとりあげ、韓国の検察による言論弾圧だとして批判した(朴裕河は全国紙を「和解」させた)。11月26日には日米の学者ら54人(*1)が「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」を発表し「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙」に出たことに抗議した。さらに、12月2日、韓国の学者ら191人が起訴に反対する声明を出した。朴裕河が「言論弾圧の被害者」であるとの主張で、日韓のマスコミが塗りつぶされている。

 だが私は問題をそのように捉えるべきではないと考える。具体的には韓国の日刊紙『ハンギョレ』のインタビューで説明したので参照していただきたいが、事件に直接関係する主張を要約すれば、(1)日本の「学者」声明は「言論弾圧」のフレームで理解しているが、これは問題の単純化である、(2)声明は「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず」と断定しているが、到底そのようには判断できないことを説明した。後者についてはこのブログでも繰り返し書いてきたので再論は避けるが、前者については紙幅の都合上説明しきれなかったことがあるため、急ぎ指摘すべきことを以下に記しておきたい。

 「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまでも尊重されねばなりません。それなしでは、言論の自由、出版の自由の人間的な基盤がゆらぐことになりかねません」――これは柳美里「石に泳ぐ魚」の出版禁止事件に際しての大江健三郎のコメントである(『朝日新聞』2002年9月25日付・朝刊)。大江もまた呼びかけ人となっている今般の日本の「学者」たちの声明に決定的に欠落しているのは、この認識、すなわち、今回の在宅起訴が「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立て」から始まっているという認識である。

 声明は、今回の問題を韓国検察による言論弾圧事件とみている。だがそれはあまりに事態を単純化している。繰り返しになるが、そもそもこの事件は「ナヌムの家」に暮らす元日本軍「慰安婦」女性らの告訴から始まったものだ。国家保安法違反事件のように国家権力が国家的/社会的法益保護の観点から特定の歴史観や主張を取り締まろうとしたものではなく、あくまで被害者女性たちの名誉、すなわち個人的法益が侵害されたとの訴えを出発点としている。各紙の社説や学者らの声明はこの点を全く看過しているばかりか、あたかも国家権力が率先して朴裕河の「歴史観」を取り締まろうとしたかのように書き、争点を誤導している。『帝国の慰安婦』が被害者女性たちの名誉を毀損したかどうか、これが問題となっているのである。

 確かに現在韓国の市民的自由は危機的な状況にあるといってよい。統合進歩党解散問題に代表されるように集会・結社の自由の根幹が揺らいでいる。民事・刑事を問わず名誉毀損法制が権力者による言論弾圧の道具として用いられているのも事実である(産経新聞の事件は確かに「言論弾圧」の側面がある)。そうした意味で、今回の事件が「言論弾圧」のフレームで語られてしまう一因を作り出したのは、政権の手先となり検察への不信感を生み続けている韓国検察にあることは間違いない。実際、今般の在宅起訴という判断に何らかの政治的・外交的意図(巷間で語られているような単純なものではなく)があっても不思議ではない。

 だが以上の状況は、今回の在宅起訴をただちに検察による「特定の歴史観」への弾圧だとみなす根拠にはならない。繰り返しになるが、今回の事件の出発点はあくまで女性たちの告訴から出発していることを忘れてはならない。「ナヌムの家」の女性たちは適法的な手続きを経て告訴したにもかかわらず、論点を(おそらくはあえて)誤導する日本のメディアや学者と、正義を果たさない検察のために「言論弾圧」への加担者の汚名を着せられているのである。女性たちは二重の被害にあっているといえよう。

 そもそも女性たちはなぜ刑事告訴したのだろうか。もちろん『帝国の慰安婦』により名誉を傷つけられたと考えたからであるが、既報の通り、今年2月17日、ソウル東部地方裁判所民事21部(裁判長コ・チュンジョン)は名誉毀損に関する民事上の責任を認め「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」との判決を下している。この段階で刑事告訴を取り下げる可能性はなかったのだろうか。

 朴裕河の説明によれば、刑事告訴取り下げの可能性はゼロではなかったようである。検察の報道資料によれば、民事の判決が出た後の4月から10月にかけて「刑事調停」が行われた。この制度は日本にはない韓国独特の制度で、民事上の争いの性質を持つ刑事事件について、告訴人と被告訴人が和解に至るよう各分野の専門家らが検察庁に設置されている「刑事調停委員会」で調停を行う制度である。調停が成立すれば不起訴処分または軽い処罰を受けるようになる。

 だが調停による「和解」は成立しなかった。「ナヌムの家」側の資料を私は知らないので、ひとまず朴裕河の説明によれば、「和解」のために女性たちが求めたのは下記の三つであったという(「渦中日記 10/22-2」)。

1.謝罪
2.削除要求部分を○○○と表示した韓国語削除版を他の形態で出すこと(○○○表示が削除された内容を「間接的に」表現している、というのが彼らの主張だった)
3.第三国で出す本も韓国で削除された部分を削除すること

 だが、1と2はともかく3は受け入れがたいということで朴は拒否し、結果として調停は不成立となった。「日本語版は翻訳でもなく、独自に出した本であるから権利もないのみならず、こうした要求を私が受容し日本側出版社に要求すれば笑いものになるだけだと考えたため」拒否したとのことである。「第三国で出す本」とは、いうまでもなく日本語版を指す。女性たちが告訴したのは2014年6月、日本語版の出版は同年11月である。朝日新聞出版が名誉毀損で訴えられている本を、それと知りながら日本で出版してしまったがために問題は複雑化したのである。このような意味でも、今回の事件における朝日新聞出版の責任は大きいと考える。

 また、当事者たちが納得しなかった背景には、34ヶ所伏せ字版の問題も関わっていると思われる(2の要求)。私は伏せ字版が出版された直後に韓国から同書を取り寄せたが、本の帯をみて少なからぬ衝撃を受けた。削除指定箇所を「○○○」と日帝時代を連想させる伏せ字にしており、帯には「21世紀の禁書!」「私は、心から○○○○○○○○○○○○を望む!」(この表現は本文にはない。帯のみの宣伝文句である)と書かれてあったからだ。朴裕河を言論弾圧(禁書!)の被害者とみなし、あえて帯に挑発的な惹句を記している。韓国の書店の様子を知人に聞いたところ、伏せ字版は平積みであったという。これでは民事で勝訴したといえども、被害者たちの気持ちが晴れることはないのではないか。それどころか、言論弾圧の加害者扱いをされている。民事で終わっては名誉毀損状態が終わらないと考えたとしても仕方がない状況と考える。

 国家権力による「歴史観」の取締事件として単純化できないことは、以上からも明らかであろう。刑事調停の和解が成立せず、かつ被害者たちが刑事告訴を取り下げなかった背景として、最低限以上のような民事の判決後の状況は共有されるべきであると考える。もちろん、『帝国の慰安婦』による名誉毀損が刑事罰をもって制裁すべき程度のものかどうかという論点は残っており、この点についてはその他の争点も含めて韓国の司法が判断するであろう。本日の記者会見での朴裕河の自著についての「説明」や各紙の社説の問題点など、まだまだ指摘すべきことはあるが、これらについては日を改めて論じることにする。

 最後に一点だけ指摘しておきたい。『帝国の慰安婦』が出版されて以降、内心は問題があると考えていたであろう研究者たちも含めて、この本への適切な論評は極めて少なかった。日本の「知識人」たちが褒め続けたのは、彼らの政治的欲望ゆえであるから、ある意味理解できる。問題は韓国である。『和解のために』以来、徐京植や金富子らがまさに孤軍奮闘して朴裕河の問題点を指摘し続けてきたにもかかわらず、韓国の研究者たちの反応は極めて冷淡だった。だからこそ朴裕河は、私を批判するのは在日朝鮮人だけだ、という愚劣なレッテル貼りをくり返すことができたのだ。もちろん朴裕河を批判した韓国の研究者がいないわけではないが本当に少数だった。こうした事態に至った責任の一端は『帝国の慰安婦』のようなエセ学問を許す韓国の学術界にあるといわねばならない。

 もちろん、今般の事態の最大の責任は、日本軍慰安婦制度を戦争犯罪と認めない日本政府と、こうした政府の姿勢を前提に「解決」しようとする虫のいい「リベラル」たちを褒める役割を期待して朴裕河を持ち上げ続けた日本の学術・言論界にある。これは何度でもくり返し主張すべきであろう。だが、韓国で出版された際に『帝国の慰安婦』が学問的論争以前の著作であることを適確に識者たちが指摘し、公の言論の場から退けていれば、私も含めた研究者たちがまっとうな社会的責任を果たしていれば、元「慰安婦」女性たちが自ら立ち上がり訴訟を起こす必要などなかったのではないか。この点を度外視して、いざ起訴に至ると突如として踊り出て「言論の場で議論すべき」などと言い出すのは、私にはあまりに破廉恥かつ傲慢な態度であるように思える。女性たちの告訴を云々する前に、韓国の学術界全体の反省をすべきではないだろうか(もちろん日本もである)。

*1 賛同人の氏名は以下の通りである。

浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-12-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

秦郁彦の「女子挺身勤労令不適用」説と朴裕河の「挺身隊=自発的志願」説

1.軟体動物

 「君の関節技がすべてきまっているのに当人は全く意に介さず平気にしている、実は軟体動物だったのではないか」――ある読者の朴裕河評である。確かにそうかもしれない。「関節」とは、事実や文献理解の正確性や論旨の整合性、あるいは推論の妥当性といった、広い意味での「論証」の比喩であろう。私は『帝国の慰安婦』における「論証」の破綻を指摘し続けているが、「反論」にも明らかなように、赤面してしかるべきこれらの自著の欠陥を朴裕河が反省した形跡はない。朴裕河にとって「論証」などどうでもいいからであろうか。そうした意味では骨格なき軟体動物との喩えは適確といえる。

 確かに『帝国の慰安婦』を読んでいると、憤激を通り越して脱力することが多々ある。例えば、朴裕河の挺身隊に関する理解である。以前にも触れたが、『帝国の慰安婦』朝鮮語版には、次のような記述があった。

「慰安婦の募集は比較的早い時期になされたが、「挺身隊」の募集は戦争末期、すなわち一九四四年からだった。そして挺身隊とは朝鮮人たちを対象にしたものではなく日本で施行された制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」、「国民勤労報国協力令」、「国民勤労動員令」などへと名前を変えてゆき一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにしたが、「一二歳以上」が対象となったのは一九四四年八月だった(日本ウィキペディア「女子挺身隊」の項目)。/それさえも、「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」。」(p.43)

 この箇所は日本語版では以下のように修正されている。

「慰安婦の募集は早い時期からあったが、「挺身隊」(=勤労挺身隊)の募集は戦争末期、一九四四年からだった。そして挺身隊は最初から朝鮮人を相手に行われた制度ではなく、日本で行われた制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」「国民勤労報国協力令」「国民勤労動員令」など名前を変えながら一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにした。そして一二歳にまで募集対象年齢が下がったのは、一九四四年八月だった(チョン・ヘギョン(鄭恵瓊)二〇一二)。/それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」(イ・ヨンフン(李栄薫)二〇〇八、一二〇頁)。」(52頁)

 日本語版はwikipediaから出典を急いで差し替えたためか、鄭恵瓊論文は当該箇所の出典としては必ずしも妥当ではないうえ、書誌情報まで誤っている。かつて指摘したとおり、「朴は日本人を対象とした勤労動員の拡大を時系列的に叙述しているが、鄭報告はそれとは異なり朝鮮人女性を対象とした勤労動員を主題にしたものだ。wikipediaに従って書いたものを、体裁を整えるために無理に他の出典表示に置き換えたため、不適切な引用となってしまったのだろう。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」) 

 「論証」などどうでもよい者にそのことを指摘したところで、確かに無意味なのかもしれない。ただ一般的には軟体動物だとは思われていないのであるから、問題の所在を正しく知らせる社会的責務があることは間違いあるまい。上の挺身隊関連の記述の問題は、実はこれに留まらない。朴裕河『帝国の慰安婦』の挺身隊理解の誤りについては金富子の批判があるが(*1)、以下ではさらにふみこんでこの問題について考えてみたい。

2.挺身隊認識の問題①:秦郁彦「女子挺身勤労令不適用」説の受容と無理解

 前回触れたように、朴裕河の日本軍「慰安婦」制度の理解は秦郁彦『慰安婦と戦場の性』と似通っているのであるが、これは挺身隊についても同様である。ただ、朴裕河は秦郁彦の所説を正確に理解していないため、『帝国の慰安婦』には秦郁彦説を受容しているにもかかわらず、秦であれば書かないような記述も散見される。その代表例が、挺身隊の動員に関する矛盾した記述である。

 前掲の引用末尾で、朴は「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」と記している。「それ」が何を指すかはこれだけでは判然としないが、後述するように、「それ」は女子挺身勤労令を指すものと思われる。つまり、朴は女子挺身勤労令は「朝鮮では公式には発動されなかった」と書いているのである。しかしながら、他方で本書には、「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである」(225)という記述もある。一方では勤労令が発動されなかったといい、他方では法律を作って動員した、という。二つの記述は完全に矛盾している。

 なぜこのような矛盾が生じるのだろうか。まずは出典を確認しよう。「朝鮮では公式には発動されなかった」という記述の出典は李栄薫論文である。李は「日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、十二歳から四十歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象にしており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」(李栄薫「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話性」、小森陽一他編『東アジア歴史認識のメタヒストリー 「韓日、連帯21」の試み』青弓社、2008年、97頁)と書いている。李論文は根拠を示していないが、おそらく秦郁彦を参照したものと思われる。秦は「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」(『慰安婦と戦場の性』367頁)と記しているからだ。ちなみに「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら」という文には出典が示されていない。

 さらに遡るならば、秦郁彦の主張の根拠は、朝鮮総督府鉱工局労務課『国民徴用の解説』(1944)である。秦は同書の「今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません。今まで朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の[中略]立派な施設の整った飛行機工場等に出してをります。今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算」との記述を根拠に、女子挺身勤労令が適用されなかった、と主張した。すなわち、朴裕河の「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」という叙述の大元は朝鮮総督府『国民徴用の解説』ということになる。

 以上を図式化すると下記のようになる。

図 女子挺身勤労令解釈の典拠

(1)朝鮮総督府『国民徴用の解説』:「今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません」
(2)秦郁彦『慰安婦と戦場の性』:「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」
(3)李栄薫「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話性」:「日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、十二歳から四十歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象にしており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」
(4)朴裕河『帝国の慰安婦』:「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」

 図からも明らかなように、まず検討すべきは秦郁彦の勤労令についての解釈である。総督府『国民徴用の解説』(以下『解説』)の記述を確認しよう。

「問 今後、朝鮮で女子挺身勤労令は内地と同じやうにする方針ですか。

答 女子挺身勤労令は朝鮮にも施行されて居りますが、しかし朝鮮では前に申しました通り一般女子の登録を行ってゐませんから、その対象となるものは、国民登録の要申告書である女子の十三種の技能者たる技術者だけになります。
 従ってこれに該当する者は非常に僅少です。今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません。今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の最も勤労管理の立派な、施設の整った飛行機工場等に出してをります。その工場は工場か学校の延長かどちらか解らない様に立派なものです。今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です。
 然しながら戦局の推移に依っては、女子動員をもっともっと強化しなければならぬ時が来ると思ひます。国民はその覚悟だけは持って居らねばならなぬと思ひます。」(『国民徴用の解説』1944年、66頁)

 秦郁彦=李栄薫は、この記述を根拠に勤労令が「適用」「発動」されなかったと主張した。これについては若干の補足説明が必要である。はじめ日本政府は女性労働力の動員のため「勤労挺身隊」の自主的な結成を促したが低調であった。このため1944年8月に勅令を発して強制力のある「女子挺身勤労令」を制定する。この勤労令は朝鮮にも施行された。秦が「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」というのは、『解説』にもあるように、施行したが適用しなかった、ということを意味する。だが、この解釈にはなお検討すべきいくつかの問題がある。

 第一の問題は、『解説』はあくまで1944年10月現在の方針を述べているにすぎず(「今の所持ってをりません」)、勤労令適用の実態を示した史料ではないことである。『解説』末尾に「戦局の推移に依っては、女子動員をもっともっと強化しなければならぬ時が来ると思ひます」とある通り、『解説』のみをもって植民地期に勤労令が一切適用されなかった論拠とするには不十分である。また『解説』にもあるように、1944年10月現在の時点でも少数ながら勤労令適用対象となる朝鮮人女性がいることを総督府自らが指摘している。「今の所持ってをりません」を「朝鮮半島では適用しなかった」論拠とするには一層の検証が必要であろう(*2)。

 第二の問題は、秦郁彦が「官斡旋」による連行を強制連行から排除していることである。『解説』は朝鮮で女子挺身隊を動員しないとしているわけではない。「今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもの」だったが、「今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です」と述べており「官斡旋」方式による徴集を継続する、と説明しているのである。しかし、秦は「いわゆる「強制連行」は、この徴用令[1944年9月の国民徴用令の全面発動:引用者注]に基づく内地等への労働力移入を指すが、最終的には「徴用」へ統合吸収した事情もあり、論者によっては自由募集や官斡旋段階からふくめてそう呼ぶ例が見られる。」(『慰安婦と戦場の性』367頁)とし、「強制連行」を徴用に限定する。秦がわざわざ挺身隊の説明で勤労令の不適用を強調するのは、おそらく挺身隊の動員は強制連行ではないと主張したい含意があると思われる。

 『帝国の慰安婦』の「朝鮮では公式には[ママ]発動されなかった」という記述は、こうした二つの問題を抱えた秦郁彦の解釈を、李栄薫経由で継承したものである。だが朴裕河は秦説の含意を理解していないがために(『慰安婦と戦場の性』が論拠であることを知らない可能性もある)、平然と「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかった」とか、「挺身隊」の「『公的』な徴用」(55-56)と書いてしまう。しかも朴裕河は『ソウル新聞』記事の挺身隊理解の「誤り」を指摘する際、「日本で施行された制度がそのまま韓国でも施行されたかのように理解し、さらに挺身隊に行くとそのまま慰安婦になるものだったと考えていたのである。」(53)と批判していることから、勤労令が朝鮮では施行されていない、と考えている可能性すらある。

 本書の挺身隊に関する著しく矛盾した記述の氾濫は、朴裕河の挺身隊動員への無理解に加え、秦郁彦説への無理解に起因するものといえる。

3.挺身隊認識の問題②:「挺身隊=自発的志願」説

 それでは、結局のところ朴裕河は挺身隊の動員についてどのように理解しているのだろうか。結論からいえば、朴は挺身隊を「自発的志願」というフレームで理解しているといえる。「合法的に動員」や「公的な徴用」という言葉は、不用意と無知ゆえに記したに過ぎず、挺身隊動員の実態理解としては「自発的志願」が本質であると考えているとみてよい。これについて、以下では千田夏光『従軍慰安婦』に紹介された申河澈の証言についての朴の「解釈」を検討しながら考えてみよう。

 申河澈は京畿道加平郡で代々居酒屋を経営してきた人物で、千田夏光の取材に応じて挺身隊徴集の目撃談を語っている(千田夏光『従軍慰安婦』108頁以下)。証言の要旨は以下の通りだ。

「連れて行く三日前に”お前は挺身隊だ“という通知書が来るのです。駐在所の警官が持ってきました。」(十八歳以下の未婚の女性が対象で、三日後には駐在所前に娘達が集められる。:引用者注)「そこから警官が引率してトラックや汽車にのせ、逃亡しないよう監視しながらソウルへ連れて行きました。見送る家族、母親などは娘の足もとにすがり号泣し、それを警官が引き離そうとすると、今度はその警官の足にすがって、“返してくれ、助けてくれ”と泣きながら訴えるのですが、蹴とばされましてね。どこの国に娘が兵隊の慰みものになるのを喜んで見送る親がいるでしょうか。貧しい百姓でも人間ですからね」(千田『従軍慰安婦』110頁)

 朴はこの証言に対して、二通りの批判を加える。第一は、これは「慰安婦」の徴集の証言ではない、という批判である。証言からわかるように、申は「挺身隊」として徴集された女性たちが「慰安婦」にされたと考えている。だが朴はこれは「慰安婦」ではなく、「挺身隊」の「『公的』な徴用」の場面だったはずだ、と指摘する(55-56)。ここでも挺身隊を「公的」「徴用」と記して、秦郁彦説への無理解を露わにしているが、ひとまずそれは措こう。確かに朴のような解釈も成り立つだろう。

 問題は第二の批判である。朴はこうした徴集のやり方は、挺身隊の徴集としても例外的である、と批判する。

「村から強制的にトラックに乗せられていった女性たちの姿は、だまして連れていった業者たちによるものか、挺身隊をめぐる状況だった可能性が高い。ただし、挺身隊の場合だとしても、人狩りのような〈強制〉的な場面ではなかったはずだ。なぜなら、後述するように、当時における挺身隊とは〈国家のために〉「挺身」するものであって、たとえば兵士がそうであるように、構造的には強制でも、あたかも自発的であるかのような形を取っていたからである。」(56)

 すなわち、女子挺身隊とは自発的に志願するものだった、強制的な場面ではなかったはずだ、というのが朴の主張である。朴は以下のようにも書いている。

「内地-日本で挺身隊募集が始まると朝鮮ではこのような〈自発的な動員〉が始まった。[中略]それは朝鮮で徴兵が始まる前に志願兵制度が始まったことと軌を一にしている。そのような国家の呼び声に「志願」していく女性たちが多かったのはむしろ当然というべきだろう。その後実際に「ここに志願兵の姉がいる、生産戦場はどこですか、ハンナム(咸南)から挺身隊を志願」(同年九月一四日付)、「挺身隊でなくても、二人の女性嘆願を聞いてとりあえず事務委嘱」(同年九月一六日付)、「家庭も国があってこそ、血書で女子挺身隊嘆願した有馬嬢」(同二○日付、以上すべて同新聞、同、二六四〜二六六頁)など、志願は相次いだようだ。もちろんそれは非国民にならないための、〈自発の自己強制〉というべき事態だった。」(60)

 朴は挺身隊への「志願」の動機を、基本的には「挺身」という言葉通りの意味で捉えていることがわかる。「慰安婦」となった女性たちの動機について、朴が「愛国」というフレームで理解することと同じく、ここでも「非国民にならないための」「挺身」として、挺身隊への「志願」の動機を捉えているのである。

 だが、朴によればこうした『毎日新報』(総督府の御用新聞)が報じたような「自発性」(〈自発の自己強制〉?)という動機付けは、解放後の韓国では隠ぺいされたという。

「植民地は一貫した〈抵抗の地〉でなければならず、それは本人の記憶や意志を超えての、新しく出発した独立国家の夢でもあったのだろう。その過程における、さまざまな〈自発〉への沈黙は、〈嘘〉というより、むしろ「モラル」でさえあったはずだ。その出発からして「ポスト植民地国家」は、ほとんどの国民が経験した〈過去の否定〉から始まるほかなかったのである。」

 つまり、朴の主張はこうだ。挺身隊は自発的な志願だった、だが自発的に志願してしまうところに植民地の「構造」がある、にもかかわらず韓国ではこうした〈自発の自己強制〉はナショナリズムゆえに無視されてきた、と。池上彰が泣いて喜びそうな主張である。

 だが問題は「志願」の内容であろう。それを『毎日新報』の報じた通りの「非国民にならないための」「挺身」などと位置づけることができるのであろうか。挺身隊の募集に応じた女性たちの証言は、「志願」の内実について朴裕河の描くものとは異なる姿を示している。一例として、伊藤孝司編著『証言 従軍慰安婦・女子勤労挺身隊 強制連行された朝鮮人女性たち』(風媒社、1992年)の7人の元挺身隊の女性たちの証言から、なぜ募集に応じたのかを抜き出してみよう。

金福禮(1929年生、名古屋・三菱):国民学校卒業後に女学校へ行くつもりだったが、「隣組」の組長に日本で勤めながら勉強したらどうかと誘われ、三菱の「学校」へ行くつもりで挺身隊へ。
李東蓮(1930年生、名古屋・三菱):国民学校六年の時に三菱から「募集」があった。担任の日本人の先生に勧められた。三菱が校長に依頼したようだ。「日本では、工場で働きながら勉強させてあげるから」と言われ承諾。両親は強く反対した。
朴良徳(1931年生、名古屋・三菱):新聞で「挺身隊募集」を知った。「学校で勉強ができるなら」と応募した。「国(日本)に協力しよう」という気持ちもあった。
孫相玉(1925年生、名古屋・三菱):国民学校の教師をしていたところ、校長に呼ばれる。後藤という軍人と「三菱」から来た男が二人おり、校長から挺身隊の引率に指名される。
李鐘淑(1931年生、富山・不二越):父が徴用で連れていかれたところに挺身隊の募集があった。小学校の校庭で募集をしていて、募集要項には「挺身隊として日本に行って働いたら、女学校の卒業証書がもらえる」と書いてあった。勉強をしたくて募集した。
梁春姫(1930年生、富山・不二越):女学校二年生のときに挺身隊の話があった。日本人の先生から話があり「挺身隊に行けば卒業証書をくれる、待遇が良い、指導者としての資格の証明書をくれる」と言われ募集した。
李在允(1932年生、光州・鐘紡):姉に「挺身隊」の「徴用令」が来た。姉が「挺身隊」の講習も受けていたが行きたくないといって隠れていたら、日本人巡査と朝鮮人の面事務所職員がさがしにきた。見つからなかったので私を連れていった。駐在所にトラックが来ていて無理やり連れていかれた。

 これらの証言に共通するのは、企業(三菱や不二越)から学校に募集依頼があったこと、女性たちにとっては「学校に行ける」という勧誘が募集に応じる決定打になったこと、である。確かに朴良徳のように「国に協力しよう」と思ったという動機も語られてはいるが、朴にとっても第一の動機は学校に行くことであった。これは前述の『解説』が「その工場は工場か学校の延長かどちらか解らない様に立派なものです」と、挺身隊の動員先を美化していたこととも符合する。実際には彼女たちの「学校に行きたい」という願いは動員先の工場では果たされることなく、無残に打ち砕かれるのであるが、朴のいう「挺身」という動機付けという理解が、植民地下における女性たちの状況とそれにつけこんで「募集」をかけた企業の責任を無視した謬論であることが理解できよう。「状況」や「構造」という言葉を好んで用いるにもかかわらず、植民地支配の構造への理解が決定的に不足しているのだ。

 もちろん、これらの証言をもってただちに挺身隊の「動機」の全体を代表させることはできないだろう。だが総督府御用紙の表面的な報道を批判的に検討する重要な事実を指摘していることは確かだ。また李在允の証言は、「募集」に応じたケースにとどまらず、暴力的な連行のケースも存在したこと、「徴用令」による徴集があった可能性も伺わせるものといえる。容易に読むことができるこれらの証言をなぜ朴裕河は無視し、総督府の戦時動員の宣伝を間に受けて、挺身隊への応募の動機が文字どおりの「挺身」であったかのように語るのであろうか。理解に苦しむ。

 この箇所には前回も指摘したような朴裕河の論法がはっきりと現れている。総督府の挺身隊は自発的な志願だという主張に対し、具体的な事実関係のレベルで志願かどうかを争うのではなく、確かに志願だ、だが志願した「構造」が問題だ、とさっさと事実について総督府の見方を承認したうえで「見方」の争いに移行するのである。しかも実際には「構造」についての考察は極めて平板なものに留まる。驚くべきことであるが、朴裕河の挺身隊=自発的志願説の論拠はただ『毎日新報』のみなのである。

 さて、朴のように「挺身隊=自発的志願」説を取った場合、都合の悪い事実がある。自らが挺身隊徴集の場面だと指摘した、申河澈の証言の扱いである。申河澈は「今度はその警官の足にすがって、“返してくれ、助けてくれ”と泣きながら訴える」親たちの姿を千田に語っていた。朴はこの証言を以下のように読み解く。

「とはいえ、さきほどの「泣きながら訴える」親に関する証言を無視することはできない。/そこで考えられるのは、親たちが娘たちの行く先が、単なる「挺身隊」ではないと考えていた可能性である。その形が〈自発〉だろうが〈強制〉だろうが、娘たちを待っているのが「慰安婦」の仕事と考えての悲しみであったかもしれない。そこには、娘たち自身の悲しい〈嘘〉――性にかかわる仕事ではないと自分と親に納得させるために、内容が分かっていながら「挺身隊」に行くと話すような――があったかもしれないし、娘を貧しさゆえに売った親たちの〈嘘〉が介在していたのかもしれない。多くの売春女性や強姦された女性たちが、その事実を公には言えなかった差別的な社会構造こそが、挺身隊と慰安婦の混同を引き起こし、いまだにひきずっている根本的な原因とも考えられる。」(61)

 申河澈が目撃した親たちは、なぜ警官に「泣きながら訴え」ていたのか。それは親たちが娘たちが「慰安婦」にされると思っていたからだという。そして、親たちがそう「誤解」するに至った背景には、娘たちが本当は「慰安婦」になるとわかっていながら「挺身隊」に行くと親に言った〈嘘〉や、親たちが娘を「慰安婦」として業者に売っていたにもかかわらず、「挺身隊」に連れて行かれた言うと〈嘘〉が社会的に広がっていたからだ、というのだ(この読み方は相当に朴に好意的な解釈である。この段落は読みようによってはもっとひどいことを言っているようにも読める)。

 衝撃的な解釈である。もし朴のいうように親たちが「挺身隊」を「慰安婦」と理解していたとするならば、その最大の要因は日本軍が朝鮮人「慰安婦」を実際に使った事実があったからであろう。それが、当事者女性やその親たちの〈嘘〉のせいにされている。そもそも、朴のいうように、自発的に行った女性も娘を売った親もみんな「挺身隊」に行くと嘘をついていたならば、なぜ親たちは挺身隊動員を「慰安婦」への徴集だと考えることができたのか、全く説明がつかないではないか。

 そもそも、娘を挺身隊に取られることに抵抗し警官に泣きながら訴える人がいるという事実に、なぜ朴は疑いを差し挟むのだろうか。逆にいえば、なぜ朴は、挺身隊に取られるのならば親が泣くはずはない、と考えるのだろうか。上にあげた元挺身隊女性たちの証言にも、家族が身を案じて反対した、という話は沢山出てくる。申河澈は、戦時末期には挺身隊逃れのため急遽結婚させるケースが増えたため、解放後に悲惨な離婚をした者が多かったと語ってもいる。朴裕河には、戦時動員そのものの暴力性・抑圧性への想像力が一切ないように思える。「たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。」(225)と書けてしまう植民地支配認識の甘さが、ここでも露呈している。

 さらにこの記述からは、証言や史料の解釈の際に朴が重視しているのが、植民地支配を生きた人々の声に耳を傾けることではなく、朴自身の図式・思い込み――挺身隊には自発的に志願して行った――であることがわかる。自らの図式を維持するためには、他者を貶めることも厭わない。朴はここで自説を維持するために、二つの〈嘘〉を登場させているが、そこには何の根拠も示されていない。本当は「慰安婦」になるとわかっていながら「挺身隊」に行くと親に言った者、娘を「慰安婦」として業者に売っていながら「挺身隊」に連れて行かれたと言った者は本当にいたのか。朴の想像にすぎないではないか。「文学」とはかくも「自由」なものなのか。

 朴はこれらの根拠なき推論にさらなる推論を重ねる。

「おそらく、このような混同を生み出したのはまずは業者の嘘によるものだったはずだ。「挺身隊に行く」と偽って、実際には「慰安婦」にするために戦場に送るような嘘である。それは自分の利益のためのみならず、軍が要望する圧倒的な数に応えるためにも、「挺身隊」という装置が必要だったのだろう。合法的な挺身隊の存在が、不法なだましや誘拐を助長したとも言える。そこに介在した嘘は、慰安婦になる運命の女性たち自身や周りの人々、そしてその家族をその構造に入りやすくする、無意識のうちに共謀した(嘘〉でもあった。そこで行われている最後の段階での民族的蹂躙を正視しないためにも必要だった、〈民族の嘘〉だったのかもしれない。
 つまり、彼女たちのみならず、彼女たちを守れなかった植民地の人々すべてが、〈慰安婦ではなく挺身隊〉との〈嘘〉に、意識的あるいは無意識的のうちに加担した結果でもあったのである。そして、そのような嘘を必要とする事態こそが、「植民地支配」というものでもあった。」(61-62)

 こうして、業者の嘘、女性たちの嘘、親たちの嘘は、「共謀した〈嘘〉」として渾然一体となり、周到に日本軍の嘘のみを排除したうえで、〈民族の嘘〉なる驚くべき言葉が作られるに至る。朝鮮人たち――業者、女性、親――が「挺身隊」を隠れみのに共謀して嘘をついた、それはこの朝鮮人たちを「その構造に入りやすくする」ような「無意識のうちに共謀した〈嘘〉」であった。目を疑う記述だが、本当に朴裕河はこう言っているのである。しかも何の根拠もない。

 この「共謀した〈嘘〉」なる言説が破綻していることは、上の引用だけからでも明らかである。女性や親たちが嘘をついたとするならば、業者は嘘をついていないことになる。業者が連れていく目的を伝えていなければ、親や女性たちは嘘などつきようがない。結局朴のいう「共謀した〈嘘〉」「民族の〈嘘〉」論は、業者すら免責し、末端の民衆たちに責任を転嫁する言説なのである。植民地支配下を生きざるをえなかった朝鮮民衆の経験を根本的に侮辱する、この〈民族の嘘〉なる言説を、朴は何らの根拠も示さないばかりか、挺身隊についての初歩的な理解すらしていないなかで主張した。この本は正しく「反動的」な著作と呼ぶべきである。

 繰り返しになるが、この本を讃えている者たちは、一体自らが何を褒めているのかを知り、真摯に反省すべきである。本来ならば論証なき著作(「軟体動物」)は一笑にふされ屑箱に放り込まれてしかるべきである。にもかかわらず、軟体動物は数々の賞を得て、生き延びている。知識人の社会的責任を放棄したうえ、被害者たちへの侮辱に手を貸す「識者」たちの責任は極めて大きい。こうした軟体動物の群れには、確かに「関節技」に留まらない相応の料理法を考えねばならないのかもしれない。力を合わせ、知恵を絞って大釜を拵えねばなるまい。ただ、その前に指摘すべき誤りがまだまだ残っている。

*1 金富子「混迷する『慰安婦』問題を考える 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配」『静岡県近代史研究』40号、2015年、日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編、金富子・板垣竜太責任編集『Q&A朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任 あなたの疑問に答えます』(Fight for Justiceブックレット3)、御茶ノ水書房、2015年など。

*2 なお、秦は該当箇所を林えいだい編『戦時外国人強制連行関係史料集』(明石書店、1991年)から引いたとしているが、同書に『国民徴用の解説』は収録されていない。林えいだいの解説からの孫引きの可能性もある。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-11-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか

 乗りかかった船であるし批判を始めた社会的責任もあるため、いま全面的に『帝国の慰安婦』の再検証をしているが、この本にはまだまだ数えきれないほどの誤りがある。誇張ではなく、毎日何かしらの誤りが見つかる。私がこれまで書いてきたことですら、本書の誤謬のほんの一部に過ぎないのである。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞文化貢献部門大賞を受賞したようだが、改めてこのような本が次々と学術・論壇関連の賞を獲得し続けることに呆然とせざるをえない。

 ところで、石橋賞の授賞理由のなかでホルヴァート・アンドリューは『帝国の慰安婦』は「日韓両国民の多くが抱く「ウソ」を冷静に分析」したとし、「本は日本人が抱く「ウソ」にも厳しい」と記している。朴裕河自身も、自著(そして自身)について左派も右派も批判したと表象しているし、朝鮮語版だけにある後記でも、ハンギョレ新聞の記者が『和解のために』を「日本右翼の賛辞を受けた」と書いたことに激怒している(318頁)。

 だが『帝国の慰安婦』に関していえば、日本の右派への批判は全く「厳しい」ものではないし、むしろ右派の賛辞を得ているという評価はあながち間違っていないと思う。アジア太平洋賞特別賞の選考委員は明らかに右派であるし、朴を賞賛する長田達治なども同様である。ほかにも例えば秦郁彦は次のように書いている。

「筆者は『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)などで、第二次大戦からベトナム戦争に至るまで、韓国をふくむ参戦諸国が慰安婦を利用していた事実があり、彼女たちは公娼(売春婦)という職業の戦地版にすぎず、日本軍慰安婦だけが批判の的にされる理由は乏しいと反論してきた。
意外にも筆者と似た理解を示したのは、韓国世宗大学校の朴裕河教授である。しかし強制連行や性奴隷説を否定し、「韓国軍、在韓米軍の慰安婦の存在を無視するのは偽善」と指摘した彼女は、慰安婦の支援組織から「親日的」だとして提訴された。
 熊谷本[『慰安婦問題』(筑摩新書)のこと]は吉見と秦=朴の中間的立場を取るが、論争の経過や争点を手際よく整理してくれているので、概説書としては最適だろう。ただし「フェミニズムによる挑戦」という観念論に傾き、韓国等の反日ナショナリズムに圧倒されがちな現実から目をそらしているのが物足りない。」(『週刊文春』2015年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号[57巻18号]、146頁)

 「秦=朴」と書くほどに、『帝国の慰安婦』は自身「と似た理解」であると考えているのである。私は秦郁彦の『帝国の慰安婦』理解は決して誤っていないと考える。朴の業者主役説をはじめとする日本軍「慰安婦」制度理解は秦郁彦と極めて似通っている。日本軍責任否定論者にとっては、朴の所説は都合のいいものだろう。しかも、「黙認」「需要」の責任はあるといったレトリックで、責任を認めたかのような粉飾までしているのだから、大変便利である。

 ただ、右派が『帝国の慰安婦』を受け容れる理由としては、こうした積極的理由(自らにとって都合がいい)に加えて、消極的理由、すなわち朴の右派批判が右派にとって痛くも痒くもない、という事実をあげておかねばなるまい。

 朴は『帝国の慰安婦』第三部第一章「否定者を支える植民地認識」で、「慰安婦」否定論者への「批判」を行っている。具体的には、(1)女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦であり、強制連行などなかった、(2)軍隊は女性たちを保護しようとした、(3)慰安婦は当時は合法だった、(4)戦場の慰安婦たちはとても「性奴隷」には見えなかった、という四つの主張への「反論」を試みているのだが、これが全く「反論」になっていない。

 そもそも、「否定者」というだけで否定論者は具体的に名指しされておらず、わずかに第四節において、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」『WiLL』2007年8月号増刊、諏訪澄「「従軍慰安婦」に入れ揚げたNHK」(同上)、木村才蔵「慰安婦問題を斬る!」『国体文化』、2007年5月、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会識員による歴史教科書問題の総括』が名指されているにとどまる。しかも最後の『歴史教科書への疑問』は日本軍「慰安婦」問題に関する記述への反論ではない。相手を特定しない批判ならば、大して痛くはないだろう。

 そして一番の問題は「反論」の論理である。詳しくは別の機会に譲るが、結論からいうならば、朴の反論は基本的に相手の主張を全て認めて事実関係を争わず、その「見方」のレベルで勝負しようとするものである。いわば、相手の土俵に全面的に乗った「反論」といえる。

 例えば、「女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦である」という主張に対して、朴は、確かに自発的に行った娼婦だったが、そうさせた「構造」が問題だ、と切り返す。

「しかし、たとえ〈自発的〉に行ったように見えても、それは表面的な自発性でしかない。彼女たちをして「醜業」と呼ばれる仕事を選択させたのは、彼女たちの意志とは無関係な社会構造だった。彼女たちはただ、貧しかったり、植民地に生まれたり、家父長制の強い社会に生まれたがために、自立可能な別の仕事ができるだけの教育(文化資本)を受ける機会を得られなかった。」(229-230)

 「彼女たち」が「自発的」に行ったこと、「醜業」を「選択」したことを認めてしまうのである。「強制連行」の概念が恣意的に切り縮められていることの指摘すらなく、事実関係に至っては全く争わない。そのうえで「選択」させたのは「意志とは無関係な社会構造だった」と「反論」する。

 当時は「合法」だった、という主張についても同様だ。

「慰安婦たちがたとえ慰安婦になる前から売春婦だったとしても、そのことはもはや重要ではない。朝鮮人慰安婦という存在が、植民地支配の構造が生んだものである限り、「日本の」公娼システム――日本の男性のための法に、植民地を組み込んだこと自体が問題なのである。慰安所利用が「当時は認められていた」とする主張は、「朝鮮人慰安婦」問題の本質を見ていない言葉にすぎない。」

 確かに合法だった、だがそれは男たちがつくった「法」だった、という「反論」である。これほど当時の条約や法律にすら違反していた事例が紹介されているにもかかわらず、ただちに合法であったことを認めてしまう。「遅ればせながらでも、過去のあることを、「正しくないこと」と新たに認識することが重要」だという指摘は一見いいことを言っているように聞こえる。だが合法性が問題となっている際に、相手の主張を認めたうえで「慰安所の利用を常識とし、合法とする考えには、その状況に対する恥の感覚が存在しない。」などという倫理の次元の論点を繰り出すのは、単なる逃避であろう。

 植民地支配は「善政」だった、という主張への反論もふるっている。

「植民地支配の内実が実際にはよい統治だったと強調する人も日本には多い。しかし、たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。逆に言えば、日本の統治が〈穏健〉だったのは、日本国家への服従が前提とされていた空間でのことだった。法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである。同じく、植民地ではなく戦場で、さきの小説でのようなことがあり得たのは、そこが「国家」(法律体系)の外の空間だったからである。つまり、そこはもはや、日常を維持する法を作動させなくてよい空間だった。」(225)

 植民地統治に服従する人々にとっては確かに善政だったのだそうだ。まだまだある。

 とても「性奴隷」には見えなかった、という主張に対しては、それは彼女たちが精一杯「国家」に尽くそうとしたからだ、「愛国」しようとしたからだ、と「反論」する。

「彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは、売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な〈愛国娘〉の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で輻して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったのだろう。」
「植民地人として、そして〈国家のために〉闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民闘」の「女」として、彼女たちに許された誇り――自己存在の意義、承認――は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵二○○七)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような〈愛国〉を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。」(232)

 ここでもかつての兵士側からの一方的な追憶を他の史料によって批判的に相対化する作業などは試みることすらせず(千田夏光の本だけからでも反論できる証言は山程ひきだせる)、確かにそうだ、だがそれは彼女たちが一生懸命「愛国」しようとしたからだ、と認めてしまうのである。「戦場における兵士たちの性行為は、死という非日常を押しつけられた中で「日常」をとりもどそうとする切ない欲望の表出でもあって、一概に非難することはできない」(233)と物分りのよい態度を示しながら。

 私はこの本の核心となるテーゼの一つ、朝鮮人「慰安婦」は〈愛国〉的存在であった、という主張は、全く証明できていないと考えている(千田もそんなことは主張していない)。だが、朴は事実関係や証言、史料と真摯に向き合わず、自らが考えついた図式に基づいて右派の主張を事実認識のレベルで全面的に認めたうえで、「彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者(慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ)たちが批判するのは矛盾している」(232)といった、「愛国者」としての首尾一貫性だけを問題にする。朴の右派への「反論」は一事が万事この調子である。このような机上の屁理屈の「批判」が右派の脅威になるはずがない。右派にとって『帝国の慰安婦』の批判など何らの痛痒も感じさせないものであるばかりか、事実関係については右派の認識を全面的に肯定してくれるのでむしろ都合がいいとさえいえる。『帝国の慰安婦』が右派に受け入れられるのは当然であろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-10-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(6・終)

6.結び

 以上で朴裕河の「反論」をすべて検証した。私の「批判が誤読と曲解に満ちたものだった」という論難は誤っており、朴の「反論」は何ら反批判たりえていないことが証明されたのではないだろうか。

 朴裕河は「反論」の結びとして、「5.生産的な談論のために」と題して以下のように書いた。

「鄭栄桓はもはや徐京植や高橋哲哉すら批判する。高橋はリベラル知識人のなかでもとりわけ「反省的な」視角と態度を堅持してきた人物であり、徐京植と共同作業を数多くしてきた人物でもある。こうした者たちまで批判する鄭栄桓に最初の答弁で問うた言葉を再び問いたい。鄭栄桓の批判はどこを志向するのか?
 確かなことは、鄭栄桓の「方法」は日本社会を変化させるどころか、謝罪する心を持った者たちすら背を向けさせ、在日僑胞社会をより苦しくさせるだろうということだ。もちろん日本社会に問題がありもするが、それ以上に鄭栄桓の非難に「致命的な問題」があるからだ。その問題を私に対する批判の方式が証明している。存在しもしない意図を探しだすために貴重な時間を消耗するよりも、生産的な談論の生産に力を使って欲しいと願う。」

 私のような批判を野放しにしておくと、在日同胞社会が損をするぞ、その証拠に徐京植や高橋哲哉すら批判しているではないか、と読者に「忠告」しているわけだ。呆れた「反論」である。

 残念ながら、この結びにもあらわれているように朴の「反論」は『帝国の慰安婦』に輪をかけて質が低く、事実上反論をしていないに等しい。本論中でも指摘したように、私の論文からのまともな引用も出来ていないうえ、自らの著作すら理解しているか怪しい。その代わりに幼稚な揶揄(「歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないこと」云々)を投げつけ、論点をそらし(「こうした批判は、日本人男性の小説はその存在自体が日本に有利な存在であるかのように考える偏見が生み出したもの」云々)、「誤読と歪曲」をしていると批判者に責任を転嫁する。これは極めて異様なことである。

 私が朴裕河の「反論」に何より欠けていると思うのは、自らが発表した著作に対する責任意識である。私たちは何かを書くときには、常に何らかの意図と目的を持って調査するがゆえに、それを適切に表現できるか、読み手に伝わるかどうか苦悶しながら執筆し、公表する。そして公の場に示された著作は、もはや著者の意図を離れ、それ自体独立のテキストとして評価されざるをえない。それゆえテキストに即した批判に対しては、反論をする側も改めてテキストに即して説明するほかない。本当はこう書きたかったんだ、という「意図」を示したところで、テキストとは異なる内容であるならばそれは「反論」にはなりえない。人格を論じているのではなく、その著作を論じているのだから当然である。著者には公の場にテキストを公表した責任として、そこで書いたこと(「書こうとしたこと」ではない)への責任が生じると私は考える。

 今回の反論にもこうした責任意識の欠如がよくあらわれている。『帝国の慰安婦』では書いていないことを「要約」して示してみたり、明らかに書いていることを書いてないと「反論」してみたり、ディシプリンの違いに逃げ込んだりすることに、それはよく現れている。自らの著作を理解していないのである。だからこそ、批判に対して、批判者のスタイルや属性をまず問題視するような「反論」が書けるのだろう。自らの著作に愛着と責任を感じるのなら、絶対にこうした「反論」のスタイルは試みないと思うのだが、どうだろうか。

 最後に、以下の二段落の叙述については改めてその「根拠」を問い、抗議したい。

「鄭栄桓は同じ方法で私が「韓日合邦を肯定」したと書く。だが私は韓日合邦無効論に懐疑を示しながらも、「もちろん現在の日本政府が慰安婦問題をはじめとする植民地支配に対する責任を本当に感じるのであれば、そしてそれを敗戦以後国家が正式に表現したことが無かったという認識がもし日本政府に生じたならば、「法的」には終わった韓日協定だといっても、再考の余地はあるだろう。女性のためのアジア平和国民基金の国内外の混乱は、その再考が源泉的に排除された結果でもある」(『和解のために』235)と書いた。私は韓日合邦も韓日協定も「肯定」していない。

 私は慰安婦を作り出したのは、近代国民国家の男性主義、家父長主義、帝国主義の女性/民族/階級/売春差別意識であるため、日本はそうした近代国家のシステムの問題であったことを認識し、慰安婦に対し謝罪/補償をすることが正しいと書いた。にもかかわらず鄭栄桓は「朴裕河は韓日合邦を肯定し、1965年体制を守護しており、慰安婦のハルモニの個人請求権を認めない」というのである。私は「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える。」

 すでに指摘したが、私は朴が「韓日合邦を肯定」したなどとは書いていない。繰り返しになるが、引用符を引用でもない箇所で用いるべきではない。また、朴が併合条約を合法とし、慰安婦女性たちの請求権を認めないのは、『帝国の慰安婦』を一読すれば明らかである。日韓協定の再協商を否定し、協定の枠内での調停すら批判する朴の立場が「1965年体制」を「守護」するものと理解することも決して逸脱した解釈ではあるまい。にもかかわらず、「「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える」その根拠は何か。それがいかなる「犯罪」に該当するのか。朴裕河には回答する義務がある。なお、この点については『歴史批評』の編集委員会にも責任があると考えるため、再反論の掲載を求めるつもりである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-10-07 00:01 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

5.「反論」の検証⑤――在朝鮮日本財産と「個人の請求権」について

 朴裕河は「反論」において、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」に関連して次のように指摘した。

「鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」(476頁)

 はじめに強調しておきたいのは、こんな主張は初耳だ、ということである。確かに私は、『歴史批評』論文では朴の在朝鮮日本財産に関する主張について検討していない。だがそれは不都合な箇所であったからではない。朴の立論にとって重要な箇所ではないと判断したからである。この「反論」で朴は、「個人の請求権」が認められない論拠として、在朝鮮日本財産の問題を指摘しているが、こんな主張を『帝国の慰安婦』ではしていない。もししていたら取り上げないはずがない。驚くべき珍説だからだ。

 まずは、私が「抜いて引用」したといわれた『帝国の慰安婦』の該当箇所を全文引用しよう(段落記号は筆者が付した)。

「【A】しかし、不思議なことに、人的被害に対する要求は、1937年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、1910年以降の36年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事柄に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からとするべきだが)、1937年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。
【B】決裂することもあったほどに、互いに植民地時代を強く意識していながら、そういうことになったのは、日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまでも戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基づくものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。
【C】会談は、金銭的な問題については、日本が残してきた資産と韓国が請求すべき補償金(対日債権、韓国人の軍人軍属官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)をめぐっての議論が中心だったようである。そして請求権に関して、基本条約の付随条約――「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれたのだった。つまり、日本がこだわっていた朝鮮半島内の日本人資産は放棄され、(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った。これも反共戦線を作るためのアメリカの思惑が働いてのことのようで、アメリカが日本から受け取るべき費用(引揚者の帰国費用など)をそのようにして肩代わりすることで、韓国の自立を助けたという(浅野豊美二〇〇八[『帝国日本の植民地法制』:引用者注]、六〇六~六〇七頁)。
【D】いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(『帝国の慰安婦』日本語版、248-249頁)

 【A】~【D】4つの段落のうち、『歴史批評』論文では【C】を省略し、朴が「経済協力」を「賠償金」と理解している論拠として示した。朴が「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分」としたのはこの【C】である。叙述が錯綜しておりわかりづらいため、この箇所を改めて整理し直すと以下のようになる。

(1)韓国政府がサンフランシスコ講和条約の枠組みを意識して、日中戦争以降の動員による人的被害への賠償だけを求めた(【A】【B】)
(2)日韓会談では在朝鮮日本財産と「韓国が請求すべき補償金」の処理が議題となった。米国が反共戦線を作り韓国の自立を助けるため、前者は放棄された。(【C】)
(3)日韓請求権協定により日本政府は「1937年以降の戦争動員に限る」賠償金を韓国に支払い、韓国政府が個人の請求に応えることとなった。(【D】)

 こうしてまとめると、正しいかは別にして、朴の意図はよくわかる。韓国は1937年以降の戦争に限って対日賠償請求をして請求権協定で賠償が支払われた(誤っているが)一方、日本は米国の政策により対韓財産請求を放棄した、と言いたいのであろう。ただ【C】の叙述は時系列が混乱しており、大変読みづらい。【C】をさらに分解すると以下の通りになる。

【C1】日韓会談では在朝鮮日本資産と韓国の請求する補償金が議題となり、請求権協定が結ばれた。(1952-65年)
【C2】日本は在朝鮮日本資産を放棄し、米国が戦勝国として「接受」し韓国に与えた。(1945-48、51、57年)
【C3】米国の政策の意図は反共戦線を作り韓国の自立させるためであった。(?年)

 おそらく【C2】は1957年の米国政府による米軍政令解釈の日本政府への提示を念頭に置いた叙述なのであろうが、「(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った」という曖昧な書き方をしているため、日韓会談開始以前の接収と払い下げを指すようにしか読めない。よって時系列的には過去へと遡るように読めるにもかかわらず、朴は【C1】と【C2】を「つまり」で接続するため、前提知識の無い者が読むと、日韓交渉の最中に米国が旧日本資産を接収したうえで韓国に与え、日本の対韓財産請求を封じ込めたと読んでしまう可能性が高い。逆に、ある程度歴史的経緯を知っている者がこの箇所を読むと、突然タイムマシーンに乗せられて過去に放り込まれたような、不条理な感覚に襲われるのである。

 何よりここでの問題は、この叙述から元「慰安婦」被害者の「請求権を請求するのが難しいと理解する」ことができるか、ということである。

 まず、【C】における在朝鮮日本財産への言及は、あくまで米国が「反共戦線」と韓国の自立のため日本に請求を放棄させた、という主張を支えるためのものである。この主張の当否はひとまずおくとしても、元「慰安婦」被害者の「個人の請求権」が認められない論拠として触れられたわけではないことは明らかだ。本書を未読の者は「反論」の主張は自著の該当箇所を「要約」したものであると考えるであろうがが、上の引用から明らかなように、『帝国の慰安婦』で朴はそのような主張を行ったわけではない。「反論」における在朝鮮日本財産と「個人の請求権」に関する主張は、『帝国の慰安婦』にはみられない全く新しい主張なのである。

 朴裕河が『帝国の慰安婦』刊行後に講演やfacebook等で示した「要約」なるものは、多くの場合要約たりえていないが、今回も同様である。少なくとも『帝国の慰安婦』から、「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である」という朴の意図を読み取ることは不可能である。朴が先行研究や証言、史料を適切に読み解けていないことを私は再三指摘してきたが、ここではそれどころか、朴が自著すらも全く読み解けていないことが露呈している。

 ところで、【C】の段落には浅野豊美の著作が出典として示されている。浅野が「個人の請求権」について朴の「反論」のような主張をしたのであろうか。念のため該当箇所と思われる部分を以下に引用しよう。

「アメリカの主導する東アジアの地域統合プランがこうして大幅に修正される[中国東北・北朝鮮の重工業設備に日本から撤去した賠償設備を加えて中国・朝鮮の近代化を実現する構想が、中国共産党の勝利により日本の復興支援政策へと修正されたこと:引用者注]前に、南朝鮮における在外財産の接収は、初期の懲罰的賠償計画の一環として1945年12月の米軍政令33号によって行われた。それらは「敵産」の払下げという形で現地の住民に移譲されたが、その国際法上の位置づけは、あくまでアメリカが受けとった賠償物資を、現地の住民に対してアメリカからの援助の一部として移譲するというものであった。そして、一度接収された在外私有財産の返還は、あくまで日本政府と日本国民との間で解決されるべき問題と、アメリカはみなしていた。前述した占領方針中の私有財産処理原則にもかかわらず、アメリカが日本人私有財産の所有権移転に踏み切ったのは、北朝鮮における日本人私有財産が没収処分を受けていたため、南朝鮮でのみその補償を前提とする敵産管理政策を持続すれば、朝鮮人からの不信を招くとする理由からであった。アメリカはその処分をサンフランシスコ講和条約四条b項により日本に認めさせ、また、後述する1957年末の日韓両政府への覚書でも、在韓私有財産の請求権が日本にはないという解釈を提示することによって、両国の実質的仲介役となっていた。」(浅野豊美『帝国日本の植民地法制』名古屋大学出版会、2008年、p.606-607)

 浅野はこのように、あくまで南朝鮮において米軍政が日本財産の接収に踏み切った背景を説明しているのであって、「個人の請求権」については語っていない。本来ならこうした「反論」は無視してもよいのであろうが、朴がとりわけ強調したい論拠でもあるようなので、簡単にだけその妥当性を検証しておこう。

 朴は「米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分[…]こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」と主張する。朴が何を言いたいのか私には正確には理解できないのだが、あえて整理するならば、「反論」には以下の二つの命題が含まれていると考えられる。

元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」は、米国が在朝鮮日本財産を韓国に払い下げて日本人の引揚げ費用と相殺させたため、認められない。
元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」を認めると、在朝鮮日本財産に対する日本人の請求が可能になる。

 結論からいえば、このような主張は成り立たないと考えられる。在朝鮮日本財産については、在朝鮮米軍政庁が1945年12月6日の米軍政令33号で接収し、政府樹立に伴い韓国に払い下げたが、日本政府はこの効力を1951年9月8日調印のサンフランシスコ講和条約第4条(b)項で認めている。1952年以降の日韓交渉で確かに日本政府は在朝鮮日本資産の問題を「逆請求権」として論点化するが、サ条約で効力を認めたため本当に請求できるとは流石に思っておらず、当時の日本側の表現を借りれば一種の「バーゲニング・トゥール」以上の意味はなかった(*1)。上の浅野の引用にもあるように、米国は1957年に日本側が権利を主張できないとの米軍政令の解釈を日本政府に伝えており日韓会談でも議論されている。

 よって旧日本財産に対する何らかの補償を日本人が韓国政府に請求するためには、現時点ではサ条約を改定するほかなく、それは不可能であろう。少なくとも韓国政府を相手にするものに関する限り、「国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になる」という事態が発生するとは考えにくい。

 また、かつても指摘したように日韓会談で元「慰安婦」被害者への補償問題が議論された形跡はなく、日韓両政府による「相殺」されたと考えることは困難であろう。何より朴の「反論」は、旧日本財産と日本人の引揚げ費用が相殺されたため、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」が認められない、という奇妙な理屈が展開されており、仮にそのような主張をするのであれば論拠を示すべきであろう。そもそも、元「慰安婦」被害者たちが求めている「請求」の内容は、単純な財産の返還・補償請求ではなく、人的・物的被害に対する補償も含まれたより広範なものだ。全く位相が異なる問題である。

 いずれにしても、朴の「反論」における主張はあまりに珍奇なため、これだけでは何を主張したいのか理解しがたい。相応の論拠を示していただきたい。

*1 太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」、『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』(法政大学出版局、2011年)等を参照。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-10-07 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「第27回アジア・太平洋賞」特別賞受賞について

 朴裕河『帝国の慰安婦』が「第27回アジア・太平洋賞」特別賞を受賞した。朴は自身のfacebookで「(授賞)を辞退しない理由」と題して、「指折りの進歩新聞」である毎日新聞社から賞を与えられた喜びを綴っているが、そのなかに以下のような一節があった(強調は引用者)。

「毎日新聞社で「アジア・太平洋賞特別賞」受賞者に内定したとの知らせを興奮した声で電話で知らせてくれたのも彼女[朝日新聞出版の担当編集者]だった。私はその知らせを地下鉄のホームで受けた。はじめに頭をかすめたのは、このことをもってまた歪曲し非難する者たちがいるだろうという考えだったから、喜びよりも複雑な心境だったが、いずれにしろ高い評価を受けたのは彼女の苦労のおかげであると考えて、私は真心を込めて彼女にありがとうと言った。在日僑胞学者の執拗な批判が影響を及ぼすのではないかと編集者は心配したが、大賞ではない理由がそこにあるのかどうかはまだよくわからない。

 「在日僑胞学者の執拗な批判」とは、おそらく私の批判を指すのであろう。確かに残念である。私は本書が数多くの事実関係の誤りと恣意的な方法により綴られた、到底評価するに値しない問題作であることを丁寧に説明し、批判してきたつもりだ。学問的論争以前の欠陥品であることをそれこそ「執拗」に様々な論点をあげて指摘した。「在日僑胞学者の執拗な批判」がなければ大賞もありえたかのように書ける神経には絶句するほかないが(授賞を辞退するつもりなどもとより無いだろう)、いずれにしろ数多くの批判など存在すらしないかのような今般の授賞には憤りをおぼえざるをえない。

 もちろん授賞が「アジア・太平洋賞特別賞」の価値を減ずるといいたいわけではない。選考委員の顔ぶれをみると(北村正任・アジア調査会長、田中明彦・国際協力機構理事長、渡辺利夫・拓殖大学総長、白石隆・政策研究大学院大学学長、伊藤芳明・毎日新聞社主筆)、さもありなんという印象である(*1)。ただこの授賞で権威づけられることにより、本書が今後さらに日本社会で「まともな本」「信頼すべき本」として扱われ、その誤りに満ちた記述が「歴史」とみなされ、日本の朝鮮支配の事実を歪め、植民地支配の被害者たち、証言者たちの尊厳が再び踏みにじられることが耐え難いのである。暗澹たる気分になる。おそらく本書は今後も何らかの賞を与えられるであろう。さらなる「執拗な批判」が必要である。

*1 ちなみに「指折りの進歩新聞」である元毎日新聞社ソウル支局長で現アジア調査会理事(常勤)の長田達治はかつて「ナヌムの家」の人々による『帝国の慰安婦』への抗議を以下のように批判した。

「ナヌムの家の連中(挺対協[訴えたのは挺対協ではない:引用者注])が世宗大学に何度も抗議に訪れるなど、朴裕河さんに対する嫌がらせを継続しているそうだ。ソウル大学の学者などが挺対協の応援団にいる。この要塞のような反日利益集団に楔を打ち込み、真実を韓国国民に知らせるためには米軍基地慰安婦問題を韓国で大々的にキャンペーンするのがいいと思う。「ハルモニ=韓国の天皇」という頑迷左派のイデオロギーを崩さないことには韓日和解などとうていできない。」(2014年7月5日)

 また、私の『帝国の慰安婦』批判について「人格攻撃」「滅茶苦茶な批判論文」とし、「挺対協など反日団体の回し者」と非難した。「進歩新聞」記者の言説として、記録しておきたい。

「鄭栄桓氏は挺対協など反日団体の回し者か。朴裕河さんの書物を実証的に批判するのでなく、彼女への人格攻撃に終始している。<本書において筆者は明確に、植民地支配を「不正義」と認識してこれを批判・糾弾する立場を放棄するよう朝鮮人側に求めている(しかも「証言者」の言葉を借りて)。(続く)」
「鄭栄桓氏が日本語で滅茶苦茶な批判論文を出してくれているので、韓国における朴裕河氏を誹謗中傷する嵐のような反日の悪意の論の空気を少しだけ体験できた。こういう悪意の塊のような反日勢力が「絶対に日本を許すな」と論陣を張り続け、朴槿恵大統領もそれにはアンタッチャブルなのだ。困ったもんだ。」
 長田達治@osada_tatsuji 2014年12月31日
 http://twilog.org/osada_tatsuji/month-1412
 
(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-10-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

4.「反論」の検証④――【4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬】について

 いよいよ核心の第四節である。私は『歴史批評』論文の半分以上を朴裕河の韓日協定・韓日会談理解の誤謬への批判に割いた。あまりに深刻な先行研究の誤読と歪曲があり、かつそれが本書の核心的主張の根拠とされていたからだ。「4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬」はこれへの反論である。

(1)日本軍責任論の理解について

 私は『歴史批評』論文で、まず朴が日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定したことを指摘した。朴裕河はこれについて次のように反論する。

「1)慰安婦問題に関する責任について
 鄭栄桓は私が慰安婦問題の「責任を日本国家に問えない」(480)としたと整理する。だが私は「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。また、知られていない様々な状況を勘案して判断するならば、「法的」責任を前提とした賠償要求は無理だというのが私の考えだ。私が「業者」ら中間者に注目する理由は、日本国家の責任を否定するためではなく、彼らこそが過酷な暴力と強制労働の主体であり、それによる利得を得たからである。誘拐や詐欺などは当時でも処罰の対象だったからだ。何より慰安婦の「恨み」は彼らに向けられていからでもある。」

 この段落は大いに読者を混乱させる。「「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。」という一文を読んだ者は、当然ながら朴が日本国家の「法的責任」を認めている、と考えるだろう。「まず業者に問わねばならない」というからには、日本国家の法的責任を問うことも想定していると考えられるからだ。この一文に関する限り、問題は業者と軍に責任を問う順序に過ぎない。だが朴の叙述はそうした予測を裏切り、あろうことか「また」という並列の接続詞を用いて法的責任を否定する文章へと接続する。結局のところ朴は、法的責任は業者にのみ問える、軍には問えない、と言っているに過ぎない。

 何より、朴が、日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定した、という私の整理は何ら誤っていない。実際、朴は本書で次のように記している。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。[中略]慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた国家である。」(三二頁)
「この請求[元「慰安婦」被害者らによる憲法訴願:引用者注]の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。[中略]しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」[日本国家に損害賠償を請求する権利:引用者注]を抹消したのは、韓国政府でもあった。」(一八〇頁)

 朴が日本軍の責任に言及した数少ない箇所の一つである。注意深く日本軍の「責任」を「発想」と「黙認」に限定していることは明らかであろう。さらに今回の反論では慰安所設置の指示について次のように書いている。

「私は慰安婦問題の「本質は公式的な指揮命令系統を通して慰安所設置を指示」したという吉見の主張を大体のところ支持するが、女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える。また「兵站付属施設」だという永井和の指摘もまた支持するが、既存の遊郭を使用した場合も多かった点が補完されねばならないと考える。/もちろん、それをみる理由は日本の責任を稀釈させるためではなく、支援者たちがいう「真相究明」のためだ。」

 吉見の指摘を支持するならば、日本軍の責任は制度の「発想」や人身売買の「黙認」に留まるという朴の主張は維持できないはずだ。軍が女性の徴集を命じなければ、人身売買も起きようはずがなく、その責任を軍もまた負うべきであることは当然であろう。だが、朴は「女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える」という弁明でもって、あくまで自らの主張は正しいという。朴のいう「業者の自律性」とは何か。軍の指示とは関係なく、業者が自ら女性を集め、軍に出向いて商売をした、ということだろうか。だとすれば吉見の指摘への「支持」と矛盾するのではないか。この箇所も全く「反論」足りえていない。

 さらに朴は、次のように私の指摘が「飛躍」だと批判する。

「鄭栄桓の私に対する批判が純粋な疑問を逸脱した曲解であることは、需要をつくったこと自体、すなわち戦争をしたこと自体を批判する私の文章を引用しながら、「上の引用は見ようによっては供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」(481)とまでいっている指摘にあらわれている。甚だしくは「業者の逸脱だけを問題視するならば、軍慰安所という制度自体の責任が免除されるのは当然の論理的帰結」(481)だと書く鄭栄桓の飛躍にはただ驚くばかりだ。
 私は「軍による慰安所設置と女性の徴集、公権力を通じた連行」(482)を同列において「例外的なこと」と記述してはいない。私が例外的であると書いたのは、朝鮮半島での「公権力を通した連行」のみである。にもかかわらず鄭栄桓はこうした方式で要約し、私が「軍の慰安所設置」をあたかも例外的なこととみなしたかのように見えるように試みる。」

 ここで朴は、当然に私の主張が「飛躍」であるかのように書いているが、「慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。」(『帝国の慰安婦』32頁)という叙述から、「供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」と考えるのは、決して「飛躍」した解釈ではない。むしろ素直な読み方であろう。なぜ「飛躍」なのかを説明したうえで反論すべきである。

 なお、「例外的なこと」に関するについては確かに私の書き方が不正確であった。公権力を通じた連行のみを「例外的なこと」と記述したと書くべきだった。なぜなら、「軍による慰安所設置と女性の徴集」については、「例外的なこと」としての言及どころか、本書では全く言及されていないからだ。はっきりと「軍による慰安所設置と女性の徴集」に言及していない、と記すべきであった。

(2)憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨の誤読について

 次に私は、朴が憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨を誤って理解していることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「2)憲法裁判決について
 憲法裁判決について、私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。だがこれはそうした形式――裁判に依拠した請求権要求という方式とその効果に対する懐疑だっただけで、補償自体に反対したことはない。にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする。
 また、私は支援団体が依拠してきた「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をもとにしては、「慰安婦制度を違法にはでき」ず、よって損害賠償を得られないという藍谷の指摘に共感したにすぎず、「責任がない」というために引用したわけではない。藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確かであり、私はその部分に注目しただけだ。「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」したという指摘もまた、単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ。鄭栄桓はいつも形式否定を内容否定に等置させる。甚だしくは、いまは支援団体自らが「法的責任」の主張を変更したことも鄭栄桓は参考にしなければならないだろう。」

 第一段落の滑稽さは今回の反論のなかでもとりわけ際立っている。「私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。」と書いた同じ段落で、「にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする」という。請求権の存在に懐疑を表明する人物の主張を、「請求権自体を否認する立場」だと整理することは「誤読」なのだろうか。そんなことはあるまい。むしろどう整理すれば「誤読」ではないのかを教えてもらいたいくらいだ。

 第二段落の藍谷論文の誤読という指摘への弁明も、全く反論の体をなしていない。本書193-195頁で、朴は藍谷論文に全面的に依拠して、「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」(195頁)ことを主張した。明確に朴は藍谷論文を「「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」した」のであって、私の批判が「単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ」という反論は全く成り立たない。藍谷論文は、「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠でありこの条約をもっては損害賠償の根拠とすることは難しいと指摘したうえで、ハーグ条約・ILO条約に基づく損害賠償請求について論じたのである。そして、これまで裁判所は個人が国際法の法的主体たりえないことを理由に損害賠償請求を退けてきたが、藍たには近年の国際法の理論的深化は個人を法的主体として認める方向へと向かっている、と指摘するのである。藍谷論文から、「法的賠償の根拠はない」という結論は導き出しえない。

 だが朴は「藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確か」という。一体何を言いたいのであろうか。「そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した」とは、何を主張したことを意味するのか。全く意味が明らかでない。曖昧な弁明でお茶を濁すのではなく、具体的に誤読でないことを反論すべきである。

(3)金昌禄論文の誤読について

 さらに私は、韓国政府が「慰安婦」たちの請求権を進んで放棄したという朴の主張は証明されておらず、根拠とした金昌禄論文の理解も誤っていることを指摘した。この箇所は本書においてとりわけ重要な箇所である。朴は日韓会談において元「慰安婦」の請求権を韓国政府が自ら進んで放棄した、と主張した。「韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。」(193頁)と。後に自ら記した『帝国の慰安婦』の「要約」でも、朴は次のようにまとめている。

「そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。」(朴裕河<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

 この「要約」は『帝国の慰安婦』での朴の主張と若干異なるのだが、いずれにしても、日本側は「個人の請求権」を認めようとしたのに、韓国側が進んでそれを放棄した、という主張は本書の核心的主張の一つであることは間違いない。私は『歴史批評』論文において、こうした朴の主張には全く根拠がないことを指摘した。これへの朴の反論は次の通りである。

「3)韓日会談について
 鄭栄桓は私が金昌禄論文も「反対に引用」したというが、私は金昌禄が引用した様々な会談文案を鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた。これもまた根拠なき非難である。
 金昌禄が指摘したように、当時論議されたのは「被徴用者の未収金」であったし、鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。だがいまや慰安婦が「軍属」であったとする資料も出てきたのであるから、私の論拠に依拠するならば、日本が慰安婦を「軍属」として認定することもできるだろう。朝鮮人日本軍すら補償を受けられる「法」が存在したが、慰安婦たちにはそうした「法」は存在しなかったし、そうした認識は慰安婦に関する「補償」を引き出すことができるというのが私の主張であった。」

 これでは問いかけへの答えになっていない。韓国側が進んで日本軍「慰安婦」の個人の請求権を放棄した、と朴は金昌禄論文を根拠に主張した。だが金昌禄論文は元「慰安婦」個人が「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」などとは主張していない。「被徴用者」の、しかも未払い賃金の問題のやりとりを分析したに過ぎず、そこで日本政府は元「慰安婦」についても、あるいはその肉体的・精神的被害への補償についても全く言及していないのである。むしろ韓国政府は日本法上の未払賃金や恩給に限定せずに肉体的・精神的被害への補償を求め、会談で議題とならなかった事柄については「解決」の枠外に置こうとした。これが金昌禄論文の指摘である。つまり、朴が本書でくり返す「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という事実は、全く立証されていないのである。

 朴は一体何を根拠に「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」と主張するのか。根拠があるならば提示すべきだ、というのが私の批判の趣旨であった。この批判に朴は全く答えていない。朴は史料を「鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた」というのみで、全く具体的な反論を行っていない。不誠実の極みである。ついでに指摘するならば、「要約」で新たに付け加えた「韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した」という主張も、同じく全く根拠がない。未払い賃金をめぐるやりとりで韓国側がこのように主張した証拠はない。そもそも「未払い賃金」の支払いは「被害補償」ではない。

 朴は「鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。」と私の批判を「要約」しているが、私はそのような主張をしてはいない。日韓会談関係文書から見つかっている唯一の「慰安婦」への言及は、1953年の会談で韓国側委員が「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」との指摘だけだ、と記したにすぎない。明示的に韓国政府が「慰安婦」の請求権を放棄した証拠などないことを指摘するための傍証としてあげたものだ。

 重要なことなので再度くり返すが、朴裕河の「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という主張には何の根拠もなく、今回の「反論」においても説得的な根拠は示されていない。

(4)張博珍の著書の誤読について

 最後の反論に移ろう。私は、日韓協定による経済協力が戦後補償であり、1937年以降の戦争の賠償であったという朴の理解は誤っており、根拠とした張博珍の著作の理解も誤っていることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「鄭栄桓は私が韓日協定で日本が支給した金額を「戦後補償」だとしたというが、私はサンフランシスコ会談に依拠した会談であるため連合国との枠組みのなかで定めるほかなく、よって日本としては「帝国後処理」ではない「戦後処理」に該当するといっただけだ
 鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。
 何より私はこの時の補償が「戦争」後処理であるにすぎず、「植民地支配」後処理ではないといい、65年補償が不完全であることを確かに言及した。それなのに鄭栄桓はこれについては言及せず、私が1965年体制を「守護」するというのである。
 私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。「戦後処理に従った補償」といった。また、張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。
 鄭栄桓がいまだに知らないのは、韓国政府がこの時、植民地支配に対する「政治的清算」すらしてしまったということだ。浅野論文は『帝国の慰安婦』出版以後に出た。私は本で日本に向けて「植民地支配補償」ではなかったため、補償が残っていると書いたが、浅野論文を読んでむしろ衝撃を受けた。韓日協定をめぐる論議は今後は浅野論文を度外視しては語れなくなるだろう。」

 「敵産接収」問題については節を改めて論じるとして、まず第一段落の「戦後補償」に関する弁明からみよう。朴は自分は日韓協定による経済協力は「戦後補償」であるとは言っていない、という。だが、本書には「日韓基本条約(ママ)は、少なくとも人的被害に関しては、〈帝国後〉補償ではない。あくまでも〈戦後〉補償でしかなかった」(二五一頁)とはっきり書いてある。さらにこの反論のなかでも、「私は韓日協定金額を[中略]「戦後処理に従った補償」といった。」と書いている。「戦後補償」と「〈戦後〉補償」と「戦後処理に従った補償」は別物なのか。
 
 今回の「反論」検証の(1)でも書いたが、朴はこうした重要な概念について必要最低限の定義すらしていないにもかかわらず、思わせぶりな〈 〉を多用するため、読者は混乱するほかないのである。朴のいう「〈戦後〉補償」が仮に「戦後補償」とは別の意味を持つ言葉なのであれば、その説明を本書でしておくべきであろう。そうした説明なしに「〈戦後〉補償」と「戦後補償」と「戦後処理に従った補償」は違うかのように主張されて、違いを弁別できる読者などいるわけがない。朴にはそもそも定義などなく、思いつきでこれらの言葉を濫用していると疑わざるをえない。

 また、朴は「私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。」ともいう。だが本書には次のような記述がある。

「いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(249頁)

 朝鮮語版にも次のような記述がある。

「韓日両国が1965年の国交正常化条約[ママ]の締結に先立ち、過去についての論議を行い、その結果として日本が韓国に無償3億ドル、政府借款2億ドルの「補償」をしたことは間違いのない事実だ。ところがこの賠償[ママ]は「独立祝賀金」と「開発途上国への経済協力金」という名前で実施された。言い換えれば、日本政府は莫大な賠償を行ったが、条約では「植民地支配」や「謝罪」や「補償」といった表現を全く用いなかった。」(258頁)
「ところが結局支払われたのは1910年以降36年間にわたる「植民地支配」による人的・精神的・物的損害に対してではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からというべきだ)中日戦争以降の強制動員に関する補償であった。」(259頁)

 朴は明らかに日韓協定に基づく経済協力を「賠償」「補償」と呼んでいる。今回の「反論」で、朴は挺対協の用法に従って「賠償」「補償」を使い分けたと弁明しているが、これも上の引用をみると苦しい言い逃れであることがわかる。経済協力について、一方では「賠償」といい、一方では「補償」という。「賠償」や「補償」を何らかの意図をもって使い分けている形跡は見いだせない。

 しかも、1937年以降の戦争に限られた「請求権」要求に応じたものと位置づけている。そして、その根拠として張博珍の著書を用いたのである。だが『歴史批評』論文で指摘したように、張が韓国政府が1937年以降の戦争動員被害の賠償のみを主張した、というのは1949年の韓国政府の対日賠償要求方針を指すのであって、1965年の経済協力を指すものではない。朴の日韓協定理解は完全に誤っており、その根拠とした張博珍の著作の理解も誤っている。

 朴は「張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。」と記しているが、以上から、この弁明が全く反論になっていないことは明らかである。1949年の韓国政府の方針を指摘した箇所を、1965年の経済協力の性格を説明するものであるかのように用いるのは、明らかな先行研究の誤用・歪曲ではないか、という質問に答えるべきである。

 そもそも最後の段落は一体何なのだろうか。浅野論文の指摘が重要だというのならば、最低限その要旨を紹介し、具体的に反論すべきではないのか。公刊前の論文をあえて反論に持ち出す以上、最低限その程度の作業を行うべきであろう。全く無意味なほのめかしをすることに貴重な紙数を割く余裕があるならば、一つでも具体的な反論をすべきである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱