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世界「共同提言」と日朝平壌宣言

 これまで四回にわたって世界の「提言」を批判してきた。この「提言」への左からの批判は比較的少なくなく(多いわけでもないが)、それぞれの批判から学ぶところが無いわけではない。ただ、それらの批判を読んでいて、何とも理解できない点がある。

 それは、世界「提言」を批判する論説が、日朝平壌宣言に極めて肯定的、あるいは黙認の姿勢を取っていることである。私がここで世界の「提言」を批判し続けているのは、日朝平壌宣言批判の延長線上でのことである。平壌宣言によって、日朝国交締結過程で日本の植民地支配責任が「無答責」とされる可能性が一気に高まり、しかもそれに批判的に言及する人々が全く存在しないことを私は批判している。そして平壌宣言のラインで、つまり植民地支配責任を全く問題にしないかたちで、しかも朝鮮への「介入の論理」すら用いて国交締結しようとしているからこそ、世界「提言」を俎上に乗せているのである。

 例えば、「提言」の共同執筆者の和田春樹は、今号の『世界』に「韓国併合100年と日本 何をなすべきか」という文章を寄稿しているが、そこで次のように書いている。

「国交正常化の過程を国交樹立と経済協力に分け、まず日朝基本条約調印による日朝国交樹立を実現することに進むことができる。これはほとんど日朝平壌宣言を基本条約に組み替えることで可能になる。そのときには、経済制裁はすべて白紙に戻し、在朝被爆者や元慰安婦などの被害者個人に対する医療福祉支援措置を実施する。生存していることが明らかになった日本人はすべて返してもらわなければならない。」(166頁)

 ここで和田は、あくまで日朝基本条約は平壌宣言のラインで締結されうることを確認している。後段の被爆者や元「慰安婦」への「医療福祉支援措置」というのも、個人も含め請求権を相互に放棄することを規定している平壌宣言に忠実な提言なのである。ただ、朝鮮民主主義人民共和国側は、平壌宣言で放棄された請求権には「慰安婦」などの人的被害は含まれないという立場を取っているため、あくまでこれは日本外務省側の平壌宣言理解に和田が忠実だという意味である。

 いずれにしても世界「提言」は、明確に平壌宣言の枠内で自らの議論を展開しているのであって、「提言」と平壌宣言を切り離して、一方は批判するが一方は評価するという立場はありえない。

 しかし、私は、世界「提言」批判をしている論者が、同時に平壌宣言を批判しているのを見たことがない。例えば、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」は、「共同提言「対北政策の転換を」への疑問」と題して、「提言」の認識の問題点を逐一批判しているが、同「国民連合」の2002年9月以来の活動を見ると、あくまで日朝平壌宣言のラインで国交正常化を成し遂げようという趣旨らしい。つまり、上に書いた世界「提言」は批判するが、平壌宣言は批判しない、という立場である。

 だがこうした立場からの批判は、いきおい瑣末な方向へと向かわざるをえない。例えばここでは「提言」が「強制連行」や「創氏改名」について言及していないことを批判しているが、平壌宣言が「1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄する」ことを「基本原則」にしている以上、これらが宣言を下敷きにした「提言」で扱われないのはある意味当然である。

 もし、扱われるとしたら、日本にそれら被害に補償する法的責任は無いが、自発的に何らかの措置を取る、という論理にならざるを得ない。「提言」はそこのところをよくわかっているからこそ、元「慰安婦」に対する「個別的措置」という言葉を使っているのである。また、今回の和田春樹論文では「強制動員労働者問題」は「懸案問題」の一つとして言及されており、「苛酷な強制連行(強制動員)を正面からとりあげてはいない」という批判はあたらない。だが、だから和田がいいといっているのではない。ここでも和田はこれまでと同様、あくまで「新しい基金をつくって企業、国民、政府が道義的責任を果たすことが必要」と書いている(168頁)。法的責任を絶対に承認しない、という平壌宣言のラインで議論を展開していることがわかる。

 つまり、重要なのは、強制連行が扱われているかいないかではなく、いかなる論理によってその被害に対する日本国家の責任が根拠付けられているのか、なのである。「国民連合」は平壌宣言第二項についての評価が不明瞭なため、日本国家の植民地支配責任という論点を立てることができず、結局、世界「提言」への批判も不十分たらざるを得ない。もう少しいえば、世界「提言」の方が少なくとも論理的には整合性が取れている(むろん、だからいいというわけではない。和田論文では天皇訪韓問題をめぐる驚くべき「提言」がなされており、これについては改めて批判する)。

 国民連合は「この共同提言は、日朝国交正常化に対する日本政府の考え方とどこが違うのだろうか」と「提言」執筆者たちに問いかけているが、本人たちに確認するまでもなく、「提言」と政府・外務省の考え方には、基本的には違いは無い。いまさら聞くまでも無いのである。むしろ私は、平壌宣言を肯定しつつ、世界「提言」とは異なる論理をどうやって構築するのかと問いたい。少なくとも植民地支配責任に関する限り、平壌宣言第二項を肯定した上で、責任を問うという立場は矛盾である。

 繰り返しになるが問題は平壌宣言である。日朝平壌宣言に対しいかなる態度を取るか。それこそが最大の論点にならねばならない。そこを回避した批判には意味がないのである。
by kscykscy | 2009-03-15 02:06 | 世界「共同提言」批判