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外国人参政権と「中国脅威」論

 永住外国人の地方参政権について原口総務大臣は「サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人への付与と、それ以外の人とでは全く議論が違う」と語ったとのことだ(『日経』1月30日付web版)。また、仙谷行政刷新担当大臣は「戦前の(朝鮮半島への)植民地侵略の歴史があり、その残滓(ざんし)としての在日問題がかかわっているので、その方々の人権保障を十二分にしなければならない。地方参政権も認めていくべきだ」と強調し、参政権の範囲についても「小さな議論だ。もう少し大きく広い、深い議論をする必要がある」と言ったという(時事ドットコム1月15日付web版)。

 このように民主党政権の閣僚たちは、最近になって「旧臣民」たる朝鮮人が参政権問題をめぐる独特の地位を有していることに盛んに言及している。仙谷と原口には若干のニュアンスの違いがあるようだが(少なくとも仙谷の言っていることを言葉通り受け取れば反対する理由はない)、私としてはこれらの発言は、中国籍者外しのための前ふりなのではないかと疑っている。

 外国人参政権問題について最も強く反対の論陣を張っている『産経新聞』であるが、その主調をなしているのは「中国脅威」論である。例えば以下の櫻井よし子の主張を見てみよう。

 「いま参政権問題は特別永住外国人への参政権付与という数年前の議論とは様相を変えている。戦前日本国民として日本に移住し、戦後、自らの意思で帰国せず日本に残った人たちとその子孫である特別永住者の参政権問題だったはずが、民主党の提案は、特別永住者を超えて一般の永住外国人を対象にしているのだ。そしてこの中には急速に増えつつある中国人が含まれている。
 日本在住外国人の中でいま最大のグループは65万5000人余の中国人である。うち14万2000人が永住権を取得済みだ。年に約1万人ずつ帰化し、減少し続けている朝鮮半島出身の特別永住者とは対照的に、永住権を取得する中国人の増加は際立っている。
 民主党提案の外国人参政権法案の先に、中国共産党の党員が日本で投票権をもち、日本の政治を動かすという事態の発生も考えなければならない。
 これは共生や友愛の問題ではない。国家としての理念と国益の問題である。」


 冒頭の櫻井の理解は事実誤認である。外国人参政権の付与対象は、当初永住外国人全体だったのが、外国人登録の国籍欄が国名ではない者以外となり、ついで相互主義へと縮小されていったのである。少なくとも相互主義の規定が入るまで一貫して中国籍者は付与対象に含まれていた。それを今般の議論のさなかに『産経』が問題視し始めたのである。櫻井が無知からこうしたことを言っているならば最低限の事実を学んで発言するべきであるし、知った上での発言ならば悪質な世論の誤導である。

 加えて、より問題であるといえるのは「中国共産党の党員が日本で投票権をもち、日本の政治を動かすという事態の発生も考えなければならない」という箇所である。ここでは、個々の中国人の投票行動の背後に共産党による直接の操縦があるかのようにみなされている。こうした類の言説は、通常の「中国脅威」論の何倍も悪質である。

 なぜなら、この議論は中国という国家の持つ軍備をもって安全保障上の脅威とみなす「中国脅威」論ですらなく、個々の中国人への選挙権付与が中国共産党による日本政治の操縦につながると主張しているからだ。通例の「中国脅威」論自体にももちろん問題はあるが、ここでの櫻井の議論は、そもそも軍備等にすら根拠を置いておらず、その根柢にあるのは中国共産党員たる中国人への選挙権付与=中国共産党による日本政治の操縦という反証不可能な妄想でしかない。

 当然中国人には共産党員である者もいるだろう。仮に選挙権が与えられた場合に、地方自治体の選挙における投票行動が、中国政府の「利益」と一致するケースもあるかもしれない。だが、もし日本社会が櫻井のこうした認識を受け入れることにならば、仮にこれらが外観上一致した場合に、中国籍者たちはかかる投票行動が中国共産党の指示によりなされたのではないかとの疑念を日本社会から絶えず向けられることになる。そしてこうした疑念を晴らすことは、その疑念の性質上絶対に不可能なのである。

 櫻井の言説は以前に橋下府知事が在日朝鮮人に対して行った発言と同種の問題を抱えており、こうした言説は、参政権問題への賛成・反対といった問題を越えて、それ自体が中国籍者個々人に対する「脅威」視をうながすヘイト・スピーチであると言わざるを得ない。

 このように『産経』は反対の論陣を張る際に立論の根拠として悪質な「中国脅威」論を援用しているのであるが、民主党政権の閣僚たちがこうした反対論を全く知らないとは到底考えられない。むしろ現在の参政権をめぐる議論のなかで、「中国脅威」論的反対論が非常に根強いことを政権当事者たちは理解しているのではないか。だから、冒頭で述べたように原口や仙谷はしきりに「旧植民地」のことに言及しているのではないだろうか。技術的には相互主義の水準に戻るということである。すでに朝鮮籍者を外すことについてはある程度「合意」があると考えられるので、相互主義を採ればもれなく中国籍者も外すことができる。韓国籍者は対象になるので韓国政府との外交関係も安心である。

 あくまで以上の見立ては一つの推測に留まるが、少なくともこれを阻止する要因は日本社会のどこにも存在しない。民団はそもそも韓国籍者だけが通ればよいのであるし、日本人の「左翼」「リベラル」を自称する人々の多くは、とりあえず外国人参政権が実現すれば内容は何でもよいというスタンスなのだから、政界内でいかに反外国人的な認識をもとにした談合が行われようと、何ら問題は無いのだろう。例えば以下の「超左翼おじさん」こと松竹伸幸氏の文章などはそうした「左翼」の議論の典型である。

 「現在の日本社会の到達では、日本人と外国人の共存の仕方というのが、この程度なのだ。どんなに理論的には参政権を付与すべきだと言っても、現状の到達を飛び越えて、一挙に先をめざすというのは、問題が多い。
 だから私は、小さな一歩というものを提唱する。被選挙権などは問題にしないでいい。国交のある国に限って、相互主義でもいい。あるいは、もっと小さな一歩でもいい。実際に一歩を踏み出してみるのだ。」


 ある権利が制限される過程でいかなる認識が社会的にばら撒かれるのか、それが当事者たる外国人にいかなる影響をもたらすのかについて、これほどの無感覚を示す者を果して「左翼」と呼んでよいのだろうか(左翼を「超」えているのだから左翼ではないのかもしれないが)。この間の議論を見ていてわかったことは、少なくとも現在の日本には『産経』並みの熱量でもって外国人の政治的権利を擁護しようとする「左翼」が、存在しないという事実である。とても勉強になった。
by kscykscy | 2010-02-02 00:56 | 外国人参政権

伊藤真は日本国憲法の価値を知っているのか

 前回の末尾で私は、伊藤真の外国人参政権論を「あからさまな事実誤認」「論理的思考力の無さ」「外国人参政権をつぶすための謀略なのではないか」と決めつけたが、罵りっぱなしはよくないので、改めてその問題点について詳述しておきたい。

 まず「あからさまな事実誤認」だが、これは大きく二点ある。第一は以下の部分。

 「明治憲法の時代、日本は多くの植民地を持っていました。朝鮮半島、台湾などを占領し、そこに住んでいた人々を大日本帝国の臣民つまり日本国民にしてしまいました。そして、帝国臣民として日本民族に同化させるため、日本名や日本語の強要、天皇崇拝などの皇民化政策がとられます。日本国籍を持つことになるわけですから、制限はあるものの参政権(選挙権、被選挙権)が保障されていました。

 前回にも書いたが、植民地期を通して大多数の朝鮮人には帝国議会の参政権は無かった。衆議院議員選挙法が朝鮮に施行されなかったからである。あったのは一定の条件を満たした在「内地」の朝鮮人成人男性だけである。よって「日本国籍を持つことになるわけですから、制限はあるものの参政権(選挙権、被選挙権)が保障されていました」と、あたかも「臣民」になったことにより直ちに参政権が保障されたかのように記すのは事実誤認である。

 第二点は以下の段落。

 「戦後、日本はポツダム宣言を受諾し、台湾、朝鮮などの旧植民地に関する主権(統治権)を放棄します。その結果、旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます。これにより日本国内における生活実態は何も変わらないにもかかわらず、参政権は奪われました。

 これも歴史的事実に反している。確かにポツダム宣言の第八項には「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とある。これを受諾したのだから当然日本は朝鮮などの主権を放棄したことになる。だが日本政府は、これがただちに在日朝鮮人の法的地位の変動――つまり独立に結びつくことを全力で阻止した。具体的には在日朝鮮人は1945年9月3日以降も、引き続き「帝国臣民」であるとの立場を堅持したのである。連合国側もおおむねこれを黙認した。よって、ポツダム宣言受諾の結果、「旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます」という理解も誤りである。日本政府は在日朝鮮人が「日本国籍を失」うことを認めなかったのである。

 だが確かに、在「内地」朝鮮人成年男子の参政権は「奪われた」。1945年12月の衆議院議員選挙法改正の際、戸籍法適用対象者以外の者について参政権を「停止」したからである。ここでわざわざ戸籍を持ち出したのは、日本政府としては在日朝鮮人が「帝国臣民」でなくなり、独立国民として帝国の支配の枠から脱してしまうのを容認したくない、だからといってそれまでのように参政権を持ったままでは、来る1946年の総選挙で何を主張されるかわからない、もしかしたら国体変革の有力な勢力になってしまうかもしれない。こうした二つの憂慮を同時に無くすために、日本政府は戸籍を持ち出したのである。

 つまり、日本政府はポツダム宣言受諾によって在日朝鮮人が即時「外国人」になったとの解釈を採用しないために、「戸籍」という基準で朝鮮戸籍令適用対象者の参政権を「停止」したのである。

 伊藤は「臣民」になればただちに参政権が付与されると誤解しているので、ポツダム宣言受諾と同時に朝鮮人は「臣民」でなくなり、よって参政権も無くなったと考えたようである。

 この間違いは「大日本帝国」という存在についての根本的な考え違いに由来するものと思われる。伊藤は、大日本帝国が、そもそも不平等を悪いこととみなしていない体制であるという事実を忘れているのである。比較的巷間に流布しているものとして、大日本帝国の頃は朝鮮人も同じ「国民」だった、だからまがりなりにも平等だった、的な物言いがあるが、これは大きな間違いである。私は「平等をうたっていたのに差別があった」と言いたいのではなくて、そもそも大日本帝国は「平等」などはなからうたっていないのである。

 まず、帝国憲法にはそもそも主権者(天皇)が臣民を差別してはいけないなど一言も書いていない。それどころか朝鮮には帝国憲法すら施行されていない。あんまり弾圧しすぎて「統治」がうまくいかなくなったとか、兵隊や労働者が足りなくなってつれてくる必要がある、とかいうときに「一視同仁」みたいなことを言ってみるだけである。大日本帝国に「平等」の文字など無いのだ。だから別に朝鮮に衆議院議員選挙法を施行しなくても平気なのである。伊藤はここのところが理解できていない。なんとなく、無自覚に日本国憲法的なシステムが戦前にもあったかのように考えているのである。そうした意味では、伊藤はある意味で日本国憲法の「ありがたさ」を本当には理解していないのである。

 さて、次は「論理的思考力の無さ」である。この植民地期の話をマクラに、伊藤は現代の外国人参政権の話に持っていく。

 「そもそも、選挙権のような参政権は、民主主義を実現するための人権です。そして民主主義とは、治者と被治者の自同性という言葉で表されますが、その国で支配される者が支配する側に廻ることができる、つまり一国の政治のあり方はそれに関心を持たざるを得ないすべての人々の意思に基づいて決定されるべきだということを意味します。
 とするなら、日本で生活し、日本の権力の行使を受ける者であれば、その政治に関心を持たざるを得ないのですから、たとえ外国人であっても、それらの者の意思に基づいて政治のあり方が決定されるべきだということになります。
 つまり外国人であっても生活の本拠が日本にあるのであれば、選挙権が保障されるべきだということになります。このことは民主主義原理からはむしろ当然の要請なのです。」


 非常に単純明快である。だがそもそもこの話をするのに前段の「明治憲法」の話は必要なのだろうか。伊藤も言っているように植民地期には日本政府は朝鮮人を「臣民」とみていたわけだから、在「内地」朝鮮人の参政権は「外国人参政権」ではない。もちろん、帝国憲法下において外国人に参政権など無い。植民地期の参政権の話は「外国人であっても生活の本拠が日本にあるのであれば、選挙権が保障されるべきだ」という主張を何ら補強することにはならないのである。だから私は「論理的思考力の無さ」をあげつらい、どこからでも批判できるから「外国人参政権をつぶすための謀略なのではないか」と罵ったのである。

 そもそも小沢一郎や舛添要一のような人物が植民地の在「内地」朝鮮人の参政権をことさらに持ち出すのは、彼らが自覚的な右派だからである。彼らは日本政府と在日朝鮮人の関係性について、植民地期の帝国政府と在「内地」朝鮮人の関係性を参照しつつ、参政権と帰化の両方を念頭に置きながら語っている。そもそも大日本帝国が否定されるべき対象だと思っていない(つまり右派)からこそ、『嫌韓流』がそうだったように植民地期を日本と朝鮮の理想時代と捉え、そこから何かを汲み取ろうとする(もちろん米国と戦争して負けたことは「反省」している)。その限りで彼らは一貫している。

 だがまがりなりにも日本国憲法を「護る」と言っている立場の人間が、大日本帝国期の異民族支配のあり方についてこれほど無知でいいのだろうか。日本国憲法の理念(そんなものがあるのならばだが)を擁護するものが外国人参政権を語るなら、間違っても在「内地」朝鮮人の参政権など参照してはいけないのである。「リベラル」は本当に大日本帝国を忌むべき対象と思っているのか。はなはだ疑問だ。
by kscykscy | 2009-12-11 22:43 | 日朝関係

「普通の宗主国」論

 ここ数回、永住外国人の地方参政権をめぐる問題について与党側の議論を批判的に検討してきた。誤解を避けるために記しておくが、私は外国人の政治的権利を否定しているわけではない。ただ、私としては、①現在の「永住」外国人の地方参政権法案をめぐる議論が在日朝鮮人という存在についての看過しがたい歴史認識を基になされていること、②それが単なる法案を通すための方便に留まらず在日朝鮮人に対する日本政府の施策全般に影響を与える可能性が高く、現に与えていること、③さらに、在日朝鮮人団体や在日朝鮮人をめぐる諸問題について課題に取り組む団体においても、こうした傾向について批判的に検討する視点がそう多く見られないこと、に危機感を抱き、警鐘を鳴らしているのである。

 もし、ここで言及した「旧臣民の論理」や「同化の論理」が、参政権反対派の口から出たものならば、そこまでの危機感は抱かなかったと思う。つまり、推進派が植民地支配責任への清算、とまではいかなくても、少なくとも普遍主義的な立場から外国人の政治的権利を要求するのに対し、反対派の側が「旧臣民の論理」「同化の論理」を持ち出してそれを制限しようとする、という構図ならばである。だが、実際には「旧臣民の論理」「同化の論理」を持ち出しているのは推進派の側であり、「外国人住民」という視点からの参政権論に立つ人々も、法案成立のための戦術的要請からこれに異論をさしはさむことを控えているように見える。

 また、報道を見る限りでは、「国交のない国(北朝鮮等)の出身の方は参政権付与の対象にしない」という自由党時代の小沢の認識は、民主党の法案に具現化されており、小沢の発言を軽視するべきではない。参政権取得はよりスムーズな帰化への道筋であるとの小沢の言明についても、単なる方便とは見ることができないだろう。私はおそらく近い将来、特別永住者への国籍取得緩和に関連する法案が、地方参政権に対抗するのではない形で提起される可能性が高いのではないと思っているが、現時点で私の推測に留まるのでこれについては再論したい。

 ところで、前回は言及しなかったが、私は小沢が自らの参政権についての見解のなかで、日韓関係を英国と「かつて植民地支配した英連邦出身の永住権取得者」との関係になぞらえて自説を補強していることは、なかなか興味深いと思う。たしかに英国はコモンウェルス加盟国の市民及びアイルランド市民について、国政・地方の参政権を承認している。ただ、これは単純な外国人参政権というよりも、「大英帝国」が解体されていく過程で認められるようになったものである。これを日韓関係になぞらえるというのは、実はある重要な歴史的事実を一つ消去しないとできない。

 その事実とは何か。問題をわかりやすくするために英国と「英連邦出身の永住権取得者」の参政権という構図を、日本に置き換えてみよう。よく知られているように、1920年以来、日本「内地」に居住する朝鮮人成年男子のうち一定の要件を満たした者には、国政・地方の選挙権・被選挙権があった。衆議院議員選挙法が属地法だったからである。逆に朝鮮には衆議院議員選挙法は施行されなかったので、朝鮮にいる朝鮮人には選挙権・被選挙権は無く、同じく在朝日本人にも無かった。だが、朝鮮のなかでは植民地支配に協力的な層のなかでも、朝鮮に衆議院議員選挙法が施行されていないことへの批判は強かった。実際、実施こそされなかったが戦時期末期には朝鮮からの衆議院議員選出と貴族院議員の植民地枠の創出が日程に上ったこともあった。

 ここまで書けば明らかであるが、小沢が差当り消去している歴史的事実とは、日本が連合国に敗北し、朝鮮が独立したという事実である。小沢の参照する英国と「かつて植民地支配した英連邦出身の永住権取得者」との関係、というのは、大日本帝国が存続し、何らかの朝鮮「統治」上の必要から衆議院議員選挙法を施行するか、あるいは朝鮮が大日本帝国の枠内で「自治」の方向へと向っていくなかで、日本「内地」在住の朝鮮人に引続き帝国議会の参政権を承認しているような状態だと考えればよい。小沢のアナロジーは、日本が連合国に敗北し、朝鮮が植民地から独立したという事実を現代の日本国家を規定する決定的な事実として捉えない、できるだけ過小評価するという姿勢が無ければ成り立たない。

 こうした小沢の認識を、彼の代名詞たる「普通の国」論になぞらえて、差当り「普通の宗主国」論と呼んでおこう。大日本帝国が敗北した衝撃、それが現在の「日本国」に与えているインパクトをできるだけ少なく見積もり、英国やフランス的な連合国側の「普通の宗主国」であるかのような姿勢で在日朝鮮人に対する参政権を扱う。もちろん、私は英国やフランスがよいと言っているわけではない。その逆である。せっかく大日本帝国は負けたのに、その負けたことの衝撃を逸らすことによって、「勝つ」ことで宗主国たる地位を1945年以後も維持した国々と並ぼうとするその姿勢を、私は批判しているのである。

 もちろん、ここで私が「せっかく大日本帝国は負けたのに」、というときの「負けた」は米国に負けたとか、「一時の国策の誤り」とかではなくて、少なくとも19世紀以来の「坂の上の雲」的な近代日本の歩みがまるごと敗れ去ったという意味での「負けた」である。せっかく負けたのにもかかわらず、戦後日本は結局「負けた」ことの重みをより深め、大日本帝国を否定する方向へ進むのではなく、大勢はゆるやかに大日本帝国と戦後日本を接続する方向へと(そこに天皇がいるのであるから容易に可能だ)、そしてそれを自認する「普通の宗主国」論へと行き着いてしまっているのではないか。植民地期に在日朝鮮人に参政権があったことを無批判に現在の外国人参政権論議につなげたり、英国と英連邦の関係になぞらえたりするのも、そうした日本の敗北を「せっかく負けたのに結局こんな国になってしまった」という痛恨の心情として受け止めないような感性だからこそ、可能なのではないか。私はそう思わざるを得ないのである。

 そうした痛恨の感覚の欠落は、私は別に小沢に限ったことではないと思う。もとより小沢にそれを期待してもいないが、以前に言及した進藤榮一しかり、「リベラル」といわれる人々においてあまりにもこの感覚は希薄だ(*1)。むしろこうした感覚を欠落していることが、現代の「リベラル」の条件なのかもしれない。


*1 例えばここで開陳されている伊藤真の外国人参政権論は「リベラル」の無感覚の典型であろう。この論説は、そのあからさまな事実誤認と併せて伊藤真という人物の論理的思考力の無さを如実に示していて興味深い。外国人参政権をつぶすための謀略なのではないとすら思わせる奇天烈ぶりである。
by kscykscy | 2009-12-10 22:34 | 外国人参政権

「旧臣民への施恵」ならばお断りだ――小沢一郎の参政権論について

 以前、2000年前後の永住外国人参政権論議の過程で推進派側から、「旧臣民の論理」と「同化の論理」が繰り返し提起されたことに触れた(「「多民族社会」日本の構想」参照)。この問題は非常に重要なので、この場を借りて再論したい。

 「旧臣民の論理」と「同化の論理」について以前の記事では公明党を取り上げたが、これについては民主党もそう変わらないようである。小沢一郎のHPには自由党時代の2003年に小沢が発表した「永住外国人の地方参政権について」という文章が掲載されている。特に訂正もされずに掲載されていることから、とりあえず現時点でも小沢はどうようの立場であると仮定しよう。ここで小沢は次のように記している。

「公の政治に参加する権利―参政権―が国家主権にかかわるものであり、また、国民の最も重要な基本的人権であることに間違いはなく、その論理は正当であり、異論をさしはさむ気はまったくありません。ただ、政治的側面から考えると、主として永住外国人の大半を占める在日韓国・北朝鮮の人々は、明治43年の日韓併合によって、その意に反して強制的に日本国民にされました。すなわち、日本が戦争によって敗れるまでは、大日本帝国の同じ臣民でありました。日本人としてオリンピックに参加し、日の丸を背負い金メダルを取っています。また、日本のために多くの朝鮮の方々が日本人として、兵役につき、戦い、死んでいきました。このような意味においては、英連邦における本国と植民地の関係よりもずっと強く深い関係だったと言えます。私達はこのような歴史的な経過の中で今日の問題があることを忘れてはなりません。」

 「在日韓国・北朝鮮の人々」は強制的に日本国民にされました、オリンピックにも出ました、日本のために多くの人々が戦争で戦い死にました、こういう「歴史的な経過」があります、という話である。特に注目すべきは日本のために朝鮮人も戦争に行って死んだ、という部分だろう。確かに朝鮮人も侵略戦争に駆り出された。自分が植民地支配されているにも関わらず、その手先にさせられて中国や東南アジアで「敵」と戦い侵略軍の一員として死んだ朝鮮人は決して少なくない。それを小沢は日本軍の侵略への評価は素通りしつつ、曖昧に「強く深い関係」と呼ぶ。この文章の趣旨からいえば、こういう「歴史的な経過」があるんだから、永住外国人の地方参政権は肯定されるべきだと主張していると言っていいだろう。同じ日本人だったのだから、一緒に「敵」を殺したのだから、地方参政権を与えようよ、と訴えているわけである。

 続けて小沢は反対論を念頭に次のように記している。

「法案に反対する人達の多くの方の主張は「そんなに参政権が欲しければ帰化をして日本国籍を取得すればいい」という考え方があります。私もそれが一番いい方法だと思っておりますし、また在日のほとんど多くの人々の本心であると思います。

 しかし、このことについては日本側・永住外国人側双方に大きな障害があります。日本側の問題点からいうと、国籍を取得する為の法律的要件が結構厳しいということと同時に、制度の運用が、(反対論の存在が念頭にあるせいなのかはわかりませんが)現実的に非常に帰化に消極的なやり方をしています。〔中略〕

 一方、永住外国人のほとんど多くの人は日本で生まれ育って、まったくの日本人そのものであり、その人達が日本人として生涯にわたって生きていきたいと願っていることは、紛れもない事実だと私は思います。ただ、過去の併合の歴史や、それに伴う差別や偏見に対して心にわだかまりがあるのも事実なのです。」


 小沢は帰化論を「一番いい方法」だといい、「在日のほとんど多くの人々の本心」と勝手に在日朝鮮人の「本心」を騙っている。だが「日本側・永住外国人側双方に大きな障害」がある。つまり日本側には厳格な帰化要件が、「永住外国人側」には「過去の併合の歴史や、それに伴う差別や偏見」への心の「わだかまり」がある、だから一気に帰化にはいかないのだ、と小沢はいうのである。帰化について小沢は率直に「以上のような政治的側面、制度的側面双方から考え合わせ、一定の要件のもとに地方参政権を与えるべきだと考えます。そして、そのことにより日本に対するわだかまりも解け、また、結果として帰化も促進され、永住外国人が本当によき日本国民として、共生への道が開かれることになるのではないでしょうか」とあけすけに語っている。

 つまり小沢がいっているのは、参政権反対論者がいうように帰化するのが最善の策だし、在日朝鮮人も実はそう思っている、だけど今は「障害」があるから地方参政権を与え、ひいては「よき日本国民」への帰化が促進されるようにしましょう、という話である。しかも、この文章に付された「補足」というのが奮っている。

「※補足
 この問題につきましては、意見が多数寄せられ、少数の方からの反対意見が寄せられたので、さらに補足として申し上げます。
反対意見に、「北朝鮮に支配されている北鮮系の総連の方に、地方参政権を与えるのはとんでもない」という意見がありましたが、我々自由党では国交のない国(北朝鮮等)の出身の方は参政権付与の対象にしないという考えです。

 国政を預かる政治家として、ホームページ上で自分の考える全てのことを申し上げることはできませんが、この問題は主として、在日の朝鮮半島の方々の問題であることからあえて申し上げます。もし仮に朝鮮半島で動乱等何か起きた場合、日本の国内がどういう事態になるか、皆さんも良く考えてみてください。地方参政権付与につきましては、あらゆる状況を想定し考えた末での結論です。」


 まったく堂々としたものである。「併合の歴史」や「差別や偏見」に対する心の「わだかまり」を帰化を妨げる「永住外国人側」の障害として列挙する歴史認識といい、あからさまな帰化論といい、「北鮮系」と平然と引用する感覚といい、少し前であればこんな議論は「妄言」と呼ばれていたはずだ。今般の参政権論議の過程で小沢のこの文章は比較的取り上げられているようであり、参政権反対派は小沢のさらに右からこれを叩いているが、賛成派がこれを批判した文章を読んだことがない。

 この小沢の議論は、噛み砕いていえば、在日朝鮮人・台湾人は大日本帝国の「臣民」だったんだし(「旧臣民の論理」)、もうほとんど日本人なんだから(「同化の論理」)地方参政権くらいあげようよ、どうせすぐ帰化するから安心してくださいよ反対派のみなさん、という話である。外国人の政治的権利など全く眼中に無いし、そもそも外国人参政権論と読んでいいのかどうかすら怪しい。小沢は白昼堂々・公然とこの文章を陳列しているわけで、参政権推進論者は完全になめられていると思ったほうがいい。

 繰り返しになるが、小沢の言っている「永住外国人の地方参政権」なるものは、「旧臣民への施恵」に過ぎない。そんなものはお断りだ。
by kscykscy | 2009-12-01 21:59 | 外国人参政権

『朝日』社説「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」の問題

 11月23日付の『朝日新聞』の社説は「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」と題して、永住外国人の地方参政権問題を取り上げている。

 この社説は永住外国人に対する地方参政権付与を擁護しつつ、「外国人が大挙して選挙権を使い、日本の安全を脅かすような事態にならないか」という議論については、「人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張には首をかしげる。外国籍住民を「害を与えうる存在」とみなして孤立させ、疎外する方が危うい。むしろ、地域に迎え入れることで社会の安定を図るべきだ」と批判している。

 ここでの「外国人が大挙して選挙権を使い、日本の安全を脅かすような事態にならないか」という議論は『産経』的な極右的参政権反対論を指しており、その限りでは対立軸は明確なように見える。ネット上でも「『朝日』=売国奴」的な枠組みでこの社説を叩いている記事が多い。だが、この社説はそんなにいいものなのだろうか。社説は朝鮮籍排除の問題に言及しつつ、次のように記している。

  「民主党は選挙権を日本と国交のある国籍の人に限る法案を検討しているという。反北朝鮮感情に配慮し、外国人登録上の「朝鮮」籍者排除のためだ。
 しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう。」


 一見、朝鮮籍排除を批判しているように思ってしまうのだが、結局のところこの社説の結論は「議論が必要だろう」というもので、すこぶる歯切れが悪い。『朝日』は朝鮮籍を排除することに賛成なのかはたまた反対なのか、とりあえず「議論が必要だろう」といっているだけなので皆目見当がつかない。

 加えて問題なのは「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」という箇所である。社説は、民主党の「反北朝鮮感情に配慮し」た「外国人登録上の「朝鮮」籍者排除」に対し、「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」というかたちで留保しているのだが、そもそもこうした留保自体に問題がありはしまいか。単純な話ではあるが、それでは朝鮮籍者が「北朝鮮を支持している」場合、参政権から排除することは肯定されるのか。参政権の有無は、当該外国人の思想・心情によって左右されるものなのか。それは果して参政「権」といえるのか。

 こうした問題を踏まえれば、この社説は結局のところ、民主党が「反北朝鮮感情に配慮し」て外国人の参政権をいじくることを批判しているのではなく、「朝鮮籍者=北朝鮮支持者」ではないから、それを排除することは「反北朝鮮感情に配慮し」たことにはなりませんよ、と言っているに過ぎないことがわかる。もちろん、前述のようにこの社説はそもそも朝鮮籍排除に反対なのかどうかについてさえ態度を留保しているので、そこにすら踏み込んでいるか怪しい。

 そもそも朝鮮籍者が「北朝鮮支持者」かどうかを問題にする必要などあるのだろうか。百歩譲って朝鮮籍者は「北朝鮮国籍者」を当然には意味しない、というのならば話はわかる。もちろんそうであってもじゃあ「北朝鮮国籍者」だけ選択的に参政権を与えないことは肯定されるのか、という問題は残るが、ここで社説が言っているのは国籍の帰属ですらなく、「北朝鮮」に対する「支持」の問題、つまり思想・心情の問題である。繰り返しになるが、この論法ならばは朝鮮籍者の大多数が「北朝鮮を支持している」なら「反北朝鮮感情に配慮し」た民主党の政策は肯定されることになろう。

 屁理屈をこねているように思われるかもしれないが、ここは非常に重要なポイントである。問題は『朝日』がよいか『産経』がよいかなどではなく、こうした議論の枠組みが作られるなかで、当事者たる在日朝鮮人にいかなる負荷が加わっていくのかである。『朝日』がこうした社説を出せば、すぐにでも『産経』『読売』ら反対派は朝鮮籍者が「北朝鮮支持者」であることを論証しようとするだろう。そうすれば、自ずから参政権からの朝鮮籍排除をめぐる論点は「北朝鮮支持者」かどうかへと絞られていくことになる。だが、それこそが、最も戦慄すべき事態なのではないか。あらかじめ「北朝鮮」への「支持」云々を表明しなければ表明しなければ与えられない地方参政権など、権利の名に値するのだろうか。
by kscykscy | 2009-11-24 20:33 | 外国人参政権

「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者」について

 「永住」外国人の地方参政権法案の提出は次期国会以降に見送られることになった。右派との調整がつかなかったとか、他の重要法案を優先したとか色々言われているが、そんなことはどうでもよい。この数日の動きのなかで唯一記憶に留めるに値することは、今国会で提出される予定だった法案(以下、民主党案)が「永住」外国人のうち「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者やこれに準ずる地域を出身地とするもの」に限って地方参政権を付与する、という留保を付けていたということである。『朝日新聞』はこれについて「特別永住者については当面、国交のある韓国籍を持つ人か、「準ずる地域」として国交はないが交流の活発な台湾の関係者に限る立場をとる」(『朝日新聞』11月9日web)と解説している。すなわち、民主党は「外交関係のある国の国籍を有する者」という論法で朝鮮籍者を排除しつつ、「これに準ずる地域を出身地とするもの」との規定を入れて「台湾の関係者」を包含しようとした、というのが民主党案についての『朝日』の解釈である。

 『産経』はこれについて「当面は国交のない北朝鮮の出身者には与えない」とあからさまに誤った解説をしているが(『産経新聞』11月10日web)、私はこれは確信犯だと思う。朝鮮籍者が「北朝鮮の出身者」ではないことくらい、『産経』の記者でもわかっているはずだ。わかっていて印象操作のためにデマを流しているとしか思えない。こうした悪質極まりない『産経』の姿勢に比べれば、『朝日』は比較的丁寧に説明しているように見える。だが『朝日』の解釈は果たして妥当なのだろうか。実は『産経』の確信犯的事実誤認の記事により、こっちのほうが重要なポイントなのであるが、その検討に入る前に、さしあたり『朝日』の解釈に従い、今回の民主党案をこれまでの参政権法案のなかに位置づけるかたちで整理しておこう。

 以前書いたように、これまで公明党が提出してきた地方参政権法案は、対象となる範囲について①「永住」外国人一般→②「外国人登録原票の国籍の記載が国名によりされている者」→③地方「選挙権を日本国民に付与している国」の国民へと、自民党に配慮して順次その幅を狭めてきた(「多民族社会」日本の構想)。今回の民主党案をこのなかに位置づけるならば、ほぼ②に近いものといえよう。

  「ほぼ」という留保をつけたのは以下の理由からである。②の「外国人登録原票の国籍の記載が国名によりされている者」という規定であれば、同記載が「中国」となっている「台湾の関係者」は参政権付与対象に包含される。一方、「朝鮮」というのは政府見解によれば「国名」ではないから対象には含まれない。ここまでは②と全く同じである。ただ、「台湾の関係者」の中には少数ながら外国人登録原票の国籍表示が「無国籍」となっている者がおり、この人々は②では対象とならないが民主党案では対象に含まれることになる。よって「ほぼ」②と同じである。(ただし、要綱あるいは法案が公表されたわけではないので、あくまで報道が正しければの話である)。

 新聞はおおむね③と比較して民主党案が対象を拡大したというニュアンスでこれを伝えている。『朝日』と『産経』がいずれも「『相互主義』はとらず」というタイトルをつけたのは象徴的である。だが、前述した経過を見れば少なくとも90年代の法案と比較しても、民主党案には大いに問題があることは言うまでも無い。そもそも、各案の違いはどこで外国人を分割するか、つまり「どう差別するか」の違いに過ぎず、「朝鮮籍=北朝鮮籍」という規定を前提にこれを排除し、かつ台湾を包含するのはあくまで外国人を「国益」を実現するためにいじくれる外交の道具だと思っているからである。そこには人権という視点は皆無である。

 むしろ今回の民主党案から確認できるのは、この線引きにあたって民主党が採用した論法が、2002年9月17日以降の自公政権のそれと強い連続性を有していることである。「国交のある国+台湾」という枠組みで「朝鮮」を排除するというやり方は、2003年に「9.17」以降の反朝鮮の排外主義の高まりを受けて文科省が作り出した論法であり、民主党はこうした排除の枠組みをまるごと自公政権から継承しているといってよいだろう。

 だが、より重要な問題は先にも述べたように、そもそも「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者やこれに準ずる地域を出身地とするもの」にのみ地方参政権を与える、という規定を挟み込むことが、当然に朝鮮籍者を排除することにつながるのか、という問題である。『朝日』は当たり前のように「特別永住者については当面、国交のある韓国籍を持つ人か、「準ずる地域」として国交はないが交流の活発な台湾の関係者に限る立場をとる」と解説し、おそらく民主党がそういったのを鵜呑みにしたのだろうが、実は問題はそう単純ではない。

 なぜかというと、そもそも外国人登録原票上の国籍が「朝鮮」である者の帰属を決める権利は、日本政府には無い。外国人登録法は日本法なのであるから、そこに「朝鮮」と書いていようがみな潜在的には韓国国民なのである、と韓国側が言うことは可能である。今回の参政権法案からの朝鮮籍排除についても、「あなたの作った法律上の表記がどうであろうが、みな韓国国民なのであるから外国人登録上の表記が「韓国」の者と同様に、地方参政権を与えなさい。韓国国民を差別するのはやめなさい」と日本政府に注文をつけることは可能なのである。これは別に荒唐無稽な話ではない。少なくとも実体法のレベルでは韓国政府は朝鮮籍者について潜在的な韓国国籍者とみなしており、だからこそ朝鮮籍者の韓国国籍取得手続は外国人の帰化手続よりもはるかに容易なのである。

 以前私は橋下大阪府知事の発言に寄せて、日本政府の見解によれば外国人登録原票の「国籍」表記上の「朝鮮」は地域名であった国名ではないにもかかわらず、橋下が日本にいる「北朝鮮籍の人」に「北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない」と述べたことを批判した(橋下発言と世界「提言」、そして在日朝鮮人の「責任」)。だがそれはあくまで日本政府の見解の整合性を問題にしたものである。韓国政府やメディアが日本政府見解を採用する必要は無い。

 つまり、「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者やこれに準ずる地域を出身地とするもの」という規定は、もし韓国政府が「朝鮮籍者は韓国国民である」といってしまうと朝鮮籍排除の規定として機能しなくなるのである。だが、韓国政府はそうは言わない。韓国政府の見解は表には出ていないので、現政権に近い韓国の保守系メディアの報道を見てみよう。民主党案を受けて韓国の保守系メディアは「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)など日本国内の北朝鮮出身者は外国人地方参政権が得られない見込み」(『中央日報』11月11日web)、「日本と国交を結んでいない朝鮮籍の総連系の在日同胞には、地方参政権が与えられない」)『東亜日報』11月11日web)と、一様に「朝鮮籍=朝鮮総連=北朝鮮(出身者)」が地方参政権の付与対象から排除された、と報じた。これはあるいは無知から来るものかもしれないが、もし日本政府の解釈を知っていたとしても、現政権と近い保守系メディアは同様に報道しただろう。そう報道せざるを得ないのである。『産経』がわかっていて「朝鮮籍者=北朝鮮の出身者」というデマを流しているのとは若干事情が異なる。

 なぜならば、「朝鮮籍=北朝鮮籍」という規定を捨てると困るのは他ならぬ韓国政府自身だからである。日本国内メディアではあまり報道されていないが、李明博政権発足以降、韓国政府は朝鮮籍者に対する旅行証明書の発給をほぼ全面的に停止している。つまり、朝鮮籍者はいま韓国に入国することがほぼ不可能である。韓国政府がこうした措置をとっているのは、いうまでもなく「朝鮮籍=北朝鮮籍」と判断し、これへの旅行証明書発給停止が「北朝鮮制裁」になると考えているからである。

 よって韓国政府が参政権問題について「朝鮮籍=北朝鮮籍」という規定を放棄して、日本に注文を付けることになれば、こうした旅行証明書発給停止の根拠自体が揺らいでしまうことになる。このため、韓国政府が地方参政権付与対象から朝鮮籍を排除することを、「朝鮮籍=韓国国民」という立場から批判することは絶対に無い。現政権に近い保守系メディアはそれを知っているからこそ、参政権付与対象から「朝鮮籍=朝鮮総連=北朝鮮籍(出身者)」の在日朝鮮人が排除された、と報じるのである。そして韓国側がそれを言わないという前提があってこそ、「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者やこれに準ずる地域を出身地とするもの」に対象を限定するという民主党案ははじめて朝鮮籍排除として機能することになる。ここには「北朝鮮制裁」を軸にした日韓の陰湿な共犯関係がある。

 日本政府としては、韓国が「朝鮮籍=北朝鮮籍」という判断を維持してくれることによって、朝鮮籍者の参政権排除に「北朝鮮制裁」としての意味を持たせることができる。ここからは、民主党案に対する『朝日』の解釈は、実は韓国側が『産経』的な解釈を捨てないことによってはじめて成立することがわかる。今般の地方参政権法案騒動に見て取るべきものは、この陰湿な共犯関係以外には無いのである。
by kscykscy | 2009-11-13 22:38 | 外国人参政権