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「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」

 前回の記事で、和田春樹が2010年を期に「鳩山談話」で韓国併合の「無効宣言」を出せと提案していることに触れた。併合無効については前回記さなかったので、私の立場を書いておこうと思う。

 私は併合条約の前提となる1905年条約は君主に対する脅迫があったため成立していない、という説は説得的なものであると考えるので、日本政府は併合無効を承認するべきだと思う。ただ、和田のいう「鳩山談話」は、無効宣言とバーターで日韓間の「歴史問題の完全解決」を図る、つまり一種の「終結」のセレモニーとなる可能性が非常に高い。私は、無効宣言は一つの「始まり」であると考えており、そうした観点から和田の提言に危惧しているのである。「併合無効」なんか宣言したら次は何を要求されるかわからないという右翼の危惧に、「いやいやそんなことありませんよ」と宥めるのが、和田流である。だが私は右翼が恐れるとおりにしなければいけないと思う。あんなことも、こんなことも、真相究明をさせ、責任追及を続けるべきなのである。

 さて、この「併合無効宣言」と関連して前々から気になっていたのが、在日朝鮮人の国籍、具体的には「権利としての日本国籍取得論」と「併合無効宣言」の関係である。

 「権利としての日本国籍取得論」とは現行の帰化制度を特別永住者に限定して緩和せよ、という主張である。「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」(確立協)が代表的な運動団体で、自民党の国籍問題プロジェクトチーム(河野太郎座長)が「特別永住者等の国籍取得特例法案」というものも作成している。

 最近は、運動としてはあまり見る影が無いが、この主張は、確立協以外の在日朝鮮人や日本人にも支持者がそれなりに多いと思う。少なくとも特別永住者の日本国籍取得要件を緩和すべきだ、という主張に限定するならば、これを否定する人は実は非常に少ないのではないだろうか。民団をはじめ地方参政権獲得論が批判するのも、国籍取得特例法案は参政権法案つぶしだ、という一種の戦術論的(陰謀論的?)批判なのであって、原理的にこれに反対しているわけではない。今後それなりに盛り返してくる可能性は高いだろう。

 この議論の骨格は次のようなものだ。日本の植民地支配により在日朝鮮人は日本国籍に編入されたが、サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年4月19日に「平和条約に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(通達438号)という法務省通達によって、在日朝鮮人は「日本の国籍を喪失」することになった。だがこの措置は不当であり、在日朝鮮人には日本国籍を認めるべきだ、というものである。

 実はなぜこの措置が不当なのか、という点については意見が分かれるところであって、例えば大沼保昭の場合はこの通達自体が違憲無効だということになるので、立法論ではなく解釈論として在日朝鮮人は自らの日本国籍を争えることになる(大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』東信堂、2004年)。つまり厳密にいえば大沼説の場合は、「特別永住者等の国籍取得特例法案」自体がいらないということになるのだが、差当りここでは踏み込まないことにしよう。重要なのは「権利としての日本国籍論」が、植民地期の朝鮮人の日本国籍を前提にしているということである。

 さて、ここで考えてみたいのは、植民地期の在日朝鮮人の「日本国籍」の根拠法は何か、という問題である。日本人の日本国籍の根拠法は、国籍法である(ただし1899年以前は国籍法が無いので戸籍ということになるだろう)。だが、よく知られているように朝鮮には植民地期に国籍法が施行されなかった。これは中国東北部に移住した朝鮮人に日本国籍を離脱させず、「帝国臣民」の「保護」の名の下に同地域に影響力を行使しようとしたためであった。「関東州」(後の「満洲国」)や南洋群島も施行されていない。

 では何が朝鮮人が「日本臣民」である根拠になるかというと、「韓国併合ニ関スル条約」である、というのが教科書的見解である。「日本国と韓国との双方の意思にもとづき、韓国が、その対人主権、すなわち韓国民に対する統治権を日本国に譲与し、したがって韓国民が日本国民となることを認めたものということができる」のだそうだ(江川英文・山田鐐一『法律学全集59 国籍法』有斐閣、1973年、98頁)。もちろん、その前提には「韓国の併合は条約によるものであって、平和的手段による併合ということができる」という理解がある(同上)。

 だがもしこの条約が無効だということになると、形式的には「権利としての日本国籍取得論」が前提にしている植民地期の日本国籍自体の法的根拠が失われることになる。なので私がとても気になっているのは、「権利としての日本国籍取得論」の人々が、この「併合無効宣言」という提案に対し、どういう立場を採るのかということである。

 論理的にいえば、「無効宣言」に反対するのが筋だと思う。少なくとも、特別永住者に限定した国籍取得要件緩和論を主張するならば、絶対に「併合無効」など宣言させてはならない。もちろん、帰化要件一般の緩和を目指す国籍法改正論ならば別である。だが、特別永住者に限った緩和論は、その「歴史的経緯」なるものを論拠にしているのであり、突き詰めて云えばその「歴史的経緯」なるものは植民地期の朝鮮人の「日本国籍」の存在と、当事者の意思を無視したその「喪失」措置という一点に集約されざるを得ない。繰返すが、外国人一般の帰化要件緩和論ならば話は別である。

 「無効宣言」に反対するのが筋だ、と書いたが、私はおそらく反対せざるを得なくなってくると思う。「無効宣言」と「権利としての日本国籍取得論」は両立しえないのである。よって、私の立場は併合無効、「権利としての日本国籍取得論」反対である。ただ「歴史的経緯」を語ればいいというわけではない。確立協の母体である「高槻むくげの会」だって、「帝国主義」という言葉を用いて日本の植民地支配を批判していたが、「権利としての日本国籍取得論」を維持している限り、この批判は必然的に退潮していくだろう。確立協が極めて同化主義的な傾向を見せているのも特段不思議ではない(*1)。

 逆に言えば、和田春樹はちゃんと「権利としての日本国籍取得論」を批判すべきだということだ。

(*1) 確立協系の人々は、日本国籍取得は同化であると批判されることをとても喜ぶのであまり言いたくないのだが、やはりあなたがたは同化論者である。なぜか。確立協の常套句の一つに、「民族と国籍は別」というのがある。既存の日本国籍取得反対論者は「民族=国籍」に囚われている、という例のアレである。
 だが、実際には「民族=国籍」という図式を強く持っているのは確立協系の論客に多い。例えば李敬宰の次の文章。

 例えば、すぐ「同化」だと言う人たちが、家に帰れば朝鮮の伝統的な家屋に住んでいるのかと言えば、絶対にそうではないと思います。そんな家屋は日本にほとんどないと思います。普通の日本式の家に住んでいるでしょうし、生活様式もほとんど日本式でしょう。日常的に出てくる民族的なものと言えば食卓にキムチがあったり、朝鮮料理があるという程度じゃないかなと思います。こうした生活様式は「同化」していないのだろうか。教育についても、日本語で教育を受けたら「同化」でした。今はもう一世を除いては、韓国語で教育を受けている人というのはほとんどいないのではないですか。ここでも、「同化」しています。ところで、総連系の民族学校を出た若い人たちが使う朝鮮語は、はっきり言って本当に朝鮮語なのかと思ってしまいます。日本訛り、日本語混じりの朝鮮語ですね。昔、在日一世の人が日本語を話すときは朝鮮訛りの日本語だったのですけれども、今総連系の若い人たちがしゃべっている朝鮮語は日本訛り、日本語混じりの「朝鮮語」(?)なんです。これは「同化」の極みになるのではないかと思います。(「在日韓国・朝鮮人と国籍」、佐々木てる編『在日コリアンに権利としての日本国籍を』明石書店、2006年、58-59頁。)

 その狭隘な民族文化観にはため息が出るが、この後李は、だから「同化」してるかどうかは「民族的素養」があるかどうかではなくて、民族差別を告発していけるかどうかにあるんだ、という話を続ける。だが、結局落としどころは、

 実のところ、子どもになぜ自分は韓国人なのかと問われたときに、私は答えられないのです。日本人の子が「なぜ私は日本人なの?」と聞いたときに、仮に「日本で生まれたから」と答えたとして、今度は在日韓国・朝鮮人の子に「なぜ私は日本人じゃないの?」と聞かれたら、どう答えたらいいのでしょうか。まさか、韓国人の血と日本人の血を識別する方法なんてないのですから、血の話では説明できません。子どもにちゃんと答えられない理屈なんて、どこか間違っていると思いませんか。〔中略〕もはや、こうした状況を、いつまでも放置しておけないのではないかなと思って、私は最近積極的に日本国籍の議論を進めているのです。(同上、71,72頁)

ということになる。つまり、在日朝鮮人のほとんどは「民族的素養」の点で「同化」している。そうではない「(反)同化」論に取り組んでみたけど、「民族的素養」の点で「同化」している子どもに説明できない、やっぱりこれは「どこか間違っている」、だから「日本国籍の議論を進めている」という論法である。

 つまり、李敬宰は在日朝鮮人は「民族」が日本に「同化」しているから日本国籍を取得すべしといっているのである。「民族=国籍」という等式に囚われているのは李の方だ。
by kscykscy | 2009-09-20 05:08 | 日朝関係