朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(6・終)

6.結び

 以上で朴裕河の「反論」をすべて検証した。私の「批判が誤読と曲解に満ちたものだった」という論難は誤っており、朴の「反論」は何ら反批判たりえていないことが証明されたのではないだろうか。

 朴裕河は「反論」の結びとして、「5.生産的な談論のために」と題して以下のように書いた。

「鄭栄桓はもはや徐京植や高橋哲哉すら批判する。高橋はリベラル知識人のなかでもとりわけ「反省的な」視角と態度を堅持してきた人物であり、徐京植と共同作業を数多くしてきた人物でもある。こうした者たちまで批判する鄭栄桓に最初の答弁で問うた言葉を再び問いたい。鄭栄桓の批判はどこを志向するのか?
 確かなことは、鄭栄桓の「方法」は日本社会を変化させるどころか、謝罪する心を持った者たちすら背を向けさせ、在日僑胞社会をより苦しくさせるだろうということだ。もちろん日本社会に問題がありもするが、それ以上に鄭栄桓の非難に「致命的な問題」があるからだ。その問題を私に対する批判の方式が証明している。存在しもしない意図を探しだすために貴重な時間を消耗するよりも、生産的な談論の生産に力を使って欲しいと願う。」

 私のような批判を野放しにしておくと、在日同胞社会が損をするぞ、その証拠に徐京植や高橋哲哉すら批判しているではないか、と読者に「忠告」しているわけだ。呆れた「反論」である。

 残念ながら、この結びにもあらわれているように朴の「反論」は『帝国の慰安婦』に輪をかけて質が低く、事実上反論をしていないに等しい。本論中でも指摘したように、私の論文からのまともな引用も出来ていないうえ、自らの著作すら理解しているか怪しい。その代わりに幼稚な揶揄(「歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないこと」云々)を投げつけ、論点をそらし(「こうした批判は、日本人男性の小説はその存在自体が日本に有利な存在であるかのように考える偏見が生み出したもの」云々)、「誤読と歪曲」をしていると批判者に責任を転嫁する。これは極めて異様なことである。

 私が朴裕河の「反論」に何より欠けていると思うのは、自らが発表した著作に対する責任意識である。私たちは何かを書くときには、常に何らかの意図と目的を持って調査するがゆえに、それを適切に表現できるか、読み手に伝わるかどうか苦悶しながら執筆し、公表する。そして公の場に示された著作は、もはや著者の意図を離れ、それ自体独立のテキストとして評価されざるをえない。それゆえテキストに即した批判に対しては、反論をする側も改めてテキストに即して説明するほかない。本当はこう書きたかったんだ、という「意図」を示したところで、テキストとは異なる内容であるならばそれは「反論」にはなりえない。人格を論じているのではなく、その著作を論じているのだから当然である。著者には公の場にテキストを公表した責任として、そこで書いたこと(「書こうとしたこと」ではない)への責任が生じると私は考える。

 今回の反論にもこうした責任意識の欠如がよくあらわれている。『帝国の慰安婦』では書いていないことを「要約」して示してみたり、明らかに書いていることを書いてないと「反論」してみたり、ディシプリンの違いに逃げ込んだりすることに、それはよく現れている。自らの著作を理解していないのである。だからこそ、批判に対して、批判者のスタイルや属性をまず問題視するような「反論」が書けるのだろう。自らの著作に愛着と責任を感じるのなら、絶対にこうした「反論」のスタイルは試みないと思うのだが、どうだろうか。

 最後に、以下の二段落の叙述については改めてその「根拠」を問い、抗議したい。

「鄭栄桓は同じ方法で私が「韓日合邦を肯定」したと書く。だが私は韓日合邦無効論に懐疑を示しながらも、「もちろん現在の日本政府が慰安婦問題をはじめとする植民地支配に対する責任を本当に感じるのであれば、そしてそれを敗戦以後国家が正式に表現したことが無かったという認識がもし日本政府に生じたならば、「法的」には終わった韓日協定だといっても、再考の余地はあるだろう。女性のためのアジア平和国民基金の国内外の混乱は、その再考が源泉的に排除された結果でもある」(『和解のために』235)と書いた。私は韓日合邦も韓日協定も「肯定」していない。

 私は慰安婦を作り出したのは、近代国民国家の男性主義、家父長主義、帝国主義の女性/民族/階級/売春差別意識であるため、日本はそうした近代国家のシステムの問題であったことを認識し、慰安婦に対し謝罪/補償をすることが正しいと書いた。にもかかわらず鄭栄桓は「朴裕河は韓日合邦を肯定し、1965年体制を守護しており、慰安婦のハルモニの個人請求権を認めない」というのである。私は「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える。」

 すでに指摘したが、私は朴が「韓日合邦を肯定」したなどとは書いていない。繰り返しになるが、引用符を引用でもない箇所で用いるべきではない。また、朴が併合条約を合法とし、慰安婦女性たちの請求権を認めないのは、『帝国の慰安婦』を一読すれば明らかである。日韓協定の再協商を否定し、協定の枠内での調停すら批判する朴の立場が「1965年体制」を「守護」するものと理解することも決して逸脱した解釈ではあるまい。にもかかわらず、「「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える」その根拠は何か。それがいかなる「犯罪」に該当するのか。朴裕河には回答する義務がある。なお、この点については『歴史批評』の編集委員会にも責任があると考えるため、再反論の掲載を求めるつもりである。

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2015-10-07 00:01 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

5.「反論」の検証⑤――在朝鮮日本財産と「個人の請求権」について

 朴裕河は「反論」において、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」に関連して次のように指摘した。

「鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」(476頁)

 はじめに強調しておきたいのは、こんな主張は初耳だ、ということである。確かに私は、『歴史批評』論文では朴の在朝鮮日本財産に関する主張について検討していない。だがそれは不都合な箇所であったからではない。朴の立論にとって重要な箇所ではないと判断したからである。この「反論」で朴は、「個人の請求権」が認められない論拠として、在朝鮮日本財産の問題を指摘しているが、こんな主張を『帝国の慰安婦』ではしていない。もししていたら取り上げないはずがない。驚くべき珍説だからだ。

 まずは、私が「抜いて引用」したといわれた『帝国の慰安婦』の該当箇所を全文引用しよう(段落記号は筆者が付した)。

「【A】しかし、不思議なことに、人的被害に対する要求は、1937年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、1910年以降の36年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事柄に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からとするべきだが)、1937年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。
【B】決裂することもあったほどに、互いに植民地時代を強く意識していながら、そういうことになったのは、日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまでも戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基づくものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。
【C】会談は、金銭的な問題については、日本が残してきた資産と韓国が請求すべき補償金(対日債権、韓国人の軍人軍属官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)をめぐっての議論が中心だったようである。そして請求権に関して、基本条約の付随条約――「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれたのだった。つまり、日本がこだわっていた朝鮮半島内の日本人資産は放棄され、(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った。これも反共戦線を作るためのアメリカの思惑が働いてのことのようで、アメリカが日本から受け取るべき費用(引揚者の帰国費用など)をそのようにして肩代わりすることで、韓国の自立を助けたという(浅野豊美二〇〇八[『帝国日本の植民地法制』:引用者注]、六〇六~六〇七頁)。
【D】いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(『帝国の慰安婦』日本語版、248-249頁)

 【A】~【D】4つの段落のうち、『歴史批評』論文では【C】を省略し、朴が「経済協力」を「賠償金」と理解している論拠として示した。朴が「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分」としたのはこの【C】である。叙述が錯綜しておりわかりづらいため、この箇所を改めて整理し直すと以下のようになる。

(1)韓国政府がサンフランシスコ講和条約の枠組みを意識して、日中戦争以降の動員による人的被害への賠償だけを求めた(【A】【B】)
(2)日韓会談では在朝鮮日本財産と「韓国が請求すべき補償金」の処理が議題となった。米国が反共戦線を作り韓国の自立を助けるため、前者は放棄された。(【C】)
(3)日韓請求権協定により日本政府は「1937年以降の戦争動員に限る」賠償金を韓国に支払い、韓国政府が個人の請求に応えることとなった。(【D】)

 こうしてまとめると、正しいかは別にして、朴の意図はよくわかる。韓国は1937年以降の戦争に限って対日賠償請求をして請求権協定で賠償が支払われた(誤っているが)一方、日本は米国の政策により対韓財産請求を放棄した、と言いたいのであろう。ただ【C】の叙述は時系列が混乱しており、大変読みづらい。【C】をさらに分解すると以下の通りになる。

【C1】日韓会談では在朝鮮日本資産と韓国の請求する補償金が議題となり、請求権協定が結ばれた。(1952-65年)
【C2】日本は在朝鮮日本資産を放棄し、米国が戦勝国として「接受」し韓国に与えた。(1945-48、51、57年)
【C3】米国の政策の意図は反共戦線を作り韓国の自立させるためであった。(?年)

 おそらく【C2】は1957年の米国政府による米軍政令解釈の日本政府への提示を念頭に置いた叙述なのであろうが、「(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った」という曖昧な書き方をしているため、日韓会談開始以前の接収と払い下げを指すようにしか読めない。よって時系列的には過去へと遡るように読めるにもかかわらず、朴は【C1】と【C2】を「つまり」で接続するため、前提知識の無い者が読むと、日韓交渉の最中に米国が旧日本資産を接収したうえで韓国に与え、日本の対韓財産請求を封じ込めたと読んでしまう可能性が高い。逆に、ある程度歴史的経緯を知っている者がこの箇所を読むと、突然タイムマシーンに乗せられて過去に放り込まれたような、不条理な感覚に襲われるのである。

 何よりここでの問題は、この叙述から元「慰安婦」被害者の「請求権を請求するのが難しいと理解する」ことができるか、ということである。

 まず、【C】における在朝鮮日本財産への言及は、あくまで米国が「反共戦線」と韓国の自立のため日本に請求を放棄させた、という主張を支えるためのものである。この主張の当否はひとまずおくとしても、元「慰安婦」被害者の「個人の請求権」が認められない論拠として触れられたわけではないことは明らかだ。本書を未読の者は「反論」の主張は自著の該当箇所を「要約」したものであると考えるであろうがが、上の引用から明らかなように、『帝国の慰安婦』で朴はそのような主張を行ったわけではない。「反論」における在朝鮮日本財産と「個人の請求権」に関する主張は、『帝国の慰安婦』にはみられない全く新しい主張なのである。

 朴裕河が『帝国の慰安婦』刊行後に講演やfacebook等で示した「要約」なるものは、多くの場合要約たりえていないが、今回も同様である。少なくとも『帝国の慰安婦』から、「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である」という朴の意図を読み取ることは不可能である。朴が先行研究や証言、史料を適切に読み解けていないことを私は再三指摘してきたが、ここではそれどころか、朴が自著すらも全く読み解けていないことが露呈している。

 ところで、【C】の段落には浅野豊美の著作が出典として示されている。浅野が「個人の請求権」について朴の「反論」のような主張をしたのであろうか。念のため該当箇所と思われる部分を以下に引用しよう。

「アメリカの主導する東アジアの地域統合プランがこうして大幅に修正される[中国東北・北朝鮮の重工業設備に日本から撤去した賠償設備を加えて中国・朝鮮の近代化を実現する構想が、中国共産党の勝利により日本の復興支援政策へと修正されたこと:引用者注]前に、南朝鮮における在外財産の接収は、初期の懲罰的賠償計画の一環として1945年12月の米軍政令33号によって行われた。それらは「敵産」の払下げという形で現地の住民に移譲されたが、その国際法上の位置づけは、あくまでアメリカが受けとった賠償物資を、現地の住民に対してアメリカからの援助の一部として移譲するというものであった。そして、一度接収された在外私有財産の返還は、あくまで日本政府と日本国民との間で解決されるべき問題と、アメリカはみなしていた。前述した占領方針中の私有財産処理原則にもかかわらず、アメリカが日本人私有財産の所有権移転に踏み切ったのは、北朝鮮における日本人私有財産が没収処分を受けていたため、南朝鮮でのみその補償を前提とする敵産管理政策を持続すれば、朝鮮人からの不信を招くとする理由からであった。アメリカはその処分をサンフランシスコ講和条約四条b項により日本に認めさせ、また、後述する1957年末の日韓両政府への覚書でも、在韓私有財産の請求権が日本にはないという解釈を提示することによって、両国の実質的仲介役となっていた。」(浅野豊美『帝国日本の植民地法制』名古屋大学出版会、2008年、p.606-607)

 浅野はこのように、あくまで南朝鮮において米軍政が日本財産の接収に踏み切った背景を説明しているのであって、「個人の請求権」については語っていない。本来ならこうした「反論」は無視してもよいのであろうが、朴がとりわけ強調したい論拠でもあるようなので、簡単にだけその妥当性を検証しておこう。

 朴は「米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分[…]こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」と主張する。朴が何を言いたいのか私には正確には理解できないのだが、あえて整理するならば、「反論」には以下の二つの命題が含まれていると考えられる。

元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」は、米国が在朝鮮日本財産を韓国に払い下げて日本人の引揚げ費用と相殺させたため、認められない。
元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」を認めると、在朝鮮日本財産に対する日本人の請求が可能になる。

 結論からいえば、このような主張は成り立たないと考えられる。在朝鮮日本財産については、在朝鮮米軍政庁が1945年12月6日の米軍政令33号で接収し、政府樹立に伴い韓国に払い下げたが、日本政府はこの効力を1951年9月8日調印のサンフランシスコ講和条約第4条(b)項で認めている。1952年以降の日韓交渉で確かに日本政府は在朝鮮日本資産の問題を「逆請求権」として論点化するが、サ条約で効力を認めたため本当に請求できるとは流石に思っておらず、当時の日本側の表現を借りれば一種の「バーゲニング・トゥール」以上の意味はなかった(*1)。上の浅野の引用にもあるように、米国は1957年に日本側が権利を主張できないとの米軍政令の解釈を日本政府に伝えており日韓会談でも議論されている。

 よって旧日本財産に対する何らかの補償を日本人が韓国政府に請求するためには、現時点ではサ条約を改定するほかなく、それは不可能であろう。少なくとも韓国政府を相手にするものに関する限り、「国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になる」という事態が発生するとは考えにくい。

 また、かつても指摘したように日韓会談で元「慰安婦」被害者への補償問題が議論された形跡はなく、日韓両政府による「相殺」されたと考えることは困難であろう。何より朴の「反論」は、旧日本財産と日本人の引揚げ費用が相殺されたため、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」が認められない、という奇妙な理屈が展開されており、仮にそのような主張をするのであれば論拠を示すべきであろう。そもそも、元「慰安婦」被害者たちが求めている「請求」の内容は、単純な財産の返還・補償請求ではなく、人的・物的被害に対する補償も含まれたより広範なものだ。全く位相が異なる問題である。

 いずれにしても、朴の「反論」における主張はあまりに珍奇なため、これだけでは何を主張したいのか理解しがたい。相応の論拠を示していただきたい。

*1 太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」、『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』(法政大学出版局、2011年)等を参照。

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2015-10-07 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「第27回アジア・太平洋賞」特別賞受賞について

 朴裕河『帝国の慰安婦』が「第27回アジア・太平洋賞」特別賞を受賞した。朴は自身のfacebookで「(授賞)を辞退しない理由」と題して、「指折りの進歩新聞」である毎日新聞社から賞を与えられた喜びを綴っているが、そのなかに以下のような一節があった(強調は引用者)。

「毎日新聞社で「アジア・太平洋賞特別賞」受賞者に内定したとの知らせを興奮した声で電話で知らせてくれたのも彼女[朝日新聞出版の担当編集者]だった。私はその知らせを地下鉄のホームで受けた。はじめに頭をかすめたのは、このことをもってまた歪曲し非難する者たちがいるだろうという考えだったから、喜びよりも複雑な心境だったが、いずれにしろ高い評価を受けたのは彼女の苦労のおかげであると考えて、私は真心を込めて彼女にありがとうと言った。在日僑胞学者の執拗な批判が影響を及ぼすのではないかと編集者は心配したが、大賞ではない理由がそこにあるのかどうかはまだよくわからない。

 「在日僑胞学者の執拗な批判」とは、おそらく私の批判を指すのであろう。確かに残念である。私は本書が数多くの事実関係の誤りと恣意的な方法により綴られた、到底評価するに値しない問題作であることを丁寧に説明し、批判してきたつもりだ。学問的論争以前の欠陥品であることをそれこそ「執拗」に様々な論点をあげて指摘した。「在日僑胞学者の執拗な批判」がなければ大賞もありえたかのように書ける神経には絶句するほかないが(授賞を辞退するつもりなどもとより無いだろう)、いずれにしろ数多くの批判など存在すらしないかのような今般の授賞には憤りをおぼえざるをえない。

 もちろん授賞が「アジア・太平洋賞特別賞」の価値を減ずるといいたいわけではない。選考委員の顔ぶれをみると(北村正任・アジア調査会長、田中明彦・国際協力機構理事長、渡辺利夫・拓殖大学総長、白石隆・政策研究大学院大学学長、伊藤芳明・毎日新聞社主筆)、さもありなんという印象である(*1)。ただこの授賞で権威づけられることにより、本書が今後さらに日本社会で「まともな本」「信頼すべき本」として扱われ、その誤りに満ちた記述が「歴史」とみなされ、日本の朝鮮支配の事実を歪め、植民地支配の被害者たち、証言者たちの尊厳が再び踏みにじられることが耐え難いのである。暗澹たる気分になる。おそらく本書は今後も何らかの賞を与えられるであろう。さらなる「執拗な批判」が必要である。

*1 ちなみに「指折りの進歩新聞」である元毎日新聞社ソウル支局長で現アジア調査会理事(常勤)の長田達治はかつて「ナヌムの家」の人々による『帝国の慰安婦』への抗議を以下のように批判した。

「ナヌムの家の連中(挺対協[訴えたのは挺対協ではない:引用者注])が世宗大学に何度も抗議に訪れるなど、朴裕河さんに対する嫌がらせを継続しているそうだ。ソウル大学の学者などが挺対協の応援団にいる。この要塞のような反日利益集団に楔を打ち込み、真実を韓国国民に知らせるためには米軍基地慰安婦問題を韓国で大々的にキャンペーンするのがいいと思う。「ハルモニ=韓国の天皇」という頑迷左派のイデオロギーを崩さないことには韓日和解などとうていできない。」(2014年7月5日)

 また、私の『帝国の慰安婦』批判について「人格攻撃」「滅茶苦茶な批判論文」とし、「挺対協など反日団体の回し者」と非難した。「進歩新聞」記者の言説として、記録しておきたい。

「鄭栄桓氏は挺対協など反日団体の回し者か。朴裕河さんの書物を実証的に批判するのでなく、彼女への人格攻撃に終始している。<本書において筆者は明確に、植民地支配を「不正義」と認識してこれを批判・糾弾する立場を放棄するよう朝鮮人側に求めている(しかも「証言者」の言葉を借りて)。(続く)」
「鄭栄桓氏が日本語で滅茶苦茶な批判論文を出してくれているので、韓国における朴裕河氏を誹謗中傷する嵐のような反日の悪意の論の空気を少しだけ体験できた。こういう悪意の塊のような反日勢力が「絶対に日本を許すな」と論陣を張り続け、朴槿恵大統領もそれにはアンタッチャブルなのだ。困ったもんだ。」
 長田達治@osada_tatsuji 2014年12月31日
 http://twilog.org/osada_tatsuji/month-1412
 
(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2015-10-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

4.「反論」の検証④――【4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬】について

 いよいよ核心の第四節である。私は『歴史批評』論文の半分以上を朴裕河の韓日協定・韓日会談理解の誤謬への批判に割いた。あまりに深刻な先行研究の誤読と歪曲があり、かつそれが本書の核心的主張の根拠とされていたからだ。「4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬」はこれへの反論である。

(1)日本軍責任論の理解について

 私は『歴史批評』論文で、まず朴が日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定したことを指摘した。朴裕河はこれについて次のように反論する。

「1)慰安婦問題に関する責任について
 鄭栄桓は私が慰安婦問題の「責任を日本国家に問えない」(480)としたと整理する。だが私は「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。また、知られていない様々な状況を勘案して判断するならば、「法的」責任を前提とした賠償要求は無理だというのが私の考えだ。私が「業者」ら中間者に注目する理由は、日本国家の責任を否定するためではなく、彼らこそが過酷な暴力と強制労働の主体であり、それによる利得を得たからである。誘拐や詐欺などは当時でも処罰の対象だったからだ。何より慰安婦の「恨み」は彼らに向けられていからでもある。」

 この段落は大いに読者を混乱させる。「「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。」という一文を読んだ者は、当然ながら朴が日本国家の「法的責任」を認めている、と考えるだろう。「まず業者に問わねばならない」というからには、日本国家の法的責任を問うことも想定していると考えられるからだ。この一文に関する限り、問題は業者と軍に責任を問う順序に過ぎない。だが朴の叙述はそうした予測を裏切り、あろうことか「また」という並列の接続詞を用いて法的責任を否定する文章へと接続する。結局のところ朴は、法的責任は業者にのみ問える、軍には問えない、と言っているに過ぎない。

 何より、朴が、日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定した、という私の整理は何ら誤っていない。実際、朴は本書で次のように記している。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。[中略]慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた国家である。」(三二頁)
「この請求[元「慰安婦」被害者らによる憲法訴願:引用者注]の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。[中略]しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」[日本国家に損害賠償を請求する権利:引用者注]を抹消したのは、韓国政府でもあった。」(一八〇頁)

 朴が日本軍の責任に言及した数少ない箇所の一つである。注意深く日本軍の「責任」を「発想」と「黙認」に限定していることは明らかであろう。さらに今回の反論では慰安所設置の指示について次のように書いている。

「私は慰安婦問題の「本質は公式的な指揮命令系統を通して慰安所設置を指示」したという吉見の主張を大体のところ支持するが、女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える。また「兵站付属施設」だという永井和の指摘もまた支持するが、既存の遊郭を使用した場合も多かった点が補完されねばならないと考える。/もちろん、それをみる理由は日本の責任を稀釈させるためではなく、支援者たちがいう「真相究明」のためだ。」

 吉見の指摘を支持するならば、日本軍の責任は制度の「発想」や人身売買の「黙認」に留まるという朴の主張は維持できないはずだ。軍が女性の徴集を命じなければ、人身売買も起きようはずがなく、その責任を軍もまた負うべきであることは当然であろう。だが、朴は「女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える」という弁明でもって、あくまで自らの主張は正しいという。朴のいう「業者の自律性」とは何か。軍の指示とは関係なく、業者が自ら女性を集め、軍に出向いて商売をした、ということだろうか。だとすれば吉見の指摘への「支持」と矛盾するのではないか。この箇所も全く「反論」足りえていない。

 さらに朴は、次のように私の指摘が「飛躍」だと批判する。

「鄭栄桓の私に対する批判が純粋な疑問を逸脱した曲解であることは、需要をつくったこと自体、すなわち戦争をしたこと自体を批判する私の文章を引用しながら、「上の引用は見ようによっては供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」(481)とまでいっている指摘にあらわれている。甚だしくは「業者の逸脱だけを問題視するならば、軍慰安所という制度自体の責任が免除されるのは当然の論理的帰結」(481)だと書く鄭栄桓の飛躍にはただ驚くばかりだ。
 私は「軍による慰安所設置と女性の徴集、公権力を通じた連行」(482)を同列において「例外的なこと」と記述してはいない。私が例外的であると書いたのは、朝鮮半島での「公権力を通した連行」のみである。にもかかわらず鄭栄桓はこうした方式で要約し、私が「軍の慰安所設置」をあたかも例外的なこととみなしたかのように見えるように試みる。」

 ここで朴は、当然に私の主張が「飛躍」であるかのように書いているが、「慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。」(『帝国の慰安婦』32頁)という叙述から、「供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」と考えるのは、決して「飛躍」した解釈ではない。むしろ素直な読み方であろう。なぜ「飛躍」なのかを説明したうえで反論すべきである。

 なお、「例外的なこと」に関するについては確かに私の書き方が不正確であった。公権力を通じた連行のみを「例外的なこと」と記述したと書くべきだった。なぜなら、「軍による慰安所設置と女性の徴集」については、「例外的なこと」としての言及どころか、本書では全く言及されていないからだ。はっきりと「軍による慰安所設置と女性の徴集」に言及していない、と記すべきであった。

(2)憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨の誤読について

 次に私は、朴が憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨を誤って理解していることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「2)憲法裁判決について
 憲法裁判決について、私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。だがこれはそうした形式――裁判に依拠した請求権要求という方式とその効果に対する懐疑だっただけで、補償自体に反対したことはない。にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする。
 また、私は支援団体が依拠してきた「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をもとにしては、「慰安婦制度を違法にはでき」ず、よって損害賠償を得られないという藍谷の指摘に共感したにすぎず、「責任がない」というために引用したわけではない。藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確かであり、私はその部分に注目しただけだ。「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」したという指摘もまた、単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ。鄭栄桓はいつも形式否定を内容否定に等置させる。甚だしくは、いまは支援団体自らが「法的責任」の主張を変更したことも鄭栄桓は参考にしなければならないだろう。」

 第一段落の滑稽さは今回の反論のなかでもとりわけ際立っている。「私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。」と書いた同じ段落で、「にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする」という。請求権の存在に懐疑を表明する人物の主張を、「請求権自体を否認する立場」だと整理することは「誤読」なのだろうか。そんなことはあるまい。むしろどう整理すれば「誤読」ではないのかを教えてもらいたいくらいだ。

 第二段落の藍谷論文の誤読という指摘への弁明も、全く反論の体をなしていない。本書193-195頁で、朴は藍谷論文に全面的に依拠して、「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」(195頁)ことを主張した。明確に朴は藍谷論文を「「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」した」のであって、私の批判が「単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ」という反論は全く成り立たない。藍谷論文は、「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠でありこの条約をもっては損害賠償の根拠とすることは難しいと指摘したうえで、ハーグ条約・ILO条約に基づく損害賠償請求について論じたのである。そして、これまで裁判所は個人が国際法の法的主体たりえないことを理由に損害賠償請求を退けてきたが、藍たには近年の国際法の理論的深化は個人を法的主体として認める方向へと向かっている、と指摘するのである。藍谷論文から、「法的賠償の根拠はない」という結論は導き出しえない。

 だが朴は「藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確か」という。一体何を言いたいのであろうか。「そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した」とは、何を主張したことを意味するのか。全く意味が明らかでない。曖昧な弁明でお茶を濁すのではなく、具体的に誤読でないことを反論すべきである。

(3)金昌禄論文の誤読について

 さらに私は、韓国政府が「慰安婦」たちの請求権を進んで放棄したという朴の主張は証明されておらず、根拠とした金昌禄論文の理解も誤っていることを指摘した。この箇所は本書においてとりわけ重要な箇所である。朴は日韓会談において元「慰安婦」の請求権を韓国政府が自ら進んで放棄した、と主張した。「韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。」(193頁)と。後に自ら記した『帝国の慰安婦』の「要約」でも、朴は次のようにまとめている。

「そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。」(朴裕河<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

 この「要約」は『帝国の慰安婦』での朴の主張と若干異なるのだが、いずれにしても、日本側は「個人の請求権」を認めようとしたのに、韓国側が進んでそれを放棄した、という主張は本書の核心的主張の一つであることは間違いない。私は『歴史批評』論文において、こうした朴の主張には全く根拠がないことを指摘した。これへの朴の反論は次の通りである。

「3)韓日会談について
 鄭栄桓は私が金昌禄論文も「反対に引用」したというが、私は金昌禄が引用した様々な会談文案を鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた。これもまた根拠なき非難である。
 金昌禄が指摘したように、当時論議されたのは「被徴用者の未収金」であったし、鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。だがいまや慰安婦が「軍属」であったとする資料も出てきたのであるから、私の論拠に依拠するならば、日本が慰安婦を「軍属」として認定することもできるだろう。朝鮮人日本軍すら補償を受けられる「法」が存在したが、慰安婦たちにはそうした「法」は存在しなかったし、そうした認識は慰安婦に関する「補償」を引き出すことができるというのが私の主張であった。」

 これでは問いかけへの答えになっていない。韓国側が進んで日本軍「慰安婦」の個人の請求権を放棄した、と朴は金昌禄論文を根拠に主張した。だが金昌禄論文は元「慰安婦」個人が「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」などとは主張していない。「被徴用者」の、しかも未払い賃金の問題のやりとりを分析したに過ぎず、そこで日本政府は元「慰安婦」についても、あるいはその肉体的・精神的被害への補償についても全く言及していないのである。むしろ韓国政府は日本法上の未払賃金や恩給に限定せずに肉体的・精神的被害への補償を求め、会談で議題とならなかった事柄については「解決」の枠外に置こうとした。これが金昌禄論文の指摘である。つまり、朴が本書でくり返す「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という事実は、全く立証されていないのである。

 朴は一体何を根拠に「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」と主張するのか。根拠があるならば提示すべきだ、というのが私の批判の趣旨であった。この批判に朴は全く答えていない。朴は史料を「鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた」というのみで、全く具体的な反論を行っていない。不誠実の極みである。ついでに指摘するならば、「要約」で新たに付け加えた「韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した」という主張も、同じく全く根拠がない。未払い賃金をめぐるやりとりで韓国側がこのように主張した証拠はない。そもそも「未払い賃金」の支払いは「被害補償」ではない。

 朴は「鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。」と私の批判を「要約」しているが、私はそのような主張をしてはいない。日韓会談関係文書から見つかっている唯一の「慰安婦」への言及は、1953年の会談で韓国側委員が「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」との指摘だけだ、と記したにすぎない。明示的に韓国政府が「慰安婦」の請求権を放棄した証拠などないことを指摘するための傍証としてあげたものだ。

 重要なことなので再度くり返すが、朴裕河の「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という主張には何の根拠もなく、今回の「反論」においても説得的な根拠は示されていない。

(4)張博珍の著書の誤読について

 最後の反論に移ろう。私は、日韓協定による経済協力が戦後補償であり、1937年以降の戦争の賠償であったという朴の理解は誤っており、根拠とした張博珍の著作の理解も誤っていることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「鄭栄桓は私が韓日協定で日本が支給した金額を「戦後補償」だとしたというが、私はサンフランシスコ会談に依拠した会談であるため連合国との枠組みのなかで定めるほかなく、よって日本としては「帝国後処理」ではない「戦後処理」に該当するといっただけだ
 鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。
 何より私はこの時の補償が「戦争」後処理であるにすぎず、「植民地支配」後処理ではないといい、65年補償が不完全であることを確かに言及した。それなのに鄭栄桓はこれについては言及せず、私が1965年体制を「守護」するというのである。
 私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。「戦後処理に従った補償」といった。また、張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。
 鄭栄桓がいまだに知らないのは、韓国政府がこの時、植民地支配に対する「政治的清算」すらしてしまったということだ。浅野論文は『帝国の慰安婦』出版以後に出た。私は本で日本に向けて「植民地支配補償」ではなかったため、補償が残っていると書いたが、浅野論文を読んでむしろ衝撃を受けた。韓日協定をめぐる論議は今後は浅野論文を度外視しては語れなくなるだろう。」

 「敵産接収」問題については節を改めて論じるとして、まず第一段落の「戦後補償」に関する弁明からみよう。朴は自分は日韓協定による経済協力は「戦後補償」であるとは言っていない、という。だが、本書には「日韓基本条約(ママ)は、少なくとも人的被害に関しては、〈帝国後〉補償ではない。あくまでも〈戦後〉補償でしかなかった」(二五一頁)とはっきり書いてある。さらにこの反論のなかでも、「私は韓日協定金額を[中略]「戦後処理に従った補償」といった。」と書いている。「戦後補償」と「〈戦後〉補償」と「戦後処理に従った補償」は別物なのか。
 
 今回の「反論」検証の(1)でも書いたが、朴はこうした重要な概念について必要最低限の定義すらしていないにもかかわらず、思わせぶりな〈 〉を多用するため、読者は混乱するほかないのである。朴のいう「〈戦後〉補償」が仮に「戦後補償」とは別の意味を持つ言葉なのであれば、その説明を本書でしておくべきであろう。そうした説明なしに「〈戦後〉補償」と「戦後補償」と「戦後処理に従った補償」は違うかのように主張されて、違いを弁別できる読者などいるわけがない。朴にはそもそも定義などなく、思いつきでこれらの言葉を濫用していると疑わざるをえない。

 また、朴は「私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。」ともいう。だが本書には次のような記述がある。

「いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(249頁)

 朝鮮語版にも次のような記述がある。

「韓日両国が1965年の国交正常化条約[ママ]の締結に先立ち、過去についての論議を行い、その結果として日本が韓国に無償3億ドル、政府借款2億ドルの「補償」をしたことは間違いのない事実だ。ところがこの賠償[ママ]は「独立祝賀金」と「開発途上国への経済協力金」という名前で実施された。言い換えれば、日本政府は莫大な賠償を行ったが、条約では「植民地支配」や「謝罪」や「補償」といった表現を全く用いなかった。」(258頁)
「ところが結局支払われたのは1910年以降36年間にわたる「植民地支配」による人的・精神的・物的損害に対してではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からというべきだ)中日戦争以降の強制動員に関する補償であった。」(259頁)

 朴は明らかに日韓協定に基づく経済協力を「賠償」「補償」と呼んでいる。今回の「反論」で、朴は挺対協の用法に従って「賠償」「補償」を使い分けたと弁明しているが、これも上の引用をみると苦しい言い逃れであることがわかる。経済協力について、一方では「賠償」といい、一方では「補償」という。「賠償」や「補償」を何らかの意図をもって使い分けている形跡は見いだせない。

 しかも、1937年以降の戦争に限られた「請求権」要求に応じたものと位置づけている。そして、その根拠として張博珍の著書を用いたのである。だが『歴史批評』論文で指摘したように、張が韓国政府が1937年以降の戦争動員被害の賠償のみを主張した、というのは1949年の韓国政府の対日賠償要求方針を指すのであって、1965年の経済協力を指すものではない。朴の日韓協定理解は完全に誤っており、その根拠とした張博珍の著作の理解も誤っている。

 朴は「張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。」と記しているが、以上から、この弁明が全く反論になっていないことは明らかである。1949年の韓国政府の方針を指摘した箇所を、1965年の経済協力の性格を説明するものであるかのように用いるのは、明らかな先行研究の誤用・歪曲ではないか、という質問に答えるべきである。

 そもそも最後の段落は一体何なのだろうか。浅野論文の指摘が重要だというのならば、最低限その要旨を紹介し、具体的に反論すべきではないのか。公刊前の論文をあえて反論に持ち出す以上、最低限その程度の作業を行うべきであろう。全く無意味なほのめかしをすることに貴重な紙数を割く余裕があるならば、一つでも具体的な反論をすべきである。

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2015-09-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)

3.「反論」の検証③――【3.『和解のために』批判について】について

 「反論」第三節は、拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」への反論である。なお、『歴史批評』掲載の拙稿は、下記のブログ「東アジアの永遠平和のために」に全文転載していただいた。ブログ管理者のご厚意に感謝したい。

정영환「일본군 ‘위안부’문제와 1965년 체제의 재심판 ― 박유하의 『제국의 위안부』 비판」(『역사비평』111호、2015年여름)

 拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」は、韓国の読者向けに『和解のために』をめぐる論争を整理したものだ。『和解のために』が出版された時点では朴裕河は韓国ではほとんど名前が知られておらず、本も話題にはならなかった。よって『和解のために』への批判も日本語圏の人々によるものがほとんどだった。いくつかの批判は韓国で翻訳されはしたがあまり知られていないため、金富子や徐京植の議論を中心に『和解のために』への批判を紹介したのである。ここでの私の批判は、以下の二つの記事をもとにしている。

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)(2)

 私は、上の記事でも書いたように、金富子・徐京植らの朴裕河批判は妥当なものであると考えている。『歴史批評』論文でも①吉見義明の研究の誤読、②軍「慰安所」設置の目的、③国民基金の評価という三つの論点に即して議論を整理し、朴裕河批判は妥当であると評価した。朴裕河はこうした私の評価について反論を試みている。

 朴はまず、①吉見義明の研究の誤読との指摘について、次のように反論する。

「1)道徳的攻撃の問題

 鄭栄桓は金富子を引用しながら、私が既存の研究者らの文章について「正反対の引用」(477)をしたという。これは鄭栄桓が私に論旨のみならず道徳性にも問題があるかのように考えるよう仕向けるために選択した「方法」である。

 だが鄭栄桓が知らないことがある。あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない。言い換えれば、あらゆる文章は著者の全体の意図とは異なる部分もいくらでも引用されうる。鄭栄桓自身が私の本を私の意図とは正反対に読んでいるように。重要なことはこの過程に歪曲があってはならないということだが、私は歪曲してはいない。私は吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない。日本の責任を追及するいわゆる「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ。この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ。いまでは「構造的強制性」があるという者は少なくないが、「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。慰安婦を売春婦だという者たちに向けて「当時の日本が軍隊のための組織を発想したという点では、その構造的な強制性は決して稀釈されない」(改訂版、69)と。

 だが批判者たちは私の本は決して引用しない。最近ではこの問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている。これについては改めて書くつもりだ。

 2015年5月、米国の歴史学者たちの声明が示したように、もはや「軍人が連れて行った強制連行」は世界はもちろん支援団体すら主張しない。だが多くの者たちは「強制連行」とだけ信じていた時点から、強制連行ではないということがわかったために、私は「強制性」について否定的な者たちがこの問題の責任を稀釈させることを防ぐため、10年前に「構造的強制性」について語った。また、『帝国の慰安婦』で「強制性の有無はこれ以上重要ではない」と書いた。」

 朴の「反論」は妥当なものだろうか。「あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない」――確かにそうだ。引用の過程で「歪曲があってはならない」――これもその通りだ。しかしながら、「私は歪曲してはいない」――これは誤りである。「吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない」という朴の反論は成り立たない。

 かつて朴裕河は『和解のために』で次のように書いた。

「ところで「強制性」についての異議は、韓国内部でも唱えられている。ソウル大学の李栄薫は、「強制的に引っ張られて行った」「慰安婦」はいなかったとしている。[中略]
 慰安所の設置には日本政府が関与したことをはじめて明らかにした、「慰安婦」研究者の吉見義明もまた、「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)

 この記述の問題について私は次のように指摘した。

「この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。」(「朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)」)

 朴の「意図」はともかく、このように『和解のために』では明らかに「「強制性」についての意義」の例示として吉見を引用している。今回の「反論」でも、朴は吉見のような「「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ」という。だが吉見は「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」へと狭く限定するべきではない、と指摘したのであって、「物理的強制性」(この言葉が何を意味するかが不明だが)を「否定」したわけではない。「占領地においては奴隷狩りのような暴力的な連行を示す資料さえあり、植民地においては奴隷狩りのような暴力的な連行のケースを別にすれば、広義の強制連行を示す資料はある」と、吉見は明確に指摘している(吉見義明「「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える」)。

 なぜ朴裕河は吉見の研究の意義を正しく理解できないのだろうか。もう一歩踏み込んで考えてみよう。『和解のために』以来の朴の「強制性」をめぐる議論の最大の問題は、日本の右派が設定した「狭義の強制性/広義の強制性」という政治的枠組みを受け入れるところにある。朴は「この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ」と、あたかも、日本軍「慰安婦」に関する研究の進展とともに、論点が「人身売買」へと移っていったかのように書く。だが、これは誤りである。軍「慰安婦」をめぐる強制性を、「軍人が連れて行ったといったような強制性」とそれ以外へ分割した背景にあるのは、実態解明の進展ではなく、政治的な要請である。

 強制性を「奴隷狩り」のような暴力的・直接的拉致に限定しようとするのは、日本の歴史修正主義者たちの常套手段であった。そしてついて安倍晋三首相(第一次内閣)は2006年10月6日、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」ことを「狭義の強制性」とし、「そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったこと」を「広義の強制性」として、前者を示す資料がないとして軍の関与を否定しようとした(衆議院予算委員会での答弁)。このような政治的な広義/狭義の分割に対し、実態からみてそうした線引きはあまりに恣意的であるとの批判があがり続けた。「強制性に対する問題提起が受け入れられ」たのではなく、政治的に無理やり狭義/広義という枠組みが作られたにすぎない。こうした事情を朴裕河自身も知らないわけがないにもかかわらず、朴は『帝国の慰安婦』においても、安倍政権による狭義/広義という政治的な線引を受け入れる。

 朴裕河の「強制性」理解が、このように安倍政権的な枠組みを前提とせざるをえないのは、その「和解」論がそもそもにおいて外交的・政治的な決着を目的として設計されているからであろう。日本軍「慰安婦」の被害実態やそれをめぐる研究と運動の進展、何より当事者たちの主張を出発点とするのではなく、あくまで日本・韓国両政府の「和解」を目的とするがゆえに、日本政府の設定した「慰安婦」問題理解の枠組みを前提に思考せざるをえない。歴史修正主義者、並びに安倍政権の設定した狭義/広義の強制性という枠組み自体を問うのではなく、その枠組のなかで、すなわち「広義の強制性」という土俵に限定して、日本政府の「責任」を問い、何らかの「和解」への行動を引き出そうとする。それゆえ、朴の日本軍責任論は、強制連行や軍慰安所設置や軍慰安婦徴集の指示といった「狭義の強制性」の土俵に踏み込みかねない事例を避け、慰安所を「発想」した責任であるとか、慰安婦を大量かつ暴力的に業者が集めねばならないような「需要」を作り出した責任、といった珍妙な「責任」論に限定されるのだ。

 吉見義明の研究の意義を朴が根本において理解できないのもこのためだ。朴裕河の「意図」はよくわかる。李栄薫も秦郁彦も吉見義明も、朝鮮では「官憲による奴隷狩りのような連行」を示す文書を確認できないという点では一致している、それなら強制連行にこだわるのをやめて、一致している論点(「広義の強制性」?)だけ議論して「和解」しましょう、というわけだ。だが繰り返しになるが、吉見はそのような論点の設定そのものを批判的に問うているのである。この点を朴は全く理解しておらず、おそらく今後も理解することはできないだろう。

 朴裕河は「「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。」と誇るが、結局のところこの「構造的強制性」なる「概念」は、安倍政権のいう「広義の強制性」とほとんど大差ないものになってしまっている。「物理的強制性」なる造語は、同じく「狭義の強制性」と大差ない。吉見の議論からもわかるように、「官憲による奴隷狩りのような連行」に「強制性」を限定すべきではないという議論は、『和解のために』以前から存在する。朴のオリジナリティは、安倍政権的な政治的かつ恣意的な「強制性」の分割線を、政治主義的な「和解」の達成のために、「慰安婦」論争に持ちこんだところにあるとみるべきだろう。

 「この問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている」という朴裕河の憤慨に至っては、率直にいって失笑を禁じ得ない。日本軍「慰安婦」問題を考えるうえで植民地支配という要因を重視する視点は当然ながら朴裕河のオリジナルではない。それどころか極めて一般的な指摘であろう。むしろ『帝国の慰安婦』のオリジナリティは、表面的には「植民地」について饒舌に語りながらも、実際には「帝国の問題」云々といって朝鮮人「慰安婦」と日本人「慰安婦」の類似性を強調したところにある(*1)。自著を改めて読みなおし、日本-朝鮮、すなわち宗主国と植民地の間の質的差異を軽視したことこそ、「私の提起」であると朴裕河は自覚すべきだ。

 朴裕河は次に、②軍「慰安所」設置の目的について次のように反論する。

「2)誤読と歪曲

 鄭栄桓は私が慰安婦が「一般女性のための生贄の羊」(『和解のために』87)であったと書いた部分を指し、あたかも私が「一般女性の保護を目的」(金富子)としたかのように非難する(478)。だが「日本軍のための制度」という事実と、「慰安婦が一般女性のための生贄の羊」だっという認識は代置されない[訳者注:互いに排他的ではないという意味か?]。

 歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないことだが、「批判」の文脈であれば、しかも訴訟を起こされている相手に対する批判ならば、もう少し繊細に接近せねばならない。加えて鄭栄桓は一般女性にも責任がないわけではない、という私の反駁すら非難しながら、「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)という誤読に加え、「日本軍の暴力をどうしようもない当然のものとして前提」(478)とした、「戦場での一般女性が自らの代わりに強姦された慰安婦たちに責任がある」という主張だとすらいう。

 私が一般女性の問題について指摘したのは階級の視点からだ。つまり、「学のある奥様」(『和解のために』88)の代わりに慰安婦として出た慰安婦の存在に注目したのであり、彼女たちを見下して後方で平穏な生活を送ることのできな韓/日の中産層以上の女性たち、そして彼女たちの後裔たちにも責任意識を促すための文脈である。もちろん、その基盤には私自身の責任意識が存在する。」

 「「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)」としているが、金はこのような批判をしたわけではない。これは私からの批判である。もちろん、①と同様に、ここでの朴裕河の「意図」がわからないではない。私も「一般女性のための生贄の羊」云々の箇所を読みながら、本当は日本の(朝鮮が入っているとは思わなかったが)「中産層以上の女性たち」の「生贄の羊」だと言いたいのだろうな、とは考えた。だが実際には朴の「テクスト」には、次のように書かれているのだ([]内数字は筆者が挿入)。

「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性[①]の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性[②]を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性[③]のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)

 この文章をどう読んでも、「生贄の羊」となった③の「一般女性」が、「韓/日の中産層以上の女性たち」であったとは読めない。①と②の「一般女性」は、明らかに「強姦」される可能性のある中国などの「戦地における」女性を指すからだ。正しく「意図」を伝えたいならば、丁寧に推敲すべきである。

 最後に、③国民基金の評価について、朴は次のように反論する。

「3)総体的没理解
 鄭栄桓は徐京植の批判に依存しながら、アジア女性基金と日本のリベラル知識人らを批判するが、徐京植の批判にはどこにも根拠がない。旧植民地宗主国らの「共同防御線」を日本のリベラル知識人たちの心性と等置させるならば、具体的な準拠を示さねばならなかった。
そして私は韓日葛藤を挺対協の責任にだけ負わせているわけではない。日本側もはっきりと批判した。にもかかわらず鄭栄桓をはじめとする批判者たちは、私が「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」と規定し、以後その認識は拡散した。

 あまりにひどい言いがかりである。末尾では再び例の悪癖があらわれている。あたかも引用であるかのように記しているが、私は「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」などと書いていない。また、徐京植は何の根拠も示さずに、国民基金が「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」の一環であると主張したわけではない。徐は「和解という名の暴力」で次のように指摘している。

「前に述べたような、「植民地支配責任の回避」という先進国共通の防御線を守るために頻繁に使用されたレトリックが「道義的責任」である。

 日本政府が「植民地支配」の事実をしぶしぶ認めたのは敗戦から五〇年を経た一九九五年のことである。当時の連立政権で首相を務めた社会党出身の村山富市が記者会見で、「過去の戦争や植民地支配は『国策を誤った』ものであり、日本がアジアの人々に苦痛を与えたことは『疑うことのできない歴史的事実』」であると述べたのである。

 この談話は植民地支配の事実すら認めようとしなかった従来の政府の立場から見れば一歩前進と言うこともできよう。しかし、談話発表時の記者会見で村山首相は、天皇の戦争責任があると思うかという質問に対して「それは、ない」と一言で否定した。また、いわゆる韓国「併合」条約は「道義的には不当であった」と認めつつ、法的に不当であったということは認めず従来の日本政府の見解を固守したのである。この線、すなわち「象徴天皇制」と呼ばれる戦後天皇制を守護し、植民地支配の「法的責任」を否定すること、相互に深く関連するこの二つの砦を死守するための防御線を当時の日本政府は引いたのだといえる。

 これが、それ以来、日本政府が頑強に維持している防御線であり、いわゆる「慰安婦」問題においても国家補償をあくまで回避して「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金)による「お見舞い金」支出という不透明なやり方に固執した理由でもある。国民が支出する「お見舞い金」は「道義的責任」の範囲と解釈されるが、政府が公式に補償金を支出すればそれは「法的責任」を認めることにつながるからである。ここで「道義的」という語は、法的責任を否認するためのレトリックとして機能している。

 私たちはやがて、このようなレトリックに、別の文脈で遭遇することになる。

 先に述べた二〇〇一年のダーバン会議において、初めて、奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起された。しかし、欧米諸国はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」は認めたが、「法的責任」は断固として認めなかったのである。その結果、ダーバン会議の宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれなかった。欧米諸国が法的責任を否認する論拠は、「法律なければ犯罪なし」とする罪刑法定主義の原則であり、奴隷制は現代の尺度から見れば「人道に対する罪」に該当するかもしれないが、当時は合法だった、という論法である。

 ここに、どこまでも植民地支配責任を回避しようとし、そして、それができない場合でも、「法的責任」を否定して「道義的責任」の水準に止めようという、先進国(旧植民地宗主国)の共同防御線がはっきりと見て取れるのである。」

 これは「具体的な準拠」ではないのだろうか。朴の「どこにも根拠がない」という主張こそ「どこにも根拠がない」決めつけである。

 朴は、この節の結びとして、次のように「反論」する。

鄭栄桓は私が使った「賠償」という言葉を問題視するが、挺対協は「賠償」に国家の法的責任の意味を、「補償」に義務ではないものとの意味を込め、区別して用いている。鄭栄桓が指摘する「償い金」とは本にも書いたように「贖罪金」に近いニュアンスの言葉だ。もちろん日本はこの単語に「賠償」という意味を込めなかったし、私もまた挺対協が使うような意味に準じて、「賠償」という意味を避けて「補償」といってきた。これは基金をただ「慰労金」とみなした者たちへの批判の文脈でだった。「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」(479)という点には、私もまた異論はない。だが鄭栄桓は誤った前提で接近しながら、私が用いた「補償」という単語が「争点を解消」(480)させたと非難する。
 参考に言及するが、日本政府は国庫金を直接使えないという理由から、はじめは間接支援することになっていた300万円すら、結局は現金で支給した。アジア女性基金を受領した60名の韓国人慰安婦たちは実際には「日本国家の国庫金」ももらっていたことになる。依然として「賠償」ではないが、基金がただの「民間基金」だとの理解も修正されねばならない。」

  拙稿の関連する箇所は以下の通りである。

「『帝国の慰安婦』と関連して注目せねばならない点は、ここで朴裕河が国民基金の「償い金」を「補償」と呼んでいることだ。西野瑠美子が指摘したように、日本政府は「国民基金」の「償い金」は「補償」ではないと繰り返し主張してきた。国民基金副理事長であった石原信雄は「これは賠償というものじゃなくて、ODAと同じように、人道的見地からの一定の支援協力ということです」と語った。「償い金」が日本政府の法的責任を前提とした補償ではないということが徐京植の批判の核心であるが、朴裕河は一括してこれらを「補償」と総称してこの争点を解消してしまうのである。」

 つまり、「補償」かどうかは極めて重要な問題であったにもかかわらず、朴裕河は国民基金は実質的な「補償」だったというレトリックでこの対立点を曖昧にしてしまっている、と批判したのである。私が「「賠償」という言葉を問題視する」と朴はいうが、ここをみればわかるように、私が問題視したのは朴の「補償」の恣意的な用い方である。「賠償」の用法を問題視したのは、朴裕河の日韓協定に関する理解を問う文脈においてであり、別問題であるため、これについては後述する。また自らが挺対協の「補償」「賠償」の定義に従っているという主張についても、この「反論」で初めて登場したものであるため、節を改めて検討したい。

 いずれにしても、この項での「補償」をめぐる朴の主張は、相変わらず全く反論の体をなしていない。徐京植はダーバン会議を例にあげて、国民基金は法的責任を否定する「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」を共に守るものだと主張した。一方、朴裕河は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ことに「異論はない」という。だとすれば、少なくとも事実認識のレベルで徐京植と朴裕河の対立は無いはずだ。そして、このような事実認識に立脚するならば、本来朴裕河のすべき反論は、徐の国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」という等式は誤りだ、ではなく、国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」のラインの「和解」で何が悪い、というものでなければならないはずだ。徐は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ということをもって、他の旧宗主国が絶対に譲らない線を日本もまた守ろうとしている、と主張しているのであるから、少なくとも朴のなしうる反論は「それで何が悪い」以外にありえないだろう。


*1 『帝国の慰安婦』のこうした植民地認識の問題を指摘する興味深い書評があった。ペ・サンミ(女性文化理論研究所)「主題書評 慰安婦言説のフェミニズム的転換の必要性」(『女/性理論』31号、2014年11月、図書出版ヨイヨン)は、朴裕河『帝国の慰安婦』は「帝国主義戦争に対する歪曲された理解と、慰安婦制度が[ママ]戦場での女性動員が持つ問題の核心を度外視」している、と批判する(268頁)。「和解」が実現しないのは、朴裕河のいうように「慰安婦」の動員/管理主体(軍or業者)が不明確であることや、女性たちの「誇張された被害」に照明があたったためではなく、日本が帝国主義膨張による植民地支配と、満州事変以後続いた戦時体制下で行った収奪と搾取を認め、それへの反省をしないからだ、と至極まっとうな指摘をしている。他にも「慰安婦」たちが「精神的「慰安者」」としての役割を果たしたという朴の主張についても、日本軍側からの史料や小説をもってそのように規定することの問題点に言及している。後半の上野千鶴子評価には同意しがたいところもあるが、『帝国の慰安婦』評価としてはまっとうな書評であると思う。

 なかでも興味深いのは、朴裕河の矛盾した叙述についての次のような指摘である。

「ところが矛盾することに、著者もまた慰安婦制度が帝国主義膨張政策と相俟ったものであることを知っており、慰安婦制度には米国も例外なく責任を感じねばならないと主張している(280-289頁)。慰安婦制度が帝国主義と密接な関係を結んでいることを知っている彼女が、日本の慰安婦問題の場合は帝国主義への反省と結びつけようとしない理由は、彼女の考える韓国と日本の「和解」像が慰安婦問題における日本の責任を軽減させ、韓国における日本への反感を縮小させ、日本帝国主義自体とその遺産への総体的な反省ではなく、慰安婦個人に極限した謝罪と補償のレベルで慰安婦問題を解決しようとするためだろう。」(269頁)

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2015-09-18 00:00 | 歴史と人民の屑箱