朴裕河の記者会見における「反論」について

1.日本の「学者」問題

 朴裕河が12月2日、ソウルプレスセンターで在宅起訴に反論する記者会見を開いた。在宅起訴自体に抗議するのは、一方の当事者であるから理解はできる。それを論評するつもりはない。だが、そこでの『帝国の慰安婦』の内容に関連する「反論」はあまりに問題だらけの内容であった。以下に具体的にその問題点をするが、それに先立ち一つだけ今回の事件について記しておきたい。

 もし刑事裁判で決着をつける以外にこの問題の「解決」への道があるとすれば、朴裕河が民事裁判後の刑事調停で女性たちが求めた条件を容れて謝罪し、34ヶ所伏せ字版の修正と日本語版の当該箇所を削除することで赦しを乞い、女性たちに告訴取り下げを求める以外の方法はないと思う。「ナヌムの家」の発表をみても、刑事調停が成立すれば、女性たちは民事も含めたあらゆる訴えを取り下げるつもりだったという。女性たちにしても刑事罰を課すことが目的ではないのだ。民事裁判の資料を見る限り判決はそれでも抑制的であり絶版にせよとまでは命じていない。あくまで該当箇所の削除である。朴裕河の対応如何で別の展開もありえたことは明白である。

 だが前回書いたとおり、朴裕河と出版社の判決後の対応はあまりに挑発的であり、これでは判決の意味がないと考えても無理はない。この点も含めて朴裕河は女性たちに謝罪し、赦しを乞うべきなのではないか。少くとも私からみて、『帝国の慰安婦』における朴裕河の主張が当事者女性たちに著しい二次加害を与えていることは否定しがたいと思う。もちろん、朴裕河にその「意図」はなかったかもしれない。だが、現に出版されているテキストには、明らかに女性たちの名誉を侵害する内容が含まれている。女性たちの主張には相応の根拠があるのだ。「ナヌムの家」の女性たちに無用な裁判の負担を負わせないためにも、朴裕河は上のような対応をただちに採るべきではないだろうか。もちろん、「ナヌムの家」の女性たちが受け入れるかどうかまでは保証できない(一度あった機会を壊してしまったのだから、拒否されても文句はいえないと思う)。もう手遅れかもしれないが、一応申し添えておく。

 私はこれまで韓国の歴史学研究誌やSNS上で朴裕河と『帝国の慰安婦』の内容をめぐりいくどか「論争」をしてきた。その際、常に頭の片隅にあったのは、なぜこんな簡単な話が伝わらないのだろうか、もしかしたら朴裕河は本当に何も問題を理解していないのではないか、という疑念であった。今回の記者会見をみても、同様の疑念は晴れなかった。本当に自分はなぜ善意なのに批判されるのだろう、誤解されるのだろう、と信じきっている可能性がある。「意図」「真意」を語れば理解してもらえると考えているかもしれない。『帝国の慰安婦』のような本を書きながら、なおかつこのように信じられるのは、確かに研究者としては完全に失格であると思う。ただこのような人間はざらにいる。だからこそ、朴裕河の知人・友人たちは「確かにあなたは善意なのだが、この文章は表現上明らかにこれこれのことを書いている。客観的にこういう意味になる」という批判を本人に伝えるべきだと思う。

 なぜこのような事を書くかというと、日本の「学者」たちの支持声明に心底腹が立っているからである。私は本当に朴裕河を小馬鹿にしているのは、この「学者」たちであると思う。私には朴裕河を政治利用しているようにしか見えない。上野千鶴子にしろ、大沼保昭にしろ、自分が責任をとる必要のない安全圏で事態を煽っている。歴史修正主義的な内容を含む本書の問題(秦郁彦は吉見義明の裁判において「外出の自由」があった根拠として『帝国の慰安婦』の記述をあげている)を隠蔽し、「和解」のために自分たちが言いたいことを「韓国人女性」に言わせて、反論が起こると言論弾圧だと騒ぎ出す。朴裕河もまた、自分には日本の「リベラル」知識人がついているという自信があるから、絶対に反省もせず、強硬姿勢を貫く。朴裕河の強硬姿勢の背景には、明らかに日本の知識人が自分にはついているという自信があると思う。

 だが、どう考えてもこの「学者」たちが『帝国の慰安婦』の内容のもつ問題点を理解していないとは思えない。もちろんその可能性もあるが、「河野談話」の事実上の修正に帰着するであろう本書の叙述の問題点を理解したうえで、あくまで政治的観点から賛同しているのではないか。大沼保昭が朴裕河の国際法理解に賛同しているとは到底思えず、浅野豊美にしてもそうだ。ほかの「学者」たちも同様であろう。和田春樹はより酷薄である。日本への紹介者の一人であったにもかかわらず、いま朴裕河と関わるのは「和解」の関係上まずいと判断したのであろう、声明に名を載せていない。もちろん、紹介を反省してのことならばよい。ならば公に批判すべきであろう。わかりづらい『帝国の慰安婦』「批判」をするのも、酷薄な政治的リアリズムのためと考えるほかない。かつて鈴木裕子が日本の朴裕河礼賛の風潮を「朴裕河現象」と呼んだことがあるが、私がこの呼称に抵抗があるのは、日本軍「慰安婦」問題をめぐる国民基金路線での「和解」運動において、朴裕河は明らかに従であり、和田春樹や大沼保昭が主だからだ。朴裕河問題として矮小化すべきではない。これは和田春樹問題であり、大沼保昭問題であり、上野千鶴子問題なのである。

 おそらく現実にはこのような「解決」の方向には向かわないと思う。朴裕河は徹底抗戦の構えである。日本リベラルの飛び道具の役割を演じ続けることになろう。そして、当分『帝国の慰安婦』をめぐる不毛な「論争」が続くことになる。だが、これは「朴裕河問題」ではない、ということだけは強調しておきたい。とりわけ日本にいる私たちはこの点を忘れてはならないと思う。

2.記者会見での「反論」について

 前置きが長くなった。記者会見での「反論」の検討にうつろう。この記者会見での論法には、批判に反論する際朴がしばしば用いた論点のすりかえ術が用いられている(一年近く朴裕河の著作と反論に付き合い続けたので、流石にその「クセ」がわかってきた)。『帝国の慰安婦』を正確に読解するうえでも(そして、あらゆる詭弁にだまされないためにも)、こうしたすりかえへの批判が重要であると考えるため、以下に要点のみを指摘したい。

 『帝国の慰安婦』の叙述には、ある規則性が存在する。まず、韓国で流布している「慰安婦」に関するイメージ(なるもの)を提示する(A)。次に、この枠に収まりきらない事実を紹介し(B)、Bの事実こそが「本質」であると主張する(C)。これを図式化すると以下のようになる。

 通説提示(A)
通説におさまらない個別的事例の提示(B)
個別的事例の一般化(C)

 そもそも朴裕河の示す通説(A)や事実(B)自体が、著者に都合よく加工されているという問題があるが、ひとまずそれは措こう。一見してわかるように、ここで重要な問題はBからCへの一般化に妥当性があるかどうかである。例えば、ある兵士に恋をしたと語る元「慰安婦」の証言があるとする。日本兵がつねに慰安婦たちをモノあつかいし乱暴にあつかった、というイメージを持っている者がいるとすれば、この証言は確かにそうしたイメージとは異なるものであろう。だが、だからといって日本軍「慰安婦」の多くが兵士に恋をした、という話にはならないことは明白である。Cと主張するためには、さらに検討すべき問題が山ほどあるからだ。

 だが朴裕河は『帝国の慰安婦』において、何らの論証手続を経ずにBを一般化する誤謬をしばしば犯している。「愛国」的な証言(B)を提示したのち、これこそが日本軍「慰安婦」の「本質」であるという(C)。なぜ「本質」といえるのか。それは朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」だからだ、と。本来、朝鮮人=日本人「慰安婦」=「帝国の慰安婦」という主張は、朴が本書で証明すべき仮説だったはずだ。だが本書ではしばしばその仮説を根拠に、Bの一般化が「説明」される。ここに本書の極めて深刻な方法上の問題がある。

 『帝国の慰安婦』への批判の核心は、Cへの批判であった。日本軍「慰安婦」制度の本質は朴裕河のいうように規定できないのではないか、という疑問である。これに対する朴の批判は、普通ならばCが本質的であるという証明に費やされねばならない。だが朴はそうはしない。朴は驚くべきことに、批判者たちはBという事実を認めようとしない、なぜならそれは批判者たちにとって都合が悪いからだ、と「反論」するのである。確かに朴のAやBの理解そのものが間違っている場合もあるため、本書の事実理解そのものへの批判があることは事実だ。だが、本書への最も本質的な批判は、なぜそのような一般化が可能なのか、それは妥当なのか、というところにある。朴はこれに答えず、自分はBという異なる「事実」を指摘し、問題の多様な側面を示したかっただけだ、と「反論」する。Cへの批判を、あたかもBという事実の提示そのものへのであるかのようにすりかえ、批判者たちが利害関係からAの通説に固執する極めて偏狭な頑固者のように印象操作をするのである。

 朴裕河のこうした論点のすりかえ術をふまえて、今回の記者会見を読み解いてみよう。

 第一に「業者」をめぐる弁明をみよう。最も端的にこのすりかえがあらわれている箇所である。

「この本で論争の対象となったもうひとつの概念〈業者〉の問題を語ったのも、まずは国家政策を口実に協力し、利得を得る経済主体の問題としてみたかったためですが、実際はそうした〈協力と抵抗〉の問題を語りたかったためでもあります。[…]しかし、こうしたあらゆる指摘は研究者と支援団体にとって不都合なものです。彼らは他の状況をみることは、ただ〈日本を免罪〉することだと考えます。そして〈日本〉という政治共同体だけを罪と責任の対象とみなします。私はこの本で日本に責任があることを語りました。[…]」

 これだけをみると、「研究者と支援団体」が朝鮮人業者の問題を語ること自体を、日本を免罪するものだと批判しているように読める。だが朴裕河は業者「にも」責任を問うべきだと主張したわけではない。以下のように、日本国家には法的責任を問えず、それは業者「に」問うべきだと主張した。そこが批判されているのだ。

「慰安婦たちを連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的」責任は、直接には業者たちに問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うのは難しいことになるのである。」(日本語版46頁)

 問題となっているのは、業者の責任を指摘したこと(B)ではなく、業者の責任を語ることを通じて、日本軍の法的責任一般を否定したこと(C)なのであるが、朴裕河は論点をすりかえている。しかも、厄介なことに、本書には「慰安婦となる民間人募集を発想した国家や帝国としての日本にその〈罪〉はあっても、法律を犯したその〈犯罪性〉は、そのような構造を固め、その維持に加担し、協力した民間人にも問われるべきであろう。」(34頁)などという叙述もあり、後者は一見すると軍「にも」「法律を犯したその〈犯罪性〉」を問えると主張しているかのように読めてしまう。矛盾する叙述が平気で並存しているのである(明らかに著者の主張は前者にある)。私は本書を学問的論争以前の欠陥品であると考えるゆえんである。

 朴裕河はこうして本来問われていることに答えず、批判者たちは朝鮮人の加担を認めるのは都合が悪いから自分を否定しているのだ、という誤った説明を流布する。こうした「説明」は、韓国は反日ナショナリズムに囚われて歴史認識を歪めている、という日本の(リベラル含む)韓国認識=予断と極めて相性がいい。むしろ日本の韓国認識を念頭において、わざとこのような「説明」を放っているのかもしれない。そして一部の、主観的には「大衆」のナショナリズムを「憂慮」している韓国知識人もこれに飛びつく。結果、朴裕河の誤った「説明」は、あたかも「研究者や支援団体」の実態であるかのような認識が拡大する。『帝国の慰安婦』が行ったことと全く同じすりかえ術が繰り返されるのである。極めて不誠実なやり口であると言わねばならない。

 「反論」の第二の問題は、「売春」「同志的関係」に関する論点のすりかえである。まずは「売春」に関する説明をみよう。

「原告側は特に〈売春〉と〈同志的関係〉という単語を問題にしました。/しかし彼らの考えは売春婦ならば被害者ではないという考えに基づいたものです。こうした職種に幼い少女たちが動員され易いのは今日でも同様ですが、年齢/売春の如何に拘らず、この苦痛は奴隷の苦痛と異なるところがありません。いわば慰安婦を単純な売春婦だとして責任を否定する者たちや、売春婦ではないといって「少女」イメージに執着する者たちは、売春に対する激しい嫌悪と差別感情を持っているのです。「虚偽」だと否定する心理もまた同様であるといえます。重要なことは、女性たちが国家の利益のため故郷から遠く離れた場所に移動させられたなかで身体を毀損されたという事実のみである。」

 驚くべき「反論」である。日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度であった、あるいは「強制売春」であった、という批判に対し、「売春を差別するな」と朴裕河は反論しているのである。流石にこれは誰がみてもわかる論点のすりかえだと思う。なぜ「売春」が本質的側面であるのかを説明すべきところで、批判者たちが「売春」であることを否定するのは「売春」を差別しているからだ、とレッテル貼りをして切り抜けようとしているのである。ちなみに以前にも触れたことがあるが、本書は明らかに日本軍「慰安婦」制度を、女性たちが「自発的」に行った「売春」制度という枠組みで理解するよう促している(自発的に行くような意識を作り出した社会の問題を指摘しているが、自発的に行ったこと自体は否定していない)。

 朴裕河の手法は「業者」の説明の際と全く同じである。本来ならなぜ「売春」が本質であるといえるのかと問われているのに、批判者たちは「売春」を差別しているから自分を批判するのだ、と問題をすりかえる。それを聞いた朴裕河支持者たちが「挺対協はナショナリズムから少女イメージにこだわって売春を差別するのか」と一緒になって責め立てる。あまりに理不尽であるが、現実に起こっているのはこういうことである。

 そして、朴裕河は「反論」の際に、意味不明なことを述べて聴衆を煙に巻くことも忘れない。

「このような私の本が慰安婦のお婆さんたちを批判したり貶める理由がありません。検察が〈名誉毀損〉と指摘した部分は、大部分〈売春婦扱い〉をしたと彼らが断定した叙述です。しかし〈売春〉という単語を用いたといっても、それがただちに〈売春婦扱い〉をしたことにはなりません。ひいては売春婦だという者たちを批判するために用いた部分すら、原告と仮処分裁判部と検察は確認もせずにそれを私が書いた言葉であると置換させました。もちろん言論は大部分そのまま報道しました。しかしやはり一次的な責任は原告と仮処分裁判部と検察にあるといわざるをえません。」

 「しかし〈売春〉という単語を用いたといっても、それがただちに〈売春婦扱い〉をしたことにはなりません」とはどういう意味なのか。何の意味もないのだろう。ただ矛盾したことを、本当に「なんとなく」言ってみただけだと思う。だが一応大学教授であるから、普通はこれがどういう意味なのかを考えてみたり、朴裕河の意図を推し量ったりしてしまう。本当はそのような作業は全くの無駄なのだが、少くとも朴裕河はこれで時間は稼げる。このような時間稼ぎを許さないためにも、わからないことは「意味がわかりません」と表明することが必要である。

 最後に「同志的関係」についての朴裕河の説明をみよう。

「また、〈同志的関係〉という単語を用いた第一の理由は、朝鮮は他の国とは違い、日本人の植民地支配をうけ〈日本帝国〉の一員として動員されたという意味です。また、そうした枠組みのなかでありえた日本軍と朝鮮人女性のもうひとつの異なる関係を書いたのは、まずは総体的な姿を示すためのことであり、同時にこうした姿すらみてこそ表面的な平和のなかに存在した差別意識、帝国の支配者の差別意識もみることができるためです。
 
 第二の理由は、朝鮮人慰安婦を徴兵された朝鮮人たちと同じ枠組みでみなすことになれば、すなわち〈帝国〉に性と身体を動員された個人としてみなすようになれば、日本に対する謝罪と補償の要求がより明確になるからです。前に述べたとおり、彼ら[徴兵された朝鮮人]ですら補償された法の保護がなかったことを、日本に向かって言うためでした。つまり、彼らのいう単純な〈売春婦〉ではないということを言おうとしたのです。」

 これらの反論を読む際に気をつけねばならないことが二つある。第一に、朴裕河は「動員」「補償」「謝罪」という言葉を、一般的な用法とは相当に異なる意味で使っているということである(これについても以前にも説明した)。「動員された」と言っているが、これは国家権力による直接的な徴集を意味しているわけではない。それではどういう意味なのだろうか。それは誰にもわからない。私も何度も読んでいるが、朴裕河のいう「動員」の意味は全く理解できない。おそらく本人もよくわかっていないのではないだろうか。これらの大事な用語を朴裕河は「なんとなく」使っていると考えるほかない。

 第二に、本書出版後に朴裕河が公表した「要約」や説明は、多くの場合、本書の内容とは異なっていることである。引用した反論のはじめの段落でも、「同志的関係」とは「〈日本帝国〉の一員として動員されたという意味」と説明しているが、本書の理解としてこうした説明は誤りである。本書は日本が外的な力で「同志的関係」に組み込んだことのみを問題にしているのではなく、女性たちと日本人兵士のあいだに「同志的関係」があったとし、女性の内面においても「同志意識」があったことを、日本軍「慰安婦」制度を理解するうえでの核心的要素であると主張している。とりわけ女性たちにとっては酷い記述だと思うのは、本書はこうした「記憶」を女性たち自らが解放後の韓国で生きるために抑圧し隠蔽した、と一般化して記していることだ。このような本書の主張が一般的に受け入れられるならば、女性たちのあらゆる異議申し立ては「ウソ」とみなされ、無化されてしまうだろう。いずれにしても、本書が上記のような主張をしていることは明白なのであるから、本書の内容とは異なる「意図」を示して論点をすりかえるべきではない。

 次の段落も同様である。本書は朝鮮人慰安婦と朝鮮人日本兵を同じ枠組みでみることを主張したわけではない。「同志的関係」はあくまで日本人日本兵との関係を指す概念である。そもそも「彼ら[徴兵された朝鮮人]ですら補償された法の保護」とは何を指すのか。恩給法や遺族等援護法から朝鮮人元軍人・軍属が排除されたことは周知の事実であるが、近年支払われた一時金・弔慰金を指しているのだろうか。最近朴裕河は日本軍「慰安婦」は軍属であった、と主張し始めているが(日韓会談理解に関する私の批判に反論するため)、つまり軍属として一時金・弔慰金を支払え、と主張しているのであろうか。軍属であるという主張と、朴の業者責任論は矛盾しないのだろうか。朴裕河の意図を詮索する暇はないので、この問題はひとまず措くが、いずれにしてもここで朴が新しい論点を持出して『帝国の慰安婦』とは関係のない話をしていることだけは確かだ。

 もちろん反論するのは結構だが、問題となっているのは『帝国の慰安婦』における著者の主張なのであるから、それに即して反論を行うべきであろう。批判の内容を歪曲してレッテル貼りし陳腐化しようとしたり、本書とは関係のない論点を絶え間なく繰り出して煙に巻こうとする態度は、私の批判を封じ込めたり、周囲の知人たちに弁明するうえでは「有効」だったかもしれないが、問題はもはや個別的な論争の次元を超えているのである。何より、自身の主張により名誉を傷つけられたと主張する人びとが現に存在するという事実に、真摯に向き合うべきではないだろうか。

 朴裕河や韓国・日本の「学者」声明の支持者たちは、おそらく今後、本書への批判は些細な誤りの揚げ足取りをしている、全体をみていない、といった類の反論をくり返すことになるだろう。だが少くとも私としては、あまたある本書の些細な事実関係の誤りはひとまずおき、本書の核心的テーゼとその方法に絞って批判を展開したつもりだ。金富子や能川元一による批判も同様である。本当ならば、「徴兵自体は国民として国家総動員法に基づいて行なわれたものなので、「日本国民」でなくなった韓国人はいまや日本による補償の対象ではないことになる。」(184頁)といった呆れた叙述(徴兵の根拠法は兵役法)は山ほどあり、揚げ足をとろうと思えばいくらでもできる。だが些末なものには目をつむり、朴裕河が最も重要であるとみなす主張に多くの批判者たちはあえて付き合っているのである。繰り返しになるが、現実に名誉を傷つけられたと主張する人びとのいる問題なのだから、もう少し真面目に考えて欲しい。まずは自ら著作を改めて読みなおすところからスタートすべきだ。

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2015-12-04 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河氏の在宅起訴問題について――『ハンギョレ』インタビューの補足

 先月18日、ソウル東部地方検察庁刑事第1部は、名誉毀損の罪で朴裕河を在宅起訴したと発表した。この事件を朝日・読売・毎日・産経など在京の全国紙はこぞって社説でとりあげ、韓国の検察による言論弾圧だとして批判した(朴裕河は全国紙を「和解」させた)。11月26日には日米の学者ら54人(*1)が「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」を発表し「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙」に出たことに抗議した。さらに、12月2日、韓国の学者ら191人が起訴に反対する声明を出した。朴裕河が「言論弾圧の被害者」であるとの主張で、日韓のマスコミが塗りつぶされている。

 だが私は問題をそのように捉えるべきではないと考える。具体的には韓国の日刊紙『ハンギョレ』のインタビューで説明したので参照していただきたいが、事件に直接関係する主張を要約すれば、(1)日本の「学者」声明は「言論弾圧」のフレームで理解しているが、これは問題の単純化である、(2)声明は「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず」と断定しているが、到底そのようには判断できないことを説明した。後者についてはこのブログでも繰り返し書いてきたので再論は避けるが、前者については紙幅の都合上説明しきれなかったことがあるため、急ぎ指摘すべきことを以下に記しておきたい。

 「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまでも尊重されねばなりません。それなしでは、言論の自由、出版の自由の人間的な基盤がゆらぐことになりかねません」――これは柳美里「石に泳ぐ魚」の出版禁止事件に際しての大江健三郎のコメントである(『朝日新聞』2002年9月25日付・朝刊)。大江もまた呼びかけ人となっている今般の日本の「学者」たちの声明に決定的に欠落しているのは、この認識、すなわち、今回の在宅起訴が「発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立て」から始まっているという認識である。

 声明は、今回の問題を韓国検察による言論弾圧事件とみている。だがそれはあまりに事態を単純化している。繰り返しになるが、そもそもこの事件は「ナヌムの家」に暮らす元日本軍「慰安婦」女性らの告訴から始まったものだ。国家保安法違反事件のように国家権力が国家的/社会的法益保護の観点から特定の歴史観や主張を取り締まろうとしたものではなく、あくまで被害者女性たちの名誉、すなわち個人的法益が侵害されたとの訴えを出発点としている。各紙の社説や学者らの声明はこの点を全く看過しているばかりか、あたかも国家権力が率先して朴裕河の「歴史観」を取り締まろうとしたかのように書き、争点を誤導している。『帝国の慰安婦』が被害者女性たちの名誉を毀損したかどうか、これが問題となっているのである。

 確かに現在韓国の市民的自由は危機的な状況にあるといってよい。統合進歩党解散問題に代表されるように集会・結社の自由の根幹が揺らいでいる。民事・刑事を問わず名誉毀損法制が権力者による言論弾圧の道具として用いられているのも事実である(産経新聞の事件は確かに「言論弾圧」の側面がある)。そうした意味で、今回の事件が「言論弾圧」のフレームで語られてしまう一因を作り出したのは、政権の手先となり検察への不信感を生み続けている韓国検察にあることは間違いない。実際、今般の在宅起訴という判断に何らかの政治的・外交的意図(巷間で語られているような単純なものではなく)があっても不思議ではない。

 だが以上の状況は、今回の在宅起訴をただちに検察による「特定の歴史観」への弾圧だとみなす根拠にはならない。繰り返しになるが、今回の事件の出発点はあくまで女性たちの告訴から出発していることを忘れてはならない。「ナヌムの家」の女性たちは適法的な手続きを経て告訴したにもかかわらず、論点を(おそらくはあえて)誤導する日本のメディアや学者と、正義を果たさない検察のために「言論弾圧」への加担者の汚名を着せられているのである。女性たちは二重の被害にあっているといえよう。

 そもそも女性たちはなぜ刑事告訴したのだろうか。もちろん『帝国の慰安婦』により名誉を傷つけられたと考えたからであるが、既報の通り、今年2月17日、ソウル東部地方裁判所民事21部(裁判長コ・チュンジョン)は名誉毀損に関する民事上の責任を認め「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」との判決を下している。この段階で刑事告訴を取り下げる可能性はなかったのだろうか。

 朴裕河の説明によれば、刑事告訴取り下げの可能性はゼロではなかったようである。検察の報道資料によれば、民事の判決が出た後の4月から10月にかけて「刑事調停」が行われた。この制度は日本にはない韓国独特の制度で、民事上の争いの性質を持つ刑事事件について、告訴人と被告訴人が和解に至るよう各分野の専門家らが検察庁に設置されている「刑事調停委員会」で調停を行う制度である。調停が成立すれば不起訴処分または軽い処罰を受けるようになる。

 だが調停による「和解」は成立しなかった。「ナヌムの家」側の資料を私は知らないので、ひとまず朴裕河の説明によれば、「和解」のために女性たちが求めたのは下記の三つであったという(「渦中日記 10/22-2」)。

1.謝罪
2.削除要求部分を○○○と表示した韓国語削除版を他の形態で出すこと(○○○表示が削除された内容を「間接的に」表現している、というのが彼らの主張だった)
3.第三国で出す本も韓国で削除された部分を削除すること

 だが、1と2はともかく3は受け入れがたいということで朴は拒否し、結果として調停は不成立となった。「日本語版は翻訳でもなく、独自に出した本であるから権利もないのみならず、こうした要求を私が受容し日本側出版社に要求すれば笑いものになるだけだと考えたため」拒否したとのことである。「第三国で出す本」とは、いうまでもなく日本語版を指す。女性たちが告訴したのは2014年6月、日本語版の出版は同年11月である。朝日新聞出版が名誉毀損で訴えられている本を、それと知りながら日本で出版してしまったがために問題は複雑化したのである。このような意味でも、今回の事件における朝日新聞出版の責任は大きいと考える。

 また、当事者たちが納得しなかった背景には、34ヶ所伏せ字版の問題も関わっていると思われる(2の要求)。私は伏せ字版が出版された直後に韓国から同書を取り寄せたが、本の帯をみて少なからぬ衝撃を受けた。削除指定箇所を「○○○」と日帝時代を連想させる伏せ字にしており、帯には「21世紀の禁書!」「私は、心から○○○○○○○○○○○○を望む!」(この表現は本文にはない。帯のみの宣伝文句である)と書かれてあったからだ。朴裕河を言論弾圧(禁書!)の被害者とみなし、あえて帯に挑発的な惹句を記している。韓国の書店の様子を知人に聞いたところ、伏せ字版は平積みであったという。これでは民事で勝訴したといえども、被害者たちの気持ちが晴れることはないのではないか。それどころか、言論弾圧の加害者扱いをされている。民事で終わっては名誉毀損状態が終わらないと考えたとしても仕方がない状況と考える。

 国家権力による「歴史観」の取締事件として単純化できないことは、以上からも明らかであろう。刑事調停の和解が成立せず、かつ被害者たちが刑事告訴を取り下げなかった背景として、最低限以上のような民事の判決後の状況は共有されるべきであると考える。もちろん、『帝国の慰安婦』による名誉毀損が刑事罰をもって制裁すべき程度のものかどうかという論点は残っており、この点についてはその他の争点も含めて韓国の司法が判断するであろう。本日の記者会見での朴裕河の自著についての「説明」や各紙の社説の問題点など、まだまだ指摘すべきことはあるが、これらについては日を改めて論じることにする。

 最後に一点だけ指摘しておきたい。『帝国の慰安婦』が出版されて以降、内心は問題があると考えていたであろう研究者たちも含めて、この本への適切な論評は極めて少なかった。日本の「知識人」たちが褒め続けたのは、彼らの政治的欲望ゆえであるから、ある意味理解できる。問題は韓国である。『和解のために』以来、徐京植や金富子らがまさに孤軍奮闘して朴裕河の問題点を指摘し続けてきたにもかかわらず、韓国の研究者たちの反応は極めて冷淡だった。だからこそ朴裕河は、私を批判するのは在日朝鮮人だけだ、という愚劣なレッテル貼りをくり返すことができたのだ。もちろん朴裕河を批判した韓国の研究者がいないわけではないが本当に少数だった。こうした事態に至った責任の一端は『帝国の慰安婦』のようなエセ学問を許す韓国の学術界にあるといわねばならない。

 もちろん、今般の事態の最大の責任は、日本軍慰安婦制度を戦争犯罪と認めない日本政府と、こうした政府の姿勢を前提に「解決」しようとする虫のいい「リベラル」たちを褒める役割を期待して朴裕河を持ち上げ続けた日本の学術・言論界にある。これは何度でもくり返し主張すべきであろう。だが、韓国で出版された際に『帝国の慰安婦』が学問的論争以前の著作であることを適確に識者たちが指摘し、公の言論の場から退けていれば、私も含めた研究者たちがまっとうな社会的責任を果たしていれば、元「慰安婦」女性たちが自ら立ち上がり訴訟を起こす必要などなかったのではないか。この点を度外視して、いざ起訴に至ると突如として踊り出て「言論の場で議論すべき」などと言い出すのは、私にはあまりに破廉恥かつ傲慢な態度であるように思える。女性たちの告訴を云々する前に、韓国の学術界全体の反省をすべきではないだろうか(もちろん日本もである)。

*1 賛同人の氏名は以下の通りである。

浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2015-12-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

軽蔑すべき「ある在日の歴史家」とは誰か

 金明秀氏のツイッターに、以下のような投稿があった。

「ある在日の歴史家が、「下からのレイシズムなどどうでもよい。それより、国家による上からのレイシズムこそが重要だ」という主張を繰り返している。ぼくは「両方が重大に決まってるだろう。頭でっかちにもほどがある」と軽蔑していたのだけど、昨日、尊敬する大先輩から同じセリフを聞いたのだった。」

 この「ある在日の歴史家」とは誰であろうか。「下からのレイシズムなどどうでもよい。それより、国家による上からのレイシズムこそが重要だ」と主張している、「頭でっかち」で「軽蔑」すべき者とのことだ。私はこの間、「上からの排外主義」への危機意識を喚起すべく、いくつか文章を書いた。一応「在日の歴史家」のはしくれである(「下からのレイシズムなどどうでもよい。」などとは書いていないが)。これらの事実から推測するに、軽蔑すべき「ある在日の歴史家」とは私を指すものと考えられる。特に、私がかつて金明秀氏と「論争」(まともな議論にならなかったので「」を付す。本当に不毛な経験であった)をしたことを知る者ならば、すぐに私を思い浮かべるであろう。

 仮に私の主張を指すならば、朴裕河氏のように名指しで批判をすればよいであろう。批判に応じる必要があると私が判断すれば応答するし、くだらないと考えれば無視する。いずれにしても、あてこすりのような真似をする必要はあるまい。それとも、かつての「論争」の意趣返しのため、あえて名を伏してあてこすりをしたのであろうか。さすがにそこまで臆病ではないと信じたい。

 ただし、ひとつだけ確認しておかねばならない。上にも書いたように、私は「下からのレイシズムなどどうでもよい」などという馬鹿げた主張はしていない、ということだ。あるいは、そのような「軽蔑すべき」「頭でっかち」な主張をしている「在日の歴史家」が他にいるということであろうか。少くとも私の知る限りでは、そうした主張を公の場で書いている者はいないが、仮に私ではないとするならば、迷惑なのでその点をはっきりさせるべきであろう。ツイッターといえども公共の場である。言論には責任を持つべきである。

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2015-11-16 00:00

秦郁彦の「女子挺身勤労令不適用」説と朴裕河の「挺身隊=自発的志願」説

1.軟体動物

 「君の関節技がすべてきまっているのに当人は全く意に介さず平気にしている、実は軟体動物だったのではないか」――ある読者の朴裕河評である。確かにそうかもしれない。「関節」とは、事実や文献理解の正確性や論旨の整合性、あるいは推論の妥当性といった、広い意味での「論証」の比喩であろう。私は『帝国の慰安婦』における「論証」の破綻を指摘し続けているが、「反論」にも明らかなように、赤面してしかるべきこれらの自著の欠陥を朴裕河が反省した形跡はない。朴裕河にとって「論証」などどうでもいいからであろうか。そうした意味では骨格なき軟体動物との喩えは適確といえる。

 確かに『帝国の慰安婦』を読んでいると、憤激を通り越して脱力することが多々ある。例えば、朴裕河の挺身隊に関する理解である。以前にも触れたが、『帝国の慰安婦』朝鮮語版には、次のような記述があった。

「慰安婦の募集は比較的早い時期になされたが、「挺身隊」の募集は戦争末期、すなわち一九四四年からだった。そして挺身隊とは朝鮮人たちを対象にしたものではなく日本で施行された制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」、「国民勤労報国協力令」、「国民勤労動員令」などへと名前を変えてゆき一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにしたが、「一二歳以上」が対象となったのは一九四四年八月だった(日本ウィキペディア「女子挺身隊」の項目)。/それさえも、「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」。」(p.43)

 この箇所は日本語版では以下のように修正されている。

「慰安婦の募集は早い時期からあったが、「挺身隊」(=勤労挺身隊)の募集は戦争末期、一九四四年からだった。そして挺身隊は最初から朝鮮人を相手に行われた制度ではなく、日本で行われた制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」「国民勤労報国協力令」「国民勤労動員令」など名前を変えながら一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにした。そして一二歳にまで募集対象年齢が下がったのは、一九四四年八月だった(チョン・ヘギョン(鄭恵瓊)二〇一二)。/それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」(イ・ヨンフン(李栄薫)二〇〇八、一二〇頁)。」(52頁)

 日本語版はwikipediaから出典を急いで差し替えたためか、鄭恵瓊論文は当該箇所の出典としては必ずしも妥当ではないうえ、書誌情報まで誤っている。かつて指摘したとおり、「朴は日本人を対象とした勤労動員の拡大を時系列的に叙述しているが、鄭報告はそれとは異なり朝鮮人女性を対象とした勤労動員を主題にしたものだ。wikipediaに従って書いたものを、体裁を整えるために無理に他の出典表示に置き換えたため、不適切な引用となってしまったのだろう。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」) 

 「論証」などどうでもよい者にそのことを指摘したところで、確かに無意味なのかもしれない。ただ一般的には軟体動物だとは思われていないのであるから、問題の所在を正しく知らせる社会的責務があることは間違いあるまい。上の挺身隊関連の記述の問題は、実はこれに留まらない。朴裕河『帝国の慰安婦』の挺身隊理解の誤りについては金富子の批判があるが(*1)、以下ではさらにふみこんでこの問題について考えてみたい。

2.挺身隊認識の問題①:秦郁彦「女子挺身勤労令不適用」説の受容と無理解

 前回触れたように、朴裕河の日本軍「慰安婦」制度の理解は秦郁彦『慰安婦と戦場の性』と似通っているのであるが、これは挺身隊についても同様である。ただ、朴裕河は秦郁彦の所説を正確に理解していないため、『帝国の慰安婦』には秦郁彦説を受容しているにもかかわらず、秦であれば書かないような記述も散見される。その代表例が、挺身隊の動員に関する矛盾した記述である。

 前掲の引用末尾で、朴は「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」と記している。「それ」が何を指すかはこれだけでは判然としないが、後述するように、「それ」は女子挺身勤労令を指すものと思われる。つまり、朴は女子挺身勤労令は「朝鮮では公式には発動されなかった」と書いているのである。しかしながら、他方で本書には、「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである」(225)という記述もある。一方では勤労令が発動されなかったといい、他方では法律を作って動員した、という。二つの記述は完全に矛盾している。

 なぜこのような矛盾が生じるのだろうか。まずは出典を確認しよう。「朝鮮では公式には発動されなかった」という記述の出典は李栄薫論文である。李は「日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、十二歳から四十歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象にしており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」(李栄薫「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話性」、小森陽一他編『東アジア歴史認識のメタヒストリー 「韓日、連帯21」の試み』青弓社、2008年、97頁)と書いている。李論文は根拠を示していないが、おそらく秦郁彦を参照したものと思われる。秦は「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」(『慰安婦と戦場の性』367頁)と記しているからだ。ちなみに「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら」という文には出典が示されていない。

 さらに遡るならば、秦郁彦の主張の根拠は、朝鮮総督府鉱工局労務課『国民徴用の解説』(1944)である。秦は同書の「今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません。今まで朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の[中略]立派な施設の整った飛行機工場等に出してをります。今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算」との記述を根拠に、女子挺身勤労令が適用されなかった、と主張した。すなわち、朴裕河の「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」という叙述の大元は朝鮮総督府『国民徴用の解説』ということになる。

 以上を図式化すると下記のようになる。

図 女子挺身勤労令解釈の典拠

(1)朝鮮総督府『国民徴用の解説』:「今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません」
(2)秦郁彦『慰安婦と戦場の性』:「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」
(3)李栄薫「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話性」:「日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、十二歳から四十歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象にしており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」
(4)朴裕河『帝国の慰安婦』:「それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」」

 図からも明らかなように、まず検討すべきは秦郁彦の勤労令についての解釈である。総督府『国民徴用の解説』(以下『解説』)の記述を確認しよう。

「問 今後、朝鮮で女子挺身勤労令は内地と同じやうにする方針ですか。

答 女子挺身勤労令は朝鮮にも施行されて居りますが、しかし朝鮮では前に申しました通り一般女子の登録を行ってゐませんから、その対象となるものは、国民登録の要申告書である女子の十三種の技能者たる技術者だけになります。
 従ってこれに該当する者は非常に僅少です。今後に於ても女子を動員する場合、女子挺身勤労令発動によるといふ考は今の所持ってをりません。今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の最も勤労管理の立派な、施設の整った飛行機工場等に出してをります。その工場は工場か学校の延長かどちらか解らない様に立派なものです。今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です。
 然しながら戦局の推移に依っては、女子動員をもっともっと強化しなければならぬ時が来ると思ひます。国民はその覚悟だけは持って居らねばならなぬと思ひます。」(『国民徴用の解説』1944年、66頁)

 秦郁彦=李栄薫は、この記述を根拠に勤労令が「適用」「発動」されなかったと主張した。これについては若干の補足説明が必要である。はじめ日本政府は女性労働力の動員のため「勤労挺身隊」の自主的な結成を促したが低調であった。このため1944年8月に勅令を発して強制力のある「女子挺身勤労令」を制定する。この勤労令は朝鮮にも施行された。秦が「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用しなかった」というのは、『解説』にもあるように、施行したが適用しなかった、ということを意味する。だが、この解釈にはなお検討すべきいくつかの問題がある。

 第一の問題は、『解説』はあくまで1944年10月現在の方針を述べているにすぎず(「今の所持ってをりません」)、勤労令適用の実態を示した史料ではないことである。『解説』末尾に「戦局の推移に依っては、女子動員をもっともっと強化しなければならぬ時が来ると思ひます」とある通り、『解説』のみをもって植民地期に勤労令が一切適用されなかった論拠とするには不十分である。また『解説』にもあるように、1944年10月現在の時点でも少数ながら勤労令適用対象となる朝鮮人女性がいることを総督府自らが指摘している。「今の所持ってをりません」を「朝鮮半島では適用しなかった」論拠とするには一層の検証が必要であろう(*2)。

 第二の問題は、秦郁彦が「官斡旋」による連行を強制連行から排除していることである。『解説』は朝鮮で女子挺身隊を動員しないとしているわけではない。「今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもの」だったが、「今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です」と述べており「官斡旋」方式による徴集を継続する、と説明しているのである。しかし、秦は「いわゆる「強制連行」は、この徴用令[1944年9月の国民徴用令の全面発動:引用者注]に基づく内地等への労働力移入を指すが、最終的には「徴用」へ統合吸収した事情もあり、論者によっては自由募集や官斡旋段階からふくめてそう呼ぶ例が見られる。」(『慰安婦と戦場の性』367頁)とし、「強制連行」を徴用に限定する。秦がわざわざ挺身隊の説明で勤労令の不適用を強調するのは、おそらく挺身隊の動員は強制連行ではないと主張したい含意があると思われる。

 『帝国の慰安婦』の「朝鮮では公式には[ママ]発動されなかった」という記述は、こうした二つの問題を抱えた秦郁彦の解釈を、李栄薫経由で継承したものである。だが朴裕河は秦説の含意を理解していないがために(『慰安婦と戦場の性』が論拠であることを知らない可能性もある)、平然と「法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかった」とか、「挺身隊」の「『公的』な徴用」(55-56)と書いてしまう。しかも朴裕河は『ソウル新聞』記事の挺身隊理解の「誤り」を指摘する際、「日本で施行された制度がそのまま韓国でも施行されたかのように理解し、さらに挺身隊に行くとそのまま慰安婦になるものだったと考えていたのである。」(53)と批判していることから、勤労令が朝鮮では施行されていない、と考えている可能性すらある。

 本書の挺身隊に関する著しく矛盾した記述の氾濫は、朴裕河の挺身隊動員への無理解に加え、秦郁彦説への無理解に起因するものといえる。

3.挺身隊認識の問題②:「挺身隊=自発的志願」説

 それでは、結局のところ朴裕河は挺身隊の動員についてどのように理解しているのだろうか。結論からいえば、朴は挺身隊を「自発的志願」というフレームで理解しているといえる。「合法的に動員」や「公的な徴用」という言葉は、不用意と無知ゆえに記したに過ぎず、挺身隊動員の実態理解としては「自発的志願」が本質であると考えているとみてよい。これについて、以下では千田夏光『従軍慰安婦』に紹介された申河澈の証言についての朴の「解釈」を検討しながら考えてみよう。

 申河澈は京畿道加平郡で代々居酒屋を経営してきた人物で、千田夏光の取材に応じて挺身隊徴集の目撃談を語っている(千田夏光『従軍慰安婦』108頁以下)。証言の要旨は以下の通りだ。

「連れて行く三日前に”お前は挺身隊だ“という通知書が来るのです。駐在所の警官が持ってきました。」(十八歳以下の未婚の女性が対象で、三日後には駐在所前に娘達が集められる。:引用者注)「そこから警官が引率してトラックや汽車にのせ、逃亡しないよう監視しながらソウルへ連れて行きました。見送る家族、母親などは娘の足もとにすがり号泣し、それを警官が引き離そうとすると、今度はその警官の足にすがって、“返してくれ、助けてくれ”と泣きながら訴えるのですが、蹴とばされましてね。どこの国に娘が兵隊の慰みものになるのを喜んで見送る親がいるでしょうか。貧しい百姓でも人間ですからね」(千田『従軍慰安婦』110頁)

 朴はこの証言に対して、二通りの批判を加える。第一は、これは「慰安婦」の徴集の証言ではない、という批判である。証言からわかるように、申は「挺身隊」として徴集された女性たちが「慰安婦」にされたと考えている。だが朴はこれは「慰安婦」ではなく、「挺身隊」の「『公的』な徴用」の場面だったはずだ、と指摘する(55-56)。ここでも挺身隊を「公的」「徴用」と記して、秦郁彦説への無理解を露わにしているが、ひとまずそれは措こう。確かに朴のような解釈も成り立つだろう。

 問題は第二の批判である。朴はこうした徴集のやり方は、挺身隊の徴集としても例外的である、と批判する。

「村から強制的にトラックに乗せられていった女性たちの姿は、だまして連れていった業者たちによるものか、挺身隊をめぐる状況だった可能性が高い。ただし、挺身隊の場合だとしても、人狩りのような〈強制〉的な場面ではなかったはずだ。なぜなら、後述するように、当時における挺身隊とは〈国家のために〉「挺身」するものであって、たとえば兵士がそうであるように、構造的には強制でも、あたかも自発的であるかのような形を取っていたからである。」(56)

 すなわち、女子挺身隊とは自発的に志願するものだった、強制的な場面ではなかったはずだ、というのが朴の主張である。朴は以下のようにも書いている。

「内地-日本で挺身隊募集が始まると朝鮮ではこのような〈自発的な動員〉が始まった。[中略]それは朝鮮で徴兵が始まる前に志願兵制度が始まったことと軌を一にしている。そのような国家の呼び声に「志願」していく女性たちが多かったのはむしろ当然というべきだろう。その後実際に「ここに志願兵の姉がいる、生産戦場はどこですか、ハンナム(咸南)から挺身隊を志願」(同年九月一四日付)、「挺身隊でなくても、二人の女性嘆願を聞いてとりあえず事務委嘱」(同年九月一六日付)、「家庭も国があってこそ、血書で女子挺身隊嘆願した有馬嬢」(同二○日付、以上すべて同新聞、同、二六四〜二六六頁)など、志願は相次いだようだ。もちろんそれは非国民にならないための、〈自発の自己強制〉というべき事態だった。」(60)

 朴は挺身隊への「志願」の動機を、基本的には「挺身」という言葉通りの意味で捉えていることがわかる。「慰安婦」となった女性たちの動機について、朴が「愛国」というフレームで理解することと同じく、ここでも「非国民にならないための」「挺身」として、挺身隊への「志願」の動機を捉えているのである。

 だが、朴によればこうした『毎日新報』(総督府の御用新聞)が報じたような「自発性」(〈自発の自己強制〉?)という動機付けは、解放後の韓国では隠ぺいされたという。

「植民地は一貫した〈抵抗の地〉でなければならず、それは本人の記憶や意志を超えての、新しく出発した独立国家の夢でもあったのだろう。その過程における、さまざまな〈自発〉への沈黙は、〈嘘〉というより、むしろ「モラル」でさえあったはずだ。その出発からして「ポスト植民地国家」は、ほとんどの国民が経験した〈過去の否定〉から始まるほかなかったのである。」

 つまり、朴の主張はこうだ。挺身隊は自発的な志願だった、だが自発的に志願してしまうところに植民地の「構造」がある、にもかかわらず韓国ではこうした〈自発の自己強制〉はナショナリズムゆえに無視されてきた、と。池上彰が泣いて喜びそうな主張である。

 だが問題は「志願」の内容であろう。それを『毎日新報』の報じた通りの「非国民にならないための」「挺身」などと位置づけることができるのであろうか。挺身隊の募集に応じた女性たちの証言は、「志願」の内実について朴裕河の描くものとは異なる姿を示している。一例として、伊藤孝司編著『証言 従軍慰安婦・女子勤労挺身隊 強制連行された朝鮮人女性たち』(風媒社、1992年)の7人の元挺身隊の女性たちの証言から、なぜ募集に応じたのかを抜き出してみよう。

金福禮(1929年生、名古屋・三菱):国民学校卒業後に女学校へ行くつもりだったが、「隣組」の組長に日本で勤めながら勉強したらどうかと誘われ、三菱の「学校」へ行くつもりで挺身隊へ。
李東蓮(1930年生、名古屋・三菱):国民学校六年の時に三菱から「募集」があった。担任の日本人の先生に勧められた。三菱が校長に依頼したようだ。「日本では、工場で働きながら勉強させてあげるから」と言われ承諾。両親は強く反対した。
朴良徳(1931年生、名古屋・三菱):新聞で「挺身隊募集」を知った。「学校で勉強ができるなら」と応募した。「国(日本)に協力しよう」という気持ちもあった。
孫相玉(1925年生、名古屋・三菱):国民学校の教師をしていたところ、校長に呼ばれる。後藤という軍人と「三菱」から来た男が二人おり、校長から挺身隊の引率に指名される。
李鐘淑(1931年生、富山・不二越):父が徴用で連れていかれたところに挺身隊の募集があった。小学校の校庭で募集をしていて、募集要項には「挺身隊として日本に行って働いたら、女学校の卒業証書がもらえる」と書いてあった。勉強をしたくて募集した。
梁春姫(1930年生、富山・不二越):女学校二年生のときに挺身隊の話があった。日本人の先生から話があり「挺身隊に行けば卒業証書をくれる、待遇が良い、指導者としての資格の証明書をくれる」と言われ募集した。
李在允(1932年生、光州・鐘紡):姉に「挺身隊」の「徴用令」が来た。姉が「挺身隊」の講習も受けていたが行きたくないといって隠れていたら、日本人巡査と朝鮮人の面事務所職員がさがしにきた。見つからなかったので私を連れていった。駐在所にトラックが来ていて無理やり連れていかれた。

 これらの証言に共通するのは、企業(三菱や不二越)から学校に募集依頼があったこと、女性たちにとっては「学校に行ける」という勧誘が募集に応じる決定打になったこと、である。確かに朴良徳のように「国に協力しよう」と思ったという動機も語られてはいるが、朴にとっても第一の動機は学校に行くことであった。これは前述の『解説』が「その工場は工場か学校の延長かどちらか解らない様に立派なものです」と、挺身隊の動員先を美化していたこととも符合する。実際には彼女たちの「学校に行きたい」という願いは動員先の工場では果たされることなく、無残に打ち砕かれるのであるが、朴のいう「挺身」という動機付けという理解が、植民地下における女性たちの状況とそれにつけこんで「募集」をかけた企業の責任を無視した謬論であることが理解できよう。「状況」や「構造」という言葉を好んで用いるにもかかわらず、植民地支配の構造への理解が決定的に不足しているのだ。

 もちろん、これらの証言をもってただちに挺身隊の「動機」の全体を代表させることはできないだろう。だが総督府御用紙の表面的な報道を批判的に検討する重要な事実を指摘していることは確かだ。また李在允の証言は、「募集」に応じたケースにとどまらず、暴力的な連行のケースも存在したこと、「徴用令」による徴集があった可能性も伺わせるものといえる。容易に読むことができるこれらの証言をなぜ朴裕河は無視し、総督府の戦時動員の宣伝を間に受けて、挺身隊への応募の動機が文字どおりの「挺身」であったかのように語るのであろうか。理解に苦しむ。

 この箇所には前回も指摘したような朴裕河の論法がはっきりと現れている。総督府の挺身隊は自発的な志願だという主張に対し、具体的な事実関係のレベルで志願かどうかを争うのではなく、確かに志願だ、だが志願した「構造」が問題だ、とさっさと事実について総督府の見方を承認したうえで「見方」の争いに移行するのである。しかも実際には「構造」についての考察は極めて平板なものに留まる。驚くべきことであるが、朴裕河の挺身隊=自発的志願説の論拠はただ『毎日新報』のみなのである。

 さて、朴のように「挺身隊=自発的志願」説を取った場合、都合の悪い事実がある。自らが挺身隊徴集の場面だと指摘した、申河澈の証言の扱いである。申河澈は「今度はその警官の足にすがって、“返してくれ、助けてくれ”と泣きながら訴える」親たちの姿を千田に語っていた。朴はこの証言を以下のように読み解く。

「とはいえ、さきほどの「泣きながら訴える」親に関する証言を無視することはできない。/そこで考えられるのは、親たちが娘たちの行く先が、単なる「挺身隊」ではないと考えていた可能性である。その形が〈自発〉だろうが〈強制〉だろうが、娘たちを待っているのが「慰安婦」の仕事と考えての悲しみであったかもしれない。そこには、娘たち自身の悲しい〈嘘〉――性にかかわる仕事ではないと自分と親に納得させるために、内容が分かっていながら「挺身隊」に行くと話すような――があったかもしれないし、娘を貧しさゆえに売った親たちの〈嘘〉が介在していたのかもしれない。多くの売春女性や強姦された女性たちが、その事実を公には言えなかった差別的な社会構造こそが、挺身隊と慰安婦の混同を引き起こし、いまだにひきずっている根本的な原因とも考えられる。」(61)

 申河澈が目撃した親たちは、なぜ警官に「泣きながら訴え」ていたのか。それは親たちが娘たちが「慰安婦」にされると思っていたからだという。そして、親たちがそう「誤解」するに至った背景には、娘たちが本当は「慰安婦」になるとわかっていながら「挺身隊」に行くと親に言った〈嘘〉や、親たちが娘を「慰安婦」として業者に売っていたにもかかわらず、「挺身隊」に連れて行かれた言うと〈嘘〉が社会的に広がっていたからだ、というのだ(この読み方は相当に朴に好意的な解釈である。この段落は読みようによってはもっとひどいことを言っているようにも読める)。

 衝撃的な解釈である。もし朴のいうように親たちが「挺身隊」を「慰安婦」と理解していたとするならば、その最大の要因は日本軍が朝鮮人「慰安婦」を実際に使った事実があったからであろう。それが、当事者女性やその親たちの〈嘘〉のせいにされている。そもそも、朴のいうように、自発的に行った女性も娘を売った親もみんな「挺身隊」に行くと嘘をついていたならば、なぜ親たちは挺身隊動員を「慰安婦」への徴集だと考えることができたのか、全く説明がつかないではないか。

 そもそも、娘を挺身隊に取られることに抵抗し警官に泣きながら訴える人がいるという事実に、なぜ朴は疑いを差し挟むのだろうか。逆にいえば、なぜ朴は、挺身隊に取られるのならば親が泣くはずはない、と考えるのだろうか。上にあげた元挺身隊女性たちの証言にも、家族が身を案じて反対した、という話は沢山出てくる。申河澈は、戦時末期には挺身隊逃れのため急遽結婚させるケースが増えたため、解放後に悲惨な離婚をした者が多かったと語ってもいる。朴裕河には、戦時動員そのものの暴力性・抑圧性への想像力が一切ないように思える。「たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。」(225)と書けてしまう植民地支配認識の甘さが、ここでも露呈している。

 さらにこの記述からは、証言や史料の解釈の際に朴が重視しているのが、植民地支配を生きた人々の声に耳を傾けることではなく、朴自身の図式・思い込み――挺身隊には自発的に志願して行った――であることがわかる。自らの図式を維持するためには、他者を貶めることも厭わない。朴はここで自説を維持するために、二つの〈嘘〉を登場させているが、そこには何の根拠も示されていない。本当は「慰安婦」になるとわかっていながら「挺身隊」に行くと親に言った者、娘を「慰安婦」として業者に売っていながら「挺身隊」に連れて行かれたと言った者は本当にいたのか。朴の想像にすぎないではないか。「文学」とはかくも「自由」なものなのか。

 朴はこれらの根拠なき推論にさらなる推論を重ねる。

「おそらく、このような混同を生み出したのはまずは業者の嘘によるものだったはずだ。「挺身隊に行く」と偽って、実際には「慰安婦」にするために戦場に送るような嘘である。それは自分の利益のためのみならず、軍が要望する圧倒的な数に応えるためにも、「挺身隊」という装置が必要だったのだろう。合法的な挺身隊の存在が、不法なだましや誘拐を助長したとも言える。そこに介在した嘘は、慰安婦になる運命の女性たち自身や周りの人々、そしてその家族をその構造に入りやすくする、無意識のうちに共謀した(嘘〉でもあった。そこで行われている最後の段階での民族的蹂躙を正視しないためにも必要だった、〈民族の嘘〉だったのかもしれない。
 つまり、彼女たちのみならず、彼女たちを守れなかった植民地の人々すべてが、〈慰安婦ではなく挺身隊〉との〈嘘〉に、意識的あるいは無意識的のうちに加担した結果でもあったのである。そして、そのような嘘を必要とする事態こそが、「植民地支配」というものでもあった。」(61-62)

 こうして、業者の嘘、女性たちの嘘、親たちの嘘は、「共謀した〈嘘〉」として渾然一体となり、周到に日本軍の嘘のみを排除したうえで、〈民族の嘘〉なる驚くべき言葉が作られるに至る。朝鮮人たち――業者、女性、親――が「挺身隊」を隠れみのに共謀して嘘をついた、それはこの朝鮮人たちを「その構造に入りやすくする」ような「無意識のうちに共謀した〈嘘〉」であった。目を疑う記述だが、本当に朴裕河はこう言っているのである。しかも何の根拠もない。

 この「共謀した〈嘘〉」なる言説が破綻していることは、上の引用だけからでも明らかである。女性や親たちが嘘をついたとするならば、業者は嘘をついていないことになる。業者が連れていく目的を伝えていなければ、親や女性たちは嘘などつきようがない。結局朴のいう「共謀した〈嘘〉」「民族の〈嘘〉」論は、業者すら免責し、末端の民衆たちに責任を転嫁する言説なのである。植民地支配下を生きざるをえなかった朝鮮民衆の経験を根本的に侮辱する、この〈民族の嘘〉なる言説を、朴は何らの根拠も示さないばかりか、挺身隊についての初歩的な理解すらしていないなかで主張した。この本は正しく「反動的」な著作と呼ぶべきである。

 繰り返しになるが、この本を讃えている者たちは、一体自らが何を褒めているのかを知り、真摯に反省すべきである。本来ならば論証なき著作(「軟体動物」)は一笑にふされ屑箱に放り込まれてしかるべきである。にもかかわらず、軟体動物は数々の賞を得て、生き延びている。知識人の社会的責任を放棄したうえ、被害者たちへの侮辱に手を貸す「識者」たちの責任は極めて大きい。こうした軟体動物の群れには、確かに「関節技」に留まらない相応の料理法を考えねばならないのかもしれない。力を合わせ、知恵を絞って大釜を拵えねばなるまい。ただ、その前に指摘すべき誤りがまだまだ残っている。

*1 金富子「混迷する『慰安婦』問題を考える 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配」『静岡県近代史研究』40号、2015年、日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編、金富子・板垣竜太責任編集『Q&A朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任 あなたの疑問に答えます』(Fight for Justiceブックレット3)、御茶ノ水書房、2015年など。

*2 なお、秦は該当箇所を林えいだい編『戦時外国人強制連行関係史料集』(明石書店、1991年)から引いたとしているが、同書に『国民徴用の解説』は収録されていない。林えいだいの解説からの孫引きの可能性もある。

(鄭栄桓)


# by kscykscy | 2015-11-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか

 乗りかかった船であるし批判を始めた社会的責任もあるため、いま全面的に『帝国の慰安婦』の再検証をしているが、この本にはまだまだ数えきれないほどの誤りがある。誇張ではなく、毎日何かしらの誤りが見つかる。私がこれまで書いてきたことですら、本書の誤謬のほんの一部に過ぎないのである。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞文化貢献部門大賞を受賞したようだが、改めてこのような本が次々と学術・論壇関連の賞を獲得し続けることに呆然とせざるをえない。

 ところで、石橋賞の授賞理由のなかでホルヴァート・アンドリューは『帝国の慰安婦』は「日韓両国民の多くが抱く「ウソ」を冷静に分析」したとし、「本は日本人が抱く「ウソ」にも厳しい」と記している。朴裕河自身も、自著(そして自身)について左派も右派も批判したと表象しているし、朝鮮語版だけにある後記でも、ハンギョレ新聞の記者が『和解のために』を「日本右翼の賛辞を受けた」と書いたことに激怒している(318頁)。

 だが『帝国の慰安婦』に関していえば、日本の右派への批判は全く「厳しい」ものではないし、むしろ右派の賛辞を得ているという評価はあながち間違っていないと思う。アジア太平洋賞特別賞の選考委員は明らかに右派であるし、朴を賞賛する長田達治なども同様である。ほかにも例えば秦郁彦は次のように書いている。

「筆者は『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)などで、第二次大戦からベトナム戦争に至るまで、韓国をふくむ参戦諸国が慰安婦を利用していた事実があり、彼女たちは公娼(売春婦)という職業の戦地版にすぎず、日本軍慰安婦だけが批判の的にされる理由は乏しいと反論してきた。
意外にも筆者と似た理解を示したのは、韓国世宗大学校の朴裕河教授である。しかし強制連行や性奴隷説を否定し、「韓国軍、在韓米軍の慰安婦の存在を無視するのは偽善」と指摘した彼女は、慰安婦の支援組織から「親日的」だとして提訴された。
 熊谷本[『慰安婦問題』(筑摩新書)のこと]は吉見と秦=朴の中間的立場を取るが、論争の経過や争点を手際よく整理してくれているので、概説書としては最適だろう。ただし「フェミニズムによる挑戦」という観念論に傾き、韓国等の反日ナショナリズムに圧倒されがちな現実から目をそらしているのが物足りない。」(『週刊文春』2015年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号[57巻18号]、146頁)

 「秦=朴」と書くほどに、『帝国の慰安婦』は自身「と似た理解」であると考えているのである。私は秦郁彦の『帝国の慰安婦』理解は決して誤っていないと考える。朴の業者主役説をはじめとする日本軍「慰安婦」制度理解は秦郁彦と極めて似通っている。日本軍責任否定論者にとっては、朴の所説は都合のいいものだろう。しかも、「黙認」「需要」の責任はあるといったレトリックで、責任を認めたかのような粉飾までしているのだから、大変便利である。

 ただ、右派が『帝国の慰安婦』を受け容れる理由としては、こうした積極的理由(自らにとって都合がいい)に加えて、消極的理由、すなわち朴の右派批判が右派にとって痛くも痒くもない、という事実をあげておかねばなるまい。

 朴は『帝国の慰安婦』第三部第一章「否定者を支える植民地認識」で、「慰安婦」否定論者への「批判」を行っている。具体的には、(1)女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦であり、強制連行などなかった、(2)軍隊は女性たちを保護しようとした、(3)慰安婦は当時は合法だった、(4)戦場の慰安婦たちはとても「性奴隷」には見えなかった、という四つの主張への「反論」を試みているのだが、これが全く「反論」になっていない。

 そもそも、「否定者」というだけで否定論者は具体的に名指しされておらず、わずかに第四節において、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」『WiLL』2007年8月号増刊、諏訪澄「「従軍慰安婦」に入れ揚げたNHK」(同上)、木村才蔵「慰安婦問題を斬る!」『国体文化』、2007年5月、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会識員による歴史教科書問題の総括』が名指されているにとどまる。しかも最後の『歴史教科書への疑問』は日本軍「慰安婦」問題に関する記述への反論ではない。相手を特定しない批判ならば、大して痛くはないだろう。

 そして一番の問題は「反論」の論理である。詳しくは別の機会に譲るが、結論からいうならば、朴の反論は基本的に相手の主張を全て認めて事実関係を争わず、その「見方」のレベルで勝負しようとするものである。いわば、相手の土俵に全面的に乗った「反論」といえる。

 例えば、「女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦である」という主張に対して、朴は、確かに自発的に行った娼婦だったが、そうさせた「構造」が問題だ、と切り返す。

「しかし、たとえ〈自発的〉に行ったように見えても、それは表面的な自発性でしかない。彼女たちをして「醜業」と呼ばれる仕事を選択させたのは、彼女たちの意志とは無関係な社会構造だった。彼女たちはただ、貧しかったり、植民地に生まれたり、家父長制の強い社会に生まれたがために、自立可能な別の仕事ができるだけの教育(文化資本)を受ける機会を得られなかった。」(229-230)

 「彼女たち」が「自発的」に行ったこと、「醜業」を「選択」したことを認めてしまうのである。「強制連行」の概念が恣意的に切り縮められていることの指摘すらなく、事実関係に至っては全く争わない。そのうえで「選択」させたのは「意志とは無関係な社会構造だった」と「反論」する。

 当時は「合法」だった、という主張についても同様だ。

「慰安婦たちがたとえ慰安婦になる前から売春婦だったとしても、そのことはもはや重要ではない。朝鮮人慰安婦という存在が、植民地支配の構造が生んだものである限り、「日本の」公娼システム――日本の男性のための法に、植民地を組み込んだこと自体が問題なのである。慰安所利用が「当時は認められていた」とする主張は、「朝鮮人慰安婦」問題の本質を見ていない言葉にすぎない。」

 確かに合法だった、だがそれは男たちがつくった「法」だった、という「反論」である。これほど当時の条約や法律にすら違反していた事例が紹介されているにもかかわらず、ただちに合法であったことを認めてしまう。「遅ればせながらでも、過去のあることを、「正しくないこと」と新たに認識することが重要」だという指摘は一見いいことを言っているように聞こえる。だが合法性が問題となっている際に、相手の主張を認めたうえで「慰安所の利用を常識とし、合法とする考えには、その状況に対する恥の感覚が存在しない。」などという倫理の次元の論点を繰り出すのは、単なる逃避であろう。

 植民地支配は「善政」だった、という主張への反論もふるっている。

「植民地支配の内実が実際にはよい統治だったと強調する人も日本には多い。しかし、たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。逆に言えば、日本の統治が〈穏健〉だったのは、日本国家への服従が前提とされていた空間でのことだった。法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである。同じく、植民地ではなく戦場で、さきの小説でのようなことがあり得たのは、そこが「国家」(法律体系)の外の空間だったからである。つまり、そこはもはや、日常を維持する法を作動させなくてよい空間だった。」(225)

 植民地統治に服従する人々にとっては確かに善政だったのだそうだ。まだまだある。

 とても「性奴隷」には見えなかった、という主張に対しては、それは彼女たちが精一杯「国家」に尽くそうとしたからだ、「愛国」しようとしたからだ、と「反論」する。

「彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは、売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な〈愛国娘〉の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で輻して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったのだろう。」
「植民地人として、そして〈国家のために〉闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民闘」の「女」として、彼女たちに許された誇り――自己存在の意義、承認――は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵二○○七)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような〈愛国〉を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。」(232)

 ここでもかつての兵士側からの一方的な追憶を他の史料によって批判的に相対化する作業などは試みることすらせず(千田夏光の本だけからでも反論できる証言は山程ひきだせる)、確かにそうだ、だがそれは彼女たちが一生懸命「愛国」しようとしたからだ、と認めてしまうのである。「戦場における兵士たちの性行為は、死という非日常を押しつけられた中で「日常」をとりもどそうとする切ない欲望の表出でもあって、一概に非難することはできない」(233)と物分りのよい態度を示しながら。

 私はこの本の核心となるテーゼの一つ、朝鮮人「慰安婦」は〈愛国〉的存在であった、という主張は、全く証明できていないと考えている(千田もそんなことは主張していない)。だが、朴は事実関係や証言、史料と真摯に向き合わず、自らが考えついた図式に基づいて右派の主張を事実認識のレベルで全面的に認めたうえで、「彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者(慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ)たちが批判するのは矛盾している」(232)といった、「愛国者」としての首尾一貫性だけを問題にする。朴の右派への「反論」は一事が万事この調子である。このような机上の屁理屈の「批判」が右派の脅威になるはずがない。右派にとって『帝国の慰安婦』の批判など何らの痛痒も感じさせないものであるばかりか、事実関係については右派の認識を全面的に肯定してくれるのでむしろ都合がいいとさえいえる。『帝国の慰安婦』が右派に受け入れられるのは当然であろう。

(鄭栄桓)

# by kscykscy | 2015-10-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱