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なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか

 乗りかかった船であるし批判を始めた社会的責任もあるため、いま全面的に『帝国の慰安婦』の再検証をしているが、この本にはまだまだ数えきれないほどの誤りがある。誇張ではなく、毎日何かしらの誤りが見つかる。私がこれまで書いてきたことですら、本書の誤謬のほんの一部に過ぎないのである。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞文化貢献部門大賞を受賞したようだが、改めてこのような本が次々と学術・論壇関連の賞を獲得し続けることに呆然とせざるをえない。

 ところで、石橋賞の授賞理由のなかでホルヴァート・アンドリューは『帝国の慰安婦』は「日韓両国民の多くが抱く「ウソ」を冷静に分析」したとし、「本は日本人が抱く「ウソ」にも厳しい」と記している。朴裕河自身も、自著(そして自身)について左派も右派も批判したと表象しているし、朝鮮語版だけにある後記でも、ハンギョレ新聞の記者が『和解のために』を「日本右翼の賛辞を受けた」と書いたことに激怒している(318頁)。

 だが『帝国の慰安婦』に関していえば、日本の右派への批判は全く「厳しい」ものではないし、むしろ右派の賛辞を得ているという評価はあながち間違っていないと思う。アジア太平洋賞特別賞の選考委員は明らかに右派であるし、朴を賞賛する長田達治なども同様である。ほかにも例えば秦郁彦は次のように書いている。

「筆者は『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)などで、第二次大戦からベトナム戦争に至るまで、韓国をふくむ参戦諸国が慰安婦を利用していた事実があり、彼女たちは公娼(売春婦)という職業の戦地版にすぎず、日本軍慰安婦だけが批判の的にされる理由は乏しいと反論してきた。
意外にも筆者と似た理解を示したのは、韓国世宗大学校の朴裕河教授である。しかし強制連行や性奴隷説を否定し、「韓国軍、在韓米軍の慰安婦の存在を無視するのは偽善」と指摘した彼女は、慰安婦の支援組織から「親日的」だとして提訴された。
 熊谷本[『慰安婦問題』(筑摩新書)のこと]は吉見と秦=朴の中間的立場を取るが、論争の経過や争点を手際よく整理してくれているので、概説書としては最適だろう。ただし「フェミニズムによる挑戦」という観念論に傾き、韓国等の反日ナショナリズムに圧倒されがちな現実から目をそらしているのが物足りない。」(『週刊文春』2015年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号[57巻18号]、146頁)

 「秦=朴」と書くほどに、『帝国の慰安婦』は自身「と似た理解」であると考えているのである。私は秦郁彦の『帝国の慰安婦』理解は決して誤っていないと考える。朴の業者主役説をはじめとする日本軍「慰安婦」制度理解は秦郁彦と極めて似通っている。日本軍責任否定論者にとっては、朴の所説は都合のいいものだろう。しかも、「黙認」「需要」の責任はあるといったレトリックで、責任を認めたかのような粉飾までしているのだから、大変便利である。

 ただ、右派が『帝国の慰安婦』を受け容れる理由としては、こうした積極的理由(自らにとって都合がいい)に加えて、消極的理由、すなわち朴の右派批判が右派にとって痛くも痒くもない、という事実をあげておかねばなるまい。

 朴は『帝国の慰安婦』第三部第一章「否定者を支える植民地認識」で、「慰安婦」否定論者への「批判」を行っている。具体的には、(1)女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦であり、強制連行などなかった、(2)軍隊は女性たちを保護しようとした、(3)慰安婦は当時は合法だった、(4)戦場の慰安婦たちはとても「性奴隷」には見えなかった、という四つの主張への「反論」を試みているのだが、これが全く「反論」になっていない。

 そもそも、「否定者」というだけで否定論者は具体的に名指しされておらず、わずかに第四節において、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」『WiLL』2007年8月号増刊、諏訪澄「「従軍慰安婦」に入れ揚げたNHK」(同上)、木村才蔵「慰安婦問題を斬る!」『国体文化』、2007年5月、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会識員による歴史教科書問題の総括』が名指されているにとどまる。しかも最後の『歴史教科書への疑問』は日本軍「慰安婦」問題に関する記述への反論ではない。相手を特定しない批判ならば、大して痛くはないだろう。

 そして一番の問題は「反論」の論理である。詳しくは別の機会に譲るが、結論からいうならば、朴の反論は基本的に相手の主張を全て認めて事実関係を争わず、その「見方」のレベルで勝負しようとするものである。いわば、相手の土俵に全面的に乗った「反論」といえる。

 例えば、「女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦である」という主張に対して、朴は、確かに自発的に行った娼婦だったが、そうさせた「構造」が問題だ、と切り返す。

「しかし、たとえ〈自発的〉に行ったように見えても、それは表面的な自発性でしかない。彼女たちをして「醜業」と呼ばれる仕事を選択させたのは、彼女たちの意志とは無関係な社会構造だった。彼女たちはただ、貧しかったり、植民地に生まれたり、家父長制の強い社会に生まれたがために、自立可能な別の仕事ができるだけの教育(文化資本)を受ける機会を得られなかった。」(229-230)

 「彼女たち」が「自発的」に行ったこと、「醜業」を「選択」したことを認めてしまうのである。「強制連行」の概念が恣意的に切り縮められていることの指摘すらなく、事実関係に至っては全く争わない。そのうえで「選択」させたのは「意志とは無関係な社会構造だった」と「反論」する。

 当時は「合法」だった、という主張についても同様だ。

「慰安婦たちがたとえ慰安婦になる前から売春婦だったとしても、そのことはもはや重要ではない。朝鮮人慰安婦という存在が、植民地支配の構造が生んだものである限り、「日本の」公娼システム――日本の男性のための法に、植民地を組み込んだこと自体が問題なのである。慰安所利用が「当時は認められていた」とする主張は、「朝鮮人慰安婦」問題の本質を見ていない言葉にすぎない。」

 確かに合法だった、だがそれは男たちがつくった「法」だった、という「反論」である。これほど当時の条約や法律にすら違反していた事例が紹介されているにもかかわらず、ただちに合法であったことを認めてしまう。「遅ればせながらでも、過去のあることを、「正しくないこと」と新たに認識することが重要」だという指摘は一見いいことを言っているように聞こえる。だが合法性が問題となっている際に、相手の主張を認めたうえで「慰安所の利用を常識とし、合法とする考えには、その状況に対する恥の感覚が存在しない。」などという倫理の次元の論点を繰り出すのは、単なる逃避であろう。

 植民地支配は「善政」だった、という主張への反論もふるっている。

「植民地支配の内実が実際にはよい統治だったと強調する人も日本には多い。しかし、たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。逆に言えば、日本の統治が〈穏健〉だったのは、日本国家への服従が前提とされていた空間でのことだった。法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである。同じく、植民地ではなく戦場で、さきの小説でのようなことがあり得たのは、そこが「国家」(法律体系)の外の空間だったからである。つまり、そこはもはや、日常を維持する法を作動させなくてよい空間だった。」(225)

 植民地統治に服従する人々にとっては確かに善政だったのだそうだ。まだまだある。

 とても「性奴隷」には見えなかった、という主張に対しては、それは彼女たちが精一杯「国家」に尽くそうとしたからだ、「愛国」しようとしたからだ、と「反論」する。

「彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは、売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な〈愛国娘〉の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で輻して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったのだろう。」
「植民地人として、そして〈国家のために〉闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民闘」の「女」として、彼女たちに許された誇り――自己存在の意義、承認――は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵二○○七)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような〈愛国〉を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。」(232)

 ここでもかつての兵士側からの一方的な追憶を他の史料によって批判的に相対化する作業などは試みることすらせず(千田夏光の本だけからでも反論できる証言は山程ひきだせる)、確かにそうだ、だがそれは彼女たちが一生懸命「愛国」しようとしたからだ、と認めてしまうのである。「戦場における兵士たちの性行為は、死という非日常を押しつけられた中で「日常」をとりもどそうとする切ない欲望の表出でもあって、一概に非難することはできない」(233)と物分りのよい態度を示しながら。

 私はこの本の核心となるテーゼの一つ、朝鮮人「慰安婦」は〈愛国〉的存在であった、という主張は、全く証明できていないと考えている(千田もそんなことは主張していない)。だが、朴は事実関係や証言、史料と真摯に向き合わず、自らが考えついた図式に基づいて右派の主張を事実認識のレベルで全面的に認めたうえで、「彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者(慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ)たちが批判するのは矛盾している」(232)といった、「愛国者」としての首尾一貫性だけを問題にする。朴の右派への「反論」は一事が万事この調子である。このような机上の屁理屈の「批判」が右派の脅威になるはずがない。右派にとって『帝国の慰安婦』の批判など何らの痛痒も感じさせないものであるばかりか、事実関係については右派の認識を全面的に肯定してくれるのでむしろ都合がいいとさえいえる。『帝国の慰安婦』が右派に受け入れられるのは当然であろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-10-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(6・終)

6.結び

 以上で朴裕河の「反論」をすべて検証した。私の「批判が誤読と曲解に満ちたものだった」という論難は誤っており、朴の「反論」は何ら反批判たりえていないことが証明されたのではないだろうか。

 朴裕河は「反論」の結びとして、「5.生産的な談論のために」と題して以下のように書いた。

「鄭栄桓はもはや徐京植や高橋哲哉すら批判する。高橋はリベラル知識人のなかでもとりわけ「反省的な」視角と態度を堅持してきた人物であり、徐京植と共同作業を数多くしてきた人物でもある。こうした者たちまで批判する鄭栄桓に最初の答弁で問うた言葉を再び問いたい。鄭栄桓の批判はどこを志向するのか?
 確かなことは、鄭栄桓の「方法」は日本社会を変化させるどころか、謝罪する心を持った者たちすら背を向けさせ、在日僑胞社会をより苦しくさせるだろうということだ。もちろん日本社会に問題がありもするが、それ以上に鄭栄桓の非難に「致命的な問題」があるからだ。その問題を私に対する批判の方式が証明している。存在しもしない意図を探しだすために貴重な時間を消耗するよりも、生産的な談論の生産に力を使って欲しいと願う。」

 私のような批判を野放しにしておくと、在日同胞社会が損をするぞ、その証拠に徐京植や高橋哲哉すら批判しているではないか、と読者に「忠告」しているわけだ。呆れた「反論」である。

 残念ながら、この結びにもあらわれているように朴の「反論」は『帝国の慰安婦』に輪をかけて質が低く、事実上反論をしていないに等しい。本論中でも指摘したように、私の論文からのまともな引用も出来ていないうえ、自らの著作すら理解しているか怪しい。その代わりに幼稚な揶揄(「歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないこと」云々)を投げつけ、論点をそらし(「こうした批判は、日本人男性の小説はその存在自体が日本に有利な存在であるかのように考える偏見が生み出したもの」云々)、「誤読と歪曲」をしていると批判者に責任を転嫁する。これは極めて異様なことである。

 私が朴裕河の「反論」に何より欠けていると思うのは、自らが発表した著作に対する責任意識である。私たちは何かを書くときには、常に何らかの意図と目的を持って調査するがゆえに、それを適切に表現できるか、読み手に伝わるかどうか苦悶しながら執筆し、公表する。そして公の場に示された著作は、もはや著者の意図を離れ、それ自体独立のテキストとして評価されざるをえない。それゆえテキストに即した批判に対しては、反論をする側も改めてテキストに即して説明するほかない。本当はこう書きたかったんだ、という「意図」を示したところで、テキストとは異なる内容であるならばそれは「反論」にはなりえない。人格を論じているのではなく、その著作を論じているのだから当然である。著者には公の場にテキストを公表した責任として、そこで書いたこと(「書こうとしたこと」ではない)への責任が生じると私は考える。

 今回の反論にもこうした責任意識の欠如がよくあらわれている。『帝国の慰安婦』では書いていないことを「要約」して示してみたり、明らかに書いていることを書いてないと「反論」してみたり、ディシプリンの違いに逃げ込んだりすることに、それはよく現れている。自らの著作を理解していないのである。だからこそ、批判に対して、批判者のスタイルや属性をまず問題視するような「反論」が書けるのだろう。自らの著作に愛着と責任を感じるのなら、絶対にこうした「反論」のスタイルは試みないと思うのだが、どうだろうか。

 最後に、以下の二段落の叙述については改めてその「根拠」を問い、抗議したい。

「鄭栄桓は同じ方法で私が「韓日合邦を肯定」したと書く。だが私は韓日合邦無効論に懐疑を示しながらも、「もちろん現在の日本政府が慰安婦問題をはじめとする植民地支配に対する責任を本当に感じるのであれば、そしてそれを敗戦以後国家が正式に表現したことが無かったという認識がもし日本政府に生じたならば、「法的」には終わった韓日協定だといっても、再考の余地はあるだろう。女性のためのアジア平和国民基金の国内外の混乱は、その再考が源泉的に排除された結果でもある」(『和解のために』235)と書いた。私は韓日合邦も韓日協定も「肯定」していない。

 私は慰安婦を作り出したのは、近代国民国家の男性主義、家父長主義、帝国主義の女性/民族/階級/売春差別意識であるため、日本はそうした近代国家のシステムの問題であったことを認識し、慰安婦に対し謝罪/補償をすることが正しいと書いた。にもかかわらず鄭栄桓は「朴裕河は韓日合邦を肯定し、1965年体制を守護しており、慰安婦のハルモニの個人請求権を認めない」というのである。私は「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える。」

 すでに指摘したが、私は朴が「韓日合邦を肯定」したなどとは書いていない。繰り返しになるが、引用符を引用でもない箇所で用いるべきではない。また、朴が併合条約を合法とし、慰安婦女性たちの請求権を認めないのは、『帝国の慰安婦』を一読すれば明らかである。日韓協定の再協商を否定し、協定の枠内での調停すら批判する朴の立場が「1965年体制」を「守護」するものと理解することも決して逸脱した解釈ではあるまい。にもかかわらず、「「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える」その根拠は何か。それがいかなる「犯罪」に該当するのか。朴裕河には回答する義務がある。なお、この点については『歴史批評』の編集委員会にも責任があると考えるため、再反論の掲載を求めるつもりである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-10-07 00:01 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

5.「反論」の検証⑤――在朝鮮日本財産と「個人の請求権」について

 朴裕河は「反論」において、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」に関連して次のように指摘した。

「鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」(476頁)

 はじめに強調しておきたいのは、こんな主張は初耳だ、ということである。確かに私は、『歴史批評』論文では朴の在朝鮮日本財産に関する主張について検討していない。だがそれは不都合な箇所であったからではない。朴の立論にとって重要な箇所ではないと判断したからである。この「反論」で朴は、「個人の請求権」が認められない論拠として、在朝鮮日本財産の問題を指摘しているが、こんな主張を『帝国の慰安婦』ではしていない。もししていたら取り上げないはずがない。驚くべき珍説だからだ。

 まずは、私が「抜いて引用」したといわれた『帝国の慰安婦』の該当箇所を全文引用しよう(段落記号は筆者が付した)。

「【A】しかし、不思議なことに、人的被害に対する要求は、1937年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、1910年以降の36年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事柄に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からとするべきだが)、1937年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。
【B】決裂することもあったほどに、互いに植民地時代を強く意識していながら、そういうことになったのは、日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまでも戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基づくものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。
【C】会談は、金銭的な問題については、日本が残してきた資産と韓国が請求すべき補償金(対日債権、韓国人の軍人軍属官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)をめぐっての議論が中心だったようである。そして請求権に関して、基本条約の付随条約――「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれたのだった。つまり、日本がこだわっていた朝鮮半島内の日本人資産は放棄され、(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った。これも反共戦線を作るためのアメリカの思惑が働いてのことのようで、アメリカが日本から受け取るべき費用(引揚者の帰国費用など)をそのようにして肩代わりすることで、韓国の自立を助けたという(浅野豊美二〇〇八[『帝国日本の植民地法制』:引用者注]、六〇六~六〇七頁)。
【D】いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(『帝国の慰安婦』日本語版、248-249頁)

 【A】~【D】4つの段落のうち、『歴史批評』論文では【C】を省略し、朴が「経済協力」を「賠償金」と理解している論拠として示した。朴が「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分」としたのはこの【C】である。叙述が錯綜しておりわかりづらいため、この箇所を改めて整理し直すと以下のようになる。

(1)韓国政府がサンフランシスコ講和条約の枠組みを意識して、日中戦争以降の動員による人的被害への賠償だけを求めた(【A】【B】)
(2)日韓会談では在朝鮮日本財産と「韓国が請求すべき補償金」の処理が議題となった。米国が反共戦線を作り韓国の自立を助けるため、前者は放棄された。(【C】)
(3)日韓請求権協定により日本政府は「1937年以降の戦争動員に限る」賠償金を韓国に支払い、韓国政府が個人の請求に応えることとなった。(【D】)

 こうしてまとめると、正しいかは別にして、朴の意図はよくわかる。韓国は1937年以降の戦争に限って対日賠償請求をして請求権協定で賠償が支払われた(誤っているが)一方、日本は米国の政策により対韓財産請求を放棄した、と言いたいのであろう。ただ【C】の叙述は時系列が混乱しており、大変読みづらい。【C】をさらに分解すると以下の通りになる。

【C1】日韓会談では在朝鮮日本資産と韓国の請求する補償金が議題となり、請求権協定が結ばれた。(1952-65年)
【C2】日本は在朝鮮日本資産を放棄し、米国が戦勝国として「接受」し韓国に与えた。(1945-48、51、57年)
【C3】米国の政策の意図は反共戦線を作り韓国の自立させるためであった。(?年)

 おそらく【C2】は1957年の米国政府による米軍政令解釈の日本政府への提示を念頭に置いた叙述なのであろうが、「(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った」という曖昧な書き方をしているため、日韓会談開始以前の接収と払い下げを指すようにしか読めない。よって時系列的には過去へと遡るように読めるにもかかわらず、朴は【C1】と【C2】を「つまり」で接続するため、前提知識の無い者が読むと、日韓交渉の最中に米国が旧日本資産を接収したうえで韓国に与え、日本の対韓財産請求を封じ込めたと読んでしまう可能性が高い。逆に、ある程度歴史的経緯を知っている者がこの箇所を読むと、突然タイムマシーンに乗せられて過去に放り込まれたような、不条理な感覚に襲われるのである。

 何よりここでの問題は、この叙述から元「慰安婦」被害者の「請求権を請求するのが難しいと理解する」ことができるか、ということである。

 まず、【C】における在朝鮮日本財産への言及は、あくまで米国が「反共戦線」と韓国の自立のため日本に請求を放棄させた、という主張を支えるためのものである。この主張の当否はひとまずおくとしても、元「慰安婦」被害者の「個人の請求権」が認められない論拠として触れられたわけではないことは明らかだ。本書を未読の者は「反論」の主張は自著の該当箇所を「要約」したものであると考えるであろうがが、上の引用から明らかなように、『帝国の慰安婦』で朴はそのような主張を行ったわけではない。「反論」における在朝鮮日本財産と「個人の請求権」に関する主張は、『帝国の慰安婦』にはみられない全く新しい主張なのである。

 朴裕河が『帝国の慰安婦』刊行後に講演やfacebook等で示した「要約」なるものは、多くの場合要約たりえていないが、今回も同様である。少なくとも『帝国の慰安婦』から、「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である」という朴の意図を読み取ることは不可能である。朴が先行研究や証言、史料を適切に読み解けていないことを私は再三指摘してきたが、ここではそれどころか、朴が自著すらも全く読み解けていないことが露呈している。

 ところで、【C】の段落には浅野豊美の著作が出典として示されている。浅野が「個人の請求権」について朴の「反論」のような主張をしたのであろうか。念のため該当箇所と思われる部分を以下に引用しよう。

「アメリカの主導する東アジアの地域統合プランがこうして大幅に修正される[中国東北・北朝鮮の重工業設備に日本から撤去した賠償設備を加えて中国・朝鮮の近代化を実現する構想が、中国共産党の勝利により日本の復興支援政策へと修正されたこと:引用者注]前に、南朝鮮における在外財産の接収は、初期の懲罰的賠償計画の一環として1945年12月の米軍政令33号によって行われた。それらは「敵産」の払下げという形で現地の住民に移譲されたが、その国際法上の位置づけは、あくまでアメリカが受けとった賠償物資を、現地の住民に対してアメリカからの援助の一部として移譲するというものであった。そして、一度接収された在外私有財産の返還は、あくまで日本政府と日本国民との間で解決されるべき問題と、アメリカはみなしていた。前述した占領方針中の私有財産処理原則にもかかわらず、アメリカが日本人私有財産の所有権移転に踏み切ったのは、北朝鮮における日本人私有財産が没収処分を受けていたため、南朝鮮でのみその補償を前提とする敵産管理政策を持続すれば、朝鮮人からの不信を招くとする理由からであった。アメリカはその処分をサンフランシスコ講和条約四条b項により日本に認めさせ、また、後述する1957年末の日韓両政府への覚書でも、在韓私有財産の請求権が日本にはないという解釈を提示することによって、両国の実質的仲介役となっていた。」(浅野豊美『帝国日本の植民地法制』名古屋大学出版会、2008年、p.606-607)

 浅野はこのように、あくまで南朝鮮において米軍政が日本財産の接収に踏み切った背景を説明しているのであって、「個人の請求権」については語っていない。本来ならこうした「反論」は無視してもよいのであろうが、朴がとりわけ強調したい論拠でもあるようなので、簡単にだけその妥当性を検証しておこう。

 朴は「米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分[…]こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」と主張する。朴が何を言いたいのか私には正確には理解できないのだが、あえて整理するならば、「反論」には以下の二つの命題が含まれていると考えられる。

元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」は、米国が在朝鮮日本財産を韓国に払い下げて日本人の引揚げ費用と相殺させたため、認められない。
元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」を認めると、在朝鮮日本財産に対する日本人の請求が可能になる。

 結論からいえば、このような主張は成り立たないと考えられる。在朝鮮日本財産については、在朝鮮米軍政庁が1945年12月6日の米軍政令33号で接収し、政府樹立に伴い韓国に払い下げたが、日本政府はこの効力を1951年9月8日調印のサンフランシスコ講和条約第4条(b)項で認めている。1952年以降の日韓交渉で確かに日本政府は在朝鮮日本資産の問題を「逆請求権」として論点化するが、サ条約で効力を認めたため本当に請求できるとは流石に思っておらず、当時の日本側の表現を借りれば一種の「バーゲニング・トゥール」以上の意味はなかった(*1)。上の浅野の引用にもあるように、米国は1957年に日本側が権利を主張できないとの米軍政令の解釈を日本政府に伝えており日韓会談でも議論されている。

 よって旧日本財産に対する何らかの補償を日本人が韓国政府に請求するためには、現時点ではサ条約を改定するほかなく、それは不可能であろう。少なくとも韓国政府を相手にするものに関する限り、「国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になる」という事態が発生するとは考えにくい。

 また、かつても指摘したように日韓会談で元「慰安婦」被害者への補償問題が議論された形跡はなく、日韓両政府による「相殺」されたと考えることは困難であろう。何より朴の「反論」は、旧日本財産と日本人の引揚げ費用が相殺されたため、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」が認められない、という奇妙な理屈が展開されており、仮にそのような主張をするのであれば論拠を示すべきであろう。そもそも、元「慰安婦」被害者たちが求めている「請求」の内容は、単純な財産の返還・補償請求ではなく、人的・物的被害に対する補償も含まれたより広範なものだ。全く位相が異なる問題である。

 いずれにしても、朴の「反論」における主張はあまりに珍奇なため、これだけでは何を主張したいのか理解しがたい。相応の論拠を示していただきたい。

*1 太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」、『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』(法政大学出版局、2011年)等を参照。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-10-07 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「第27回アジア・太平洋賞」特別賞受賞について

 朴裕河『帝国の慰安婦』が「第27回アジア・太平洋賞」特別賞を受賞した。朴は自身のfacebookで「(授賞)を辞退しない理由」と題して、「指折りの進歩新聞」である毎日新聞社から賞を与えられた喜びを綴っているが、そのなかに以下のような一節があった(強調は引用者)。

「毎日新聞社で「アジア・太平洋賞特別賞」受賞者に内定したとの知らせを興奮した声で電話で知らせてくれたのも彼女[朝日新聞出版の担当編集者]だった。私はその知らせを地下鉄のホームで受けた。はじめに頭をかすめたのは、このことをもってまた歪曲し非難する者たちがいるだろうという考えだったから、喜びよりも複雑な心境だったが、いずれにしろ高い評価を受けたのは彼女の苦労のおかげであると考えて、私は真心を込めて彼女にありがとうと言った。在日僑胞学者の執拗な批判が影響を及ぼすのではないかと編集者は心配したが、大賞ではない理由がそこにあるのかどうかはまだよくわからない。

 「在日僑胞学者の執拗な批判」とは、おそらく私の批判を指すのであろう。確かに残念である。私は本書が数多くの事実関係の誤りと恣意的な方法により綴られた、到底評価するに値しない問題作であることを丁寧に説明し、批判してきたつもりだ。学問的論争以前の欠陥品であることをそれこそ「執拗」に様々な論点をあげて指摘した。「在日僑胞学者の執拗な批判」がなければ大賞もありえたかのように書ける神経には絶句するほかないが(授賞を辞退するつもりなどもとより無いだろう)、いずれにしろ数多くの批判など存在すらしないかのような今般の授賞には憤りをおぼえざるをえない。

 もちろん授賞が「アジア・太平洋賞特別賞」の価値を減ずるといいたいわけではない。選考委員の顔ぶれをみると(北村正任・アジア調査会長、田中明彦・国際協力機構理事長、渡辺利夫・拓殖大学総長、白石隆・政策研究大学院大学学長、伊藤芳明・毎日新聞社主筆)、さもありなんという印象である(*1)。ただこの授賞で権威づけられることにより、本書が今後さらに日本社会で「まともな本」「信頼すべき本」として扱われ、その誤りに満ちた記述が「歴史」とみなされ、日本の朝鮮支配の事実を歪め、植民地支配の被害者たち、証言者たちの尊厳が再び踏みにじられることが耐え難いのである。暗澹たる気分になる。おそらく本書は今後も何らかの賞を与えられるであろう。さらなる「執拗な批判」が必要である。

*1 ちなみに「指折りの進歩新聞」である元毎日新聞社ソウル支局長で現アジア調査会理事(常勤)の長田達治はかつて「ナヌムの家」の人々による『帝国の慰安婦』への抗議を以下のように批判した。

「ナヌムの家の連中(挺対協[訴えたのは挺対協ではない:引用者注])が世宗大学に何度も抗議に訪れるなど、朴裕河さんに対する嫌がらせを継続しているそうだ。ソウル大学の学者などが挺対協の応援団にいる。この要塞のような反日利益集団に楔を打ち込み、真実を韓国国民に知らせるためには米軍基地慰安婦問題を韓国で大々的にキャンペーンするのがいいと思う。「ハルモニ=韓国の天皇」という頑迷左派のイデオロギーを崩さないことには韓日和解などとうていできない。」(2014年7月5日)

 また、私の『帝国の慰安婦』批判について「人格攻撃」「滅茶苦茶な批判論文」とし、「挺対協など反日団体の回し者」と非難した。「進歩新聞」記者の言説として、記録しておきたい。

「鄭栄桓氏は挺対協など反日団体の回し者か。朴裕河さんの書物を実証的に批判するのでなく、彼女への人格攻撃に終始している。<本書において筆者は明確に、植民地支配を「不正義」と認識してこれを批判・糾弾する立場を放棄するよう朝鮮人側に求めている(しかも「証言者」の言葉を借りて)。(続く)」
「鄭栄桓氏が日本語で滅茶苦茶な批判論文を出してくれているので、韓国における朴裕河氏を誹謗中傷する嵐のような反日の悪意の論の空気を少しだけ体験できた。こういう悪意の塊のような反日勢力が「絶対に日本を許すな」と論陣を張り続け、朴槿恵大統領もそれにはアンタッチャブルなのだ。困ったもんだ。」
 長田達治@osada_tatsuji 2014年12月31日
 http://twilog.org/osada_tatsuji/month-1412
 
(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-10-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱