<   2014年 10月 ( 1 )   > この月の画像一覧

狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について

1.排外主義運動と「識者」

 排外主義運動を生み出さないためにも、マイノリティに過度な権利を与えるべきではない――こう主張をする者を、私たちは何と呼ぶべきだろうか。

 排外主義者とは異なる何らかのまっとうな名前(中道派?保守主義者?リベラル?)を与えるべきだろうか。確かに一見排外主義を憂慮し「客観的」な立場から議論するふうを装っている。だが少し考えてみればわかるように、この者の主張は実際には排外主義者と変わるところがない。自ら「私は排外主義者ではない」と表明しながら、同様の主張をしているだけだ。そのような自認を汲み取って別の名を与えるくらいならば、正しく「排外主義者」と名指すほうがよほど正確だろう。

 しかしながら、「排外主義者」よりも(あるいはそれとは異なる)悪質な何かである可能性はある。排外主義者たちが「私達のような者を生み出さないためにもマイノリティを優遇するな!」と自ら叫ぶとは考えにくい。むしろ自らが排外主義者ではないと自認する「識者」によってこのメッセージが発せられることに意味がある。この側面支援があればこそ、排外主義集団による騒乱は効果を持つ。騒げば騒ぐだけ、嫌悪されれば嫌悪されるだけ、自らの主張を実現することができるからだ。マイノリティの権利がマジョリティの所有物であるかのような偏見を強化する役割も果たすだろう。排外主義者の主張を側面支援するこうした「識者」は決して少なくない。何か適切な名を与えるべきだろう。

 念頭に置いているのは言うまでもなく池田信夫である。池田は次のように書いている。

「一時期までは格差是正措置の意味もあったが、在日二世・三世が「日本化」した今では、不合理な「逆差別」は在特会などの民族差別を生み、日韓の憎悪の悪循環を生むだけだ。特別永住資格は廃止し、在日は(著者のように)帰化して日本国民として権利を行使すればいい」(「「在日」というねじれたアイデンティティ」

 在特会のような集団を登場させないためにも、特別永住資格を廃止する必要がある――池田はこう主張しているのだ。しかも、在特会を批判する素振りを見せながら。もちろんこれは在特会の主張の全面的な肯定といってよい(実際、池田が在特会の何を批判しているのかは文章を読むだけでは全くわからない)。池田はそもそもが全く別物である特別永住許可とアファーマティブ・アクションを同一視して非難するが、特別永住を攻撃する在特会の論理は、日本人よりも在日朝鮮人が優遇されていることではなく、他の外国人に比して在日朝鮮人が有利な法的地位にある(と彼らが考えている)ことを「特権」視するものだ。彼らは外国人が日本国民より劣位にあることを大前提に、外国人内での法的地位の差を問題にしているのである。池田は在特会以上の奇天烈な理屈で、在特会の要求を全面的に擁護していることになる。

 池田のエッセイに満ち溢れる事実関係の初歩的な誤りについては、すでに若干の批判がある(*1)。ただ漏れているものもあるので、以下に正しておきたい。これは当人に反省を促すためではなく(それは不毛である)、関連する文献を一読すればただちにわかる初歩的な誤りを公共の場で平然と流布する人物がいること、そしてこのように在日朝鮮人に甘えきった「知識人」が、在日朝鮮人の将来に関する重大な事項について何がしかの「提言」を試みることが許される日本の「言論」空間の惨状を記録しておくためである。

(1)池田は「終戦のとき、当時の朝鮮半島は連合国の信託統治になり、1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができた。」(「在日はなぜ帰化しないのか」 。強調は引用者)と記しているが、朝鮮は連合国の信託統治地域になってはいない。第二次大戦後、モスクワでの米英ソ外相会議で、朝鮮民主主義臨時政府の樹立とその前段階として米英ソ中による最長五年間の信託統治案が決定されたが(モスクワ決定)、その後、米ソ共同委員会は決裂したためモスクワ決定は実現しなかった。その結果、38度線以南のみでの国連監視下総選挙が行われ韓国政府が樹立された。

(2)池田は「彼らは韓国籍か日本国籍を選ぶことができたが日本国籍を選ばなかった在日は不法滞在という形になった。」(「在日はなぜ帰化しないのか」)と記しているが、これはすでに多くの人が指摘している通り、明白な誤りである。日本政府は講和条約発効時に在日朝鮮人・台湾人に国籍選択権を認めていない。また、日本国籍を喪失した在日朝鮮人が「不法滞在の状態」になったわけでもない。にもかかわらず、最新の記事でも「当初、日本は在日を強制退去させようとしたが、韓国政府はこれを認めず、国籍を失った在日は不法滞在の状態になった。」(「「在日」というねじれたアイデンティティ」)と誤りを正していない。もし「帰化」による日本国籍取得をもって「選ぶことができた」と主張しているとしても、講和条約発効と同時に「帰化」しなかった人々が「不法滞在」となったわけではない(*2)。ほとんどの在日朝鮮人はいわゆる法126-2-6の「在留の資格」を得て合法的に在留を継続した(*3)。

(3)池田は、「このため[日本国籍を選ばず不法滞在になったため:引用者注]選挙権・被選挙権がないが、それ以外の権利は「特別永住者」として認められるようになった。」(「在日はなぜ帰化しないのか」)と、講和条約発効直後に「特別永住」という在留資格が生まれたかのようにも記しているが、講和条約発効時に「特別永住」が生まれたわけではなく、参政権以外のあらゆる権利が認められたわけでもない。「特別永住」の在留資格は91年の入管特例法により新設されたものである。また、講和条約発効後の在日朝鮮人に日本国民が享受する権利のうち参政権を除くあらゆる権利が認められたわけでもなく(日本は「不法滞在」者に参政権以外の権利を認めるような国ではない)、特別永住者であっても同様である。また、在日朝鮮人・台湾人の参政権は45年12月の衆議院議員選挙法の改定により「停止」されており、講和条約の発効以前より行使できなかった。

(4)池田は「正確にいうと、サンフランシスコ条約ですべての在日が「朝鮮籍」になり、日韓条約で韓国籍になった。彼らの「国籍が剥奪された」というのは誤りで、日韓政府の合意で一律に国籍を喪失した。」(「在日は「日本国籍を剥奪された」という神話」)とするが、これは全く「正確」ではない。まず、池田は「朝鮮籍になり、…韓国籍になった」という表現を用いているが、そもそも日本政府には在日朝鮮人を朝鮮籍/韓国籍にする権限はなく、誰が韓国国籍者かは韓国の国内法による。外国人登録令上の国籍表示に限定すれば、「朝鮮籍」の登場は同令制定時の1947年であって講和後ではない。また、誤解している人が多いが、登録の国籍欄に「韓国」「大韓民国」と表記することを法務府が認めたのは1950年であり、日韓条約後ではない。

(5)池田は帰国事業と国籍喪失をつなげて論じているが(「「在日」というねじれたアイデンティティ」)、講和条約発効(52.4.28)の時点では帰国運動は始まっていない。よって「当時の北朝鮮は「理想郷」として賛美され、朝日新聞などは朝鮮総連の「帰国運動」を支援した。だから国籍喪失を「在日は誰も反対せず、当然と受け止めた」」という主張は成り立たない。

2.浅川晃広=池田信夫と大沼保昭

 他方、一連のエッセイで展開された池田のもう一つの主張――講和条約発効に伴う日本国籍喪失には韓国政府も同意していたため、「日本政府による一方的国籍剥奪」という非難は不当だ、在日朝鮮人に権利がないのは韓国政府や民団の責任であって日本政府の責任ではない――には、池田の無知を嗤うだけでは済まない問題が含まれている。

 ただここでの問題とは池田の主張そのものではなく、池田批判も含めた議論の土俵それ自体である。というのも、近年在日朝鮮人の法的地位に関する戦後日本の政策の問題点を論じる際にサンフランシスコ講和条約発効時の「日本国籍剥奪」が強調されるようになっているが、このこと自体がある種の歴史修正主義なのではないかと考えられるからである。池田の主張はいわばこうした「日本国籍剥奪」強調への反動なのであるが、問われるべきは池田の無知蒙昧だけでなく、「日本国籍剥奪」の評価へと争点が収斂していきつつあるいまの言論の状況それ自体であろう。

 そもそもこの主張は池田が言い始めたものではなく、講和条約発効時の国籍喪失措置批判への反論としてはむしろ典型的なものだ。おそらくネタ元は浅川晃弘「戦後「在日神話」としての国籍剥奪という嘘」(『正論』2005年8月号、後に『「在日」論の嘘 贖罪の呪縛を解く』PHP研究所、2006年に収録。以下引用は同書より)であろう。

 浅川は以下のように書いている。

「戦後六十年を経過しても、「在日は日本政府に一方的に日本国籍を剥奪された」という神話はいまだに生き続けている。それは「在日は強制連行の犠牲者」という主張と同様、一部の「在日」とその同調者による、かねてからの特権要求の論拠でもある。/近年、「強制連行論」がいかに嘘であったか明らかになってきたが、もうひとつの「国籍剥奪論」も、完全なフィクションであったことは指摘されなければならない。」(164頁)
「こうしたフィクションとしての「国籍剥奪論」をよそに、2003年には過去最高の1万1778名もの韓国・朝鮮籍者が帰化によって日本国籍を取得している。/彼らの自らの意志に基づいた決断を評価し、積極的に日本社会のフルメンバーとして受け入れていくことこそが、「フィクションにフィクションを積み重ねる」ことに一切の躊躇がなく、単なるイデオローグに過ぎない「国籍剥奪論者」の消滅につながるだろう。」(184頁)

 ここで浅川が「単なるイデオローグに過ぎない「国籍剥奪論者」」として槍玉に挙げたのは大沼保昭である。浅川は大沼保昭の論文「在日朝鮮人の法的地位に関する一考察(1-6)」(*4)をとりあげて、(1)在日朝鮮人の日本国籍喪失措置は日韓両政府の合意のもとに行われた。よって日本政府だけが「一方的に」喪失させたかのように批判するのは不当である、(2)在日朝鮮人の多くは「帰化」により日本国籍を取得している、(3)日本政府は国籍喪失により権利を否定したわけではなく「特別扱い」を行おうとした(特に生活保護)と主張、むしろ帰化者を「日本社会のフルメンバーとして受け入れ」よ、と訴えた。池田の主張が浅川の丸写し(あるいは浅川の丸写しの丸写し)であることがわかる。

 だが、浅川の批判は大沼論文への正確な理解を欠いており、的外れと言わざるをえない。そもそも大沼論文は、「在日朝鮮人の国籍問題は、これまであまりにも日本政府、総連、民国[ママ。民団]、北朝鮮政府、韓国政府の「表見的一致」にもたれかかりすぎていた。なまじそこに表見的一致があるが故に、これまでとられてきた措置とそれを基礎づける論理が、論理的にも道義的にも支持し難いものであることが見過ごされてきた」(『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』320頁)とあるように、日本政府のみならず、韓国政府も含めた全当事者が52年4月の日本国籍喪失措置を問題にしないこと(「表見的一致」)への批判を出発点とする。韓国政府の立場についても、「韓国側は国籍選択権付与の可能性を主張しつつも、日本の韓人保護が完全なら選択権は不要であろうとして、在日朝鮮人が韓国国民であることを前提とした上で、植民地支配から引き続き居住に至った歴史を踏まえ、その法的地位が入管令に服する一般外国人とは異なるものであることを主張したのであった」(同上書、241頁。太字は原文傍点)と明確に指摘しており、日本政府が独断で日本国籍喪失措置を採ったと主張したわけではない。浅川は1951年12月23日付の『朝日新聞』を用いて(池田もこの記事を「論拠」としている)、あたかも韓国側が日本国籍喪失に同意していたことを「発見」したかのように書いているが、すでに79-80年の時点で大沼は日韓会談に関する韓国側の記録にあたり、上のように論じているのである。

 もちろん、大沼は韓国も同意していたからどっちもどっちである、などと論じたわけではない。大沼論文が問題視したのは、政府が講和条約の発効を根拠に、通達によって、当事者の主体的意思とは無関係に戸籍を基準として、一律に日本国籍を喪失させたことである。具体的には法務府民事局長通達438号(52.4.19)とその合憲性を支持した1961年の最高裁大法廷判決が批判の対象となるが、その論理は以下のようなものだ。

「日韓会談はサンフランシスコ平和条約発効の時点までに妥結するに至らなかったため、日本政府は、平和条約の発効までは在日朝鮮人が保持し続けるとしてきた日本国籍につき、何らかの措置をとらなければならないことになった。現に日本に居住している旧日本国民たる朝鮮人に対して、日本が日本国籍に関して決することは、ポツダム宣言およびサンフランシスコ平和条約の制限に従うことを条件として、日本の国内管轄事項に属することであり、そのことは、日本国憲法の規定に従って立法府ないし行政府が、国籍に関する一定の具体的措置をとりうることを意味する。すでに韓国が成文国籍法によって自国民の範囲を確定し、また、北朝鮮も血統主義に立脚する国民範囲確定を行っている以上、政府としては、憲法10条に従い、国会の法律により、在日朝鮮人の主体的意思を条件として、右の韓国または北朝鮮国籍を保持する者については、日本国籍を喪失せしめるという措置をとりえたはずであり、また、とるべきであった。しかしながら、現実に政府がとった具体的措置は、通達438号という行政権の国家行為により、日本法上の戸籍を基準として、一律に――在日朝鮮人の意思にかかわりなく――在日朝鮮人の日本国籍を喪失せしめ、入管令、外登法、法律126号という外国人法制に組み込むことであった。そして、右の通達という行政権の国家行為が、国籍という法律事項(憲法10条)を処理しうる根拠こそ、それがサンフランシスコ平和条約の「黙字の合意」の執行であるという論理にほかならなかった。」(太字は原文傍点。241-242頁)

 大沼は在日朝鮮人の日本国籍を喪失させたことそれ自体を批判したわけではない。(1)「在日朝鮮人の主体的意思」を無視して、(2)通達という「行政権の国家行為」によって、(3)戸籍を基準に一律国籍喪失の措置を採ったことを批判したのである。そして、本来ならば法律により「在日朝鮮人の主体的意思を条件として」「韓国または北朝鮮国籍を保持する者」については日本国籍を喪失させる措置を採る必要があった、と論じたのだ。この時に在日朝鮮人のなかで日本国籍の保持を求める者がどの程度いたか以前に、そもそも当事者の「主体的意思」が問われること自体が無かったことを問題視したのである。大沼の立論からすれば、日本国籍の得喪に関する決定が日本の国内管轄事項である以上、日本政府がその責任を問われるのは当然といえよう。

 以上の立論に基づき、大沼は通達438号による国籍喪失措置は憲法第10条に違反するもので無効であり、「本書の主張は、結果的には在日朝鮮人に日朝の国籍選択権を認めるのと同一の結論となるが、それは何ら立法論lex ferendaとして国籍選択権を主張するものでなく、本問題に関する現行法lex lataの解釈として右の結果が導かれることになるのである。[中略]通達438号でカバーさるべき在日朝鮮人は、日本国籍を「確認」することによってーー「帰化」によってではなく――日本国籍を保持しうるはずである」(319-320頁)と結論づける。そもそも大沼がこの論文の執筆したきっかけは、田中宏を通じて宋斗会の日本国籍確認訴訟を知ったことだったという(『戦後責任』岩波書店、2014年、64頁)。このため、論文の立論も立法ではなく「確認」により保持しうるとの主張になっている。

 こうしてみると「単なるイデオローグに過ぎない」のはむしろ浅川の方だということがよくわかる。ただ、近年の大沼は、以下のようにこの論文とは批判の力点を変えている。

「当時の在日朝鮮人は、日本国籍を剥奪されたにもかかわらず、それを「解放」だといって喜んで受け入れたわけですが、日本国内にいる限り日本の領域主権には服するわけですから、それはとうてい解放とはいえない。それを解放だと言ってきた「在日」の指導層と知識人の責任も問われなければならないと思う。
 ただ、当時は「在日」の指導層と知識人の責任というところまではとても踏みこめなかった。私もまだ二十代後半の若さで、やたらと正義感だけが強かった。差別問題に初めて直面して、悪いのはすべて日本であるという思いが強かった。「在日」の人や韓国の人から何かを言われると、それに反論すること自体をためらうという時期が10年くらいありましたね。日本人であることの罪みたいな思いがあって、「在日」の人が間違ったことを言っているのに反論できず、韓国の人に対してはご無理ごもっとも、という感じ。」(大沼保昭「大上段に振りかぶった国民国家の相対化と「在日」の人権を結びつけるべきではない」、白井美友紀編『日本国籍をとりますか? 国家・国籍・民族と在日コリアン』新幹社、2007年、164-165頁)

 このように「「在日」の指導層と知識人の責任」を強調するようになった一方で、国籍選択権を忌避し、在日朝鮮人全員の送還を画策した吉田茂については、次のような「理解」を示すようになる。

「ただ、吉田首相や日本の官僚がそう考えるのも無理もなかったという面もある。当時の「在日」の指導層は、自分たちは戦勝国民だといって日本の法を無視する強硬な姿勢をとっていたし、また共産党の暴力革命路線と結びついて暴力的な運動をやっていた。一般の「在日」の人々の中にも、今までの差別のうっぷん晴らしを乱暴なかたちでやった人もだいぶいて、「在日」の指導層はそれを止めようとしなかった。一般の日本の市民の「在日」に対する悪感情は、この時の経験に基づく面がかなりある。
 人間の感情として、差別されていた人間が「解放」されればそれまでのうっぷんを晴らしたくなるのはよくわかる。また、今日の状況で韓国籍を手放すことへの心理的抵抗もわかります。しかし、そういう個々的な感情を抑えて、全体の利益のために理性的に動くのが知識人というものであり、リーダーシップというものでしょう。ところが、「在日」のリーダーシップにはそれがない。そういう意味で、私は民団の指導層をはじめ、「在日」の知識人や指導層の責任は非常に大きいと思う。
 私は二五年以上前から「在日」の指導層に対し、日本国籍を回復する運動をやったらどうかと言ってきたのですが、いまだに彼らは「まだ早い」「機が熟していない」と言うわけ。30年間同じことを言っている。それは個人の感情なんですね。その感情をなんとか抑えて、「在日」の一般市民の長期的な利益のために動くということがない。」(166-167)

 実はすでに70年代末の論文でも大沼は、部分的には解放後の在日朝鮮人運動に関する上のような見解を示してはいたのだが、さすがにここまで露骨に吉田への「理解」を示してはいなかった(*5)。冒頭の語りなどは「三国人」言説そのものである。かつての論文では民族自決への重視から「在日朝鮮人の主体的意思」の無視が批判されていたが、上のインタビューでの大沼の主張はもはや民族自決ではなく、日本国籍喪失そのものを在日朝鮮人が批判しなかったことを問題視し、「日本国籍を回復する運動」を在日朝鮮人団体に提案している。

 こうした浅川=池田と大沼の対立は、帰化のみ容認論vs確認あるいは簡易国籍取得法制定論の対抗であると整理できる。つまり、在日朝鮮人の日本国籍取得の方法をめぐる争いなのである。浅川は日本政府と同じく「帰化」による日本国籍取得のみを認め、大沼は「確認」による日本国籍保持が可能であると論じる。そして両者の対立の背後には52年4月の日本政府の政策への相反する評価がある。

 対立と同時に共通点もある。以前にも指摘したことがあるように(「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」)、両者は歴史認識としては韓国併合=合法の前提のもと議論する点では立論の出発点を共有している。何よりこの枠組みでは外国籍を保持したままでの権利擁護の道が除外されてしまう。

 だが、在特会の「在日特権」論=特別永住許可批判が全力で粉砕しようとしているのは、まさにこうした道なのではないだろうか。在日朝鮮人が「祖国」の国籍を保持しつつ、居住地の日本における権利をいかに確保するか、という問いは当然のことながら上の議論の枠組からは出てこず、在特会への有効な批判にもなりえないだろう。また歴史認識としても、前者の問題、すなわち在日朝鮮人が日本国籍喪失の後、確かに日本国籍を有しないという意味での「外国人」になったが、自らの国の国籍を十分に日本で承認されてこなかったことの問題性が隠されてしまう。「朝鮮半島に新しい母国が建設されるのに、何を好んで屈辱的な日本国民になる必要があろうか。」という池田の揶揄は、その限りでは多くの人びとの信条を正しく表している。だからこそ、そうした心情を利用して在日朝鮮人の在留権を侵害しようとした日本政府と、それに対する当時の在日朝鮮人運動の批判に注意を払わなければならない。

 こうした狭まる土俵のなかだけで議論を続けることは、特別永住を例外的なものとして扱い、いずれは消滅させたいと願う在特会の利益にかなうものとすらいえるかもしれない。「国籍剥奪」をめぐる日韓交渉の歴史のなかで、国籍喪失に関する日韓合意のみが語られ、「在日韓国人」に対する出入国管理令の適用をめぐる対立があったことがあまり想起されないのも、こうした土俵の狭さと関係していると考えられる。浅川=池田的な「国籍剥奪論」批判への批判に邁進しても(歴史的事実の歪曲を正すことは必要だとしても)、結局は簡易国籍取得法という終着駅にたどりつくだけなのではないだろうか。

(鄭栄桓)

*1 例えば「池田信夫さんのブログ:在日はなぜ帰化しないのかの嘘」など。ただし、ここでの池田批判には「日本政府は、旧植民地出身者に国籍選択権を与えることを拒否し、韓国籍とすることも認めず、出身国の欄にただの地域名として「朝鮮」という記号を与えた」(金明秀)など、不正確なものもあるため注意が必要である。講和条約発効以前の1950年に法務府は外国人登録の国籍欄に「韓国」「大韓民国」と書くことを容認している。

*2 金英達によれば、52年4月28日付の『官報』に告示された帰化許可者のうち、原国籍が「朝鮮」の者は51名でいずれも公務員である。金は「条約の発効に先だって、その際に日本の公務員の地位にあった朝鮮人・台湾人のなかで、ひきつづきその地位にとどまらせることが相当であると判断した者については、便宜上条約発効前に帰化申請をさせ、発効の日付をもって許可するという措置をとった。外国人となる者をそのまま日本の公務員の地位に就かせておくのは適当でないと判断したためである」(金英達『在日朝鮮人の帰化』明石書店、1990年、10頁)と指摘している。

*3 日本政府は52.4.28に「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係所命令の措置に関する法律(昭和27年法律126号)」を制定、同法第2条第6項にて、条件を満たした在日朝鮮人・台湾人(講和条約発効にともなう国籍離脱者)は、「別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とした(法126-2-6)。これは出入国管理令上の在留資格とは異なる「在留の資格」であった。法126-2-6の対象となるのは、45年9月2日以前から52年4月28日まで「引き続き本邦に在留するもの」と、その者から45.9.3-52.4.28の間に出生した子である。逆に、(1)45.9.2-52.4.28の間に一度でも日本を出国・再入国した者、(2)52.4.29以後に出生した者は法126の対象とならず、個別のケースに従い入管令上の在留資格を得るか、資格を得られないまま在留した。

*4 この論文は1979年から80年にかけて『法学協会雑誌』に掲載され、2004年に『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』として東信堂より刊行された。

*5 ちなみに「民族差別」について大沼は次のように語っている。

「――よく言われるのが、日本は同化政策をとっている、ということですが、坂中英徳氏(東京入国管理局長)に言わせると、同化政策はとっていないが同化力が強い社会だ、ということで、「在日」側と日本人側で認識に違いがあるようです。
 認識の違いではなく、端的に「在日」側の認識の誤りだと思います。
――では、日本は同化政策はとっていないということですか。
 はい。坂中氏が言うように、確かに同化力は強く、社会的に排斥する無意識の行動様式は根強い。それは誰も否定しないでしょう。しかし、意識的な同化政策というのは、一時代前までは確かにとっていましたが、そんなものをいつまでも維持できるはずがありません。日本政府の政策担当者もそれほど愚かではありません。
――かといって、多民族を大切にしているわけでもないですよね?
 それは違います。
――民族教育に対して消極的だったり、どこか同化していったほうがいいと思っているような印象を受けるのですが。
 それはどこの国でも基本的にはそうでしょう。多数派にとっては、少数派が同化してくれれば自分は変わる必要がない。楽でいいわけです。社会に対してそんな理想的なことを求めても無理ですよ。友達だってそうでしょう?自分と全然違う考え、習慣をもった人より、自分と似ている人のほうが付き合いやすいじゃないですか。類は友を呼ぶ、という諺もあります。
――ということは、やはり多少の生きにくさは仕方がないということですか。
 いや、「在日」だけが生きにくいわけではなくて、みんなそれぞれに生きにくさを抱えているんです。私は前から言っているのですが、民族差別だけが差別ではありません。あなたは自信をもって性差別や身障者差別、老人差別をしてないと言えますか?私は言えない。民族差別を言う人だって、ほとんどは多かれ少なかれ、性差別者、老人差別者、身障者差別者、容貌差別者ですよ。自分は清く正しく生きられないのに、どうして他の人に対して清く正しく生きることを求めるのですか。」(168-170頁)


by kscykscy | 2014-10-11 00:00 | 出入国/在留管理