<   2014年 05月 ( 1 )   > この月の画像一覧

天皇と「国民主義的ナショナリズム」

 いま読むと隔世の感があるが、1999年の論文で渡辺治は「国民主義的ナショナリズム」による対抗運動について、次のようにその問題を指摘していた(強調は引用者。以下同)。

「ここで一つだけ強調しておきたいのは、支配層のこうしたイデオロギーに対し私たちは、かつて丸山真男らが考えたような国民主義的ナショナリズムで対抗することはできないのではないか、という点である。
  日の丸・君が代の法制化が浮上したとき、それに反対する論拠の一つとして、日の丸も君が代も、決してあのフランス三色旗やアメリカの星条旗のように革命や民主主義的討論の中から生まれたものではないという点が、少なくない論者によってあげられた。日の丸・君が代制定の経緯については、その通りではある。しかし、私は、この反論は決定的弱点を有していると思う。それは、この議論は、国民主義的ナショナリズムも帝国主義を生んだという問題に答えられないからである。端的にいえば、この議論は、日の丸・君が代の問題性を近代の不足[原文二字傍点]に求める。しかし、日の丸・君が代が持つ問題の本質は、そうではない。近代の帰結[原文二字傍点]としての帝国主義の問題なのである。[中略]
 言いたいことは、もちろん自由主義史観のように日本帝国主義の侵略戦争を相対化するためではない。そうではなくて、私たちが、現代において日の丸・君が代の法制化を問題にするのは、あの日の丸・君が代に込められた日本帝国主義の侵略行動が、現代の大国化の中で、よりソフィスティケイトされた形でであれ再現されようとしているからであり、その点では、日の丸・君が代が民主的に承認されてこなかったという問題は、現代の日の丸・君が代問題の焦点ではないのである。
 すでにくり返し強調したように、二一世紀の日本が戦争行動に参加する場合でも、それは決して日の丸と星条旗が戦う戦争ではなく、日の丸と星条旗が並んで[原文三字傍点]、「市場民主主義」や「人道を守る」ために行われる戦争がほとんどであろう。」(初出は渡辺治「日本の現代帝国主義化の新段階――第一四五国会の意味するもの」『飛礫』25号、1999年10月、引用は同『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成 天皇制ナショナリズムの模索と隘路』桜井書店、2001年、189-190頁)。

 つまり、現状の問題点を近代の不足(=「国民主義」的革命の未達成)によるものと捉える「国民主義的ナショナリズム」の対抗運動では、日の丸が現代帝国主義のもとで果たす役割を充分に批判できない、という主張である。日の丸・君が代が国民に押し付けられる、という側面ではなく、むしろ日本の侵略行動のなかで日の丸・君が代がどのような役割を果たしてきたのか、そして、いま新たな侵略行動においていかなる役割を果たそうとしているのかをつかまえ、撃つのでなければ、支配層のイデオロギーに対抗できない。これが99年の渡辺の主張であった。

 中西新太郎は、渡辺の指摘をうけて、現代の支配的イデオロギーに対抗するには「コロニアリズムにたいする徹底した思想的・実践的批判を本質的に備えた国家像、国家構想の彫琢が必要であろう。[中略]冷戦体制崩壊後の世界秩序に照らせば軍事力増強など不要といった類の現実認識やロジックに頼っていては、グローバル資本主義時代のいわば「勝ち組ナショナリズム」にはとうてい太刀打ちできない」と指摘している(中西新太郎「書評:渡辺治『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成 天皇制ナショナリズムの模索と隘路』」『歴史学研究』770号、2002年12月、22-23頁)。

 いずれも極めて重要な指摘であり、10年以上を経てさらなる右傾化が進んだ今日こそ、こうした視点は広く共有されるべきだと思う。むしろ、この10年間の右傾化は中西のいう「コロニアリズムにたいする徹底した思想的・実践的批判を本質的に備えた国家像、国家構想の彫琢」を回避し、この点を曖昧にしたかたちで対抗勢力が保守派や右派の取り込み(実際には取り込まれたのだが)に走った結果であった。和田や大沼、朴裕河らの「国民基金」派が、過度な日本批判こそが日本を右傾化させたとの責任転嫁の言説を繰り返すのは、再び「和解」のプロジェクトを推進するための宣伝であると同時に、こうした自らの「失敗」を顧みないための方便ではないかとも思う。

 ただ、今の渡辺がこうした日本帝国主義批判を語ることはほとんどない。むしろ「改憲に立ち向かうための保守との共同、地域に根差した運動、対案を示した国民的共同の構築で必死に頑張り抜くことを訴え」ている(『赤旗』2014年3月30日付 )。こうした戦略は、私には渡辺自身が批判した「国民主義的ナショナリズム」による対抗運動そのもの(あるいはさらに保守的なもの)としか思えない。右傾化の進展により、「国民主義的ナショナリズム」でも支配層のイデオロギーに対抗できる、あるいは、右傾化が進展したいまは「国民」を敵に回す過度な日本帝国主義批判は禁物である、と考えるようになったのかもしれないが、この点では前述の「国民基金」派の人びとと同様の現状認識にまで後退しており、日本帝国主義批判を欠いた「国民主義的ナショナリズム」の批判者から、推進者へと転換したといわざるをえない。

 ところで、こうした日本帝国主義批判を欠いた「国民主義的ナショナリズム」と関わって注目すべき問題として、天皇の位置づけがある。前述の論文で、渡辺は現代日本の支配層のイデオロギーについて次のように指摘していた。

「支配層が現代の大国化を正当化するには、インターナショナリズムと、伝統的ナショナリズムを国民主義的に再編成したネオ・ナショナリズムを併用する以外にないことは間違いないということを、あらためて強調しておきたい。それを天皇の取り扱いという点でいうならば、支配層の押し出す天皇像は、明治憲法的・権威的天皇から、「象徴」的天皇像への転換ということになる。そして、国民統合の理念としては、民主主義的理念が押し出され、天皇はこうした民主的な日本国家の象徴として喧伝されるに違いない。憲法改正による自衛隊の海外出動態勢の正当化も、イデオロギーとしては、「国際貢献」と、「世界の平和秩序形成への責任」、という議論で行われるに違いない。
 総じて、新たな軍事大国化は、決してカーキ色の軍服と民主主義の破壊、天皇制による国民の統制というおどろおどろしい格好では登場しないことだけは肝に銘ずべきであるというのが、ここで最も強調したい点である。」(前掲『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』189頁)

 第二次安倍政権を知る立場からみると、「新たな軍事大国化は、決してカーキ色の軍服と民主主義の破壊、天皇制による国民の統制というおどろおどろしい格好では登場しない」という指摘はいささか楽観的にすぎるようにも思えるが、ひとまずそれは措こう。重要なのは、前述したように、ここで支配層のイデオロギーとして想定されている「伝統的ナショナリズムを国民主義的に再編成したネオ・ナショナリズム」が、いまでは帝国主義批判を欠いた対抗運動によって掲げられ、支配層のイデオロギーを補完していることである。

 とりわけ天皇が重要な要素として登場していることに注目したい。ここで渡辺が支配層のイデオロギーの重要な要素とみなす「民主的な日本国家の象徴」としての天皇像は、支配層にとどまらず、対抗運動においても相当な影響力を有するといえる。むしろ、天皇こそが平和主義者である、といった言説は、安倍政権批判の論法として「護憲派」のなかではかなりの影響力を持っている。昨年の「主権回復の日」の政府式典における「天皇陛下万歳」の唱和について、実は天皇自身が一番嫌がっている、という論法での「批判」をよく見かけた(直接聞いたこともある)が、これも同種のものであろう。もちろん、天皇が現行憲法を遵守するのは当たり前のことであるし(もちろん改正後の憲法も守るだろう)、むしろ天皇の何らかの「意思」が憲法改正論議に何らかの影響を与えることの方がよっぽど恐ろしいと考えてしかるべきであるにもかかわらず、君主の人格に依拠する「国民主義的ナショナリズム」の運動など倒錯以外の何者でもない。

 他方、こうした天皇と「国民主義的ナショナリズム」の蜜月に関連して気になるのが、「戦争責任を自覚する日本国家の象徴=天皇」像の流布である。渡辺治は前述の『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』のなかで、日本の軍事大国化には「戦後民主主義」と「アジア諸国民の警戒」という二つの障害物があり、前者は90年代に相当弱体化したが、後者は日本帝国主義の過去(「第一の侵略」)への批判に加え、現在の日本企業のアジア進出(「第二の侵略」)への反発もあってむしろ強まったので、これを緩和して軍事大国化と国連安保理常任理事国入りを認めさせるために河野談話が出た、と指摘していた(208-210頁)。2000年代を通して「アジア諸国民の警戒」への警戒も、「支配層」のみならず対抗運動にまで拡がったと考えられるが、近年の動向をみると、むしろこちらの方がより深刻な問題を含んでいるのではないかと思える。

 とりわけ象徴的だったのは2012年の李明博元大統領の天皇謝罪発言への反応である。李明博が2012年8月、天皇の訪韓の条件として独立運動家への謝罪を求める発言をしたことに対し、『朝日』や『読売』は「日韓関係をひどく傷つける」、「礼を失している」と批判、衆議院は「極めて非礼な発言」とする非難決議を採択したが、いずれも天皇の植民地支配責任という肝心な論点については全く言及せず、「不敬である」とでもいわんばかりの問答無用の反発に終始した。

 わずかに共産党が「非礼」論とは異なる批判を展開したが、それも「(いまの)天皇というのは憲法上、政治的権能をもっていない。その天皇に植民地支配の謝罪を求めるということ自体がそもそもおかしい。日本の政治制度を理解していないということになる。日本政府に対して、植民地支配の清算を求めるならわかるけど、天皇にそれを求めるのはそもそもスジが違う」という憲法解釈からの説明で(『赤旗』2012年9月11日付 )、結論としては同じく李明博発言批判であった。

 もちろん、直後に曖昧にされたことからもわかるように、李明博の発言がどこまで本気だったかは怪しいものであるが、少なくともそこで問題とされていたのは、朝鮮独立運動の弾圧への天皇の責任、という植民地支配に関わる重要な問題であった。日本国憲法における天皇の地位や権能などは、あくまで日本側の事情であって、少なくとも朝鮮や中国からみれば、そんなことは些細な問題にすぎず、現に「天皇」としてその地位が存続している以上、かつての「天皇」の責任を継承していると考えるのが当然だろう。しかし、当時この論点に踏み込んだ言及はほとんどなされなかった。

 ただ、例外的な言及として、国際政治学者の坂本義和による次のような李明博発言批判があった。

「李大統領が、天皇の具体的な謝罪行為まで求める発言をしたのは、明らかに失言である。日本の戦争責任を日本の一般の政治家や国民以上に痛感している点で、私も敬愛を惜しまない現天皇について、あまりに無知であり、恥ずべきである。」(坂本義和「歴史的責任への意識が問われている 自省にもとづく紛争解決」『世界』836号、2012年11月、39頁)

 普通に考えれば、戦争責任を誰よりも痛感しているならば謝ればよいはずだが、坂本の論法だと、責任を痛感している天皇に謝罪を求めるのは「無知であり、恥ずべきである」ということになる。『朝日』らが植民地支配責任の問題を避けるかたちで「非礼」と反発したのとは異なり、坂本は、こんなに戦争責任を自覚している天皇に独立運動家への謝罪を求めるなど恥知らずだ、と憤ったのである。驚くべき「リベラリスト」である。

 何より問題なのは、「戦争責任を自覚する日本国家の象徴」像が、アジアからの戦争責任追及を抑圧するために呼び出されていることである。こうした天皇像は、「護憲派」の多くが共有する戦後国家像(=自画像)に適合するものであろう。上にみたように、ほとんどは天皇の植民地支配責任を論じること自体を避けたが、実際にはこうした天皇に関する坂本のような「感覚」は、「リベラリスト」のなかでは相当程度共有されているのではないだろうか。こうした天皇像が、前述の「民主的な日本国家の象徴」としての天皇像と切り結び、批判のイデオロギーとして機能するとき、渡辺のいうところの「ネオ・ナショナリズム」は内には諸勢力を統合し、外には「アジア諸国民の警戒」に備える支配的なイデオロギーとして「完成」する。やはり日本ナショナリズムは天皇抜きにはありえない。

 「3.11」以後、日本国内においてはこのイデオロギーの「完成」に近づきつつあるように思うが、他方でこうした天皇像の押し付けを、そうやすやすとアジアの人びとが受け容れるわけはない。だが、もしそれがなされるとすれば、おそらく最も切り崩し易い在日朝鮮人や韓国がねらわれるはずである。そうした意味では、在日朝鮮人を含む朝鮮民族の近現代史に関わる諸種の歴史修正主義への批判(=日本帝国主義批判)は、引き続き緊急性を有していると同時に、現在の「ネオ・ナショナリズム」批判にとっても極めて重要な位置を占めているといえるだろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-05-04 00:00 | 日朝関係