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「日本は世界で最も開かれた国なのです」(金時鐘)

 中野重治の「ある側面」という文章に、魯迅の文学についての次のような一節がある。
「政治的発言をした文学者はたくさんいた。正しく政治的発言をした文学者もたくさんいた。しかし魯迅は、彼の人間的発言、彼の文学的発言が、多くの場合ただちに、政治的な言葉を伴わない、しかしもっとも痛烈な政治的発言であった。ここに子供がいる。その子を目がけて狂犬が飛びかかってくる。それを見たある人々が、いかにも政治的であるかのように自分で思い込みながら、小児と狂犬との距離は急速に縮小しつつある、という風にいってつっ立っている。飛び出してきて魯迅が叫ぶ。その犬をうち殺せ、子供をさらいこめ。人が思わず犬にとびかかろうとする。子供の帯をつかまえようとして、思わず手を出す。そこに魯迅の文学の特殊の感銘があった。」(『魯迅案内』岩波書店、1956年、36-37頁)
 『毎日新聞』(2013.3.6付、大阪朝刊)「論ステーション:朝鮮学校、無償化ならず」はここでの狂犬と小児の比喩を思い出させる、なかなかに醜悪な特集だった。この比喩にならうならば、狂犬がバリバリと小児を喰らっている横で、小児に罪はないが犬よもっと喰らえ、それが小児のためだ、と絶叫しているのが有本。木村幹は、まさしく「いかにも政治的であるかのように自分で思い込みながら、小児と狂犬との距離は急速に縮小しつつある、という風にいってつっ立っている」識者で、そんなもん喰ってもいま必要な栄養は補給できないヨ、と犬にアドバイスしている。誰も「その犬をうち殺せ」とは言わない。

 有本と木村はもとより狂犬の側であるから特に驚きはしないが、この記事で最も愚かで哀れなのは、狂犬の脇で弱々しく批判めいたことを言いながら、小児にも問題あるけどあなたは本当はそんな犬じゃないでしょうと哀願する金時鐘である。なかでも「日本は世界で最も開かれた国なのです」という一文は凄まじい。政府が、朝鮮高校生を無償化から排除していることについてのコメントで、この一言をいえてしまうとは、自分が何について話しているのか理解しているのだろうか。事実として完全に誤っているこの一文には、これまでの金のすべての文の価値(それがあればの話だが)をまるごと粉砕するほどの破壊力がある。

 金はこう言う。確かに朝鮮学校では偏った教育が行われているかもしれないが、「日本は世界で最も開かれた国」だから、日常的にそうした知識は修正されて学校のいうとおりにはなりませんよ、だから大丈夫ですよ、と。驚くべきことに、金のこうした論理は、朝鮮学校の教育はおかしいといっている点では有本と共通しているのだ。有本は、だから子供たちは卒業したら日本の社会で苦しむ、よって朝鮮学校は有害だから無償化なんか絶対ダメだ、といっている。おそらく有本には、自らの所属する社会が、朝鮮学校卒業生に大して確実に「自分たちがおかしな教育を受けたと気付いて、大きな抵抗を感じ」させるよう追い込む力を持っていることへの自信があるのだろう。もちろん、普通そういう抑圧の働く社会を「開かれた国」とはいわない。

 だが、金はどうか。もしかしたらこの人は、有本の暗い確信とは別の意味で、本当に日本が「開かれた国」だと思ってるのかもしれない。確かに、9.17以降の金の発言には、一貫して危ういナイーブさと、同胞全体を勝手に代表しているかのような傲慢さが漂っていた。そしてそういった発言をすればするほど、一部での金の人気は高まっていった。しかし、金時鐘をまつりあげる日本のインテリが増えたことと、現在の日本社会の抑圧性・閉鎖性の解消は何の関係もない。当たり前すぎる話である。むしろ、このように金が日本社会の「開放性」を言明することで、ますますこの社会に生きる人々は反省しなくなるだろう。朝鮮学校の無償化排除への批判も、「開かれた国・日本」の度量を示すという話にすりかえられる(木村幹を見よ)。差別をやめろといわれているだけなのにもかかわらず、である。

 今回の金のコメントは見事にその役割を果たした。絶対に、何があっても、断固として、「越境」などしたくないとの確信を抱かせるコメントであった。
by kscykscy | 2013-03-13 00:00 | 朝鮮学校「無償化」排除問題