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閑話休題:「教育と外交(政治)は別」という言葉について

 朝鮮高校生の「無償化」からの排除は明らかに外交的理由によるものである。つまり、「無償化」を認めると、現在政府が「制裁」を科している朝鮮民主主義人民共和国を利することになる、と民主党政権は判断し、就学支援金の適用の判断を外交の論理――というよりも、「制裁」の論理に従属させたのである。誰の眼にも明らかであったこうした排除の動機について、当初民主党政権は否定し詭弁を弄していたが、天安艦沈没事件後、この詭弁すら放棄して居直るに至った。

 さて、これに対する批判として「教育と外交(政治)は別」という言葉をしばしば耳にする。この言葉は一面では正しい。確かに、就学支援金制度創設の趣旨を鑑みれば、外交上の理由で朝高生のみを支給から排除するのは許されない違法な行為だ。ただ、「教育と外交は別」のスローガンは、一種の曖昧さと弱さを残しているのではないかと思う。

 「教育と外交は別」には以下の三つの用法がある。

(1) 正しい用法

 本来、「教育と外交は別」という言葉を仮に用いるならば、朝鮮高校生がいずれも朝鮮民主主義人民共和国の公民であり、かつ、個々の信条として共和国を支持していたとしても、それとは無関係に就学支援金は支給されるべきだ、という意味で用いるべきであり、これが唯一正しい用法である。つまり、在日朝鮮公民が日本で朝鮮の公民教育を受ける権利の尊重と、日本の対朝鮮外交とは別だ、という意味である。これは現行法における就学支援金支給の要件からも当然に導かれる原則であり、いわば、日本政府は自らの定めた法を遵守せよというスローガンに等しい。問題の根本は日本政府の違法な行為にあり、これを前提としてのみ、「無償化」排除批判論は権利論としての相貌を保ちうる。

 但し、この正しい用法においても、「教育と外交は別」というスローガンは、朝鮮への「制裁」については態度を留保するものとなる。というよりも、留保していることをアピールする面すらあるともいえる。もちろん、現行法上「制裁」解除が「無償化」適用の必要条件ではないことは明らかなのであるから、あえてこの論点に触れずに「教育と外交は別だ!」とのスローガンを用いることがただちに問題であるとは言い切れない。ただ、現実に「制裁」が在日朝鮮人の諸権利を制約する重要な前提となっている以上、「制裁」反対無き「無償化」排除批判は不充分であり、弱さを残していると思う。

 そうした意味で、「正しい用法」であっても、特に用いる必要はないように思う。「「無償化」を適用せよ!」で充分だろう。

(2) 誤った用法

 しかし、現在「教育と外交は別」というスローガンは全く誤った意味において用いられることが多い。それは、朝鮮高校生には韓国籍者や日本国籍も多く「北朝鮮」とは直接の関係はない、学校運営においても「北朝鮮」とは距離を取っている、だから就学支援金を支給すべきだ、という用法である。この用法によれば、日本政府は朝鮮学校の性格を誤認している、という主張になるのであるから、厳密にいえば「教育と外交は別だ!」とは言っていないことになる。ここで実際に叫ばれているのは、「教育と外交は別だ!」ではなく、「朝鮮高校(生)と朝鮮民主主義人民共和国は別だ!」というスローガンだからだ。

 ここでは問題の根本は日本政府の無知にあることになり、「知って下さい、見て下さい、国益になります」が問題解決の唯一の手段となる。こうした思考からは権利論の生じる余地は無い。しかも、朝鮮民主主義人民共和国と密接な関係を有する教育機関である場合排除していいのか、という問いとの対決を避けているため、「教育と外交は同じだ!」という主張を許容する余地を残すものとなっている。

 というよりも、この用法はむしろ朝鮮への「制裁」を容認し、かつ「無償化」適用を擁護するために編み出されたといってもいい。朝鮮民主主義人民共和国への「制裁」は必要だが、それと朝鮮高校生は別だ、という『朝日新聞』の主張などはその典型といえよう。

(3) 悪用

 さらに悪いのは、「教育と外交は別」という曖昧さを残したスローガンが後者の意味として誤認されて流布した状況に乗じて、これを朝鮮学校に対する教育干渉の論理として用いるケースである。つまり、朝鮮民主主義人民共和国との関係を有しているから「無償化」から排除するのだ/されるのだ、「教育と外交(政治)は別だ!」、関係を断ち切れ、と。言うまでも無く、これは橋下の用法である。しかし、橋下だけではなく、「無償化」排除批判論者の一部にもこうした心性は共有されている。

 現在の日本で見られるのは、ほとんど(2)か(3)の誤った用法である。おそらく主観的には誤った用法との意識は無いのであろう。以前に触れた「朝鮮籍者は朝鮮民主主義人民共和国国民ではない!」と主張した共産党議員の「無償化」適用擁護論が悪意より発しているとは思わないが、結果としてこうした擁護論がもたらすのは、在日朝鮮人の権利の後退である。しかも、(2)は、(3)の朝鮮民主主義人民共和国と関係を有する教育機関は排除してよい、という主張について対決せず、事実上容認する論理に立つため、被害を拡大させることになる。

多くの場合、主観的には(2)の立場の人間は、自らを(1)と近しい立場であり、(3)とは敵対すると考えている。だから批判されると「何で味方なのに批判するんだ!」と逆ギレする場合が多い。しかし、実際に(2)が論理のレベルで対立しているのは(1)であり、(3)とは親和的である。むしろ、この(1)と(2)の対立が十分に認識されないところに、問題の深刻さがある(私の金明秀批判をめぐるnosなる人物の対応はその典型といえる)。

 いずれにしても、比較的よく使われる割には、「教育と外交は別」という言葉を用いる利点は無いように思える。使用を控えた方がいいのではないだろうか。
by kscykscy | 2012-05-16 00:00 | 朝鮮学校「無償化」排除問題

金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」について――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑬

 “SYNODOS JOURNAL”に金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」が掲載された。
  http://webronza.asahi.com/synodos/2012051100001.html

  このQ&Aは、このブログで幾度か批判した、金のいうところの「リスク社会」における「新たな運動戦略」の実践篇とでもいうべき内容となっている。すでに朝鮮学校が再三述べてきた主張を取り入れている部分を除けば、金のオリジナルの部分の論理は前にも指摘したように『朝日新聞』のラインの無償化適用論であるといえる。さまざまな問題点があるが、ここではさしあたり重要な問題点に絞って指摘したい。

 *参考 
  朝鮮学校「無償化」排除問題 http://kscykscy.exblog.jp/i6
  抗議 http://kscykscy.exblog.jp/18212443/

  第一に、このQ&Aは朝鮮学校の教育「内容」に踏み込み、無償化排除問題を論じてしまっている。

 具体的に、金は朝鮮学校は「反日教育」をしておらず、朝鮮民主主義人民共和国とは異なる「教育制度」の「在日コリアンの学校」である、と主張する。しかし、無償化排除問題の焦点は朝鮮学校の教育「内容」ではない。こうした「反論」に有効性は無く、むしろ論点を朝鮮学校の教育「内容」へと固定する効果を生む。

 例えば「【Q9】反日教育をしている朝鮮学校に公金を支出するのは抵抗がある。」という問い。この問いへの正しい答えは、具体的な教育内容は就学支援金の支給とは関係がない、である。

 しかし、これに対し金明秀は、朝鮮学校では反日教育をしていない、と誤った答えを与える。しかも、その論証の方法は、20年近く前に実施された調査における、朝鮮学校に通ったことのある人間の各国への愛着度の提示、というものである。そもそも卒業生の意識は朝鮮学校で反日教育がなされていないことの直接的な「論拠」にはなりえない。もし、本当にこうした反論をするためには、当然ながら、朝鮮学校の教育「内容」の検討に踏み込まざるを得なくなる。そして実際、『産経』や極右知事はそうした方法を採っている。つまり、金の解答はそれ自体が不適切である上に、反論にすらなっていない。

 これでは「教育内容は変わったから適用しろ」(『朝日』)→「じゃあ見せてみろ」(『産経』・知事)→「見たんだから許してやれよ」(『朝日』)→「当日だけそうしたのではないか、もっと見せろ」(『産経』・知事)⇒「〔一緒に〕もっと見せろ」(『朝日』『産経』)の無限ループを止めることはできない。それどころか拍車をかけることになる。朝鮮学校の教育「内容」が論点であるという前提自体を許している限り、この状況を脱することはできない。

 そして、特に強調しておきたい重要なポイントだが、そもそも、現在の朝鮮高校無償化排除をめぐって知事や極右メディアが問題としているのは「反日教育」云々ではない。朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮総連との関係である。というよりも、おそらく排除派は現時点では「反日教育」問題を論点とすることを意識的に避けている。

 なぜか。もし「反日教育」問題として論を立てると、当然ながら韓国学校・中華学校の教育「内容」の問題にも飛び火することになり、アジア系の外国人学校全体を批判せざるを得なくなる。逆に言えば朝鮮学校と韓国・中華学校を連帯させかねない。おそらく排除派からすれば、民団が朝鮮学校の無償化排除に賛成して在日朝鮮人団体が分断している現状は大変好ましいものであり、わざわざ「反日教育」問題という新たな論点を立てるような真似はしないだろう。よって注意深くこの論点を避け、「拉致を行い不法なテロ国家である朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮総連との関係」という問題から一点突破しようとしているものと思われる。しかも、この議論ならば、民団が極右に成り代わって主張しているように、民族的マイノリティの教育を否定しているわけではなく、朝鮮総連と関係を有する朝鮮学校を否定しているだけだ、という弁解が成り立つ。

 金は『人権と生活』のエッセイ以来、一貫して朝鮮学校の「反日教育」という論点を重視しているが、これはこうした現状を全く理解していないものといわざるを得ない。

 第二に、第一の問題と関連するが、このQ&Aは朝鮮学校を「民族的マイノリティの学校」としてのみ規定してしまっている。

 例えば、「【Q2】北朝鮮とは国交がなく朝鮮学校の教育内容を確認できないので、「高校無償化」の対象から外されているのではないか」という問いへの金の答えにそれは典型的に現れている。

 金は文科省令の以下の三類型、
(イ)高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの
(ロ) その教育活動等について、文部科学大臣が指定する団体(国際的に実績のある評価機関)の認定を受けたもの
(ハ) 文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるもの
 のうち、朝鮮学校が(イ)には該当しないことを前提としている。しかし、常識的に考えれば朝鮮学校は明らかに(イ)に該当するはずであり、だからこそ、文科省は(イ)に該当させないための詭弁を弄したのである。そして、文科省は(ハ)にあたるかどうかというレベルへと問題を自らの都合のいいように後退させたのである。

 しかし金はこの点を理解せず、(イ)に該当しないことを大前提としてしまう。ここで金は「第二に、そもそも朝鮮学校は「北朝鮮の高校に相当する」学校ではありません。というのも、北朝鮮の学校と朝鮮学校とでは教育制度が異なるからです。北朝鮮では、幼稚園が1年、小学校4年、中学校6年の計11年が義務教育です。一方、朝鮮学校は日本の教育制度に合わせて6-3制をとっています。したがって、たとえ北朝鮮政府と外交関係があったとしても、「朝鮮学校が北朝鮮の高校に相当する」ことを証明できるかどうか極めて微妙です。」と述べる。

 これは韓国学校や中華学校と同じ適用ルートから朝鮮学校を外すことを、在日朝鮮人の側から主張してくれたわけであるから、文科省にとっては大変好ましいものといえる。文科省の詭弁の矛盾をつくことができない。

 しかも、ここでいう「外国の学校の課程と同等の課程を有する」とは、金のいうような朝鮮学校が「北朝鮮の高校に相当する」という意味ではない。(イ)ならば、その判断は朝鮮民主主義人民共和国側によるものとなるが、(ハ)のみ該当となると当然、文科大臣のみとなる。もちろん、だとしても文科省の除外措置は違法であるが、(イ)の可能性を除外してしまうのは大問題である。

 これは金がこのQ&Aにおいて、朝鮮学校は「北朝鮮の高校」ではなく、「民族的マイノリティの学校」として押し出す戦略を採ったことから帰結したものといえる。しかし、この結果、無償化排除後に現在地方自治体が行っている補助金削除における教育「内容」への干渉への有効な批判をなしえていない。

 また、金は「【Q8】閉鎖的な朝鮮学校の側にも問題がある。お互いに理解に向けて努力すべきでは」と問いを立て、「日本の新聞各社は朝鮮学校の「無償化」除外を批判しながら、一方で朝鮮学校も閉鎖性を改善すべきだと社説に書いています。どうやら、朝鮮学校が閉鎖的であるというイメージはずいぶん強固なようです」と答えて、朝鮮学校が閉鎖的でないことの説明を試みる。

 しかしこれは「反日教育」と同じく、問いの設定自体が極めて不正確である。金は「新聞各社」の具体名を挙げていないが、無償化適用賛成論の『朝日新聞』の場合、朝鮮学校が閉鎖的で問題があることの指摘は、さして重要なポイントではない。『朝日』らが重視しているのは、朝鮮学校の教育「内容」の変化と朝鮮総連との関係である。以前にも言及したが、例えば以下の二つの社説を見てみよう。
「だが在日の世代交代が進む中、教育内容は大きく変わった。大半の授業は朝鮮語で行われるが、朝鮮史といった科目以外は、日本の学習指導要領に準じたカリキュラムが組まれている。/北朝鮮の体制は支持しないが、民族の言葉や文化を大事にしたいとの思いで通わせる家庭も増えている。/かつては全校の教室に金日成、金正日父子の肖像画があったが、親たちの要望で小・中課程の教室からは外されている。そうした流れは、これからも強まっていくだろう。」(『朝日』社説、2010.2.24)

「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。/その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。/多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。」(『朝日』社説、2012.3.3) 
  つまり、朝鮮学校の教育「内容」は、朝鮮民主主義人民共和国とは距離をとるものになっている、だから、適用すべきだ、と主張している。前提となっているのは、あくまで朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮総連との関係である。

 すでに述べたように、同じく、現在自治体や右翼メディアが問題としているのは「マイノリティの教育」の実践ではなく、また、「反日教育」の有無でもない。それは朝鮮民主主義人民共和国並びに朝鮮総連との関係であり、具体的に各知事は拉致問題を知事の指示通りに教授せよと干渉している。よって「民族的マイノリティの教育」を擁護することは、現行の無償化排除問題における有効な批判になりえず、むしろ『朝日』を初めとする朝鮮学校の教育「内容」修正=無償化適用論と相補的といえる。

 このように、金は排除派の主張に正面から反論しない。金は、在日朝鮮人の自主的な民族教育権(もちろんそこには朝鮮民主主義人民共和国の公民教育を行う権利も包含される)の擁護ではなく、むしろ朝鮮学校が「民族的マイノリティの教育」であると表象することによって迂回的にこれを「擁護」しようとするため、結果的には現在問題となっている排除継続への有効な反論となっていない。それどころか、むしろ論点を誤った方向へと誘導しかねない。

 これは、金が「【Q10】そもそもなぜ日本生まれの四世、五世にもなって民族教育を行う必要があるのか。日本の公立学校に通えばいいのでは。」という問いに対し、日本の公立学校の教育内容が日本人に限定された民族教育だからだ、と誤った答えを与えるところにも現れている。これでは民族教育の存在意義は、日本の公立学校の教育内容の改善問題と関連付けられることになってしまう。そもそも日本の公立学校における教育を「民族教育」と捉えるべきか疑わしいが、それはおくとしても、この理屈だと日本の公立教育が十分に多民族・多文化を尊重するものへと転換し生徒の「自尊心」が満たされるならば、朝鮮学校の存在意義は消滅する。しかし、朝鮮学校の存在意義は差別的な日本の学校の代替のみにあるわけではない。

 また、金は「移民の子孫は「国家と国家の懸け橋」にたとえられることがありますが、朝鮮学校出身者は日韓朝3か国の懸け橋になれる可能性を持った貴重な人材です。「反日教育をしている」といった根拠のない偏見によってその価値を否定するのは、とても残念なことです」と述べているが、こうしたこれまでウンザリするほど繰り返されてきたレトリックは、権利としての民族教育という視点を欠いた、在日朝鮮人を道具視するものであり、一部のマスコミ業界内在日朝鮮人を除けば、実態にすら合っていない。

 以上のみたようにこのQ&Aは、(1)朝鮮学校の教育「内容」という排除論者の土俵に乗ってしまっている、(2)排除論や巷間の「誤解」の焦点を「反日教育」問題であると誤解している、(3)朝鮮民主主義人民共和国との関係という排除論の主論点に関わることを回避し、「民族的マイノリティの学校」論へと逃げている、という問題を抱えている。これらはこれまで繰り返し指摘した金のエッセイ以来の問題点を継承したものといえる。しかし、同じく繰り返し述べてきたように、必要かつ有効なのは日本社会にとって受け容れられやすいものへと変化したことのアピールではなく、もちろん、在日朝鮮人の「懸け橋」アピールでもなく、在日朝鮮人の民族教育権の擁護/日本政府の不法性の徹底的な追及である。
by kscykscy | 2012-05-13 16:33 | 朝鮮学校「無償化」排除問題

歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(5)

6.朝鮮民主主義人民共和国は日本が「敗戦時に捨ててきた過去」?

 以上で「帰ってきた朝鮮出兵:植民地問題をまじめに考える」をほぼ全て引用した。

 これまで見たように與那覇の朝鮮観・植民地観は極めて杜撰なものである。この本には他にも朝鮮に関する言及が散見されるが、なかでも朝鮮民主主義人民共和国に関する記述は単なる力量不足に留まらず、粗野なイデオロギーの剥き出しの発露となる。レーニンに関する箇所で触れたが、與那覇は現在の「論壇」の空気上、叩いても構わないとみなした対象に対してはおそろしく乱暴に扱う傾向があるが、朝鮮民主主義人民共和国に関する記述にはそれが最も端的に現れる。

 例えば、この本の「結論」にあたる第十章の「北朝鮮化する日本?:日本の未来予想図②」で與那覇は、「中国化」に反対する「右」の主張――「品格ある国家」「反フェミニズム」「教育基本法改正」「道徳教育徹底」「派遣労働反対」「資本の国外移転反対」「憲法停止」――を列挙し、「そこまでやったら北朝鮮と変わらないジャン」と揶揄した上で、次のように記す。 
「中国化とはグローバル化の別名ですから、あくまでも対抗して江戸時代風の社会を維持するとなったら、それは北朝鮮のように鎖国するほかない。
 むりやり日本を「再・再江戸時代化」するには、要するに「北朝鮮化」しか方法がないのです。というよりもむしろ、建国当初に「江戸時代化」したまま一切の変化を拒絶して、来るところまで来てしまったのが現在の北朝鮮だということもできます。」
  ここで何らの説明なく用いられる「北朝鮮化」なる言葉は、「江戸時代は主体思想の夢を見たか:北朝鮮問題をまじめに考える」という節で初めて登場する。
「小単位ごとの自給自足体制(それ自体が飢餓の一因となることが多い)ゆえに、統治機構のトップ(やはり、彼自身が飢餓をもたらしている疑いが強い)に解放者としての期待を託してしまうという点だけを見れば、確かに江戸時代は北朝鮮に似ていなくもない。国民の海外渡航を禁じ、極端な貿易統制を敷いているので亡命や食糧輸入の道が閉ざされている点も同じですね。
 要するに、東アジアの歴史的な文脈の上では、条件さえ整えば日本も含めてどこでも「北朝鮮化」する可能性があるのだと思っておいた方がいいのです。この感覚の有無が、あまたの北朝鮮論のうち、単なる「バッシング」と有意味な「分析」とを区別する指標になると私は考えています。
〔中略〕
 というか、むしろ江戸時代より後の日本が、共産化や個人崇拝へと突き進まず、それなりに議会制自由民主主義に似ていなくもない近代化のルートに乗れたことの方が、ひょっとすると奇跡だったのかもしれないと思うことがあります」(p.111-112)
  これは果たして「分析」だろうか。與那覇はある面からみれば「江戸時代は北朝鮮に似ていなくもない」、だから「東アジアの歴史的な文脈の上では、条件さえ整えば日本も含めてどこでも「北朝鮮化」する可能性がある」、という。もちろん、ここでも「北朝鮮化」なる概念の定義や説明は一切ない。そもそも、與那覇の「似ていなくもない」という判断は、恣意的かつ超歴史的に要素を抽出した結果なのだから、同じような「方法」を使えば、どこにでも「北朝鮮化」と「似ていなくもない」事象を探し出すことは可能だろう。なお、近代日本は「個人崇拝」ではなく、「議会制自由民主主義に似ていなくもない近代化のルート」を歩んだことを「奇跡」とする認識の問題点については後述する。

 ついでに書いておくと、この本の基本的コンセプトは「中国化」でも「江戸時代化」でもなく、この「似ていなくもない」という言葉にある。宋代の中国と現在のグローバル化は「似ていなくもない」(だから「中国化」で括れる)、江戸時代と1930年代の日本は「似ていなくもない」(だから「江戸時代化」で括れる)、江戸時代と現在の北朝鮮は「似ていなくもない」(だから「江戸時代化」≒「北朝鮮化」)、というわけだ。「似ていなくもない」史観とでも呼んでおこうか。與那覇は「この感覚の有無が、あまたの北朝鮮論のうち、単なる「バッシング」と有意味な「分析」とを区別する指標になると私は考えています」と誇っているが、普通こういうのは「思いつき」というのであって「分析」とは呼ばない。

 さて、本題に戻ろう。「北朝鮮化する日本?:日本の未来予想図②」では與那覇は続けて次のように書く。
「北朝鮮についての学術的な研究書なら、著者の政治的な立場を問わず書いてあることがですが、北朝鮮のあの特異な体制というのは、李朝の儒教原理主義的な王権や檀君神話があったところに、帝国時代の日本の天皇制や国体論、戦時下の総力戦体制や軍国主義、独立後はソヴィエト=ロシアのスターリニズムや共産中国の毛沢東主義……といった、近代の北東アジア全域からさまざまな経路で流れ込んだイデオロギーのアマルガム(ごった煮)です。
 よくもまあここまでダメなものばかり摂取したなあとも思いますが、これは笑いごとではなくて、ある意味で政治と思想は中国様式、経済と社会は日本様式という形で戦時期に実をつけた昭和日本のあのブロンが、当時植民地だったかの地域だけその後も育ち続けたとみることもできる――国体護持のためには餓死をも辞さず、という「あの戦争」を支えた日本人が、あの地域にだけはまだ残っているのだと考えれば、かの国の一見非合理な行動様式も理解がつこうというものです(和田春樹『北朝鮮』)。
 いわば私たちが敗戦時に捨ててきた過去、パラレルワールドのような「ありえたかもしれないもうひとつの日本」がそこにあるともいえるのであって、北朝鮮に言及しない昭和ブームなんてなにほどのもんなのだろう、と私は思います。
 さる朝鮮研究者の方も仰っていたことなのですが、どういうわけか昨今のわが国では、北朝鮮が嫌いな日本人ほど日本を北朝鮮にしたがる傾向がある気がします。北朝鮮でさえ核武装したのだから日本もそうしろ、経済封鎖で飢えても国家独立のためなら我慢すべき、とか。強力な外交のために報道の自由も規制しろ、政府の命令に従えない人間に人権なんか認めるな、とか。徴兵・徴農で過酷な現場に放り込んで甘ったれた国民性を叩きなおせ、とか。
 たとえばかのような人々の存在が、私が北朝鮮を東アジア史上におけるブロンの一類型と見、近隣社会の歴史的文脈ではいつでもそうなる可能性があると、判断する所以なのです。」(p.282-284)
  「よくもまあここまでダメなものばかり摂取したなあ」という嘲笑は與那覇にこそふさわしい。具体的な問題点を見てみよう。

 まず、朝鮮民主主義人民共和国は「建国当初」から「鎖国」しているわけではない。米韓との間では戦争状態が継続しており、また米韓日の経済制裁を受けているため著しく対外活動を制約されているが、数多くの国々と国交を結んでいる。また、現在の状況は明らかに90年代以降に形成されたものであって、「建国当初」からのものではない。これは別に「最新の研究」によらなくとも、教科書レベルの認識である。和田春樹の著書にも書いてある。

 また、「北朝鮮についての学術的な研究書なら、著者の政治的な立場を問わず書いてある」とハッタリをかまし、特に典拠を挙げずに「アマルガム」云々と書いているが、おそらくこの箇所は和田の「北朝鮮の政治文化の特徴はすぐれてプラグマティックな折衷主義文化である」(和田『北朝鮮』、p.134)という記述に依拠しているのだろう。和田は朝鮮の伝統文化やソ連文化、キリスト教などを挙げているが、與那覇は和田が列挙するものに「李朝の儒教原理主義的な王権や檀君神話」「帝国時代の日本の天皇制や国体論」などを付け加える。

 この記述の問題点は三つある。第一は朝鮮民主主義人民共和国の「政治と思想」を他律的なものと位置づけることである。「政治と思想は中国様式、経済と社会は日本様式という形で戦時期に実をつけた昭和日本のあのブロンが、当時植民地だったかの地域だけその後も育ち続けた」という記述からは、與那覇が朝鮮の「政治と思想」の固有性をほとんど認めていないことが読み取れる。これは中国の歴代王朝と「大日本帝国」に翻弄された存在としてのみ朝鮮をみなす、再版他律性史観である。

 第二はこれと表裏をなすが、與那覇が朝鮮の政治文化における「抗日(遊撃隊)」の要素を完全に無視していることである。和田は朝鮮を「遊撃隊国家」であると規定しており、この「遊撃隊」はいうまでもなく「抗日遊撃隊」である。和田は現在の朝鮮国家のアイデンティティの中核に「抗日遊撃隊」があると繰り返し述べている。しかし、與那覇は勝手に夾雑物を挟み込みながら、この点については一行も触れようとしない。

 この問題にもよくあらわれているが、この本の特徴は「侵略」や「植民地責任」に対する與那覇の姿勢にも示されているように、近代日本の侵略とそれに対する中国・朝鮮の抵抗――つまり(反)帝国主義/(反)植民地主義という要素を徹底的に軽視するところにある。

 そして、代わりに與那覇が持ち出すのは「近世」という要素である。以前に触れた植民地化を豊臣の朝鮮侵略の「思想の遺伝子」の残存としてのみ捉えることもそうであるし、ここで朝鮮の政治文化として「儒教原理主義」を持ち出すのもそうだ。また、與那覇は日中戦争についても「近世の衝突」(第七章のタイトル)と捉える。そこでは、朝鮮や中国の民族運動やそれを支えるナショナリズムの発展から、日本の侵略への闘いの過程で形成される抗日・反帝の側面は捨象されることになる。そして逆に「近世」社会からの連続性が強調されることにより、日本の侵略への抵抗は、「近世」社会の構造の違いへと還元されることになる。こうした一見、歴史を巨視的にとらえるかのような素振りで、実際には近代日本のアジア侵略の影響を少なく見積もろうとする傾向が、この本には散見される。これは現在の歴史系「論壇」全体の問題とも関わるので、後述したい。

 第三は現在の朝鮮は敗戦前の日本である、と規定していることである。與那覇は「よくもまあ」以下で、朝鮮への揶揄を繰り返すが、これは和田の本の次の箇所を参照したものと思われる。
 「現在の北朝鮮はある部分では戦争末期の日本に似ている。工場は動かず、食べるものはなく、買い出し生活、竹の子生活で、女たちの着物が食べ物に交換された。人々は満員の汽車に窓から乗っていた。大勝利の知らせに歓呼したことも忘れて、空襲で焦土になっても、本土決戦、本土玉砕と言われれば、それを覚悟していた、自分たちの指導者、天皇を信ずる以外ほかにどうすることもできなかった。それでいて天皇が戦争は終わりだと言えば、それを喜んで受け入れ、天皇を批判することもなく、アメリカの進駐軍を歓迎し、天皇の「人間宣言」も受け入れた。もともと天皇が現人神だなどと思ったことは一度もないのである。天皇政府が国体護持を唯一の条件としてポツダム宣言を受諾したとき、国民が考えたことは、やめられる戦争なら、なぜもっと早くやめなかったのだということだった。国民は指導者の決断を求めていたのである。
 その日本の状況を思い出せば、現在の謎の国北朝鮮をもっともよく理解できるのは日本人であるように思う」(和田春樹『北朝鮮』岩波書店、p.310)
  これは和田の本の最末尾「11 北朝鮮のこれから」の「国民の気持ち」の記述である。いわば「あとがき」的な部分といえる。注意深く読めばわかるが、和田が末尾にこの記述を挟み込んだのは、日本と朝鮮との国交正常化の必要性を日本国民に訴えるためである。それは、その直前の箇所で和田が日朝国交正常化に関連して、日韓条約を超える内容を日朝条約に盛り込むことによって日韓条約を修正することが朝鮮民族にとって好ましいと述べた後、次のように書いていることからもわかる。
 「だが、まさにその点が日本側の最大の障害なのである。91年-92年の第一次交渉のさいの日本政府の態度は基本的には65年の日韓条約締結のさいと変わっていなかった。〔中略〕しかし、日本政府としても30年前の条約と同じ文言で条約が結べるとは考えてはいないだろうが、北朝鮮は経済的に窮地にあるので、条約文にはあまりこだわらないで、すぐに妥結することを求めるだろうから、心配ないという考えもあるかもしれない。
 しかし、金日成の満州抗日戦争以来、抗日遊撃隊をモデルにした遊撃隊国家として自らを主張してきた北朝鮮は、経済危機だからといって、無原則的な妥協はできない。ここで民族間の和解のために日本政府から原則的な筋の通った条約をかち取れば、朝鮮民主主義人民共和国は民族の歴史にその存在のあかしを残すことができるのである。
 満州以来の抗日遊撃戦争が日本の謝罪で終わったと考えれば、自分たちは勝利したとみなすことができ、遊撃隊国家を終わらせることができる。日本と和解すれば、遊撃隊国家は終らざるをえないとも言える。日本と和解したあとで、「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式で」というスローガンを掲げることはもはやできないからである。
 金正日は、彼の国を遊撃隊国家から正規国家に変える課題をかかえている。自分が劇場国家の主から普通の国家の指導者に変わるためには、金日成ができなかった「人間宣言」を行わなければならないのである。日本との和解はその契機を与えるだろう。」(p.307-308)
  ここからもわかるように、和田が現在の朝鮮の国民感情と、戦時末期の日本のそれが似ていると指摘したのは、以上のような朝鮮政府の論理の説明を前提に、朝鮮国民のレベルでも「戦争をやめる」ことへの渇望が存在しており、それは戦時期末期を知る日本国民にも理解できるはずだ、と主張する文脈においてである。

 一応和田の著書においては、朝鮮の苦しい現状の原因は日本側にもあることが前提となっており、日本と朝鮮の関係性を問題にしている。しかし、與那覇はこの意味を全く理解せず、「国体護持のためには餓死をも辞さず、という「あの戦争」を支えた日本人が、あの地域にだけはまだ残っている」と別のかたちで「引用」する。そもそも和田の記述は「分析」ではないので、この箇所を何らかの分析であるかのように参照すること自体が問題なのだが、與那覇の記述では、和田の意図とは違いむしろ関係性と歴史性は一切捨象される。それどころか、誤った事実に基づいて彫琢された「北朝鮮」像が、日本の歩むべきでない未来としてのみ表象されるのである。つまり、ここでの「北朝鮮」像はああなりたくなければ「中国化」するしかないよ、という主張を補強するための道具に過ぎない。

 與那覇に限らず、現在の朝鮮は戦前の日本である、あれは天皇制である、とするレトリックは、現代日本ではむしろリベラルや左派に好まれる傾向がある。かつて大西巨人は、戦時期には沈黙・翼賛していたにもかかわらず、敗戦後突如として軍部や軍隊の非合理・暴力性を「暴露」し始めた知識人たちの姿勢を「過去への叛逆」と揶揄した。しかし、このレトリックは、ここでの「過去」に朝鮮を代入することにより、わずかながらあった「叛逆」のリスクすら欠落させた、極めて自己愛的で攻撃的なものといえる。大日本帝国という過去に批判的であるようなポーズを装いながら、その問題点は朝鮮のみに継承されたとして大日本帝国の過去そのものに向き合うことを回避し、同時に、元「帝国」の人間として、その遺産=朝鮮を何とかしなければいけない、というこれまたナルシスティックな「使命感」「義務感」に燃えることすらできる。そして、それから切り離されたところの平和で民主的な戦後日本への歪んだ自己愛を満たしつつ、右派の朝鮮脅威論に直接対峙せずに、むしろそれと癒着しながら「お前こそ日本を北朝鮮にする気か」と「反論」することも可能になる。

 こうしたレトリックは、現在の朝鮮への「制裁」をリベラル・左派が容認することを正当化するばかりか、場合によっては「人道的介入」すら後押しすることになるだろう。和田の意図はそこには無いとしても、安易に戦時期日本と朝鮮の現状を似ているとするのは、こうしたレトリックを誘いこむ危険なものだ。私は與那覇のこの杜撰な本に、そうした頽廃的な日本のイデオロギー状況の反映を見る。

(続)
by kscykscy | 2012-05-13 00:00 | 歴史と人民の屑箱

歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(4)

5.帝国主義論と「植民地責任」

  與那覇は前回のシュンペーターに関する記述に続けて、次のように書く。
 「いまだに「日本の植民地経営が赤字か黒字か」が「植民地責任の有無を問う最大の論点」だと勘違いしている人がいますが、そもそも「植民地を保有する以上、宗主国は必ず儲けているのだ」というのは、いつまで経っても西洋資本主義諸国で社会主義革命が起きない(がロシアでなら起こせるかもしれない)理由を説明するためにレーニンがこじつけて作った話で、もともと実証的な根拠があるわけではないので、平素は反共を旨とする保守の論客が、この話題の時だけ突如としてボルシェヴィキになるというのは滑稽です(いまだに日本での革命をあきらめきれない左派の論者が、血眼になって「儲けていた証拠」を捜しまわっているとしたら、それも別の意味で滑稽ですが)。」
 さて、「日本の植民地経営が赤字か黒字か」を「植民地責任の有無を問う最大の論点」と主張する者などいるのだろうか。おそらくこれは、植民地支配は「持ちだし」だった、とする主張を念頭においたものと考えられるが、「持ちだし」論者ですら、「日本の植民地経営が赤字か黒字か」という粗雑な立論をしているわけではない。そもそも與那覇の主張では、総督府財政において支出が収益を上回っていた、という意味なのか、あるいは本国財政も含めての収支のことを言っているのか、あるいは企業経営や金融・貿易などを含むものなのか、全くわからない。

 続く記述を読むと、どうやら與那覇は「植民地経営」が赤字であったと考えているようだが、少なくとも朝鮮総督府財政のレベルでは支出が収益を上回ったことは無い。しかし朝鮮には本国財政からの補充金が投入されており、これは年間1000-1500万円規模であった。これが「持ちだし」論の論拠となるのだが、水野直樹が指摘するように、補充金が総督府財政に占める割合は5%に過ぎず、総督府財政の大部分は朝鮮民衆の負担によって成り立っていた。また、歳出もその大部分は日本人官吏の給与であり、警察・法務関係の治安政策関連支出が教育・勧業・医務衛生を超えた。つまり、総督府財政の第一の目的は植民地支配の維持そのものにあった。さらに台湾は早くに補充金無しの財政へ移行しており、「持ち出し」論の前提すら成り立たない(水野直樹他『日本の植民地支配』岩波ブックレット、p.38-39)。與那覇は論点を不正確に把握している上に、事実認識すら誤っている。

 続くレーニンへの罵倒も奇妙である。與那覇はわざわざ注までつけて「要するに先進国から順番に「進んだ社会主義」に移行していかない理由を、「西欧列強は植民地から搾取した冨で本国の労働者を買収して、革命を遅らせることができるからだ」と言い訳したのです」(p.195)と念入りにレーニンを貶める。つまり與那覇は、(1)「植民地経営が赤字か黒字か」が論点であると誤認された背景にはレーニンの議論がある。(2)しかしレーニンのそれは「ためにする議論」で根拠がない、(3)よって、「植民地経営が赤字だ」ということにこだわる「保守の論客」は、保守なのにレーニンの作った前提に乗っかっており滑稽だ、と言っているわけだが、これは極めて乱暴な単純化――というよりも、端的に言って誤った記述である。

 ここで與那覇がレーニンのどの著作を想定しているのかわからないが、仮に「帝国主義論」だとするならば、レーニンの目的が独占資本主義の「発達」の延長線上における帝国主義戦争――つまり第一次世界大戦の必然性の論証にあったことは周知の事実である。また、レーニンの「帝国主義論」は実証的なスタイルで論証を試みており、ただちに「こじつけ」であるとは言い得ないのは読んだことのあるものならばすぐにわかる。驚くべきことに與那覇のレーニンに関する記述には一切出典表示が無く、その根拠を確認することすらできない。

 おそらく、與那覇が「左右」を斬る、というスタイルの維持を最優先した結果、こうした乱雑な記述が飛び出したのだろう。またこれは與那覇が、レーニンならいくら乱暴に罵倒しても現在の「論壇」で物言いがつくことは無い、と判断していることも示している。植民地支配は持ち出しであったという植民地支配肯定論の「論拠」に持ち出されては、レーニンもたまったものではないだろう。

 続く記述に移ろう。
 「確実なのは、植民地主義とは根本的に「大きな政府」の政策だということで、朝鮮植民地についていえば、低賃金の朝鮮人労働者が内地に流入してしまうと日本人の職が失われて困るから、現地に雇用を作って人口流出を防止するために、総督府が公共事業を打ったのです(水野直樹「朝鮮人の国外移住と日本帝国」)。
 あえて現在の日本でたとえれば、これは「在日の人の雇用を在日社会内部だけでまかなえるように、公共事業は朝鮮系企業に優先して発注する」という政策と同じなので(そういう人種隔離的な発想が正しいとは私は思いませんが)、そんな話を聞いたら「ここにも在日特権が!」と眼の色を変えて騒ぎ立てそうな方々に限って「日本の朝鮮経営は赤字!赤字!」と絶叫している様子は、文字通りマンガというか、この人たち資本主義社会でちゃんと生きていけるのかなあと心配になります。」
 つまり、與那覇の理屈は、「植民地経営は赤字である」→しかしそれは植民地主義が「根本的に「大きな政府」だからだ」→実際、朝鮮植民地では朝鮮人の雇用創出のため公共事業を行った、というものである。

 さて、出典は水野直樹の論文である。この論文で水野は、「20世紀前半の世界全体を見渡しても、植民地住民が支配本国にこれほど大量に流入した例はない」(p.262)ことを前提に、朝鮮人の渡日増加が、結果として朝鮮植民地における工業化政策へと跳ね返っていくという相互作用を指摘した。

 與那覇の「公共事業」「雇用創出」云々と関連する箇所についての水野の説明は次のようなものだ。すなわち、1920年代の朝鮮人の渡日者増加は、日本では「社会的軋轢、失業問題の発生などは社会秩序を乱す要因と見なされた」(p.262)。このため、1930年に内地では「労働手帳」制度により失業救済事業から朝鮮人を排除し、1934年の閣議決定「朝鮮人移住対策要目」では渡航抑制のため朝鮮内での「安住」と朝鮮北部・中国東北への移住促進が決定された。そして、これを水野は次のように位置付ける。
 「しかし、ここで考えたいことは、朝鮮人渡航の増加が日本帝国の政策に与えたさらに大きなインパクトである。「要目」で、内地渡航の制限と合わせて、朝鮮内での生活安定、そのための窮民救済事業の実施などが決められ、さらに満洲や朝鮮北部への移住の促進が謳われた。ここには記されていないが、すでに二〇年代後半から見られた認識――朝鮮内で労働力を吸収する産業の育成がなければ朝鮮人の内地渡航を抑制することはできないとする認識――が、日本政府・植民地当局に共通して抱かれるようになったと考えられる。一九三〇年代の朝鮮では工業化が急速に進んだとされるが、その背景には、朝鮮人労働者の日本流入を抑制しなければならないという認識があったといえよう。日本の朝鮮支配は、世界史的に見て植民地工業化を許容した稀有な例としてあげられることがあるが、それは帝国本土の社会秩序維持・防衛のためにとられた政策とも関連するものであったのである」(p.264)
 つまり、一般に朝鮮植民地支配は「世界史的に見て植民地工業化を許容した稀有な例」とされるが、その背景には、「朝鮮在住労働者ガ漫然内地ニ渡航スルハ益々内地ニ於ケル内鮮人ノ失業問題ヲ深刻ナラシメ彼我相互ノ不幸ヲ招来スル」(「朝鮮在住労働者ノ内地渡航問題ニ関する調査要綱」1929、水野p.262)という要請があった、ということを水野は指摘したといえる。與那覇は「日本人の職が失われて困る」ため、と乱暴に要約しているが、厳密いえば「内地」側官庁は、朝鮮人失業者増大による「社会秩序」撹乱――つまり治安問題発生を恐れたのである。

 與那覇は植民地主義一般についての説明の論拠として水野論文を用いたが、すでにみたように水野論文は1930年代以降の植民地工業化の背景に関する考察であり、しかも、その工業化自体が特殊な事例であることをわざわざ指摘している。よって、水野論文は與那覇の説明の論拠とはなりえない。当然ながら、水野の記述は、植民地が黒字か赤字か、という「論点」とは直接には何の関係もない。さらに、実施された窮民救済事業はわずかなものであり、「公共事業」による「雇用創出」などにはあたらない。

 また、それに続く段落の「朝鮮系企業」云々は全く事例説明になっていない。そもそも1930年代以降の朝鮮へと導入されたのは大部分日本資本なのであるから、「朝鮮系企業」はアナロジーとしては極めて不適切である。それとも、與那覇は、日本が朝鮮の民族資本に投資し、それによって朝鮮人の雇用を創出した、とでも思ってるのだろうか。もしかしたら本当に與那覇はそのようなものだと誤解しているのかもしれない。そう考えると上の珍奇な記述もすべて合点がいく。

 以上の植民地をめぐる記述の最大の問題は與那覇が「「日本の植民地経営が赤字か黒字か」が「植民地責任の有無を問う最大の論点」だと勘違いしている人」を揶揄しながらも、自らが「植民地責任の有無を問う最大の論点」を何だと考えているかを示さないことにある。ここで與那覇は「左右」から超然とした自己を演出するだけで、自らの意見を開陳しようとはしない。

 ところが、最近のツイッターで與那覇は次のようにつぶやいた。
「ちょっち意外な反応が。「南京事件はあった」「植民地責任もあった」「移民受け入れに賛成」「外国人参政権も賛成」「憲法9条を守れ」って1つでも言うと最近は「左翼」らしいけど、拙著は全部入ってるし…w」
http://twitter.com/#!/jyonaha/status/198330238810337280
 「拙著」とは『中国化する日本』を指す。與那覇はこの本で「植民地責任もあった」と書いた、と主張しているが、実際にはこの本に「植民地責任もあった」と主張した箇所は無い。上に書いたようにそもそも論点すら明らかにしていない。

 例えば、上の引用に続く箇所でも與那覇は次のように書くのみである。
「この田舎侍の発想で農地を分捕りにいっただけの植民地主義は、実はただのムダ」という点に戦前から気づいていた日本人こそ、かの石橋湛山です。彼の植民地放棄論(小日本主義)とは、単なるヒューマニストの気紛れではなくて、朝鮮への独立賦与を通じて日本の道徳的名声を高めることが、最後には世界市場での日本の国際的競争力を強めることにつながると判断した上での、現実的な戦略でした――日蓮宗の家に生まれ、大学ではプラグマティズムを専攻した生い立ちならではの、グローバリゼーションと「中国化」の親和性に立脚した政策提言といえるかもしれません(増田弘『石橋湛山』)。
 しかし、最後は「再江戸時代化」が進む世界と日本の情勢が、その実現を妨げました。昭和日本は満蒙地域を中心としたブロック経済の確立に固執して、当該地域への「江戸時代」輸出にのめりこんでいきます」(p.194-195)
 石橋湛山の「小日本主義」が植民地支配責任論ではないように、「植民地主義がただのムダ」であることを指摘することは、「植民地責任もあった」と主張することとは異なる。よって、上の自分は『中国化する日本』で「植民地責任もあった」と書いた、とする記述は虚偽のものであるといえる。むしろこの本の特徴は、侵略や植民地支配責任の問題を正面から論じることを徹底的に避けるところにある。

 ところで、些細な記述ながら與那覇の「思想」を表すものとして興味深いのが、石橋の「小日本主義」が「朝鮮への独立賦与を通じて日本の道徳的名声を高めることが、最後には世界市場での日本の国際的競争力を強めることにつながると判断した上での、現実的な戦略でした」という主張である。

 増田の著書を確認したが、少なくとも石橋が朝鮮への独立付与が日本の道徳的名声を高めると主張した、という記述は見当たらなかった。むしろ、石橋は、第一次世界大戦後の世界の趨勢は「門戸開放」へと向っており、日本が中国での利権に固執すれば英米諸国から非難を受け孤立する可能性が高い、と見ていた。実際には石橋は「満州国」建国後はこれを承認して「小日本主義」を放棄することになるのだが、少なくとも朝鮮独立付与=日本の道徳的名声向上、という主張をしたという記述は増田の著書からは確認できない。

 むしろこれは與那覇の「思想」を表明したものといえる。実は、與那覇は後述する朝鮮人・台湾人の参政権「停止」に関する箇所で、「政治的な謝罪というのもまた、「やったら減るもの」じゃなくて、本来そのことによって何か(たとえば道徳的な名声)を得るためになされる一種のバーター」であると述べている。本来、植民地支配責任を承認するということは、当然ながら支配自体が誤りであったことを前提としている。よってかかる責任論に基づく朝鮮からの撤退あるいはそれに関連する弾圧的諸施策への謝罪は、マイナスをマイナスとして認める行為に過ぎない。しかし、ここで與那覇が開陳する「謝罪」観は、それによって「道徳的な名声」つまり何らかの利益を得ることを目的としている。

 こうした「思想」を持つ人間は、「謝罪」がバーターになりえないと判断した場合には、絶対に謝らない。日本政府がまともに「謝罪」しようとしてこなかったのも、そう判断してきたからであり、また、90年代に細川内閣から村山内閣にかけて「お詫び」がなされたのも、それにより何らかの利益=「国益」が発生する、あるいはしなければ不利益が生じる、とみたからだ。しかし、それがどれほど被害を受けた人びとを愚弄するものとなり、いかなる結果を生みだしたかは、「国民基金」の顛末がよく示している。與那覇の「思想」はこうした「国益論的謝罪論」を忠実に再現したものといえる。與那覇が「植民地責任もあった」と書いた、という虚偽の主張をするのは、それこそ、「左派だと誤解される自分」アピールをする方が得になると判断した結果の浅知恵であろう。

(続)
by kscykscy | 2012-05-12 00:00 | 歴史と人民の屑箱

歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(3)

4.植民地支配の「絶対に外せない歴史的事態の本質」?

 先に見た創氏改名の記述は全体の中ではそれでもまだマシな方である。創氏改名の話に続いて植民地支配の「本質」の話に入るのだが、ここからは與那覇の理屈を理解すること自体が困難になってくる。

 まず、與那覇の議論の前提を確認しておこう。この節の冒頭で、與那覇は近代日本の植民地支配をとらえるポイントとして次のように記す。
「決定的に重要なポイントは、それらを「江戸時代」を東アジアに輸出する試みとして理解することです(本野英一「歴史の変奏としての東アジアの現在」。むろん、その多くは押し売りでしたが)」(p.190-191)
 本野英一論文の出典表示はこの一文のみにかかっており、「江戸時代〔化〕」というワードは與那覇の造語なので、いかなる意味の出典なのか興味が湧き調べてみた。すると、そこには次のように記されていた。
「巨視的比較文明論の最近の定説を踏まえると「大東亜共栄圏」をどのように解釈すべきだろうか。この問題を考える上で一番参考になるのは、中根千枝が『社会人類学・アジア諸社会の考察』(講談社学術文庫)で示した人間関係に関する考察だと考える。私は、日本の戦国時代以降伝わってきた「イエ」社会文明の価値観、タテ社会的な人間関係観を大陸社会に武力で押しつけ、これに基づく社会再編を推進したのが「大東亜共栄圏」だったと解釈している。
 この価値観によれば、日本人が強制した、人為的「イエ」社会の序列の頂点に立つのは、当然天皇家を頂く日本人だということになる。大陸諸民族は、その下に「家来」か「弟」分という形で下位に置かれる。このような手前勝手な序列を武力で押し付ければ、押し付けられた側がこれに反発し、抵抗するのが当然である。これが二十世紀前半に日本がユーラシア大陸東部から南部沿海部とその周辺地域との間に引きおこした戦争の本質だったのではあるまいか。
 しかし、敢えてこの時の日本側の行動を一つだけ弁護するならば、明治維新以降の日本の制度、価値観に匹敵できるそれを自力で構築できず、大陸へ事業活動に進出した日本人の資産を食い物にする現地人ばかりが横行するという、アジア大陸社会の現実に直面せざるを得なかった日本人に他の選択がありえたのか、という問題が提起できるのではあるまいか。現在、アジア大陸社会、特に華中沿岸部に進出した日本企業と現地社会との間でも、かつて起きていたのと類似の事例が起こっているのではないかと思う時、私は日中関係の今後に大きな危惧を抱いている」(本野英一「歴史の変奏としての東アジアの現在」、『「東アジア」の時代性』渓水社、2005年、p.209-210)
 この文章は、あるシンポジウムの報告へのコメントとして記されたものであるが、なるほど確かにこれは與那覇の主張の出典といえる。本野は「大東亜共栄圏」について語っているので、これで植民地支配全体を理解できるとする與那覇の主張は「独創」といっていいが、誤った出典表示であるとはいえない。

 問題は本野の記述そのものである。私が、この不毛極まりない作業のなかで得た数少ない収穫は、世の中には信じがたいことを主張する「歴史学者」が、與那覇以外にも少なくない数いるという事実を改めて知らされたことにある。そもそも日本の侵略への反抗は「イエ」社会押しつけ云々以前から起こっているため、本野の記述は「説明」になりえていないが、何より、最後の段落で本野が展開する「大東亜共栄圏」弁護論には目を疑った。「大陸へ事業活動に進出した日本人の資産を食い物にする現地人ばかりが横行するという、アジア大陸社会の現実に直面せざるを得なかった日本人に他の選択がありえたのか」とは、「一つだけ」の弁護どころか、「大東亜共栄圏」の全面的弁護ではないだろうか。またこの理屈だと、今後の日本の侵略すら「弁護」できてしまう。

 與那覇の本に戻ろう。これをうけて與那覇は植民地支配の「本質」について次のように記す。
「こういうこと〔「江戸時代化」の輸出:引用者注〕を日本が朝鮮半島で行ったのは、実はこの時がはじめてではありません。江戸時代の政治体制とは基本的に戦国大名の作り上げた国家の連合体なわけですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際も、占領地の住民に国内の検地と同様の指出の提出を命じていることから、朝鮮を日本内地と同様の石高制に組み込む構想があったものと見られています(岸本美緒・宮嶋博史『明清と李朝の時代』)――要するに、やがて江戸時代を生み出す国家システムで、東アジアのほかの地域も覆ってしまおう、という発想です。
 秀吉の場合は朝鮮半島を一時は占領したものの、短期間に敗戦してその野望は潰えるのですが、明治以降の日本人は西洋近代産の重火器で武装していましたから、朝鮮はおろか満洲(中国東北部)へ、さらに大陸の奥へ、ともっと深くまで攻め込んでしまった、というのが帝国日本の「侵略」なり「進出」なりの全体像です。
 つまり、長い鎖国のあいだも戦国時代以来の行動様式を延々と受け継いできた日本人が「開国」を迎えた結果、近世初頭から思想の遺伝子が凍結保存されていたかのような発想のままにユーラシア大陸に飛び出してしまって、すでに「中国化」していた東アジアの諸地域にまで「再江戸時代化」を拡大しようとしたというのが、絶対に外せない歴史的事態の本質なのであって、その過程の呼び名に、逐一「侵略××」のような冠詞をつけるか否かなどというのは、最後は各自の価値観で決めることですから、枝葉末節の問題にすぎません(ちなみに、私個人は「侵略」をつけてもいいと思いますが、人に強制しようとは思いません)。」(p.192-193)
 「近世初頭から思想の遺伝子が凍結保存されていたかのような発想」という表現を躊躇無く太字できる感性は私には理解しがたいが、この記述は果たして朝鮮侵略の「本質」の説明になっているだろうか。この記述を読む限り、與那覇は近代日本の朝鮮侵略を豊臣秀吉のそれの再現とみているように読める。つまり、16世紀と19世紀の超連続説、あるいは先祖がえり説ということだ。その論拠としてさらに與那覇はシュンペーターをもち出して次のように述べる。
「実は、これは必ずしも日本の帝国主義に限られたことではなくて、イノベーションの概念で知られる経済学者シュンペーターは、欧米列強の植民地獲得競争も「アタヴィズム」(隔世遺伝)に過ぎないと断じていました(木谷勤『帝国主義と世界の一体化』)。
 そもそも、領土の拡大が国益に直結するのは、主要産業が農業である場合にのみ自明なのであって、商工業中心の近代社会にとって、植民地経営が黒字を出すか赤字になるかははっきりしない。〔中略〕それ〔植民地獲得が「黒字」になるとは限らない〕にもかかわらずヨーロッパ諸国が時代錯誤な植民地獲得に狂奔したのは、ローマ帝国のごとき旧時代の行動様式に囚われていたからだ、と、シュンペーターは見るわけです」(p.193-194)
 この記述からわかることは、與那覇が、①朝鮮植民地支配を当時の日本の「国益に直結する」(「黒字になる」)かどうかは疑わしかったと判断していること、そして、②にもかかわらず当時の「日本人」がそれを強行したのは豊臣秀吉の朝鮮侵略期の行動様式に囚われていたからだ、と理解していることである。すなわち、近代における朝鮮植民地化という「国益」に合致しない行動がなされた背景には、豊臣秀吉の朝鮮侵略期の行動様式の残存がある、という理解である。

 果たしてこれは妥当だろうか。いくつかの視点から検討しよう。

 第一に、シュンペーターの帝国主義論の理解として妥当かという問題。シュンペーターの帝国主義論のポイントは、(1)帝国主義を資本主義から切り離すこと、(2)帝国主義を近代のナショナリズムや軍国主義と区別すること、そして、(3)帝国主義を民衆から切り離すことにある。シュンペーターは帝国主義の担い手をある特定の時代条件の基で形成された、好戦的で戦争そのものから利益を得る旧時代のエリート層によるものと把握した。特に近代帝国主義については「君主国家の遺産」と捉えた(〔都留重人訳〕『帝国主義と社会階級』岩波書店、1956年、p.157)。シュンペーターは「近代帝国主義は、資本主義そのものの「内在的論理」からは決して生れてこなかったはずのものだ」(同上)とも述べており、木谷もいうようにこれは「資本主義を免責する理論の一種」といえる(『帝国主義と世界の一体化』)。

 こうした理解を前提に、與那覇の主張を検討しよう。まず、シュンペーターが「ヨーロッパ諸国が時代錯誤な植民地獲得に狂奔したのは、ローマ帝国のごとき旧時代の行動様式に囚われていたからだ」とみた、という解釈は誤りである。シュンペーターは近代帝国主義は「君主国家の構造要因や組織形態や利益関連や人的態度などの残存物であり、また前資本主義的諸力――或る程度まで初期資本主義的方法によって君主国家が再組織したところの――の産物である」(p.157)とみる。つまり、ここで念頭においているのは絶対主義国家であり、古代ローマ帝国ではない。シュンペーターは過去の非合理的要素が何でも「遺伝」するといういい加減なことを述べているわけではなく、それなりに議論を限定している。これは與那覇が原典にあたらず「隔世遺伝」という比喩に惑わされた結果であろう。

 また、「長い鎖国のあいだも戦国時代以来の行動様式を延々と受け継いできた日本人が「開国」を迎えた結果、近世初頭から思想の遺伝子が凍結保存されていたかのような発想のままにユーラシア大陸に飛び出してしまって」云々、という理解もシュンペーターの議論を理解していない。そもそも、シュンペーターは「帝国主義の社会学」の冒頭で「いろいろな国家〔中略〕の攻撃的態度のうち、民衆の実質的具体的利益によって直接かつ明瞭に説明されうるのは、一部分にすぎない、という事実からわれわれの問題が起こってくる」(p.26)と問いを立てる。よって、「日本人」全体に攻撃的態度が維持され、その発露として対外侵略がなされる、という歴史認識はシュンペーターの前提そのものと対立する。逆にシュンペーターは各時代において好戦的支配層が温存された諸条件に着目する。よってこれは不適切な援用である。

 第二に、歴史的実態の問題。與那覇の、朝鮮植民地支配を当時の日本の「国益に直結する」(「黒字になる」)かどうかは疑わしかったにもかかわらず当時の「日本人」がそれを強行したのは豊臣秀吉の朝鮮侵略期の行動様式に囚われていたからだ、という理解には具体的論拠が無い。出典とされる本で宮嶋博史は、壬辰倭乱の際、咸鏡道を占領した日本軍が朝鮮の郷吏らに租税の内訳を自己申告させたことに触れ、「占領した地域でただちに指出を提出させていることは、そこにおいて国内と同じ石高制的な支配を行い、大名たちに分け与えることを構想していたことを示している」と評価したが、(『明清と李朝の時代』p.207)、もちろん、これが近代日本の朝鮮支配と同質のものであるとは書いていない。

 與那覇が触れているわけではないが、確かに、明治期の「征韓」思想が神功皇后の伝説や豊臣秀吉の朝鮮侵略の故事を好んで援用した事実はある。しかし、それが侵略の性格が同質であることを意味しないことも言うまでも無いだろう。與那覇は日本の制度(「江戸時代化」)を持ち込もうとしたことを持って、同質性の論拠としているようだが、日本の制度押し付けという点のみをもって300年を隔てた歴史的事象の同質性が立証されるのならば、世界史の数多くの事象はほとんどが同質であることになる。また、ここでも與那覇は「江戸時代化」を明確に定義せず用いているため、読者はその具体的内容を各自推測するほかなく、反証可能性がない。よって、與那覇の主張は成り立たない。

 このように與那覇の「説明」は根拠を欠くものであり、論理的にも破綻している。おそらく與那覇の説明が破綻をきたした理由は次のようなものだ。すなわち、前回述べたように與那覇は、1930年代以降日本は本格的に「再江戸時代化」すると主張し、「創氏改名」は「江戸時代化」の輸出だ、と規定する。だとすると日本の朝鮮侵略政策がなぜ行なわれたのか説明できない。このため、「隔世遺伝」という苦しい説明に逃れるしかなくなるのである。

 また、「中国化」「江戸時代化」というキーワードを除いてみると、その議論が実は非常に凡庸な主張であることがみえてくる。すなわち、朝鮮植民地化を合理的な国益論とは対立する非合理的な勢力によるもの、とする見方は、近年の伊藤博文礼賛論と同様の「気分」を表しているし、1930年代以降の「再江戸時代化」云々は一頃流行った総力戦体制論の焼き直しである。しかも、前者に関しては與那覇はこれを「日本人」一般に還元し、具体的に「戦国時代以来の行動様式を延々と受け継いできた」支配層内の勢力を特定しないため、より受け容れられ易いものとなる。後者についても、総力戦体制論には当時から総動員期の植民地のあり方を植民地主義一般の特徴と混同するため、むしろ植民地支配固有の特徴が見えなくなってしまうという批判がなされていたが、與那覇はその欠陥を最も極端かつ粗雑に、しかも総力戦体制への批判的視座すら欠落させた形で、「継承」したといえる。

 最後に「侵略」と呼ぶかどうか、という部分についての與那覇の主張を検討しよう。ここは與那覇の「思想」をよく示している。まず、與那覇は「逐一「侵略××」のような冠詞をつけるか否か」と述べているが、そもそも「侵略」は冠詞ではない(というか日本語に冠詞は無い)。それはいいとしても、與那覇は朝鮮植民地化や日中戦争についても、「各自の価値観で決めること」と評価を避け、また、「ちなみに、私個人は「侵略」をつけてもいいと思います」と予防線を張りながらも、実際には「「侵略」なり「進出」」と併記するかたちで「相対主義」のポーズをとる。

 そもそも朝鮮植民地化や日中戦争が侵略であることは歴史学以前の厳然たる事実――もし日中戦争が侵略戦争ではないなら、この世には侵略戦争など存在しない――であり、文科省が「進出」を強要しようとしてきたことが唯一の問題である。しかも、これは侵略加害の当事者である日本政府と日本国民が当たり前の事実を承認するかどうか、という問題なのであるから、「枝葉末節」どころか歴史認識の根幹に位置する問題といえる。これを相対主義風の言明で逃げるのは、実際には「進出」という表現を容認することに等しい。

 ちなみに、以前名古屋市長の河村が南京大虐殺の存在を否定する発言をした際、『朝日新聞』は呉智英と與那覇にコメントをとった(『朝日』12/2/24・名古屋本社版・朝刊)。両者とも南京虐殺そのものにはあまり触れず、河村発言の原因は思想的なムラ社会で育ったからだ(與那覇)、とか反中感情の高まりは市長にとってプラスかもしれないが落とし所が難しいのでは(呉)、といったそれこそ「枝葉末節」にのみ言及したコメントが並んだが、「事件」そのものについての唯一の言及が與那覇の「南京事件そのものがなかったとの考えを支持するプロの歴史学者はいない」というものだった。あたかも歴史学ギルドのスポークスマンのような口ぶりだが、「南京事件はあった」ではなく、「なかったとの考えを支持するプロの歴史学者はいない」というところに與那覇の特徴がよく出ている。

 以前、東浩紀が自分は歴史学者ではないので南京事件があったともなかったともいえない、という言い方をしたことがあったが、與那覇のこうした振る舞いは、これを「歴史学」の側から正当化するものといえる。個々の歴史認識の判断の責任は、究極のところ(特に言論人であればなおさら)その個人に帰着するはずである。仮に精緻な歴史研究を当該筆者ではない人間が援用したとしても、それを信頼して選択した責任を援用した人間もまた負うのは当然である。東の弁明はこの点で言論人としての最低限のモラルを欠くものだが、與那覇の上のような振る舞いは、こうしたモラル・ハザードを「歴史学」業界の側から助長するものといえる。

 若干脇道にそれてしまった。次回も引き続き帝国主義論及び「植民地責任」論について検討したい。

(続)
by kscykscy | 2012-05-09 00:00 | 歴史と人民の屑箱

歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(2)

3.創氏改名は「同化」ではなく「江戸時代化」だった?

 それでは與那覇が植民地問題について論じた「帰ってきた朝鮮出兵:植民地問題をまじめに考える」についてみよう。この節は創氏改名についての記述から始まる。
 
「朝鮮史研究の最新の成果によれば、これ〔創氏改名:引用者注〕は近年まで誤って教えられてきたような、朝鮮人や台湾人を日本民族に吸収し同一化させるための同化政策ではありません〔原文ゴチック体、以下同〕――たしかに現地の住民を日本人風の姓名表記に変えさせたのですが、しかしその一方で「本当の日本人にはあまり見ない氏」をつけさせる例が目立つなど、改名後も「もとは朝鮮人(台湾人)であった」ことがわかるような命名を行ったケースが多いためです。
  それでは、いったいなぜ改名させたのかというと、総督府側の力点はむしろ「創氏」の方にありました。朝鮮や台湾の親族体系は近世中国と同じ父系血縁のネットワーク方式ですから、同じ家でも「夫婦別姓」であり、遠方の同姓縁者との紐帯を維持しています――このような社会は、やはり中国近世型の市場中心的で流動性の高い行動様式につながりがちなので、「再江戸時代化」の進んだ昭和日本の統治構造には組み込みにくい。
  そこで、「イエ」を単位として動員をかける近世日本以来の政治権力が支配しやすくなるように、強引に新たな氏を作って父系血統集団を分割・弱体化し、一家の内部では全員同姓にすることが、政策者の主眼だったとみられています(水野直樹『創氏改名』)。いいかえれば、総督府は「同化」というよりも、「江戸時代化」を強制したのです。」(p.191-192)
 與那覇は「朝鮮史研究の最新の成果によれば〔中略〕朝鮮人や台湾人を日本民族に吸収し同一化させるための同化政策ではありません」と断定するが、水野直樹『創氏改名』だけが出典として記されているため、つまり水野が「同化政策ではありません」と言っているということだろう。さて、水野は創氏改名が「同化政策ではありません」などと言っているのだろうか。水野は創氏改名の性格について次のように書いている。
「創氏改名には、もう一つ見落としてはならない側面がある。創氏改名は植民地支配の同化主義的性格を端的に表わす政策ととらえられてきたが、本書で検討したように、同化の側面と差異化の側面が同時にあらわれたものであった。1940年という植民地支配の最終段階にいたっても、支配当局は差異、差別をなくそうとはしなかった。」(水野『創氏改名』岩波書店、p.231、以下特にことわりのない限り、下線は引用者)
 このように、水野は「同化の側面と差異化の側面が同時にあらわれた」とは書いているが、決して「同化政策ではない」とは書いていない。水野によれば、1939年の立案段階で総督府は朝鮮人に「内地人風の氏」をつけさせようとしたが、総督府警務局や在朝日本人の反対を意識して、総督府法務局は「日本既存の氏」の模倣を不可とし、「朝鮮的」な氏――つまり日本風でありながら明らかに朝鮮人であるとわかる氏――へと誘導しようとした。「同化の側面と差異化の側面が同時にあらわれたもの」という評価はこうした事実を前提にしたものだ。

 ちなみに高校日本史や世界史の記述では、創氏改名について「朝鮮では、姓名を日本風に改める創氏改名の実施や神社参拝などが強制された」(『改訂版詳説日本史研究』p.454)、「日本の植民地下の朝鮮でも、民衆を戦争に動員するための皇民化政策がとられ、朝鮮人の姓名を日本式に改めさせたり(創氏改名)、神社への参拝が強制された」(『新選世界史B』東京書籍、p.222)と記されており、これは一面的ではあるが、誤っているわけではない。

 水野自身、創氏改名は「皇民化政策」の典型であり、徴兵制適用の準備であった、また植民地支配の基本方針であるところの「同化」政策を象徴するものであった、という理解について、不十分であるが「間違っているわけではない」と述べている(『創氏改名』p.11-12)。よって、創氏改名は「同化政策ではありません」という断定は、「朝鮮史研究の最新の成果」とは関係のない、與那覇の独創というほかない(*1)。

 さて、さらに問題なのはこれに続く記述である。與那覇は総督府の創氏改名のねらいについて「「イエ」を単位として動員をかける近世日本以来の政治権力が支配しやすくなるように、強引に新たな氏を作って父系血統集団を分割・弱体化し、一家の内部では全員同姓にすることが、政策者の主眼だった」と述べる。 與那覇は犬養内閣以降の日本を「再江戸時代化」したと捉えているようなので(p.176)、この記述を言い換えると、創氏改名とは、1930年代以降の日本の統治構造に組み込みにくい、朝鮮の「市場中心的で流動性の高い行動様式につながりがち」な「父系血縁のネットワーク方式」を改編し、「イエ」を単位とする動員をかけるために総督府が採った政策である、という理解になる。

 この與那覇の理解に欠落しているのは、それでは何のために朝鮮民族を動員する必要があったのか、という問いである。出典とされる水野は創氏改名を行なった総督府のねらいについて次のように記す。
「〔総督府のねらいは:引用者注〕朝鮮的な家族制度、特に父系血統にもとづく宗族集団の力を弱め、日本的なイエ制度を導入して天皇への忠誠心を植えつけることである。/当時出版された解説書は、「従来は一身が宗族に結びつけられたが、今後は『各家族が直接天皇に結びつけられて居る』この理念が第一義となるのである」とその意義を説明している(緑旗連盟)。朝鮮人を兵士などとして戦争に動員するためには、天皇への忠誠心が必要だったからである。〔中略〕朝鮮人を「血族中心主義」から脱却させて「天皇を中心とする国体」の観念、「皇室中心主義」を植え付けること――これが創氏の真のねらいだったのである。〔中略〕明治中期に日本で作り出された「イエ」制度を植民地に持ち込もうとしたのが、朝鮮民事令の改正だったのである。しかし、朝鮮には「イエ」の伝統がなかったため、これを朝鮮人に強圧的に押し付けることによってしか、普及・定着を図ることができなかった。この点に大きな問題、誤りがあったといわねばならない」(p.50-52)
 そして、水野はこうした創氏による家族制度改編と天皇への忠誠心植え付けは、総督府によって「戦争動員の前提条件」と考えられていた(p.216)、と指摘する。つまり、これまでも多くの研究が指摘してきたように、皇民化政策及び創氏改名実行の前提には、日中全面戦争後の対アジア侵略の深化という要因が大前提としてある。そうでなければ、総督府内に20年代から日本的「イエ」制度の朝鮮への移植の声があったにもかかわらず、なぜこの時点で実現したのか、という問いを解けないからだ。

 水野『創氏改名』は従来の創氏改名研究が徴兵制との関連を強調してきたことに対し、その直接的な連関に留保をつける立場であり、本書も家族制度の説明に比重が置かれている。ただ、上でもみたように、「創氏改名」が「戦争動員の前提条件」であることは水野も認めている。しかし與那覇は侵略への動員という側面を一気に捨象し、「昭和日本の統治構造」云々という制度――つまるところ家族制度の移植の問題へと「創氏改名」を解消してしまう。そもそも水野は「イエ」制度を明治中期に日本で作り出されたものと理解しており、制度的側面からみても、近世以来の統治構造(あるいは「昭和日本の統治構造」)の移植であるとはみておらず出典としては不適切なのだが、與那覇は侵略への動員という側面を無視して無理やり植民地期を自らの枠組みに当てはめようとする為、極めて歪んだ歴史理解を披瀝することになる。

 この「創氏改名」の記述は非常に特徴的なのだが、與那覇はこの本で、研究史を乱暴に歪曲し、「最新の成果」なるものの表層部分だけを掬い取って「新説」「常識」として打ち出す、という手法をしばしば採る。「創氏改名」についての與那覇の見解は「朝鮮史研究の最新の成果」を不正確に理解した「独創」というほかないが、それでもこの創氏改名の箇所はまだましな方なのである。次回は植民地支配の「本質」に関する與那覇の議論をみてみよう。

*1 ただし、水野はこの本で、「内地人風の氏名とする」という意味での「同化」と、植民地支配の基本方針であるところの「同化政策」という異なるレベルの概念を同じ「同化」という語によって表現しており、この点は曖昧さを残している。

 「植民地支配の基本方針」という表現を使っているところから、後者の「同化政策」は天皇の臣民化を意味するものと考えられ(武田幸男編『朝鮮史』山川出版社、2000年、p.279)、これは天皇制国家による朝鮮植民地支配固有のイデオロギー及び政策である。しかし、前者の「内地人風の氏名とする」という意味での「同化」は、どちらかといえばもう少し抽象的な社会学的概念として用いているようである。

 本来問われるべきは、こうした天皇制国家固有のイデオロギーである「同化政策」と創氏改名の関連であり、その際、「内地人風の氏名とする」ことを同じく「同化」と表現してしまうと、混乱を招くのではないか。特に、前者のような用い方は、天皇制国家の「同化政策」の固有性を稀釈する方向へと作用するおそれがあり、與那覇のような突飛な「理解」を許す背景には、水野の著書において社会学的「同化」概念が前面に出ていることと関係があるのではないだろうか。


(続)
by kscykscy | 2012-05-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(1)

1.はじめに

  「liber studiorum」というブログがある。更新を停止したようだが、以前は福岡伸一『生物と無生物のあいだ』や茂木健一郎の脳科学本などのニセ科学系トンデモ本や佐藤優のおべんちゃらを精力的に批判していた。このブログを読むと、福岡や茂木、佐藤がいかにテキトウかつ悪質な人間たちであるかも去ることながら、こうした人々の跋扈を許す日本社会の体質がよくわかる。自らが当該分野の「プロ」であることを前面に押し出してマスコミや出版関係者を籠絡する業界遊泳「学者」は、自然科学に限ったものではなく、どこの業界でも見られるものだ。

 例えば、昨年『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)を出版した與那覇潤などはその歴史学版といえるだろう。

 私は端的にいってこの本はトンデモ本にすらなりきれていない中途半端な製品だと思うが、マスコミ・出版業界は與那覇をたいそう持て囃している。これは福岡や茂木の流通と似た問題があると思う。この本でしばしば與那覇は、通俗的な認識を「近年の歴史学の成果に基づいた」歴史理解で斬る「プロ」として振舞う。そこでは巷の「歴史好き」や「右」「左」、あるいは「高校の歴史教育」の誤った見解が槍玉に挙げられるが、後でみるようにその見解なるものはいずれも極めて単純化されたものであるため、読み手は與那覇に直接批判されていると感じることはなく、むしろお馬鹿さんが批判されている様を外野席から眺めることができる作りになっている。これが、架空の「ネトウヨ/サヨク」を蔑みながらも、かつ、自分は単なる大河ドラマ好きではなく「教養」があるんだ、しかも大学受験のために歴史を暗記しただけの受験秀才でもないんだ、と自認したい人々の心を大いにくすぐるのであろう。

 ただ私は、與那覇が持て囃される理由はこれだけではないと思う。上に挙げたようなある種の狡猾さだけではなく、むしろ真逆の側面、つまり與那覇の文章から染み出すいかにも御しやすそうな感じ――簡単にいうと馬鹿っぽさ――が、「人気」の秘密なのだと思う。それは「中国化」「江戸時代化」という概念を平気で使ってしまうところに端的に現れているが、細かいところでも「専門家のあいだではもう常識」「プロレベルの解答」「斯界のプロのあいだでは新たな定説」といったハッタリを乱発するところなどは、「利用しやすそうなのが出てきたな」という感想を抱かせるのに十分である。與那覇の特徴はこのように自らが権威に弱いことを隠さないところにある。例えば自らへの批判に対してツイッターで次のように揶揄している。
「「アカデミズム」に命令ですか、随分お偉いんですね。 RT @yunishio 與那覇先生に怨みでもあるんか、みたいに思われそう。苛立つのは與那覇先生のことじゃなく、あんな若手研究者の粗雑な立論をアカデミズムが無邪気に称揚しちゃってていいのか?いやもうちょい距離置こうよwwって感覚」
https://twitter.com/#!/jyonaha/status/195724094082256896
 もちろん、こうした態度自体も醜悪なのだが、狡猾な人間ならば仮にそう思っていたとしても、ここまであからさまに自らの属する業界の権威性を肯定しない。こうした不用意で幼稚な態度、あからさまに御しやすそうな感じ、が與那覇が引っ張りだこになっている理由の一つだと思う。半ば失笑されながら消費されるというのは茂木や福岡の受容とも共通するものと思う。

 ただ、だから與那覇が邪悪な業界人に利用されている被害者なのだ、と言いたいわけではない。この本は現代の歴史系「論壇」の知的頽廃を、最も陳腐な形で表しているという意味で、象徴的な製品だと思う。もちろん、與那覇の「本書で書かれている歴史像は私の独創というには程遠くて、むしろ斯界のプロのあいだでは新たな定説になりつつある研究視角や学問的成果を、メドレー形式にリミックスしただけといってもいい」(p.17)との表明とは全く異なり、この本で與那覇の言っていることの多くは定説でも何でもない「独創」が多いのであるが、現代日本の抱える知的頽廃というヘドロの中から出現した人物であるという側面は否定できない。このため、取り上げて以下に検討したい。


2.「中国化」というニセ概念について

 さて、検討にあたっては本書のキー概念である「中国化」について検証から始めるのが筋だと思うが、時間の無駄なのでやめる。そもそもこの本は「中国化」を定義しておらず、「中国化」とは「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」(p.13)「そこでいう「中国」のフォーカスは〔中略〕「近世(初期近代)」の中国に置かれています」(p.14)と記して、あとは「宋で導入された社会のしくみ」をズルズルと説明しているだけである。これは定義ではない。

 しかも、著者自身がこの「中国化」というキーワードをうまく捌けていない。例えば、與那覇は次のように書く。
「唐までは中国を意識的に模倣していたはずの日本は、なぜかこの宋朝以降の中国の「近世」については受け入れず、鎌倉から戦国に至る中世の動乱のあいだ延々とすったもんだした挙句に、江戸時代という中国とはまったく別の「近世」を迎えることになる。そして、近代というのは「近世の後半期」ですから、中国では宋朝で作られた社会のしくみが今日まで続いているように、日本でも江戸時代のそれが現在まで続いてきた(いわば、長い江戸時代)。
 ところが、今や様々な理由によって、その日本独自の「近世」である江戸時代のやり方が終焉を迎えた結果、日本社会がついに宋朝以降の「中国の近世」と同じような状態に以降――「中国化」しつつある、というのが、本書のタイトルの本当の意味になります」(p.16-17)
 他方で與那覇は後にみるように明治維新は「中国化」であるという。「長い江戸時代」が続いていたはずなのに、なぜ明治維新は「中国化」なのか、これを読むだけでは理解できない。そこで裏の「関連年表」をみると、中国史/東アジア史、日本史、ヨーロッパ史/世界史にそれぞれ「「中国化」的要素」、「「江戸時代化」的要素」が割り振られている。つまり、日本史を「「中国化」的要素」「「江戸時代化」的要素」の交代(対抗?)の歴史として整理している。この時代にはこっちが強くて、あの時代にはこっちが強くて、という風に。また、與那覇は時には政治的には「中国化」、経済的には「江戸時代化」などというようにも使い分けるため、その度ごとに読み手はこれらの言葉で示されているものが具体的に何を指すのかを探し出し、置き換えなければならない。本来そうした作業は著者がなすべき最低限の義務なのだが、與那覇はそれを読者に丸投げしているのである。
 

 この本で與那覇は比較史風の手法を採っているが、「中国化」自体が定義されておらず、その意味するところは極めて漠然としたものである上、それぞれの歴史の中に「的要素」が見出せるとされ、しかも政治・経済・社会の各分野でこうした「要素」が並存しうるということになると、もはや何でもありである。そもそも「関連年表」によれば、「中国化」のモデルである宋代以降の中国にさえ「江戸時代化」的要素があるようなのだが、こうした認識と、「中国化」とは「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」という説明とが、何の注釈もなく並存していることは、読者を大いに混乱させる。これは著者自身の混乱を示しているともいえる。おそらく與那覇は主観的にはあらゆる歴史的事象を「「中国化/江戸時代化」的要素」に振り分けることができると自認していると思うが、それはこの概念自体に意味がないからである。

 よって、以下は「中国化」云々の話に付き合うのはやめて、與那覇が執拗に「歴史学の常識」であるとする見解が、本当に「常識」なのかを検討したい。與那覇は「「にわかに信じられない」という方のためにも、一般書としてはかなり丁寧に記述内容の出典表記をつけて、興味を惹かれたテーマについてはどんどんオリジナルの研究に当たってもらえるよう、工夫しました」(p.21)と書いている。この本は私にとっては「にわかに信じられない」ことしか書いていないので、與那覇の指示通り、私が「興味を惹かれたテーマ」である近代史と植民地期の記述について、「どんどんオリジナルの研究に当たって」検証してみたい。

(続)
by kscykscy | 2012-05-05 00:00 | 歴史と人民の屑箱

ある「良心的」日本人の救いがたい鈍感さについて

 「nos」@unspiritualized(以下、nos)という人物が私の金明秀論考への批判に関連して、金光翔氏による「続・金明秀の弁明について(1)」という記事を批判した。私としては、金光翔氏によるnosへの批判に付け加えるものはなく、また、金明秀の弁明への批判も的確なものであると考える。nosの、私が金明秀の記事を誤読している、という指摘も著しく説得力を欠くものであるため、付け加えて反論することはない。

 ただ、私は、このnosという人物の一見「良心的」でありながら、決して問題を自らのことと受け止めようとしない姿勢、そして平然と朝鮮人の主体性を横領しておきながらそれに気づかない鈍感さには、憤りを禁じえない。おそらくnosにとって、こうした断定は不本意であろう。何より、nos自身が「ほんらい僕らが考えねばならない」と繰り返しているのであるから。しかしその「僕らが考えねばならない」が問題なのだ。

 nosは、金明秀と私の主張は「どちらも正しい」という。しかし、私と金の主張は相互に排他的である。もし金の主張が正しいならば、私の主張は誤っている。例えば、金の「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」との主張に対しては、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが「有効な打撃を与える」リスク・コミュニケーションだ、という主張は誤っている、朝鮮学校側はこうした主張(戦略?)を採用すべきでない、と私は主張した。もし金が私の批判を正しいと考え受け容れるならば自説を修正せざるを得ないし、逆ならば私の批判が誤っていることになる。つまり、両者が「どちらも正しい」ということはありえない。そもそも私はそのような中途半端な形で問題を提出していない。

 また、nosは「原理的な正しさでそれをなくせるのか。短期的かつ即効的に苦しみを取り除く手段が是でないと言えるのか。悩んだ。」と書き、私と金の対立構図を「原理的な正しさ / 短期的・即効的に苦しみを取り除く手段を是とすること」として描く。そもそも「原理的な」とわざわざ限定をつけるところに違和感を抱くが、それは措こう。私の記事を読めばわかるように、私は金の主張は有効性すらない、と書いた。つまり金の主張は誤っているだけでなく、「短期的かつ即効的に苦しみを取り除く手段」、すなわち、朝鮮高校生への即時無償化を勝ち取るための有効な手段ですらない、と主張したのである。これは私にとって非常に重要なポイントである。つまり私は金の主張のすべてが間違っている、と主張したのである。

*金明秀の「戦略」の問題点についてはブログ「lmnopqrstuの日記」の記事「金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」について」がさらに精緻な批判を加えている。

 にもかかわらず、nosは私と金の対立を「原理的な正しさ/短期的・即効的に苦しみを取り除く手段を是とすること」として捉えた。これは、金の主張には有効性すらない、という私の批判が妥当しないことを前提にしなければ成り立たない構図である。この点を理解せず、nosは私と金の「どちらも正しい」という。しかし、以上見たとおり、私と金が「どちらも正しい」ことはありえない。よって、nosは金光翔氏のいうように、「公共的な議論に必要な最低限の論理性」を欠いていると思う。実際には、nosは金の主張が「正しい」ことを前提に議論しているにもかかわらず、それに気づいていないからだ。

 そもそもnosは、私も引用したように、当初金に「お気持ちはよく分かるのですが、在日が「国益」になる/ならないという判断の下に置かれるということは、いつでも恣意的に”ならない”に振り捨てられるということでもあり、「認識フレームを転換する」ことにはならないのでは」というまっとうな問いを投げかけた。これに対する金の返答は、著しく論理性を欠くものであり、端から見ていても私にはnosが何に納得しているのか全く理解できなかったが、nosによれば、納得した理由は「マジョリティー(日本人)として、かくあるべきという理念を優先させるべきだという考えは、いままさに被害を受けているマイノリティー(「現実に犠牲となっている人々」)からすればおかしいものではないか、という点に気付かされたからだ」という。しかし、もしこの言明どおりだとするならば、nosは主張の妥当性の問題を、マジョリティー/マイノリティーという立場性の問題にすりかえていると言わざるを得ない。

 ここで問題となっているのは、マイノリティ一般ではなく、金明秀個人の主張である。言うまでも無く、金の主張の責任を負うのはマイノリティ全体ではなく、金明秀個人である。nosによる疑問は、「マジョリティー(日本人)」の立場からは言うのをはばかられるような性質のものでもない。また、nosは勝手に金に「いままさに被害を受けているマイノリティー(「現実に犠牲となっている人々」)」を代理させているが、これもおかしい。こういった一見相手の立場性を尊重しているような態度をとり、また、自らがマジョリティであるという立場性を理解していることを装いながら、その実相手の主張そのものにまともに向き合おうとしない姿勢というのは、極めて問題である。本来なら、こうした「納得」の仕方は金明秀に対しても失礼なのであるが、金自身はむしろnosの失礼さ・鈍感さに救われているため、その問題点は決して暴かれることはない。nosは金光翔氏による「金明秀と日本人馬鹿左翼の馴れ合い」という批判にいたく立腹しているようだが、こうした関係性は「馴れ合い」以外の何者でもない。

 何より私は、nosのこうした一見立場性を尊重しているように見せかけながら、その実、朝鮮人の主体性を横領していることに全く気づかない鈍感さに、心底憤りを感じる。nosは私と金の「分断と衝突の責任は、日本人にある。ほんらい僕らが考えねばならない」「そして、これら二つの「正しさ」に分断を強いているのは、他ならぬマジョリティーの自分自身である。」と述べているが、冗談ではない。確かに朝鮮学校「無償化」排除問題の責任は日本政府とそれを許容する日本人にある。しかし、私の金への批判の責任を負うのは私である。そして、金は金の責任において反批判を避け、支離滅裂な弁明を繰り返し、私を不当にも罵倒しているのである。それともnosはこうした論争は、何らかの抑圧が存在すれば「マイノリティ」のなかで自然発生的に起こるものだとでも思っているのか?

 そもそもnosは「外からえらそうに、青い意見だとわれながら思うが、両者の交点が見いだされることを願わずにはおられない。」などと述べているが、この間一度もまともに「意見」を述べていない。私は、nosが「青い意見」を言っていることに憤っているのではない。「考えなければならない」ばかりを連呼して、「考えている私」アピールに終始し、その実まともな「意見」を一度も表明しておらず、責任を負おうとしていない。にもかかわらず、勝手に対立構図を作り上げて仲裁者ぶった振る舞いを繰り返していることに憤っているのである。

 なぜ「交点」など見出さなければいけないのか?上にも書いたが「交点」など存在しない。問題は明瞭に提出してこそ意味がある。私は金が自らの誤りを認め自説を取り下げたとしても、それをもって直ちに金の全人格が否定されるとも、全言論活動が誤っているとも、その研究内容が信用できないものとなるとも思わない。逆もまた然りである。当たり前のことではないか。ただでさえ今般のやり取りは、金の対応のために「論争」の体をなしていないというのに、nosの仲裁者気取りの振る舞いは迷惑以外の何者でもない。仲裁者などいらないので、やめていただきたい。
by kscykscy | 2012-05-04 00:00 | 抗議