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何に怒るのか――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑧

 朝鮮学校を排除した高校「無償化」法案が衆議院を通過した。鳩山政権はこれまでの日本政府と全く同様に、朝鮮高校を「高校」と認めなかった。政府は、朝鮮高校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」かどうかの判断を第三者機関に委ねるという。それでは田中真紀子衆議院文部科学委員会委員長をはじめとする国会議員らは東京朝高で何を「視察」したのか。人を馬鹿にするにもほどがある。
 
 今回、こうした朝鮮学校が高校「無償化」から排除された背景には、中井をはじめとする極右派の攻撃があることは確かである。だが政府関係者がしきりに繰り返した「外交上の配慮や教育の中身は判断材料にならない」(川端文科相)などの弁解も、中井的なものと別のことを言っているわけではない。しつこく書くが、大学受験資格から排除した時でも、文科省が朝鮮学校を排除した表向きの理由は「外交上の配慮」ではなかった。そんなことを堂々と認める役所があるわけないだろう。実際には「外交上の配慮」なのであるが、それをそうではないと強弁するために本国との関係について「公的確認」ができるかどうかなどという恣意的概念を創出したのだ。『毎日新聞』によれば、「ある文科省幹部は『教育行政として、省令の基準を検討している。外交上どうだとかという世界ではない』と困惑の表情」を浮かべた云々とあるが、この「文科省幹部」は何をカマトトぶっているのか。そしてなぜ『毎日』はこんな「困惑の表情」を垂れ流すのか。そんな「表情」など活字であっても見たく無い。
 
 今般の朝鮮学校排除はこのように一から十まで朝鮮人を馬鹿にしきった屁理屈の積み重ねによって遂行されている。これほどの理不尽が跋扈するなかで、平常心でいるほうが難しいのである。朝鮮人はもっと怒っていいはずなのだ。怒るべきは、これまでに類を見ないような差別が行われたからではない。もちろん「友愛」とか言っているのにそれを実現していない云々でもない。半世紀以上にわたって朝鮮人の民族教育を貶め、壊してきた日本政府が、また性懲りも無く悠々と同じことを繰り返している事実に怒るべきなのである。朝鮮学校を排除するためなら手段を選ばない『産経』や在特会に、そして、朝鮮学校も変わったんだからそろそろ許してやれといっている『朝日』に怒るべきなのである。
 
 怒ってもよいがゆえに、朝鮮人側は必要以上のことを語る必要はない。義務もない。日本政府は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」は高校「無償化」法案における「高等学校等」に含めるという法を定めた。だが朝鮮学校は排除するという。では朝鮮学校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」ではないという理由を挙げてみせよ。問うべきことはその一点に過ぎない。「確認ができない」などというまやかしに耳を貸す必要はない。朝鮮学校がインターハイでよい成績をおさめているとか、多くは日本の大学に進学するとか、韓国籍や日本籍の子もいるとか、朝鮮学校卒業生はこれから日本で暮らす子達なのだとか、はたまた日本の高校とほとんど変わらないとか、そんなことを持ち出して卑屈に懇願する必要は無いのである。仮にインターハイの「イ」の字もしらないような学校であろうが、全員が日本の大学になど見向きもしないような学校であろうが、全員が「朝鮮籍」であろうが、在学生や卒業生たちのほとんどが一日でも早く日本を離れることを夢見て努力していようが、朝鮮学校の排除は許されないのである。
 
私は2010年の排除だから怒っているのではない。1990年代に東京朝高に外国人登録証の住所変更をしなかったとかいう「微罪」で機動隊がなだれ込んできたことにも怒っているし、国鉄・JRの定期券の「通学」割引を朝鮮学校に認めなかったことにも怒っているし、受験資格はおろか大検の受験資格すら認められずに理不尽なダブルスクールを強いられたことにも怒っているし、1960年代から1970年代に朝鮮学校を取締ろうとして外国人学校法案なるものを作ろうとしたことにも怒っているし、1950年代初頭に都立時代の東京朝高に警察隊がなだれこんできたことにも怒っているし、1948-49年に死ぬ思いで作った朝鮮学校をぶっつぶしたことにも怒っているし、戦時期に「皇民化」教育を強制したことにも怒っているし、1930年代中盤に在日朝鮮人の民族教育を取締・簡易学校等を警察力で強制閉鎖したことにも怒っているのである。そして、この全てを食い止めることができず、むしろ支持し、2010年現在でも朝鮮学校排除賛成53%という数字をはじきだす日本の一般人に怒っているのである。
 
 前にも引用した『毎日』の記事はおそらくは何の気に無しに「一方、朝鮮学校への対応は、歴史的経緯もあり簡単ではない」と書いた。下品な一文である。「歴史的経緯もあり簡単ではない」とはどういうことか。つまり、いま認めてしまうと、これまでの排除や弾圧も間違っていたことになってしまうから「簡単ではない」ということではないか。文科省はこれを認めると受験資格まで認めなければいけないのではないかと恐れているのではないか。だからこれまでの弾圧は全ては正しかったが、今回からは朝鮮学校を排除しないでおいてやる基準をどう作るかに「良心」ある人々は「困惑」しているのではないか。『朝日』の、変わったから許してやれ、という擁護論はそのための下準備をしてあげているのではないか。はっきり書いておくが、日本政府はいまだけ間違っているのではない。ずっと間違っているのである。ずっと間違っているから、いまも間違えるのではある。だからこそ、朝鮮人が歴史を持ち出し、怒りを表明することは決して間違っていないのである。
by kscykscy | 2010-03-24 17:33 | 朝鮮学校「無償化」排除問題

やはり橋下府知事を朝鮮学校に入れるべきではなかった――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑦

 橋下は予定通り朝鮮学校を「視察」し、高校「無償化」と何の関係もない肖像画問題等で朝鮮学校を恫喝した。テレビに映し出されたのは、強要された「歓迎」のなか、敢然と「不法国家」との関係をただす橋下知事と、話さなくてもいいことまで話し、しなくてもいい「約束」までしてしまった大阪朝高側関係者の哀れな姿だった。

 私は橋下の「視察」そして恫喝は日本のおおよそのメディアの支持のもとに行われたものとみるべきだと思う。何より橋下の行動は新聞各紙の論調とそうずれているわけではない。『朝日』は、今後肖像画は無くなっていくだろう、だから無償化から除外するな、と主張していた(「案の定の『朝日新聞』社説――朝鮮学校と高校「無償化」問題③」参照)。他紙も似たようなものである。テレビも嬉々として橋下の「視察」を報道したように見える。橋下=『産経』と見るのは誤りであって、むしろ『産経』の本音からすれば中井拉致担当相の「橋下知事は甘い」という意見に近いだろう。条件を満たせば「無償化」に入れてやるなんてこといってないで、さっさとつぶしてしまえというのが中井=『産経』の主張だからだ。

 不当な橋下の「視察」を朝鮮学校側が受け入れざるを得なかったのは、こうしたメディア全体の圧力があったからと見るべきだ。もし『産経』だけが跳ねて、『朝日』や『毎日』が「高校課程相当なのだから朝鮮学校だけ改めて調査するのはおかしい」というまっとうな論陣を張っていれば、こんなことにはならなかったはずである。こうした惨状を惹起した責任は各紙とも等しい。

 しかも、現政権は結局「政治主導」どころか朝鮮学校の判断を文科省及び「第三者機関」なるものに丸投げしてしまったため、大学受験資格の例で見るならば、判断そのものが今後都道府県知事に丸投げされることすら考えうる。大学受験資格問題の際、文科省は結局自らが朝鮮学校を承認することを放棄し、各大学に判断を丸投げしてしまった。つまり現在は各大学が朝鮮学校生徒・卒業生個々人の受験資格を認めているのであって、日本政府が朝鮮学校の大学受験資格を認めているわけではないのである。このパターンでいくならば、都道府県知事に受給権者の受給資格の認定が丸投げされるのも、あながち杞憂ともいえない。

 あくまで重要なことは「高等学校等」に朝鮮学校を即時含めることであって、「第三者機関」とやらに別の抜け道を作らせてはならない。ここでは、現行の法律案における都道府県知事の権限について、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」(以下、法律案)をもとに確認しておこう(法律案は文部科学省のHPで読むことができる)。

 まずは今般の議論に関わる条文を確認しておこう。関連する条文は法律案の第二条にあり、ここではこの法律における「高等学校等」の定義を列挙しているが、今回の件に関わる部分はそのうちの第五項である。

「五 専修学校及び各種学校(これらのうち高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるものに限り、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する学校以外の教育施設で学校教育に類する教育を行うもののうち当該教育を行うにつき同法以外の法律に特別の規定があるものであって、高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるものを含む。)」

 この条文は非常に読みづらいが、大きく二つのことが述べられている。第一は専修・各種学校のうち「高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」については就学支援金支給対象とするということ。第二は学校教育法第一二四条及び第一三四条で専修学校・各種学校の定義から除外されている「当該教育を行うにつき他の法律に特別な規定のあるもの」でも、「高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」については就学支援金の支給対象に含めるということである。ちなみに「当該教育を行うにつき他の法律に特別な規定のあるもの」とは、職業安定法に基く職業補導所、児童福祉法に基く保育所等である。

 もし国会での議論の焦点となるとすれば、この第二条第五項に定められた各種学校のうち「高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」の範囲に朝鮮学校が含まれるのかどうか、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」かどうかをどのように確認するのか、である。しかし実際には朝鮮学校が「高等学校の課程に類する課程を置く」かどうかは脇においやられ、法案の内容と何ら関係のない教育「内容」や朝鮮民主主義人民共和国からの教育援助費、果ては「肖像画」といった学校施設に関する事項にまで議論が飛び火したのはすでに記したとおりである。

 次に、仮に朝鮮学校が「高等学校等」に含まれた場合の都道府県知事の権限について見てみよう。法律案は第五条で以下のように定めている。 

「第五条 前条第一項に規定する者(同条第二項各号のいずれかに該当する者を除く。)は、就学支援金の支給を受けようとするときは、文部科学省令で定めるところにより、その在学する私立高等学校等(その者が同時に二以上の私立高等学校等の課程に在学するときは、その選択した一の私立高等学校等の課程)の設置者を通じて、当該私立高等学校等の所在地の都道府県知事(当該私立高等学校等が地方公共団体の設置するものである場合(当該私立高等学校等が特定教育施設である場合を除く。)にあっては、都道府県教育委員会)に対し、当該私立高等学校等における就学について就学支援金の支給を受ける資格を有することについての認定を申請し、その認定を受けなければならない。

  つまり、就学支援金の支給を受けるには、受給権者は高等学校等の設置者を通じて所在地の都道府県知事に対し受給資格を有することについての認定を申請し、都道府県知事はそれを認定する、と記されている。大阪の例でいえば、大阪朝高に就学する者は、大阪朝高の設置者を通じて橋下府知事に受給資格を有することについての認定を申請するということである。

 ここで注意すべきは、都道府県知事が認定できるのは、受給資格そのものではなく、「受給資格を有すること」の認定であるということである。若干ややこしいが重要なポイントなので、就学支援金の受給資格について定めた法律案の第四条を見てみよう。

「第四条 高等学校等就学支援金(以下「就学支援金」という。)は、私立高等学校等に在学する生徒又は学生で日本国内に住所を有する者に対し、当該私立高等学校等(その者が同時に二以上の私立高等学校等の課程に在学するときは、これらのうちいずれか一の私立高等学校等の課程)における就学について支給する。
2 就学支援金は、前項に規定する者が次の各号のいずれかに該当するときは、支給しない。
 一 高等学校等(修業年限が三年未満のものを除く。)を卒業し又は修了した者
 二 前号に掲げる者のほか、私立高等学校等に在学した期間が通算して三十六月を超える者
3 〔略〕」


 法律案はこのように「受給資格」の範囲をあらかじめ定めている。よって、都道府県知事はここに列挙された「私立高等学校等に在学する生徒又は学生」かどうか、「日本国内に住所を有する者」かどうか、あるいは「高等学校等(修業年限が三年未満のものを除く。)を卒業し又は修了した者」ではないか、「私立高等学校等に在学した期間が通算して三十六月を超える者」ではないかなどの基準に照らし、受給権者が「受給資格を有すること」を認定することになる。

つまり、少なくとも現行の法律案では、都道府県知事がその学校が「不法国家」の指導者の「肖像画」を掲げているかどうか、「朝鮮総連と一線を画している」かどうか、などの「独自の基準」に照らして受給資格を認定する権限はない。都道府県知事はあくまで法の規定に照らして「受給資格を有すること」の認定を出すことができるだけであって、独自に「受給資格」を与えたり、奪ったりする権限は無い。

 ただ、この法律案が都道府県知事に認めているのは、「この法律の施行に必要な限度において、受給権者、その保護者等若しくは支給対象高等学校等の設置者(国及び都道府県を除く。)若しくはその役員若しくは職員又はこれらの者であった者に対し、報告若しくは文書その他の物件の提出若しくは提示を命じ、又は当該職員に質問させること」(第十七条第一項)に過ぎない。「法律の施行に必要な限度」という文言も、あくまで第四条の「受給資格を有すること」を認定する際に必要な情報の提示に限られると読むべきである。これは、第十七条第三項が「第一項の規定による権限は、犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」と念を押していることからもわかる。

 今般の橋下府知事の朝鮮学校「視察」は、国からの就学支援金に上乗せする大阪府独自の支援補助金の拠出に関する「視察」だったわけだが、少なくとも政府レベルの認定基準と照らしても、肖像画や「誓約書」云々といった大阪府「独自」の判断基準は、明らかに「高等学校の課程に類する課程を置くもの」という基準を大幅に踏み外したものである。現行の法律案では都道府県知事には朝鮮学校の教育「内容」を独自に調査するなどして受給資格の付与を判断する権限は与えられていないが、今後こうした「大阪モデル」が就学支援金の方向へと拡張していく可能性もないわけではなく、その際、都道府県知事がこれらの認定・調査権限を濫用する可能性は否定できない。最も恐れるべきは橋下の恫喝が、日本全体の高校「無償化」の標準になっていくことである。

※なお3月15日18時付で掲載した記事は一部事実の誤りがあったため、修正の上差し替えた。
by kscykscy | 2010-03-15 23:28 | 朝鮮学校「無償化」排除問題

橋下府知事を朝鮮学校に入れるべきではない――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑥

 標題はあおりや冗談ではない。至って真剣である。

 報道されているように、3月10日に橋下は朝鮮学校を「視察」する際、「政治と教育が区分けされているか確認する」「朝鮮総連との今後のかかわりについて宣誓書をとるのかもポイント」「不法な国家体制とつきあいがあるなら、僕は子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる。そうしないと朝鮮の皆さんに対する根深い差別意識が大阪府からなくならない」云々と語ったという(『朝日』web版、3月10日付)。

 橋下の発言はもはや高校「無償化」云々の話をとっくに通り越している。朝鮮総連との関係を絶つと「宣誓書」を出すならば「無償化」してやる、とは、もはや朝鮮学校が高校課程相当かどうかはもちろんのこと、教育「内容」をすらも踏み越えて、特定の民族団体との関係を持つことそのものを自治体の長が禁止するものであって、公然たる民族自決権の侵害である。
 
 この橋下の発言に私は心底寒気を覚える。なぜならこの橋下の「論理」は、朝鮮解放直後に各地に叢生した数百の朝鮮学校を閉鎖に追い込んだ1948-49年の日本政府による民族教育弾圧と、全く同様の理屈に基づいているからである。単純に民族教育を認めないという点が似ているのではない、基本的な発想から論理の展開にいたるまで、一切合財がうり二つなのである。

 この間いくつかの新聞が報じているように、現在の朝鮮学校は朝鮮解放後に各地で在日朝鮮人が建設した諸種の民族教育機関をその起源にしている。だが、現存する多くの朝鮮学校の直接の起源は、1945-1947年の間に建てられた民族教育機関ではない。なぜならば、日本政府とGHQは1948-49年に当時500校以上を数えたこれらの民族教育機関に一斉に閉鎖命令を出し、ことごとくそれを粉砕してしまったからである。多くの朝鮮学校は、この大弾圧をくぐりぬけ、1950年代中盤以降に再び再建された学校に直接の起源を置いている(もちろん、これらは解放直後の民族教育との連続関係が強いので、解放直後の朝鮮学校が「起源」であるとする説明が間違いと言いたいわけではない)。

 問題は1948-49年の学校閉鎖命令の論理である。弾圧の波は大きく二度あった。一度目は1948年である。発端となったのは、教育基本法・学校教育法制定後に文部省学校教育長が1948年1月24日に出した通達「朝鮮人学校の取扱について」である。ここで文部省は、①在日朝鮮人は日本の法令に服さねばならない、②学令児童は日本人同様市町村立・私立の小学校又は中学校に就学させなければならない、③私立小学校・中学校は学校教育法により都道府県監督庁の認可を受けねばならない、④学令児童・生徒の教育について各種学校の設置は認めない、⑤私立小学校・中学校には教育基本法第八条が適用され、教科書・教科内容については学校教育法が適用される、⑥朝鮮語等の教育を課外で行うことは差支えない、の六点を指示する。また、直後の48年1月26日には「朝鮮人の学校の教職員の資格審査について」という通達を出して、朝鮮学校の教職員の資格審査を命じた。教員の資格審査はそもそも軍国主義教員のパージのためのものだったが、文部省はそれを朝鮮学校弾圧に転用したのである。

 ポイントは①と②である。この時点で日本政府は朝鮮はいまだ独立しておらず、朝鮮人児童は「日本人」であるとの建前に立っていた。文部省はこの建前に立ち、日本学校に「日本人」=朝鮮人学令児童を収容せよ、と命じ、一方では朝鮮学校の設置を認めず、その閉鎖を各自治体に命じたのである。当時の在日朝鮮人は閉鎖命令に抵抗したが、日本は強硬手段にでて、神戸では米軍が非常事態宣言を発令して約二千人(!!!)もの朝鮮人を検束し、軍・警動員のもとで閉鎖を強行した。また、大阪での学校閉鎖反対デモに当局は放水と射撃で応じ、朝鮮人青年一名が射殺されている。

 それでも、この第一波の時は朝鮮学校側は何とか粘った。教育基本法・学校教育法に従うこと、私立学校としての自主性が認められる範囲内で朝鮮人独自の教育を行うことを前提に私立学校の申請をする、というラインで文部省と当時朝鮮学校を運営していた在日本朝鮮人連盟(朝連)は覚書を交わし、多くの学校が閉鎖され、教育内容についても大幅な後退を余儀なくされつつも、それでも朝鮮学校の全滅は回避したのである。

 だがまもなく第二波がやってくる。1949年9月8日に日本政府は朝鮮学校の運営母体であった朝連に団体等規正令(後の破防法)を適用して解散指定し、全役員の公職追放と団体財産の接収を行った。詳細に書いていると長くなるので割愛するが、この朝連解散というのは今で言えば総連と民団、それとその他の在日朝鮮人団体を全部解散指定した上に不動産・動産・預貯金など財産の一切を奪い取るようなもので、本当に恐るべき朝鮮民族パージであった。そして文部省と法務省は直後の10月19日に「朝鮮人学校に対する処置について」という通達を出し、この解散指定を根拠に全朝鮮学校の閉鎖と改組を命じたのである。運営母体が団体等規正令で解散指定され消滅したのだから、朝鮮学校も閉鎖しろ、という話である。この後の一斉閉鎖強行により、朝鮮学校は48年の妥協の末の認可すらも全て取消され、ほぼ完全に粉砕されるに至ったのである。なお、このとき閉鎖されたのは朝連系学校に留まらない。

 長々と記したが、私が特に注意を喚起したいのは、第一に今回橋下が言い放った「子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる」という論法が、48年の文部省通達と全く同様の論理であるということである。つまり、朝鮮人児童はそもそも「日本側の子ども」なのであり、朝鮮人の教育ではなく「正常な学校」で学ばせねばならない、という理屈である。これは橋下が「朝鮮学校に通っている子どもたちの学習権を侵害するつもりはない。府立高校でも私立高校でもきちんと受け入れをする」と、暗に朝鮮学校から朝鮮人児童を日本の高校に改めて「収容」させることを示唆する発言をしていることとも符合する(「47ニュース」3月10日付、*1)。

 また、第二に橋下は朝鮮総連との関係を徹底的に断ち切らせる(「宣誓書」を出させる)とぶちあげているが、これは第二波の教育弾圧、すなわち1949年10月の学校閉鎖の論理と同型である。団体等規正令という治安法令(そもそもこれは軍国主義団体をパージするためのものだった)を根拠に、教育機関を閉鎖に追い込むという剥き出しの治安政策的発想に基いているからである。しかも現状では朝鮮総連との関係を断ち切った場合、朝鮮学校の運営は一気に困難に陥ることは確実である。それは別に朝鮮民主主義人民共和国から支援を受けているから云々ではない。教員の養成、生徒の募集、運営資金集め、教科書編纂、その他諸々の諸事務の一切合財を遂行することができなくなるからである。橋下の構想を実現することは、事実上の朝鮮学校の閉鎖・縮小につながるのである。

 走り書きになってしまったが、結論から言って橋下発言はこうした歴史的経緯を知っている者にとっては、石原「三国人」発言に匹敵する、あるいはそれ以上の堂々たる妄言なのである。橋下はすべて朝鮮学校を強制閉鎖する際に過去の日本政府が使った論法をそのまま踏襲しているのである。このような人物に朝鮮学校を「視察」させては絶対にいけない。良心ある人々は橋下発言を徹底的に問題化するべきである。


*1 実は朝鮮学校排除の論理はこの「朝鮮人児童=日本人」という論法で今日に至っているわけではない。1952年のサンフランシスコ講和条約発効直前に、日本政府は在日朝鮮人の「日本国籍喪失措置」なるものを勝手に取ったため、以後は「朝鮮人児童≠日本人」であり、よって日本学校への「収容」もあくまで恩恵であるとの立場に転換した。いわば1948年の日本政府のむきだしの植民地主義の論理は1952年に若干の変容を遂げるわけだが、今般橋下がむしろこの1948年の論理に則って「子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる」と言い放ったことは、現代日本の在日朝鮮人認識の所在を示唆しているといえる。
by kscykscy | 2010-03-11 00:14 | 朝鮮学校「無償化」排除問題

再び『産経新聞』を批判する――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑤

 『産経』が再び「【主張】高校無償化 朝鮮学校の説明は不十分」で朝鮮学校を排除せよと絶叫している。内容を要約する必要は無いだろう。『産経』の主張の要点は、①政府に朝鮮学校の教育内容精査を要求していること、②その際、教育内容が新教育基本法(「我が国と郷土を愛する」)に合致するかどうかをチェックすることの二つに絞られる。

 ①について、「単なるカリキュラムの調査だけでなく、同胞教育の中身の精査が必要である」と息まいていることからも、他の報道機関とは異なり、教育「課程」と教育「内容」の違いを十分に『産経』がわかった上で、意識的に教育「内容」の調査へと政府を踏み込ませようとしていることがわかる。『朝日』的擁護論(必ずしも『朝日』だけではない)は教育「内容」の変化をもって、朝鮮学校を高校「無償化」から排除するなと言っているわけだから、恐るべきことに現在のマスメディアのレベルでは①についてはほぼ反対意見はない(いわば擁護論者が教育「内容」に「問題」が無いことを勝手に保証しているだけだ)

 ②については、『産経』が新教育基本法を持ち出しているところがミソである。おそらく『産経』は拉致問題そのものにはさして関心がない。いわば教育「内容」への干渉のための口実のようなものだ。本当に注目すべきところは、①で行うことを主張する教育「内容」へのチェック基準に新教育基本法を持ち出していることである。すなわち、朝鮮学校が「我が国と郷土を愛する」教育内容を持つことが確認できなければ、高校無償化にいれることはできない、と言っているのである。もちろん「我が国」とは日本である。新教育基本法に即応した朝鮮学校など、矛盾でしかない。

 『産経』は①と②のチェックをクリアすれば高校「無償化」に包含しても良い、と言っているわけではない。おそらく『産経』が最良のものとして描いているシナリオは次のようなものであろう。政府が朝鮮学校の教育「内容」精査に踏み込み、かつそれを「事業仕分け」的な形で公衆の面前にさらし(ここまでは『朝日』も認めている)、しかもその「内容」が新教育基本法の基準にあてはまるかどうかを延々とストーカー的に追い回した(『産経』だけでなく各紙共やるはずである)上で、結論として高校「無償化」から排除する、というものである。

 このように見ると、実は『産経』にとって非常に重要なのは①の政府による教育「内容」の精査だということがわかる。②の新教育基本法によるチェックという土俵まで引きずりだせば、朝鮮学校は新学期早々、政府や報道機関によってめちゃくちゃにされることは目に見えている。とにかく教育「内容」をチェックせよ、というところまで政府を動かせば極右にとって極めて有利な土俵ができる。

 だからこそ、絶対に政府による教育「内容」精査を認めてはならないのである。もう少し具体的にいえば、拉致問題と人権問題を混同するな、とか、肖像画は他の学校でも飾っているなどといった次元での「反論」は、むしろ教育「内容」精査への動きを加速化させるだけであって、百害あって一利無しだ。再三主張しているが、そもそも高校課程相当の各種学校は高校「無償化」の対象とすると閣議決定したにもかかわらず、「高校課程相当」かどうかの判断を超えて、朝鮮学校のみ教育「内容」の精査をすることは明白な差別であり、教育内容への干渉である。ここが最重要ポイントなのである。

 再度強調するが、①を全く問題にしない『朝日』的擁護論は逆に朝鮮学校を追い詰めることになるだろう。しかも『産経』のみならず、『朝日』的擁護論も暗に政府が「内容」を精査したほうがいいと思っている節がある。『朝日』が無知でセンスが無いから全く使い物にならない論陣を張ったと考えるのは、おそらく実態を反映していない。『朝日』は積極的に、朝鮮学校が日本社会の好ましいように改造されることを望んでいる。こうした意味で『朝日』と『産経』の対立はほとんど無い。また、この点ではすでに新教育基本法を手に入れた『産経』のほうに分があるといえる。露骨な排除論と同時に、猫なで声の擁護論にも注意すべきだろう。
by kscykscy | 2010-03-01 18:57 | 朝鮮学校「無償化」排除問題