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「多民族社会」日本の構想

 特別永住者証明書の常時携帯義務の撤廃に自民・民主が合意したとのことだが、朝鮮民主主義人民共和国の核実験を口実に撤廃合意が撤回、あるいは修正(韓国籍だけとか)される可能性もあり予断を許さない状況である。もちろん、共和国の政策と特別永住者証明書の常時携帯撤廃問題とは本来何の関係も無いが、対共和国制裁として在日朝鮮人の処遇をいじくるという発想は日本では取り立てて珍しいものではないため、そうした現状を踏まえれば当然ながら上記のような推測はそう馬鹿げたものではないと思う。

 ただ、私としては基本的にあらゆる外国人に対し刑事罰でもって証明書の常時携帯を義務づける権利は日本国家には無いと考えているため、特別永住許可者に限定して施恵的に常時携帯義務を緩和するという今回の合意には納得のいかない点が多い。もちろん、永住許可者から常時携帯を撤廃してゆき、ゆくゆくは外国人全体の常時携帯義務撤廃の方向へともっていくという考え方は成り立たないわけではない。その場合には、外国人に身分証常時携帯を課す権利が日本国家に存在しないことを理論的な前提としつつ、特別永住者証明書の常時携帯義務撤廃という主張がなされなければならないだろう。

 しかしながら、現実的には現在の入管法改定をめぐる議論は逆の方向へと向かっていると思う。本来ならば外国人一般の身分証常時携帯義務の合法性が論点となるべきところであり、いわば外国人に刑事罰でもって身分証を常時携帯させることについて弁明を求められているのは日本政府の側なのであるが、実際には特別永住許可者、あるいは永住許可者の側が「常時携帯しないでいい理由」を証明する責任を負わされている。「特別永住許可者(あるいは永住許可者)は***なので常時携帯を撤廃して欲しい」と言わされるかたちになり、外国人の側が様々な理由を挙げて言うなれば自らの「善良さ」を立証しなければならないという状況が確かにある。これは極めて倒錯的な状況であると思う。

 しかも、こうした倒錯的な状況にはまりこめばこむほど、排外主義者やレイシストの「自分たちだけ特権を享受しようとしている!」というおきまりの「在日特権」論に包囲され、ますます袋小路に追い込まれることになる。もちろん、ここでいうところの「特権」とは、他の在留資格に比して「特別永住」が再入国規制や退去強制などの制裁の枠が緩く設定されていることを指すものであって、はなから人間一般の平等は前提とされていない。日本国民の「特権」は当然視されているのであり、もっと言えば日本国民の「特権」を防衛するための言説と言ってもいいだろう。破廉恥極まりない。

 いずれにしても在日朝鮮人はこうした何重にも包囲された状況を生きているのであるが、これは逆にいえば朝鮮人側もまた、これとは異なる論理を採り難くなってしまっているということでもある。入管法・入管特例法に限らず、外国人参政権や「権利としての日本国籍」論などにも言えることだが、本来ならば説明責任を負っているのは日本政府なのにもかかわらず、逆に「特別永住許可者(あるいは永住許可者)は***なので***権を付与して欲しい」というレトリックだけが許容されることにより、権利主張が外国人の階層化を促進する傾向すら示している。

 外国人参政権を例に挙げてみよう。現在国会には「永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権の付与に関する法律案」(以下、新法案)が上程されている。これがいわゆる永住外国人の地方選挙権について定めているのだが、この法案の前身たる「永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案」(以下、旧法案。こちらには「等」が入っている。両者の違いについては後述する)について、公明党の冬柴鉄三は次のように説明している。

「定住外国人の方々、これは我が国が、例えば朝鮮半島の方々につきましては、日韓併合以来、大変重い歴史を担っているという関係があります。日本で生まれ、日本で育ち、そして日本で骨を埋めていく人、いった人、そしてまた、現在実にそれが四世、四代、生まれそして亡くなりという関係がある人たちが、今御指摘のように六十二万人もこの国にはいられるわけでありまして、それは、外国人の中でも特に特別永住権というものを与える法制をとっております。/この方々は我々と同じ日本語で話を流暢にされ、そしてまた我々の住民として日本のコミュニティーを形成し、そして日本の経済発展にも大いに裨益をしてきた人々であります。/ただ違う一点は、いわゆる憲法十条による国籍法によって日本人とされていないという点が違うだけでありますが、この方々につきましても日韓併合以来は日本人として扱われ、また徴兵の義務を負われ、ただ敗戦後、日本がサンフランシスコ条約を締結したときにこの国籍が、その人たちの意思を問うことなく、朝鮮半島の方であれば、大韓民国の方あるいは朝鮮民主主義人民共和国の方々として国籍が変わった、しかしながら住居は日本にずっと居続けていらっしゃる、こういう関係の方々に対して特別永住権が与えられているわけであります。〔…〕もちろん国籍が違いますから、国籍というものによって区別される点については、別異の法的扱いを受けることは当然といたしましても、そうでない部分につきましては、限りなく日本人に近い扱いがされてしかるべきであろう、このような観点から我々はこの法案を提案しているわけであります」(1999年8月12日、衆議院)

 なぜ、外国人に選挙権が与えられるべきか、という問いについて冬柴は、在日朝鮮人は「日本で生まれ、日本で育ち、そして日本で骨を埋めていく人」たちであり、「我々と同じ日本語で話を流暢にされ、そしてまた我々の住民として日本のコミュニティーを形成し、そして日本の経済発展にも大いに裨益をしてきた人々」でありまた、「日韓併合以来は日本人として扱われ、また徴兵の義務を負」ったが、サンフランシスコ講和条約により(厳密にはそれを理由とした法務省民事局長通達だが)当人の意思とは無関係に「国籍が変わった」人たちであるから、「この方々に対しては日本人と限りなく近い扱いをすべき」であり、よって地方選挙権を与えてよいのではないか、と説明している。

 つまり、ここでは朝鮮人の外国人たることを前提に「外国人参政権」論が展開されているのではなく、むしろ朝鮮人がいかに日本人に近いかという「同化の論理」と、過去に日本人であったという「旧臣民の論理」を繰り返し述べられているのである。最近は陰を潜めている日本国籍取得要件緩和論は政治的にこれらの外国人選挙権論をつぶすために持ち出されたものと理解されており、それなりに当たってはいるのだが、論理的には特別永住者の日本国籍取得要件緩和論も同じく「同化の論理」と「旧臣民の論理」を下敷きにしている。実際、冬柴のサンフランシスコ講和条約云々のくだりからは、特別永住者の日本国籍取得要件緩和論も同様に導きだすことができる。よって、むしろその対立面よりも歴史認識の共通性にこそ注目すべきであろう。

 いずれにしても、これらの議論は国民/外国人といった法的地位の差異を超えて、人権としての参政権論を展開しているというよりも、むしろ「日本人との近似性」に根拠を置きつつ権利主張を行っている。「特別永住許可者(あるいは永住許可者)はほとんど日本人なので選挙権を付与して欲しい/国籍取得要件を緩和して欲しい」というレトリックに見事にはまり込んでいる。ここでは一般外国人と「旧臣民」「同化」外国人の序列構造が権利主張の前提になってしまっているのである。

 しかも、「どれだけ日本人に近いか」あるいは「旧臣民としてどれだけ貢献したか」についての判定権限は、そのレトリックの性質上日本人の手に握られているわけであるから、例えば朝鮮民主主義人民共和国が核実験をしたりして日本人の心証を害すことになれば、「ああ、やっぱりまだまだだな」ということになり、論理とは無関係に課題の実現は遠のくことになる。一方、こうしたレトリックを初めから前提としている側からすれば、糾弾すべきは核実験と地方参政権問題を結びつけた非論理的思考ではなく、日本人の心証を害す原因を作った朝鮮民主主義人民共和国だということになり、こっちを糾弾することになる

 さらにいえば、現在上程されている選挙権法案はすでにそうした「情緒」もおりこみ済みの法案になっている。例えば旧法案の附則第三条は以下のように選挙権付与対象を限定していた。

附則第三条 当分の間、第二条中「該当する者」とあるのは、「該当する者(外国人登録法(昭和二十七年法律第百二十五号)第四条第一項に規定する外国人登録原票の国籍の記載が国名によりされている者に限る。)」とする

 ここでの「国籍の記載が国名により」なされていない者とは、言うまでも無く「朝鮮」籍の者である。これについて同じく冬柴は「その国交のない本国がその付与に強く反対している場合にあっては、我が国の地方選挙権を取得した者に対しその者にとって不利益となる扱いを行うおそれが十分に予測されます。」(2000年5月23日 衆議院)と理由を説明している。地方選挙権の付与に反対する「国交のない本国」が朝鮮民主主義人民共和国を指すことは明らかであるが、繰り返し述べるように日本政府の見解では「朝鮮」籍と朝鮮民主主義人民共和国とは何の関連性も無い。にもかかわらず、権利をあげると「朝鮮」籍者が朝鮮民主主義人民共和国から「不利益となる扱い」を受けるから外しました、と強弁している。普段は朝鮮民主主義人民共和国の見解など意に介さないにも関わらず、国内の反「北朝鮮」世論をかいくぐるためふざけた理屈を作りだしたのである。

 だが旧法案のこのあからさまな「朝鮮」籍排除はさすがに多くの批判を浴びた。このため、現在上程中の新法案ではこの附則第三条の文言は次のように変えられている。

附則第三条 当分の間、第二条中「該当する者」とあるのは、「該当する者(この法律により付与される地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権と同等と認められる地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を日本国民に付与している国として政令で定める国の国籍を有する者に限る。)」とする。

 つまり、地方選挙権をすでに認めている国(例えば韓国)の国籍を持っている特別永住/永住許可者についてのみ、選挙権を認めるというように入れ替えたのである。少し考えればわかることだが、この新法案により附則第三条によって再び「朝鮮」籍者が除外されるのはもちろんのこと、永住許可者であっても地方選挙権を当該国籍国の政府が承認していなければ権利が与えられないのであるから、選挙権付与対象者は旧法案よりも狭くなった。単純に考えたら新法案は旧法案の改悪法案なのだが、驚くべきことに旧法案を批判していた人々からこの新法案を批判する声は聞こえてこない(おそらく彼らが相互主義の論理でもって地方参政権獲得運動をしていたからであろう)。新法案は明らかに旧法案の「朝鮮」籍排除の精神を継承しているのだが、特別永住/永住許可者内のかかる序列化についても、現在の地方選挙権取得論はほとんど異論を提起していない。

 以上見てもわかるように、90年代以降国会で審議されてきた地方選挙権法案は、第一に「定住外国人」は「旧臣民」であり「同化」しているということを根拠に権利主張をしている点で外国人全体の階層化・序列化を前提にしており、一方で反「北朝鮮」感情を逆撫でしない法案であるという点で、特別永住/永住許可者内における「朝鮮」籍者の排除をもたらすものになっている。ちゃんと「善良」な「定住外国人」だと思われている人にだけ選挙権が与えられるようになっているのだ。こうした地方選挙権法案の内実を見れば、核実験を口実に撤廃合意が撤回、あるいは修正(韓国籍だけとか)されるかもと危惧するのも当然であろう。それ以上に私は、こうした「同化の論理」と「旧臣民の論理」に基づく権利は、より社会全面にわたって積極的に外国人の階層化を推進するような「多民族社会」論を展開していくのではないかと恐れている。そして、こうした「多民族社会」日本の構想すら、日本社会は受容しないため、前者はますますその論理を親日化(あえてこの用語を使おう)させていくことになるのではないか。今般の特別永住者証明書の撤廃論議を見ていると、やはりそうした方向に向かっているとしか思えないのである。
by kscykscy | 2009-06-08 22:57 | 外国人参政権