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厚生労働省の「日系人」失業者追放策

 厚生労働省が「日系人離職者に対する帰国支援事業」なるものを始めている。厚労省の説明によれば、帰国を希望した「日系人離職者」に対し行政が「帰国支援金」を支給するという。厚労省はそ知らぬ顔で「母国に帰国の上で再就職を行うということも現実的な選択肢となりつつある状況です」といい、あたかも「日系人」側からそうした「選択肢」が出てきているから、仕方なく対応しているかのようなふりをしているが、何のことはない、これは現代の「口減らし」ではないのか。

 労働力が不足したから、と呼んでおいて、用が済んだら旅費を握らせて「お帰りください」とは、あまりにも人を馬鹿にした話である。厚労省の資料を見ると「帰国支援金」には家族分も含まれており、読売新聞は担当職員に「家族全員でないとだめか」との質問が飛んだと報じていることから、どうやら行政サイドは家族単位での「帰国」を奨励(という名の強要なのだろうが)しているようである。

 しかも、この「帰国支援事業」には「支援を受けた者は、当分の間、同様の身分に基づく在留資格による再入国を認めない」という驚くべきオマケがついている。「支援金」なるものをもらって帰ったら、同様の在留資格では日本に再入国できないのである。「帰ってください、そして、当分の間帰ってこないでください」というのが、この制度の趣旨である。「当分の間」とはどういうことだろうか。現時点では明示されていないようだが、つまるところ「景気が良くなってまた人手不足になったら」という意味なのではないか。働き手だけ日本を離れることになれば、一家離散する。外国人を労働力商品としか見なさない、ふざけた「政策」である。

 もっとお粗末なのがこれを批判する坂中英徳の論理である。坂中は上記の「再入国を認めない」という規定について憲法違反であると憤慨している。「帰国支援金の対象者は、日本人の血を引く移民2世・3世など特別な地位を有する人たちであり、それゆえに入管法上も優遇された在留資格を与えられて定住する人たちである。そのような事情を踏まえて考えると、これらの人たちが支援金を受け取ったからといって、法務大臣がその再入国許可申請を不許可とする合理的理由とはならない」というのがその理由である。

 それはそうだろう。というよりもそもそも「再入国許可申請を不許可とする合理的理由」なんて無いのである。ともあれ、この「再入国を認めない」という規定について坂中は憤慨し、かつ今般の経済危機に「日系人自身の責めに帰すべき事由はない」というこれまた当然のことを言いつつ、坂中は結論として次のように述べる。

第二の祖国である日本にUターンしてきた日系人のうち今回の経済不況で帰国を余儀なくされた人たちについては、景気が回復し、再び来日を希望する場合には、温かく迎えるという姿勢が日本政府に求められる。

 つまり、帰国させるのはいい、だけど「景気が回復し、再び来日を希望する場合」にはちゃんと迎えましょうね、というわけだ。これは結局厚労省の発想と何が違うのだろうか。坂中に厚労省との違いを求めても仕方がないのであるが、彼のいう「移民国家」なるものが人が足りない時には外国人「移民」でこれを補充し、日本人が不安にならないように徹底的に日本語教育を施すが、ひとたび景気が悪くなって日本人と競合するという妄想が社会を覆ったときにはさっさと帰っていただく、という非常に手前勝手なものであることだけは明らかだろう。開明官僚ぶって実のところ大勢とそう変わらないことを繰返しているに過ぎない彼らしい「憤慨」である。

 こういうと、在日ブラジル人がその母国に帰ることを援助することの何が悪い、という声が起こりそうだが、これまでの常として、ピンポイントで「帰国支援」政策を打ち出せば、「せっかく行政が旅費まで出してやるっていってるのに何で帰らないんだ」という排外主義的風潮が広がることは必至である。この政策そのものが「日系人」の「離職」を誘発する可能性すらあるだろう。しかも、これまた日本人が繰返してきたことだが、後々「金をやったのに文句いうな、特権だ」などと「日系人」を批判する言説が登場することは火を見るより明らかである。だったら朝鮮人も帰れ、といった類の声だってすぐに起こるだろう。病膏肓に入った日本のレイシズムをなめてはいけない。
by kscykscy | 2009-04-29 23:37 | 出入国/在留管理

閑話休題 戦後日本と憲法九条の教訓

 いまさら、という感がしないでもないが、「九条世界会議」的な発想は不快を通りこしてあまりにも有害だ。日本国憲法第九条は「平和を願う世界の市民にとっての共有財産」だそうだが、噴飯ものである。「60年以上にわたり、日本とアジアの人々の信頼関係の礎となってきました」とも書いているが、本気でそう思っているのだろうか。

 極めて単純明快な話だが、九条と戦後日本の歩みが教えるものは「憲法に明記したってそれを守らない国家がある」という単純な事実に過ぎない。歴史的に見るならば、軍国主義日本の武装解除による封じ込めと脱脅威化に連合国は失敗した(というのは少し連合国に好意的過ぎるが)、という教訓こそが引き出されるべきだが、今後はこれに「なまじっか憲法に書くと守ってもいないのにそれを誇り始めるバカがいるから気をつけよう」という教訓を付け加えるべきだろう。

 しかもこれを「世界」に広めるという。もし現状のまま、つまり日本が自衛隊を廃止せず、かつ米国との軍事同盟も維持したまま、九条を他国に広めるというのならば、自国は軍備を保持したまま、他国の軍備を撤廃させるという帝国主義も驚く馬鹿げた提案をしていることになる。逆に、日本の現状をもって九条が守られていると考え、これを輸出するならば、違憲状態を「合憲」と強弁する状態を世界に蔓延させることになるわけで、端的に言えば立憲主義の破壊の促進になる。いずれにしても最低である。そんなはた迷惑なことはやめたほうがいい。
by kscykscy | 2009-04-29 17:57 | 日朝関係

橋下発言と世界「提言」、そして在日朝鮮人の「責任」

  日本のマスコミは朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星打ち上げをひたすら「ミサイル発射」と連呼し続けているが、その渦中に産経新聞が報じた橋下大阪府知事の以下の発言は、なかなか問題含みだと思う。

 「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」

 まず、日本は朝鮮民主主義人民共和国と国交を結んでおらず、別途共和国の国籍を承認する措置を講じているわけでもないので、少なくとも日本政府の見解によれば「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる」というのは誤りである。ただし、共和国国籍法上は日本にいる朝鮮民族は潜在的に共和国国籍なので、その限りでは橋下知事のこの発言は妥当するが、大阪府独自の判断で共和国国籍を承認するつもりなど無いだろうから、ただ無知なだけだろう。

 自分で否定しておきながら、その事実を知らないというのは、なかなか日本的で興味深いのだが、私がもっと重大だと思うのは別にある。橋下知事はここで「北朝鮮籍」の人間は「北朝鮮の今の体制」を「批判しないといけない」と言っている。言い換えれば、大阪府在住の朝鮮人のうち「北朝鮮籍」の人間は、「今の体制」を批判する義務、あるいは責任がある、と言っているわけである。

 大阪府の「北朝鮮籍」の人間に「今の体制」を「批判しないといけない」と知事が命令することは、人工衛星打ち上げを「ミサイル発射実験」であると理解し、かつそれを深刻な「脅威」と理解している大阪府民に対し、府内にその「脅威」に何らかの責任を負う朝鮮人が存在することを示す行為に他ならない。しかもより深刻なことに、前述のように政府見解上「北朝鮮籍」の人間はいないため、事実上これは全朝鮮人に対する大阪府民の「脅威」視を誘発する。一言でいえばレイシズムである。

こうした状況が存在するからこそ、民団は朝鮮総連に抗議する(朝鮮民主主義人民共和国に、ですらない)ことにより自らの「無罪」を日本に訴えるといった、親日派のお手本のような振る舞いに出るのである。もちろん民団の今回の振る舞いの醜さ・愚かさは目に余るものがあるし、ああ人間ここまでダサく生きられるんだなあ、という感慨すら覚えるが、その背景には橋下知事の発言を典型とするレイシズムの扇動があることを、とりあえずはそれに先んじて批判する必要がある。橋下知事の発言はレイシズムであり、断じて許容してはならない。これが第一に言いたいことである。

 それに加えて、私はもう少し考えておくべきことがあると思う。それというのも、橋下知事は在日朝鮮人のうち「北朝鮮籍」の人間は、「北朝鮮」を批判する責任がある、と語ったわけだが、別の論理で同様の結論を導き出している文章があるからである。それは他でもない、このブログで繰り返し批判してきた『世界』の「共同提言」である。朝鮮民主主義人民共和国の核開発をめぐって、「提言」は次のように書いている。

「日本は一九四五年に広島と長崎を経験し、原子爆弾のおそろしさを身をもって経験した。日本人は日本に住む朝鮮人とともに核兵器にあくまで反対する責任を人類の前に負っている

 ここで「提言」は、在日朝鮮人には核兵器に反対する責任がある、と書いている。なぜか。「原子爆弾のおそろしさを身をもって経験した」からであるという。これは何ともおかしな文章である。そもそも私には「反対する責任を人類の前に負っている」という言葉の意味が全くわからない。

 原子爆弾の被害を受けた者が、原子爆弾に反対する「権利」がある、というのならわかる。あるいは、原爆被害者はそうでない人間より優先的な批判権をもつ、とか、その主張は優先的に政策に反映されるべきである、ならわかる。だが「責任」を負っている、というのはどういうことだろうか。

普通に考えれば、原爆に反対する責任を負っているのは、原爆投下国である米国政府あるいはその国民である。もしくは自らの(旧)植民地で繰り返し核実験を行ってきたフランスを初めとする国際的に公認された(というよりも自分で認めているだけなのだが)核保有国の政府あるいはその国民である。

 だがここで「提言」は被害を受けた日本人及び朝鮮人が、「あくまで反対する責任」を有しているというのである。「提言」発表当時の状況から考えて、ここでの「核兵器」が朝鮮民主主義人民共和国のそれを指すことは明らかである。つまり、「提言」は、在日朝鮮人は共和国の「核兵器」に反対する「責任」を「人類の前に」負っている、と言っているわけである。

 人工衛星打ち上げと核開発は違う、という意見もありうるし、それについては別に検討するが、とりあえずここまでの検討で橋下知事と「提言」が、在日朝鮮人には「北朝鮮」の核兵器保有あるいは「ミサイル発射」に反対する「責任」があるという、同じ結論に達していることがわかる。もちろん、その結論に至る論理は違う。

おそらくタチが悪いのは「提言」の論理だろう。「提言」では巧妙にもこの「責任」なるものの主体は「日本人は日本に住む朝鮮人とともに」とされており、ここに日本人と朝鮮人の「責任」は「人類」の名の下に融合してしまっている。米国あるいはフランスなど核保有国に核兵器反対の「責任」があると前に述べたが、私は戦後一貫してこれら諸国の核保有に賛成し、自らの領土内に核兵器を搭載する原潜を停泊させ、かつそれを「非核三原則」なるウソでごまかしてきた日本政府、あるいはそれを許した国民もその「責任」を負っていると考えている。そうした日本人の「責任」はどこかへ吹き飛び、「人類の前に」ナゾめいた「責任」が朝鮮人に課されてしまっている。

 橋本発言に対しては、さすがに賛同する朝鮮人はいないだろう。おそらく、在日朝鮮人は、一部を除いては「北朝鮮」と何の関係も無い市民(大阪の地域住民)であり、むしろ日本と朝鮮のはざまでいじめられた被害者ですらある、そんな人間を「北朝鮮籍」だから体制を「批判しないといけない」と名指しするなんて、とんでもない、という反論が上る。だが、そうしたメンタリティの論者にとって、「提言」の論理は(結論は同じ、あるいは近似しているにもかかわらず)非常に受け入れやすい。これならば、民団のような醜態をさらさなくても、自らを「北朝鮮」から分離し、「安全」な市民であると示すことができる。在日朝鮮人には「北朝鮮籍」者としての責任は無い、だが「人類の前に」「責任」を負っている、だから「北朝鮮」を批判する、というわけだ。

 私はこれは非常に問題のある議論だと思う。誤解の無いように言っておくが、私は朝鮮人には朝鮮半島に存在する国家がいかなる政策を取るかに関与する「権利」があると考えている(さらに言っておくが、朝鮮に居住する外国籍者にもその権利はある)。当然、共和国の核保有に反対する「権利」も持っている。だが「提言」のいうような論理に基づく「責任」などは存在しないのである。
by kscykscy | 2009-04-18 01:05 | 世界「共同提言」批判