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「朝鮮籍=法律上の無国籍」論の陥穽

 韓東賢「「朝鮮・韓国籍」分離集計の狙いとは?――3月公表の2015年末在留外国人統計から」という記事には驚かされた。この記事は歴史的事実についても不正確・曖昧な記述が目立ち、何よりその独特の「朝鮮籍」解釈は、分離集計の問題を知らしめるよりも、むしろ朝鮮籍に関する理解に混乱をもたらしかねない。「当事者」の書いた記事であるためとりわけその否定的効果は大きいと考え、急ぎ問題点を指摘しておきたい。

 この記事は総じて非常にわかりづらいが、以下の二つの主張をしていると考えられる。

(A)政府・法務省は「朝鮮籍≠北朝鮮国籍」と解するにもかかわらず、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」との誤解に基づく自民党議員の分離集計の要望を受け容れた。これは誤解を広めることになりかねず問題である。

(B)近年の朝鮮籍者や朝鮮学校への差別を勘案すると、法務省による分離集計の開始は「朝鮮籍=北朝鮮国籍」とする「誤解」を公式見解とし、「制裁」として特別永住資格を剥奪する布石であると考えられる。

 (A)についてはひとまずよいとして、(B)は根拠がなくまた筆者が何を主張しているのか判然としない(入管特例法の改悪と、朝鮮籍に関する国籍解釈の変更がどういう関係にあるのかわからない)。だが、何よりも大きなこの記事の問題は(B)のような弾圧を批判するにもかかわらず、実際にはかような弾圧を容易にしかねない「朝鮮籍」解釈を提示していることにある。

 順を追って説明しよう。まず、韓は在日朝鮮人の国籍を論じる前提として、「ある人に「国籍」を付与することができるのは、当然ながら「その当該国だけ」だという基本中の基本」を確認する。おそらく外国人登録上の「国籍」欄と、実際の国籍をめぐる「誤解」を解きたいと考えたのであろうが、これでは何も言ったことにならない。

 正確に書くならば次のような説明になる。当該国民の国籍の決定は、当該国の国内法による。よって、日本法を根拠とする旧外国人登録証明書や在留カード・特別永住者証明書の「国籍」表示が、ただちに当該外国人の「国籍」を意味するわけではない。誰が朝鮮民主主義人民共和国/大韓民国の国民かは、朝鮮/韓国の国内法によって決まるため、これらの書類上の「朝鮮」表示は、ただちに朝鮮民主主義人民共和国の国籍を意味するものではない。よって、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」は誤解である。こう書くべきであろう。

 ただし、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」は誤解である、という主張にはそれこそ「誤解」を招く余地があり、補足の説明が必要である。確かに、在留カード/特別永住者証明書「国籍」欄の「朝鮮」表示は、朝鮮民主主義人民共和国を意味するものではない。だが、これは「朝鮮」籍者を含む在日朝鮮人に朝鮮民主主義人民共和国国籍者がいないことを意味するわけではない。つまり、「朝鮮籍≠北朝鮮国籍」は正しいが、だからといって朝鮮籍者≠朝鮮民主主義人民共和国国民である、となるわけではない。両者を混同してはいけない(*1)。

 いずれにしても、朝鮮籍者の法的地位をめぐる最大の問題は、その「当該国」とはどこか、であるといってよいだろう。朝鮮は分断国家であるため、朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国の国籍法によれば、少くとも実体法上は朝鮮籍者はいずれの国民でもあり、朝鮮・韓国の双方が「当該国」である可能性がある。

 問題となるのは当事者たちの意思である。世界人権宣言には「すべて人は、国籍を持つ権利を有する。」「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」との規定がある(第十五条)。これを「国籍への権利」と呼ぶならば、いかなる「国籍への権利」を朝鮮籍者たちが求めているのかが重視されねばなるまい。朝鮮籍の当事者たちの意思を基準に考えた場合、「国籍への権利」の対象となる「当該国」はどこかについて、おそらく三つの考え方が存在するものと思われる。

 第一は当該国=朝鮮民主主義人民共和国であるという立場である。韓の記事が指摘するように、この立場の人々に対し、朝鮮政府は旅券を発給し国籍を認めている。だが、日本政府は分断国家のうち大韓民国政府とその国籍のみを承認し、朝鮮政府と国籍を認めないため、朝鮮を「当該国」と考える在日朝鮮人の当事者たちの「国籍への権利」は阻害されている状況にある。

 第二は当該国=朝鮮民主主義人民共和国+大韓民国であるという立場である。だが韓国政府は「朝鮮」籍のままでの韓国国籍(旅券)取得を手続上は認めないため、朝鮮籍でありかつ南北朝鮮の旅券を有する、ということは事実上不可能である。

 第三は、分断国家の過渡的状況ゆえに、現状のままでは両政府のいずれも「当該国」と認めない立場である。両政府が協議し、統一を念頭に(かつ分断を前提としないかたちで)在外同胞の国籍と法的地位問題を解決しようとする動きはいまのところまったく存在しないため、この人々の「国籍への権利」の実現も、実際には極めて困難な状況下にある。

 これら三つの立場はおそらく截然と分かれているわけではなく、個人のなかに複数の立場や考え方が折り重なっているのが現実であろう。だが間違いなくいえることは、「国籍への権利」という視点から整理した場合、わずかに旅券を発給される朝鮮民主主義人民共和国の国籍への権利にしても日本政府がその実現を実質的に阻害しているため、いずれの立場であろうとも朝鮮籍者の場合は「国籍への権利」の実現が困難であるということである。

 だが韓東賢は、これらいずれの立場でもないようである。韓は朝鮮籍者の「旅券」問題について、次のように主張する(下線は引用者。以下同じ)。

「日本における「朝鮮籍」は北朝鮮国籍ではないが、無国籍同然のいわばある種のブラックボックスであることが、韓国、北朝鮮、そして日本の各国政府が、いずれも「都合よく」事実上の「北朝鮮」籍とみなせる余地となっている。韓国政府は入国に制限を加え(2000年の南北共同宣言から2008年の政権交代までは一時的に緩和)、北朝鮮政府は自国の海外公民とみなしている(朝鮮総連を通じて旅券の発給も行っている)。
とくに韓国側のスタンスは南北分断による悲劇だと言えるが、この件でもっとも責任が重いのは日本政府だろう。物理的にも制度的にも「朝鮮籍」の人が存在するという事態をもたらしたその張本人が、事実上の無国籍扱いで放置していることだけでそもそも不当なのだ。朝鮮籍者が自由に国外を移動できる旅券を発給すべきだとしたら、それは日本政府だろう。

 ここからもわかるように、韓は日本政府こそが朝鮮籍者に旅券を発給すべきである、と主張する。この立場を敷衍すれば、朝鮮籍者の「当該国」は日本である、という主張を展開していることになる。前述のいずれとも異なる、第四の立場である。

 なぜこのような解釈になるのか。韓の主張する「無国籍」論の特徴を明確化するためにも、ここで、そもそも「無国籍」とはいかなる状態なのかを確認しておこう。一般に、無国籍には(1)法律上の無国籍と(2)事実上の無国籍という二つの範疇があるといわれる。阿部浩己の整理を引こう(『無国籍の情景 国際法の視座、日本の課題』8頁。リンク先はpdf)。

「国際法における最も一般的な無国籍者の定義は、1954 年の「無国籍者の地位に関する条約」(無国籍者条約)第 1 条 1 項に、次のように簡明に記されている。「『無国籍者』とは、その国の法律の適用によりいずれの国によっても国民と認められないものをいう」。この定義は、1961 年の「無国籍の削減に関する条約」(無国籍削減条約)にもそのまま引き継がれている。
 人は、出生の時点において、出生地国または父/母の国籍国の法令(憲法、国籍法、行政命令など)の適用により、自動的にその国の国民と認められるのが原則であるが、なかには、いずれかの事情のため、出生時にいずれの国籍も取得できない者がいる。また、自らの国籍を、事後になんらかの事情によって喪失し、新たな国籍を取得できないままの者もいる。こうした人々は、無国籍条約の想定する典型的な無国籍者にほかならず、法律上の無国籍者 ( de jure stateless person/s) と称されるのが一般的である。
 これに対して、法形式的にはいずれかの国籍を有しており、したがって法律上の無国籍者とはいえないものの、国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態におかれている者もいる。こうした人々は実効的な国籍 (effective nationality) を欠く者として、事実上の無国籍者 (de facto stateless person/s) と称される。同様の問題は、国籍を有する国に入国や滞在を許されない場合にも起こり得る。」

 阿部の整理をふまえれば、第一~第三の立場は、朝鮮籍の在日朝鮮人は(2)事実上の無国籍者であると解釈する主張ということになろう(ただし、阿部自身は朝鮮籍者は無国籍者ではないとの立場である)。実体法上は南北双方の「国民」であるため「法律上の無国籍者とはいえないものの」、結果として「国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態におかれている」からである。実体としては朝鮮・韓国国籍であるが、日本・韓国政府の政策の結果、その権利を享受できない。それゆえ「無国籍状態」だという理解である。

 だが韓の立場は、朝鮮籍を(1)法律上の無国籍とみなすものといえよう。韓は次のように記す。

「「朝鮮籍」は北朝鮮の国籍ではない。植民地時代の朝鮮半島というエリアにルーツがあることを示す、「記号」である。そして単に、1948年[ママ]の外国人登録令以来変更しなかった人とその子孫が、今も「朝鮮籍」なわけだ。理由は様々であろう。その内心を知る由はない。」

 韓の主張は朝鮮籍がただちに「北朝鮮国籍」を意味しない、という主張にとどまらない。それをふみこえて、そもそも朝鮮籍者は「無国籍」であり、かつこの人々はあらゆる意味において「北朝鮮国籍」ではないと主張しているように読める。「事実上の無国籍」という表現を使っていながらも、実際には「出生時にいずれの国籍も取得できない」「自らの国籍を、事後になんらかの事情によって喪失し、新たな国籍を取得できないままの者」、すなわち「法律上の無国籍者」と朝鮮籍者をみなしているのである。

 こうした「朝鮮籍=法律上の無国籍」論の解釈を、韓がくり返す「ある人に「国籍」を付与することができるのは、当然ながら「その当該国だけ」」という「基本中の基本」にあてはめるとどうなるか。朝鮮籍は法律上の無国籍者であり、日本政府が旅券を発給すべきとの解釈を採るわけであるから、少くとも理屈のうえでは、朝鮮籍の在日朝鮮人に「「国籍」を付与することができるのは、当然ながら日本だけ」ということになってしまう。つまり結果として、朝鮮籍在日朝鮮人の国籍問題は、日本政府の専権事項であると主張していることになるのである。

 冒頭で(B)のような弾圧を批判しながら、実際にはかような弾圧を容易にする「朝鮮籍」解釈を提示しているとしたのは、この点に関わる。朝鮮籍在日朝鮮人の国籍問題を日本政府の専権事項とする解釈は、前述した「様々」な「国籍への権利」を主張する基盤を覆すことになる。むしろ「法律上の無国籍者」とみなすことで、日本政府に朝鮮籍者の法的地位を委ねる結果を招来しかねない。建前としては朝鮮籍者の「国籍への権利」を認めないにもかかわらず、実体としては朝鮮民主主義人民共和国への「制裁」の対象として諸権利を制約・侵害する法運用を制約する法理論にもなりえず、むしろさらなる弾圧の道を開くであろう。そのうえ、日本政府が朝鮮の「国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態」に置いている責任も無化してしまう。

 おそらくこうした批判は韓にとって予想外のものであろう。「理由は様々であろう。その内心を知る由はない」とあえて記したのは、朝鮮籍者の心情の多様性に留意してのことであろうし、朝鮮籍者の法的地位の悪化を容易にするような法解釈を意図的に示したとも思わない。だが韓が示した解釈は、それこそ「様々」な立場から「国籍への権利」を希求する朝鮮籍者の実践を、極めて狭隘かつ当事者たちの意に反する立場へと押し込め、さらには分離集計を推し進める自民党議員らが望む「制裁」を容易にしかねない危うさがあると私は考える。不用意ゆえとしても到底看過できるものではないと考え、批判を記した次第である。

*1 この論点については、下記の記事もあわせて参照されたい。

「在日朝鮮人に北朝鮮国民は一人もいない」のか――共産党の在日朝鮮人認識の問題

狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2016-03-12 00:00 | 出入国/在留管理

狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について

1.排外主義運動と「識者」

 排外主義運動を生み出さないためにも、マイノリティに過度な権利を与えるべきではない――こう主張をする者を、私たちは何と呼ぶべきだろうか。

 排外主義者とは異なる何らかのまっとうな名前(中道派?保守主義者?リベラル?)を与えるべきだろうか。確かに一見排外主義を憂慮し「客観的」な立場から議論するふうを装っている。だが少し考えてみればわかるように、この者の主張は実際には排外主義者と変わるところがない。自ら「私は排外主義者ではない」と表明しながら、同様の主張をしているだけだ。そのような自認を汲み取って別の名を与えるくらいならば、正しく「排外主義者」と名指すほうがよほど正確だろう。

 しかしながら、「排外主義者」よりも(あるいはそれとは異なる)悪質な何かである可能性はある。排外主義者たちが「私達のような者を生み出さないためにもマイノリティを優遇するな!」と自ら叫ぶとは考えにくい。むしろ自らが排外主義者ではないと自認する「識者」によってこのメッセージが発せられることに意味がある。この側面支援があればこそ、排外主義集団による騒乱は効果を持つ。騒げば騒ぐだけ、嫌悪されれば嫌悪されるだけ、自らの主張を実現することができるからだ。マイノリティの権利がマジョリティの所有物であるかのような偏見を強化する役割も果たすだろう。排外主義者の主張を側面支援するこうした「識者」は決して少なくない。何か適切な名を与えるべきだろう。

 念頭に置いているのは言うまでもなく池田信夫である。池田は次のように書いている。

「一時期までは格差是正措置の意味もあったが、在日二世・三世が「日本化」した今では、不合理な「逆差別」は在特会などの民族差別を生み、日韓の憎悪の悪循環を生むだけだ。特別永住資格は廃止し、在日は(著者のように)帰化して日本国民として権利を行使すればいい」(「「在日」というねじれたアイデンティティ」

 在特会のような集団を登場させないためにも、特別永住資格を廃止する必要がある――池田はこう主張しているのだ。しかも、在特会を批判する素振りを見せながら。もちろんこれは在特会の主張の全面的な肯定といってよい(実際、池田が在特会の何を批判しているのかは文章を読むだけでは全くわからない)。池田はそもそもが全く別物である特別永住許可とアファーマティブ・アクションを同一視して非難するが、特別永住を攻撃する在特会の論理は、日本人よりも在日朝鮮人が優遇されていることではなく、他の外国人に比して在日朝鮮人が有利な法的地位にある(と彼らが考えている)ことを「特権」視するものだ。彼らは外国人が日本国民より劣位にあることを大前提に、外国人内での法的地位の差を問題にしているのである。池田は在特会以上の奇天烈な理屈で、在特会の要求を全面的に擁護していることになる。

 池田のエッセイに満ち溢れる事実関係の初歩的な誤りについては、すでに若干の批判がある(*1)。ただ漏れているものもあるので、以下に正しておきたい。これは当人に反省を促すためではなく(それは不毛である)、関連する文献を一読すればただちにわかる初歩的な誤りを公共の場で平然と流布する人物がいること、そしてこのように在日朝鮮人に甘えきった「知識人」が、在日朝鮮人の将来に関する重大な事項について何がしかの「提言」を試みることが許される日本の「言論」空間の惨状を記録しておくためである。

(1)池田は「終戦のとき、当時の朝鮮半島は連合国の信託統治になり、1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができた。」(「在日はなぜ帰化しないのか」 。強調は引用者)と記しているが、朝鮮は連合国の信託統治地域になってはいない。第二次大戦後、モスクワでの米英ソ外相会議で、朝鮮民主主義臨時政府の樹立とその前段階として米英ソ中による最長五年間の信託統治案が決定されたが(モスクワ決定)、その後、米ソ共同委員会は決裂したためモスクワ決定は実現しなかった。その結果、38度線以南のみでの国連監視下総選挙が行われ韓国政府が樹立された。

(2)池田は「彼らは韓国籍か日本国籍を選ぶことができたが日本国籍を選ばなかった在日は不法滞在という形になった。」(「在日はなぜ帰化しないのか」)と記しているが、これはすでに多くの人が指摘している通り、明白な誤りである。日本政府は講和条約発効時に在日朝鮮人・台湾人に国籍選択権を認めていない。また、日本国籍を喪失した在日朝鮮人が「不法滞在の状態」になったわけでもない。にもかかわらず、最新の記事でも「当初、日本は在日を強制退去させようとしたが、韓国政府はこれを認めず、国籍を失った在日は不法滞在の状態になった。」(「「在日」というねじれたアイデンティティ」)と誤りを正していない。もし「帰化」による日本国籍取得をもって「選ぶことができた」と主張しているとしても、講和条約発効と同時に「帰化」しなかった人々が「不法滞在」となったわけではない(*2)。ほとんどの在日朝鮮人はいわゆる法126-2-6の「在留の資格」を得て合法的に在留を継続した(*3)。

(3)池田は、「このため[日本国籍を選ばず不法滞在になったため:引用者注]選挙権・被選挙権がないが、それ以外の権利は「特別永住者」として認められるようになった。」(「在日はなぜ帰化しないのか」)と、講和条約発効直後に「特別永住」という在留資格が生まれたかのようにも記しているが、講和条約発効時に「特別永住」が生まれたわけではなく、参政権以外のあらゆる権利が認められたわけでもない。「特別永住」の在留資格は91年の入管特例法により新設されたものである。また、講和条約発効後の在日朝鮮人に日本国民が享受する権利のうち参政権を除くあらゆる権利が認められたわけでもなく(日本は「不法滞在」者に参政権以外の権利を認めるような国ではない)、特別永住者であっても同様である。また、在日朝鮮人・台湾人の参政権は45年12月の衆議院議員選挙法の改定により「停止」されており、講和条約の発効以前より行使できなかった。

(4)池田は「正確にいうと、サンフランシスコ条約ですべての在日が「朝鮮籍」になり、日韓条約で韓国籍になった。彼らの「国籍が剥奪された」というのは誤りで、日韓政府の合意で一律に国籍を喪失した。」(「在日は「日本国籍を剥奪された」という神話」)とするが、これは全く「正確」ではない。まず、池田は「朝鮮籍になり、…韓国籍になった」という表現を用いているが、そもそも日本政府には在日朝鮮人を朝鮮籍/韓国籍にする権限はなく、誰が韓国国籍者かは韓国の国内法による。外国人登録令上の国籍表示に限定すれば、「朝鮮籍」の登場は同令制定時の1947年であって講和後ではない。また、誤解している人が多いが、登録の国籍欄に「韓国」「大韓民国」と表記することを法務府が認めたのは1950年であり、日韓条約後ではない。

(5)池田は帰国事業と国籍喪失をつなげて論じているが(「「在日」というねじれたアイデンティティ」)、講和条約発効(52.4.28)の時点では帰国運動は始まっていない。よって「当時の北朝鮮は「理想郷」として賛美され、朝日新聞などは朝鮮総連の「帰国運動」を支援した。だから国籍喪失を「在日は誰も反対せず、当然と受け止めた」」という主張は成り立たない。

2.浅川晃広=池田信夫と大沼保昭

 他方、一連のエッセイで展開された池田のもう一つの主張――講和条約発効に伴う日本国籍喪失には韓国政府も同意していたため、「日本政府による一方的国籍剥奪」という非難は不当だ、在日朝鮮人に権利がないのは韓国政府や民団の責任であって日本政府の責任ではない――には、池田の無知を嗤うだけでは済まない問題が含まれている。

 ただここでの問題とは池田の主張そのものではなく、池田批判も含めた議論の土俵それ自体である。というのも、近年在日朝鮮人の法的地位に関する戦後日本の政策の問題点を論じる際にサンフランシスコ講和条約発効時の「日本国籍剥奪」が強調されるようになっているが、このこと自体がある種の歴史修正主義なのではないかと考えられるからである。池田の主張はいわばこうした「日本国籍剥奪」強調への反動なのであるが、問われるべきは池田の無知蒙昧だけでなく、「日本国籍剥奪」の評価へと争点が収斂していきつつあるいまの言論の状況それ自体であろう。

 そもそもこの主張は池田が言い始めたものではなく、講和条約発効時の国籍喪失措置批判への反論としてはむしろ典型的なものだ。おそらくネタ元は浅川晃弘「戦後「在日神話」としての国籍剥奪という嘘」(『正論』2005年8月号、後に『「在日」論の嘘 贖罪の呪縛を解く』PHP研究所、2006年に収録。以下引用は同書より)であろう。

 浅川は以下のように書いている。

「戦後六十年を経過しても、「在日は日本政府に一方的に日本国籍を剥奪された」という神話はいまだに生き続けている。それは「在日は強制連行の犠牲者」という主張と同様、一部の「在日」とその同調者による、かねてからの特権要求の論拠でもある。/近年、「強制連行論」がいかに嘘であったか明らかになってきたが、もうひとつの「国籍剥奪論」も、完全なフィクションであったことは指摘されなければならない。」(164頁)
「こうしたフィクションとしての「国籍剥奪論」をよそに、2003年には過去最高の1万1778名もの韓国・朝鮮籍者が帰化によって日本国籍を取得している。/彼らの自らの意志に基づいた決断を評価し、積極的に日本社会のフルメンバーとして受け入れていくことこそが、「フィクションにフィクションを積み重ねる」ことに一切の躊躇がなく、単なるイデオローグに過ぎない「国籍剥奪論者」の消滅につながるだろう。」(184頁)

 ここで浅川が「単なるイデオローグに過ぎない「国籍剥奪論者」」として槍玉に挙げたのは大沼保昭である。浅川は大沼保昭の論文「在日朝鮮人の法的地位に関する一考察(1-6)」(*4)をとりあげて、(1)在日朝鮮人の日本国籍喪失措置は日韓両政府の合意のもとに行われた。よって日本政府だけが「一方的に」喪失させたかのように批判するのは不当である、(2)在日朝鮮人の多くは「帰化」により日本国籍を取得している、(3)日本政府は国籍喪失により権利を否定したわけではなく「特別扱い」を行おうとした(特に生活保護)と主張、むしろ帰化者を「日本社会のフルメンバーとして受け入れ」よ、と訴えた。池田の主張が浅川の丸写し(あるいは浅川の丸写しの丸写し)であることがわかる。

 だが、浅川の批判は大沼論文への正確な理解を欠いており、的外れと言わざるをえない。そもそも大沼論文は、「在日朝鮮人の国籍問題は、これまであまりにも日本政府、総連、民国[ママ。民団]、北朝鮮政府、韓国政府の「表見的一致」にもたれかかりすぎていた。なまじそこに表見的一致があるが故に、これまでとられてきた措置とそれを基礎づける論理が、論理的にも道義的にも支持し難いものであることが見過ごされてきた」(『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』320頁)とあるように、日本政府のみならず、韓国政府も含めた全当事者が52年4月の日本国籍喪失措置を問題にしないこと(「表見的一致」)への批判を出発点とする。韓国政府の立場についても、「韓国側は国籍選択権付与の可能性を主張しつつも、日本の韓人保護が完全なら選択権は不要であろうとして、在日朝鮮人が韓国国民であることを前提とした上で、植民地支配から引き続き居住に至った歴史を踏まえ、その法的地位が入管令に服する一般外国人とは異なるものであることを主張したのであった」(同上書、241頁。太字は原文傍点)と明確に指摘しており、日本政府が独断で日本国籍喪失措置を採ったと主張したわけではない。浅川は1951年12月23日付の『朝日新聞』を用いて(池田もこの記事を「論拠」としている)、あたかも韓国側が日本国籍喪失に同意していたことを「発見」したかのように書いているが、すでに79-80年の時点で大沼は日韓会談に関する韓国側の記録にあたり、上のように論じているのである。

 もちろん、大沼は韓国も同意していたからどっちもどっちである、などと論じたわけではない。大沼論文が問題視したのは、政府が講和条約の発効を根拠に、通達によって、当事者の主体的意思とは無関係に戸籍を基準として、一律に日本国籍を喪失させたことである。具体的には法務府民事局長通達438号(52.4.19)とその合憲性を支持した1961年の最高裁大法廷判決が批判の対象となるが、その論理は以下のようなものだ。

「日韓会談はサンフランシスコ平和条約発効の時点までに妥結するに至らなかったため、日本政府は、平和条約の発効までは在日朝鮮人が保持し続けるとしてきた日本国籍につき、何らかの措置をとらなければならないことになった。現に日本に居住している旧日本国民たる朝鮮人に対して、日本が日本国籍に関して決することは、ポツダム宣言およびサンフランシスコ平和条約の制限に従うことを条件として、日本の国内管轄事項に属することであり、そのことは、日本国憲法の規定に従って立法府ないし行政府が、国籍に関する一定の具体的措置をとりうることを意味する。すでに韓国が成文国籍法によって自国民の範囲を確定し、また、北朝鮮も血統主義に立脚する国民範囲確定を行っている以上、政府としては、憲法10条に従い、国会の法律により、在日朝鮮人の主体的意思を条件として、右の韓国または北朝鮮国籍を保持する者については、日本国籍を喪失せしめるという措置をとりえたはずであり、また、とるべきであった。しかしながら、現実に政府がとった具体的措置は、通達438号という行政権の国家行為により、日本法上の戸籍を基準として、一律に――在日朝鮮人の意思にかかわりなく――在日朝鮮人の日本国籍を喪失せしめ、入管令、外登法、法律126号という外国人法制に組み込むことであった。そして、右の通達という行政権の国家行為が、国籍という法律事項(憲法10条)を処理しうる根拠こそ、それがサンフランシスコ平和条約の「黙字の合意」の執行であるという論理にほかならなかった。」(太字は原文傍点。241-242頁)

 大沼は在日朝鮮人の日本国籍を喪失させたことそれ自体を批判したわけではない。(1)「在日朝鮮人の主体的意思」を無視して、(2)通達という「行政権の国家行為」によって、(3)戸籍を基準に一律国籍喪失の措置を採ったことを批判したのである。そして、本来ならば法律により「在日朝鮮人の主体的意思を条件として」「韓国または北朝鮮国籍を保持する者」については日本国籍を喪失させる措置を採る必要があった、と論じたのだ。この時に在日朝鮮人のなかで日本国籍の保持を求める者がどの程度いたか以前に、そもそも当事者の「主体的意思」が問われること自体が無かったことを問題視したのである。大沼の立論からすれば、日本国籍の得喪に関する決定が日本の国内管轄事項である以上、日本政府がその責任を問われるのは当然といえよう。

 以上の立論に基づき、大沼は通達438号による国籍喪失措置は憲法第10条に違反するもので無効であり、「本書の主張は、結果的には在日朝鮮人に日朝の国籍選択権を認めるのと同一の結論となるが、それは何ら立法論lex ferendaとして国籍選択権を主張するものでなく、本問題に関する現行法lex lataの解釈として右の結果が導かれることになるのである。[中略]通達438号でカバーさるべき在日朝鮮人は、日本国籍を「確認」することによってーー「帰化」によってではなく――日本国籍を保持しうるはずである」(319-320頁)と結論づける。そもそも大沼がこの論文の執筆したきっかけは、田中宏を通じて宋斗会の日本国籍確認訴訟を知ったことだったという(『戦後責任』岩波書店、2014年、64頁)。このため、論文の立論も立法ではなく「確認」により保持しうるとの主張になっている。

 こうしてみると「単なるイデオローグに過ぎない」のはむしろ浅川の方だということがよくわかる。ただ、近年の大沼は、以下のようにこの論文とは批判の力点を変えている。

「当時の在日朝鮮人は、日本国籍を剥奪されたにもかかわらず、それを「解放」だといって喜んで受け入れたわけですが、日本国内にいる限り日本の領域主権には服するわけですから、それはとうてい解放とはいえない。それを解放だと言ってきた「在日」の指導層と知識人の責任も問われなければならないと思う。
 ただ、当時は「在日」の指導層と知識人の責任というところまではとても踏みこめなかった。私もまだ二十代後半の若さで、やたらと正義感だけが強かった。差別問題に初めて直面して、悪いのはすべて日本であるという思いが強かった。「在日」の人や韓国の人から何かを言われると、それに反論すること自体をためらうという時期が10年くらいありましたね。日本人であることの罪みたいな思いがあって、「在日」の人が間違ったことを言っているのに反論できず、韓国の人に対してはご無理ごもっとも、という感じ。」(大沼保昭「大上段に振りかぶった国民国家の相対化と「在日」の人権を結びつけるべきではない」、白井美友紀編『日本国籍をとりますか? 国家・国籍・民族と在日コリアン』新幹社、2007年、164-165頁)

 このように「「在日」の指導層と知識人の責任」を強調するようになった一方で、国籍選択権を忌避し、在日朝鮮人全員の送還を画策した吉田茂については、次のような「理解」を示すようになる。

「ただ、吉田首相や日本の官僚がそう考えるのも無理もなかったという面もある。当時の「在日」の指導層は、自分たちは戦勝国民だといって日本の法を無視する強硬な姿勢をとっていたし、また共産党の暴力革命路線と結びついて暴力的な運動をやっていた。一般の「在日」の人々の中にも、今までの差別のうっぷん晴らしを乱暴なかたちでやった人もだいぶいて、「在日」の指導層はそれを止めようとしなかった。一般の日本の市民の「在日」に対する悪感情は、この時の経験に基づく面がかなりある。
 人間の感情として、差別されていた人間が「解放」されればそれまでのうっぷんを晴らしたくなるのはよくわかる。また、今日の状況で韓国籍を手放すことへの心理的抵抗もわかります。しかし、そういう個々的な感情を抑えて、全体の利益のために理性的に動くのが知識人というものであり、リーダーシップというものでしょう。ところが、「在日」のリーダーシップにはそれがない。そういう意味で、私は民団の指導層をはじめ、「在日」の知識人や指導層の責任は非常に大きいと思う。
 私は二五年以上前から「在日」の指導層に対し、日本国籍を回復する運動をやったらどうかと言ってきたのですが、いまだに彼らは「まだ早い」「機が熟していない」と言うわけ。30年間同じことを言っている。それは個人の感情なんですね。その感情をなんとか抑えて、「在日」の一般市民の長期的な利益のために動くということがない。」(166-167)

 実はすでに70年代末の論文でも大沼は、部分的には解放後の在日朝鮮人運動に関する上のような見解を示してはいたのだが、さすがにここまで露骨に吉田への「理解」を示してはいなかった(*5)。冒頭の語りなどは「三国人」言説そのものである。かつての論文では民族自決への重視から「在日朝鮮人の主体的意思」の無視が批判されていたが、上のインタビューでの大沼の主張はもはや民族自決ではなく、日本国籍喪失そのものを在日朝鮮人が批判しなかったことを問題視し、「日本国籍を回復する運動」を在日朝鮮人団体に提案している。

 こうした浅川=池田と大沼の対立は、帰化のみ容認論vs確認あるいは簡易国籍取得法制定論の対抗であると整理できる。つまり、在日朝鮮人の日本国籍取得の方法をめぐる争いなのである。浅川は日本政府と同じく「帰化」による日本国籍取得のみを認め、大沼は「確認」による日本国籍保持が可能であると論じる。そして両者の対立の背後には52年4月の日本政府の政策への相反する評価がある。

 対立と同時に共通点もある。以前にも指摘したことがあるように(「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」)、両者は歴史認識としては韓国併合=合法の前提のもと議論する点では立論の出発点を共有している。何よりこの枠組みでは外国籍を保持したままでの権利擁護の道が除外されてしまう。

 だが、在特会の「在日特権」論=特別永住許可批判が全力で粉砕しようとしているのは、まさにこうした道なのではないだろうか。在日朝鮮人が「祖国」の国籍を保持しつつ、居住地の日本における権利をいかに確保するか、という問いは当然のことながら上の議論の枠組からは出てこず、在特会への有効な批判にもなりえないだろう。また歴史認識としても、前者の問題、すなわち在日朝鮮人が日本国籍喪失の後、確かに日本国籍を有しないという意味での「外国人」になったが、自らの国の国籍を十分に日本で承認されてこなかったことの問題性が隠されてしまう。「朝鮮半島に新しい母国が建設されるのに、何を好んで屈辱的な日本国民になる必要があろうか。」という池田の揶揄は、その限りでは多くの人びとの信条を正しく表している。だからこそ、そうした心情を利用して在日朝鮮人の在留権を侵害しようとした日本政府と、それに対する当時の在日朝鮮人運動の批判に注意を払わなければならない。

 こうした狭まる土俵のなかだけで議論を続けることは、特別永住を例外的なものとして扱い、いずれは消滅させたいと願う在特会の利益にかなうものとすらいえるかもしれない。「国籍剥奪」をめぐる日韓交渉の歴史のなかで、国籍喪失に関する日韓合意のみが語られ、「在日韓国人」に対する出入国管理令の適用をめぐる対立があったことがあまり想起されないのも、こうした土俵の狭さと関係していると考えられる。浅川=池田的な「国籍剥奪論」批判への批判に邁進しても(歴史的事実の歪曲を正すことは必要だとしても)、結局は簡易国籍取得法という終着駅にたどりつくだけなのではないだろうか。

(鄭栄桓)

*1 例えば「池田信夫さんのブログ:在日はなぜ帰化しないのかの嘘」など。ただし、ここでの池田批判には「日本政府は、旧植民地出身者に国籍選択権を与えることを拒否し、韓国籍とすることも認めず、出身国の欄にただの地域名として「朝鮮」という記号を与えた」(金明秀)など、不正確なものもあるため注意が必要である。講和条約発効以前の1950年に法務府は外国人登録の国籍欄に「韓国」「大韓民国」と書くことを容認している。

*2 金英達によれば、52年4月28日付の『官報』に告示された帰化許可者のうち、原国籍が「朝鮮」の者は51名でいずれも公務員である。金は「条約の発効に先だって、その際に日本の公務員の地位にあった朝鮮人・台湾人のなかで、ひきつづきその地位にとどまらせることが相当であると判断した者については、便宜上条約発効前に帰化申請をさせ、発効の日付をもって許可するという措置をとった。外国人となる者をそのまま日本の公務員の地位に就かせておくのは適当でないと判断したためである」(金英達『在日朝鮮人の帰化』明石書店、1990年、10頁)と指摘している。

*3 日本政府は52.4.28に「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係所命令の措置に関する法律(昭和27年法律126号)」を制定、同法第2条第6項にて、条件を満たした在日朝鮮人・台湾人(講和条約発効にともなう国籍離脱者)は、「別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とした(法126-2-6)。これは出入国管理令上の在留資格とは異なる「在留の資格」であった。法126-2-6の対象となるのは、45年9月2日以前から52年4月28日まで「引き続き本邦に在留するもの」と、その者から45.9.3-52.4.28の間に出生した子である。逆に、(1)45.9.2-52.4.28の間に一度でも日本を出国・再入国した者、(2)52.4.29以後に出生した者は法126の対象とならず、個別のケースに従い入管令上の在留資格を得るか、資格を得られないまま在留した。

*4 この論文は1979年から80年にかけて『法学協会雑誌』に掲載され、2004年に『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』として東信堂より刊行された。

*5 ちなみに「民族差別」について大沼は次のように語っている。

「――よく言われるのが、日本は同化政策をとっている、ということですが、坂中英徳氏(東京入国管理局長)に言わせると、同化政策はとっていないが同化力が強い社会だ、ということで、「在日」側と日本人側で認識に違いがあるようです。
 認識の違いではなく、端的に「在日」側の認識の誤りだと思います。
――では、日本は同化政策はとっていないということですか。
 はい。坂中氏が言うように、確かに同化力は強く、社会的に排斥する無意識の行動様式は根強い。それは誰も否定しないでしょう。しかし、意識的な同化政策というのは、一時代前までは確かにとっていましたが、そんなものをいつまでも維持できるはずがありません。日本政府の政策担当者もそれほど愚かではありません。
――かといって、多民族を大切にしているわけでもないですよね?
 それは違います。
――民族教育に対して消極的だったり、どこか同化していったほうがいいと思っているような印象を受けるのですが。
 それはどこの国でも基本的にはそうでしょう。多数派にとっては、少数派が同化してくれれば自分は変わる必要がない。楽でいいわけです。社会に対してそんな理想的なことを求めても無理ですよ。友達だってそうでしょう?自分と全然違う考え、習慣をもった人より、自分と似ている人のほうが付き合いやすいじゃないですか。類は友を呼ぶ、という諺もあります。
――ということは、やはり多少の生きにくさは仕方がないということですか。
 いや、「在日」だけが生きにくいわけではなくて、みんなそれぞれに生きにくさを抱えているんです。私は前から言っているのですが、民族差別だけが差別ではありません。あなたは自信をもって性差別や身障者差別、老人差別をしてないと言えますか?私は言えない。民族差別を言う人だって、ほとんどは多かれ少なかれ、性差別者、老人差別者、身障者差別者、容貌差別者ですよ。自分は清く正しく生きられないのに、どうして他の人に対して清く正しく生きることを求めるのですか。」(168-170頁)


by kscykscy | 2014-10-11 00:00 | 出入国/在留管理

在日朝鮮人の再入国規制と日本政府の「制裁」①-最高人民会議代議員の再入国禁止問題

 朝鮮民主主義人民共和国への送金規制強化を骨子とする「日本独自の追加制裁措置」が5月28日午前の閣議で決定された。福島瑞穂が罷免されたのは28日夜の閣議なので、社民党もこの「制裁」延長・追加に賛成したわけだ。

 さて、この「制裁」延長・追加をめぐっては閣議決定数日前より、朝鮮民主主義人民共和国を渡航先とする在日朝鮮人の再入国禁止が検討されていると報道された。報道は再入国「制限」としているが(『朝日』2010年5月28日7時38分)、在日朝鮮人が朝鮮民主主義人民共和国を渡航先とした場合は再入国許可を発給しないということなのだから、「制限」ではなく禁止が正確である。具体的に政府は、現行の日本居住の最高人民会議代議員6名への再入国禁止を、朝鮮総連中央常任委員会の構成員20名に拡大する方向で検討していたようだ(『47news』2010年5月25日18時15分)。

 『朝日』によれば、この案は「人道上問題がある」ということで見送られたのことである。だがそもそも現行の最高人民会議代議員6名への再入国禁止がどれほど深刻な問題を含むものなのかは、ほとんど指摘されていない。もちろん、『朝日』の記事に対してはそれでは現行の最高人民会議代議員6名への再入国禁止は「人道上問題」はないのかという疑問がすぐに浮かぶのだが、私は現行の最高人民会議代議員6名への再入国禁止は「人道」とは別のレベルで問題化されるべきだと思う。

 そもそもこの「制裁」措置は2006年7月5日より始まったものである(日本政府は「在日の北朝鮮当局の職員による北朝鮮を渡航先とした再入国は原則として認めない」と表現している)。実は在日朝鮮人の最高人民会議代議員への再入国については、7月5日以前より入管当局は再入国許可を即日交付しないなどの嫌がらせを行なっていたが(『朝鮮新報』2006年3月7日)、これが政府によって原則禁止というより高いレベルへ引上げられたのである。

 朝鮮民主主義人民共和国を渡航先とした再入国を原則として認めない、ということは結果的には朝鮮民主主義人民共和国の最高人民会議代議員を日本国内に拘留しておくことを意味する。仮に代議員が最高人民会議の職務を果すために日本を出国する場合、再入国無しで出ることになるわけだから、出国の時点で在留資格は失われる。さらに政府は2006年7月5日の「制裁」で「北朝鮮当局の職員の入国は原則として認めない」としているのだから、この代議員は一般外国人としての入国すらも禁じられることになる。つまり、現行の「制裁」のもとでは在日朝鮮人の最高人民会議代議員は、一度日本を出たら戻って来ることができないのである。これは事実上、代議員を日本国内に拘留しているに等しい。

 この「制裁」措置は、確かに代議員もまた一在日朝鮮人であるという点を勘案すれば、「人道上」極めて深刻な問題を有しているし、一般的な人権の侵害ともいえる。だが、そもそも最高人民会議の代議員は、朝鮮民主主義人民共和国の国内法に基き正当な手続を経て選出された公民の代表であり、少なくとも形式的には立法府において共和国公民の意思を代表する立場にある。日本政府は政府の明確な意思として、この公民代表のうちの6名を事実上日本国内に拘留しているのであり、いうなれば日本政府の作為によって立法府における共和国公民の意思の実現を阻んでいるのである。つまり、2006年7月以来の「制裁」は、在日朝鮮人の「人道」問題というよりも、朝鮮民主主義人民共和国の国家意思形成への日本政府による露骨な干渉としての側面を有している。そして驚くべきことにこの「制裁」がもう5年も続いているのだ。

 これに対して、在日朝鮮人の代議員は一応出国することはできるのだから、そうした批判は成り立たない、という反論があるだろう。だが、問題は当該代議員が朝鮮民主主義人民共和国に入国できるかどうかではない。当該代議員が日本に戻ってくることができない状況を作り出している日本政府の「制裁」措置は、そもそも朝鮮民主主義人民共和国公民が日本居住の公民から代議員を選出すること自体を事実上不可能とするものであり、いわば日本が朝鮮民主主義人民共和国の立法府の構成員をいかに選出するかに制限を課していることを意味する。ただ当該代議員が朝鮮民主主義人民共和国に行ければ済む問題ではないのである。

(続)
by kscykscy | 2010-06-03 12:22 | 出入国/在留管理

外国人労働者を挟み撃ちする厚労省と法務省

 前回の末尾に、厚労省の「日系人」失業者追放策について、これが朝鮮人に対する排外的主張を誘発する可能性がある、それほど日本のレイシズムは根深い、と書いたが、もう少し踏み込んで厚労省の今回の「在留資格喪失条件付帰国支援」策を検討したい。

 そもそも厚労省が「在留資格喪失条件付帰国支援」なる策を考案せざるを得なかった背景には、「日系人」の独特の法的地位があると考えられる。当然ながら、この策の対象となる「日系人」は外国人に限られる。日本国民に対してはこうした方策は採れない。自己あるいは父母のルーツが日本国外にあるとしても、日本国籍を取得すれば本人の居住権は憲法上の保護を受けるからである。その一方で、単なる追放・送還強化策ではなく、厚労省が「在留資格喪失条件付帰国支援」という形式を採らざるを得なかったのは、「日系人」のうちその在留資格が「定住者」あるいは「永住」であるものが少なくないからであろう。

 「定住者」とは入管法別表第二に規定される「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」の在留資格である。その具体例は法務省告示に示されており、典型例は「日系二世」から「四世」までである。在留資格「定住」の場合、1年~3年毎に在留資格の更新をしなければならず、強制退去の対象にもなるが、就労の制限が無いため「日系人」の多くはこの在留資格に基づく外国人労働者として滞在している。在留が五年以上になれば在留期間更新の不要な在留資格「永住」も取得可能であるため、なかにもこの在留資格を取得している人もいるだろう。

 このように「日系人」の在留資格が、就労を認められた非短期滞在のものであったため、厚労省としては「帰国支援」という方策を採らざるを得なかったのである。「定住」「永住」よりも不安定な在留資格の場合、すでに法務省がやっているように、そもそもこうした迂回策を採る必要など無い。「研修」などの場合も同様である。だが一方で厚労省は、これを確実に外国人労働者追放策として実を結ばせるために(露骨な言い方をすれば確実に外国人労働者を減らすために)、日本政府が在留資格の管理権限を一定に掌握していることを利用して、「帰国支援」によって帰った「日系人」の「定住」などの在留資格は剥奪するという措置をセットにしたのである。つまり、厚労省が「在留資格喪失条件付帰国支援」というようなややこしい方策を採ったのは、何も温情からではなく、「日系人」の置かれている独特の法的地位に対応した外国人労働者追放策を作り出す必要があったからなのである。言い換えれば、厚労省は実のところ「日系人」をめぐる政策としてこれを捉えているのではなく、徹頭徹尾独特の法的地位を有する「外国人労働者」の問題としてこれを扱っているのである。

 在留資格を剥奪するといっても実際に日本政府がすることは「帰国支援」をうけた「日系人」の再入国許可申請を不許可にするだけでよい。再入国許可を受けずに出国すれば、即座に在留資格は消滅するからである。逆に再入国許可を与えてしまうと、「帰国支援」をした外国人労働者が再び同じ在留資格で日本に戻りうることになり、厚労省としてはその狙いを達成できないのである。坂中英徳はこれについて「我が国の法律に違反する行為を行ったとか、著しく国益に反する行為を行ったなどの事由がない」のに申請不許可にするのは妥当性を欠く、と批判しているが、法務大臣に大はばな裁量が認められている以上、こうしたことは当然起こりうるのである。

 また一方で、すでに法務省は「定住者」たる「日系人」の入国に関しても、2006年に新たな政策を打ち出している。「日系人」などの「定住者」の要件等については法務省の「定住者告示」が定めているが、法務省は2006年4月にこれを改定、「素行が善良でなければならない」ことを入国の要件とした。具体的には、「定住者」の資格で日本に入国しようとする者は「本国の権限を有する機関が発行した犯罪歴に関する証明書の提出」を求められるようになった。法務省はその理由として「「定住者」の在留資格で入国し,在留する外国人による重大事件が発生し,治安に対する国民の不安が高まっていること」を挙げている。

 これらを総合すると、厚労省などの労働政策サイドが内側から温情を装って「定住者」資格の外国人労働者を追い出し、一方では法務省などの治安政策サイドが外から入ってくる「定住者」に「素行善良要件」を課して犯罪者予備軍扱いする、という挟み撃ちの体制が築かれているのが現状であるといえるだろう。厚労省の今回の措置は、こうした外国人労働者を締め出す体制形成の一環として理解すべきではないだろうか。

 省庁の考えはおそらくこういったところにあるのだとは思うが、ここで若干気になるのが日本社会の反応である。日本社会においては、少なくとも抽象的なレベルにおいて(というよりも、抽象的なレベルであるほど)、「日系人」は「同胞」と観念されている(と思う)。そもそも「日系人」の「定住者」たる資格も血統によって根拠付けられている。もちろん、「日系人」と呼ばれる人々の間で在日ブラジル人という自称が生まれていることからもわかるように、これは当事者の意識とはズレた乱暴な観念であるが、少なくともレイシストなら同じraceと考えるはずである。法務・厚労省はこうした「血統」という建前よりも、外国人労働者という法的実態に着目して上記の排除体制を整えようとしているのであるが、日本社会ではこの事態にいかなる反応が生まれるであろうか。

 私はこれは徹頭徹尾外国人労働者をめぐる問題として理解されるべき、つまり厚労省がこうした姑息な迂回策を採らなくてもバンバン他の在留資格の外国人が事実上追放されている事実の方へと目を向けていくべきだと思う。だが、実際には厚労省への反対論自体がほとんど無いと思うし、もし仮にあったとしても日系人」の「日本人」としての側面に着目した同情論へと流れていくような気がしてならない。坂中英徳が厚労省を叩いているのも、おそらく彼が人権派だからなのではなく、彼が非常にシンプルな「日本人主義者」(という表現以外思いつかない)だからだと思う。坂中的な批判は日本社会の現住所を如実に表わしているともいえるかもしれない。
by kscykscy | 2009-05-09 01:02 | 出入国/在留管理

厚生労働省の「日系人」失業者追放策

 厚生労働省が「日系人離職者に対する帰国支援事業」なるものを始めている。厚労省の説明によれば、帰国を希望した「日系人離職者」に対し行政が「帰国支援金」を支給するという。厚労省はそ知らぬ顔で「母国に帰国の上で再就職を行うということも現実的な選択肢となりつつある状況です」といい、あたかも「日系人」側からそうした「選択肢」が出てきているから、仕方なく対応しているかのようなふりをしているが、何のことはない、これは現代の「口減らし」ではないのか。

 労働力が不足したから、と呼んでおいて、用が済んだら旅費を握らせて「お帰りください」とは、あまりにも人を馬鹿にした話である。厚労省の資料を見ると「帰国支援金」には家族分も含まれており、読売新聞は担当職員に「家族全員でないとだめか」との質問が飛んだと報じていることから、どうやら行政サイドは家族単位での「帰国」を奨励(という名の強要なのだろうが)しているようである。

 しかも、この「帰国支援事業」には「支援を受けた者は、当分の間、同様の身分に基づく在留資格による再入国を認めない」という驚くべきオマケがついている。「支援金」なるものをもらって帰ったら、同様の在留資格では日本に再入国できないのである。「帰ってください、そして、当分の間帰ってこないでください」というのが、この制度の趣旨である。「当分の間」とはどういうことだろうか。現時点では明示されていないようだが、つまるところ「景気が良くなってまた人手不足になったら」という意味なのではないか。働き手だけ日本を離れることになれば、一家離散する。外国人を労働力商品としか見なさない、ふざけた「政策」である。

 もっとお粗末なのがこれを批判する坂中英徳の論理である。坂中は上記の「再入国を認めない」という規定について憲法違反であると憤慨している。「帰国支援金の対象者は、日本人の血を引く移民2世・3世など特別な地位を有する人たちであり、それゆえに入管法上も優遇された在留資格を与えられて定住する人たちである。そのような事情を踏まえて考えると、これらの人たちが支援金を受け取ったからといって、法務大臣がその再入国許可申請を不許可とする合理的理由とはならない」というのがその理由である。

 それはそうだろう。というよりもそもそも「再入国許可申請を不許可とする合理的理由」なんて無いのである。ともあれ、この「再入国を認めない」という規定について坂中は憤慨し、かつ今般の経済危機に「日系人自身の責めに帰すべき事由はない」というこれまた当然のことを言いつつ、坂中は結論として次のように述べる。

第二の祖国である日本にUターンしてきた日系人のうち今回の経済不況で帰国を余儀なくされた人たちについては、景気が回復し、再び来日を希望する場合には、温かく迎えるという姿勢が日本政府に求められる。

 つまり、帰国させるのはいい、だけど「景気が回復し、再び来日を希望する場合」にはちゃんと迎えましょうね、というわけだ。これは結局厚労省の発想と何が違うのだろうか。坂中に厚労省との違いを求めても仕方がないのであるが、彼のいう「移民国家」なるものが人が足りない時には外国人「移民」でこれを補充し、日本人が不安にならないように徹底的に日本語教育を施すが、ひとたび景気が悪くなって日本人と競合するという妄想が社会を覆ったときにはさっさと帰っていただく、という非常に手前勝手なものであることだけは明らかだろう。開明官僚ぶって実のところ大勢とそう変わらないことを繰返しているに過ぎない彼らしい「憤慨」である。

 こういうと、在日ブラジル人がその母国に帰ることを援助することの何が悪い、という声が起こりそうだが、これまでの常として、ピンポイントで「帰国支援」政策を打ち出せば、「せっかく行政が旅費まで出してやるっていってるのに何で帰らないんだ」という排外主義的風潮が広がることは必至である。この政策そのものが「日系人」の「離職」を誘発する可能性すらあるだろう。しかも、これまた日本人が繰返してきたことだが、後々「金をやったのに文句いうな、特権だ」などと「日系人」を批判する言説が登場することは火を見るより明らかである。だったら朝鮮人も帰れ、といった類の声だってすぐに起こるだろう。病膏肓に入った日本のレイシズムをなめてはいけない。
by kscykscy | 2009-04-29 23:37 | 出入国/在留管理

入管法・入管特例法改悪案と「有効な旅券」

 産経新聞が伝えているように、三月六日、政府は入管法及び入管特例法の改正案を閣議決定した。現在配布されている入管法及び入管特例法改正案要綱に、その主たる内容が掲載されているが、これが相当にひどい。

 第一に、すでに言われていたように、入管法適用対象者には在留カードの、入管特例法適用対象者には特別永住者証明書の常時携帯義務が課され、前者については不受領、不呈示、不携帯、すべてに懲役及び罰金等の刑事罰が課され、後者は常時携帯義務違反については過料に処するとし、それ以外には懲役及び罰金等の刑事罰が、課されるとされている。罰則規定が形を変えて維持されたといえる。これについては改めて検討したい。
 
 第二は、「再入国許可」に関わることである。これについて今回の法律案要綱は、「みなし再入国許可」という名の一部「再入国許可」取得免除を定めている。原文は以下の通り。

  第九 再入国許可の有効期限の伸張に関する規定及びみなし再入国許可に関する規定の整備
 二 みなし再入国許可
 1 本邦に在留資格をもって在留する外国人(中略)で有効な旅券(第六十一条の二の十二第一項に規定する難民旅行証明書を除く)を所持するもの(中長期在留者にあっては、在留カードを所持するものに限る。)が、法務省令で定めるところにより、入国審査官に対し、再び入国する意図を表明して出国するときは、第二十六条第一項の規定にかかわらず、再入国の許可を受けたものとみなすものとし、ただし、出入国の公正な管理のため再入国の許可を要する者として法務省令で定める者については、この限りではないものとすること。
 

 また、特別永住者について「第九の二は、有効な旅券及び特別永住者証明書を所持して出国する特別永住者について準用することとし」とも記されており、特別永住者を含む全外国人に対する「みなし再入国」の内容がここに示されている。そもそも「再入国許可」とはいうものの、これは政府が外国人の再入国の許可権限を掌握しているという意味なので、実態は「再入国規制制度」であり、この権限を放棄しないために「みなし再入国許可」なる名前をつけていること自体問題である。
 
  ただ、より深刻なのは、これの対象となるのが「有効な旅券を所持するもの」に限定されていることである。日本には「有効な旅券」を所持しない者が多数住んでおり、代表的なのは朝鮮籍あるいは韓国に国民登録をしていない韓国籍の在日朝鮮人である。朝鮮民主主義人民共和国の旅券について日本政府は「有効な旅券」ではないとしているので、両者はこの「みなし再入国許可」なるものの適用対象外となる。逆に言えば、朝鮮人のうちこの「みなし再入国許可」の対象となるのは、韓国旅券保持者だけである。ちなみに、日本政府は国交の無い台湾やパレスチナについては、その旅券は「有効な旅券」であると認めている。

 以前、「再入国許可制度」については欧米からも批判が多く、規制緩和の観点から撤廃の声が高まっており、おそらく政府としては在日朝鮮人に対する再入国規制を維持しつつ、外国人一般に対する再入国規制緩和を行うため、民主党の出してきた入管特例法に限定した再入国規制案を採用する可能性が高い、と書いた

 この予想は半ば当たり、半ば外れたといえる。やはり日本政府としては、外国人一般の再入国規制緩和と、在日朝鮮人に対する再入国規制を何とか両立させたいと考えていたといえる。これが「半ば当たり」である。だが外れたのは、「有効な旅券を所持するもの」という規定をいれたことにより、民主党案よりも明確に狙いを定めたかたちで、外国人一般に対する再入国規制緩和と、朝鮮人に対する再入国規制を両立させたことである。しかも、これならば入管特例法適用対象者の在日朝鮮人のうち韓国旅券所持者には再入国規制の緩和を出来るので、日韓関係上も問題が生じない。驚くべき官僚的屁理屈である。

 逆に、今回の法律案要綱が旅券を所持しない朝鮮人に対する再入国規制に特化されたことによって、再入国規制制度の「植民地主義」的な側面はむしろ強まったといえる。最悪の展開であるといえるだろう。
by kscykscy | 2009-03-07 18:03 | 出入国/在留管理

民主党の植民地主義的再入国許可制度再編案

 前回触れた民主党の「在日朝鮮人に対する再入国許可禁止」という「制裁」案について、もう少し詳しく検討したい。植民地支配責任という観点からも、これは相当深刻な問題だからだ。

 現在の入管法、入管特例法は永住・特別永住資格を持つ外国人に対し、日本国外への一時渡航に際して再入国許可を得ることを義務づけている。この「再入国許可制度」については、大きく二つの立場からの批判がある。一つは在日朝鮮人団体が繰り返し主張してきたもので、人権論の見地からの批判。そしてもう一つは、いわゆる「規制緩和」の立場から、商用の外国人にとってこの制度は不合理で非効率であるという批判である。前者について政府はほとんど聞く耳を持ってこなかったが、後者の批判があるため、一時は新たな在留管理制度のもとで撤廃かとの観測もあった。

 だが一方で日本政府は、例えば朝鮮のミサイル発射実験以後の措置の一つに「在日の北朝鮮当局の職員による北朝鮮を渡航先とした再入国は原則として認めない」という項目を入れており、この再入国許可制度を対朝鮮制裁の手段として最大限活用している。

 しかし、今回報道されている民主党案は、渡航先や渡航主体の限定無しの「在日朝鮮人に対する再入国許可禁止」をうたっており、どう考えてもその適用範囲は政府の「制裁」措置よりもはるかに広い。ただ、こうした広範囲な再入国許可禁止案は決して新しいものではなく、2004年にいわゆる「西村眞吾私案」として拉致議連内で議論されたことがある。この「西村私案」は、一言でいえば入管特例法の改悪案なのだが、その内容は以下の通りだ。

 法務大臣は、特別永住者で次の各号のいずれかに該当するものに対しては、入管法第
二十六条第一項の規定による再入国の許可を与えない。

一 日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主
張し、又はこれを企て若しくは主張する団体を結成し、若しくはこれに加入している者
二 前号に規定する団体の目的を達するため、印刷物、映画その他の文書図画を作成
し、頒布し、又は展示することを企てる者
三 前二号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する
行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者


 以上の項目を、入管特例法の第十条(再入国の許可の有効期間の特例等)に付け加えるとしている。ここに挙げられた三項目は、いずれも入管法第五条に定められた上陸拒否事由(十一号、十三号、十四号)で、それをそのまま再入国許可にあてはめようというのが、この「西村私案」の狙いである。現在、入管特例法は上陸審査の特例を設けているが、入国時の上陸拒否事由の審査から除外しているが、それを特別永住者にも適用しようというのである。

  西村自身はすでに民主党ではないが、過去のものを見る限りおそらく民主党案の「在日朝鮮人に対する再入国許可禁止」というのは、この「西村私案」と同様のものと推測される。つまり、入管特例法改悪を通じた特別永住許可者の再入国許可制限、あるいはそれに準じた措置を政府が「追加制裁」として取る、というやり方である。これならば「規制緩和」論者(海外含む)から評判の悪い再入国許可制度そのものは緩和するとしても、その多くが在日朝鮮人である特別永住者に対し在留規制をかけることができる。

 現行の再入国許可制度は、法の形式としては米国式の入管法に基づいているが、その実態においては、明らかに「一時帰鮮証明書」制度などの植民地期における在「内地」朝鮮人渡航規制との連続があると思われる。そう考えるならば、「西村私案」そして民主党案は、植民地民渡航規制という「本来の」あり方に、再入国許可制度を戻すものともいえるだろう。植民地時代の統治技術を今も日本政府が捨てきれないからこそ、再入国許可制度は維持されるのだ。

 昨今の在日朝鮮人団体に対する弾圧といい、この植民地主義的再入国許可制度の再編案といい、国交正常化交渉を前に、国内における朝鮮人支配体制の強化を平行してやっていくというのが、「侵略責任継承国」日本のやり方なのである。
by kscykscy | 2008-11-08 01:06 | 出入国/在留管理

日本独自の「制裁」と民主党の「制裁」案

  警視庁公安部による新宿商工会への強制捜査事件が起きた。また税理士法違反である。安倍政権下で朝鮮総連や関係機関、朝鮮学校に対する公安的弾圧事件が続発したのは比較的よく知られているが、福田政権になってもこれが続いていたことはあまり知られていない。たとえば京都府警の商工会への強制捜査などが代表的だが、少なくとも在日朝鮮人団体への弾圧に関しては、安倍・福田にあまり違いは無いことは確認しておくべきだろう。今回の新宿商工会への弾圧事件もこの「法の厳格適用」の名のもとに行われる、日本独自の制裁路線の流れの中にあると見ていいだろう。また新宿のケースは米国のテロ支援国家指定解除後にあえて発動したという点で注目を要する事件である。

  繰り返しになるが、別に在日朝鮮人団体への弾圧は安倍政権で終わったわけではない。福田政権下でも、もちろん麻生政権下でも続いてきた。だが、これを批判したり、問題にしたりする者はほぼ皆無だ。

  そしてここにきて民主党が日本独自の制裁案を発表した。産経新聞のまとめによると、国内の北朝鮮関係団体の資産凍結、朝鮮総連への課税強化など、この間ことあるごとに極右論壇、あるいは「救う会」などの極右勢力が主張してきた内容のほとんどが盛り込まれている上、「在日朝鮮人に対する再入国許可禁止」という驚くべき「制裁」まで含まれている。産経の記事は「北朝鮮当局職員の身分を持つ在日朝鮮人に限っている「再入国禁止措置」の対象を大幅に拡大する」としており、何らかのかたちで在日朝鮮人全体(あるいは朝鮮籍者か?)の再入国許可を禁止するつもりらしい。これは事実上在日朝鮮人の海外渡航を禁止するに等しい。在日朝鮮人の権利状況を1960年代水準まで逆戻りさせる、こうした驚くべき制裁案が民主党から出ているのはさもありなんというべきか。

  今後「救う会」などの極右勢力は、自民党から切り捨てられそうになったら民主党に接近して、在日朝鮮人弾圧を競争させていくのかもしれない。
by kscykscy | 2008-11-07 00:03 | 出入国/在留管理