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閑話休題 戦後日本と憲法九条の教訓

 いまさら、という感がしないでもないが、「九条世界会議」的な発想は不快を通りこしてあまりにも有害だ。日本国憲法第九条は「平和を願う世界の市民にとっての共有財産」だそうだが、噴飯ものである。「60年以上にわたり、日本とアジアの人々の信頼関係の礎となってきました」とも書いているが、本気でそう思っているのだろうか。

 極めて単純明快な話だが、九条と戦後日本の歩みが教えるものは「憲法に明記したってそれを守らない国家がある」という単純な事実に過ぎない。歴史的に見るならば、軍国主義日本の武装解除による封じ込めと脱脅威化に連合国は失敗した(というのは少し連合国に好意的過ぎるが)、という教訓こそが引き出されるべきだが、今後はこれに「なまじっか憲法に書くと守ってもいないのにそれを誇り始めるバカがいるから気をつけよう」という教訓を付け加えるべきだろう。

 しかもこれを「世界」に広めるという。もし現状のまま、つまり日本が自衛隊を廃止せず、かつ米国との軍事同盟も維持したまま、九条を他国に広めるというのならば、自国は軍備を保持したまま、他国の軍備を撤廃させるという帝国主義も驚く馬鹿げた提案をしていることになる。逆に、日本の現状をもって九条が守られていると考え、これを輸出するならば、違憲状態を「合憲」と強弁する状態を世界に蔓延させることになるわけで、端的に言えば立憲主義の破壊の促進になる。いずれにしても最低である。そんなはた迷惑なことはやめたほうがいい。
by kscykscy | 2009-04-29 17:57 | 日朝関係

和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」

 前回書いたように、和田春樹は『世界』2009年4月号に寄稿した「韓国併合100年と日本 何をなすべきか」(以下、和田論文)と題した論文で、韓国併合100年に際して「当然実現されていい懸案」として、「天皇皇后のソウル訪問」(168頁)を挙げている。天皇が大統領主催の晩餐会で村山談話の表現を取り入れた挨拶をすれば「日本国民の心を伝えるものになるはず」で、しかも天皇皇后が高宗、純宗の廟を訪れ、「花輪を捧げ、頭を垂れれば、植民地支配への反省を象徴的に表わすという意味で、意義深いことであろう」(169頁)というのである。

 和田春樹が天皇のソウル訪問を主張したのはこの論文が初めてではない。むしろ90年代からの一貫した主張といっていいが、来年の「併合100年」にあわせて和田は改めて天皇訪韓の意義を強調しているといえる。韓国内のメディアでも同様の提案を行っている。

 結論から言おう。私はいかなる形、いかなる時期であっても、「天皇」が「天皇」として朝鮮半島を訪れることには反対である。和田は「天皇がソウルを訪れて、高宗の廟に花を捧げるだけでは意味がない、謝罪と償いの新たな行為を伴わなければ意味がないという考えがあるかもしれない」と、自らへの反論を予め天皇訪韓をめぐる条件論へと限定し、論点を意図的に「天皇がソウルで何をなすべきか」へと誘導しているが、問題はそんなことではない。

 日本政府は、併合条約は当時としては合法に締結された、と主張している。一方、村山談話は「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と植民地期を規定する。つまり、併合そのものに問題は無いが、統治の過程で「多大の損害と苦痛を与えました」というのが、政府の立場である。

 併合条約によれば、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ」天皇に「譲与」し(「韓国併合ニ関スル条約」第一条)、かつ天皇はそれを「承諾」している(第二条)。だがこれ自体は問題ではなく、あくまで「統治」の過程での「損害と苦痛」だけが問題になる。つまり「譲与」を「承認」した明治天皇の行為は全く問題にされず、あくまで問題は「君側の奸」にあるというわけだ。

 だが問題は天皇制そのものにある。日本敗戦直後に被侵略地域から天皇制廃止の声が起こったのは、45年以前のあらゆる侵略が天皇の名において行われたからであり、最低限天皇制が廃止されない限り、日本に対して講和は行わないという意思の現れだった。しかし天皇制はこうした要求をかいくぐり、封殺しながら巧みに生き延びた。その天皇が、天皇の地位にあるままで、ソウルを訪れることは、植民地支配を反省する意思表示なのではなく、むしろその逆、天皇制が植民地支配及び侵略責任を回避しきったということを意味するに過ぎない。

 しかも和田はこれを高宗の廟の前でやれといっている。高宗はハーグ密使事件によって退位に追い込まれ、1919年の死は三一運動の引き金にもなった。しかも毒殺説が有力な説として未だに主張されており、日本政府はその真相究明すら行おうとしない。そういった状態で、天皇が高宗の廟に頭を下げるということは、植民地支配を反省するどころか、いまだに天皇なるものが平穏無事に存在し続けていることを象徴的に示す行為であるといえよう。つまり、天皇のソウル訪問及び高宗の廟への献花は、単なる天皇の「勝利宣言」なのである。

(※ちなみに私は天皇が朝鮮の土を踏んでもよい場合は二つあると考えている。一つは天皇制が廃止され完全な私人になった場合、もう一つは日本の植民地支配・戦争責任を裁く国際法廷が朝鮮のどこかの都市で開かれ、そこに被告あるいは証人として出廷を要求された場合である。いずれも現時点では実現可能性は低いので、どちらにしても天皇の朝鮮訪問には反対である。)

 おそらくこうした意見はそう突飛なものではないと思う。少なくとも韓国内でもこうした世論は存在するはずだ。だが、おそらく和田は、だからこそ天皇の訪韓を主張しているのではないだろうか。
 
 和田論文では92年に明仁天皇が中国を訪問し、中国国民への「苦難を与えた不幸な一時期」について「悲しみ」を示し、「我が国民は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」との発言したことが「中国政府に好意的に受け取られた」と肯定的に評価している。訪韓にしてもこれと同様の効果を狙っていることは歴然としており、つまり、和田が意図しているのは、韓国政府の、あるいは韓国政府による対日批判の押さえ込みであるといえる。

 言うまでも無く、中国政府に対する天皇発言は事実に反している。明らかに日米安保条約は中国を仮想敵国の一つに据えていたし、サンフランシスコ講和条約後の米軍駐留の根拠の一つとなった「国連軍地位協定」(1954年2月19日署名)は、朝鮮民主主義人民共和国及び中華人民共和国を侵略者と規定した国連安保理及び総会決議に準拠している。1972年の国交回復後もそれは変わらない。これら諸協定の修正あるいは撤廃のために日本政府が能動的に行動したことは無く、またその意思も無い。中国に対し、日本が「平和国家」どころか明確に敵対姿勢を示していたのは歴然たる事実である。これは和田が多大な影響を受けたと公言している竹内好『現代中国論』の認識とも全く背馳するものといえる(私自身は竹内の中国論に賛同しているわけではないが)。

 だが逆に考えてみると、これは「提言」でも強調されている「戦後日本礼賛」の主張と軌を一にするものであるともいえる。あくまで日本の侵略の問題については、1945年8月15日以前に限定させ、「戦後」日本については平和国家としてアジアとの協調を望んできたのだというラインで押し通す。しかも、45年以前についても法的責任は絶対に承認せず、天皇のあいさつで「手打ち」をする。天皇訪韓についても同様の意図があるといえるだろう。

 また一方で和田は天皇訪韓によって、日本の右翼勢力を黙らせる効果も期待しているのではないか。天皇訪韓主張については右翼から「陛下の政治利用」として猛烈な批判がある。だが、実際に天皇が行けば、ごく一部の右翼勢力以外は言うことを聞くだろう。そしてこの「手打ち」によって、日本・韓国・中国の協力関係――「東北アジア共同の家」を実現する。こうした構想を和田は持っていると思われる。

 政府は戦後一貫して責任を果たそうとしなかったし、その結果国民も別にアジアに対する侵略責任があるとは大して考えていない。被侵略地域の人々はこうした日本のあり方に不満を持っている。当然である。だがこうした不満に対し、日本の政府関係者や国民はこれまた不当だと感じる。戦後日本では侵略責任を果たすための苦痛に満ちた戦いが全く行われなかったのだから、こうした反応は当然起こるだろう。だがこれでは東アジア共同体なんてできようにもない。そこで天皇の登場、というわけだ。

 つまり、和田は今後東アジアにおける何らかの「共同体」的なものを作っていく際に、天皇にその調停役としての機能を担わせるつもりなのではないか。だとするならば、今回の天皇の訪韓要求は、明らかにその第一歩である。そして、朝鮮民主主義人民共和国との国交「正常化」の際には、和田は天皇の平壌訪問を語りだすだろう。東アジアの至るところで天皇の「勝利宣言」がこだますることになる。和田の提案する薄気味悪い東アジアの「未来」を、私は絶対に拒否する。
by kscykscy | 2009-03-17 05:13 | 日朝関係

筑紫哲也の反テロ戦争的「情」について

 筑紫哲也の訃報を聞いて「9.17」直後に彼が書いたコラムを思い出した。改めて読み直してみると、当時は気づかなかったのだが、その後の左派の推移を予言するような、ある徴候的な醜悪さがあることに気づいた。

 その文章というのは、2002年10月18日付『週刊金曜日』(特集は「それでもやっぱり日朝の正常化を」)に書いた「せめて「狂乱の場」を」というコラムである。筑紫はここで、「週刊金曜日」は拉致問題を取り上げることを避けているのでは、という読者からの疑問を紹介して「そういう印象を与えたとしたら、誌面に「理」が勝ちすぎて「情」に欠けるからではないか。そして今週号はもう「それでもやっぱり日朝の正常化を」(特集タイトル)である」と揶揄しつつ(筑紫は編集委員のはずだが)、続けて次のように記す。

 「他の週刊誌がこぞって露骨な反北朝鮮キャンペーンを張っているなかで、それは"栄光ある少数派"のひとつの立場であろう。感情的でなく理性的にも映る。だが、少数派が真に栄光を獲得するためには、説得力を持とうとするきびしい自己点検が欠かせない。それなくしては知的自己顕示とアリバイ証明でしかない。人間が「情」と「理」の間を揺れ動きながら生きていることへの洞察力、そして「理」を「情」の上位価値に据えることが常に正しいとは限らぬことへの警戒心なくしては、「私の心に打ち勝つ」ことはできない。」

 さて、では筑紫のいう、人間が「理」よりも上位価値に据えがちな「情」の内容とは何か。筑紫は続ける。

 「強制連行、「従軍慰安婦」が比較にならぬほどの規模と残酷さであったことを「理」ではわかっても目前の拉致被害者に涙してしまう「情」。近くはイラク戦争準備まで、アメリカの自己目的的な世界政策がテロを誘発していることは「理」でわかっていても、テロ犠牲者を悼む「情」。それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない。早い話が、「それでも国交正常化を」と言う「理性」は、「11人の命よりそれが大事」と言い放った外務省幹部の「国家理性」とどこがちがうのか。「拉致事件のようなことを起こさないためにそれが必要だ」と言う小泉首相の論証不十分な大義名分を鵜呑みにする気なのかをまず説得的に説明する必要がある。」

 目前の拉致被害者への「情」に加えて、なぜか「テロ犠牲者」を悼む「情」まで自明視されている。ここでの「情」はもちろん「人間」一般の被害への「情」などではなく、それどころかナショナルな感情ですらない。いずれも米国や日本が戦争や経済制裁の正当化のために持ち出す「被害」の「情」という点で共通している。「反テロ戦争的『情』」、とでも言うべきものだろう。

 筑紫はこうした「情」が存在することを仮定し、そして巧妙に自分はその「情」に共感しているのかどうかをこの時点ではまだ明言していない。歴史認識問題を議論しているときによく見かける言い訳の一つに、「私は同意しないんだけど、確かにそれに納得しない感情はあるから、戦略的に語る必要がある」云々というものがある。自分が「理」の側にいると見せかけて、他人に「冷静」に語ることを強要したりする傲慢な言い草なわけだが、筑紫の言い回しはそれに似ている。ほとんどの場合、そういう人間は実は「納得しない感情」に自分も「理」のレベルで納得しているのだが、筑紫はどうだろうか。続く文章を読んでみよう。

 「理性の行使がもっとも求められるのは国交正常化そのものである。それは目的なのか、手段なのか。目的だとしたら、当然、経済援助という名の賠償を払わねばならないが、それで一息ついた相手が再び拉致、工作船をふくむ軍事的脅威にならぬ保証はどこにあるのか。そうならないために、あの国を開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえるとしよう。相当に内政干渉の疑いのあるアプローチだが、それを別としても、そういう方向に導いていく外交的能力がこの国に果たして備わっているのか。
 私たちが見聞してきたこの国の外交とは利権まみれのODAとあの外務省の姿ぐらいしかない。またそれに任せる「お人好し」と理性的判断とはどう折り合いが付くのか。」


 あえて解説する必要も無いかと思うが、筑紫は「経済援助という名の賠償」(おかしな表現だが)は、国交正常化を「目的」と考えるものとして退ける一方、「理性の行使」の一例として、朝鮮民主主義人民共和国を「開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえる」ことを提案している。以前、『世界』の提言を「介入の論理」として批判したが、ここでもその論理を確認できる。

 しかも、前段の「情」との関係でいえば、明らかに筑紫は「反テロ戦争的『情』」に納得してもらうために、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえ」ることを提案していることがわかる。筑紫は「それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない」などと言っているが、別に彼は「情」に「立ち向かう」ために、「情」に反したとしても、「理」を駆使するといっているのではない。彼はただ「情」が納得しやすいような理屈をこしらえて、「情」に擦り寄っているだけだ。そして、擦り寄るさまを「理」なる言葉を用いて粉飾しているのである。

 そして、次の一行で筑紫はこのコラムを締めくくる。

 「理」を語る前に少しは「狂乱」があってよい。

 私がこのコラムを読んだ際、深い戦慄を覚えたことをよく記憶している。9.17直後といえば、朝鮮人に対する物理的暴力や威嚇が吹き荒れていた時期であるし、明らかにメディアはそうした暴力を唆していた。筑紫も知らないわけではない。そういうことをよく知っていながらの、「少しは『狂乱』があってよい」の一言である。私は、筑紫は煽っている、と思った。いま「冷静」「沈着」の代名詞として振り返られる筑紫は、「9.17」直後に自らの編集する雑誌で、「狂乱」を煽ったのである。この事実を歴史に刻み込んでおかねばならない。

 しかも恐ろしいのは、その「狂乱」の後に語られる「理」の内容が、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化」だということだ。「反テロ戦争的『情』」におもねり、その「狂乱」を発散させた後で、その「情」に基づいて朝鮮民主主義人民共和国に「民主主義と自由を導入する」というわけだ。

 冒頭に「徴候的な醜悪さ」と書いたが、その後の六年半を見ると、筑紫の「煽り」通りに事態は推移している。散々「狂乱」した挙句、「介入の論理」が最左派の議論として持ち出されている。「反テロ戦争的『情』」に立ち向かうふりをしながら、擦り寄っている。筑紫の示した模範にみな従っているのである。そう考えてみると、この一文は単なる排外主義の文章というだけでなく、その後の左派の行動規範を示した記念すべき文章なのかもしれない。
by kscykscy | 2009-02-12 02:58 | 日朝関係

植民地支配の清算こそ国益、という発想の危険性

 ずいぶん古い文章になるが、2001年6月付で掲載されている日本の戦争責任資料センター代表・荒井信一氏の「戦争責任・植民地支配の清算こそ国益」という文章を読んで驚いた。荒井は比較的早くから日本の戦争責任問題を歴史研究の対象に据えてきた歴史学者である。韓国併合については不法論の立場に立つため、植民地支配責任の問題を考える際に、私もその仕事から多くを学んでいたつもりだった。

 だがこの文章には少し驚いた。サイト運営者がつけたタイトルかとも思ったのだが、本文を読んでみると確かに「直接的には日朝交渉、国交正常化とかかわりますが、植民地支配の責任を清算することが、日本の国益にとって非常に重要だということをもっと強調していく必要があります」と書いてある。私はこういったレトリック、つまり責任を取った方が日本の得になる、という論法には、相当深刻な問題があると思う。

 荒井氏は続く文章でこの点をさらに展開しており、ここでの論理にも相当な問題があるのだがそれは後述する。まずは基本的認識のレベルを問題にしたい。私は、植民地支配責任に応じることと、「日本の国益」の増大云々をリンクさせて論じるべきではないと考えている。植民地支配責任に応じることは、「日本の国益」の増大云々とは無関係に考慮されなければいけないことだからだ。仮にそれが「日本の国益」を著しく損なうことになるとしても、植民地支配責任を果たさねばならない。

 なお、ここでいう「国益」には、国家の利益、現政権の利益のみならず、国民の利益も含まれていると考えるべきだ(荒井氏も後者の用法を含めていると思う)。つまり、仮に「植民地支配の責任を清算することが、日本国民の利益にとって非常に重要」と記していたとしても、同様に私は問題があると考える。

 というよりもむしろ、植民地支配責任に応じるということは、進んで「日本の国益」を損なうということなのではないのだろうか。こう書くと右翼と同じことを言っているようだが、多分私は事実認識に関しては同じことを言っているのだと思う。

 例えば日本が第二次大戦に敗北を前後して連合国が構想し、一部実施された賠償案では、日本の生産水準を日本に侵略された他の東アジア諸国以下に引き下げることが目的とされていた。具体的には工場施設などを日本からそれら諸国に移転するというもので、確か朝鮮にも機関車何台かが運ばれたと記憶している。

 結局、中国革命に対応するために米国が日本の経済復興と基地化を急いだため、ほとんどこの賠償案は骨抜きになったのだが、私はこの賠償は徹底されるべきだったと考えている。日本敗戦直後の一般国民の窮乏は相当に深刻であったし、在日朝鮮人の状況はそれに輪をかけてひどい状態だった。だがそうであったとしても、日本の生産水準を他の東アジア諸国以下に引き下げるという発想は、非常に重要かつ絶対に実行されるべき最低限の賠償だったと思う(もちろん、それだけでは不十分だが)。

 だがこれは日本の支配層のみならず、窮乏状態にあった国民からも相当な反発を受けただろう。ある意味当然である。少なくともこの賠償方法は、「日本の国益」増大云々とは無関係であったし、むしろそれを封じ込めるためのものだったからだ。だから、責任を取った方が日本の得になる、という論法はそもそも誤っているし、こうした論法は必ずや広範な国民的な責任回避願望の前に、自らの修正を余儀なくされる。日韓条約をめぐる論議のなかで、革新勢力が「朴(ボク)にやるなら僕(ボク)にくれ」という醜悪極まりないスローガンを作り出したのは有名な話だが、こういった平等主義的な分配要求を偽装した排外的責任回避論に、責任を取った方が日本の得になる、という論法は絶対に勝ち得ない。なぜなら、得にならないからだ。

 現在の格差社会論の趨勢を見ていると、日朝交渉が進み始めたとき、左派が「あんな独裁国家に金をやるなら貧困救済しろ」と言い出すのではないかという危惧を禁じえない。もしかしたら「朴にやるなら僕にくれ」以上の最低なスローガンすら作り出すかもしれない。そうした人々を前に、荒井氏のような論法はいかほどの力を持てるだろうか。はなはだ心もとない。
by kscykscy | 2009-02-05 07:33 | 日朝関係

プリンシプルがレイシズムの白洲次郎

  白洲次郎がブームらしい。書店には気色悪い白洲礼賛本が平積み、今年2月からは伊勢谷友介主演でNHKがドラマ化する。しかも、この記事で知ったのだが、最近では憲法九条擁護の護憲派まで、白洲次郎を持ち上げているらしい。

  単純な事実のレベルのことなので記しておくが、白洲次郎は吉田茂と組んで朝鮮人の全員強制追放をGHQに建言し、実際に行おうとしていた最悪のレイシストである。ロバート・リケットの研究によれば、49年7月、白洲次郎は吉田茂の特使としてGHQを訪れ、「50万ないし60万人」の朝鮮人を強制退去させる案を示した。結局この案が容れられることは無かったが、GHQ側はこれを白洲の私案であると見ていたようだ(「朝鮮戦争前後における在日朝鮮人政策」『朝鮮戦争と日本』新幹社、2006年)。

  50万から60万といえば、少なくとも登録上は当時の日本在住朝鮮人の全部である。あるいは護憲派は九条さえ守れれば、朝鮮人全員強制送還論者もアリなのだろうか。考えてみれば、確かにレイシズムは日本の「プリンシプル」である。ぜひともドラマでは白洲の強制送還案がGHQにすらたしなめられて退けられる過程を丹念に描いて欲しいものだ。
by kscykscy | 2009-01-30 02:15 | 日朝関係

まず、国号を「侵略」にしてから

 友人に薦められて松浦玲『日本人にとって天皇とは何であったか』(辺境社)を読んだのだが、これがすこぶる面白かった。主題は天皇制論、国家論なのだが、論理が明晰な上、天皇制批判・日本国家批判(これを分けているところがミソなのだが)という視座が明確なので、朝日国交正常化問題を考える上でも参考になる部分が多い。例えば以下の記述。

 「私は、いま騒がれている日中国交回復とか日中友好とかに、あまり賛成でない。それには、いろいろ理由があるのだが、それはさておき、ここで一つの提案をしておこう。もし本当に日中友好とか国交回復とか言うのであれば、日本はまず、中国を侵略した戦争の”功労”に対する叙勲をすべて取り消せ。また、中国を侵略した”功労”を含む旧軍人の階級に対して与えられている軍人恩給をとりやめろ。中国から要求されて(そんな要求はしてこないだろうが)取り消すのではなくて、自発的に取り消せ。それをやることがどんなにつらく、どんなに大変かを身にしみてわかって、はじめて、日本人の対中国観およびそれと裏腹の関係にある自国についての国家観は、幾分でも是正され、本当の意味での国交、日中友好が、少しはできるだろう。」(161頁)

  1971年に書かれた文章だが、当然の指摘だろう。私は松浦氏の朝鮮について語った文章をまだ知らないのだが、少なくとも基本的な観点としては、「隣国なのに国交正常化していないのは異常だ」とか、「「嫌いな国」に変わって欲しいなら国交正常化しよう」といった低劣な言葉しか吐けない「提言」の執筆者たちに比べれば、はるかにまともだ。松浦氏は数少ない、辛うじて正気を保っている日本人だと思う。

  ただ一点、首を傾げざるを得ない箇所があった。松浦氏は叙勲制度批判の文脈で、「日本」は敗戦の時点で国号を変えるべきだったとして、次のように書いている。

  「どんな名前でもいい。ごく即物的に「東アジアの火山列島」でもいいし、抽象名刺にして、たとえば「平和」でもいい。
 「平和」としようか。「日本」という国のためだったことは、「平和」という国にとっては、何の意味もないのである。「日本」の国への忠誠は、場合によっては、「平和」という国への反逆を意味する。「日本」から貰った勲章など大事に持っていてはあぶない。さっさと捨てるか、どうしても惜しければ穴を掘ってかくしておかねばならない。叙勲漏れがあったから勲記・勲章を伝達してやろうと亡命「日本」政権からひそかに連絡して来ても、大部分の「平和」国人は、そんな物騒なものは要らない、と断わるだろう」(158頁)


  確かに「日本」の国号は変わったほうがよかった。今からでもかえるべきだ。「そもそも国号なんてあること自体ナンセンス」といった一見ナショナリズムを批判しているようで、その実何も言っていない人畜無害(有害?)の「国民国家論」の立場にも、私は立たない。

  ただ、その際に「平和」という国号を提案するのは、少し甘くないだろうか。元「日本」が「平和国」を名乗れると思ってしまう感性には、私はついていけない。100年近く周辺地域を侵略し続け、人々を殺戮した国が、突然戦争に負けたからといって「平和」という国号を名乗ることが、被侵略地域の人々に寒々しさを感じさせないだろうか。少なくとも私は感じる。何が「平和国」か、冗談も休み休み言え、と思う。というよりも、もう「日本」には、相当なことでも無い限り(たぶん無い)、「平和国」を名乗る資格は無いのだ。

  しかし、繰返すが国号は変えた方がいいという松浦氏の提案は筋が通っていると思う。そこで私からも提案するのだが、いっそ「日本」は国号を「侵略」にしてはどうだろうか。正式名称は「侵略国」である。

  何を物騒な、むしろ周辺地域に威圧感を与えるではないか、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。逆である。古今東西、自分の侵略行為を「侵略」と呼ぶ国家など存在しない。文科省が「進出」に書き換えさせたりしてるのがいい例だ。だからこそ、日本人(つまり侵略人)自らが国号を、自発的に「侵略」にすることに普遍的な意味があるのだ。

  100年に亘って他地域を侵略し続けたのが、近代「日本」の最大の特徴なのだ。それは問題だ、償いたい、謝りたいと思っているのならば、突然「平和国」などに豹変するよりも、「侵略国」と名乗って「私たちは国家の侵略を許し、それに乗じてしまった責任のある集団です。私たちに警戒してください。私たちがしたことをどうか忘れないでください」というメッセージを発したほうが、よっぽど「平和」に貢献できるはずだ。

  今の「日本」という国号も、確かに被侵略地域の人々にとっては十分気色悪い。だがそれはあくまで「イルボン」とか「リーベン」とか呼ばれている限りのものであって、当の「日本」人は結構居心地がよさそうだ。何より「侵略」に比べてメッセージ性も弱い。

 いま日本にいる朝鮮人は「在日朝鮮人」と呼ばれていて、申し訳程度に「旧植民地出身者」とかなんとかわかったようなわからないような名称で呼ばれたりもするのだが、これが「在侵略朝鮮人」とか「在侵朝鮮人」とかいう名称に変われば、問題の本質がすっきりと伝わる。聞きかじった知識をひけらかしたい人々が開陳する、「在米コリアンはこうなのに、在日はいまだに居住国の国籍もとらず、古い」式の愚劣な議論にも付き合う必要もない。なぜなら侵略国にいる朝鮮人なのだから、侵略国の国民にはなりたくないだろう(もちろん米国にもふさわしい名前をつけるべきだが)。

  上では日本人が自発的に、と書いたが、それは現時点では望むべくも無い。むしろ、今後国号一般について、その国に侵略されたことのある地域の人民が投票で決めたらいいのではないか。日本の場合、「有権者」はすこぶる多そうだ。もっといい名称がしのぎを削るにちがいない。とりあえず私は「侵略」に一票投じよう。くだらない日本の参政権よりそっちの権利のほうが欲しい。
by kscykscy | 2009-01-21 20:18 | 日朝関係