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「超左翼おじさん」=松竹伸幸氏の植民地認識批判

 「超左翼おじさん」こと松竹伸幸氏(以下敬称略)が、「韓国植民地支配での菅総理談話」と題して連載している。「韓国植民地支配」という表現にすでに違和感をおぼえるが、そもそも松竹は植民地化をめぐる基本的な事実を誤って理解している。以下の引用を見よう。

 「例外もあるかもしれないが、欧米の場合、そもそも条約によって植民地にするという事例が、あまりないと思う。だって、植民地支配というのは、もともとそういうものではないからだ。
 列強がつくった国際法では、条約を結ぶ相手というのは、対等平等な主権国家であった。そういう国家は、植民地支配の対象にならない。
 「国際法」上、植民地にしていいのは、いわゆる「無主」の地だけ。人びとは住んでいるけれども、西欧的な意味での国家はなく、「主」はいない。
 法律では、「先占」という考え方がある。誰のものでもないものを見つけた場合、一番先に見つけた人のものになるということだ。それが動産なら、見つけた個人のものになり、不動産なら、個人が所属する国家のものになる。
 だから、誰の土地でもないのだから、見つけた国のものだ。こうやって、列強は、アフリカ、アジアの広大な土地を植民地にしていったのである。
 だから、当然、条約は結ばない。結ぶべき相手がいないのだ。」(「韓国植民地支配での菅総理談話・2」

「ただ、これもすでに書いたが、日本の植民地支配というのは、独特のものがあった。欧米によるものとは異なった要素があった。
 欧米は、はじめて出会った土地に行き、異なった人種、違った文明に接した。そして、この地域にあるのは「国家」ではない、「無主の地」だとして、植民地支配を行った。
 けれども、日本にとっての朝鮮半島は、何千年もの交流があった地域である。西欧的な国際法基準に照らすと、植民地支配が合法化されるのには無理があったのだ。
 もちろん、日本がいち早く西欧的な国家を築き、朝鮮半島はそれに遅れたわけだから、その角度から見ると合法化できる要素がなかったわけではない。だからこそ列強は日本の植民地支配を認めたのだが、当時の法的水準から見ても、問題がまったくなかったとまでは言えないのだと思う。」( 「韓国植民地支配での菅総理談話・6」
  この文からわかるように、松竹は「アフリカ、アジアの広大な土地」を植民地化するにあたって列強は条約を結ばなかった、なぜなら当時の国際法では「無主の地」だけが植民地にできるからだ、しかし日本と朝鮮は「何千年もの交流があった」ため「西欧的な国際法基準に照らすと、植民地支配が合法化されるのには無理があった」と主張している。だがこの主張は端的に誤っている。

 まず、アフリカから見よう。西欧諸国がアフリカの植民地化を本格化させた時期(「アフリカ分割期」)は19世紀後半である。そしてこの「分割期」におけるアフリカ-ヨーロッパの関係においては、「後者が作成した文書にアフリカの首長たちが調印した『条約』が、国際法の『勢力範囲』を示すために用いられるのが常であった」(岡倉登志『二つの黒人帝国』東京大学出版会、1987年、133ページ)。つまり、ヨーロッパ諸国は「アフリカ、アジアの広大な土地」を植民地化する際にも条約を結んでいるのである。むしろ問題はヨーロッパ諸国がそこに「国家」などない「無主の地」だとみなしたことにあるのではなく、侵略戦争の過程で同地に条約締結の相手をデッチ上げたことにあるといえるだろう。アジアでも仏領インドシナの「保護国」化は数次のサイゴン条約によって確定したことは周知の事実である。これなどは朝鮮植民地化とほぼ同様のケースといえよう。

 日本はこれらヨーロッパのやり方を踏襲したのである。ただ、この時期の特徴は、松竹がいうように「無主の地」を条約無しで植民地化していったことなどではなく別のところにある。それは、リビアの植民地化が北アフリカでのイタリアとオスマン帝国の戦争の結果としてなされ、あるいは台湾が日清戦争の結果として日本に植民地化されたように、ヨーロッパ諸国が広大な領土を有しその周辺地域にも影響を及ぼした帝国国家(例えば清帝国、オスマン帝国など)から戦争と条約によって領土をもぎとっていった(つまり「割譲」)ことにある。サハリン島南部が日露戦争の結果、日本に植民地化されたのも同様の事例といえよう。むしろ台湾のケースのように、はじめ日本が「無主の地」云々と因縁をつけても、清や台湾の住民がそれを認めず、結果として戦争に至り、最終的には条約によって植民地化するというのが常套手段である。松竹の「無主の地」云々という論法は、侵略国側の当初の言い分を、植民地化の歴史的事実であるかのように記述するものであるといえよう。

 ただ、これらの戦争の結果としての講和条約による割譲は、「国家への強制」として当時の国際法が認めていたものであるため不法・不成立の論証が困難なのである。また条約締結相手をデッチ上げての植民地化も、史料の不存在などの諸他の理由により、朝鮮植民地化のケースのように条約締結過程の合法性の論証が困難な場合が多い。それではこれらの国々の植民地支配を問題にすることは不可能なのだろうか。答えはノーである。

 そもそもダーバン会議に代表される世界的な植民地支配をめぐる論議において問題になっているのは、植民地化を決定づけた条約の合法性ではない。「植民地支配の法的責任」というとき、多くの場合念頭におかれているのは植民地支配の全期間中に行われた旧宗主国の行為に「人道に反する罪」を適用するかどうかである。「人道に反する罪」とは「謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」であり、かつこれは法制定以前に遡って適用した前例がある。ナチスのケースである。このため、すでに1950年代より、ならばヨーロッパ諸国の植民地支配過程・支配期間中における行為にも同様に「人道に反する罪」を適用せよ、との声があがったのである(例えばエメ・セゼール『植民地主義論』を参照)。よって、植民地化を決定づけた条約の合法性とは無関係に、「植民地支配の法的責任」は成り立ちうるといえる。つまり、仮に併合が「合法」であるとしても(私は不法論が妥当だと思うが)、「植民地支配の法的責任」は無くならないのである。逆に、今後植民地支配責任追及の声に応え、旧宗主国側が積極的に史料を調査・公開すれば、他のケースにおいても条約締結過程の様々な瑕疵が明るみになることもありうるといえる。

 松竹の問題は、以上みたような誤った理解と認識に基づき、日本政府に高い評価を与えていることにある。松竹はダーバン会議における「日本の謝罪は、国際水準からすれば進んでいる」(「韓国植民地支配での菅総理談話・5」 )と称えているが、日本政府は上述の植民地支配をめぐる議論を知っているがゆえに、ダーバン会議の最中も「謝罪は認めるが、補償義務や人道に対する罪は認めない」という立場を堅持し、補償条項が入らないようロビー活動に専念したのである(前田朗「植民地支配、奴隷制で日本を追及」『部落解放増刊号』502号、2002年、131、132頁)。そもそも日本政府は村山談話でも「謝罪」という語は避け、「おわび」という表現を用いた。「おわび」の英訳を"apology"としたため、英語ではあたかも謝罪をしたかの誤読してしまうのである。日本政府は条約締結過程の問題についても不法・不成立という立場を取らない一方で、世界的に問題になっている「植民地支配の法的責任」論議においても、これを認めないヨーロッパ諸国と歩調を合わせているといえる。松竹の主張するようにヨーロッパより日本が先んじているという事実はどこにも存在しないのである。
by kscykscy | 2010-08-24 01:04 | 日朝関係

菅談話と日韓条約について

 8月10日に発表された韓国併合100年に関する首相談話(以下、菅談話)に際し、日本の主要紙は揃ってうんざりな社説を掲載した。以下にタイトルを列挙しておこう。

  朝日「併合100年談話―新しい日韓協働の礎に」 
  毎日「併合100年談話 未来へ向け日韓の礎に」 
  読売「日韓併合談話 未来志向の両国関係に弾みを」 
  日経「未来志向の日韓関係へ行動を」 
  東京「日韓併合談話 歴史を胸に刻み未来へ」 

 五紙の社説の関心はほぼ一点、菅談話と日韓条約の関係に絞られている。とりわけ個人請求権・文化財問題は解決済みという日本政府の公式見解から菅談話は逸脱するものではない、ということをいずれの社説も強調している。該当部分を抜け出せば以下のようになる。

 「談話は補償問題につながるような記述は避けた。現実的な対応として理解できる」(『毎日』)
 「今回の首相談話により、韓国国内で元「従軍慰安婦」などに対する補償を要求する声が再燃する可能性もある。しかし、新たな請求権は認めないとする日本政府の立場は堅持すべきだ」、文化財は「日本側に引き渡す義務はないが、韓国側から要望のあった文化財を譲渡することで、和解を進める狙いがあると見られる」(『読売』)
 「もちろん首相談話や朝鮮半島由来の史料の引き渡しが、65年の日韓基本条約で法的に決着済みの請求権問題などをめぐる議論を再燃させないよう努める必要がある」(『日経』)
 「国交が正常化した六五年の「日韓基本条約」では、両国は韓国国民に対する植民地時代の個人補償も含めた請求権は決着したと確認した。菅首相も会見でこの点を強調した。」「請求権問題を見直すのではなく、日韓双方が未解決だと判断した場合にだけ限定的に取り組むべきだ」(『東京』)


 絶対に補償したくない、文化財を略奪したことにしたくないという各紙の熱い思いがよく伝わってくる。『朝日』だけは明示的に書いていないが「日本政府が保管する朝鮮王朝の文書を韓国に渡すようにしたのは良いことだ」と、政府と同じく「渡す」という表現をあえて選択していることから、まあ同じだろう。五紙のうち四紙が「未来」という言葉を使っているのがまた気味が悪い。

 また、五紙ともに今回の談話が対象を韓国に限定して出されたことのおかしさに一切触れていないのも理解に苦しむ。言うまでも無く「韓国併合」の「韓国」は別に現在の大韓民国を意味するわけではない。植民地支配は全朝鮮に対してなされたのである。もし謝罪するなら朝鮮民族全体、南北両政府に対して行うのが当然である。

 これに関して一番ひどいのは『朝日』である。『朝日』は唯一朝鮮民主主義人民共和国について触れたが、それは「談話に北朝鮮問題についての言及はなかったが、不安定な北朝鮮情勢に対応し打開していくためにも、日韓の協調がさらに求められる」という文脈で、である。「談話に北朝鮮問題についての言及はなかった」とはどういうことか理解しがたい。各紙は朝鮮植民地支配がどういった事象だったのかを理解しているのだろうか。ちなみに朝鮮民主主義人民共和国の宋日昊大使は菅談話を辛らつに批判している(『共同通信』2010/08/13 16:56)。制裁の問題も含めて至極まっとうな(そして日本で読める唯一まともな)批判である。

 さて、このように各紙とも気味が悪いほどに足並みをそろえている中で、唯一『産経』だけは「日韓併合100年 「自虐」談話は歴史歪める」 というタイトルを掲げ暴れまわっている。『産経』は菅談話が村山談話以上に植民地支配への謝罪に踏み込んだと見て、「菅談話は明治以降の日本の先人たちの努力をほぼ全否定し、韓国の立場だけを述べている。どこの国の首相か疑ってしまう」と怒り心頭である。また「35年間に及ぶ日本の朝鮮統治には、反省すべき点もあるが、鉄道建設や教育の普及など近代化に果たした役割は大きい。朝鮮名を日本式の姓名に変える創氏改名や日本語教育も行ったが、それらは強制されたものではない」と相変わらず植民地近代化論を繰返している。

 私は菅談話の評価としては『産経』以外の五紙の評価が的確だと思う。つまり、菅談話は歴代政権からそう逸脱していないし、そんなに大したものではないのである。

 ただ、興味深いことに韓国政府や日本の進歩派の人々の菅談話理解は、むしろ『産経』に近い。『中央日報』によれば、青瓦台のスポークスマンは「過去の談話に比べて、韓国を特定して併合に強制性があった点を認めた」と語ったという(『中央日報』2010.08.11 02:07)。つまり村山談話以上のものだという理解である。和田春樹氏も韓国の新聞のインタビューに答えて「全体的な文脈からみて韓日併合が強制的だったという事実を認定した。併合条約が無効との内容が含まれなかったのは惜しいが、過去の談話に比べて一歩前進と評価できる」と菅談話について語っている(『毎日経済』2010.08.12 17:33:02)。戦後補償運動の界隈でも菅談話を好意的に読もうとする意見に接することがある。

 韓国のメディアを見る限りでは菅談話は「併合無効宣言」とはほど遠いごまかしだという意見も少なからずあるようだ。私も同じ意見である。普通に菅談話を読めば五紙が礼賛したとおり、これが日韓条約で全部解決論を前提にしたものであることがわかるはずである。成果欲しさに願望でものを語るべきではないだろう。金光翔氏は「民主党政権に左翼が強い影響力を与えうると考えているのは、左派(メディア)とネット右翼だけだ」と的確な指摘をされているが(「佐藤優のいない<佐藤優現象>(下)」)、菅談話をめぐっても同じく愚かな構図が出来上がったようだ。
by kscykscy | 2010-08-15 02:45 | 日朝関係

戦後日本政府の在日朝鮮人「政策」と強制連行問題

 少し前の話になるが、宮台真司が永住外国人の参政権に反対する文章を書いた。結論からいえば、特別永住者は帰化すればいい、という古典的な反対論であってとりたてて新しい知見があるわけでもない。ただ、宮台は一つだけ「新しい知見」を提示している。その「新しい知見」とは、日本政府がこれまで、現存する在日朝鮮人の大多数は強制連行による被連行者及びその子孫であるという「図式」に基き「在日政策」を立ててきた、という驚愕の新説である。

 該当部分を引用しよう。

「つまり、特別永住外国人(在日の方々)を一般永住外国人(非在日)と区別して参政権を与えるべき合理的な理由があるかどうかだけ議論してます。ここを取りのがした議論は、僕を相手にした議論にはなりません。
 この1点を議論するにはさして知識は必要ありません。1950年代後半から「在日=強制連行」図式が拡がり、これをベースに北朝鮮への「帰国運動」が自民党さえも巻き込むという文脈の中で、在日政策が固められていきます。しかし「在日=強制連行」図式は単なる虚偽でした。
 8割(それ以上という説もありますが厳密には検証不能)の在日が「強制連行」ではなく「一旗あげにきた人々」である以上「在日=強制連行」図式は不正確というより事実上虚偽です。でも僕の小学校時代(1960年代)6つの小学校に通ったけど、とこでも在日=強制連行と教わりました。
 図式が虚偽である以上、虚偽を前提にした政策の妥当性に疑問があります。これを疑問に付すことなく、一般永住者からとりわけ区別して特別永住者を処遇して参政権を与えねばならないと議論しても、まったく通用しません。」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=866

 「特別永住者の方々が最初は2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられというのは、ご存知のように在日の方々の多くが強制連行で連れてこられたという左翼が噴き上げた神話が背景にあるんです。在日のなかで強制連行されてきた方というのはごく一部で、大半は一旗上げにやってきた人達なんですよ。ただ、区別がつかないから、あるいは戦争に負けて罪の意識というか原罪感覚というのがあったのでしょうか、まぁ、色んな人が混ざっちゃっているけど、しょうがないということで分かってやっている感じで特別永住の方々に対する特権の付与をやってきたわけです。僕に言わせると、あえてそれをやっているという感覚が段々薄れてきてしまっていることも問題だし、1世、2世とは違ってエスニックリソースを頼らず、日本人のネットワークをそれなりに頼っている人間が増えたのに、まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしいし、」
http://blog.goo.ne.jp/politics10/e/db217173910b0fe7fc6ba53f88ae4251

「#miyadai 追加情報。慰安婦問題と結合して強制連行をマスコミが吹聴したのが80年代。研究者や政治家が強制連行問題を俎上にあげたのは59年以降(朝日新聞記事)。だから僕の小学校時代の強制連行図式の教育がありました。神話は二段階で形成された。 帰国運動は59年から84年まで。 」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=868


 以上である。つまり、宮台によれば日本政府は「『在日=強制連行』図式」を前提に在日朝鮮人の法的地位に関する政策を採ってきたのであるが、その「図式」は虚偽であるため「在日政策」も変更すべきである、ということになる。よって特別永住外国人が日本国籍を取得しないまま地方参政権を取得することには反対だ、というわけだ。

 宮台の議論については金明秀がこれを批判して、両者の間に若干の論争があったようだが、この部分については全く触れられぬまま終息を迎えたようである。私は宮台の議論は「『帰化すればいい』という傲慢」ともいえるものであり、ヘイト・スピーチであるという金明秀の結論に賛同するのであるが、なぜ金がこの点に触れず、また、宮台がこの説を維持しているのにも関わらず矛をおさめて和解したのか理解しかねる。

 問題点は極めて単純である。宮台のいうところの「『在日=強制連行』図式」に則って日本政府が「在日政策」を立てたことなどあるのか、ということである。私の知る限りそんなことは一度も無かった。もしあるというなら宮台は論拠を示すべきだろう(まさか小学校時代の教師の言が証拠とでもいうのだろうか)。例えば、1952年に法律126号「ポツダム宣言の受諾に伴ない発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(いわゆる法126)の第二条六項で在日朝鮮人の在留が「在留資格なき在留」となったとき、あるいは、1965年の日韓法的地位協定の締結過程で、あるいは1991年の入管特例法の制定過程で、日本政府は「『在日=強制連行』図式」を前提にしていたという論拠を、である。できないのであれば(十中八九できないだろう)、それこそ宮台の流した最大の「デマ」である。

 むしろ歴代の日本政府の発想は宮台のそれに近い。例えば、在日朝鮮人の法的地位をめぐる日韓交渉でも、日本政府はできるだけ永住許可の対象を狭く限定し、特に子孫については極力これを排除しようとした。宮台は「まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしい」と言っているが、日本政府も同じようなことを考えていたのである。それでも日本政府の主張より永住許可の対象が広がったのは、何も政府内に「『在日=強制連行』図式」があったからではない。韓国政府が求めたからである。

 同時代の言論も別にこうした政府の姿勢を批判していたわけではない。有名な社説だが、例えば日韓協定締結をうけて『朝日新聞』は次のように日本政府を批判している。

「厳密にいうならば、在日韓国人に永住権を認める範囲は、サンフランシスコ平和条約発効前に日本に在住していた韓国人にかぎられるべきであろうが、日本政府は韓国の主張に歩みよって、日韓会談の協定発足後五年以内に生れた韓国人に永住権を与えるところまで、譲歩しているといわれる。ところが、韓国側はこれにたいして、在日韓国人の子々孫々にまで永住権を与えるよう主張し、その理由として、在日韓国人の二世、三世になるほど日本への定着性が強まることをあげているようである。しかし〔中略〕在日韓国人の子孫全部にそうした権利を認めることは、韓国人が外国人でありながら、日本において特権的な地位を持つという不合理な事態を招くことになろう。また、在日韓国人が韓国人でありながら、実質的に日本国内で少数民族を形成するということにもなりかねまい。むしろ、一定の時期以後に生れた在日韓国人は成人するまでは永住権を持つものと同様にあつかい、それ以後は一般外国人と同様になるか、あるいは帰化するかの道をえらぶべきではあるまいか」(1965年3月7日付「在日韓国人と永住権の限界」、強調引用者。以下同。)

「子孫の代まで永住を保障され〔中略〕るとなると、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題をかかえ込むことになりはしまいか。出入国管理上の、一般外国人の取扱いに比してあまりにも”特権的”な法的地位を享受することが、果して在日韓国人のためになると、一概に決めこむが出来るかどうか、民族感情というものの微妙さ、複雑さはいまさら言うまでもなく、その意味で将来に禍根を残さないよう、法律上のスジを通しておくことがとくに肝要だといいたい」(1965年3月31日付「『法的地位』には筋を通せ」)


 どうだろうか。二世、三世以降への永住「権」付与を「特権」と呼ぶところや、それらが「果して在日韓国人のためになると、一概に決めこむが出来るか」など、在日朝鮮人のためを思って言っているといわんばかりの主張をしていることなど、私にはこの1965年の朝日の社説は、2010年の宮台の議論ととてもよく似ているように見える。つまり、宮台の議論はこうした戦後日本の政府やマスコミの議論の「伝統」から寸分も逸れることのない、まさに古典的かつ凡庸な議論なのである。むしろ宮台はこれまでの認識は間違っていたなんてハッタリをかまさず、こうした戦後日本の「伝統」の継承者として振舞えばよい。ちなみに、これは在特会も同様である。在特会は基本的に戦後日本政府のやり口を模倣しているに過ぎない。特別永住を「特権」と名指すこともそうであるし、朝鮮学校に暴力的に押し入ることだって、90年代に散々日本政府が繰返したことである。

 私が危惧するのは入管特例法が国内法という形式で制定されてしまったことにより、日本政府やマスメディア(及びそれを反復する宮台や在特会)のような「在日特権」論に基く在日朝鮮人の在留権の侵害が、現実に起る可能性が戦後のいずれの時期によりも高くなっていることである。これについては入管特例法制定当時の金敬得の以下の評価を改めて思い起こすべきである。

「九一年協議の結論が国内法的効力を有する条約の形式をとらなかったことは、結果として、在日韓国・朝鮮人の法的地位問題をできるだけ日本のフリーハンド(国内問題)にしたいとの日本側の思惑に合致することになったが、そうなったことの背景には南北の分断状況が影を落としている。〔中略〕九一年覚書は、在日韓国・朝鮮人に認められた権利の内容面では、六五年の法的地位協定よりも優れていたが、法形式の面では、法的地位協定よりも劣るものとなった(九一年覚書も両国外相により署名された国際的合意であり、日本政府が韓国との関係において覚書に拘束されることは、日韓法的地位協定の場合と変わりはない。ただし、日韓法的地位協定は、それ自体が法律に優先する国内法的効力を有するのに対し、九一年覚書にはそのような国内法的効力はない)」(金敬得「九一年日韓覚書後の法的地位の課題」『新版 在日コリアンのアイデンティティと法的地位』明石書店、2005年、186-188頁)

 少し説明が必要だろう。1965年の地位協定は言うまでも無く日韓の条約という形式で結ばれたため、対象となる「在日韓国人」の法的地位をいじるためには、協定の改訂、即ち韓国側の同意が必要となる。だが91年覚書は日本国内法で在日朝鮮人の在留資格を定めることを決め、実際その後入管特例法が制定された。入管特例法は65年協定よりも内容においては改善があったが、これはあくまで日本の国内法であるため、究極的には韓国の同意を得ずに在日朝鮮人の法的地位をいじれるようになる。しかも、入管特例法は朝鮮籍者も含んでいたので、当時始まっていた日朝交渉において在日朝鮮人の法的地位が取り上げられることを日本側は避けることもできて一石二鳥である(逆にいえば朝鮮民主主義人民共和国は在日朝鮮人の法的地位改善のために日本側に要請する建前を失う)。だから、金は「法形式の面では、法的地位協定よりも劣るものとなった」と評価したのである。

 当時、入管特例法についてはほとんどが内容面での前進を評価するものであったが、金敬得はそのなかで数少ない法形式面での後退を指摘した論者だった。こうした指摘はいわば、今後日本政府が入管特例法を改悪しないとも限らないという、日本政府についての(私からみれば正当な)不信が無ければなしえない。おそらく当時は国内法形式に対し、国家の都合で在日朝鮮人の地位が「翻弄」される条約形式よりまし、というのが大勢だったのではなかろうか。だが今日の視点から見れば、それは今後日本政府がこれ以上悪くなることはないということを暗黙の前提にしたあまりに楽観的な認識であったように思う。現に戦後日本の「伝統」の上に立つ在特会や宮台のような議論が決して少数派としてではなく存在し、しかもその声はより強まっている。再言するが、私は金敬得の91年覚書の評価、そしてその背後にある日本への不信は極めてまっとうなものであると思う。

 強制連行に話を戻すと、近年しきりに朝鮮人強制連行が攻撃されているのは、在日朝鮮人の歴史から植民地支配の痕跡を抹消することにより、上述のようないわばこのように日本政府が法形式面でのフリーハンドを握っている状態を前提にした「在日特権」論的在留権制限の政策化のための、いわば露払いであるように思う。私はむしろ日本政府は敗戦直後から強制連行(強制労働含む)の事実とその責任を直視し、それらへの反省に基いた政策を立てるべきだった、と考えている。もちろん在日朝鮮人の形成は強制連行のみならず、日本の植民地支配の直接的な結果なのであるが、だからといって逆に強制連行を外して在日朝鮮人の存在を理解できるわけでもない。

 宮台は強制連行そのものを否定しているわけではないと言っているが、そもそも朝鮮人の日本渡航を「一旗あげにきた人々」という表現で示すこと自体、在日朝鮮人の形成についての認識に問題があるのだ。強制連行でなければ「一旗あげにきた人々」であるという二分論は極めて乱暴であるばかりか、「一旗あげにきた人々」というイメージは、在日朝鮮人形成の背後にある植民地支配による農村経済の破壊という現実を無視するものである(むしろ「一旗あげにきた人々」というのは、在日朝鮮人よりも在朝日本人の実態に近い)。強制連行否定論者は在日朝鮮人を日本での生活に憧れてやってきた「移民」として表象しようとする。自発的移民ならば、その処遇について日本政府に何ら負い目を持つ必要はない、むしろ別途の処遇をすればそれは「特権」となる、というのが現代の歴史修正主義の論法だとすれば、宮台はそれを正確になぞっているのである。そして、何より私が危惧するのは宮台のような誤った認識が流布されるなかで、それを批判する側までもが、在日朝鮮人という存在が形成される過程において「強制連行」が持つ比重を過小に評価し、あるいは意図的にこれを避けるようになることである。
by kscykscy | 2010-04-23 02:20 | 日朝関係

「闘う反共リベラリスト」姜尚中の不気味な予言

 韓国の日刊紙『朝鮮日報』に姜尚中のインタビューが掲載されている。タイトルは「闘うリベラリスト」。これがなかなか凄まじい内容に仕上がっている。

 まず、このインタビューにはやたらと「反共」の話が出てくる。以下抜粋。

―教授の大学時代(1970年代初盤)はまさしく日本は混乱の時代でした。

「私は反共から出発しました。左翼全盛期に。(この野暮ったく旧態依然として「反共」という単語を「闘うリベラリスト」から聞くことになるとは想像もしなかった)。大学(早稲田大)の頃、台湾の友人がいました。その友人と共に大学で私は「マイノリティー」でした。毛沢東万歳を叫んでいた時期です。容共というか、左翼に染まった人が多かった。「左翼小児病(極端に走り易い性向)」が流行した時期に、私たちは「右翼小児病者」と呼ばれました。総連に接近されましたが全部拒絶しました」

―流行を追わなかった。

「よい先輩のおかげでした。私が身を寄せた在日韓国人グループ「韓国学生同盟」のリーダーでした。彼は「反共でなければわれらのレゾン・デートル(存在理由)はない」と言ったんです。(当時私たちが尊敬していた)金大中氏も基本的に反共だと」

―なぜ反共だったのですか?

「私は『韓国カテゴリー』の中にいます。理念ではなく祖国なのです。韓国は反共を土台に成立した国です。4・19の際、学生たちは「われらは赤色独裁に反対する。よって白色独裁にも反対する」と言いました。だから韓国の学生運動は日本の左翼運動とは違うのです。祖国を救うという愛国運動でした。正しい方向でした。私たちはその道から外れませんでした。正しい道を進んだからこそ、今の日本社会を批判できるのです」

〔中略〕

―マックス・ヴェーバーを研究されましたね。

「ヴェーバーとカール・ポパーが好きでした。ヴェーバーはマルクス批判を曲げませんでしたね。ドイツ革命の際にも(左翼革命家だった)カール・リープクネヒトや、ローザ・ルクセンブルクを強力に批判しながら、社会主義の限界を指摘しました。ヴェーバーは正しかったのです。私は1979年に西ドイツに留学するなかで反共を基盤として国家を作る姿を目の当たりにしました。マルクス-レーニンに対する反対の上に、社会民主主義であれリベラルであれ成立しえたのです」


 いくらなんでもそれは無いだろう。別に姜尚中に何かを求めているわけではないが、李明博政権成立後のバックラッシュが猛威を振るうなかで、極右反共で名だたる『朝鮮日報』にこれを載せるというのはあまりに破廉恥すぎやしないか。しかも記者の注記を信じるならば、反共の話をし始めたのは姜尚中からのようだ。姜尚中は筑紫哲也の追悼会で「韓国はせっかく手にした民主化を浪費してしまった。いま韓国で起こっている反動について日本の人々はもう少し知る必要があるのではないか」と警告したらしいが(『世界』2010年1月号)、その「反動」に便乗しているのは自分自身ではないか。あと、私が心配することではないが、韓学同出身者はこんなことを韓国で言いふらされて平気なのか。

 続いて天皇訪韓に関して。

―(東北アジアオリンピックは)鳩山由紀夫総理の「東北アジア共同体」の理念とも合致します。中国上海も引き込めますね。

「時期的によいです。ビリー・ブラント(膝をついて謝罪した旧西ドイツの総理)を願うわけではありません。鳩山総理が旧西大門刑務所や銅雀洞国立墓地を訪問し日本が誤っていたとの意思を確実に伝えれば、天皇訪韓も成功するかもしれません。天皇は本当に韓国に行きたがっています。来年(庚戌国恥100年)は歴史的な年ですから、国会決議や総理訪韓を通して歴史についての日本の立場を再び確実にするのもよいでしょう。天皇訪韓が成功すれば、(在日同胞の宿願である)地方参政権付与も実現するのではないかと思います。

―韓国は民主国家です。統制が可能だった1992年の中国(10月天皇訪中)とは異なり、デモや抗議が無いわけではないと思います。日本もこうした姿を受け入れる姿勢を備えなければなりませんね。

「「いまのありのままの韓国社会」を受け入れられる自信を日本がどうやって備えるかの問題でしょう。そうした反対を最小化するための事前努力がだから必要です」


 天皇訪韓反対デモを許容する気などさらさら無い『朝鮮日報』の「民主国家」云々は一笑に付すべきであるが、姜尚中の言っている「反対を最小化するための事前努力」というのが不気味だ。もちろん日本のなかでの「反対」とも読めなくも無いが、普通に読めばこれは韓国内での天皇訪韓反対を「最小化」するための事前努力だろう。何をするつもりかは知らないが、在日朝鮮人が韓国内でこういうことを言うこと自体がその「事前努力」に入ることは間違いない。

 ちなみに和田春樹も韓国メディアに対して在日朝鮮人が東北アジアの架け橋になるみたいな言い方をして、その代表格として姜尚中を持ち上げている。こういう在日朝鮮人への言及の仕方には警戒するべきだと思うが、見事に「橋」になっている姜尚中にもおそれいる。韓国政治に対しても西ドイツが大連立で東方外交やったみたいに、大連立をやって「対北政策」やりなさい、とこれまた「橋」になっている。 「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい」とはフランツ・ファノンの言であるが、少なくとも私は日韓の間にかかるこの「橋」を渡りたくはない。
by kscykscy | 2009-12-15 06:59 | 日朝関係

伊藤真は日本国憲法の価値を知っているのか

 前回の末尾で私は、伊藤真の外国人参政権論を「あからさまな事実誤認」「論理的思考力の無さ」「外国人参政権をつぶすための謀略なのではないか」と決めつけたが、罵りっぱなしはよくないので、改めてその問題点について詳述しておきたい。

 まず「あからさまな事実誤認」だが、これは大きく二点ある。第一は以下の部分。

 「明治憲法の時代、日本は多くの植民地を持っていました。朝鮮半島、台湾などを占領し、そこに住んでいた人々を大日本帝国の臣民つまり日本国民にしてしまいました。そして、帝国臣民として日本民族に同化させるため、日本名や日本語の強要、天皇崇拝などの皇民化政策がとられます。日本国籍を持つことになるわけですから、制限はあるものの参政権(選挙権、被選挙権)が保障されていました。

 前回にも書いたが、植民地期を通して大多数の朝鮮人には帝国議会の参政権は無かった。衆議院議員選挙法が朝鮮に施行されなかったからである。あったのは一定の条件を満たした在「内地」の朝鮮人成人男性だけである。よって「日本国籍を持つことになるわけですから、制限はあるものの参政権(選挙権、被選挙権)が保障されていました」と、あたかも「臣民」になったことにより直ちに参政権が保障されたかのように記すのは事実誤認である。

 第二点は以下の段落。

 「戦後、日本はポツダム宣言を受諾し、台湾、朝鮮などの旧植民地に関する主権(統治権)を放棄します。その結果、旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます。これにより日本国内における生活実態は何も変わらないにもかかわらず、参政権は奪われました。

 これも歴史的事実に反している。確かにポツダム宣言の第八項には「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とある。これを受諾したのだから当然日本は朝鮮などの主権を放棄したことになる。だが日本政府は、これがただちに在日朝鮮人の法的地位の変動――つまり独立に結びつくことを全力で阻止した。具体的には在日朝鮮人は1945年9月3日以降も、引き続き「帝国臣民」であるとの立場を堅持したのである。連合国側もおおむねこれを黙認した。よって、ポツダム宣言受諾の結果、「旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます」という理解も誤りである。日本政府は在日朝鮮人が「日本国籍を失」うことを認めなかったのである。

 だが確かに、在「内地」朝鮮人成年男子の参政権は「奪われた」。1945年12月の衆議院議員選挙法改正の際、戸籍法適用対象者以外の者について参政権を「停止」したからである。ここでわざわざ戸籍を持ち出したのは、日本政府としては在日朝鮮人が「帝国臣民」でなくなり、独立国民として帝国の支配の枠から脱してしまうのを容認したくない、だからといってそれまでのように参政権を持ったままでは、来る1946年の総選挙で何を主張されるかわからない、もしかしたら国体変革の有力な勢力になってしまうかもしれない。こうした二つの憂慮を同時に無くすために、日本政府は戸籍を持ち出したのである。

 つまり、日本政府はポツダム宣言受諾によって在日朝鮮人が即時「外国人」になったとの解釈を採用しないために、「戸籍」という基準で朝鮮戸籍令適用対象者の参政権を「停止」したのである。

 伊藤は「臣民」になればただちに参政権が付与されると誤解しているので、ポツダム宣言受諾と同時に朝鮮人は「臣民」でなくなり、よって参政権も無くなったと考えたようである。

 この間違いは「大日本帝国」という存在についての根本的な考え違いに由来するものと思われる。伊藤は、大日本帝国が、そもそも不平等を悪いこととみなしていない体制であるという事実を忘れているのである。比較的巷間に流布しているものとして、大日本帝国の頃は朝鮮人も同じ「国民」だった、だからまがりなりにも平等だった、的な物言いがあるが、これは大きな間違いである。私は「平等をうたっていたのに差別があった」と言いたいのではなくて、そもそも大日本帝国は「平等」などはなからうたっていないのである。

 まず、帝国憲法にはそもそも主権者(天皇)が臣民を差別してはいけないなど一言も書いていない。それどころか朝鮮には帝国憲法すら施行されていない。あんまり弾圧しすぎて「統治」がうまくいかなくなったとか、兵隊や労働者が足りなくなってつれてくる必要がある、とかいうときに「一視同仁」みたいなことを言ってみるだけである。大日本帝国に「平等」の文字など無いのだ。だから別に朝鮮に衆議院議員選挙法を施行しなくても平気なのである。伊藤はここのところが理解できていない。なんとなく、無自覚に日本国憲法的なシステムが戦前にもあったかのように考えているのである。そうした意味では、伊藤はある意味で日本国憲法の「ありがたさ」を本当には理解していないのである。

 さて、次は「論理的思考力の無さ」である。この植民地期の話をマクラに、伊藤は現代の外国人参政権の話に持っていく。

 「そもそも、選挙権のような参政権は、民主主義を実現するための人権です。そして民主主義とは、治者と被治者の自同性という言葉で表されますが、その国で支配される者が支配する側に廻ることができる、つまり一国の政治のあり方はそれに関心を持たざるを得ないすべての人々の意思に基づいて決定されるべきだということを意味します。
 とするなら、日本で生活し、日本の権力の行使を受ける者であれば、その政治に関心を持たざるを得ないのですから、たとえ外国人であっても、それらの者の意思に基づいて政治のあり方が決定されるべきだということになります。
 つまり外国人であっても生活の本拠が日本にあるのであれば、選挙権が保障されるべきだということになります。このことは民主主義原理からはむしろ当然の要請なのです。」


 非常に単純明快である。だがそもそもこの話をするのに前段の「明治憲法」の話は必要なのだろうか。伊藤も言っているように植民地期には日本政府は朝鮮人を「臣民」とみていたわけだから、在「内地」朝鮮人の参政権は「外国人参政権」ではない。もちろん、帝国憲法下において外国人に参政権など無い。植民地期の参政権の話は「外国人であっても生活の本拠が日本にあるのであれば、選挙権が保障されるべきだ」という主張を何ら補強することにはならないのである。だから私は「論理的思考力の無さ」をあげつらい、どこからでも批判できるから「外国人参政権をつぶすための謀略なのではないか」と罵ったのである。

 そもそも小沢一郎や舛添要一のような人物が植民地の在「内地」朝鮮人の参政権をことさらに持ち出すのは、彼らが自覚的な右派だからである。彼らは日本政府と在日朝鮮人の関係性について、植民地期の帝国政府と在「内地」朝鮮人の関係性を参照しつつ、参政権と帰化の両方を念頭に置きながら語っている。そもそも大日本帝国が否定されるべき対象だと思っていない(つまり右派)からこそ、『嫌韓流』がそうだったように植民地期を日本と朝鮮の理想時代と捉え、そこから何かを汲み取ろうとする(もちろん米国と戦争して負けたことは「反省」している)。その限りで彼らは一貫している。

 だがまがりなりにも日本国憲法を「護る」と言っている立場の人間が、大日本帝国期の異民族支配のあり方についてこれほど無知でいいのだろうか。日本国憲法の理念(そんなものがあるのならばだが)を擁護するものが外国人参政権を語るなら、間違っても在「内地」朝鮮人の参政権など参照してはいけないのである。「リベラル」は本当に大日本帝国を忌むべき対象と思っているのか。はなはだ疑問だ。
by kscykscy | 2009-12-11 22:43 | 日朝関係

派兵する「東アジア不戦共同体」

 「東アジア共同体」をめぐっては、日米安保論者=右派vs東アジア共同体論者=左派、という怪しげなリングが作られ、そこでめいめいプロレスごっこをしているようにみえる。国際政治学者の進藤榮一が2006年に書いた『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書)という本でも、東アジア共同体評議会(会長:中曽根康弘)の有識者議員も務める共同体推進論者たる進藤が、上述の図式に則って日米同盟堅持・中国脅威論への批判と東アジア共同体の必然性をとくとくと説いている。

 進藤は東アジアでは経済的な域内相互依存が増大し、域内国家間の格差は縮小しているという。未だに諸国間の貧富の巨大な格差は確かにあるが、域内の相互補完性が高まったことにより逆に諸国間の格差は域内協力の形成要因に転化する。つまり経済的相互依存が深まっていることが、東アジア内での貧困国への援助を促す要因となり、ひいては格差縮小につながる。どんどん東アジア共同体は実現に近づいている、というのである。

 特に進藤が重視するのはアセアンである。進藤は和田春樹のいうような日中韓(+ロシア、モンゴル)による「東北アジア共同の家」論には否定的である。むしろすでに地域統合が進んでいるアセアン+日中韓を軸にした開発共同体たる「東アジア共同体」が、自由貿易協定から通貨融通・債券市場を経て「開かれた地域主義」へ向う、というのが現実的だというのが進藤のシナリオである。鳩山政権の方向性もこちらに近いのだろう。


 さて、わざわざ進藤に言及したのはこうした議論を紹介するためではない。むしろ重視したいのは上のような東アジア共同体推進論を議論するにあたって進藤がこの本で披瀝している歴史認識と、そこで構想されている安全保障の枠組みたる「不戦共同体」なるものである。

 まず歴史認識から見てみよう。前述の通り、進藤の議論の中心は東南アジア、そして中国である。当然過去の日本軍による東南アジア・中国侵略に対する見解が求められるわけであるが、それについて進藤は次のように言う。

「1931年満州事変に始まるアジア太平洋戦争は、いうまでもなく、英・米や仏・蘭など欧米植民地列強との戦闘を軸にした。その戦闘過程で私たちは、下からの反乱――アジア民族主義の噴出――に力を貸し、彼らの民族自決闘争を、弾圧しながらも幇助した。日本のアジア侵攻は、アジア太平洋地域への遅ればせの進出を目指していたけれども、同時に侵略はまた、抗日闘争の形であれ親日運動の形であれ、アジアの土着民族主義運動を幇助し、民族解放運動の梃子として機能したのである。/アジアへの日本の侵攻が、アジアの「解放」を促した論理である。」(57頁)

 そして日本の「第一の敗戦」後の復興を支えたのは、こうしたアジアの解放であった、というのである。我慢してもう少し進藤の議論を聞いてみよう。進藤はまた90年代日本の「失われた十年」という「第二の敗戦」からの復興もまた、アジアが支える、として次のようにいう。

 「かつてのそれ〔「第一の敗戦」:引用者注〕が、日本のアジア進攻に幇助されたアジア諸民族の独立と東南アジア市場とに支えられたように、今次の復興もまた、日本のアジア進出に幇助されたアジア諸国の台頭する市民社会と、成熟する東アジア市場に支えられている。/私たちの敗戦が、アジアの解放を促し、アジアの解放が、私たちの復興を支える共通の歴史構造である。」(62頁)

 「日本の進攻が、アジアの独立と解放をもたらし敗戦過程を終息させたように、プラザ合意以後、日本の進出がアジアの成熟と「解放」を生んで敗戦過程を終息させる構造である」(63頁)

 進藤は淡々と隠すことなくこうした歴史認識を披瀝する。一読して明らかにように、ここで進藤は「大東亜戦争」史観を薄めて戦後日本の経済成長礼賛論を接ぎ木し、かつそこから「東アジア共同体」を展望している。ここまであけすけに、あっけらかんと語ってよいのだろうかとこちらが心配になるほどである。端的に言ってこれは右派の歴史認識である。

 これに続けて進藤は東アジアの「安全保障レジーム」の検討に移っていく。ここでもアセアンが「テロ」「海賊」などの「非伝統的安全保障領域」を軸に安全保障体制を構築したことに依拠して、これを東アジアの「不戦共同体」への可能性と見ている。そして進藤はアセアン+3による「域内非核化から兵器相互削減と共通安全保障プログラムを描き、東アジア平和維持部隊の創設」への希望を述べて次のように記す。

 「「私たちの夢は、何年か先に、ともに途上国の戦場や現場で部隊を組んで一緒に、平和復興作業に当たることです」――毎年、笹川平和財団が、中国の佐官級軍人十数人を二週間招待し、日本人の家庭と文化に接する「日中軍人友好交換計画」七周年記念パーティーの席で、受け入れ側の自衛隊佐官級幹部がそう挨拶で語った。/その言葉が、いま東アジア安全保障共同体の近未来を示唆し、東アジア共同体の展望を私たちに描かせている」(196頁)。

 進藤のいう「東アジア不戦共同体」とはアセアン+3による「域内平和」を約束し、「東アジア平和維持部隊」という名の軍が「途上国の戦場や現場で部隊を組んで一緒に、平和復興作業に当たる」というものだそうだ。別に私は分析したり裏を読んだりしているわけではなく、進藤の言っていることをつぎはぎしているだけである。歴史認識のときも書いたが、こんなに剥き出しに語ってしまってよいのだろうか。

 このシナリオならば「東アジア不戦共同体」の「平和維持部隊」が、朝鮮民主主義人民共和国に駐留して「非核化」を遂行するといったことも考えられるし、何より「東アジア不戦共同体」は域外への派兵が前提になっている。アセアン+3間での「域内平和」などもともと破られるはずもないのだから「不戦」も何も無い。派兵する「東アジア不戦共同体」というのが、東アジア共同体論者の描く「安全保障」構想なのであろう。
by kscykscy | 2009-11-10 05:14 | 日朝関係

再び「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」について――kokogiko氏の批判に応える 

 前々回の記事に対し、kokogiko氏より「「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」に関して」と題した批判を頂いた。拙文を読んでいただいたことにお礼申上げつつ、この場を借りて批判に応えることにしたい。

 kokogiko氏は色々と書いているが、論点を拡散させないためにも、差当り私の議論に直接触れているものに限定して反論しよう。
 まず、kokogiko氏は次のように記している。

 間違った手順によって行われた施策が無効だったことを認めるのと、しかしその間違った施策が実効的に行われたことについて、それに翻弄された結果としての現実を生きている生身の一個人に対し、筋を通した便宜を図ることは、別に考えるべきことじゃないんですかね。

 その通りである、と書きたいところだが、一点だけ違う。両者は「別に考えるべきこと」ではない。むしろ、併合が無効だからこそ「それに翻弄された結果としての現実を生きている生身の一個人に対し、筋を通した便宜」はより図られることになる。併合が無効ならば、その併合が有効であることを前提に行われた諸施策は法的正当性を失い、再審に付される。例えば、併合=無効なのであれば、治安維持法による朝鮮独立運動者の逮捕や、独立運動への「国体変革」条項の適用はその前提となる「朝鮮=日本領、日本領からの朝鮮分離=国体変革」という前提を失うことになる。よって、これらの逮捕、拘禁、刑の宣告、収監、あるいは殺傷は全て違法な国家の行為であり、謝罪と賠償、名誉回復、関連史料の公開の責任を日本国家は負うことになる(もちろん、これは一例に過ぎない)。

 逆にいえばこれらの効果を生まない「併合無効宣言」には政治的儀式以外の何の意味もない。以前記したように、私が和田春樹の「併合無効宣言」を警戒するのは、併合無効宣言を「和解」のセレモニーとすることを危惧しているからである。

再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について
和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」

 何より、確立協をはじめとする「権利としての日本国籍」論は初めからこうした理論構成を取ろうとはしていない。確立協にしても、大沼保昭の議論にしても、併合条約が有効であったことが立論の根拠になっおり、「間違った手順によって行われた施策が無効だった」と認めているわけではない。よって、私は「権利としての日本国籍」論は併合無効宣言に反対するのが筋であるし、反対せざるを得ないであろう、と記したのである。

 kokogiko氏の批判に戻ろう。氏は続けて以下のように記している。

 そもそもその理屈だと、日本国民として合法的に日本領内に移住したはずの多くの現在日朝鮮人の祖先たちは、その時点に遡って日本国籍が無効だった、という話になるのであれば、不法入国者として罪人扱いになると思うのですが、それでOKなんでしょうか。

 なぜこういう「理屈」になるのか私には全く理解できない。kokogiko氏の脳内ではそうなるのかもしれないが、私の結論は全く逆である。前述したように、併合条約が不法・無効ということになれば、日本による朝鮮植民地支配そのものの再審が始まる。当然植民地支配に伴って生じた様々な国家暴力の被害に対する謝罪、補償をしなければならない。kokogiko氏は、私の理屈だと、併合が無効となれば在日朝鮮人は「不法入国者として罪人扱いになる」、と記しているが、これは私の議論の悪質な曲解というほかない。私の立論からは、日本による不法な植民地支配により生じた朝鮮人渡日者を日本の官憲が取締ったことに対する再審、植民地期の渡航管理や強制送還措置に対する謝罪、という結論が出てくることはあっても、朝鮮人の渡航の再不法化という結論が導き出される余地は無い。

 私は以上の立場から、「併合=有効」認識を前提にした「権利としての日本国籍」論に基く帰化要件緩和ではなく、「併合=不法」認識を前提とした在日朝鮮人の諸権利(例えば在留権/帰還権(*1))承認とその保護こそが、日本国家のなすべきことであると考えている。帰化要件緩和の議論は植民地支配とは無関係に国籍法一般の議論としてやれば充分である。帰化要件緩和云々を植民地支配とリンクさせ、特別永住者に限定してしまうと、どうしても「併合=有効」を前提にせざるを得ない。だが、国籍法一般の議論ならば、例えば「居住」要件を重視するなどすれば、昔「日本臣民だったから」という理由を用いなくても充分に緩和が可能である。参政権問題についても同様の形で議論するべきだと思う。(ただ、もし上述の諸権利承認と、「居住」を要件とした外国人参政権が実現すれば、日本国籍取得すること自体の意味が減少するだろう。)

 以上である。率直に言って、kokogiko氏は私の書いていることを理解した上で批判しているというよりも、氏の誤解に基いて作りだされた虚像を揶揄している過ぎないが、kokogiko氏の解釈が私の見解であるかのように流布されることは避けたいので、この場を借りて反批判の記事を書かせていただいた。
 
 ただ、kokogiko氏の併合無効宣言と「権利としての日本国籍」は、「別に考えるべきこと」との一語はなかなかに興味深い。両者を「別に考え」ることは、植民地支配責任は取りたくないが、日本が反省しているというポーズを取りたい人々にとっては、ぜひとも採用したい立場だろう。この点において和田春樹的「併合無効宣言」は確立協的「権利としての日本国籍」論と手を携える可能性が、全くないわけではない。前者は所詮「和解」のセレモニーに過ぎない(つまり何ら実質的効果を生まない)のであるから、後者と野合するのはそう難しくないだろう。kokogiko氏のような方を納得させることもできる。なかなか「現実」的な代案ではないか(もちろん皮肉である)。


*1 「在留権/帰還権」とセットで書いたことには理由がある。「帰還権」というと、在日朝鮮人が帰国すれば「問題」が解決すると思っているんだろう、と邪推されることが多いが、そうではない。私は帰還を援助してくれ、といっているのではなく「帰還の権利」を承認せよ、といっているのである。帰還が「権利」たりうるためには、当然「帰らないでもいい権利」が保障されていなくてはならない。このため、常に「帰還権」と「在留権」は一体でしかありえないのである。
by kscykscy | 2009-09-28 00:10 | 日朝関係

「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」

 前回の記事で、和田春樹が2010年を期に「鳩山談話」で韓国併合の「無効宣言」を出せと提案していることに触れた。併合無効については前回記さなかったので、私の立場を書いておこうと思う。

 私は併合条約の前提となる1905年条約は君主に対する脅迫があったため成立していない、という説は説得的なものであると考えるので、日本政府は併合無効を承認するべきだと思う。ただ、和田のいう「鳩山談話」は、無効宣言とバーターで日韓間の「歴史問題の完全解決」を図る、つまり一種の「終結」のセレモニーとなる可能性が非常に高い。私は、無効宣言は一つの「始まり」であると考えており、そうした観点から和田の提言に危惧しているのである。「併合無効」なんか宣言したら次は何を要求されるかわからないという右翼の危惧に、「いやいやそんなことありませんよ」と宥めるのが、和田流である。だが私は右翼が恐れるとおりにしなければいけないと思う。あんなことも、こんなことも、真相究明をさせ、責任追及を続けるべきなのである。

 さて、この「併合無効宣言」と関連して前々から気になっていたのが、在日朝鮮人の国籍、具体的には「権利としての日本国籍取得論」と「併合無効宣言」の関係である。

 「権利としての日本国籍取得論」とは現行の帰化制度を特別永住者に限定して緩和せよ、という主張である。「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」(確立協)が代表的な運動団体で、自民党の国籍問題プロジェクトチーム(河野太郎座長)が「特別永住者等の国籍取得特例法案」というものも作成している。

 最近は、運動としてはあまり見る影が無いが、この主張は、確立協以外の在日朝鮮人や日本人にも支持者がそれなりに多いと思う。少なくとも特別永住者の日本国籍取得要件を緩和すべきだ、という主張に限定するならば、これを否定する人は実は非常に少ないのではないだろうか。民団をはじめ地方参政権獲得論が批判するのも、国籍取得特例法案は参政権法案つぶしだ、という一種の戦術論的(陰謀論的?)批判なのであって、原理的にこれに反対しているわけではない。今後それなりに盛り返してくる可能性は高いだろう。

 この議論の骨格は次のようなものだ。日本の植民地支配により在日朝鮮人は日本国籍に編入されたが、サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年4月19日に「平和条約に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(通達438号)という法務省通達によって、在日朝鮮人は「日本の国籍を喪失」することになった。だがこの措置は不当であり、在日朝鮮人には日本国籍を認めるべきだ、というものである。

 実はなぜこの措置が不当なのか、という点については意見が分かれるところであって、例えば大沼保昭の場合はこの通達自体が違憲無効だということになるので、立法論ではなく解釈論として在日朝鮮人は自らの日本国籍を争えることになる(大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』東信堂、2004年)。つまり厳密にいえば大沼説の場合は、「特別永住者等の国籍取得特例法案」自体がいらないということになるのだが、差当りここでは踏み込まないことにしよう。重要なのは「権利としての日本国籍論」が、植民地期の朝鮮人の日本国籍を前提にしているということである。

 さて、ここで考えてみたいのは、植民地期の在日朝鮮人の「日本国籍」の根拠法は何か、という問題である。日本人の日本国籍の根拠法は、国籍法である(ただし1899年以前は国籍法が無いので戸籍ということになるだろう)。だが、よく知られているように朝鮮には植民地期に国籍法が施行されなかった。これは中国東北部に移住した朝鮮人に日本国籍を離脱させず、「帝国臣民」の「保護」の名の下に同地域に影響力を行使しようとしたためであった。「関東州」(後の「満洲国」)や南洋群島も施行されていない。

 では何が朝鮮人が「日本臣民」である根拠になるかというと、「韓国併合ニ関スル条約」である、というのが教科書的見解である。「日本国と韓国との双方の意思にもとづき、韓国が、その対人主権、すなわち韓国民に対する統治権を日本国に譲与し、したがって韓国民が日本国民となることを認めたものということができる」のだそうだ(江川英文・山田鐐一『法律学全集59 国籍法』有斐閣、1973年、98頁)。もちろん、その前提には「韓国の併合は条約によるものであって、平和的手段による併合ということができる」という理解がある(同上)。

 だがもしこの条約が無効だということになると、形式的には「権利としての日本国籍取得論」が前提にしている植民地期の日本国籍自体の法的根拠が失われることになる。なので私がとても気になっているのは、「権利としての日本国籍取得論」の人々が、この「併合無効宣言」という提案に対し、どういう立場を採るのかということである。

 論理的にいえば、「無効宣言」に反対するのが筋だと思う。少なくとも、特別永住者に限定した国籍取得要件緩和論を主張するならば、絶対に「併合無効」など宣言させてはならない。もちろん、帰化要件一般の緩和を目指す国籍法改正論ならば別である。だが、特別永住者に限った緩和論は、その「歴史的経緯」なるものを論拠にしているのであり、突き詰めて云えばその「歴史的経緯」なるものは植民地期の朝鮮人の「日本国籍」の存在と、当事者の意思を無視したその「喪失」措置という一点に集約されざるを得ない。繰返すが、外国人一般の帰化要件緩和論ならば話は別である。

 「無効宣言」に反対するのが筋だ、と書いたが、私はおそらく反対せざるを得なくなってくると思う。「無効宣言」と「権利としての日本国籍取得論」は両立しえないのである。よって、私の立場は併合無効、「権利としての日本国籍取得論」反対である。ただ「歴史的経緯」を語ればいいというわけではない。確立協の母体である「高槻むくげの会」だって、「帝国主義」という言葉を用いて日本の植民地支配を批判していたが、「権利としての日本国籍取得論」を維持している限り、この批判は必然的に退潮していくだろう。確立協が極めて同化主義的な傾向を見せているのも特段不思議ではない(*1)。

 逆に言えば、和田春樹はちゃんと「権利としての日本国籍取得論」を批判すべきだということだ。

(*1) 確立協系の人々は、日本国籍取得は同化であると批判されることをとても喜ぶのであまり言いたくないのだが、やはりあなたがたは同化論者である。なぜか。確立協の常套句の一つに、「民族と国籍は別」というのがある。既存の日本国籍取得反対論者は「民族=国籍」に囚われている、という例のアレである。
 だが、実際には「民族=国籍」という図式を強く持っているのは確立協系の論客に多い。例えば李敬宰の次の文章。

 例えば、すぐ「同化」だと言う人たちが、家に帰れば朝鮮の伝統的な家屋に住んでいるのかと言えば、絶対にそうではないと思います。そんな家屋は日本にほとんどないと思います。普通の日本式の家に住んでいるでしょうし、生活様式もほとんど日本式でしょう。日常的に出てくる民族的なものと言えば食卓にキムチがあったり、朝鮮料理があるという程度じゃないかなと思います。こうした生活様式は「同化」していないのだろうか。教育についても、日本語で教育を受けたら「同化」でした。今はもう一世を除いては、韓国語で教育を受けている人というのはほとんどいないのではないですか。ここでも、「同化」しています。ところで、総連系の民族学校を出た若い人たちが使う朝鮮語は、はっきり言って本当に朝鮮語なのかと思ってしまいます。日本訛り、日本語混じりの朝鮮語ですね。昔、在日一世の人が日本語を話すときは朝鮮訛りの日本語だったのですけれども、今総連系の若い人たちがしゃべっている朝鮮語は日本訛り、日本語混じりの「朝鮮語」(?)なんです。これは「同化」の極みになるのではないかと思います。(「在日韓国・朝鮮人と国籍」、佐々木てる編『在日コリアンに権利としての日本国籍を』明石書店、2006年、58-59頁。)

 その狭隘な民族文化観にはため息が出るが、この後李は、だから「同化」してるかどうかは「民族的素養」があるかどうかではなくて、民族差別を告発していけるかどうかにあるんだ、という話を続ける。だが、結局落としどころは、

 実のところ、子どもになぜ自分は韓国人なのかと問われたときに、私は答えられないのです。日本人の子が「なぜ私は日本人なの?」と聞いたときに、仮に「日本で生まれたから」と答えたとして、今度は在日韓国・朝鮮人の子に「なぜ私は日本人じゃないの?」と聞かれたら、どう答えたらいいのでしょうか。まさか、韓国人の血と日本人の血を識別する方法なんてないのですから、血の話では説明できません。子どもにちゃんと答えられない理屈なんて、どこか間違っていると思いませんか。〔中略〕もはや、こうした状況を、いつまでも放置しておけないのではないかなと思って、私は最近積極的に日本国籍の議論を進めているのです。(同上、71,72頁)

ということになる。つまり、在日朝鮮人のほとんどは「民族的素養」の点で「同化」している。そうではない「(反)同化」論に取り組んでみたけど、「民族的素養」の点で「同化」している子どもに説明できない、やっぱりこれは「どこか間違っている」、だから「日本国籍の議論を進めている」という論法である。

 つまり、李敬宰は在日朝鮮人は「民族」が日本に「同化」しているから日本国籍を取得すべしといっているのである。「民族=国籍」という等式に囚われているのは李の方だ。
by kscykscy | 2009-09-20 05:08 | 日朝関係

再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について

 ここにきて、李明博大統領が再び天皇訪韓を口にしだした。韓国併合百年を期に、天皇訪韓によって「歴史問題の完全解決」を図ろう、ということらしい。韓国メディアも保守系は概ね好意的だ。進歩系も明日には社説やオピニオンが出るだろう。

  まず確認しておくが、私はいかなる条件・いかなる時期であろうとも、天皇が「天皇」として朝鮮半島に行くのには反対である。理由についてはここを読んでいただきたい。
     和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」

 早速「中央日報」のコメント欄あたりにたむろする天皇主義者たち(ネット右翼、という呼び名は生ぬるいと思う)は騒ぎ始めており、なかには「日本の皇室外交に政治を持ち込むな」という珍妙な批判もあって笑えるのだが、とりあえずはどうでもいい(皇室外交は政治ではない、というのはなかなか天皇制っぽくて味わい深い)。

 ただ、安重根のような人間に暗殺されるから天皇を韓国に行かしてはならない、という類の意見は、天皇がただ朝鮮に上陸しただけで殺されるかもしれないような存在であるということが前提になっていて逆に「不敬」なんじゃないかとすら思うのだが、その理解についてだけは私も同感である(もちろん、それは朝鮮人の頭がおかしいせいになっているのだが)。

 しかし、あれを「反日カード」だと呼ぶのは間違いである。大して「反日」ではないものをことさらに「反日」だと名指して、逆に「反日」の価値暴落を引き起こそうとする高等戦術なのかもしれないが、最大限好意的に解釈して天皇訪韓要請の思想的意味は、もはや日本が絶対に天皇制を無くすことはないし、日本人が変化することもない、という諦念に基いた政治的リアリズム(ニヒリズム?)に過ぎない。普通に考えたら、李明博の訪韓要請は単なる「親日」行為である。安重根が生きていたらまずは李明博を射殺するだろう。

 それはさておき本題は和田春樹である。この件(といっても併合100年の方だが)に関連して『ハンギョレ』で再び和田春樹が発言している。とりあえず引用しよう。

 8・30総選挙の結果は『ハンギョレ』が書いたように選挙革命に近かった。今までの自民党政治とは異なる政治を示さねばという日本国民の願いの結果である。特に、去る95年には村山談話があったが充分ではない面があったので、果敢に新たに書き直すことを期待する。来年の韓日強制併合100年という絶好の機会を活かし、声明を出さねばならない。まさしく「鳩山総理談話」である。韓国人の心を掴むためには村山談話では解決されていない、併合は当初より無効という韓国の主張に対し応えなければならない。そうした余地があると思う。このために日本で努力したい。

 「鳩山談話」が出るそうだ。いや、出すそうだ。もういい加減にして欲しいのだが、この記事には続きがある。

 鳩山総理は客観的に直面することになる100周年問題に対し、何らかのかたちで応えるだろうと思う。それは韓国のみならず北朝鮮に関連する問題だ。北朝鮮側では100周年問題について鳩山政権が言及するならば、日本側との関係改善に積極的になるだろう。北朝鮮を動かすためにはまずは過去に対する反省が必要である。このためには日韓条約のような日北〔ママ〕条約が必要である。それは北朝鮮には大きな魅力である。

 日韓条約のような日朝条約が必要なのだそうだ。まだまだ続く。

 日本国民も過去とは異なり新たな方向へと進むことを期待しているため、日本のナショナリズムは大きな問題ではない。この問題を解決しようとする日本知識人たちも多いと思う。年末までには歴史問題に関連する声明が出るだろう。

 日本のナショナリズムもさしたる問題ではないとのことである。根拠は不明であるが。そして最後、

 『朝日新聞』による去る19日の民主党出馬者に対する調査結果を見ると、憲法改正、防衛力増強、集団的自衛権行使問題などに対しは穏健派が圧倒的に多い。自民党候補のなかでは95%が平和憲法改正に対して賛成だが、民主党候補者のなかでは40%だった。4年前の民主党候補者調査では70%に達した項目である。こうした人物たちを選択したのが小沢一郎民主党幹事長だということに注目する必要がある。小沢に対しては様々な評価があるが「自民党と異なる政治」をするために当分の間は穏健派を公薦した。彼は戦略的な思考を持っている。対北政策と関連する問題は、鳩山総理にかかっている。歴史問題・補償問題については積極的な考えである。彼は軍隊慰安婦問題解決法案を提出した議員のうちの一人だ。ただ、鳩山総理が北朝鮮問題と関連して、就任したらすぐ船舶調査法案を通過させると言って来たが、これは中止した方がいいと思う。はじめから北朝鮮との関係を悪化させてはいけない。

 以上である。とりあえず「鳩山談話」と知識人らの「歴史問題に関連する声明」を出そうと画策しているようなので、最大限警戒しよう、と呼びかけておきたい。ただ、私が心底腹立たしく思うのは、最後に引用した部分である。

 少なくとも民主党選挙勝利後の韓国メディアの大勢は、当分は日本の外交に大きな変化は無いだろう、というものだったと記憶している。私も正しい判断だと思う。そこにわざわざ改憲派は40%しかいないだの、それは小沢の「戦略的思考」だの、鳩山が「歴史問題・補償問題については積極的」だのといって、民主党外交に変化の兆しがあるかのように韓国世論を誘導するのはどういうことか。何より、それを掲載する(依頼もしたのだろう)『ハンギョレ』は一体どうなっているのだろうか。大体、改憲派が40%しかいないから安心しろ、というのは人を馬鹿にするにもほどがあるのではないか。民主党と自民党を足したら容易に改憲できるから警戒すべし、となるのが普通の判断だろう。仮にも「歴史問題・補償問題」の「解決」を望むならば、周辺諸国の厳しい監視は絶対に必要である。それを緩和させてどうしようというのか。

 ここでは天皇訪韓については言及は無かったが、おそらく李明博とは若干違うラインで和田は主張することになると思う。流石に李明博と同一のレトリックではやらないだろうし、そういうところにより根深い問題があるとも思うのだが、韓国に対しては「警戒せよ」と声を大にして言いたい。

 しかし困ったことに web版9月16日付の『ハンギョレ』の社説を見ると、ほとんど和田春樹そのままのことが書いてある。憂鬱だが引用しよう。

 鳩山政権は以前の自民党政権とは異なり、過去事問題に前進的な姿勢を見せている。名実相伴う韓日友好を実現するにあたり、極めて肯定的な部分である。鳩山総理は靖国神社参拝をしないと明確にした。また民主党は韓国人軍隊慰安婦補償と在日同胞地方参政権付与問題にも積極性を見せている。事案の性格上根本的に解決するのが難しい独島問題を除けば、過去事問題には最も好意的な政権が誕生したことになる。小沢一郎民主党幹事長と岡田克也外相など党政の核心に韓国・中国など隣国との友好関係を重視する人物が布陣されている事実も注目される。

 『ハンギョレ』もまた、和田春樹と、そして村山社会党と同じ道を歩むのだろうか。もう歩んでいるのかもしれない。もう手遅れかもしれないが、声を大にして「そっちは行き止まりだ!!」と呼びかけたい。
by kscykscy | 2009-09-17 07:58 | 日朝関係

閑話休題:核持ちこみ密約の暴露は持ちこみ公然化の前ふりか

 核持ち込み密約が改めてニュースになっている。一見、過去の日米秘密外交が暴露されるのはとてもいいことのようでもあり、おおよそメディアの論調もそうした文脈で報じている。

 ただ、私としてはどうもこの一連の密約報道にはきな臭いものを感じざるを得ない。確かにこれまでの日米秘密外交が暴露されるのは悪いことではないのだが、数多い「秘密」の中でもとりわけ周知の秘密であった米軍の日本への核搬入が、いまさら話題になっているのはなぜなのだろうか。絶えざる反核運動の成果である、と考えるほどナイーブにはなれない。

 今のところ推測に留まるのだが、一連の密約報道は米国の核搬入を政府が認めていたことを暴くことに主眼があるというよりも、今後日本への米国の核搬入を公然化するための前ふりなのではないか。政府・外務省が密約などないと粘っているのは、公然化のタイミングを図っているにすぎないのではないかとすら思える。

 実際、7月9日に自民党の山崎拓は米軍の核搭載船の日本寄港を容認すべきと発言している。寄港だけは非核三原則の例外とするということだ。これまでは非公然ながら米軍の核搬入のおかけで、日本の平和と繁栄は守られた、冷戦も終わったことだし(米国の公文書館からも出ているし)、それは認めよう。むしろこれからはそれを公然と認めていこうではないか、北朝鮮も核を持っているのだから、という筋書きは、現在の日本の平和運動の水準を見ているとそう無理なく通りそうだ。注視が必要だろう。
by kscykscy | 2009-07-19 02:00 | 日朝関係