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朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

 前回、本書『帝国の慰安婦』の、元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄されたという「新説」が、先行研究の歪曲により彫琢されたものであることを指摘した。だが出典とされた文献の恣意的な解釈や引用による「新説」の創出は、先の個人請求権に関する箇所に留まらない。日韓協定に基く「経済協力」についても、朴は本書で驚くべき新解釈を提示している。以下ではこの問題を本格的に論じた第三章「ふたたび、日本政府に期待する」の「1,一九六五年の日韓協定の限界」の叙述に即して、朴の主張を検討してみよう。

1.「経済協力」=「事実上の補償」「賠償」説

 日韓協定に基く「経済協力」の性格について朴は以下のように「事実上の補償」「賠償」であると主張する。

「日韓両国は国交を正常化するにあたり、過去のことについて話しあい、その結果として日本は韓国に合計一一億[ママ]ドルの無償・有償金[ママ]や人的支援[ママ]をした。しかしその提供は、「独立祝賀金」と「開発途上国に対する経済協力金」との名目でなされたものだった。つまり、日本政府は、莫大な賠償をしながらも、条約[ママ]ではひとことも「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言を入れていない。つまり事実上は補償金でありながら、名目は補償とはかかわりのないようなことになっていたのである。皮肉にもこのことは、九〇年代の「基金」が事実上は政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとったことと酷似している。」(247)

 まず事実関係の誤りから指摘しておこう。請求権・経済協力協定は日本政府が韓国政府に対し、無償3ドル、有償2億ドル相当の「経済協力」を行なうことを定めた。朴はここで「一一億ドルの無償・有償金や人的支援をした」と記しており、何をもって11億ドルと算定しているかはわからないが、誤りである。また「無償・有償金」とあるが日本政府は無償3億ドルの金銭を韓国政府に支払ったわけではない。3億ドル相当の「日本国の生産物及び日本人の役務」を供与(請求権協定第一条1a)したのである(ちなみに朝鮮語版では「日本が韓国に無償3億ドル、政府借款2億ドルの「補償」をしたことは間違いのない事実だ」(258頁)となっている)。もちろん「政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとった」わけもない。

 本題に移ろう。上の引用に明らかなように、朴は「経済協力」は「事実上の補償」「賠償」であると主張する。朝鮮語版でも「この賠償は「独立祝賀金」と「開発途上国への経済協力金」という名前で実施された。言い換えれば、日本政府は莫大な賠償を行ったが、条約では「植民地支配」や「謝罪」や「補償」といった表現を全く用いなかった。実際には補償金であるにもかかわらず、その「名目」は補償とは関連の無いもののように見えるのである」(259頁)と記しており、この点は変わりない。

 ただし、「経済協力」は「事実上の補償」であるという主張自体は必ずしも新しいわけではない。請求権・経済協力協定に基づく「経済協力」の性格については、日韓両政府の間に長らく解釈の対立があった。日本政府は「経済協力」は請求権問題「解決」の対価ではなく、両者に法的な相関関係はない、との解釈を採っており、「賠償的性格」も全面的に否定する(*1)。他方、韓国政府は無償3ドルの供与は、「実質的な賠償である」と主張してきた。日韓協定批准の国会における張基榮経済企画院長官の答弁(1965年8月5日)は次の通りである。

「ご存知のとおり、サンフランシスコ平和条約第二十一条により大韓民国はどう条約第十四条による賠償以外には受け取れないものとなっております。しかし請求権協定にはご覧のとおり、請求権協定の前文に明白にこれは請求権問題の解決を主とし、付随的にその結果として経済協力を加味することになったものです。
 政府はいわゆる請求権の場合に、その根拠と証拠物を提示して検討するよりかは、一括的に受け取る方が有利であると考えました。そのためこの請求権第二項にあるいわゆる無償三億ドルは請求権ではなく、さらに一歩進んで実質的には賠償的な性格を持つものと考えます。
 そうした意味ではこれは経済協力ではなく請求権が主となっており、請求権ではなく、この三億ドルは賠償である。実質的には賠償である、こうした見解を持っております。」(『第五十二回国会 韓日間条約と諸協定批准同意案審査特別委員会会議録』第五号、18-19頁)

 朴の「経済協力」理解が、協定締結当時の韓国政府、つまり朴正煕政権と同じ立場のものであることがわかる。それでは、いかなる根拠に基づき、一方当事者である日本政府が明確に否定する「経済協力」=「賠償」説を朴は主張するのか。先にあげた金昌禄論文によれば、韓国政府の「経済協力」=「賠償」という解釈は、日韓基本条約第二条の解釈と関連していたという。第二条「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」の規定について、韓国政府は、当初より併合条約が無効であることを意味すると解釈した(日本政府は有効であると解釈する)。よって併合無効を前提とした「経済協力」であるから、補償であるという理屈になるのだという(なお、こうした論法は日朝平壌宣言の「解釈」としても存在する。「日本政府は変わったのか? 「平壌宣言=実質的補償」論について」参照)。だが朴は以前にも触れたように、本書は韓国併合に関する条約は合法的に成立したと主張するため、韓国政府と同様の解釈を採るとも思えない。

2.「経済協力」=1937年以降の「戦争動員」に対する「賠償金」?

 この問題について探るため、もう少し丁寧に第三章の「1,一九六五年の日韓協定の限界」における朴の議論を読み解いてみよう。本節の課題は「日韓協定の限界」を議論することである。日韓基本条約や関連する諸協定には植民地支配への反省や謝罪を示す文言はなく、「植民地支配による」「損害」への言及も規定されていないが、朴はそうした「日韓協定の限界」をもたらした原因として次のように指摘する。

「不思議なことに、[韓国政府の:引用者注]人的被害に対する要求は、一九三七年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、一九一〇年以降の三六年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事項に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は、「保護」に入った一九〇五年からとするべきだが)、一九三七年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。」(248頁)
「[なぜなら:引用者注]日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまで戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基くものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。」(248頁)
一九六五年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、一九三七年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(249頁)
「植民地支配を終えて二〇年もの歳月を経て作られた条約に、ひとことも「植民地支配」や「謝罪」の言葉がなかった理由は、おそらくここにある。日韓基本条約は、少なくとも人的被害に関しては、〈帝国後〉補償ではない。あくまでも〈戦後〉補償でしかなかったのである。」(251頁)

 これらの記述をさらに要約すれば次のようになる。

〈日韓会談における韓国政府の人的被害に関する要求は「1937年の戦争以降の動員に関する」ものにとどまった。それは日韓会談がサンフランシスコ講和条約に基くものだったからである。結果、会談では「戦争をめぐる損害と補償」に関するものだけが議論され、請求権・経済協力協定では、「1937年以降の戦争動員」に限り、「賠償金」が韓国政府に渡された。〉

 朴のここでの議論の趣旨は、日韓協定がいかに「〈帝国後〉補償」(植民地支配総体の損害への補償という意味か?)ではなかったか、を論じるところにある。それ自体は確かに事実なのだが、それでは実際になされた「経済協力」は「〈戦後〉補償」なのだろうか。そもそも「〈戦後〉補償」を朴がいかなる意味で用いているのかが明らかではないため確かめようがないが、朴が日韓協定に基く「経済協力」が「事実上の補償」「賠償」であると主張する根拠をあえて本書から探るとすれば、「1937年以降の戦争動員」に対する「賠償金」であった、と理解しているがゆえということになるだろうか。朴は本書で「経済協力」が、いかに「植民地支配に対する賠償金」(178頁)ではなかったか(これは事実である)を度々指摘するのであるが、それは「戦争に対する賠償金」であったという意味なのだろうか。だとすれば、これは驚くべき「新説」というほかない(*2)。

 むしろこれまで度々指摘されてきたのは、日韓会談は連合国と日本との「戦争」をめぐる賠償等の交渉の枠外で行われた、ということである。確かに、日韓会談と対日講和条約には密接な関係があることは事実である。特に第四条(a)は日本国・日本国民と、「第二条に掲げる地域」(日本国が権利・権原を放棄する地域=朝鮮、台湾、樺太等)の当局及びそこの住民との間の「請求権」の処理を両当局間の「特別取極の主題とする」とした。ただし、だからといって、第四条(a)の「請求権」をめぐる交渉が、ただちに「戦争」をめぐる損害の交渉を意味したわけではない。むしろ太田修の指摘するように、第四条の「請求権が日本と連合国から除外された韓国の間で処理されるべきものだとしたに過ぎず、まして植民地支配・戦争による損害と被害の清算を規定した概念ではなかった」(太田修『日韓交渉』クレイン、2003年)からである。

 対日講和条約から韓国政府が外された事実自体は、朴も指摘している。だとするならば、「1937年の戦争動員」への「賠償金」という記述はどこから出てきたのか。出典として示された文献にあたってみよう。

 この節の議論にあたって、朴がほぼ全面的に依拠したのは張博珍『植民地関係清算はなぜ成し遂げられなかったか 韓日会談という逆説』(ノンヒョン、2009年)である。この本は在日同胞の著者が、なぜ日韓会談で過去清算問題が「消滅」せざるをえなかったのかという問題意識に立ち、主として韓国政府の交渉戦略とそれを取り巻く構造(国際環境)を批判的に分析した548頁に及ぶ大著である。日韓会談を日本・韓国両政府の対立の歴史とみるのではなく、むしろ過去清算を「消滅」させるための共犯関係の構築として捉えており、非常に刺激的で示唆に富む労作である(*3)。朴が依拠したのは、このうち会談開始前の韓国政府の過去清算構想を検討した第六章第一節である。

 張がこの節で分析したのは、1949年9月に李承晩政権が作成した『対日賠償要求調書』(以下、『調書』)である。『調書』は賠償請求の正当性の根拠として「1910年から45年8月15までの日本の韓国支配は自由意志に反する日本単独の強制的行為」であることをあげたため、先行研究は『調書』の立場を(それ以後とは異なり)植民地支配期を総体として問題とし賠償を求めたものと解釈してきた。だが、張はむしろこうした基本方針の闡明にもかかわらず、実際には『調書』は賠償要求の範囲を「中日戦争及び太平洋戦争期間中に限り直接戦争により我々が被った人的・物的被害」に限定したことに注目する。韓国政府が範囲を限定したのは、張によれば、講和条約における賠償問題があくまで連合国と日本の戦争の処理という枠組みで行なわれることが予想されたためだった。そして「この事実は韓国政府が交渉が始まった当初から日本の植民地支配に対して包括的にその責任を追及する姿勢を持っていなかったことを意味する」と指摘するのである(247頁)。

 朴のいう「1937年の戦争動員」云々の叙述が依拠する張の分析は以上のようなものだ。一読してわかるとおり、張がここで論じたのは、1949年段階における韓国政府の交渉方針であって、1965年に日韓で妥結された「経済協力」の中身ではない。つまり、韓国政府が1937年以降の被害に賠償要求を限定しようとした、と指摘したに過ぎない。むしろ張が怒りを込めて(と私には読める)論じたように、実際に日韓会談が始まると、韓国政府はこの日中戦争以後の戦争被害に関する賠償すら十分には主張しなかった。当然ながら、張は請求権・経済協力協定の「経済協力」が、「1937年の戦争動員」の「賠償金」を意味するなどという馬鹿げたことを論じてはいない。

 それどころか、張は1965年当時の韓国政府の「経済協力」=「実質的な賠償」という解釈について、韓国側はそもそも交渉でこう主張しておらず、成り立たないと強く批判する。日韓交渉過程での議論自体が、こうした韓国政府の説明が虚偽であることを証明しているとし、「韓国側もまた提供される資金が請求権に基き受け取るものではないにもかかわらず、請求権問題が解決されることを認める論理矛盾をそのまま受容していたのである」(523頁)と指摘する。そして、「請求権問題に関して、韓国の対日請求権が行使され、それに基き日本から資金が提供されたことで問題が解決したと判断しうる解釈の余地が全くない」、「請求権問題はそうした意味ではただ「消滅」されたに過ぎなかった」(524頁)と結論づけるのである。

 つまり、請求権・経済協力協定に基き支払われた「経済協力」は、「1937年以降の戦争動員」に関連する「請求権」に基いて支払われた「賠償金」である、という理解は、依拠した文献の主張を朴が理解していないがゆえに生じた誤謬である。しかもその誤謬に基づく解釈がその文献自身が積極的に批判する主張(「事実上の補償」説)とつまみ食い的に接合されている。珍妙な「新説」が本書で頻出する背景には、こうした「方法」の問題があるといわざるをえない。

(鄭栄桓)

*1 「経済協力」の性格についての日本外務省見解は下記の通りである。

「経済協力を行う趣旨は、戦争の結果、韓国がわが国から分離独立したことを念頭におき、今後日韓両国間の友好関係を確立するという大局的見地に立って、この際わが国にとって望ましい韓国経済の発展と安定に寄与するため、同国に対し無償有償の供与を行なうこととし、これと併行して請求権問題を最終的に解決することとしたものであり、経済協力は請求権の対価ではなく、両者間に法的相関関係はないが、交渉の経緯上同一の協定で扱うこととなったものである。/今次の協定の無償供与の方式は、賠償協定の例によっているものが多いが、これは今回の経済協力が賠償的性格をもっているからではなく、従来経験を積み重ねてきた無償供与方式としての賠償の方式を採用することが、便利かつ適当であるという実際上の理由によるものである。」(山口達夫[外務省条約局条約課]「経済協力」、『時の法令別冊 日韓条約と国内法の解説』大蔵省印刷局、1966年、42-43頁)
「協定第一条1の末尾に、無償供与および貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない旨の規定が設けられているが、これは、この無償供与および貸付けが、賠償または請求権の対価として行なわれるものではなく、韓国経済の発展に寄与する経済協力として行なわれることを明らかにし、この目的にそわない供与や貸付けは、年度実施計画の合意または契約認証の際に、これを除くことができるように意図した規定である。」(同上、44-45頁)

*2 この「新説」を読み思い出したのは、かつて韓浩錫が唱えていた「日朝平壌宣言」は日朝の「戦争被害」を相互認定したものだった、という説である。詳細については「韓浩錫「朝・日頂上会談の推進背景と朝・日平壌宣言の歴史的意義」批判」を参照。

*3 このため、先に金昌禄論文を紹介した際に触れた個人の請求権行使の余地に関する韓国側代表の発言に対しても、「これが韓国側の真正な要求事項ではなかったことは何よりその後の同問題に対する韓国政府の対応自体が立証した」(526頁)と厳しい評価を下している。

by kscykscy | 2015-01-08 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

 本書『帝国の慰安婦』が、日本軍の「責任」について極めて限定的にしか認めず、それに対してすらも「法的責任」を認めない立場であることを前回みた。それでは軍の責任と密接な関係にある、元「慰安婦」女性たちの権利、なかでも「個人の請求権」についてはいかなる認識を示しているのだろうか。本書の「請求権」認識は以下の通りである。

(1)人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。
(2)元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。

 第四章の「韓国憲法裁判所の判決〔ママ〕を読む」は、以上の二つの主張を、韓国憲法裁判所の決定への批判的な検討を通じて示した章である。韓国の憲法裁判所は2011年8月30日、日韓請求権協定により元慰安婦女性たちの請求権が消滅したか「否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲である」との決定を下した。本章で扱われるのは、この「決定」の妥当性である。

 朴は、2011年の韓国憲法裁判所の決定は、「支援団体」の認識に依拠した不正確なものであり、決定をきっかけに始まった「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と極めて否定的に評価する。以下、憲法訴願審判の争点を確認したうえで、その論拠と論理の問題点について検討しよう。

1.憲法訴願審判の争点

 まずは韓国憲法裁判所の決定をめぐる争点を確認しておこう。2006年7月5日、「日本軍「慰安婦」被害者である64名」(=請求人)は、憲法裁判所に憲法訴願審判請求を行ったが、請求の要旨を「決定」は以下のようにまとめている(原文と日本語訳及び関連資料は、女たちの戦争と平和資料館「韓国憲法裁判所決定「慰安婦」全文(日本語訳)」で閲覧できる)。

「請求人らは、請求人らが日本国に対して有している日本軍慰安婦としての賠償請求権が、この事件の協定第2条第1項によって消滅したか否か関して、日本国は上の請求権が上の規定によって すべて消滅したと主張し、請求人らに対する賠償を拒否しており、大韓民国政府は請求人らの上の請求権は、この事件の協定によって解決したものではないという立場であり、韓・日両国間にこれに関する解釈上の紛争が存在するので、被請求人としてはこの事件の協定第3条が定めた手続きに従い、上のような解釈上の紛争を解決するための措置を取る義務があるにもかかわらず、これを まったく履行せずにいると主張し、2006 年 7 月 5 日、このような被請求人の不作為が請求人らの基本権を侵害し、違憲という確認を求める、この事件の憲法訴願審判を請求した。」

 賠償請求権の有無について、韓日両国に明らかに紛争が存在するにもかかわらず、韓国政府は請求権協定第三条に規定された解決のための措置をとっていない、こうした「不作為」は請求人の基本権を侵害するものであり、違憲である。これが被害当事者らの主張だった。つまり、憲法訴願審判の争点は請求権協定をめぐる紛争を解決しない韓国政府の不作為の違法性の有無であった。

 韓国政府の反論は次の二点に要約できる。

(1)韓国政府は請求人らの基本権を侵害していない。そもそも侵害されたと主張する基本権の内容が明らかではなく、戦時期の不法行為の主体は日本政府であって韓国政府ではない。よって、請求権協定に従った国家の具体的作為義務までは認定されない。何より、韓国政府は「請求人らの福祉」のために努力している。
(2)韓国政府に具体的な外交措置をとるべき法的義務はない。外交保護権の主体は国家であるため個人が自国政府に主張できるものではなく、憲法上の基本権ではない。また外交保護権の行使等については国家の広範囲な裁量権が認められるため、具体的な外交措置をとるべき法的義務があるとはいえない。

 ここからも明らかなように、審判対象となった争点は、請求人らが「日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権」が日韓請求権協定により「消滅したのか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為が、請求人らの基本権を侵害するか否か」であった。日本軍の行為がいかなるものであったか、それが国際条約に反するものであったか、請求人らの賠償請求権は認められるか、といった論点について被害当事者と韓国政府が争ったわけではない。

 そして、結果的に憲法裁は請求人の主張を容れ、2011年8月30日、以下の決定を下した。

「請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲であることを確認する。」

 元「慰安婦」の被害当事者の賠償請求権をめぐり請求権協定の解釈上の紛争があるにもかかわらず、これを「解決」しようとしない政府の不作為は憲法違反である、との決定を下したのである。「決定」の論理の詳細は原文及び日本語訳にあたっていただきたいが、韓国政府の負うべき国民の外交的保護義務を、以下のように、憲法前文を一つの重要な根拠として認めたことは注目すべきところだろう。

「韓国憲法は、前文で「3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」の継承を明らかにしているところ、たとえ韓国憲法が制定される前のことだとしても、国家が国民の安全と生命を保護すべき最も基本的な義務を遂行出来なかった日帝強制占領期に、日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の政府が、国民に対して負う最も根本的な保護義務に属すと言える。」

2.憲法裁判所「決定」理解の問題点

 それでは本書がこの憲法裁判所の決定をどう論じたかをみよう。まずは上にあげた朴の第一の主張――人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――に関連する箇所から。

 朴は、請求人の主張を次のように批判する。前回も触れた箇所だが再度引用しよう。

「この請求の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。そして、被害を受けた「個人」の「損害賠償」が請求されていないと言う。つまり「婦女売買」の責任主体を日本国家にのみ帰している。しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」を抹消したのは、韓国政府でもあった。
 実際に、このとき外交通商部は、被害者が日本の賠償を受けるように動くことが政府の義務ではなく、政府が憲法違反をしているとは言えないと、強く反論している。」(180)

 第一に注目すべきは、朴が憲法訴願の争点とは異なり、日本軍「慰安婦」制度に関する事実認定のレベルで日本国家の責任を否定していることである。前回みたように、朴はこれらの「責任」ある日本国家の行為についても法的責任を認めないのであるから、結果的に請求人たちの賠償請求権をそもそも認めない立場であることになる。つまり朴は、人身売買の主体は業者だったのだから、日本国家に法的責任はなく、請求人たちに賠償請求権はないと主張するのである。憲法訴願に即して言えば、日韓両国間に請求権の有無をめぐる紛争は存在しない、という認識なのであろう。

 これは被請求人であった韓国政府の立場とも異なる朴独自の主張である。朴は「五年もかかった裁判の末に、裁判所は訴訟者たちの味方になった。裁判所が、日本国家だけを責任主体とする考えに同調した形となる」(180頁)と、あたかも韓国政府が自らと同様の主張をしたかのように書く。だが、内容を読めばわかることだが、被請求人である韓国政府は、さすがにこのような反論をしたわけではない。韓国政府の外交が請求人の基本権を侵害しているわけではない、と述べているにすぎない。上の二つの段落は前半を証明する論拠として外交通商部の主張があるように記されているが、まさしく「実際に」は、この二つの段落は全く違うことを論じているのだ。

 そもそも、「決定」が引いているように、韓国政府は過去に、日韓請求権協定によっては「日本政府等、国家権力が関与した「反人道的不法行為」」は解決しておらず、「日本政府の法的責任が認定される」という立場を示した(2005.8.26「民官共同委員会」決定)。決定への少数意見を述べた裁判官の主張も、同じように、あたかも朴の主張――請求人にはそもそも賠償請求権がない――に同調するものであるかのように引かれているが(195-196頁)、あくまで韓国政府の義務について論じたのであって、請求人たちの賠償請求権を否定したわけではない。外交通商部の反論と同様、朴の主張とは異なる争点について論じた文であるため、誠実に本書の記述を読もうとする読者であればあるほど、ますます混乱させられることになる。

 このように、憲法訴願の争点を大幅に踏み越え、事実認定のレベルで(人身売買の主体は業者である!)日本国家の法的責任を否定し、請求人たちの賠償請求権を認めないところに本書の「画期性」がある。1990年代に始まった元日本軍「慰安婦」が原告となった戦後補償裁判はいずれも最終的には敗訴に終わったが、原告の請求を斥けた判決においても、事実認定のレベルでは日本軍の「直接経営」や「設置管理」を不法行為と認めたケースがあったことはよく知られている。しかも、後述するように、厳密にいえば、日本政府も個人の請求権が消滅したと主張しているわけではない。だが朴は韓国政府や日本政府の立場をはるかに踏み越えて、請求人たちの損害賠償請求権そのものを否定したのである。

3.日韓会談論の問題点――金昌禄論文の歪曲

 次に朴の第二の主張――元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――を検討しよう。

 朴は、憲法裁の決定を批判しつつ、以下のように賠償請求権否定論を補強する。

「繰り返すまでもなく、慰安婦たちの多くが過酷な人権蹂躙的状況にいたことが確かな以上、そのことに対して後世の人によるなんらかの謝罪と補償が行われるのは当然のことである。しかし韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。何よりも、このときのすべての判断は「朝鮮人慰安婦」に対する不十分な認識と資料に基づいて下されたものだった。」(193頁)

 日韓会談で元「慰安婦」女性たちの個人請求権を放棄したのは韓国政府だった、という主張は本書で度々繰り返されるものである。

 もし朴のこの主張が事実ならば、日韓会談研究における極めて重要な発見であることは疑いを容れない。日韓請求権協定において「完全かつ最終的に解決された」とされた「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権」が一体何を指すのかは、日韓会談研究における極めて重要な論点であったが、元「慰安婦」女性をめぐる問題が議論されたのかいなかは明らかになっていないからだ。近年公開された日韓会談関係文書からも、1953年の会談で韓国側委員が占領地から引き上げた朝鮮人の「預託金」を議論する文脈で、「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」と述べたことが指摘されるに留まっており、請求権をめぐる交渉で議論されたかいなかは明らかではない(吉澤文寿「日韓請求権協定と「慰安婦」問題」、西野瑠美子他編『「慰安婦」バッシングを越えて』大月書店、2013年)。

 だが朴の主張は、これらの研究の成果を踏まえたものでは全くなく、先行研究の歪曲によりなされたものである。上記の主張に際し朴が依拠したのは、金昌禄の論文、「1965年韓日条約と韓国人個人の権利」であるが(国民大学校日本学研究所編『外交文書公開と韓日会談の再照明2 議題からみる日韓会談』ソニン、2010年。以下金論文と略記する)、朴は金論文の趣旨を全く理解しておらず、むしろ論文の趣旨とは正反対の主張の論拠としている。以下に検討しよう。

 金論文の課題は、1965年の日韓条約及び諸協定の調印により「韓国人個人の権利がいかに処理されたのか」(229頁)、両国政府が「何を「合意」したのか」(230頁)について検討するところにある。これまで日韓両政府は、請求権協定により「完全かつ最終的に解決された」「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題」(第二条第一項)とは何かをめぐり互いに異なる解釈を採ってきたが、そもそも65年の調印当時にはいかなる内容での「合意」がなされたのかを、主として韓国側公開の会談関連文書を用いて探ろうというものだ。

 金論文の結論は、この問いに直接かつ明確に答えうる資料は韓国側公開の資料からは発見できなかった(258頁)、というものだ。ただし、「糸口」となる資料はある。そこで金論文が注目するのは、1961年の予備会談及び第六次会談での「被徴用者」をめぐるやりとりである。

 日韓予備会議に先立ち、韓国側は「韓国の対日請求要綱」(1960.11.10)を提示して「弁済を請求する」「請求権」として五項目を示した。なかでも「被徴用人未収金」をめぐり日韓は、(1)解決時期、(2)補償金の性格、(3)補償の形式をめぐって対立したことを金論文は紹介する。日本側は、(1)国交正常化後に、(2)日本法(国民徴用令、工場法、援護法)で認められるものに限り、(3)「個別的に解決する」ことを提案したのに対し、韓国側は、(1)正常化前に、(2)日本法以外の「新たな基礎のもと」で「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」を、(3)韓国政府への一括支払することを求めた(249頁)。

 本書で朴が引用したのはこの箇所である。金論文を引用したうえで、朴は以下のように指摘する。

韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある
 日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国の訴訟が敗訴したのは単に〈日本の謝罪意識がない〉ためのことではない。すでによく知られているように、一九六五年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは、時代的な限界でもあった。」(188頁)

 もし金昌禄氏がこの箇所を読んだら、驚きのあまり卒倒するのではないだろうか。

 そもそも、ここで扱われた日韓間の議題は「被徴用者の未収金」問題であって、日本軍「慰安婦」問題ではない。また「被徴用者の未収金」は、請求権協定のいう「財産、権利及び利益」に属するものであって、反人道的不法行為や強制動員を理由とした損害賠償請求などの「請求権」に関連するものではない。金論文はこれについて明確に分けて議論しており(245-246頁)、まともに読めば混同の余地はない。

 何より金論文が正しく指摘するように、ここでの日本側代表の提案の趣旨は、補償を日本の「法律上有効に成立したものに限」り(250頁)、日本の法が想定しない「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」は一切不可であると主張するためのものだった。これは、金の指摘するように「関連資料の多くが消失し、韓国人が日本国内の法的手続を踏み支給を受けることが容易ではないことを考えると、事実上補償を有名無実化しようとする主張であった」(250頁)といえる。日本法はいうまでもなく元「慰安婦」を軍人・軍属として扱っておらず、この条件のもとで補償の対象となることは絶対にない。「日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能」になるはずがないのである。何より、元「慰安婦」は軍に直接雇用されたわけではないとくどいほど強調するのは朴自身ではないか。

 むしろ金論文は、韓国側代表が会談で議論されなかった問題以外の請求権行使の余地を残そうと試みたケースを紹介している。第六次会談では、韓国側は先に示した請求権要綱の内容に関連して、「要綱第一項乃至第五項に含まれないものは、韓日会談成立後であっても個別的に行使できることを認めること。この場合には、国交正常化まで時効が進行しないものとすること」を提案した。その理由は、「議題に入っていないにもかかわらず、会談が成立したからとこうした個人の請求権がなくなるのは困難な問題ではないか。よって、この場合には会談とは関係なく個人間の請求または裁判所への訴訟を提起できるようにしよう」というものだった(251頁)。だが日本側は、あくまで会談により請求権問題を完全に終結させるという立場を譲らなかった。

 金論文は、韓国側のこうした要求について「極めて妥当なものといわざるえない」と評価する(252頁)。だが、1962年11月の「金・大平メモ」による合意以後、経済協力の名目をめぐる「大きい話」についての議論に移り、これらの個人の請求権が具体的に何を指すのかは議論されなくなってしまった(254頁)。このため、1965年の協定締結の時点での「請求権」の範囲を明らかにすることはできなかった、と金論文は結論づけたのである。

 つまり、金論文は日本軍「慰安婦」問題などの、会談では議論されなかった問題に関する請求権行使の余地を残そうとした韓国側代表の提案を指摘したのにも拘らず、朴は、むしろそれとは真逆の主張――韓国政府こそが日本軍「慰安婦」などの請求権を進んで放棄した――を展開するために用いたのである。こうした引用は単なる誤読を越えた、論文の趣旨の悪質な歪曲である。

 金論文をふまえて韓国政府の問題を指摘するならば、むしろ会談におけるこうした請求権をめぐる議論を政治的な考慮により取っ払い、足早に協定締結へと走ったことにあるといえるだろう。だからこそ、憲法裁の決定は、以下のように指摘するのだ。

「さらに、特に、韓国政府が直接、日本軍慰安婦被害者たちの基本権を侵害する行為をしたのではないが、上の被害者たちの日本国に対する賠償請求権の実現、及び人間としての尊厳と価値の回復において、現在の障害状態がもたらされたことは、韓国政府が請求権の内容を明確にせず、「すべての請求権」という包括的な概念を使って、この事件の協定を締結したことにも責任があるという点に注目するなら、被請求人〔韓国政府:引用者注〕にその障害状態を除去する行為に進むべき、具体的な義務があることを否認するのは難しい。

 すなわち、憲法裁判所の「決定」は、韓国政府にも責任があるがゆえに、そこから排除された人々の基本権を保護する「具体的な義務」がある、と論じたのだ。もちろん、韓国政府に責任があるといっても、憲法裁判所は朴のように請求人たちの賠償請求権が請求権協定によって失われたと主張したわけではない。むしろ日韓交渉でほとんど議論されなかった問題があり、依然として請求権があると主張する人々がおり、そこに相応の根拠がある以上、協定に基き解決するべき義務があると判断したのである。「決定」をきっかけとする「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と朴は切り捨てるが、歪曲と混同、事実誤認により勝手に被害当事者たちの権利を消滅させることにより問題を「悪化」させているのは、朴自身ではないだろうか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)

 日本軍「慰安婦」制度に関する日本政府や軍の責任について、『帝国の慰安婦』で朴はいかなる認識を示しているのだろうか。この極めて重要な論点について、本書はかならずしも明解に説明していない。これに限らず、本書を読む上での最大の障壁は、著者が何を言わんとしているのかをただちに読み取れない――つまり何を言いたいのかわからない――ことである。読み手の知識や情報の有無の問題ではない。論旨の展開や概念の使用が著しく明晰さを欠くためである。このため、以下では可能な限り本書の記述に基いて本書が何を言わんとしているのかを再構成したうえで、その「責任」論の特徴を検討したい。

1.「動員」の特殊な用法

 検討に先立ち、まずは本書における「動員」という語の極めて特殊な用法について触れておこう。第一章が「強制連行か、国民動員か」というタイトルであることから推測できるように、「動員」という語に、朴は本書で極めて特殊な意味を与えようとしたようだ。「与えた」と書かないのは、これほど重要な概念であるはずにもかかわらず、本書では「動員」あるいは「国民動員」について一切の説明が省かれているからである。このため、ここでは本書における「動員」の用例から、その意味を推しはかってみたい。

 まずは、代表的な用例を以下にあげてみよう(以下、強調はすべて引用者)。

国家――大日本帝国が軍人のために動員した慰安婦の最も重要な役割がここに示されている。性的に搾取されながらも、前線で死の恐怖と絶望にさらされていた兵士を、後方の人間を代表する女として慰安し、彼らの最期を〈疑似家族〉として見守る役割。〔中略〕それはもちろん国家が勝手に与えた役割だったが、そのような精神的「慰安」者としての役割を、慰安婦たちはしっかり果たしてもいた。」(77頁)
「もちろん、慰安婦までが軍隊化している慰安所の実態を、業者の責任にのみ帰するわけにもいかない。軍隊化された慰安婦の姿が、戦争への国民総動員のもうひとつの姿である以上、業者もまた、その構造の下に動いたことも確かだからである。」(110-111頁)
「本来なら巻き込まれずに済んだ他民族女性――朝鮮人慰安婦たちが〈自発と他意による動員〉をされ、日本軍の士気を高める役割をさせられ、苦痛の日々と送ったことに対して、日本国家はどのような言葉ででも応えるべきではないだろうか。」(252頁)

 大日本帝国が、あるいは日本軍が元「慰安婦」女性たちを「動員」した――本書はこう記している。一見すると、戦時動員体制の一環として「慰安婦」たちが組み込まれ、徴集されたと著者が認識しているように読める。だが実際にはそうではない。ここに注意が必要だ。むしろ以下の引用に明らかなように、朴の主張はそれとは正反対である。

「「慰安婦」を必要としたのは間違いなく日本という国家だった。しかし、そのような需要に応えて、女たちを誘拐や甘言などの手段までをも使って「連れていった」のはほとんどの場合、中間業者だった。「強制連行」した主体が日本軍だったとする証言も少数ながらあるが、それは軍属扱いをされた業者が制服を着て現れ、軍人と勘違いされた可能性が高い。たとえ軍人が「強制連行」したケースがあったとしても、戦場でない朝鮮半島では、それはむしろ逸脱した例外的なケースとみなすべきだ。」(46頁)
「訴訟者〔憲法裁判所への:引用者注〕の被害者団体の賠償要求の根拠は「強制労働」と「人身売買」であり、それが当時の国際法に違反するものだということにあった。しかしそのことを〈直接に〉犯した主体が「業者」だった以上、日本国には、需要を作った責任(時に黙認した責任)しか問えなくなる。そういう意味でも、法的責任を前提とする賠償要求は無理と言うほかない。」(191頁)
 
 すなわち、強制連行や人身売買、強制労働の主体は大多数は「業者」であり、日本軍ではない、というのが朴の主張なのである。「本書で試みたのは、「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした」(10頁)という割には、あまりにあっさりと強制連行された者の証言を「逸脱した例外的なケース」と断定しており、その根拠も本書においては示されていない。むしろ確かに証言が存在するならば――朴が証言を虚偽のものとして斥けない限り――日本国に責任を問えないという朴の理屈自体が通らないと考えざるをえない。そもそも朴は甘言による詐欺を強制性の範疇に入れていない。

 また強制労働について、朴は別の箇所で、「慰安婦たちを強制労働に近い形で酷使したのは、軍人だけでなく業者でもあった」(105頁)「一人の慰安婦に一日のうちに何十人もの相手をさせていたのは単に日本兵の圧倒的な数字と強制だけではない。業者たちもまたそのような軍の需要に協力、さらに率先して過重な労働を強制していた。」(107)「監禁、強制労働、暴行による心身の傷を作ったのは業者たちでもあった。」(113)と記している。業者がやったことを強調する文脈ではあるが、業者だけが行ったわけではないことは朴も認めている。にもかかわらず、法的責任を論じる段になると責任の一切を「業者」に転嫁してしまうため、本書の内的な整合性すら破綻することになる。

 それでは、そもそも本書のいう大日本帝国/日本軍による「動員」とは何を意味するのか。実は驚くべきことに、本書をどれほど読んでも、その意味は明確には示されないのである。ただはっきりしていることがある。ここでいう「慰安婦」の「動員」については法的責任を問えない、と著者が主張していることだ。以下の引用をみよう。

「この条約〔韓国併合に関する条約:引用者注〕が〈両国合意〉のものだとすると、その条約によって形は対等な併合でも、実質的には植民地となり、突然、日本人となった朝鮮人にとって、被害の補償の根拠は〈法的には〉存在しないことになる。慰安婦を被害者と規定して補償の対象とするべく立法をするためには、「植民地支配という不法行為による他国国民動員に関する補償」にならなければならない。しかし当時の併合が〈法的〉には有効だったという致命的な問題が生じるのだ。」(185頁)

 「韓国併合に関する条約」は合法的に成立したので、本書で朴がいうところの「慰安婦」の「動員」は「他国国民動員」にはあたらず、補償の法的根拠がない、よって法的責任を問えない、こう主張しているようである。朝鮮語版ではより明確に「韓日合邦[ママ]が日本の国民になろうという約束であった以上、「慰安婦」動員を「法的」に問題とすることもできない」(朝鮮語263頁)と記している。この理屈は非常に奇妙なものだが、これについて朴の日韓協定への理解とも関係するので、別の機会に触れたい。いずれにしても、「動員」という語を用いてはいても、日本の法的責任はない、というのが朴の主張であることがさしあたりは重要なポイントである。むしろ「動員」という語は、強制連行を否定する文脈において用いられているとすらいえる。

2.「需要」を作り出した責任/「黙認」した責任?

 これを踏まえたうえで、冒頭の問い――本書の日本軍責任論の特徴――の検討に移ろう。すでに示されているように、本書の重要な主張の一つは日本軍による強制連行を過小評価するところにあるが、だからといって朴が日本軍の一切の「責任」を否定しているわけではない。朴の「責任」論の重要なキーワードは「需要」と「黙認」である。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。軍が募集のやり方を規制したことをもって、慰安婦問題に対する軍の関与を否定する意見があるが、不法な募集行為が横行していることを知っていながら、慰安婦募集自体を中止しなかったことが問題だった。つまり〈巨大な需要〉に誘拐やだましの原因を帰せずに、業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない。慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた国家である。」(32頁)

 「強制連行があったか否か以前に」と留保しているが、朴が日本軍に強制連行や強制労働の責任はない、と主張していることはすでに見た通りである。ここで朴のいう「責任」とは、すなわち、(1)業者の不法な募集を横行させるほど多数の「慰安婦」の「需要」を作り出したこと、(2)業者の不法な募集を黙認したこと、の二つである。「軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった」として、注意深く「責任」の語を回避したうえで、「数」の問題へと矮小化している。軍の業者への指示には一切言及がない。

 とりわけ「需要」という用語を選ぶことの最大の問題は、そもそもの日本軍による軍慰安所設置の責任が問われないことである。「需要」という「客観的」な用語により、設置や運営の責任は一切捨象され、あたかもそれが当然に必要であったものであるかのように語られる。「戦争を始めた国家」の「責任」が抽象的に語られるが、肝心の設置・運営の責任は議論の俎上に登らない。読みようによっては、「不法な募集行為が横行」しない程度の「合法的」な募集であれば(そんなことが可能とは思えないが)、軍慰安所設置自体には何らの問題はなかったとも受け取れる記述である。後述するように、ここで朴のいう「責任」が、「法的責任」を伴わないものも含んでいることを考えると、この欠落は極めて重大なものといえる。

 設置・運営の責任について議論すること自体を回避する姿勢は、あえて「「軍用慰安婦」を発想した」という表現を使っていることからもわかる。「発想」という表現は同じく「慰安婦となる民間人募集を発想した国家や帝国としての日本にその〈罪〉はあっても、法律を犯したその〈犯罪性〉は、そのような構造を固め、その維持に加担し、協力した民間人にも問われるべきであろう」(34頁)というかたちで用いられている。「民間人にも」とする以上、当然、「国家や帝国」及びその一部である「日本軍」の「法律を犯したその〈犯罪性〉」も問われるべきであろうが、前述の強制労働の箇所と同様に、責任を論じる段になるとこうした叙述との整合性は放棄されてしまう。

 ちなみに、原著では「他の地に軍隊を駐屯させ、長い間戦争を行うことにより巨大な需要を作り出したことだけをみても、日本はこの問題で責任を負わねばならない第一の主体である。加えて、規制したとはいえ不法な募集が横行した事実を知りながらも募集自体を中止しなかった点でも日本軍の責任は大きい。黙認はすなわち加担することでもあるからだ。」(朝鮮語版25-26頁)という比較的おさえた表現であったが、日本語版ではより明確に「需要」創出と「黙認」に「責任」が限定されている。

 同趣旨の主張をしたもので、日本語版のみにある記述を一つ引用しておこう。

「安倍晋三首相は慰安婦を、韓国のかつてのキーセンハウスと比較したことがある(『歴史教科書への疑問』一九九七、三一三頁)。しかし、慰安所は戦争遂行と軍人のための場所だった。もっとも、七〇年代の韓国が日本からの観光客目当てに女性たちを配置したキーセンハウスは、国家の外貨稼ぎのためになると考えられた点で、かつての「からゆきさん」と同じ構造を持つものだった。とは言っても、慰安所の多くは、遠くに移動させられ、生命を脅かされ、暴力が日常化されていた場所にあった。そして朝鮮人慰安婦は、絶対服従命令に慣らされていた軍人たちにとって、自分たちの権力を行使しうる唯一の対象にもなっていた。朝鮮人慰安婦問題における日本の責任は、そのような構造に女性たちが置かれることを黙認し、ときに進んでその構造を作ったことにある。」(234頁)

 「黙認」の責任がここでも強調されている。連行や労働への軍による強制性を否定するという前提があるため、因果関係が明確にならず、「慰安所の多くは、遠くに移動させられ、生命を脅かされ、暴力が日常化されていた場所にあった」というような不自然な表現にならざるをえないのだろう。冒頭で本書の読みづらさを指摘したが、これは無理のある議論の展開と密接な関係があるといえる。

 そして何よりも重要なポイントは、これらの「責任」についてすら、朴は「法的責任」を認めないということである。
 
「そういう意味では、慰安婦たちを連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的」責任は、直接的には業者たちに問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うことは難しいことになるのである。」(46頁)

 つまり、「黙認」「需要」創出というそれ自体極めて問題含みで、限定された日本軍の「責任」すら「法的責任」は問えない、というのが本書における朴の主張である。こうした「法的責任」論を理解したしたうえで再びこれまで検討した朴の主張を振り返ると、本書が法的責任を排除したより広義の「責任」すら、日本軍については極めて限定的にしか認めていないということに、改めて驚きを禁じえない。これらの「責任」に関する解放後の日韓交渉における議論への本書の評価については、改めて検討することにしたい。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-03 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)

 朴裕河『帝国の慰安婦』の日本語版が出版された。改めてこの本を要約すれば次のようになろう。

〈朝鮮人や台湾人の日本軍「慰安婦」は、日本人と同様の「帝国の慰安婦」なのであり、敵国である中国や東南アジアの人々とは異なる存在であった。日本軍による朝鮮人への暴力的な拉致や強制連行も存在せず、大多数は「業者」によってだまされた人々だった。「慰安婦」とされた女性たちも占領地の女性たちとの違いを理解しており、むしろ日本軍兵士に共感を寄せ、「同志意識」を抱いた人もいたが、そうした感情は解放後の韓国での圧力で語れなかった。日本軍の責任を問う根拠となる「法」はなく、むしろ元慰安婦女性たちの個人請求権を日韓会談で放棄したのは韓国政府であり、個人補償相当分の金額を日本政府から受け取っていた。よって日本政府に法的責任を問うことできない。韓国の運動団体や政府は本質的には補償だった「国民基金」を拒否し、無理な日本への責任追求を繰り返して、むやみに日本を右傾化させた。いまこそ対話を進めて「慰安婦問題を解決」し、女性たちを「一人の個人」へと帰してあげるべきだ〉

 ほかにも色々と論じているが、骨子をまとめればこういったところになるだろうか(ただ意外なことに、本書を読んでも結局のところ「慰安婦問題の解決」が何を指すのかはわからない)。

 以前に本書の朝鮮語版について、その「方法」が非常に恣意的であり、疑わしいところが多いと指摘したことがある(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について」)。今回の日本語版出版に際し、こうした観点から朝鮮語版との異同がどの程度あるかを確認してみた。仔細かつ全面的な検討とまではいかないが、朝鮮語版のころから気になっていた箇所について興味深い修正がなされたので紹介したい。

 原著には次のような一節がある。

「慰安婦の募集は比較的早い時期になされたが、「挺身隊」の募集は戦争末期、すなわち一九四四年からだった。そして挺身隊とは朝鮮人たちを対象にしたものではなく日本で施行された制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」、「国民勤労報国協力令」、「国民勤労動員令」などへと名前を変えてゆき一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにしたが、「一二歳以上」が対象となったのは一九四四年八月だった(日本ウィキペディア「女子挺身隊」の項目)。/それさえも、「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」。」(p.43)

 はじめこれを読んだとき、内容以前にwikipediaの項目を出典として示していることに驚いた。朝鮮植民地支配や戦時動員という極めて論争的なテーマの出典としてwikipediaを指示することは、なかなか「勇気」のいる行為である。しかも閲覧日の記載がないため、どの時点の記事を参照してよいのかわからない(巻末の参考文献一覧には項目自体が記載されていない)。また、末尾に「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」とあるが、この一文を読む限りでは、何が「発動されなかった」のかわからない。引用のようだが出典が明らかでないため、確認もできない。

 さすがにこのまま翻訳されてはおらず、今回の日本語版では次のように修正されている。

「慰安婦の募集は早い時期からあったが、「挺身隊」(=勤労挺身隊)の募集は戦争末期、一九四四年からだった。そして挺身隊は最初から朝鮮人を相手に行われた制度ではなく、日本で行われた制度だった。日本は一九三九年から「国民徴用令」「国民勤労報国協力令」「国民勤労動員令」など名前を変えながら一四~四〇歳の男子、一四~二五歳の未婚女性を国家が動員できるようにした。そして一二歳にまで募集対象年齢が下がったのは、一九四四年八月だった(チョン・ヘギョン(鄭恵瓊)二〇一二)。/それさえも、「朝鮮では公式には発動されなかった」(イ・ヨンフン(李栄薫)二〇〇八、一二〇頁)。」(52頁)

 この修正により、当初は出典のなかった「植民地朝鮮では公式的に発動されなかった」の意味が、李栄薫の論文が根拠であることがわかった。さて、問題はwikipediaである。他の出典表示に修正されているが、一読すればわかるように、本文は全く修正されていない。本当に鄭恵瓊論文がこの記述の出典たりうるのか疑わしく思い、元の論文にあたったところ、さしあたり二つの問題点が見出された。

 第一に、書誌情報が誤っている。巻末の文献一覧には、鄭恵瓊「勤労挺身隊支援条例 制定の意味と今後の課題」(光州広域市議会主催『第三十六回政策討論会資料集』、2012.12)とある。だが論文の正確な題は鄭恵瓊「女子勤労挺身隊被害者支援の意味と今後の展望」であり、韓国の光州広域市議会主催で2012年2月に行われた朝鮮女子勤労挺身隊の支援に関する討論会での報告を活字化したものだ(なお、この報告は光州広域市議会HPより全文がダウンロードできる。)

 第二に、鄭報告の内容は、朴の叙述の根拠としては不適切である。鄭報告は、「朝鮮女子勤労挺身隊とは、日帝によりアジア太平洋戦争末期の労働力不足を充当するため、植民地朝鮮から多数の未成年女性らを動員し労働力を収奪した人的動員を意味する。主として朝鮮半島と日本本土へと動員された」という前提のもと、戦時期末期における朝鮮人女性労働力の搾取・動員とその被害状況を概観し、支援条例案についてコメントしたものだ。鄭は、朝鮮では1944年の女子勤労挺身隊による動員が開始する以前より工場に幼い少女らた動員されており、紡績工場の平均年齢は12.4歳で、10歳以下の者も18.9%いたと指摘する。そして、挺身隊による動員はこうした少女たちへの労働力搾取を合法化したものだったと位置づけた。

 鄭報告のこうした要旨を理解したうえで、改めて上の引用文を読むとその出典表示の奇妙さがただちに理解できる。朴は日本人を対象とした勤労動員の拡大を時系列的に叙述しているが、鄭報告はそれとは異なり朝鮮人女性を対象とした勤労動員を主題にしたものだ。wikipediaに従って書いたものを、体裁を整えるために無理に他の出典表示に置き換えたため、不適切な引用となってしまったのだろう。

 こうした杜撰さは本書の重要な特徴というべきであるが、もちろん最大の問題はこうした「方法」によって導き出される朴の主張それ自体である。本書は基本的には前著『和解のために』と同様の問題点を継承しており、その限りでは、前著への金富子や徐京植による批判で事足りる。そもそも個別の主張がそれぞれ成り立つかすら大いに疑わしいが、もし本書に前著と比較して新しい主張があるとすれば、それはタイトルにもなっている「帝国の慰安婦」という規定に示された植民地認識であろう。これは、理屈としては朝鮮人強制連行否定論が多用するレトリック、朝鮮人もまた「帝国臣民」として日本人と同様に動員されたのだから、特殊な「朝鮮人強制連行」などはない、とほぼ同じである。だがより問題が根深いのは元「慰安婦」女性たちの内面をさまざまな恣意的な史料の接合により作り上げ、あたかも朝鮮人女性側もそのような構図に納得し、内面化していたかのように主張するところである。本書では一見著者が植民地支配責任を問うかのような素振りを見せるところがあるが、そこで語られる「帝国」の問題云々は極めて抽象的かつ空疎な言明にすぎず、実際には韓国併合条約については明確に合法的に成立したと述べており、戦時動員や強制労働と人道に対する罪の問題なども全く論じられることはない。むしろ前述したように、一貫して「帝国」の一部だったのだから、それを問う「法」はない、と繰り返すのみである。こうした前提に立つ「解決」とは何なのか、そこで表明される植民地認識とはいかなるものなのか。

 日本語版には、この問いへの答えが明瞭に示された追加の記述がある。以前にも触れた「同志」云々に関連する箇所だが、ここで朴はまずある「証言」を引用する。挺対協の編んだ証言集に記録された「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だから。わたしが間違った世の中に生まれたのも私の運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない」という証言である。この「証言」を朴はどう解釈するか。まずは朝鮮語版を引こう。

「慰安婦体験を「運命」だと語る者は我々の前にもいる。いわば全く同じ苛酷な「運命」を負っても、その運命への「態度」は慰安婦ごとに異なっていたのであり、今も異なる。この彼女は日本軍ではない業者を「暴行」の主体と記憶する。
 苛酷な体験をした者達にも「楽しかった」瞬間は無くはなかったし、軍人に身の上話をしながら精神的交換を分かち合う「慰安婦」もいなくはなかった。この者たちは国家により故郷を離れ、遠い他の土地へと移動しなければならなかった「蟻」の境遇であったことを互いに敏感に感知した孤独な男女でもあった。
 もちろん繰返すが、愛と平和の同志がいたからといっても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変わらない。それはいかなる名誉や賞賛が伴うといっても戦争が地獄であるほかないことと同様である。しかしそうであればいっそうそうした地獄を生き抜く力となった憐憫と共感、そして憤怒より運命へとかえる姿勢もまた記憶されねばならない。」(p.75-76)

 この解釈の問題については、以前にも言及したのでひとまず措こう。この箇所は、日本語版では以下のように大幅に書き加えられている。

「慰安婦の体験を「運命」と話す人は、小説の中にのみいるわけではない。現実の慰安婦のなかにも、自分の体験を「運命」とみなすひとはいた。自分の身に降りかかった苦痛を伴った相手を糾弾するのではなく、「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは、彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる。
 しかし、被害を受けた側のこのような姿勢や態度は、これまで注目されることがなかった。それ以上に、慰安婦と兵士が共有する憐憫の感情も理解されることはなかった。国家の抑圧の中で待っていた共感や憐憫の記憶を無化したまま、抵抗や憎しみの記憶だけが受け継がれてきたのである。
 このような日本兵士や慰安婦の思いや言葉が受け止められてこなかったのは、彼らの関係を単に対称的なものと捉えてきたからである。記憶の選択には、当事者のみならず、受け止める側の感情や感性もかかわってくる。」(92-93頁)

 「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している」――これは証言者の言葉ではない。著者である朴の言葉であり、解釈である。日本語版において追加されたこの箇所には、ある意味では本書の最も本質的な問題が凝縮してあらわれている。朴はあらかじめ「彼女〔証言者:引用者注〕の世界理解が間違っている」というニセの批判を対置しているが、ここで本来問われているのは、証言者の言明ではなく、それを「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している」という鋳型へと流しこむ、そして、そうした解釈を日本語圏の読者にのみ提示する朴自身の「世界理解」である。ここではそうした書き手の責任が、あまりにもあからさまに証言者の責任にすり替えられている。「何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではない」とはいかなる意味なのか、なぜそのようにいえるのか。「被害を受けた側」がこれは「運命」であると理解し、「許す」ことが、なぜ「和解へと導くひとつの道筋」になりうるのか。これを証明すべき者は「証言者」ではない。朴自身である。

 本書において筆者は明確に、植民地支配を「不正義」と認識してこれを批判・糾弾する立場を放棄するよう朝鮮人側に求めている(しかも「証言者」の言葉を借りて)。それは、日本人に対して「帝国」の側からの憐憫と同情を示すことを促すかのような叙述と対応している。本書については早速日本では好意的な紹介がなされている。今後もされるであろう。本書の内容も去ることながら、今後、誰が、どのような形で好意的に紹介するかにもあわせて注目すべきであろう。本書はある意味ではその対応を通じて評者たちの「見識」を露わにせずにはおかない、ある種の破壊力を持っているからである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-12-31 00:00 | 歴史と人民の屑箱

批判と解剖――金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」とその後の「弁明」について(終)

 はじめに記しておくが、金明秀のツイッターでの「反論」を扱うのは、ひとまずこの記事をもって最後としたい。

 そもそも私が金のエッセイを批判したのは、「朝鮮学校の存在が日本のためになる」ことを周知させる努力をすべきだ、という在日朝鮮人運動への「提言」が、極めて危険なものであると考え、その危険性について広く警鐘を鳴らしたかったからだ。現在に至っても執筆時のこの考えは変わっていない。むしろ朝鮮学校が日本にとって「リスク」ではなく「メリット」であると主張せよ、という「提言」への批判の必要性はさらに高まったとすらいえる(関連する記事にタグ付けしてまとめておいたので、参照していただきたい)。

 しかし、金明秀の「反論」はほとんどの場合、正面からの反批判というよりもただの言い逃れに過ぎず、その多くは支離滅裂で著しく明晰さを欠き、無闇に術語を濫用するため自ら制御不能に陥っている。弁明それ自体が互いに矛盾することすらある。何より、エッセイの「趣旨」「核心」「本来の論点」の名のもとに、明らかにエッセイそれ自体から読み取れない「新説」を展開して糊塗しようとするため、エッセイをめぐる筆者本人との論争が成り立たない。

 前回の記事で、「術語のマキビシ的使用」により批判を撹乱する手法について指摘したが、無限に「趣旨」や「意図」を後出しし続けるこうした手法も撹乱術としてよくみられるものである。あるサイトでまとめられている與那覇潤の論法(「與那覇潤先生の隠されたモチーフ一覧」)などはその典型といえる。これらは「研究者」を称する者たちのツイッター遊泳術を知るうえでは興味深いともいえるが、主張の検討に先立って、不誠実な弁明の欺瞞性や「反論」それ自体の矛盾を解剖し、暴かねばならないのは端的にいって徒労である。できれば、今回をもって金のツイッターでの弁明に直接応じることは最後としたい。

 まず基本的なことを確認しておきたい。私の批判は金明秀が2011年に書いた下記のエッセイに向けられている。

金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」

 金はこのエッセイの「趣旨」について、先日下記のように再説した(強調は引用者。以下同)。

「件のエッセイの趣旨は、(1)後期近代における排除型社会では、マイノリティの存在がリスク視され、リスクを嫌う人々から何重にも排除されることがある(=前近代的な差別がリバイバルしているように見えることがある)、」

「(2)したがって、排除型社会におけるマイノリティは、差別を禁じた近代的規範を呑気に信用していては危険であり、後期近代的な状況に対応して自らリスク回避の努力をする必要がある。」

「(3)その種の生存戦略は、近代的規範に照らせば屈辱的だと映るかもしれない。だが、近代的規範の普及期には、在日一世たちは実際にその種の生存戦略をとってきたことを想起すべき。そして一世たちにならって、まずは生き延びることを重視すべき。」

「(4)その種の生存戦略において重要なことは、マイノリティの存在そのものをリスク視するような認識フレームを転換することだ。事実、各種の調査研究を参照すると、リスク視されないマイノリティはどこの国でも(差別にはさらされていても)多重排除にはさらされていない。」

「(5)例えば、「朝鮮学校は日本のためになっている」という認識が日本には(そして総連コミュニティにも)存在しないため、そこを強調することで認識フレームを転換することができるかもしれない。」

「(5')試しにブログやツイッターで「朝鮮学校は日本のためになっている」という言説を投げかけてみたところ、思想的には左右両側面から《驚いた》という反応を受ける。認識のフレームをある程度揺るがすことはできているということだ。実践する価値はある。」

「…というものだ。このエッセイの中でぼくがもっとも主張したかったことは、他でもなく(1)である。社会学を学ぶ者にとっては自明の時代認識といえるこの知見が、しかし、一般にはあまりにも共有されていない。その危機感が書かせたエッセイだといってもいい。」

 まず金のいう「もっとも主張したかったこと」の奇妙さに触れておこう。金は「エッセイの中でぼくがもっとも主張したかったことは、他でもなく(1)」だという。つまり、「後期近代における排除型社会では、マイノリティの存在がリスク視され、リスクを嫌う人々から何重にも排除されることがある(=前近代的な差別がリバイバルしているように見えることがある)」ということをあのエッセイで言いたかった、というのだ。

 だが、冒頭に掲げた金のエッセイを読んで、この弁明を信じるものなどいるだろうか。金は現代は「リスク社会」(「再帰的近代」あるいは「後期近代における排除型社会」でもよい)という認識を前提に、だからこそ、「他者」が金の推奨するような「リスク・コミュニケーション」をせねばならない、と「提言」した。前段は明らかに後段を議論するための前提である。もし金のエッセイの「もっとも主張したかったこと」が前段であるならば、普通あのような書き方はしない。エッセイを読むと、前段(前提)と後段(提言)がベックの「リスク社会」論によってつながっているように読めるが、実際には前段からただちに後段の「提言」が導かれるわけではない。だから、後段の提言だけを金の地の文として読み、それ自体を検討の俎上に載せれば充分なのである。

 ちなみに、エッセイでベックの「リスク社会」という用語がキーワードとなっているにも拘らず、今回の弁解で「後期近代における排除型社会」へと変化しているのは、ベックの誤用を指摘されたからと考えられる。

 私はかつて、そもそもベックは、いまはリスク社会だから「他者」とされた側がリスク・コミュニケーションせよ、などとは一言も書いてない、ベックはハッタリで使われているだけだから無視して構わない、と指摘した。これをうけて金は「なるほど、「ハッタリ」だという指摘は完全な誤りというわけでもない。震災直後、リスク論に世間の注目が集まっていたので、いい機会だと思って名前を借りたという側面は確かにある。また、本来の論点は「再帰的近代における他者論」なので、ベックよりもさらに適切な研究者はいる。」「でもね、「再帰的近代(あるいはリスク社会あるいは排除型社会)における他者」という問題設定そのものはハッタリじゃないんだよ。あなたの言うとおり、ベックはそういう趣旨では書いてないんだけど、この分野ではむしろオーソドックスな問題設定なんだ。」と弁解した。

 この「本来の論点」云々の弁明がなされた時点で、やりとりを打ち切るべきだったと今では思っている。私は金明秀流の「リスク・コミュニケーション」を促す提言に、関係のないベックを使って飾り立てたことを「ハッタリ」だと指摘した。しかし、金は、私があたかも「再帰的近代(あるいはリスク社会あるいは排除型社会)における他者」という問題設定」を「ハッタリ」だといっているかのように歪曲し(「なるほど、「ハッタリ」だという指摘は完全な誤りというわけでもない」としているにも拘らず)、しかも自らがキーワードとして用いた「リスク社会」をさっさと捨ててしまった。こうした議論のすりかえが行われる時点で、もはや議論は成立することは困難であると気付くべきだった。いずれにしても、これ以降金は、私への反論にあたって、エッセイでキーワードとして用いた「リスク社会」という用語を避けるようになる。

 さらに驚くべきことに、今回金は次のように「反批判」するに至った。

「二つ目の論点は、後期近代における排除型社会の問題について。鄭栄桓は「再三説明した」と主張しているが、論拠はいつもベックを頼りにした薄弱なもの。しかもリスク社会における「他者」という問題設定そのものがハッタリであると述べているのではない、などと後出しじゃんけん並みの言い訳が苦しい。」

「後期近代において、マイノリティが多重に排除される傾向があるということについては、多数の論者が指摘していることであって、むしろベックは例外的にそれを認めない学者だ。ぼくがそれを引き合いに出したことを責められるならば仕方がないが、問題の重要性自体を等閑視されては困る。」

「件のエッセイの核心は、次の二つのツイート(とりわけ1)にある。
(1) http://twitter.com/han_org/status/487014320794923008 …
(2) http://twitter.com/han_org/status/487015286424338432 …
にもかかわらず、鄭栄桓は一貫してその論点を理解しそこなっている。反論するなら、この2点について反論すべき。」

 ついにベックは「マイノリティが多重に排除される傾向」を「例外的に」「認めない学者」になってしまった。

 しつこいようだがもう一度確認しておく。金はエッセイでベックの「リスク社会」という概念を一つの手がかりに自説を展開した。これに対し私はベックの誤用であると批判した。すると金は、エッセイで本当に依拠したのはベックではないと弁解し、しかも今回、私が「マイノリティが多重に排除される傾向」を「例外的に」「認めない」ベックを頼りにした「薄弱な」批判を金に向けていると言い出したのである(ちなみに、私がなぜ金のベックの援用が「ハッタリ」だと考えたかは批判の初期の段階から説明している)。

 さらに、金は次のようにも書いている。

「おそらく、現時点で鄭栄桓はこの論点に反論できるほどの材料を持ち合わせていないのであろう。専門性からいって、それもしかたなかろう。だが、もしそうであれば、学者としてとるべき態度は、批判よりも前に質問をすることだとぼくは思う。」

 ベックを論拠にしたエッセイへのベックに即した批判に対し、お前はベックしか頼りにしてないではないかと「反論」されては、もうお手上げである。しかも、それが私の無知の責任であるとされている。他にも近代的規範の普及期には、在日一世たちは実際にその種の生存戦略をとってきたことを想起すべき」などと指摘しており(もちろんその論拠はあげられていない)、もはや当初の現代社会固有の特質に合わせた(新しい)リスク戦略の提唱とは全く関係のない話になってしまっている。全く支離滅裂というほかない。

 次に移ろう。今回の投稿で、金はエッセイの「核心」が上の「趣旨」の(1)と(2)である、と書いている。「もっとも主張したかったこと」は(1)だったと思うのだが、まあよい。(2)を再掲しよう。

「(2)したがって、排除型社会におけるマイノリティは、差別を禁じた近代的規範を呑気に信用していては危険であり、後期近代的な状況に対応して自らリスク回避の努力をする必要がある。」

 これがエッセイの「核心」だというのだ。だが、もしエッセイにこの通りのことが書かれていたならば、私はわざわざ批判などは書かなかっただろう。気になる点がないわけではないが(権利を要求する運動を展開することと「差別を禁じた近代的規範を呑気に信用」することは全く別のことだ)、特に気にかけずに読み捨てたと思う。

 だが、エッセイには、これよりもはるかに多くのことが書かれているのだ(もちろん量的に多いという意味ではない)。金は単に「リスク回避の努力をする必要がある」というに留まらず、その具体的な「リスク・コミュニケーション」の提言として、朝鮮学校が日本社会にとって「メリット」であると積極的に主張せよ、と書いた。しかも、場合によっては「朝鮮学校は日本の国益につながっている」とも「反論」せよと主張したのである。単に「リスク回避の努力をする必要がある」と述べただけではない。

 このように、金のあげた(1)も(2)も、エッセイからは遠く離れた全くの「新説」である。しかも金は、この(2)について改めて以下のよう主張を展開した。

「三点目の論点。鄭栄桓はたった一度であっても「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などというレトリックを用いるべきではない、という。ところが、現在の朝鮮学校は(「日本の国益」という言葉は使わないまでも)日本社会に寄与することを教育理念にすえている。」

「鄭栄桓は「マジョリティに独占的な解釈権がある」ことを上述の主張の理由に挙げているが、マイノリティは多かれ少なかれあらゆる主張の解釈権をマジョリティに握られている以上、何も主張すべきでないと言っているも同然である。あまりにもナンセンスな根拠で、朝鮮学校の実践を貶めていることになる。」

「だが、鄭栄桓からは現状維持以外の主張が何一つ聞かれない。それどころか、実際に採用されている生存戦略のひとつを「一度であっても…用いるべきでない」という。いったい、どうしろというのか。座して死を待てというつもりか。」

 この弁明に至ってはもう呆れるほかない。まさしくただの詭弁である。朝鮮学校は「日本社会に寄与することを教育理念にすえている」、それなのに鄭は「朝鮮学校は日本の国益につながっている」というレトリックを用いるなという、鄭は「実際に採用されている」生存戦略を否定し、「朝鮮学校の実践を貶めている」……これで何がしかの反論になりうると本気で考えているのだろうか。

 朝鮮学校が本当に「日本社会に寄与することを教育理念にすえている」かどうかはひとまずここでは措こう。「日本社会に寄与することを教育理念にすえている」と「日本の国益につながっている」ことは、全く同じではないからだ。金はこれらを置き換え可能なものであるかのように書いているが、両者を近しいものと考えているのだろうか。だとすれば、驚くべきことである。「あまりにもナンセンスな根拠で、朝鮮学校の実践を貶めている」のは金の方である。

 そもそも金は「「朝鮮学校は日本のためになっている」という認識が日本には(そして総連コミュニティにも)存在しないため、そこを強調することで認識フレームを転換することができるかもしれない」と考えてエッセイを書いたのではなかったのか。それが「実際に採用されている」なら、なぜ金はあのようなエッセイを書いたのだろうか。

 また、「日本社会に寄与することを教育理念にすえている」ことと、無償化除外を批判する際に、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と「反論」することは、全く異なる次元に属する別の問題である。もし仮に、朝鮮学校が文科省や自治体への「反論」としてではなく、自らの教育理念として「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などということを据えているならば、なおさら私としては批判の声を高めなければならないと考える(流石に現状はそんな馬鹿げたことを「教育理念」にしている学校は存在しない)。そもそも金のエッセイへの批判を書いたのは、そのような事態を避けるためだったからだ。

 「朝鮮学校の存在が日本社会のメリットとなる」とか、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」といった主張をした場合、いうまでもなく、朝鮮学校が「メリット」かどうか、「日本の国益につなっている」かどうかを判断するのは、「日本社会」あるいは「日本」の側にいる者である。マジョリティに「独占的解釈権」がある、と書いたのはそのような文脈においてである。実際に圧倒的に非対称な力関係のもとにいるにもかかわらず、わざわざマイノリティの側がマジョリティの土俵に乗って勝負をすることが馬鹿げていることは自明であろう。金の「提言」こそが、こうした非対称な力関係を前提とした、ただの現状維持の要求なのである。在日朝鮮人は常日頃そのような馬鹿げた土俵に乗ることを強要されている。だからこそ、権利や歴史的責任といった普遍的理念に依拠することが、重要なのだ。

(追記 7/14)

 金明秀がまた新しいエッセイの「趣旨」と「メッセージ」を開陳しているので以下に記録しておく。ちなみに「最後っ屁」というのは上の記事、「人格攻撃を繰り返す輩」は私を指す。「目標を達成するのに「この道じゃなきゃダメだ」と強弁する輩」も私を指すと思われるが、私は、金明秀の道がだめだ、といってるだけであって、「この道じゃなきゃダメだ」などとは書いていない。いずれにしても、金は「みんな」に読んでもらいたいようなので、ご一読いただいたうえで各自がその是非を判断していただきたい。それにしても「建国時のゲリラ戦を思い出せ」といわれても、私たちは日本にとってのメリットです!とか、私たちは日本の国益とつながっています!と主張して「ゲリラ戦」を闘った朝鮮人などどこにいたのだろうか。「建国大学の親日派を思い出せ」の間違いではないのか。

「この最後っ屁の中にはいくつも突っ込みどころがあるけど、とりあえず一番最後のところね、「わざわざマイノリティの側がマジョリティの土俵に乗って勝負をすることが馬鹿げていることは自明であろう」という部分。そんなの当たり前の話だ。ぼくはハナからそんな主張はしていない。」

「マジョリティの偏見のゲームに乗っかってしまうのは、マイノリティの抵抗の戦略としてはけっして最善ではない。 http://togetter.com/li/141916 そんな次元の話だと思い込んで人格攻撃を繰り返す輩を生じさせてしまったのは、まあぼくの書き方にも足りないところがあったんだろう。」

あえていうなら、「土俵に乗っかるフリして引っ掻き回すぐらいのゲリラ的戦略が必要」というのがあのエッセイの趣旨だった。繰り返しになるが、特定のイデオロギーに毒されていない人たちからは、おおむね正確に理解していただいていると理解している。」

「逆に言うと、あのエッセイは全般的に好意的に受け止めていただいたが、ごく一部に非常に強硬に反発する人がいた。そろって、伝統的なナショナリストだ。後期近代の議論を理解できる素地がないうえ、ナショナリズムを重視する立場に対して重大な挑戦を受けたとでも感じられるのだろう。」

あのエッセイには、ナショナリズムに固執する者たちに対して、「建国時のゲリラ戦を思い出せ」と示唆するメッセージをこめた。今はそれだけ厳しい時代だと。国家に依存してやっていける時代ではなくなったぞと。それを理解できないのは、ナショナリストとしても問題があるんじゃないのかな。」

「何かを実現するためにはたくさんの道がある。みんなが使っているけど古くなってほころびが出ている道もあれば、険しくて誰もが通れるわけじゃないけど最短距離で近づけるような道もある。どれかひとつの道が優れているわけではなく、道の数が多ければ多いほど、トータルとしてゴールの実現は近くなる。」

目標を達成するのに「この道じゃなきゃダメだ」と強弁する輩がいる。それは、目標を達成することそのものよりも、目標への到達手段のほうを重視するイデオローグだ。目標よりも手段を重視するイデオローグは、そのとき耳に心地よい正義を語ろうとも、いつかきっとみんなの前に立ちはだかることになる。」

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-07-13 00:00 | 歴史と人民の屑箱

金明秀の「術語のマキビシ的使用」について

 金明秀のツイッターに私への「反論」が掲載された。今回の金の批判の趣旨は、私の批判は詭弁である、というところにあるようだ。金の人柄がとてもよくあらわれた「反論」なので、以下に検討してみたい(強調は引用者。以下同)。

「天邪鬼みたいな輩に都合よく切り出されて利用されるようだと、やっぱり鄭栄桓にもちゃんと反論する必要があるのかな。でも、あれは批判もずれているうえに、自分が書いた文章に自分で解説するような作業を伴うので、どうもやる気が出ないんだよね。ブログに書くと大手サイトに転載されるのも面倒だし。」

「このエッセイは、いくつかの朝鮮学校で好意的に読んでいただいているとの話を伺っている。たいへんありがたいことだ。 / リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題 http://han.org/blog/2011/07/post-154.html …」

「ただし、ロジックの一部に、「朝鮮学校は日本のためになっている」という命題を含んでいるので、「日本の役に立たないなら朝鮮学校は存在してはならないということか!」と怒鳴り込んでくる人がいる。それについて、反論を書いておきたい。」

かりに「AはBである」が真でも、その裏「AでないならBでない」が真だとはかぎらない。中学生でも知っていることだけど、しばしば人はこうした発想にとらわれる。「前件否定の虚偽」といって、よく知られた論理の誤りだ。詭弁の手法の一つでもある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81#.E5.89.8D.E4.BB.B6.E5.90.A6.E5.AE.9A.E3.81.AE.E8.99.9A.E5.81.BD_.28denying_the_antecedent.29 …」

「裏の命題「AでないならBでない」が常に偽だというわけではないので、もし裏の命題がなんらかのリスクを含んでいるなら批判の対象にはなりうる。だが、それはあくまで、「『AならばB』という命題が『AでないならBでない』という誤解を生じるようだといけない」という趣旨でなければならない。」

「言い換えると、「朝鮮学校は日本のためになっている」(AはBである)という命題に対して、「日本の役に立たないなら朝鮮学校は存在してはならないということか!」(AでないならBでないというのか!)と反論するのは、典型的な前件否定の虚偽ないし詭弁だということだ。

「何の話かというと、これのことだ。 http://kscykscy.exblog.jp/18212443/
あまりにも自明の誤謬なので、武士の情けというか、なんとなくバカバカしくてこれまで前向きに反論する気にならなかったのだけど、名誉毀損として作用することがあるようなので、書き留めておく。」

「鄭栄桓に対する反論終了。以下は、落穂ひろい的に前述のエッセイをめぐる論点を列挙していこう。」

 まず内容以前の問題として、金は「前件否定」を誤って用いている。確かに「かりに「AはBである」が真でも、その裏「AでないならBでない」が真だとはかぎらない」。だが、少なくともこれだけでは「前件否定の誤謬」にはあたらない(金が貼り付けているwikipediaの解説を見よ)。ただ「逆は必ずしも真ならず」というだけである。

 しかも、金が持ち出す具体例は「AでないならBでない」にすらなっていない。「朝鮮学校は日本のためになっている[日本のためになる学校である]」(AはBである)という命題の裏は、「朝鮮学校でないなら、日本のためにならない[日本のためになる学校ではない]」(AでないならBでない)である。どうこねくりまわしても、「「日本の役に立たないなら朝鮮学校は存在してはならないということか!」(AでないならBでないというのか!)」にはならない。そもそも「朝鮮学校は存在してはならない」は当為の言明なのであるから、「AでないならBでない」という命題の具体例になるはずがない。しかもAとBの対応関係すら合っていない。詭弁だと主張したいのならば、せめて自説の説明くらいはまともにしたらどうだろうか。

 また、金は私が「日本の役に立たないなら朝鮮学校は存在してはならないということか!」と批判したかのように書いているが、私はこのような文を書いていない。つまりこれは金の「要約」であるが、具体的にどの箇所を指しているのかすら明らかではない。大して長い文章ではないのだから、正確に引用して適宜反批判すればよいだろう。これでは議論になどなりようがない。

 「詭弁」について、もう一つあげておこう。

「「AにはBが含まれる」とか、「Aには例えばBがある」のように、「あるBはAである」と叙述する文章を「特称命題」という。それに対して、「AとはBのことだ」とか、「Aは常にBだ」のように、「すべてのBはAである」と叙述する文章を「全称命題」という。」

「特称命題(ある犬は逆立ちをする)から、全称命題(すべての犬は逆立ちをする)へと飛躍することを、「早まった一般化」という。これはとてもよく知られた論理の誤りであり、また、詭弁の作法の一つでもある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81#.E6.97.A9.E3.81.BE.E3.81.A3.E3.81.9F.E4.B8.80.E8.88.AC.E5.8C.96_.28hasty_generalization.29 …」

「ぼくはエッセイの中で、認識のフレームを転換するような運動の一つとしてある提案を行った。例示したものである以上、特称命題だ。「認識のフレームを転換する運動(A)に、ある提案(B)は含まれる」。よって、そこから「金明秀はある提案(B)がすべてだと主張している」と読み取れば誤り。」

「ここで「ある提案(B)」といっているのは、前述の(5)のこと。ぼくは(4)を主張するために、その具体例として(5)を提案したわけだ。言い換えると、(5)の他にも(4)を実践するための手法は無数にありうる。ぼくが提案したのはあくまで一例だ。」

「ただ、エッセイの中では、「あくまで一例にすぎない」とまではハッキリ断ってはいなかったので、鄭栄桓から最初に批判を受けたときはむしろありがたいとすら思った。特称命題を全称命題だと誤読させる危険性を減らしてくれた、と考えたからだ。」

「しかし、当の鄭栄桓が、ぼくが全称命題を述べたと勘違いをして、執拗に人格攻撃を繰り返すに至っては、正直げんなりしている。以上、二つ目の落穂ひろい的論点。」

「なんかもう、本当にくだらない。ぼくはなんでこんなことを書いてるんだろう。」

 おそらく必要だから書いているのであろう。さて、ここでの全称命題/特称命題云々は無視してよい。金の主張を「翻訳」すると以下のようになる。

 エッセイで自分は「「認識のフレームを転換する」「リスク・コミュニケーション」の一例として「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と主張してみるとよい、といっただけである。「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という主張だけが有効だなどとはいっていない。それなのに鄭は自分がそう主張したと解釈し非難する。詭弁による人格攻撃だ。

 ただこれだけの主張である。わざわざ全称命題/特称命題などという術語を用いる必要は全くない。

 もちろん私はこのようなことを主張してはない。私は金が「リスク・コミュニケーション」の一例として、「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」と主張するものに対し、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論をしてみよ、と提案したことを批判したのである。前者のような主張に対し、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と常に反論せよ、と金が主張したとは考えていない。以下に引用しよう。

「ただ、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」というレトリックはおそらく「有効」ですらない。金明秀氏は「有効な打撃」を与えうると主張しているが、実際にはむしろ逆の効果しか生まないことは明らかだ。そもそも、「日本の国益」という言葉は、その性質上日本政府あるいは日本人マジョリティに独占的な解釈権がある。一度「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などというレトリックを用いたが最後、今般の情勢をみればわかるように、政府や自治体、マスコミ、右翼、ネットイナゴが朝鮮学校に押し寄せて「日本の国益」に反する「事実」を無限に挙げ続けるだろう。これに反論するのは困難である。何より金明秀氏自身が認めているように、「この種のデマは事実に基づいて形成されるのでなく、情動的側面が強いため、反証する事実を示すだけでは修正されにくい。しかも、「反日教育」というあいまいで都合のよいマジックワードが、あらゆる反論を無効化してしまう」からである。よって有効ですらない。」(金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判

 ここに明確に記しているように、私は当初より、たった一度であっても「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などというレトリックを用いるべきではない、それが及ぼす損害の大きさは計り知れない、と書いている。「一例」であってもダメだ、というのが私の批判の要点である。そもそも、仮に金の要約したとおりに私が批判したとして、なぜそれが「人格批判」になるのだろうか。全く理解できない。

 これで、私が詭弁により非難しているという金の主張が全く成り立たないことは明らかになったと思う。他に金は「リスク社会」云々についてもつぶやいているが、これについては再三説明したので、さしあたりは以下の文章を読んで欲しい(*1)。気が向けば追加の反論をする。

*参考
「問題は「学問分野が異なる」(金明秀)ことなどではない」

 以前の記事でも書いたことだが、この間の無償化及び補助金問題の推移は、金の推奨するような「リスク・コミュニケーション」(朝鮮学校が日本のリスクではなくメリットだと主張せよ)がほとんど何の役にも立たなかったことを証明したと思う。大阪朝高ラグビー部を描いたドキュメンタリー映画『60万回のトライ』には、橋下府知事(当時)が、大阪代表となった選手たちを褒め称えながら、同時に補助金カットをあけすけに肯定する場面があるが、これは非常に象徴的なシーンだった。ラグビーで全国大会にでようが、それとこれとは別、なのである。むしろ橋下ならば、大阪朝高ラグビー部の「メリット」をより伸ばすために、「不法な国家」との関係を断ち切らせて補助金をカットするとすら平然と言い放つであろう。繰返し書いてきたことだが、金の方こそ現状認識が甘いのである。

 ブログ「lmnopqrstuの日記」の「金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」について」という記事は、金のこうした「リスク認識」の甘さについて、次のように的確に指摘している。

「ここからが本題である。引用文中の非合理的な言表を「ひとまず引き受け」という点に注目しよう。「ひとまず引き受け」ようということは<ひとまず肯定しよう>ということに等しい。だが当該言表を肯定するということは、行為遂行的には、被害をうける者自身がわざわざ、当該言表行為を遂行する主体に対して、(その行為遂行主体が)当該言表行為遂行の権利を所有していることを肯定(=承認)することを意味する。

だから「「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください」とでもいわんばかりのリスク・コミュニケーション戦略」は、戦略としてのいわばメタ論理性が押しつぶされて、実態としては、次のようなコミュニケーションに帰結すると考えられる。

<あなたたちに一方的にいじめられるという役割の他にも役に立っている面があるんです。だからあまりいじめ過ぎないでください。他の役割がこなせなくなりますから。>

非合理な言表を行う権利が(被害をうける者自身からわざわざ)相手に付与されていて、かつ(被害をうける者が)「ひとまず引き受け」た役割の解除が客観的に保障されていない以上、このようなコミュニケーションになるのは目に見えている。「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください。」「ほんとだ。役に立ってるんだね。もういじめるのやめるね❤」となるわけないだろう。

要するに金明秀氏は、実際のコミュニケーションにおいては、相手の言表内容に対する肯定と相手の言表行為に対する肯定の区別を都合よく維持しうるような、メタ論理(=戦略)的肯定の立場など保障されていないということ自体がわかっていない(あるいはこの問題のリスクを著しく過小評価している)。大学の講義では壇上(メタ論理)から学生の理性(論理)に訴えて「多数派を説得」できるかもしれない。だが社会はそういう風にできていない。<それは間違っている>と言わないで「ひとまず引き受け」てどうするのか。「ひとまず引き受け」たら最後二度とおりられないのがいじめの現実だと認識する方が、はるかに合理的なリスク認識というべきである。

 金の「反論」を読むと、その議論の杜撰さもさることながら、議論の文脈上全く用いる必要がない「前件否定」「全称命題/特称命題」などの術語をあえて用いて、ことさらに私が「馬鹿」であるかのように印象付けようとする(「中学生でも知っていることだけど」!)その「手法」の幼稚さに脱力せざるをえない。こうした手法、すなわち、概念や術語を煙幕やマキビシのように利用し、議論を混乱させて批判者を煙に巻き、自らの退路を確保する手法(ツイッターに棲息する「学者」「研究者」に多く見られるようだ)を、さしあたり「術語のマキビシ的使用」と呼んでおこう。「研究者」である以上、こうした振る舞いは絶対に避けるべきであると私は考えるが、金の今回の「反論」は、この「マキビシ的使用」の典型であった。しかも、その術語すらまともに使いこなせていないのであるから議論になりようがない。

(追記 7/12)

 上に書いた、金の「詭弁」批判の誤りについては、ツイッター上でも指摘があったようだ。

「@han_org 「朝鮮学校は日本のためになっている」を(AはBである)として、「日本の役に立たないなら朝鮮学校は存在してはならないということか!」は(AでないならBでない)ではなく(BでないならAでない)に対応するのではないでしょうか…?」

「.@chol_0725 あっ、本当だ。指摘すべきは前件否定の虚偽じゃなくて、必要条件と十分条件の取り違えのほうだった。うわー、これはかっこわるい。」

「このツイート http://twitter.com/han_org/status/487010626057670656 … に対して、前件否認の虚偽には当たらないのでは、というご指摘をいただいた。ご指摘の通りでした。恥じ入るばかり。訂正の上、書き直しておきたい。」

 ここで指摘されていることは、AとBの対応関係が逆になっているのではないか、ということであり、「前件否認の虚偽には当たらないのでは」などとは一言もいわれていないのだが、いずれにしても金は自らのあげた例が「前件否定の虚偽」とは異なることに気づいたようだ。以下は指摘を受けての金の訂正である。

「正しくは、前件否認の虚偽ではなく、「AはBの部分集合である(BはAを含む)」という命題が真のとき、「AでなければBでない」という結論を得るのは誤り、という問題でした。」

「「人間は男を含む」という命題から「男でなければ人間でない」という結論を導くのは誤り。同様に、「朝鮮学校は日本のためになっている」を「日本のためにならないなら朝鮮学校ではない」と読むのは誤り。以上。」

 またもや対応関係を取り違えているため、命題の真偽まで誤っている。

 仮に「朝鮮学校は、日本のためになる学校の部分集合である」(AはBの部分集合である)という命題が成り立つとして、「AでなければBでない」に対応する具体例は、金のあげた例ではなく、「朝鮮学校でなければ、日本のためになる学校ではない」(AでなければBでない)となる。この命題の真偽は、AがBの真部分集合であるかによるので、金のいうように直ちに誤りとはいえないが、それはひとまず措こう。

 問題は、金のあげる具体例がそもそも「AでなければBでない」ではないということだ。金があげた「日本のためにならないなら[日本のためにならない学校は]朝鮮学校ではない」は、「BでなければAでない」の具体例である。そして、もしAがBの部分集合であるならば、この命題は真である。部分集合とは、ここでの例に即していえば「集合 A の要素がすべて集合 Bの要素になっている」ことを指す。朝鮮学校(A)が、日本のためになる学校(B)の部分集合である、という命題が成り立つならば、当然に、日本のためにならない学校は、朝鮮学校ではない(BでなければAでない)という命題も成り立つ。曖昧な理解のままで術語を濫用するためこうした混乱が起きるのである。

 ただ、金の主張の問題点を考えるうえで、この誤りは色々と示唆に富む。それについては機会があれば記したい。

*1 ただ、ひとつだけ発見があったので注記しておきたい。かつて金は、私の批判(「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論することは誤っており有効ではない)に対し、自分の主張には「傍証ぐらいはあります」とか、「多数のエビデンスを前提としている」と反論したことがある。その「エビデンス」なるものは結局示されなかったが、今回のつぶやきで、どうやらその「エビデンス」なるものは、「試しにブログやツイッターで「朝鮮学校は日本のためになっている」という言説を投げかけてみたところ、思想的には左右両側面から《驚いた》という反応を受け」た、というものだったことがわかった。全く馬鹿げている。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-07-11 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について

 元日本軍「慰安婦」9人が『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河氏を名誉毀損で告訴したという。かつて触れた日本軍と「慰安婦」の「同志的な関係」という記述が、問題となっているとのことである。まだ断片的な情報しか伝わっていないため訴訟についての判断をできる段階にはない。ただ私自身、この本の内容には看過し得ない問題があると考えていたこともあり、以前の記事では部分的に触れるに留まった『帝国の慰安婦』の問題点について、以下に若干のコメントをしておきたい。

 率直にいってこの本は決して読みやすい本ではない。ただこれは分析が細部にわたっているとか、複雑に入り組んだ論理展開をしているからというわけではなく、検討の対象が曖昧なうえ、用いられる概念が理解可能なかたちで定義されていないためである(例えば「国民動員」という語の特殊な使用)。この本で朴は、朝鮮人日本軍「慰安婦」の置かれた状況は多様であったと繰返し説く一方で、自らは個別の証言や伝聞、文学作品の描写をパッチワークのようにつなぎ合わせつつ推測も交えて「彼女たちは…」と一般的に論じており、その驚くべき内容もさることながら、方法という側面からみても無視できない問題を抱えている。特に朝鮮人「慰安婦」と日本軍を「同志」と記述した箇所は、こうした問題点が最も明確にあらわれている部分の一つといえる。
 
 この本の基本的な視角は、朝鮮人・台湾人「慰安婦」は中国やインドネシアなど占領地の「慰安婦」とは異なる、というところにある。朴は次のように指摘する。

「職業軍人であったある人物は、中国人などより朝鮮人慰安婦をより多く募集したのは彼女らが自ら知ることになった事実を「敵に通報したり軍事情報を流すことが無か」(121頁[千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』:引用者注])ったからだと語る。「朝鮮人慰安婦」はこのように中国やインドネシアのような占領地/戦闘地の女性らと区別される存在だった。いわば日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた。植民地となった朝鮮と台湾の慰安婦はどこまでも「準日本人」として帝国の一員であり(もちろん、実際には決して「日本人」になりえない差別があった)、軍人たちの戦争遂行を助ける関係であった。それが「朝鮮人慰安婦」の基本役割であった。」(『帝国の慰安婦』60頁。強調は引用者、以下同。)

 朴が「帝国の慰安婦」と題した理由はここにある。「日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた」がため、検討する対象を日本軍「慰安婦」問題全体ではなく、大日本帝国の「臣民」であった日本人・朝鮮人・台湾人「慰安婦」――すなわち「帝国の慰安婦」に限定したのである。もちろん、朝鮮と中国の「慰安婦」としてのあり方に差異があるという主張自体は取り立てて珍しいものではない。すでに数多くの研究が日本軍の占領した諸地域における「慰安婦」徴集や性暴力の現れ方の特徴について論じている。だがこの本の特徴は、そうした差異の捉え方にある。

 上の引用文にもあるように、朴は「帝国の慰安婦」は「日本軍との基本的な関係」において他の日本軍「慰安婦」たちと異なっていた、と主張する。この主題が論じられているのは「第二章 慰安所にて――風化される記憶たち」の「1.日本軍と朝鮮人慰安婦――地獄のなかの平和、軍需品としての同志」である。この節では、千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』、田村泰次郎の小説「春婦伝」、古山高麗男の小説「蟻の自由」、そして韓国挺身隊問題協議会が編んだ証言集を用いて議論が展開される。ここで「帝国の慰安婦」と日本軍の関係が、他の「慰安婦」と異なるいかなる特徴があったと論じられているのかについて、二つの主張をとりあげて検討してみよう。

(1)「帝国の慰安婦」たちは、過酷な生活を生き抜くため、国家が求めた肉体的・精神的「慰安」者としての役割を受容した

 千田の本に登場する、ある日本軍兵士の日本人慰安婦に関する証言――「立派に死んでください!」と言われたという回顧――に触れながら、朴は日本国家は「帝国の慰安婦」に日本軍人の身体的「慰安」に加え、精神的「慰安」も要求したが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(61頁)とし、次のように論じる。

「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍[ママ→人?]慰安婦と同様に扱うことはできない。しかし同時に、そうしたジレンマを忘れ、目の前に与えられた「嘘の愛国」と「慰安」に没頭することは、彼女らにとって一つの選択でありえたという事実を無視することはできない。日本軍との恋愛や結婚が可能であったことは、こうしたジレンマを抱くことを放棄した者たちの選択であったと見ねばならない。あるいは幼ければ幼いほど日本人意識が強かったであろうから、ジレンマとしてすら考えなかった者たちが遥かに多かったかもしれない。」(62頁)

 また同じく千田の本にあらわれる、ある業者の証言――日本人慰安婦のなかには借金を返しても仕事をやめようとしない者もいた、それはこんな身体でも軍人のため、国家のために身体を捧げることができると彼女たちが喜んだからだ、と答えた記録――を引用し、次のような解釈を提示する。

「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた「日本帝国の慰安婦」であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。そうでなくては敗戦前後に慰安婦たちが負傷兵の看護もし、洗濯や裁縫もした背景を理解できない。」(62頁)

 つまり、日本人「慰安婦」と同様、「帝国の慰安婦」であった朝鮮人「慰安婦」も、兵士の精神的「慰安」を行うという役割を引き受け、そこに苦しい生活耐えるなかでの「矜持」を見出していた、という。次に移ろう。

(2)「帝国の慰安婦」たちのなかには日本兵と「愛」と「同志意識」で結ばれていた者もいた

 これは以前にも触れたことがあるが、ある元「慰安婦」が、一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言に触れ、朴はなぜそのようなことが起こったのかについて以下のように論じている。

「もちろんこうした記憶たちはどこまでも付随的な記憶であるほかない。仮に世話をされ、愛し、心を許した存在がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは抜け出したい場所であるほかないから。だとしても、そこでこういった愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。問題は彼女たちにとっては大事だった記憶の痕跡を、彼女たち自身が「すべて捨て去」ったことである。「それを置いておけば問題になるかもしれない」という言葉は、そうした事実を隠蔽しようとしたのが、彼女たち自身であったことを示す言葉でもある。そしてわれわれは解放以後ずっと、そのように「記憶」を消去させて生きてきた」(67頁)

 続けて朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介しながら、同様に以下のように指摘する。

「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(75頁)

 さて、説明は不要かもしれないが、一読すればわかるようにこれら二つの「日本軍との基本的な関係」を論じる際の朴の手法には深刻な問題がある。

 まず、(1)で朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。(1)に関する朴の叙述は、このように二重の意味で問題があるのである。

 (2)も同様である。日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。しかも、後段に至っては、(1)で触れた千田の集めた証言の場合と同じく、古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。

 朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。
 
 朴はこの節での検討をふまえて、韓国社会や支援者の認識を以下のように批判する。

「この間、慰安婦たちはただ自身らが経験したことを淡々と語ってきた。しかしその話を聞く者たちは自身が聞きたい話だけをよりわけて聞いてきたわけだ。それは慰安婦問題を否認する者であれ、支援する者であれ、異なるところはない。われわれのなかに位置を占めた日本軍と朝鮮人慰安婦のイメージは証言の一方の面に過ぎない。こうした意味ではわれわれみながこの人びとの体験を歪曲するのに加担してきたわけだ。そこでの慰安婦はもはやありのままの慰安婦ではない。彼女たちの記憶を聞く者が願う「新たな記憶」であるのみである。」(80頁)

「彼女たちはこうした記憶を特別に強調しはしなかった。モノのみならず記憶までも、一度発話した後には、われわれの社会では「捨てられ」てきた。いわば彼女たちが自身の大切な記憶を捨てることは、彼女ら自身が選択したことではない。「問題」になるであろうと考えられた「社会」の抑圧である。それは彼女の記憶たちが「被害者としての朝鮮」に亀裂をもたらすことを慮る無意識的な了解事項であったといえる。しかし慰安所の苦痛を忘れさせてくれたかもしれない、また異なる記憶たちを無化させ、忘却させたことは、彼女たちにとってもう一つの暴力ではなかったか。」(68頁)

 しかし、これまでの検討からみるに、むしろ「新たな記憶」を創り出しているのは朴自身ではないかと思わざるをえない。仮に「異なる記憶」にこだわるというのなら、証言と証言者の固有性に徹底的にこだわり、安易に「彼女たちは…」「朝鮮人慰安婦は…」と一般化すべきではないはずである。証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開することこそが、「一つの暴力」なのではないだろうか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-06-21 00:00 | 歴史と人民の屑箱

歴史的事実への侮蔑――工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』批判(2)


 「改めて震災現場に立ち返りつつ、あらゆる史料を再検証することで、歴史の真相に迫ってみたい」(8頁)――工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』の虐殺正当化論は、この「宣言」とは全く異なるものであり、あらゆる意味で「論」の体をなしていないことは前に指摘したとおりである。まともな論証は試みられてすらおらず、わずかに挙げられた史料にも恣意的な引用や省略が施されている。この本を貫いているのは、「現場に立ち返」り「あらゆる史料を再検証する」真摯さとは真逆の、歴史的事実に対する徹底的な軽視と侮蔑である。

 前回にあげた例以外にも、この本には事実探究への軽視とそれを糊塗し粉飾するための小細工があふれている。例えば大韓民国臨時政府と日本国内の朝鮮人「テロリスト」のつながりを「証明」しようと、工藤は以下のように記す。

「彼ら活動家の本拠地は上海である。日韓併合以後、上海のフランス租界へ脱出して作った「大韓民国臨時政府」、すなわち「上海仮政府」の庇護のもとにテロリストは生き延び、目標達成のため日本国内への侵入を繰り返し、時機をうかがってきた。
 その実相は当時の新聞記事からも顕著に分かる。震災前後に絞り、見出し中心に拾っておけばおおむね次のとおりである。
[神戸新聞]に掲載された記事
「不逞の徒と気脈を通じ内地に潜める魔の手/在京鮮人七百余名中上海仮政府に縁ある者二割」(大正九年八月二十七日)
「怪鮮人は春画を売って上海仮政府へ走らうとした不逞の徒」(大正十三年七月二十七日)
[神戸又新日報]に掲載された記事
「不逞鮮人崔の自白から判明した事実/上海仮政府の計画も明察し、内地在住の一味も知れた」(大正十年十一月十日)
「怪鮮人密書事件の黒幕に妖美人/上海仮政府重要委員を父として鄭を愛人とする金玉華/李、鄭は近く警視庁護送」(大正十二年四月二十五日)
「怪鮮人の行動/大阪の同志等と結んで上海仮政府の密偵及主義宣伝/旅費調達に裸体写真を」(大正十三年七月二十七日)
[九州日報]に掲載された記事
「友禅職工に化けた不逞鮮人の一旗頭/上海仮政府の隠密/同志の統合に失敗し何れへか姿を晦す」(大正十二年二月二日)
(京都大学人文科学研究所データベースで検索。主に西日本地域の新聞が対象になっている)」(272-273)

 工藤はこれらの記事を列挙した後、「新聞記事の第一報の段階なので、その後の事件捜査と結末がどうなったのかは判断できない。/すべてがテロ犯人と断定することは必ずしもできないが、概略をみるだけでも、いかに上海仮政府との関係が密接に繋がっていたかは充分知れる」(273)との解釈を示す。

 私はこの箇所を読んだとき、怒りを通り越して笑ってしまった。「見出し中心に拾っておけば」とか「概略をみるだけでも」などと書いているが、工藤がこれらの記事の本文にあたらず、データベースの検索結果を適当に貼り付けている(つまりコピペしている)ことが明らかだからだ。「見出し中心」「概略をみるだけでも」などと、あえて「見出し」を列挙したかのように書いているが、おそらく工藤は「見出し」しか見ていない。

 上の引用の末尾にある「京都大学人文科学研究所データベース」とは、正確には水野直樹氏のHPにあるデータベース「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」のことである。京大人文研のサーバー内にあるだけで、人文研のデータベースというわけではない。このDBは多くの研究者の尽力により構築されたもので、1945年以前の朝鮮人関係の新聞記事見出しを検索できる。極めて有用なツールであるが、もちろんこれだけでは記事の内容はわからない。

 さて、このDBの「見出し」に「上海仮政府」と入力して検索すると以下の結果があらわれる(工藤の挙げた記事は青太字にした。ぜひこちらから試していただきたい)。

1. 『不逞の徒と気脈を通じ内地に潜める魔の手/在京鮮人七百余名中上海仮政府に縁ある者二割』 神戸新聞 1920/8/27 〔7/8〕 東京・東京 【民族運動】
2. 『怪鮮人東上/自称上海仮政府の外務大臣/内鮮融和の偉大を米国に見せつくる為めか?』 京城日報 1921/8/17 〔4/1〕 下関・山口 【警備】
3. 『労働争議と不逞鮮人何等の関係もない/上海仮政府は財政難に弱る』 大阪朝日 1921/8/21 夕 〔2/1〕 神戸・兵庫 【労働運動】
4. 『不逞鮮人崔の自白から判明した事実/上海仮政府の計画も明察し、内地在住の一味も知れた』 神戸又新日報 1921/11/11 〔7/10〕 東京・東京 【民族運動】
5. 『上海仮政府の密使東上/大阪で落合うて』 大阪朝日 1921/12/1 夕 〔2/7〕 大阪・大阪 【民族運動】
6. 『一鮮人の口から洩れた不逞鮮人の陰謀/上海仮政府の内情暴露(門司)』 門司新報 1921/12/25 〔1/2〕 北九州・福岡 【民族運動】
7. 『篠山峠で朋輩に殺された/飴売り鮮人/三篠に居て上海仮政府関係者/犯人挙らば事件拡大?』 中国 1922/7/9 〔〕 広島・広島 【警備】
8. 『笹島町署逮捕の 怪鮮人は不逞漢 I 團に属する「漢鐘旭」 上海仮政府と氣脈を通ず』 新愛知 1922/8/27 〔 〕 ・愛知 【】
9. 『友禅職工に化けた不逞鮮人の一旗頭/上海仮政府の隠密/同志の統合に失敗し何れへか姿を晦す』 九州日報 1923/2/2 夕 〔1/2〕 京都・京都 【民族運動】
10. 『怪鮮人密書事件の黒幕に妖美人/上海仮政府重要委員を父として鄭を愛人とする金玉華/李、鄭は近く警視庁護送』 神戸又新日報 1923/4/25 〔7/10〕 神戸・兵庫 【民族運動】
11. 『上海仮政府の密使と称する鮮人/県特高課の手に捕はる』 大阪朝日 1923/6/12 神付 〔1/8〕 神戸・兵庫 【民族運動】
12. 『怪鮮人は春画を売って上海仮政府へ走らうとした不逞の徒』 神戸新聞 1924/7/27 〔6/3〕 神戸・兵庫 【民族運動】
13. 『怪鮮人の行動/大阪の同志等と結んで上海仮政府の密偵及主義宣伝/旅費調達に裸体写真を』 神戸又新日報 1924/7/27 〔7/10〕 神戸・兵庫 【民族運動】
14. 『何時内地へ潜行したか/上海仮政府の鮮人巨魁内地の情勢を隈なく探って再び上海へ帰る途中を水上署で捕る』 神戸新聞 1927/11/12 夕 〔2/1〕 神戸・兵庫 【社会】
15. 『上海仮政府の不逞鮮人幹部捕はる/使命を果たして上海に帰るべく乗船間際に神戸水上署に』 大阪毎日 1927/11/12 〔7/4〕 神戸・兵庫 【民族運動】
16. 『上海仮政府幹部/不逞鮮人捕はる/乗船間際を神戸水上署に』 中国 1927/11/13 〔〕 神戸・兵庫 【民族運動】
17. 『上海仮政府のマークや暗号電文所持/兵庫駅の掻払ひ鮮人、重大な秘密を包むか』 神戸新聞 1928/7/4 夕 〔2/6〕 神戸・兵庫 【社会】
18. 『上海仮政府と通じ在京鮮人の不穏計画/一味に明治中央大学の学生闘士派遣から発覚』 九州日報 1934/6/17 〔1/7〕 東京・東京 【民族運動】
19. 『上海仮政府の手先ら捕はる/委員長の密使に唆かされ渡航の準備中を』 大阪朝日 1934/6/17 〔11/7〕 東京・東京 【民族運動】
20. 『上海仮政府と結ぶ3鮮人検挙さる、金鉱成金の長男をシンパに大々的補給を策す』 社会運動通信 1934/6/19 〔2/1〕 東京・東京 【共産主義】
21. 『憲兵、警官を躍らせた怪鮮人/上海仮政府員の正体』 大阪毎日 1934/10/20 福岡 〔5/7〕 福岡・福岡 【犯罪】

 工藤のあげた6件の記事が、いずれもこの検索結果内から抜き出されたものであり(1,12,4,10,13,9の順序で並んでいる)、「見出し」はそのままコピペされていることがわかる。西暦だけは元号に書きなおされているが、なおす途中で書き損じたのであろうか、4の記事は11月11日付にもかかわらず、「十一月十日」と誤って記されている。

 興味深いのは、なぜ工藤がこのような書き方をしたかである。上海臨時政府と関係のある日本国内の朝鮮独立運動家は、工藤からみればそれだけで「テロリスト」ということになるであろうから、独立運動史の先行研究を読めばそうしたケースを見つけ出すのは決して難しいことではない(もちろん、だからといって震災時に800人の「テロリスト」が皇太子暗殺のために暗躍したなどということを「証明」できるわけではないが)。少なくとも臨時政府と独立運動家の一般的な関係に言及したいのであれば、わざわざこんな書き方をする必要はないのである。

 にもかかわらず工藤がこうした馬鹿げた小細工をしたのはなぜだろうか。好意的に解釈すれば「見出し」の差別的で煽動的な表現(「怪鮮人」!)によって、読者に「テロリスト」の脅威を印象づけたかったから、という見方もできるが、実際のところは字数を埋めるか、「あらゆる史料を再検証」したかのような外観を整えるためといったところではないだろうか。つまり一次史料を博捜したかのようなハッタリをかますための引用というわけだ。水野直樹氏の名が伏せられ、「京都大学人文科学研究所データベース」などという不正確な名をあげたのも、あるいはこちらのほうが権威付けできると考えたからかもしれない。

 いずれにしても、この「見出し中心」云々の箇所からわかることは、工藤は自らの読者をハナから馬鹿にしているということである。記事本文にあたっていないことを自ら明らかにした上で「見出し」だけを羅列することは、「私はまともに調べる気がありません」と自白するに等しい行為である。まともに「論証」を試みようとする者ならば絶対にやらない。「見出し」のコピペで「あらゆる史料を再検証」したと信じるようなレベルに自らの読者の知的水準を設定しているのである。

 私は、その著作の端々からかいま見える工藤のこうした姿勢に、歴史修正主義の本質的要素があらわれていると考える。史料批判や引用、論証が杜撰で未熟であることとは次元を異にする、歴史修正主義固有の「歴史的事実への侮蔑」とでも呼ぶべき精神的姿勢である。工藤には「あらゆる史料を再検証」することにより歴史的現象の「現場」を再構成しようという意思自体が存在しない。むしろ上のような記述からわかることは、工藤がかつて起こった歴史的事実そのものを徹底的に馬鹿にし、侮蔑し、冷笑しており、そこには、自らの「自由」に歴史像を操作できるという暗い確信があるということである。そしてこれはすでに述べたように、読者を侮蔑することでもある。おそらく工藤には論証を通じた読者の説得という発想自体が欠落しているのである。工藤の前にいるのは、煽動の対象としての「読者」だけである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-06-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱

「屁理屈型」歴史修正主義の脅威――工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』批判

 昨今の排外主義的な民族差別・迫害の教唆煽動の横行に伴い、改めて関東大震災時の朝鮮人虐殺が注目を集めている。だがその「注目」には、虐殺の事実を知り、反省的に歴史と現代を見つめようというものばかりでなく、むしろ「虐殺」を否定しさろうという歴史修正主義者によるものも含まれる。1923年9月に起こされた朝鮮人虐殺については、各地でのねばり強い史料発掘や証言の調査などにより、今ではもはや軍隊や警察による虐殺を否定することは不可能となった。このため歴史修正主義者たちは虐殺したのは自警団だけだという、いわば歴史修正主義の第一段階にあたる主張を放棄しつつある。代わりに現れているのが、軍・警・自警団による朝鮮人殺害は「虐殺」ではなかった、という主張である。

 工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009)はこうした理屈で朝鮮人虐殺否定論を展開した問題作であり、ネット上に無数にある虐殺否定論の情報源でもある。この本の問題点についてはすでに山田昭次氏の批判があり(「関東大震災・朝鮮人虐殺は「正当防衛」ではない 工藤美代子著『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』への批判」『世界』2010年10月号)、ネット上でもいくつかのブログで批判がなされている。ただ、その虐殺否定論の驚くべきレトリックについてはいまだ批判的言及がなされていないようである。工藤の主張は後述するように、かつて触れた「悪い朝鮮人だけ殺せ」の論理そのものであり、またその主張は到底許容しがたい恣意的な史料の操作に支えられたものであり、現代の排外主義の特質を考えるうえでも避けては通れない著作であるため、以下に若干の検討を行いたい。

 「あれは本当に「虐殺」だったのか?」という帯の文句にもあるように、工藤は関東大震災の際、朝鮮人に対する「虐殺はなかった」と主張する。だがこれは、軍や警察、自警団による朝鮮人殺害がなかったという意味ではない。工藤は次のように書いている。

「大正時代の苦難といったが、そこに象徴される事象は、摂政宮となった皇太子裕仁殿下にのしかかってくる連続した事件としてたち現れる。それらの一つ一つが、関東大震災の問題を一層複雑にさせ、国家の基盤に根本的に関わる重大事でもあったのだ。/摂政宮を暗殺しようとまで画策したテロ集団の凶行と大震災は機を一にし日本を襲う。/そうした国難を回避するための戒厳令であってみれば、「朝鮮人虐殺」などといわれる筋合いは微塵もない。/その意味では「虐殺はなかった」し、あったとすればそれは「虐殺」ではなく、国家の自衛権行使だといっていい。」(工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』産経新聞出版、2009年、270頁。強調は引用者。以下同。特に注記がない限り、以下引用は同書より。)

「試算の結果、二千七百七十人からこの千九百人余を引いて、残る八百人前後が殺害の対象となったものと推定される。(東京近県を含む)/その殺害された者はいわずもがな「義烈団」一派と、それに付和雷同したテロリストである。テロリストを「虐殺された」とはいわないのが戒厳令下での国際常識だ。」(同上、304-305頁)

 すなわち、殺された朝鮮人のほとんどは皇太子(後の昭和天皇)暗殺を狙った「テロリスト」であった、「テロリスト」を殺すのは「虐殺」ではない、よって「虐殺はなかった」――これが工藤の理屈である。つまりこの本で工藤が試みたのは、虐殺の事実そのものを否定することに加えて、「虐殺」という言葉の意味を改造することで日本軍・警察・自警団の朝鮮人虐殺を正当化することである、といえる。

 震災時の虐殺をめぐる争点は長らく流言発生と流布、そして殺害への日本軍や警察などの公権力の関与にあった。政府や警察は虐殺発生直後よりその責任を自警団に転嫁し続けたが、ねばり強い調査と研究の蓄積により、流言の流布と公認、そして虐殺に警察や軍が関わっており、それどころか戒厳令下での公権力による虐殺正当化は、この大虐殺の核心的な要素であることが明らかになった。だが、もはや工藤は自警団に責任転嫁すらせず、いわば堂々と殺害行為を認め、かつそれを正当化したのである。

 こうした、事実ではなく言葉の解釈を争うことにより加害の事実を否定したかのように装う手法は、関東大震災下の朝鮮人虐殺に関するものとしては新しい言説ではあるが、広く歴史修正主義という次元でみれば決して工藤独自のものではない。むしろ歴史修正主義者がしばしば使う詐術の一つといってよい。

 例えば南京大虐殺をめぐる「論争」において、加害の事実が様々な史料により立証され「虐殺無かった論」が維持できなくなると、歴史修正主義者たちは「指揮官不在の投降兵や便衣兵は戦時国際法の適用外であり、これを殺すことは虐殺ではない」と主張し始めた。確かに日本軍は中国人を殺害したが、その殺害は合法であり「虐殺」とは呼べない、だから南京「虐殺」は無かった、という論法で虐殺を否定しようとしたのである。

 この手法は加害の事実を正面から否定することが不可能になったときにしばしば用いられる。近年特に多用される傾向にあり、戦時期には朝鮮人・日本人問わず「徴用」により強制的に動員されたのだから、(日本人と区別されるところの)「朝鮮人強制連行」は存在しない、といった理屈も同種のレトリックといえる。日本軍「慰安婦」の強制連行を「広義」と「狭義」に分けて、後者については「証拠」がない、だから「強制連行」は存在しない、と強弁する安倍晋三の論法をここに含めてもよいだろう。

 事実を否定できないため、屁理屈をこねて言葉の解釈を変えることで否定しようというわけである。いわば「屁理屈型」歴史修正主義といえる。

 一見これは馬鹿げた論法にみえるが、この「屁理屈型」歴史修正主義の影響は決して無視できるものではない。彼らのねらいは教科書記述に代表される公の言論空間から「虐殺」や「強制連行」の文字を消し去ることにあるのだから、こうした屁理屈を誰かが打ち上げて、あとは全力で教育委員会なり何なりを攻撃すればよいのである。実際、昨年1月に東京都教育委員会が都独自の高校日本史副読本「江戸から東京へ」の「数多くの朝鮮人が虐殺された」という記述を「碑には、大震災の混乱のなかで、『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」という無責任な記述へと差し替えた際、都教委の担当者は「いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する」と弁明したという(『朝日新聞』2013年1月25日・朝刊)。工藤の虐殺否定論が影響を与えているものと思われる。

 しかし、工藤の虐殺否定論は、他の歴史修正主義言説と同様、そもそも歴史学的な検討に堪えるような代物ではなく、またその論理自体にも破綻が見られる。例えば、工藤の著作は、「虐殺」を否定するものと宣伝されているが、少なくとも工藤は内務省の認めた233人については「誤認、過剰防衛、巻き添え」による殺害が行われたと認めており、「幾人であろうと誤認殺害は虐殺だ」と書いているのである(305頁)。工藤の理屈をもってしてさえ、「虐殺はなかった」などという主張は成り立たないのである。にもかかわらず工藤の主張は「「流言蜚語」による「虐殺」だったのか」といった見出しと共に紹介され、あたかも一切の虐殺を否定した「研究」であるかのように報じられる。『産経新聞』や『読売新聞』は近年、日本の侵略についての中国や朝鮮からの批判を、すべて「宣伝」「謀略」「情報戦」と片付ける手法を多用しているが、これこそが誇大な宣伝であると言わざるをえない。こうした著作と宣伝が歴史教育の内容に多大な影響を及ぼしている現在の日本の状況なのである。

 何より重大な問題として、工藤がそもそもその主張の中核にある皇太子暗殺計画すら自らの著作で論証していないことをあげておくべきだろう。工藤は殺害された朝鮮人のうち800人前後は、「いわずもがな」皇太子暗殺を企てた「テロリスト」であったという。しかし、本書を一読すればわかるがその証明は試みられてすらいない。わずかに工藤の挙げる史料も、恣意的で極めて問題の多い史料操作に基づいたもので、800人どころか1人の「暗殺計画犯」すら立証できていないのである。

 以下に工藤がその「実例」としてあげる事例を検討してみよう。工藤は越中島の陸軍糧秣本廠を「爆破」し「逮捕」された朝鮮人の「証言」なるものを根拠に、「朝鮮人テロリスト」が1923年11月27日の皇太子の結婚式に狙いを定めて暗殺計画を企てていたと主張する。関連箇所を引用しよう。

「二百十日には必ず暴風雨が襲来するから、それを待ち構えていて爆弾を炸裂させれば要職にあるもの多数を殺害できる、と捕えられた朝鮮人は現場で告白したという。その朝鮮人は越中島にある糧秣廠を爆破し、膨大な数の避難民を殺害した犯人である。朝鮮人は続いて次のように喋ったのち、自警団と在郷軍人などに身柄を拘束されたという。

 『暴風雨襲来すべければその機に乗じて一旗挙げる陰謀を廻らし機の到来を待ち構えていた折柄大強震ありこれで御大典もどうなることか判らないからこの地震こそは好機逸すべからずとなし此処に決行したのである』[中略]

 この証言によれば、要するにこの朝鮮人テロリストの目標はそもそもこの秋、十一月二十七日に予定されていた御大典だった。」(271頁)

 この「越中島の朝鮮人テロリスト」の話を工藤は他の媒体でも用いている。

「本所深川あたりから避難してきた罹災者約三千人が集まっていた越中島の糧秣廠を爆破し、多くの避難民を殺害して逮捕された朝鮮人テロリストの証言によれば、目標は十一月二十七日の御大典だったが、大震災が起こって予定どおり行われるかどうかわからなくなったので、大地震という好機を逸すべからずと決断したとのことでした。同じように「目標は御大典だったが、大地震に乗じてことを起こした」と自白したテロリストはずいぶん多かったようです」(工藤美代子「流言蜚語ではなく実話!関東大震災朝鮮人暴動は「皇太子暗殺」を狙ったテロだった」『歴史通』2012年1月号、47-48頁)

 工藤の多用するこの「越中島の朝鮮人テロリスト」の話の問題点は、朝鮮人の「証言」なるものが記録された状況を、工藤が極めて歪めたかたちで整理していることにある(他に、そもそも「御大典」は天皇の即位の礼を指す言葉で婚礼には用いないのだが、工藤は二度も記事を鵜呑みにして「御大典」としているなど、この本にはこうした杜撰な記述が目立つ)。この記事は『河北新報』に掲載されたもので、月島で被災した人物の見聞を基にしている。工藤はこの記事を基に、「身柄を拘束された」「逮捕された」朝鮮人が「証言」したと記しているが、根拠である『河北新報』の記事をみると引用された「証言」の前後は次のようになっている。

「それだけこの三千人を丸焼きにした実見者が多かった。而も鮮人の仕業であることが早くも悟られた、そして仕事師連中とか在郷軍人団とか青年団とかいふ側において不逞鮮人の物色捜査に着手した。やがて爆弾を携帯せる鮮人を引捕へた。恐らく首魁者の一人であろうといふので厳重に詰問した揚句遂に彼は次の如く白状した。[中略:ここに工藤の引用部分が入る]と聞いた一同の憤懣遣る方なくさてこそ風向きと反対の方向に火の手が上ったり意外の所から燃え出したりパチパチ異様のがしたりしたのは正に彼等鮮人が爆弾を投下したためであった事が判然したので恨みは骨髄に徹し評議忽ち一決してこの鮮人の首は直に一刀の下に刎ね飛ばされた」(「土管で生きた三万人/鮮人の恐るべき自白/逃れて来た被災者の話」『河北新報』1923年9月6日付、姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房、1963年、171-172頁)

 つまり、月島でこの「被災者」がみたのは、越中島の糧秣本廠が燃えたことを朝鮮人の仕業であると考えた「在郷軍人団」「青年団」の捜査により捕まったある朝鮮人が「厳重」な「詰問」をされた末に犯行を「白状」させられ、その結果、衆人環視のもとで斬首された、という光景なのである。この「被災者」がどの時点からこの現場をみたのかもわからない。仮にこの「被災者」の見聞が正確なものであったとしても、これは「逮捕」や「身柄を拘束された」朝鮮人の「証言」の記事ではなく、ある朝鮮人が拷問され虐殺された事件の記事なのである。斬首されてしまった以上、本当にこの朝鮮人がそう「証言」したかすらわからない。

 しかも、この記事はさらに以下のように続く。

「かく捕へられた鮮人二十四人は十三人一塊と十一人一塊と二塊りにして針金で縛し上げ鳶口で撲り殺して海へ投げ込んでしまったけれどもまだ息のあるものもあったので海中へ投入してから更に鳶口で頭を突き刺し突き刺ししたが余り深く突き刺さって幾人もの鳶口がなかなか抜けなかった〔。〕また外に三人の鮮人は三号地にある石炭コークスの置場の石炭コークスが盛んに燃えている中へ生きてゐるまま一緒に引き縛って投げ込んで焼き殺してしまった」(同上)

 こうした凄惨な殺戮の描写を一切捨象し、工藤はあたかも何らかの捜査によって「逮捕」された朝鮮人の「証言」「自白」であるかのように、この記事を扱い「越中島の朝鮮人テロリスト」の話をつくり上げる。糧秣本廠の火災が本当に爆破によるものであったのかといった問いなど考慮せず、まさにいきり立って朝鮮人を拷問し、虐殺した在郷軍人会と同じ認識の水準において、この虐殺された朝鮮人は「テロリスト」であったと断定するのである。

 工藤は他にも、自警団が朝鮮人を「竹槍で責めて訊問」して「自白」させた事例、あるいは「死ぬ程責めても到頭吐かなかった」記事などをあげて、皇太子暗殺計画があった「証拠」としている(274-275頁)。しかしこれらの事例はむしろ、自警団や在郷軍人会が、朝鮮人が皇太子暗殺のために爆弾を投げたというストーリーのもと、朝鮮人を捕らえて拷問して殺しまわったことを示す証拠なのではないだろうか。しかもその「事例」なるものも新聞記事としてはわずか三例にすぎない。これをもって800人の朝鮮人テロリスト団が震災に乗じて皇太子暗殺を図った、と主張しているのである。

 もう一つ、工藤の恣意的な史料の省略の例をあげよう。工藤が「朝鮮人テロリストが「目標は御大典〔ママ〕だった」と自白していた例は枚挙にいとまがないが、その具体例をもう少し紹介しておこう」(274頁)としてあげる「具体例」のなかに、次のような新聞記事がある。

「此頃、小石川辺では鮮人が団体を組んで来るとか爆弾を投て、焼き払ふ計画を立ててゐるとか、(略)生きてゐる心持がありませんでした。私共も一所になって捜索の結果、私の家の而も附近の宮様の原で爆弾一個を発見しました。私の乗った汽車は途中で列車の下より爆弾を抱いた三人の鮮人を見出して殺しましたが、(略)鮮人は何れも多大の金を持ってをり」(275頁)

 だが、この記事の原文は次のようなものである。少々長いが重要な箇所なので引用する。

「此頃小石川辺では鮮人が団体を組んで来るとか爆弾を投て焼き払ふ計画を立ててゐるとか又は罹災者などは寄ってたかって九月一日は露西亜の革命記念日で前から爆弾を投げる計画があったなどの流言が行はれ生きてゐる心持がありませんでしたが私共も一所になって捜索の結果私の家の而も附近の宮様の原で爆弾一個を発見しました、そして丸山町丈で鮮人も三名捕へました、それから警戒は甚しいもので私の附近などでも町内で切符を持たぬものは何人と雖も交通を禁止しました、東京にゐても東京の事情が何も分からなくなりました、自動車が唯一の交通機関で運転手の談に依ると本所深川で生き残ったものは一割もあるまいと言はれてをります、本所の兵器廠などは一万五千程の人が避難してゐたのが旋風が起り直に火に囲まれ大半焼死したと言はれております、三日横浜から逃れた私の叔父は横浜は山の手が一部残ったのだが夫が爆弾や放火の為丸焼けになったと泣いておりました、一番凄かったのは罹災民が我々の敵〔かたき〕不逞鮮人と叫ぶ声の悲愴なことで夫も浅草方面より来る罹災民に多かったやうです、何処の避難民でも今では知らぬ人の食物、水は決して貰って飲みません、夫に付いても私が四日田端より乗った汽車中一人の男が配って呉る芋を貰へませんでした、其時誰かが朝鮮人は芋を喰はぬと言ったら汽車の中の罹災民は其者が次の列車に乗って逃ぐるのを打つやら叩くやらして殺して快を叫んでゐるのです、私の乗った汽車は尚途中で列車の下より爆弾を抱いた三人の鮮人を見出し殺しましたが白川の少し手前でも同様な鮮人を見出し列車の中で殴り殺しました〔。〕実に無惨です、四日私の立つ頃は稍平穏に復しましたが鮮人は何れも多大の金を持ってをり三越で殺されたものは千五百円持っていたと言はれてをりましたが大概のことなら此節上京せぬ方か宜いと当時を追想して語る」(「凄惨なる其日の光景/汽車中で不逞鮮人を寄ってたかって殴殺す/北大予科二年生杉山又雄談」『北海タイムス』1923年9月8日付、山田昭次編『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料3』緑陰書房、2004年、35-36頁)

 青太字は工藤の引用で(略)となっている部分、緑太字は省略記号無しに省略されている部分である。見出しからもわかるように、そもそもこの記事は朝鮮人の虐殺を報じたものであるが、工藤はこれらの記事から三箇所を省略することにより、爆弾投下の計画とそのための資金を運んでいた朝鮮人集団がいたかのような記事に編集しているのである。

 詳しくみよう。まず「小石川辺」での朝鮮人の襲撃や爆弾投下などの説が「流言」であったことを伝える箇所を省略し、あたかもこれらが事実であるかのように資料をつなぎあわせている。罹災者のあいだでロシア革命記念日と関連付ける「流言」が広まっていたことは、前述のように在郷軍人会や自警団が朝鮮人を拷問にかける際にいかなる予断を持っていたかを探るうえで極めて重要な情報であるにもかかわらず、これが省略されてしまっているのである。

 次に、記事中の緑太字の箇所を省略記号無しに省略し、浅草から来た罹災民を中心に「我々の敵不逞鮮人」と叫ぶ声が多かったこと、汽車中で配られた芋を受け取らなかった男が、その事実のみをもって集団により虐殺されたことが省かれている。これは、杉山の乗った汽車の乗客が、三人の「爆弾を抱いた」朝鮮人を見つけて殺した際の、パニック状況を伝える極めて重要な事実であるにもかかわらず省かれている。

 そして、最後の朝鮮人が「多大の金を持って」いたという箇所は、伝聞情報であるにもかかわらず、この箇所が省略されているため、あたかも「爆弾を抱いた」朝鮮人がいずれも「多大の金を持って」いたかのように資料が操作されている。わざわざ「多大の金を持ってをり」云々を引用しているのは、朝鮮人が大韓民国上海臨時政府や社会主義者から多大な資金を得て暗殺計画を練った、という工藤のストーリーを強調したいためであるが、実際にこの記事で書かれていることは虐殺された朝鮮人が千五百円をもっていた、という伝聞情報だけである。

 こうして工藤は流言と拷問、そして虐殺の事実を捨象し、「朝鮮人テロリスト」の「証拠」としてしまう。そしてこれらに黒竜会の内田良平の「分析」を付け足して、「いずれにせよ、大集団がいくつかの分派に別れ、それぞれが我先に功名を競っていた」(277頁)と断じるのである。

 以上みたように、工藤が「あらゆる史料を再検証してその真相を探」(前掲『歴史通』43頁)ったと豪語するこの著作で展開される「分析」と「論証」なるものは、不適切な引用というレベルをはるかに越えた史料の恣意的な接合によって作り出されたフィクションというほかない。そして、こうした恣意的な史料の切り貼りによって作り出された虚像にもとづいてなされる工藤の主張は、まさしく典型的な「悪い朝鮮人だけ殺せ」の論理なのである。

 工藤が朝鮮人「テロリスト」殺害が「国家の自衛権行使」だと主張するとき、そもそもいかなる「法」に依拠して判断しているのだろうか。当時の日本政府ですら、極一部であるにしろ、戒厳令下の自警団による朝鮮人殺害を違法なものとして裁いているのである。軍隊による殺害はいずれも衛戍勤務令により正当化され全く処罰されなかったが、工藤はこれら約800人を殺害した者はいずれも軍隊であった、と主張したいのであろうか。もちろん、衛戍勤務令による正当化自体を批判的検討の対象とすべきであるが、これらがいずれも軍隊による殺害であったことを証明しなければ、当時の「大日本帝国」の論理に従って虐殺行為を正当化することすらできない。工藤の主張は、それ自体が極めて杜撰な論理による南京大虐殺正当化論のレベルにすら達しておらず、ただひたすら「国家の自衛権行使」「国際常識」と繰り返すだけである。

 ただ、この本の恐ろしさはむしろそこにあるといえるかもしれない。工藤は「テロリスト」という現代の用語を多用して、虐殺を正当化する。過去の行為は過去の法によって判断すべきだという理屈にすら立っておらず、いま現在の工藤の法規範のレベルで「テロリスト」と国家が認定すれば虐殺しても「自衛権」の行使であると判断している。つまり工藤は歴史の話をしているのでなく、現在の話をしているのである。こうした公然と大量殺人を正当化する本が、当たり前のように流通し、かつ歴史教育から「虐殺」の二字を葬りさるのに少なくない力を発揮している現状にいまさらながら慄然とせざるをえない。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-06-10 00:00 | 歴史と人民の屑箱

ある「実証主義」者の警告

「[…]職業的な解説者は、二、三の最初の特殊研究を読み、急いでその要約を縫い合わせ、寄せ集めて、そのごったまぜをより魅力的なものにするために、それに「全体的な解説」と口あたりの良さをかぶせて、できるだけ飾り立てたいという誘惑にかられやすくなる。この誘惑は、大方の専門家が大衆化という仕事に興味を示さないときや、この仕事が一般に金もうけにつながるとき、あるいは、大衆が誠実な解説と見かけだけの解説との明確な区別ができない状態におかれるときには、それだけ大きなものとなる。要するに、自分で苦労して学ばなかったことを他人に要約してみせたり、自分の知らないことを他人に教えたりすることに、なんのとまどいもみせない非常識な人間がいる、ということである。」

C. セニョボス、C.V. ラングロア[八本木浄訳]『歴史学研究入門』校倉書房、1989年

by kscykscy | 2014-04-16 00:00 | 歴史と人民の屑箱