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【紹介】朴裕河氏の反批判二篇

 朴裕河氏が自身のfacebook上に、私への反批判を投稿した。

 朴の今回の投稿は、今年の6月に韓国の歴史研究雑誌『歴史批評』に掲載された私の朴裕河『帝国の慰安婦』批判(「日本軍「慰安婦」問題と1965年体制の再審 朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『歴史批評』111号、2015年6月)への反論である。下記のfacebookのページで朴の主張を読むことができるので関心のある向きは確認されたい(但し朝鮮語である)。なお、私の『帝国の慰安婦』批判は『季刊戦争責任研究』にも掲載されている(「歪められた植民地支配責任論――朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『季刊戦争責任研究』84号、2015年6月)。こちらは日本語なので同じく関心のある方は参照していただきたい(『歴史批評』とは内容は若干異なる)。


 反論は(1)と(2)に分かれているが、(1)はほとんどが徐京植や金富子への批判に費やされており、私の批判への反論は(2)でなされている。『歴史批評』にもこの反論のうち(2)が掲載されたようだ。ちなみに、(1)には次のような一節がある。

「彼ら[徐京植ら在日朝鮮人知識人]は「戦後日本」を全く評価しない。そしてそうした認識が韓国に定着するのに大きく寄与した。/端的にいって、正しいかどうかは別にして、2015年現在の韓国の対日認識は、彼ら在日僑胞が作り出したものだといっても過言ではない。」

 もし本当に韓国における日本のリベラルや「戦後」への「不信」の定着に在日朝鮮人知識人が寄与したのだとすれば、大変誇らしいことだと私は思う(私は「不信」だとは思わないが)。ただ残念ながら韓国の対日認識の形成に在日朝鮮人の知識人が寄与できているとは到底思えない。日本は「平和主義」で「反省してきた」と宣伝する日韓の知識人(*1)を胡散臭いと思う大衆的な反日感情には、当然ながら相応の根拠があるわけで(九条があるのに何で自衛隊があるんだ、安倍に議会の圧倒的多数を与える者たちが反省しているわけがない、と思うのは当然だろう)、こうした正しい日本認識を大衆が持っているというだけではないだろうか。むしろ多くの在日朝鮮人知識人は胡散臭い役割の片棒を担いでいると思う。

 一方(2)の反論は次のように始まる。「在日僑胞学者鄭栄桓が私の本『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘争』への批判を『歴史批評』111号に掲載した。まずこの批判の当為性について語る前に、批判自体に遺憾を表明したい。なぜなら、私は現在この本の著書として告発されている状態であり、そうである限り、あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになるからだ。」

 印象深いパラグラフである。朴の反論への反批判は今後順次行うとしても、反論を読む限り、残念ながら朴は私の批判の意味をまともに理解していないようであり、何より自分がどんなことを『帝国の慰安婦』に書いたのか忘れてしまっているようでもある。朴の反論の日本語全訳と私のこれまでの主張を並べるだけで、日本語の読者への反批判は済むような気もするし、手元に朴の反論の日本語訳もすでに用意しているのだが、流石に著者本人の了解なしに全文公開するわけにも行かないので、今後これまでと同様のスタイルで反論を検討していきたい。

 なお、先月の『ハンギョレ新聞』に私とノルウェー在住の韓国研究者・朴露子氏の対談が掲載された。朴裕河『帝国の慰安婦』をはじめとする「和解」論を主題としたもので、日本語訳もネット上に公開されているので併せて参照されたい。

“과거 얽매이지 말자는 ‘한-일 화해론’, 중국과 대립 부를 위험”
【朴露子-鄭栄桓 教授対談】「過去に囚われるのをやめようという『韓日和解論』、中国と対立を呼ぶリスク」

*1 和田春樹は安倍談話について『中央日報』の取材に対し、「歴史修正主義であった安倍総理が「平和国家」へと転換した戦後日本の一般的理解を認識している点は合格点」と評価するコメントをしている。(『中央日報』2015年8月21日付web版)。小此木政夫、船橋洋一、若宮啓文などの韓国紙向けコメントもほぼ同趣旨である。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-04 00:00 | 歴史と人民の屑箱

「感謝」の論理と政治主義的「戦後」像

 声明「戦後70年総理談話について」の「戦後史」像の最大の特徴は、日本の「復興と繁栄」を、反省する「日本国民」と寛大な「諸外国」の支援の幸福な合作によりなりたったものとして描き出すところにある。だが結論からいえば、この歴史像は事実に基づいたものとは到底いえず、むしろ日本政府のみならず、現代の日本人たちの「願望」に阿った極めて政治主義的な「戦後」史像といわざるをえない。ここでは改めて「戦後」史の「原点」に立ち返り、声明の歴史認識について検証したい。

 「声明」は、次のように「日本国民」の反省の存在を指摘し、あわせて「諸外国」への感謝の気持ちを示すべきことを安倍首相に説く。再度引用しよう(強調は引用者)。

「(2)戦後日本の復興と繁栄は日本国民の努力のみによるものでなく、講和と国交正常化に際して賠償を放棄するなど、戦後日本の再出発のために寛大な態度を示し、その後も日本の安全と経済的繁栄をさまざまな形で支え、助けてくれた諸外国の日本への理解と期待、そして支援によるものでもありました。このことは、さまざまな研究を通して今日よく知られております。こうした海外の諸国民への深い感謝の気持ちもまた示されるべきものと考えます。

(3)さらに、戦後の復興と繁栄をもたらした日本国民の一貫した努力は、台湾、朝鮮の植民地化に加えて、1931-45年の戦争が大きな誤りであり、この戦争によって三百万人以上の日本国民とそれに数倍する中国その他の諸外国民の犠牲を出したことへの痛切な反省に基づき、そうした過ちを二度と犯さないという決意に基づくものでありました。戦争で犠牲となった人々への強い贖罪感と悔恨の念が、戦後日本の平和と経済発展を支えた原動力だったのです。戦後70年、80年、90年と時が経てば、こうした思いが薄れていくことはやむを得ないことかもしれません。しかしながら、実にこの思いこそ、戦後の日本の平和と繁栄を支えた原点、文字どおりの初心であり、決して忘れ去られてはならないものでありましょう。」

 声明ははっきりと「台湾、朝鮮の植民地化に加えて」「中国その他の諸外国民の犠牲を出したこと」への反省が「原点」「初心」だった、つまりアジアへの加害責任の自覚が存在した、と指摘する。本当に、植民地化と十五年戦争への反省が、戦後日本の「原点」「初心」だったのか。これを証明することは私には至難の業であるように思える。そうした事実は存在しなかったからだ。むしろこの反証となる「研究」ならば、容易に見つけられる。

 例えば、東京裁判前後の日本人の戦争責任意識について、粟屋憲太郎は次のように指摘する。

「「天皇が軍事的補佐者にだまされたのだという愚劣な神話」は、のちにマッカーサーやアメリカ政府が好んで口にした表現であった。この政治神話は、九月一八日の東久邇首相の外国人記者会見での回答でもしめされ、国民の間に根づよく浸透することになった。国民の間での戦争指導者への批判と東京裁判でしめされた「指導者責任観」の受容は、天皇を除外したかたちでしだいに強まったことが特徴である。
 もちろん、この国民の「指導者責任観」の受けとめかたは、その多くが受動的であり、被害者意識が優先して、アジアの民衆に害をおよぼした加害者としての責任意識は、多くの場合みられなかった。侵略戦争に巻き込まれ、支持したみずからの責任と反省の視点をふくんだ積極的な戦争責任究明への動きへとは、十分に発展しなかったのである。ここに「過去の克服」をみずからの課題としえなかった多くの国民の戦争責任意識の原点があったといえよう。」(粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社学術文庫、2013年、p.484-485)

 粟屋がここで指摘する理解は、声明とはおよそ相容れない認識であることは説明を要しないであろう。末尾の文にいたっては、ただちに声明への直接的な批判として機能する。

 また、吉田裕は80年代に入り、加害性への認識が生まれているとはいえ、一方で戦争観の「あやうさ」(例えばゲーム「提督の決断」が「強制連行」や「慰安婦」を「基地の耐久度」や「兵士の士気」向上のツールとして扱った事件)や、「他国民の痛みに対する傲慢なまでの無神経さ」は維持されているとみる。そしてこの傾向に拍車をかけたのは「本格的な戦後処理がなされないままに、長い間、戦争責任の問題が事実上のタブーとなってきたために、戦争の時代の正確な歴史的事実すら、若い世代に伝えられていないという現実が存在するからだ」(『日本人の戦争観』、p.253)と指摘する。『日本人の戦争観』はそもそも「戦後の日本社会の中で戦争の侵略性や加害性がなぜ充分意識されてこなかったのかという問題」(岩波現代文庫版、p.260)を考察するために、書かれたものであるから、声明のような認識にはなりようもないのである。

 両者とも声明への「賛同人」であるが、これらの解釈や問いを根本から覆すに足る「国民の戦争責任意識の原点」(粟屋)についての新事実が見出されたならばまだしも、諸氏の研究は微妙な力点の移動こそあれ(*1)、私の知る限り基本的な事実認識の変更は示されていない。「賛同」するにたる論拠を示す義務があるのではないだろうか。

 次に、「諸外国」への感謝について、戦争責任への「反省」の問題とも関連するので改めて触れておこう。確かに声明のいうように、連合国の賠償放棄が日本の「復興と繁栄」の重要な条件となったことは事実であろう。だがそこでの賠償放棄や戦後補償の未済が、「諸外国の日本への理解と期待、そして支援」によるものであった、とするのは成り立たない。ここでは賠償放棄が「諸外国」の自発的な行為として位置づけられ、賠償や補償の支払いを否定し続けた日本外交の能動的側面が隠蔽されている。そして、本来必要であるはずの未済の「戦後責任」への謝罪が、「復興と繁栄」を助けた「寛大な態度」への感謝にすりかえられている。戦争責任を反省することなく、賠償や補償をせず申し訳ないという言葉が求められているのに、助けてくれてありがとう、という言葉を発せよと安倍に促しているのである。

 実は声明が行った「謝罪」から「感謝」へのすりかえは、日本敗戦後の戦争責任論議において度々あらわれた典型的な責任回避のレトリックである。例えば、降伏文書調印後の9月4日に開かれた第88臨時議会において衆議院は、「帝國陸海軍は廣袤數萬里の陸海空に勇戰奮鬪國民勤勞戰士亦千辛に耐へ萬苦を忍ひ克く奉公の至誠を效せり是れ全國民の齊しく感謝感激措く能はさる所なり」とする、「皇軍将兵並国民勤労戦士に対する感謝敬弔決議案」を可決した。よく戦い、死んでくれてありがとう、というわけだ。決議案は大日本政治会(日政会)が提案したものであったが、敗戦責任の追及を回避し、降伏後における「國體護持」を進めるために日政会が最後に採った論理が将兵・戦士への「感謝」であった、という事実は示唆的である(*2)。

 「感謝」の強調は、朝鮮人強制連行・強制労働についての言及にもあらわれる。松村謙三厚生大臣は9月、朝鮮人労働者の帰還に際し「親愛なる妻子家族を残して酷寒、酷暑を凌ぎよく乏しきに耐へ敢闘された諸君の挺身協力については私は感謝と感激の念をいよいよ深く心に銘ずるものであります」との談話を発表した(「朝鮮労働者に感謝を表す 厚相談話発表」『読売報知』1945年9月20日付)。朝鮮人労働者に「感謝」した事実を意外に思われるかもしれない。だがこれは決して日本政府の「良心」を示すものではなかった。8月の無条件降伏を前後して、各地で朝鮮人・中国人労働者たちは蜂起し、労働争議を起こした。政府は繰り返しこれらの戦いを「誤れる戦勝国民意識」によるものと非難し弾圧を試みた。松村厚生大臣の発言は、侵略戦争に協力させた責任を問う朝鮮人・中国人労働者の争議に、「戦争に協力してくれてありがとう」という言葉を放ったものであり、その戦争責任認識において真っ向から対立するものといえる(*3)。いわば責任回避のために「感謝」が行なわれているのである。

 朝鮮人強制連行の責任回避のため「感謝」を用いたのは政府や議会だけではない。『朝日新聞』は、1946年7月の社説で「日本の統治下にあった朝鮮が、戦争中わが戦力増強のため、いくたの犠牲を払ったをや、内地在留のかれらが、軍需生産部門に厖大な労働力を提供したことについて、われらは感謝するものである。」と述べたうえで、「しかし終戦後の生活振りについては、率直にいって日本人の感情を不必要に刺激したものも少くなかった」と、朝鮮人の振る舞いを非難し、「これら朝鮮人の行動が、戦争中融和してきた日鮮人間の感情を[二字不明]することの生ずるのを悲しむものである。われらは残留朝鮮人が日本の[二字不明]途上の困難を理解し、これに協力することを期待してやまないものである」と結んだ(『朝日新聞』1946年7月13日付)。戦争協力への犠牲には「感謝」するが、「戦後」の振る舞いは戦時期の「融和」を台無しにする不必要なものだ、日本の「復興」に協力せよ。こう朝日の社説は説いたのである。

 この社説にはただちに朝鮮人からの反論がなされた。朝鮮建国促進青年同盟の徐鐘実は、こうした「感謝」の論理に対し、「いかにも我々が自ら日本の侵略戦争に対して犠牲を払い労力を提供し進んで戦争に協力したと彼等は称讃せんと言うのか?無反省も甚だしい見方で、全くその反対である。/我々はこれに対して日本から少しも感謝される理由を持たないと同時に次にある反面に感謝して貰いたいのである。つまり朝鮮人はかかる甚大なる犠牲を払はせられた過去をも忘却してなお日本の法律と社会秩序維持に協力し」ているのだ、と反論した(『朝日新聞』1946年7月14日付)。そして次のように『朝日』に問いかけた。

「朝鮮人がみながみな善良なりとはいわないが、終戦後日本人諸君は、我々に対して温い言葉一つ言ったか、解放された祝いの言葉一つ言ったか、政府ですら償いの言葉一つ聞かないのである。それぱかり、生活の活路一つ与えず、救済の一策たりともほどこしたであろうか? 却って既成事実の一、二を誇大に宣伝し,依然として弾圧のみであったと僕は断言する。平和日本の民主主義を代表する貴杜の意見とするならば両国の将来を憂える真の民主主義、世界平和を冀求する時、唯々寒心に堪えず、一層の理解と反省を要求する。」

 この『朝日』と徐鐘実のやりとりは、早くから山田昭次が「八・一五」後の朝鮮人・日本人の意識の落差の事例として紹介したものだが(*4)、ここではっきりしていることは『朝日』には日本の戦争を侵略戦争を認めそれを否定的に評価する認識が欠落していることである。ゆえに「大日本帝国」の戦争遂行の論理そのままに朝鮮人に「感謝」をし、同じように「融和」を壊したとして非難するのである。徐鐘実の反論はその点を突いたものだった。

 ここにみた「感謝」の論理に基づく朝鮮人への要求の封殺の事例もまた、声明のいうところの植民地化と戦争の「犠牲」を出したことへの「反省」が「原点」「初心」であったという認識の反証となるものといえる。徐が「却って既成事実の一、二を誇大に宣伝し,依然として弾圧のみであった」と指摘したとおり、むしろ「反省」どころか、それを封じるための様々な弾圧こそが「戦後」の「原点」だったのではないか。在日朝鮮人史にてらしても、以後、1947年には外国人登録令を制定し、48年から49年にかけて朝鮮学校と朝鮮人連盟をを暴力により閉鎖・解散するなど、「依然として弾圧のみ」の「戦後」こそが継続することになる。

 1950年代以降の「講和」による賠償放棄や植民地出身者への戦後補償の否定は、こうした「戦後」の「原点」から引き続く、「反省」の回避のうえに、いやそれどころか、「反省」をもとめる人々の動きを率先して叩き潰すところに成り立ったものである。声明のいうように、「反省」をした日本国民の姿に心打たれた「諸外国」の人々が、自発的に訴えを放棄し、助けた結果ではない。率先して戦犯の復権を進め、朝鮮人・台湾人を戦後補償から排除し、公然と侵略戦争と植民地支配の賛美を行った。賠償をめぐる交渉の場でも、例えば日本・フィリピン賠償交渉でも度々日本政府代表は賠償を値切ろうとして相手方を激怒させ、日韓交渉に至っては植民地近代化論を臆面もなく展開した。これらは何も極秘のことではなく、むしろ周知の事実といえよう。日本を助けたのではなく、日本に抑えこまれたのである。

 以前にも紹介したことがあるが、かつて日本史研究者の松浦玲は日中国交回復に際して次のように主張した。

「私は、いま騒がれている日中国交回復とか日中友好とかに、あまり賛成でない。それには、いろいろ理由があるのだが、それはさておき、ここで一つの提案をしておこう。もし本当に日中友好とか国交回復とか言うのであれば、日本はまず、中国を侵略した戦争の”功労”に対する叙勲をすべて取り消せ。また、中国を侵略した”功労”を含む旧軍人の階級に対して与えられている軍人恩給をとりやめろ。中国から要求されて(そんな要求はしてこないだろうが)取り消すのではなくて、自発的に取り消せ。それをやることがどんなにつらく、どんなに大変かを身にしみてわかって、はじめて、日本人の対中国観およびそれと裏腹の関係にある自国についての国家観は、幾分でも是正され、本当の意味での国交、日中友好が、少しはできるだろう。」(『日本人にとって天皇とは何であったか』辺境社、161頁)

 本当に「反省」が「原点」にあったならば、松浦のいうような行動とそれをめぐる社会的な対立は不可避であっただろう。だがその本来必要であった対立を避けておきながら、「反省」したという偽りの果実だけは手にしようとするのは、あまりに不誠実というほかない。声明はこうした「戦後」の事実を隠蔽し、国民の「反省」をたたえ、さらには、再び「諸外国」に「感謝」の言葉を発するよう促している。声明の人々は、仮にもし本当に発せられた場合、その「感謝」は誰に向かうのかを真剣に考えたほうがよいのではないか。その宛先は誰なのか、ということだ。日韓関係を例にとれば、補償を求めないでありがとう、という「感謝」の宛先は、当然ながら朝鮮民衆になりようはない。軍事力を動員して民衆の反対運動を封じ込め、日韓条約を強硬に締結した、朴正煕政権こそがその「感謝」の宛先となる。以前にも書いたように、それは要求を封じ込められた人々の神経を逆なでするものとなろう。

 先にあげた「感謝」の論理は、いずれも侵略戦争の責任を認めず、かつ責任追及を回避するためになされたものだった。「声明」が採用した「感謝」の論理もまた、これと同じ問題をはらんでいないだろうか。徐鐘実にならえば、「いかにも我々が自ら日本の侵略戦争に対する追及をやめ、進んで復興に協力したと彼等は称讃せんと言うのか?無反省も甚だしい見方で、全くその反対である。」とでもいえようか。「感謝」の論理が「戦後」の歴史において果たし続けきた否定的な役割にこそ、いま改めて注目する必要があるのではないだろうか。政治主義的な「戦後」史像を許すべきではない。


*1 吉田裕『日本人の戦争観』(岩波現代文庫、2005年)の「文庫版のためのあとがき」は、1995年版について「日本対アジアというごく一般的な枠組みの中でしか、戦争観をめぐるせめぎあいを分析できなかった」ことを反省し、日中韓で「相互のナショナリズムの衝突がみられることを考えるならば、東アジアという場を設定し、その中で、日本・中国・韓国の戦争観や「戦争の記憶」の相互連関を分析するような手法が必要となるだろう。最近出版された谷口誠『東アジア共同体』(岩波新書、2004年)は、EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)とならぶ地域統合として、東アジア共同体の構築を提唱しているが、そうした構想を現実化してゆくためにも、東アジアという場の中で問題を考えるべきだと思う」(p.285-286)と記す。吉田の認識の変化は、「日本問題」としての歴史認識問題が、1990年代後半から2000年にかけて「東アジア問題」あるいは「ナショナリズム問題」へと変化していくプロセスと軌を一にするものと考えられる。この問題については、『新しい東アジアの近現代史(上・下)』(日本評論社、2012年)への批判的分析を通して論じたことがあるので(拙稿「「国境を越える歴史認識」とは何か 『新しい東アジアの近現代史』を読む」、『歴史学研究』910号、2013年10月)、参照していただきたい。

*2 敗戦直後の帝国議会における「戦争責任」論議については、粟屋憲太郎『昭和の歴史6 昭和の政党』(小学館、1988年)の「戦中から戦後へ」を参照。ここでも粟屋は次のように議会人の戦争責任問題への対応を厳しく批判している。

「議会人のなかには、敗戦責任の立場からではあるが、戦時中の議員の政治責任を理由に辞職願を提出した少数の代議士がいた(11月26日召集の第89臨時議会で、18名の辞職願が認められた。)しかし他の多くの議員たちは、議会は政党人の戦争責任の問題はうち捨てて、いち早く新党運動にとびついた。一般の国民の多くが突然の「終戦」によって虚脱状態となり、茫然自失におちいっていたのにくらべて、議会人の「戦後」への対応は驚くほど早い。しかしこの対応の早さは、議会人の政治的無節操にほかならない。かつて新体制運動で、「バスに乗り遅れるな」の合言葉とともに政党解消を競いあった政党人の状況追認・機会便乗主義が、今また再現したのである。」(p.401-402)

*3 日本敗戦直後における「感謝」の論理と、それと並行して進んだ朝鮮人運動への取締の関係については、拙著『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局、2013年)の第一章で検討したので参照していただきたい。

*4 山田昭次「八・一五をめぐる日本人と朝鮮人の断絶」『植民地支配・戦争・戦後の責任―朝鮮・中国への視点の模索』(創史社、2005年)

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-08-02 00:00 | 歴史と人民の屑箱

大沼保昭の朴裕河「擁護」と和田春樹の朴裕河「批判」

 和田春樹『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』(平凡社新書、2015年)と大沼保昭『「歴史認識」とは何か』(中公新書、2015年)を読んで印象的だったのは、この二人がそろって朴裕河『帝国の慰安婦』を正面から論じることを避け、奇妙な触れ方をしていることだ。果たしてこれは偶然だろうか。そうでないならばその政治的意味はどのあたりにあるのだろうか。この問題は朴裕河『帝国の慰安婦』の論じ方に関わる極めて重要な論点を含んでいると思われるので、ここでいくつかの可能性について考えてみたい。

 まず、大沼保昭は、日本国民の取り組みが韓国に理解されない背景について語る文脈で、次のように述べている。

「韓国はどうか。二十一世紀になって韓国は慰安婦問題についてますます強硬になっている印象ですが、別に全国民一丸となって強硬姿勢を取っているわけではありません。たとえば世宗大学の朴裕河教授。朴さんは『和解のために』と『帝国の慰安婦』という本を公にして、アジア女性基金による償いを高く評価し、韓国の側における冷静な議論と自己批判の必要性を強調している。それを冷静に受け止めた書評も韓国の新聞に掲載されました。
[中略]
 しかし、朴さんは『帝国の慰安婦』の叙述をめぐって訴えられ、民事だけでなく刑事告訴までされてしまった。この問題に対する朴槿恵政権の姿勢も韓国メディアの態度も、九〇年代よりさらにかたくなになっている面もみられる。韓国国民にも、日本の植民地支配や戦争を知る世代が少なくなって、かえって観念的でナショナリスティックな反日論が増えているように感じます。これは、日本で歴史的事実を無視した観念的な嫌韓論がネットや一部の雑誌、書物ではびこっているのと、ちょうど合わせ鏡のような関係にあります。
 そもそも、あらゆる元慰安婦や彼女たちを取り巻く支援団体、日韓両政府や学者やメディア、多様な日韓両国民、さらに国際社会をすべて満足させる「真の解決」といったものはあり得ないのです。日韓両政府が交渉を重ね、お互い譲り合って政府間の解決に合意することは、数少なくなってしまった生存している元慰安婦のためにも、日韓の友好的な関係のためにも、もちろん大切なことです。しかしそれでも、そうした「解決」を激しく非難する人は、日本にも韓国にも必ず残るでしょう。」(p.156-158)

 ここで朴裕河は、あくまで「反日」韓国の世論を批判し、大沼のフレームを証明するために呼び出されているにすぎない。国民基金を高く評価したこと、韓国に「冷静な議論と自己批判の必要性」を求めたことを評価してはいるが、『帝国の慰安婦』の内容それ自体については奇妙な沈黙を守っているといえよう(*1)。

 一方、和田春樹はどうか。『慰安婦問題の解決のために』の第二章「慰安婦問題とはいかなる問題か」には次のような興味深い記述がある。

「日本からの慰安婦の獲得はおおむねこの形で行われたと見ることができます。民間の業者が勝手に女性たちを集めていったというものではありません。業者も国家的体制の一部です。日本からは売春婦であった二一歳以上の女性が集められたと考えられます。この人たちには金銭的な約束のほか、「お国のため」「戦争に勝つため」というイデオロギー的な説得がなされたでしょう。ですから、この人びとをたしかに「帝国の慰安婦」(朴裕河)と呼ぶことができるかもしれません。
 しかし、このとき、朝鮮、台湾にも女性たちを集めることが要請されています。[中略]
 朝鮮、台湾では、これまでに売春婦であったという条件がはずされ、普通の娘たちが良い働き口があるということで欺されて、集められたのがもっとも多いケースであるようです。貧しさ故に前借金を受け取って、出かけることを承諾した人もいるでしょう。もちろん売春婦であった人も少なからず含まれていたと考えられます。ここでも、「お国のため」「戦争に勝つため」というイデオロギー的な説得がありました。しかし、その気持ちになったのは、まず朝鮮人の業者たちでした。集められた女性たちにそのような意識があったかどうか疑問です。」(p.60-61)

 これは和田による『帝国の慰安婦』批判であるといってよいだろう。和田が念頭においているのは、朴裕河が『帝国の慰安婦』(特に朝鮮語版)で全面的に展開した、「慰安婦」たちは日本軍兵士に「同志意識」を持ち両者は「同志的関係」にあった、という主張であろう。和田はそのような「同志意識」、すなわち日本による「イデオロギー的な説得」を受け入れ、内面化したのは日本人「慰安婦」に限られ、朝鮮人の場合は「そのような意識があったかどうか疑問」だと指摘しているのである。本書で唯一の『帝国の慰安婦』への言及は、このようにその基本的なモチーフ(*2)を否定する文脈でなされている。

 なぜこのような朴裕河「批判」が挿入されたのか。一つの可能性として、和田のように国民基金型の「和解」を進めたい者たちにとって、朴裕河『帝国の慰安婦』がある種の「お荷物」になりはじめているのではないか、ということが考えられる。毎日新聞の山田孝男のように、未だに「「日本軍の慰安婦=性奴隷」説を否認した労作」と礼賛するものもいるにはいるが(「風知草:「帝国の慰安婦」再読」『毎日新聞』2015年7月27日・朝刊)、和田は流石に山田のように能天気でも無知でもない。この本の出来の悪さは重々承知しているだろう。さすがにこれでは、日韓「和解」と慰安婦問題「解決」という政治的目的を同じくしている者であっても、賛同できないかもしれない。だからこのあたりで朴裕河を「批判」して切り離し、むしろ裁判だけを取り上げて韓国ナショナリズム批判に利用する戦略を取った。こういう仮説が考えられる。

 ただ、この仮説はあまりに単純で一面的な気もする。大沼の内容に対する沈黙は説明がつくかもしれないが(つまり徹底的な朴裕河の政治的利用である)、上の引用から明らかなように、和田の朴裕河「批判」は単純に切り離そうとするものにしては、あまりにまわりくどい。内容上は明らかに『帝国の慰安婦』批判なのだが、そうと明示してはいない。「朴裕河さんは~~と述べていますが、~~は疑問です」といったように、もっとわかりやすい書き方もできたはずだ。むしろ『帝国の慰安婦』の広範な流通を考えれば、誤った認識があるなら、秦郁彦や西岡力に対してそうしているように、直接的に明示して批判すべきであろう。それでこそ誤った認識は正される。これでは事情がわからない読者は読み飛ばしてしまうかもしれない。なぜこのようなまわりくどい書き方をするのだろうか。

 たかが新書を深読みしすぎだと考えるかもしれないが、ときに激昂しあけすけに本音を語る大沼とは異なり、和田の著作には常に周到に仕込まれた政治的含意があると私は考えている。とりわけこのタイミングで出された和田の著作が、単なる歴史学的な「慰安婦」論であるはずがない。地の文のみならず、引用や出典表示の全て、すなわち、誰を批判し、誰を引用し、誰を引用しないか、に全て政治的意味があると考えるのが自然であろう。例えば和田が「忘れがたい話し合い」として挿入する次のエピソードも興味深く読める。

「このころ[1995年:引用者注]、五月の半ばに、私はソウルで挺対協の尹貞玉先生たちと会いました。前年に会って以来、半年、日本の状況を説明したいと思ったからです。ともに共同代表である池銀姫氏と鄭鎮星氏が一緒に来ました。[中略]私は、三人に日本政府が進めようとしている基金の構想について解説し、申し訳ないが、日本の状況からすればこれで進めることはやむをえないだろうと話しました。長く話し合った最後に尹貞玉先生は、思いがけなく、「どうしてもだめなら、国民から集めたお金でもいい。政府の代表者が謝罪とともに、そのお金をもってきて、ハルモニに差し出してほしい。そういうことなら受け入れられる」と言われました。池銀姫氏も同意されるようでした。しかし、若い鄭鎮星氏は到底納得できないという立場でした。
 今から考えれば、日本の政府が謝罪をして、その謝罪を表すお金を政府が差し出すという形が貫かれれば、償い金の財源については、ある程度日本の事情により、いろいろな形が考えられるという尹先生の意見はきわめて重要なものでした。もちろん鄭鎮星氏の反発も無視はできません。尹貞玉先生自身もはなしてその案でいけるというほどの確信はもてなかったかもしれません。実現するには、日本政府の方に決定的な困難があったことはたしかです。しかし、このとき瞬間的に開いた可能性の空間で、もう少し話し合いができて、それを生かせばよかったのにと残念に思っています。話し合いはいかなる結論もなく終わり、私たちは別れました。」(p.113-114)

 和田はこの「話し合い」を描くに際し、植民地期を知る挺対協の重鎮で真の「解決」を探る尹貞玉と、若く批判的な研究者・鄭鎮星という図式を採用する。「忘れがたい話し合い」の情景を描写し、「あのときの尹貞玉」を形象化することで、挺対協を割り、国民基金的「和解」へと誘おうとする。この描写は和田なりの挺対協「批判」なのである。

 この点は大沼とは全く異なる。例えば、一読してわかるように、上の引用における告訴についての大沼の説明は不正確である。『帝国の慰安婦』を訴えたのは「ナヌムの家」の元「慰安婦」女性たちであるにもかかわらず、大沼は「植民地支配や戦争を知らない世代」による「観念的でナショナリスティックな反日論」にすりかえ、それどころか、嫌韓流や在特会のような排外主義と同列視してしまう。「植民地支配や戦争を知らない世代」による「観念的でナショナリスティックな反日論」だということにしたい、という欲望がもろに表出してしまっている。歴史認識問題とは各国の過度なナショナリズムの問題であり、「解決」への道は各国がナショナリズムを抑制することだ(「嫌韓・反日どっちもどっち論」)、という日本の「リベラル」内では支配的なフレーム(*3)に『帝国の慰安婦』提訴を無理やりあてはめようとするため、無理が生じ、願望がバレてしまう。大沼・和田は同じ政治的メッセージを発しているが、その方法が違う。和田の本を読むときにはこの点に留意すべきだと思う。

 ここからは私の推測にすぎないが、おそらく和田は「ナヌムの家」へのメッセージとしてこの記述を挿入したのではないだろうか。上にあげた大沼の歯切れの悪い朴裕河「擁護」にあらわれているように、「ナヌムの家」の女性たちの朴裕河提訴は、国民基金=「和解」派にとっては手痛いものであったと思われる。何より、女性たちの『帝国の慰安婦』への批判は根拠のない誹謗ではなく、その内容は妥当なものだ。和田は再び当事者女性たちを敵に回すことになった朴裕河『帝国の慰安婦』の「同志意識」に関する記述を暗に「批判」し、「ナヌムの家」を「和解」へと包摂しようとしたのではあるまいか。この点も、「それでも、そうした「解決」を激しく非難する人は、日本にも韓国にも必ず残るでしょう」と語り、異論派を切り捨てることを明言してしまう大沼とは異なる。

 いまだに朴裕河をもちあげている者とは異なり、和田は朴裕河『帝国の慰安婦』が一種の「地雷」であることは理解していると思う。「和解」云々を言論や社交のネタ程度にしか考えていない凡百の「リベラル」とは違うのである。だが『帝国の慰安婦』がもたらした韓国ナショナリズム批判・挺対協批判の「空気」は、挺対協を「和解」へと包摂するうえで利用価値があるため、明示的に朴裕河を批判して「空気」を変えることは避けたい。だからこそ、周りくどいかたちで、事情がわかるものにだけ伝わるよう、朴裕河「批判」を挿入したのではないか。日本語で出版された書物ではあるが、和田の書いたものならばただちに韓国の運動関係者へ伝わるであろうし、おそらく朝鮮語版も出版されるだろう。和田の朴裕河「批判」の理解としては、ひとまずこうした解釈が可能ではないだろうか。

 ここからは、朴裕河『帝国の慰安婦』の手法や内容があまりに粗雑であるがゆえに生じた逆説を読み取れる。あまたある朴裕河の方法上の誤謬や歴史的事実への無知や誤解があまりにひどいがゆえに、その最も本質的な問題である「和解」論を生き延びさせてしまう、という逆説である。『帝国の慰安婦』の欠陥は学問的には致命的な短所だが、政治的には長所になりうるのだ。朴裕河という「おとり」にやっきになるがゆえに、実際にはほとんど同じことをいっている和田の朴裕河「批判」に飛びついてしまう。私も含めて『帝国の慰安婦』の実証的・方法的問題に集中的に批判を浴びせ、それなりの成果を収めたがゆえに、新たに浮上した問題群であるといえよう。「ナヌムの家」の人々は、くれぐれも気をつけて欲しい。

*1 ちなみに大沼はこの前段で日本の右傾化は過度な戦争責任・植民地支配責任の追及のせいだ、という自説を繰り返している。これは日本の右傾化の原因についての謬説であると同時に、戦争責任・植民地支配責任を追及する日本内の動きの過大評価であり(歴史修正主義者と同じ認識)、同時代史の歴史修正であるといえる。

「日本についていえば、一九九五年ごろは、ほとんどの支援団体が裁判で勝てる、あるいは特別立法がなされて国家補償がおこなわれるという非現実的、空想的といっていい議論をしていました。メディアもそれに引きずられて、観念的な国家補償論や法的責任論を論じる傾向が強かった。それが、裁判では敗訴続き、民主党政権下でも特別立法はできないという現実に直面し、その一方で国民・市民を含む新しい公共理念への理解も進み、人々は慰安婦問題について以前よりはるかに多面的で、問題の核心を突く見方ができるようになってきた。かつてはアジア女性基金に批判的だった人も、その意義を高く評価するようになってきた。二十年前に比べて、この点に関しては日本の市民社会は明らかに成熟を示していると思う。
 その一方で、『朝日新聞』をはじめとする「進歩的」メディアが自分たちの正義をふりかざして一方的で偏った報道をしてきたことについて、九〇年代から日本国民の不満が溜まってきていたように思います。その不満や批判はある程度は正当なものだと思いますが、それが行き過ぎて感情的な嫌韓、反中の論調が雑誌やウェブ上で展開されるようになってしまった。自分に都合のいい事実だけを集め、きわめて煽情的な見出しで記事を書く。聞くに堪えないような低劣な表現で韓国や中国への非難をくり返す。本来は正当な根拠をもっていた不満や怒りが、汚ならしい、偏見に充ち満ちたことばで発信されてしまっている。歴史の事実を認めようとしない言説も、かつて以上に広範に出回っているという印象もあります。身近に戦争をしる世代がいなくなってきたこともあり、若い世代がそういうものを簡単に信じてしまいがちになっているのかもしれない。」(p.155-156)

 『朝日新聞』に掲載された、声明「戦後70年総理談話について」に関する座談会でも、大沼は同趣旨の発言をしている(「座談会 70年談話、学者の危機感 三谷太一郎さん、大沼保昭さん、藤原帰一さん」『朝日新聞』2015年7月25日付・朝刊)。

「大沼 戦後日本では、それまでもっぱら被害者意識で語られていた戦争を、アジアに対する加害の面からも捉える試みがなされました。それ自体は望ましい歴史認識の多面化でした。ただ、一部の知識人や朝日新聞をはじめとするメディアは、日本の戦争責任・植民地支配責任について過度な倫理的追及をして、「日本は無限に頭をたれるべきだ」といった風潮が社会に生まれた。一般の人々は「中韓の主張にもおかしいところがある」と正当な批判の感情を抱くのに、「加害者は被害者を批判すべきでない」と言って、それを抑え込んだ。その結果、人々の不満は極端な排外主義者にすくい取られてしまい、それが中韓にはねかえって、さらなる反日の反応を招いている。こうした歴史認識をめぐる悪循環を克服するには、相互に過剰な倫理的要求を控えなければならない。」


*3  前述の『朝日新聞』座談会(*1参照)で、三谷太一郎は「冷戦後、グローバルな規模で国際秩序の一種のアナーキー化が進み、それが歴史認識を国際問題化させたのです。」「しかも、冷戦後は、ある種の平等観念を前提としたナショナリズムが強まり、そのことが国際秩序のアナーキー化にさらに拍車をかけているのです。」と、あからさまに90年代以降のアジアからの対日戦争責任・戦後補償要求を否定的にとらえている。冷戦とは、いわば「ある種の」序列的な「国際秩序」のもと、アジア民衆からの戦争責任追及を封じることができた時代といえるのだが、三谷の発言からはこうした時代への郷愁を読み取れる。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-07-29 00:00 | 歴史と人民の屑箱

「王道」としての日本戦後史?――声明「戦後70年総理談話について」の問題

 「国際政治学者や歴史学者ら74人」(代表・大沼保昭、三谷太一郎)が7月17日、声明「戦後70年総理談話について」を発表した(『朝日新聞』2015年7月17日付web版)。8月に出されるであろう安倍首相の「戦後70年談話」について、「学者」らが所見を明らかにしたものであるが、率直にいって私としては、この線で安倍談話が出されることに断固として反対しなければならないと考える。その理由を以下に記しておきたい。

 いま巷間には「戦後日本=平和国家」という像を立脚点に、そこからの逸脱として安倍政権=安保法案を捉え、これに対抗しようとする言説があふれている。だがこれは言うまでもなく虚像であり、歴史認識として誤っている。日本は憲法九条を遵守してこず、むしろ「戦後史」は解釈改憲史にほかならなかった。日米安保条約及び国連軍地位協定体制のもと自衛隊と米軍は一貫して日本・沖縄に駐留しており、常にこれらの軍隊と基地は朝鮮戦争やベトナム戦争といった具体的な戦争の「当事者」であった。朝鮮戦争期に限っても、日本国内の反戦運動をGHQや日本政府は占領法規や治安法令により過酷に弾圧した。日本政府は、植民地支配や侵略戦争期に構築した人的ネットワークと冷戦構造をふんだんに活用してアジアからの戦争責任追及と反植民地主義の声を封じ込め、「戦後」世界における日本資本主義の「権益」擁護のためにアジアの軍事独裁政権を支え続けた。いかなる意味においても、「戦後日本国家」は「平和国家」ではなかった。

 あるいはこれらは「戦後日本」の一側面にすぎず、「全体的に」歴史を捉えなければならない、という主張もあろう。だが仮に戦後の護憲・革新勢力が自ら設定した基準に照らしても、上にあげた諸要素はあるべき「平和主義」を毀損する極めて重要かつ本質的な問題点と考えざるをえない。だからこそ戦後革新勢力のうち少数ながらも良心的な部分は、戦争と植民地支配への反省に基づいた「平和主義」の実現を不断に阻む日本の支配構造を批判したのではなかったか。上記の諸要素を前提にしつつ「平和国家」であったと強弁する歴史観は、端的にいって安倍政権の歴史認識である。このような「平和国家」観にたてば、アメリカすら「平和国家」であるとみなしうるのではないか。

 この声明の最大の問題点は、これらの歴史的事実に真摯に向き合ったうえで「戦後70年談話」を発表することを安倍首相に求めたものではないところにある。むしろ声明もまた、上に挙げたような「戦後日本=平和主義」の虚像のうえに立っている。それどころか、この声明は「平和主義」の問題にとどまらず、そこから一歩も二歩も進んで戦争責任や植民地支配責任をめぐる諸論点にふみこみ、にわかには信じがたい非歴史的な「戦後史」像を彫琢している。ここに最大の問題がある。

 声明の提示する「戦後日本」像は次のようなものだ。「戦後日本」の国民は、戦争と植民地支配への反省に基いて努力した結果、復興と繁栄を達成し、平和で豊かな日本を築き上げた。「戦争で犠牲となった人々への強い贖罪感と悔恨の念が、戦後日本の平和と経済発展を支えた原動力だった」。だが、もし安倍談話が「侵略戦争」であったことに言及しなければ、こうした日本国民の「戦後」の努力は周辺諸国に伝わらず、「その結果、過去と現在と将来の日本国民全体が不名誉な立場に置かれ、現在と将来の日本国民が大きな不利益を被る」であろう。「戦後70年にわたって日本国民が営々と築き上げた日本の高い国際的評価を、日本が遂行したかつての戦争の不正かつ違法な性格をあいまいにすることによって無にすることがあってはならない」のである。だからこそ、村山談話を継承した談話を出すべきなのだ、と。

 そして声明は次のように強調して結ぶ。

 戦後日本はこのことを深い教訓として胸に刻み、世界に誇りうる平和と繁栄の道を歩んで参りました。日本が将来にわたってこの王道を歩み続け、戦後築き上げた平和で経済的に繁栄し安全な社会をさらに磨きあげ、他の国への経済・技術・文化協力を通してそれを分かち合い、国民が誇り得る世界の範たる国であり続けて欲しいと願わずにはいられません。私共は、歴史、国際法、国際政治の研究に携わる学徒として、いやなによりも日本国の一員として、そう考えます。

 安部総理よ、従来の首相による談話を継承せよ、それが「王道」(孫文)としての戦後史を担った国民の名誉を守ることになるのだ、と声明は訴える。大沼保昭流「戦後史」像の精華という感があるが、何より私が驚き、残念に思ったのは、声明が「私共の間には、学問的立場と政治的信条において、相違があります。しかしながら、そのような相違を超えて、私共は下記の点において考えを同じくするものであ」ると記していることである。つまり声明が示した歴史認識は、諸々の信条や「学問的立場」の相違の前提となる共通かつ最大公約数的な認識だということになる。おそらく代表の大沼保昭氏が声明を起草したのであろうが、声明に名を連ねている吉田裕、内海愛子、粟屋憲太郎、阿部浩己らの諸氏は、本当にかかる歴史認識を、自らの現代史・戦争責任研究に照らして、「相違を超えて」「考えを同じくするもの」と考えているのであろうか。諸氏の著作から多くを学んできた者として、私はぜひこの点を問いたいのである。

 声明には「戦後の復興と繁栄をもたらした日本国民の一貫した努力は、台湾、朝鮮の植民地化に加えて、1931-45年の戦争が大きな誤りであり、この戦争によって三百万人以上の日本国民とそれに数倍する中国その他の諸外国民の犠牲を出したことへの痛切な反省に基づき、そうした過ちを二度と犯さないという決意に基づくものでありました」とある。だが、吉田裕『日本人の戦争観』は、果たしてこうした戦後の民衆意識理解を許容するであろうか。本当に朝鮮や台湾の植民地化への反省が、1945年以降の日本の民衆意識に根付いていたのであろうか。むしろ吉田の占領期の民衆意識の研究は、戦争責任に関するアジア認識、とりわけ植民地責任意識の欠落をこそ示したのではなかったか。「戦争で犠牲となった人々への強い贖罪感と悔恨の念が、戦後日本の平和と経済発展を支えた原動力だったのです」という一節における、「犠牲」という言葉の疑わしさをこそ問題にするべきではないだろうか。そもそも声明は朝鮮や台湾への「侵略」には触れておらず、朝鮮民主主義人民共和国も出てこない。

 声明はこうも述べている。「戦後日本の復興と繁栄は日本国民の努力のみによるものでなく、講和と国交正常化に際して賠償を放棄するなど、戦後日本の再出発のために寛大な態度を示し、その後も日本の安全と経済的繁栄をさまざまな形で支え、助けてくれた諸外国の日本への理解と期待、そして支援によるものでもありました。このことは、さまざまな研究を通して今日よく知られております。こうした海外の諸国民への深い感謝の気持ちもまた示されるべきものと考えます」、と。

 私が内海愛子『戦後補償から考える日本とアジア』から学んだのは、賠償を求めるアジア諸国の怒りの声を冷戦体制のもとで米国が封じ込め、各国が賠償請求権を放棄せざるをえなくなったか、フィリピンなどのように不十分な賠償に留まった事実である。戦争被害者個々人への補償はいうにおよばず、これらの賠償が被害の実態に即したものではなく、日本の支払い能力を重視してなされた結果、戦争被害の実態調査と回復を遅らせた。それは「寛大」さや日本を「助け」ようとした意思の表明ではなく、こらえがたい怒りをこらえさせられた歴史であった。70年代の東南アジアにおける反日デモは、経済大国になったにもかかわらず、一向に真摯な戦争への反省を行おうとしないからこそ爆発したのである。これらの内海もまた認めるであろう歴史的事実と、上の声明の認識は果たして両立しえるのだろうか。

 また、阿部浩己『国際法の暴力を超えて』の重要なメッセージは、女性戦犯法廷は東京裁判で行えなかった戦争犯罪と植民地犯罪を再審する重要な機会である、というところにあったのではなかったか。21世紀をまたふたたびの帝国主義時代にするのではなく、植民地支配という不正義を問うことで、21世紀の名にふさわしい新たな時代を開くべきだ、そう阿部は指摘していたはずだ。こうした認識の背景には、20世紀の日本が自らの帝国としての支配を充分に克服できなかったことへの自覚と反省がある、と理解していたが、かかる認識と上の声明は到底共存しえないように私には思える。

 本当に果たすべきは賠償放棄をした「海外の諸国民への深い感謝」ではない。加害責任を果たしてこなかった歴史を認め、これに真摯に向き合い、責任を果たすことである。「戦争責任や植民地支配責任を追及しないでくれてありがとう」と、他ならぬ追及の声をあの手この手で封じ込めた者が言うとき、いまなお責任の追及を求める者たちの答えは「どういたしまして」ではなく、「ふざけるな」であるはずだ。その怒りは圧倒的に正しいと私は思う。そのとき声明の「学者」たちは、安部と共に「日本国民の努力が理解されていない」と逆ギレするのだろうか。

 声明は仮に安倍談話が「侵略」への明言を避けるなどした場合、「その点にもっぱら国際的な注目が集まり、総理の談話それ自体が否定的な評価を受ける可能性が高いだけでなく、これまで首相や官房長官が談話を通じて強調してきた過去への反省についてまで関係諸国に誤解と不信が生まれるのではないかと危惧」する、と懸念を表明する。だが、加害責任への真摯な反省と応答とはほど遠い立場を日本政府が取っている以上、偽りの「歴史」で飾った談話を出すことは、現状の隠蔽につながる危険性すらある。むしろ安倍首相には「侵略」を派手に取り払った談話を示させることで満天下にその姿をさらけだしてもらい、周辺諸国に正しく警戒と「不信」を抱かせるべきだと思う。「不信」は決して「誤解」ではない。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-07-22 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(2・終)

3.徐京植の批判と反批判

 続けて徐京植による『和解』批判を検討しよう。徐京植の論考「和解という名の暴力――朴裕河『和解のために』批判」(以下引用は『植民地主義の暴力』高文研、2010年より)は、世界的な植民地支配責任をめぐる論争をふまえ、朴裕河『和解のために』の誤りと問題点を仔細に明らかにしたものである。著作としての『和解』の問題点のみならず、この本が「リベラル」を自称する日本の知識人たちの間で流通・消費される理由にまで分析が及んでいる。

 徐京植は、90年代はじめ日本軍「慰安婦」をはじめ植民地支配の責任を問う被害者証人があらわれ加害国の責任を問うたが(「証言の時代」)、日本では90年代半ば以降「反動の時代」に突入し、「日本植民地支配の被害者たちは右派や歴史修正主義からの暴力だけでなく、中間派マジョリティからの「和解という名の暴力」にまでさらされている、という(75頁)。そして、その代表的事例が朴裕河『和解のために』が日本で「異常なほど歓迎される現象」であると指摘する。

 徐京植の『和解』批判の論点は多岐にわたるが、第一に問題とされるのは、日韓の「不和」の原因は韓国側のナショナリズムに基づいた対日「不信」にあるという朴裕河の主張である。朴裕河は日本がどんな謝罪をしようが「不信が消えない限り、どういう形であれ謝罪は受け入れられない」から、「和解成立の鍵は、結局のところ被害者側にあるのではないか」と主張する(『和解』238頁)。朴裕河は、徐京植の『ハンギョレ』に掲載されたコラムについて「問題は、このような認識自体もさることながら、「日本のマジョリティ」批判が、韓国のリベラル新聞に大きく載り、韓国のリベラル市民が日本に対するさらなる不信に陥ることを促すということである」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」147頁)と批判しており、とにかく対日「不信」を解消することが朴にとって最も重要な「解決」への道なのだ。だが徐はこれを「原因と結果とが意図的に転倒されている」と批判する。「不信があるために謝罪を受け入れないのではなく、まともな謝罪が行われないために不信が増幅されてきたのだ」、と(87頁)。

 朴裕河の論理の「転倒」については、金富子も同様の批判をしている。金富子は、『和解』のもう一つの問題として、「日本政府や国民基金へは高い評価を与える一方、それに否定的姿勢をとった韓国、とりわけ韓国挺対協の運動姿勢を厳しく指弾」することをあげる(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」107頁)。そして、国民基金の拒否を「日本に対する本質主義的な不信」のゆえである、と主張する。だが、国民基金が被害者たちの反発を買ったのは「国民基金が文字どおり謝罪として「不十分」だったから」であり、むしろ問われるべきは「被害者や被害国に必要のない分裂や葛藤をもたらした」国民基金の「曖昧な金銭による決着という方法」である。朴裕河のように「その責任を被害者や支援運動に転嫁するのは本末転倒である」(108頁)、と金富子は指摘する。

 さらに徐京植は『和解』が歓迎された背景に、朴裕河のような主張を渇望する「日本のリベラル派」の「秘めた欲求」をみる。朴裕河の議論の前提には「大枠においては、日本は韓国が謝罪を受け入れるに値する努力をした」(『和解』238頁)との認識がある。だからこそ、日本は相応の努力をしている。にもかかわらず韓国が受け入れないのはナショナリズムにとらわれた「不信」のせいである、国民基金への反発も被害者の誤解のゆえであり、かかる誤解を生ぜしめた「支援者/支援団体」のせいである、という論理が成り立つのである。かような「論理」を歓迎する人々の「欲求」について、徐京植は次のように指摘する。

「彼ら[日本のリベラル派:引用者注]は右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって近代史の全過程を通じて獲得された日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。[中略]右派と一線を画す日本リベラル派の多数は理性的な民主主義者を自任する名誉勘定と旧宗主国国民としての国民的特権のどちらも手放したくないのだ。その両方を確保する道、それは被害者側がすすんで和解を申し出てくれることである。」(93頁)

 つまり、朴裕河の議論は、欧米も含めた「先進国マジョリティ」共通の、植民地支配責任を問う声を封じたいという心性に親和的な「和解」論であり、「それはつまり、植民地主義という世界史的潮流に対する反動の一現象」(97頁)なのだ。徐京植の『和解』批判の核心はここにあるといってよいだろう。他にも、朴裕河のいう「和解」の主体には朝鮮民主主義人民共和国と在日朝鮮人が入っていないことや、日韓条約を批判することは「無責任」だとする主張の問題点の指摘(*1)など、徐京植の批判は多岐にわたる。web上でも読むことができるので一読を勧めたい。

 なお、徐京植の『和解』批判は、徐が90年代後半に精力的に展開した「反動的局面」を支える「リベラル」への批判の延長線上に位置づけられるものだ。「つくる会」や小林よしのりに代表される歴史修正主義的免責論への批判にとどまらず、構成主義的国民観に立って「日本人としての責任」から逃れようとする人々の問題点を先駆的かつ直截に指摘し続けた徐からすれば、朴裕河の言説のもつ問題点はあまりに明瞭だったのであろう。「反動的局面」における徐の一連の主張については、このブログでも以前にとりあげたのであわせて一読いただきたい。

*参考
「徐京植を読み直す――「反動的局面」と現在(1)」
「徐京植を読み直す――「反動的局面」と現在(2)」

 徐京植のこうした『和解』批判に応えたのが、朴裕河「「右傾化」の原因、まず考えねば 徐京植教授の「日本リベラル」批判、異議あり」(『教授新聞』2011年4月18日付[朝鮮語])である。

 朴裕河は次のように反論する。

「[略]『和解のために』は徐教授のいう「植民地支配責任を問う世界的潮流」と無関係な本ではない。それは国民基金もまた同様である。慰安婦問題とは、徐教授がいうように、仮に「強制的に」連行されなかったからといっても、慰安婦問題は植民地支配の構造のなかの出来事だ。ところでこうした指摘はすでに六年前に「和解のために」で私が書いたことでもあった。「法的に」1965年に植民地支配に対する補償が終わったといっても、1990年代に政府が予算の半分を出資し、再び補償をしたのであるから、「国家補償」の形態を取っていれば良かっただろうと私も明確に書いた。だが徐教授は私の本にそのような指摘がないという事実については語らない。問題はこうした書き方が私の本や「日本リベラル」に植民地支配責任意識が無いことを読者たちに考えるように仕向けている点だ。私の本の内容の半分が日本右派批判であるということをただの一行で処理することも、こうした書き方の結果である。」

 文意を読み取りづらい箇所があるが、あえて要約すれば、朴裕河は①国民基金は「植民地支配責任を問う世界的潮流」に応じたものだ、②国民基金は「国家補償」の形態をとればよかったと主張したが徐はそれを無視している、③徐の書き方は韓国の読者に「日本リベラル」への「不信」を植え付ける、という三点にまとめられるだろう。①と②の要約が妥当ならば、本来両立しえない主張のはずだが、朴裕河の書き方が曖昧で主旨が判然としないため、これだけでは判断できない。少なくとも、朴裕河が『和解』に引き続き、「国民基金」が「補償」であったと認識し、それを根拠に「植民地支配責任を問う世界的潮流」に応じた(無関係ではない?)ものと反論していることは間違いないだろう。

 だがこれでは堂々巡りである。すでに西野瑠美子が指摘したように「国民基金」の「償い金」が「補償」ではないことは当の日本政府が繰り返し主張していることである。国民基金の副理事長であった石原信雄が「これは賠償というものじゃなくて、ODAと同じように、人道的見地からの一定の支援協力ということです」といっているのである(西野瑠美子「被害者不在の『和解論』を批判する」、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年、138頁)。朴裕河はそれを強引に「補償」といいかえ、被害者が「誤解」したかのように言い募る。「そもそもの誤解は『和解』が全てを「水に流して」あらたな「謝罪と補償」なしにことを終わらせようとする議論に受け止められたことから始まったようだ」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」144頁)というが、朴裕河が「補償」について奇天烈な解釈を採る以上、議論など成り立つはずがないのだ。

 さて、朴裕河がこの反論で最も強調したのは③である。上に続けて次のように説く。

「「在日」に対する差別やその他の日本社会の矛盾をすべて日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」でもある。自身と少しでも違う考えに対し、たやすく「反動」のレッテルを貼る「暴力」は彼がいう「世界平和」の基盤になるべき「信頼」ではなく「不信」を助長するだけだからだ。「日本リベラル」の「右傾化」を批判するならば、何が彼らを「右傾化」へと追い立てるのかをまず考えねばならない。明らかなことは「日本リベラル」を敵に回すことは補償を一層難しくするだけだということだ。」

 ここで不思議なのは、なぜ「日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」」なのかが、全く説明されていないことだ。「日本リベラル」(誰?)を批判することは「不信」を助長するだけだ、という主張が繰り返されているだけだ。「何が彼らを「右傾化」へと追い立てるのか」――朴裕河によれば、徐京植のような(そして挺対協のような)批判こそが、「日本リベラル」を「右傾化」に追い立てるのであろう。

 この論法は、当の「日本リベラル」を朴裕河が実際には馬鹿にしきっており、その限りでは「日本リベラル」の性格を正しく理解していることを表していて興味深い。徐京植への反論に際し、朴裕河は「日本リベラル」の思想と行動に即した反批判を試みていない。仮に「「在日」に対する差別やその他の日本社会の矛盾をすべて日本リベラルまで「植民地支配に対する責任意識」が無かったためと断定することは、だから「暴力」的であり「危険」でもある」というのならば、具体的に「植民地支配に対する責任意識」があった事実を提示する必要があろう(おそらく困難な作業となるだろう)。だが朴は事実かいなかを脇に置き、「「右傾化」へと追い立てる」から批判を控えよ、という。あまり批判すると逆ギレするから、ほどほどにして「和解」したほうがいい、というわけだ。朴裕河によれば、「日本リベラル」とはかくも幼稚な集団なのだ。確かにそれは事実だろう。

 だとすれば、そのようは集団との「信頼」に何の意味があるのか。むしろ徐京植の「リベラル」批判こそが正しいのではないか。やはり「和解」の主体に在日朝鮮人が含まれていないではないか。朴裕河は徐京植の指摘の正しさを自ら証明しているといわざるをえない(*2)。

4.結び

 『和解』をめぐる「論争」はかくして朴裕河が批判に充分に応えないまま終わり、舞台は『帝国の慰安婦』へと移ることになる。先の徐京植への朴裕河の反論は次の一文で締めくくられる。

「私は2010年、日本の新聞に書いたコラムで慰安婦問題の補償が必要だと書いた。また、補償を拒否する右派の思考を批判的に検討する本を準備中だ。ただ徐教授とは異なる方式の語り口になるだろう。レッテル貼りと先入観では彼らを変化させることはできないから。」

 果たして『帝国の慰安婦』は「レッテル貼りと先入観」を克服した著作になったであろうか。「償い金」が「補償」であるという充分な理由を提示したのであろうか。日本軍「慰安婦」制度への独特な理解について、説得的な説明が与えられたであろうか。答えは否である。それどころか『帝国の慰安婦』は日韓協定による「経済協力」は「補償」であったという驚くべき主張を加え、さらなる混迷の淵へと人々を導いていくことになるのは、すでにみた通りである。最後に『帝国の慰安婦』がこれらの前著への批判についてどのように扱っているのかに触れておきたい。

 まず指摘しておかねばならないことは、『帝国の慰安婦』は先にみた金富子の批判をはじめ、ほとんどの内容に関する批判に全く触れておらず、それどころか参考文献にすら入れていないことだ。事実上無視を決め込んだといってよい。『和解』への批判は『帝国の慰安婦』朝鮮語版のみにある「後記」で、次のように触れられるだけだ。

「『和解のために』は半分は慰安婦問題や植民地支配に対するいわゆる「右翼」の思考と行動に対し批判的に書いた本だった。だがこの本を批判する者たちは、誰も私の本のなかの右翼批判については語らなかった。そしてただ進歩陣営の慰安婦問題解決運動方式への批判だけを激しく非難した。/批判者たちは日本で私の本が高く評価されたこと(朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」受賞)をあげて日本が右傾化したためだと語り、私があたかも日本の右翼と同じ主張をしたかのように扱う。」(317頁)
「こうした話をあえてするのはいまこの人々を恨みがましく非難するためではない。進歩側のこうした対応は、「正義」の側に立っているとの自己確信が生み出したことは明確である。問題はこうした方式の自己確信が時には硬直した姿勢と無責任な暴力を生み出すということだ。そして重要なことは、本文でも記したように、そうした方式の思考に基づく非難が、日本政府と国民全体を対象に行われもしたということだ。そして、そうした20年の歳月が日本内の嫌韓派を増やしてきた。」(318頁)

 他に、ある進歩メディアの記者の無断録音や「支援団体のある者」のMLへの無断投稿、あるいはある新聞記者が「日本の右翼の賛辞を受けた」と誤って紹介したことなどをあげて、自らがいかに批判派からハラスメントを受けたかが縷々記されるが、『和解』の内容への批判は全くとりあげられない。徐京植の批判も「韓国で名望高いある在日僑胞作家」が「ある日突然「和解という暴力」というコラムを代表的な進歩新聞に書きもした」とぼかされたうえ(318頁)、批判への反論がされるわけでもなく、繰り返し日本批判が「嫌韓派」を増やしたという主張が述べられるだけである。日本語版では「後記」すらも削除され、批判の存在自体が消去されてしまった。

 こうした対応は公正さを欠くものといわざるをえない。『和解』への批判が単なる右傾化批判ではないことは朴裕河も充分理解しているはずだ。徐京植は「『スカートの風』(角川文庫)の著者である呉善花が「サンケイ新聞」の読者層である右派の需要を満たしてきたとすれば、朴裕河は「朝日新聞」の読者であるようなリベラル派の需要を満たしてくれる存在であるといえよう。」(96頁)と明確に指摘しているのである。内容に即した批判にまともに答えず、「先入観」にもとづき批判者への「レッテル貼り」をして済ませているの朴裕河自身といわざるをえない。

 『帝国の慰安婦』にはかように不毛な前史があった。『和解』をめぐる「論争」の時点で、すでに問題はあらかた出揃っていたのである。再び「舞台」が与えられたことの異様さをこそ問題にすべきだろう。

*1 韓国からの日韓協定批判は「無責任」だとする朴裕河の主張に対し、徐京植は次のように適確に批判する。

「朴正煕軍事政権が国内での反対運動を弾圧しながら結んだこの条約は、冷戦体制下で強要された不平等条約であるともいえよう。それの見直しを求めることは、朴裕河によれば、無責任なことだというのである。それでは日米安保条約に反対する日本人は無責任だということになるのか?/朴裕河にとって責任ある知識人とは、たとえそれがどんなに反人権的かつ非人道的なものであろうと、国家がいったん締結した条約には最後まで黙々と従う人のことらしい。これほど国家権力を喜ばせ、植民地支配者やその後継者たちに歓迎されるレトリックもないであろう。」(83頁)

 朴裕河の理屈に従えば、仲井真知事が辺野古埋め立てを「承認」したのだから、基地建設に反対している人々は「無責任」だということになる。

*2 ところで、日本の「右傾化」について朴裕河は2009年には次のように主張していた。

「あれから一年も経たないうちに、日本は戦後六〇余年続いた自民党政権が終わり、民主党政権となった。そうであれば改めてこのような否定的な「現状認識」自体が問われるべきであろう。むろん植民地時代や戦後への「歴史認識」も改めて問われていかねばなるまい。確かなのは韓国のナショナリズムが高まると、今度は日本の右翼のナショナリズムが発動されるだろうことである。そして「責任の主体」との対話はますます難しくなるだろう。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」147頁)

 この文章が発表されたのは2009年10月、つまり鳩山内閣発足直後である。「日本リベラル」を批判するが、実際に日本は「政権交代」したではないか、徐京植のような「否定的な「現状認識」」と「戦後への「歴史認識」」も改められるべきだ。こう朴裕河は主張しているのである。さて、その「政権交代」の結果はどうであったろうか。米軍基地問題、朝鮮高校無償化問題など、「日本リベラル」なる集団の問題を全面的に露呈した後、無残な結末を迎え、極右寡占体制へと帰結したのではなかったか。それも朴裕河によれば、それは韓国が「慰安婦」問題を持ち出しすぎて「日本リベラル」を右傾化させたから、ということになるのだろう。だが、朴裕河の指示どおり韓国の人々が行動するとなれば、日本は「右傾化」すればするだけ韓国に自らの要求を呑ませることができるようになるから、むしろ「右傾化」は合理的選択となるのではあるまいか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-04-12 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)

1.朴裕河『和解のために』と『帝国の慰安婦』

 朴裕河の日本軍「慰安婦」をめぐる主張については、前著の朴裕河(佐藤久訳)『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社、2006年、後に平凡社ライブラリー、2011年、以下、『和解』)が刊行された際にいくつかの決定的な批判がなされた。もちろん、朴は批判を一切無視したわけではなく何度かにわたり『和解』批判への「反論」を試みたが、それらはいずれも説得力を欠く弁明に終始した。このため『帝国の慰安婦』はこの際に指摘された問題をほぼすべて継承することになる。おそらく今後なされるであろう『帝国の慰安婦』批判に対しても、朴は同様の弁明を反復するものと思われる。不毛なやりとりの反復を極力回避するためにも、この機会に『和解』をめぐる「論争」について整理し、コメントを付しておきたい。

 検討に先立ち、『和解のために』刊行の当時に発表された批判を紹介しておこう(煩瑣なため初出は省略した)。幸いいくつかはweb上で読むことができる。これらについてはあわせてリンクを貼っておく。

金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』青弓社、2008年
中野敏男「日本軍「慰安婦」問題と歴史への責任」、同「戦後責任と日本人の「主体性」」、前掲『歴史と責任』所収
尹健次『思想体験の交錯――日本・韓国・在日一九四五年以後』岩波書店、2008年
高和政・鄭栄桓・中西新太郎「座談会 いまなぜ、「和解」が求められるのか?」、『前夜 NEWS LETTER』第4号、2008年5月
早尾貴紀「『和解』論批判――イラン・パペ『橋渡しのナラティヴ』から学ぶ」、『季刊戦争責任研究』第61号、2008年秋号
宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて』有志舎、2009年
徐京植「和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判」、『植民地主義の暴力』高文研、2010年
西野瑠美子「被害者不在の『和解論』を批判する」、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年
鈴木裕子「日本軍「慰安婦」問題と「国民基金」 解説編」、鈴木裕子編・解説『資料集 日本軍「慰安婦」問題と「国民基金」』梨の木舎、2013年

 これらの批判に対する朴裕河の反論としては、私の知る限り以下の二つの論考がある。

朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか 「慰安婦」問題をめぐる九〇年代の思想と運動を問いなおす」、『インパクション』171号、2009年


2.金富子の批判と反批判

 まず、金富子による『和解』批判を取り上げよう(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』青弓社、2008年。初出は『インパクション』158号[2007年]、引用は『歴史と責任』より)。金富子の批判は、当時発表された『和解』批判のなかでは最も体系的なものであった。朴裕河の日本軍「慰安婦」や補償問題理解への全面的な反論といってよいだろう。金は『和解』は先行研究をご都合主義的に引用して朝鮮人元「慰安婦」被害者への強制性や証言の信頼性に否定的な右派の議論を踏襲しており、1990年代の「慰安婦」制度の研究成果を無化・誤読・誤用していると指摘する(102-106頁)。『帝国の慰安婦』に通じる問題といえよう。

 一方、朴裕河は金の批判について次のように反論した。

「私はこれらの批判にたいして、批判自体よりも批判のほとんどを覆う憶測や警戒や不信を憂慮せざるをえない。本の半分を満たす「右翼批判」には一言も触れずに「歴史修正主義に親和的」とすることもさることながら、「日本の責任」を回避する「意図」を読もうとして繰り返される「戦略的」「政治的意図」などの断定に見られる疑心暗鬼的な態度こそ、すべての混乱の根本にあるものと思うのである。もっとも長い枚数を割いての金富子の批判が、いちいち指摘できないほどの誤読と曲解に満ちた論になってしまっているのもそのような態度によるものと私は考える。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141頁)

 「いちいち指摘できないほどの誤読と曲解に満ちた論」というのだから、ほぼ全面的な否定といってよい。金の批判は本当に「誤読と曲解に満ちた論」なのだろうか。以下に検証してみよう。

①連行の強制性について

 第一の論点は連行の強制性に関する吉見義明の研究の歪曲である。金は「日本の右派は公文書中心主義の立場に立って被害者証言の信頼性を否定し、日本の責任を否定する詐術を使っているが、問題は朴裕河もこの同じ土俵上で議論を展開している」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、103頁)と指摘したうえで、朴裕河が吉見義明の研究を主張の核心とは「真逆の引用をおこなっている」と批判する。『和解』が「慰安婦」問題を否認」するつくる会の主張(=「慰安婦」は世間一般の「売春婦」と変わらない)を紹介したことに続けて、李栄薫の主張を紹介し、さらに吉見義明が「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)と記したことについて、金は次のように批判する。

「しかし、吉見は引用された同じ著書の同じ個所で「違法な指示を命令書に書くはずがないではないか」「「官憲による奴隷狩りのような連行」が占領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている」(吉見『ウソと真実』二四ページ)と述べ、また「官憲による奴隷狩りのような連行」は「問題を矮小化するものだ。さらに、強制連行だけを問題とするのはおかしい」(吉見『ウソと真実』二二ページ)とはっきり批判している。つまり、朴は吉見の主張の核心部分に対し、真逆の引用をおこなっているのである。これは研究者としてあってはならない引用の仕方である。」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、103-104頁。強調は原文では傍点。)

 これに対し、朴裕河は次のように反論する(強調は引用者。以下特に断りの無い限り同じ。)。

「たとえば金氏は「強制性」問題に関して私が吉見義明氏の著書が「強制性を示す資料はない」としたことをとりあげて私が著者の意図に反しての「恣意的な」引用を「意図的に」やったかのように批判し「研究者としてあってはならない」としてあたかも道徳的に問題があるかのような非難をしている。しかし、私は吉見氏の著書がどのような立場から書かれたものであるかは当然ながら承知で、わたし[ママ]の論で必要だったのは吉見氏の本の意図を説明することではなく、そのような意図を持っている研究者さえも「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」と「ファクト」を述べていることだった。長い引用をしないのは単なる私の書き方のスタイルでしかなく、それをもって「恣意的」で「意図的」とすることは曲解でしかない。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141頁)

 すなわち、自身は吉見の「意図」は理解しているが、他方で「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」と記したこと自体は間違いではないのだから、「ファクト」の引用としては不適切ではない、というのである。だがここには金の批判への無理解があるようだ。改めて問題となった『和解』の該当個所を引用しよう(強調は引用者)。

「ところで「強制性」についての異議は、韓国内部でも唱えられている。ソウル大学の李栄薫は、「強制的に引っ張られて行った」「慰安婦」はいなかったとしている。[中略]
 慰安所の設置には日本政府が関与したことをはじめて明らかにした、「慰安婦」研究者の吉見義明もまた、「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)

 この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。

 朴裕河はこうして強制をめぐる議論の表層をすくい取るに留まり、日本軍の問題を問うことをやめてしまう。そして、売春が女性本人の自由意志なのかどうか、慰安所が「合法」だったのかどうか、というそれまでの議論とは無関係な論点へと移る。「てっきり軍の部隊で掃除や洗濯でもするものと思って「みずから願い出た」少女であろうと、「売春」をするとわかっていながら赴いた女性であろうと、当時の日本が軍隊のための組織を発案したという点からみれば、その構造的な強制性は決して弱まりはしない。」(64頁)という文からもわかるように、慰安所への徴集は「自発的に」行った例だけが言及され、「構造的な強制性」という言葉でもって、総督府の女性徴集における関わりや、甘言・騙しによる連行といった問題を検討することは回避されるのである。

②慰安所設置の目的について

 第二の論点は、慰安所設置の目的に関する吉見の研究の誤読である。この箇所は、朴の立論の混乱が如実にあらわれている個所である。

 朴裕河は吉見の研究を援用して、「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)と書いた。これに対し、金富子は、「「慰安婦」制度は一般女性を強かんから”保護”する目的で考案されたのではなく、吉見によれば、日本軍による強かんが地元の住民の怒りを買ったために治安維持上、作戦上支障をきたしのでそのための対策(吉見『従軍慰安婦』三〇ページ)として実行されたのであり、あくまで日本軍のためだった。」(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義」、105-106頁)と批判した。

 これに対する朴裕河の反論は以下の通りである。

「また、慰安婦制度が「軍隊のため」の制度だったと本のなかで繰り返し書いているにもかかわらず、直接の設置目的が「一般女性の強姦からの保護」も意識されてのことだったこととしたことをとりあげて、その言葉が「日本軍のため」であることを回避したものであるかのような批判をしているのである。しかし慰安婦という存在が「構造的には一般女性のための生贄の羊」と書いたのは、慰安婦施設の目的を知らないからではなく、「女性」もまた「慰安婦」という存在の責任から自由でないことを強調したかったからにすぎない。さらに、慰安婦制度を国家が「黙認」したと書いたところを金氏は、国家をもって責任の主体ではないとするものと受け止める。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141-142頁)

 『和解』において朴は「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性の「強姦」を抑止するために考案された存在だった」と書いた。ここでの「一般女性」が、占領地や戦場における日本の「敵国」の女性を指すことは明らかだ。朴裕河は中国人女性等への「強姦」を抑止するために「慰安婦」は考案された、と書き、金富子はそれはあまりに主・従を転倒した見方だと批判した。あくまで日本軍の作戦遂行上の必要が主であって、「敵国」女性の保護など眼中に無いからである。

 こうした理解を前提に改めて上の反論を読むとその異様さが際立つ。この反論では「「女性」もまた「慰安婦」という存在の責任から自由でない」という。明らかにここでいう「女性」「一般女性」は戦地の「敵国」女性を指すのであるから、例えば日本軍に「強姦」される可能性のあった中国人女性が、「「慰安婦」という存在の責任から自由でない」ということを朴裕河は主張していることになる。女性への「強姦」を抑止するために慰安所は作られたのだから、「強姦」されるかもしれなかった女性は「慰安所」という存在の責任から自由ではない、と。恐るべき「責任」論である。

 朴裕河は本気で、戦地の「敵国」女性たちは「「慰安所」という存在の責任から自由ではない」と考えているのだろうか。この箇所が朴の理解力・筆力不足から生じた誤記であることを願うが、少なくともテキストを素直に読む限り、この理解以外は成り立たない。

 あるいは朴裕河はこう反論するかもしれない。自分は日本軍を免罪したいわけではない。事実、「日本の責任」について論じているではないか、と。だが、上のような責任論は表面上の「日本の責任」への言及をその根底において否定しさるものだ。朴の立論が成り立つためには、日本軍の暴力は所与のものと想定する、すなわち「自然化」する詐術を用いざるをえない。兵士の強姦が許されざる暴力であるという認識に立つ以上、どうあっても「強姦」されるかもしれなかった女性たちの「責任」など問いえないからだ。逆に、兵士の強姦を「自然化」し所与・不可避の現象とみなせば、問題はその所与の暴力をどこに割り振るかへと矮小化される。

 こうした意味では、金富子による『和解』の慰安所設置目的理解への批判がいかに核心を突くものであったかがわかる。設置目的を「女性の保護」とみなしたがゆえに、「保護」される女性の側にも、慰安所設置の何らかの「責任」がある、という倒錯した主張が生み出されるに至ったのだ。

 朴裕河の倒錯した「責任」論は『和解』の他の箇所にも見て取れる。「生贄の羊」云々に続けて、次のように記す。

「それでも一般の女性は、「売春」を自分とは関わりのないことと考えている。そして「売春」が指弾されればされるほど、「純潔」な「貞操」を身につけた女性の価値は相対的に高まる。「挺対協」の代表が日本の国民基金を受け取った人々を「公娼」だと語ったのは、そのような構造と無関係ではない。当時「慰安婦」として送られる娘を目にしながら黙って見過ごした、あるいははなから積極的に送り出す側に立っていた者に、責任はないのだろうか。これまでの認識通りに、路上で強制的に引っ張られて行ったとすれば、そうしたまことに荒っぽい暴力的な場面だったとすれば、それでもいかなる反発や抵抗もなかったとするなら、そうした状況をただ眺めていた、傍観していた人々に責任はないのか。」(『和解』、87頁)

 これは「「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性のための生贄の羊でもあったのである」という記述に続く個所である。「一般の女性」という言葉で一括りにされているが、そこで具体的に想定される対象は、戦地の「敵国」女性から「一般の女性」、そして挺対協の女性たちへとめまぐるしく移り変わる。そのうえ、「当時「慰安婦」として~」に続く個所では、もはや「女性」の話ですらなくなり、読者は煙に巻かれてしまう。

 そもそも、充分に抵抗できなかった/傍観した責任と、連行した責任が、全く次元の違う「責任」であることは自明であろう。しかも、『和解』において朴は植民地での強制連行を事実上否定しているにもかかわらず、「それでもいかなる反発や抵抗もなかったとするなら、そうした状況をただ眺めていた、傍観していた人々に責任はないのか」と問うわけである。もはや議論ですらなく、単なるあてこすりといわざるをえない。

 朴裕河は金富子への反論を次のように結んでいる。

「このような誤読は金氏が「歴史研究者」で「言葉」の読解になれていないからだろうか。『和解』を「朴は韓国の日本文学研究者であるため、同署は著書にとって専門外の歴史問題を扱った一般啓蒙書」としながら内容が「粗雑」とする批判から、私は「専門家」の傲慢と閉塞を見ざるをえない。」(朴裕河「「あいだに立つ」とは、どういうことか」、141-142)

 あまりに不当な決め付けといわざるをえない。朴裕河が反論した箇所に限定しても(反論していない箇所もある)、金富子による批判が「誤読」とはいえないことは明らかだろう。『帝国の慰安婦』の第一部などを読むと、筆者が「日本文学研究者」であることを疑いたくなるが、少なくとも金富子の批判は朴に何らかのオリジナルな史料操作や分析を求めたわけではない。むしろ、文献からの引用を適切にせよ、先行研究を理解せよ、と求めたにすぎない。これは当該テーマについて著作を刊行する者に求められる最低限の要求である。それをクリアしていないのだ。朴は「批判自体よりも批判のほとんどを覆う憶測や警戒や不信を憂慮せざるをえない」と述べているが、かような水準の著作が流通するのであるから、人々が本書の内容のみならずその政治的背景に関心を注がざるをえないのは当然であろう。

 上に見たような朴裕河の議論は、「責任」という語を定義せずにマジックワードとして用いることにより可能になる。これまで『帝国の慰安婦』批判において、繰り返しこうした概念定義の曖昧さを指摘してきたのは、何も学術書の作法を指南したいがためではない。「責任」「補償」「帝国」「動員」「和解」といった極めて重要かつ論争的な概念を定義しないことが、本書の極めて核心的な「方法」だからだ。人々は朴裕河の叙述に各自の幻想を投影し、「理解」した気になる。矛盾や疑問を指摘されても、朴裕河は無限に「真意」を語り続けることにより「知識人」としての命脈を保ち続ける。こうした知的詐術に惑わされないためにも、「方法」への批判は極めて重要な意味を持つのである。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-04-05 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河氏の「反論」について

 朴裕河氏(以下敬称略)が私の批判についてfacebookに「反論」を投稿していることを知った。タイトルは「私の”方法”」、原文は朝鮮語である。下記に翻訳して紹介する。

「鄭栄桓教授[韓国には職位に関係なく専任職の大学教員を「教授」と呼ぶ慣習がある:引用者注]は私の文章を書く方法が日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向へと向かっていると書くに留まらず、「だれが私を支持するかをみよう」とまで書いた。もちろん、彼と彼の周辺人物たちが取る「方法」は、自らと異なる方式を採る進歩[的立場の人物:引用者注]を絶え間なく「右翼に親和的」であるとか、「右翼」という言葉で指差し、糾弾することである。

今日の朝もある人物が厳しい叱責とともに彼の文章--「帝国の慰安婦の方法」を送ってきた。鄭教授の誹謗は確実に効果をあげているが、私を誹謗する時間があるならば、日本政府や右翼を説得することに時間をさらに使ってくれればよいと思う。私はヘイトスピーチが激化したとき、彼らに向けて日本語ツイッターを始めた。そして本当は、嫌韓感情を抱く者たちと闘ってきた日本人と僑胞たちに異なる有効な論拠と論旨を提供しようとしたのが私の真の意図であった。それが私の「方法」である。

[中略]鄭栄桓教授の周辺人物たちは、私への批判を次々と韓国語に翻訳してアップしているが、私はいままでそうした組織的な対応をする考えをしなかった結果です。そしてその理由は彼らを敵に回したくなかったためです。ところが支援団体の告発を代表的な進歩言論と知識人たちが支持する現局に来ているため、考えを変えなければならないようです。」
 
 批判者たちは自分を「右翼」扱いしている、という「反論」は『和解のために』への批判に対しても朴裕河が繰り返してきたものだが、こうした論法の問題については別の機会に譲りたい。ひとまず基本的な事柄についてのみコメントしておく。まず、朴裕河は訳者について「周辺人物」などというおどろおどろしい書き方をしているが、朝鮮語への翻訳はあくまで訳者の方の善意により自発的に行われたものである(私は訳者とは面識もない)。翻訳者の名誉のために記しておく。翻訳者の方のおかげで韓国の多くの方に読んでいただく機会を得た。この場を借りて感謝の意を表したい。

 次に、私の批判は「誹謗」ではない。私は批判に際して本書の内容に即して行うことを心がけた。日本語版・朝鮮語版の双方を参照し、問題箇所を指摘するにあたっては該当部分を引用し、かつ可能な限り根拠を示して批判した。単なるそしりや悪口ではないことは私の批判を一読すれば明らかであろう。丁寧に読んだことを感謝されるどころか、「誹謗」などと誹謗されるのは心外である。

 また、私の本書の「方法」への批判は、本書が「日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向へと向かっている」ことのみに向けたものではない(確かにこれは事実であるが)。それ以前の「方法」の問題がいくつかある。まず、論旨に関わる重要な概念についての最低限の定義すらなく、かつ互いに矛盾する叙述が散見されるため論旨を読み取ること自体が困難なこと、次に、証言や史料の恣意的な使用が目立ち、かつ主張の論拠とされた史料や先行研究の多くがそもそも論拠たりえないことである。だからこそ「方法」の批判と題したのである。

 もちろん、本書の最大の問題点は不適切な「方法」に限られるものではない。日本軍「慰安婦」問題における軍責任否定論、戦後補償問題についての歪んだ理解に基づいた国民基金への賛辞、元「慰安婦」女性や挺対協への度を越した「誹謗」などをもって、確かに本書は「日本に迎合し彼らの責任を無化させる方向」へと明確に読者を導こうとしているといえよう。そしてまさに本書の「方法」の杜撰さは、こうした問題のある主張の必然的帰結なのだ。本書の様々な仮説は先行研究や史料によって検証されないまま揺るぎない命題=前提とみなされ、この前提をもとに証言や史料が都合よく切り貼りされる。予想される批判については、弁明的な言辞を随所に織り交ぜることによりあらかじめ封じ込めようとし、この結果、叙述は一層の混乱に陥る。無理な結論にあわせようとするから、粗雑な方法に頼らざるをえなくなるのだ。巨大な暴力の被害者たちの生と尊厳にかかわる問題に介入しようとする者がとるべき「方法」ではない。

 上の「反論」で、朴は私が「「だれが私[朴裕河]を支持するかをみよう」とまで書いた」としているが不正確である。私は次のように書いた。

「本書については早速日本では好意的な紹介がなされている。今後もされるであろう。本書の内容も去ることながら、今後、誰が、どのような形で好意的に紹介するかにもあわせて注目すべきであろう。本書はある意味ではその対応を通じて評者たちの「見識」を露わにせずにはおかない、ある種の破壊力を持っているからである。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」

 再説する必要はあるまい。本書の「方法」の問題については、私以外にもいくつかの批判があらわれた(*1)。いずれも本書の初歩的な誤りや不適切な出典の参照を指摘した説得的な批判である。もし日本の言論・学術界が最低限の健全性を保っていたならば、本書のような書物は市場に出回らなかっただろう。その主張に賛同しない者からの批判以前に、参考文献との単純な比較対照によって粉砕されてしまうような本(逆にいえば、読み手の信頼を裏切り、法外な負担を課す本)を刊行することは、著者のみならず出版社の信用にかかわるからだ。朝日新聞出版は製造物責任を厳しく問われるべきであろう。

*1 『帝国の慰安婦』の方法的な問題点については下記のブログをあわせて参照されたい。

「「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1) 」(ブログ「歴史修正主義とレイシズムを考える」)

「『帝国の慰安婦』における「平均年齢25歳」の誤り/『帝国の慰安婦』私的コメント(2)」(同上)

「『帝国の慰安婦』の驚くべきアナクロニズムについて/『帝国の慰安婦』私的コメント(3)」(同上)

「『帝国の慰安婦』における証言者の“水増し”について」(「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会ブログ)

「日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな?」(ブログ「思いつきのメモ帳」)

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-04-01 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(7)

 以前の記事で、朴裕河『帝国の慰安婦』の憲法裁判所決定への批判が先行研究の誤読と歪曲に基づく根拠の無いものであることを指摘した(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)」)。この記事を執筆した際に割愛したもう一つの論文の誤読について、補足として指摘しておきたい。

 「韓国憲法裁判所の判決を読む」で朴は次のように指摘する(強調は引用者)。

「訴訟者たち[憲法審判の請求人:引用者注]は、慰安婦は売春が禁止されていた当時の法規に違反していたので、慰安所運営が不法行為だと主張する。しかし国際法の専門家である藍谷邦雄弁護士はこの問題について次のように述べている。[中略]
 つまり、たとえ慰安婦制度に問題があったとしても、それが損害賠償の根拠に直結せず、未支払い「(強制)労働」があったのならば、それに対しての補償は可能としている。たとえ人身売買を日本国家主導でやったとしても、それに対する損害賠償を求めるのは不可能だということになる
 被害者団体は、一九六五年の条約により「補償」は終わったという現実に対し、日韓の法ではなく、国際法上の法規を適用しようとしてきたようである。しかし、そういったものも「法的」に日本を追及できるものではないという結論ともいえるだろう。
 ならば結局、挺対協の主張する法的賠償の根拠はないということになる。」(193-195頁)
 
 朴が根拠とした論文は、藍谷邦雄「時評 「慰安婦」裁判の経過と結果およびその後の動向」(『歴史学研究』849号、2009年1月、以下藍谷論文)である。この箇所を素直に読めば、藍谷邦雄が日本政府に「損害賠償を求めるのは不可能」、国際法に基づき「「法的」に日本を追及できるものではない」と主張しているように読者は受け取るであろう。だが実際には、藍谷論文の主張は朴の主張とは全く異なるものである。

 藍谷論文の課題はタイトルにもある通り、1990年代以降の「慰安婦」裁判の経過をたどり、特に裁判で問題となった争点を紹介するところにある。朴が参照したのはこのうち国際法をめぐる争点を整理した「3 国際法による主張について」である。

 藍谷は国際法に基づく原告の主張について、(1)賠償の根拠と(2)違法性の根拠に分けてそれぞれ検討する。(1)についてはハーグ第3条約及びILOの強制労働禁止条約をあげ、それぞれが損害賠償責任及び違法な強制労働への報酬を支払うべきと規定しており、国家無答責がなく時効・除斥期間も適用されないため原告の重要な根拠となったことを紹介する。(2)については「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をあげ、「国際法上も「慰安婦」制度を違法行為と認定すべき根拠であることに、争う余地はなかった」と評価する。ただし、同条約はあくまで違法性の根拠であるため、「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」とも指摘した。

 朴が「損害賠償を求めることは不可能」と主張した根拠は、藍谷論文のこの箇所である。朴はわざわざ傍点を付して「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」という藍谷の指摘を紹介し、上のように主張したのである。

 だが、すでに説明した通り、藍谷論文は元「慰安婦」への損害賠償が不可能と主張したわけではない。「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠であるため、賠償については別の法規によって主張しなければならない、と述べたに留まる。また、引用文の第一段落では、あたかも藍谷論文が「慰安所運営が不法行為」との主張を否定するものであるかのように記しているが(「慰安所運営が不法行為だと主張する。しかし国際法の専門家である藍谷邦雄弁護士は…」)、この論文は「不法行為」であることを否定してもいない。

 それどころか、藍谷論文は国際法による主張について次のように指摘する。
 
「④ハーグ条約、ILO条約に基づく主張に対しては、国は以下の反論をした。条約は、国家と国家との約束であり、その権利を定められるのは国家に限る。個人は国際法の法的主体とはなりえない。それゆえこれら条約を根拠に請求権は生じない、というものであった。結果、裁判所もほとんど国のこの主張を認め、国際法による請求を1つとして認容しなかった。しかし、この議論の過程では、個人の国際法上の法主体性として議論され[中略]、国際法の理論的深化が図られたといえる。今や、近時のいろいろな人権条約では、個人の国際法上の法主体性が当然視されるところまで、深化した。」(36頁)

 つまり藍谷は、ハーグ条約及びILO条約に基づく損害賠償請求に対し、国は個人は国際法の主体ではないとの論法で斥けてきたが、近年の人権条約は「個人の国際法上の法主体性を当然視」するに至っており、国の論法はこうした国際法の発展から逸脱するものであると批判したのである。朴のいうように、日本政府に「損害賠償を求めることは不可能」などと主張したわけではない。「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」という主張の根拠にもなりえない。

 「3 国際法による主張について」は四つのパートで構成されており、それぞれ番号が付されているのだが、朴はこのうち①②③だけを紹介し、なぜか本節の結論にあたる上の④に一言も触れていない。この結果、③の末尾の違法性の根拠であるから賠償については別の法により主張すべしという意味の「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえない」という一節が、あたかも本節の結論であるかのように読者に示され、「損害賠償を求めることは不可能」という朴の主張の「根拠」とされることになった。繰り返しになるが、藍谷論文はこのようなことは全く主張していない。ここでも朴は論文の趣旨とは真逆の主張の根拠として歪曲しているのである。

 ちなみに、藍谷論文の「結論」は次のようなものである。

「2007年4月27日の最高裁判決は、「慰安婦」訴訟のみならず、前記西松建設事件でもまったく同様な判決となった。同判決の付言のなかで、「サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても、個別具体的な請求権について、債務者側において任意の自発的な対応をすることを妨げられないところ、本来被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった・・・・・・、上告人(被告)を含む関係者において、本件被害者らの被害救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と述べているのは、判決の結論からいえば当然のことであり、今後、新たな立法により被害回復を図る努力をすることが期待される。過去には、新たな被害回復立法は、サンフランシスコ条約の枠組みを崩壊させるがゆえに不可能といわれ、それがアジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」)に繋がった悪しき法解釈が存在した。しかし、この最高裁判所の法理は、かかる悪しき法解釈の弊害をただし、「慰安婦」問題解決のための立法を行うことを当然視することに繋がりうる。
 平和条約によって、被害者の裁判上の請求権をすべて否定すること自体は、承服しがたいものがあるが、裁判上の請求から、立法による被害回復への転機になると考えれば、この最高裁判決は、新しい被害回復請求の地平を築く契機となりうるものと理解することも可能である。」(38頁)

 すなわち、近年の判決の法理は、「アジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」)に繋がった悪しき法解釈」をただす可能性を有しており、むしろ「新たな被害回復立法」を求める契機となりうるのではないか、これが藍谷論文の結論である。ここでの「新た被害回復立法」が、「アジア女性基金」とは全く異なるものであることは言うまでもないだろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-02-25 00:00 | 歴史と人民の屑箱

朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)

 日韓請求権協定による「経済協力」は実質的な補償・賠償であった、日本軍「慰安婦」の請求権は韓国政府により放棄されたため、元「慰安婦」女性たちに日本政府に損害賠償を求める請求権はない。本書『帝国の慰安婦』において、朴がこう主張することはこれまで見たとおりである。

 ここで一つの疑問が生じる。朴の理解に従えば、「慰安婦問題」はとうに「解決」したことになりはしないか、という疑問である。だが、これに対する本書の答えは否である。朴は繰返し「慰安婦問題」を「解決」しなければいけない、と主張する。そして日本政府に何らかの行動を「期待」している。それは一体何か。「第五章 ふたたび、日本政府に期待する」の「一九六五年の日韓協定の限界」について、朝鮮語版の記述も参照しつつ引き続き読み進めてみよう。

 その前に、本書を「読む」上で、筆者の主張の再構成や矛盾の指摘、そして日本語版と朝鮮語版を比較対照することがいかに重要かについて記しておきたい。言うまでもないことだが、日本語版の刊行に際して加筆や修正を加えることは当然ありうることだ。修正を行ったこと自体を批判するつもりは全くない。これまでの作業は、あるいは悪意をもって朴の主張を歪曲するためにあえて重箱の隅をつついているにうけとられるかもしれないが、私からすれば筆者の主張の再構成という作業抜きに本書を「読む」ことが出来てしまう方が不思議である。

 論旨の再構成と矛盾の指摘という作業が重要な意味を持つのは、本来これらの前後矛盾や不整合、自家撞着は本書の欠陥を示すものにすぎないにもかかわらず、ある局面においては、本書への批判を無効化する機能を果たすからである。AとBという相対立する叙述が同居することは、普通に考えれば単なる欠陥である。だが雑多な情報が不整理のまま盛り込まれ、明瞭さが著しく欠如している場合、A批判に対しては「Bとも書いている」と言い返し、B批判に対しては「Aとも書いている」と言い返すことであたかも反批判をしているかのような外観を取り繕うことが可能になることがある。本書はまさにその典型例といえる。

 本書が植民地支配責任を問う本であると「誤解」されているのも、こうした欠陥に起因する。個別のセンテンスやパラグラフ単位でみれば、確かに植民地支配責任を問うかのような記述は存在する。しかしそれは前後の脈絡とは明らかに矛盾する形で存在するのである。なかでも日本語版ははじめからこれらの弁明を意図して挿入されたと思われる記述が多く、とりわけこうした作業が求められるのである。そうした意味では、本書は読み手に法外な負担を強いる――にもかかわらず得られるものは極端に少ない――驚くべき書物といえる。

 朝鮮語版との比較対照が必要なのも、この点に関わっている。日本語版の刊行に際しての加筆・修正により、ただでさえ明晰さを欠く本書の混乱に一層の拍車がかかっているのである。日本語版には明らかに矛盾する記述が散見され、著者の主張への賛同以前に、論旨を読み解くこと自体に困難をおぼえることがままある。その原因の一つは日本語版刊行に際しての加筆・修正のためである。この加筆・修正には行論上必然性のない弁明的性格を持つものが多いため、結果的に本書の論旨自体を崩壊させてしまっている。ただ、そうであるがゆえに、日本語版加筆部分が筆者の意図を曝け出す機能を果しており、そうした意味においても、両者の比較対照は重要な意味を持つのである。

 本題に入ろう。そもそも、朴のいう「日韓協定の限界」とは何か。それは、日韓交渉は植民地支配を「公式には問題にしなかった」会談であったため、条約に「「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言」がなく、このため「名目は補償とはかかわりのないようなことになっていた」こと(247頁)である。だから、「経済協力」は「〈戦後〉補償」ではあったが、「〈帝国後〉補償」にならなかった。こうした理解の前提に潜む問題点については以前の記事で指摘したが、日韓会談が植民地支配責任を充分に追求する場にならず、日韓諸協定が日本の植民地支配責任を認めたものではないことは事実である(以前に触れたようにそもそも「〈戦後〉補償」ですらないが)。

 それでは朴は、具体的に何を「日本政府に期待する」のか。ここからは段落番号を付して可能な限り朴の主張を再構成してみたい。

 「経済協力」があくまで「〈戦後〉補償でしかなった」(誤りなのだが)という批判に、以下の段落が続く(以下、強調はいずれも引用者)。

【1】「その意味では、日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない。両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきたし、そのことはもっと韓国に知られるべきだが、それは実にあいまいな言葉によるものでしかなかった。一九一九年の独立運動の際に殺された人たちに対しても、関東大震災のとき「朝鮮人」であるという理由だけで殺された人々に対しても、そして帝国日本の方針に従わないという理由だけで監獄に入れられ、過酷な拷問の末に命を落とした人々に対しても、一度も公式には具体的に触れる機会のないまま今日まで来たのである。」(251頁)

 「両国の首脳が会うたびに謝罪をしてきたし、そのことはもっと韓国に知られるべき」という主張が具体的に何を指すのか明確ではなく、朴の論理を知るものからすると「併合」100年に際しての菅直人談話への言及が無いのは若干奇妙な気もするが――「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という表現は、朴からすれば「韓国に公式に謝罪したこと」になると思う――まともに謝罪していない、という意味では異論はない。だがすぐさま次の段落があらわれ、議論の筋が霧散する。

【2】「もっとも、同じような境遇に処された日本人もまた、そのような謝罪や補償の対象にはならなかった。もちろんそれは治安維持法など、当時の体制批判を取り締まれる法律に則ってなされたものだから、少なくとも〈法的〉には責任がないことになる。」(251頁)

 この「同じような境遇」なるものは、【1】の「帝国日本の方針に従わないという理由だけで監獄に入れられ、過酷な拷問の末に命を落とした人々」を指すようだ。だが【1】の趣旨は、植民地支配への謝罪と補償がないことであり、その具体例として民族独立運動への弾圧が語られているはずだ。にもかかわらず【2】は突然この具体例の部分を拾いあげ、「同じような境遇」の日本人の話題へと分岐するため、読者は混乱に叩き込まれる。植民地支配責任の話をしているのか、日本人も含めた治安維持法による人権侵害の話をしているのかがわからなくなるのだ。しかも、ここからさらに話題は韓国へと移る。

【3】「しかし、韓国では二〇〇〇年代以降、韓国において国家がなした不当な人権弾圧に対し、「真相究明」を行う作業を通して補償を行った。そして、一九六五年の協定によって個人被害者に補償はしたが、そのとき漏れていた人たちも加えて、当時の金額が少なすぎると判断しての追加補償も実施している。アメリカも、戦後、排日移民法への謝罪と補償を行ったことがある。「国家がやったこと」に対して責任を問うことは不可能ではないのである。そして、日本国内のこともさることながら、他の国に対して国家がやってしまった人権被害は償う必要がある。何よりも、そのときの「国家への抵抗」は、その国家の主体が他民族である以上、必然的な抵抗だった。」(251-252頁)

 本書の内容からすれば、極めて異質な段落である。本書における朴の主張との整合性が疑われる箇所でもある。だが次の段落で、ようやく本題である「日本政府に期待する」ことを論じる段になると突如としてトーンダウンし、それまでの論旨へと復帰する。

【4】「日本の場合、対国内の責任は、侵略戦争自体に対する認識で意見が対立しているので簡単なことではないだろう。しかし少なくとも本来なら巻き込まれずに済んだ他民族女性――朝鮮人慰安婦たちが〈自発と他意による動員〉をされ、日本軍の士気を高める役割をさせられ、苦痛の日々を送ったことに対して、日本国家はどのような言葉ででも応えるべきではないだろうか。そして、それを直接受け止められる生存者はごくわずかとなっている。」(252頁)

 「どのような言葉ででも応えるべき」が具体的にいかなる行動を指す(指さないのか)のかを検討する前に、ここで朝鮮語版の記述を確認しておこう。この箇所は次のように記されている。

「いわば日本は1945年に「帝国」が崩壊する以前に「植民地化」した国家に対し、実際には公式に謝罪・補償しなかった。朝鮮朝廷の要請を受けたというが、植民地化過程での東学軍の鎮圧に対しても、1919年の独立運動当時、収監/殺害された人々に対しても、関東大震災当時殺害された数多くの人々に対しも、その他に「帝国日本」の政策に従わないという理由で投獄されたり過酷な拷問の末に生命を失った人々に対しても、公式的にはただの一度も、具体的に言及したことはないのである。そして「朝鮮人慰安婦」らは国民動員の一形態とみることができるが、帝国の維持のための動員の犠牲者という点で、この人々と同じく植民地支配の犠牲者である。」(262頁)

 日本語版【1】~【4】は、この朝鮮語版の一段落を引き伸ばしたものである。一読してわかるように朝鮮語版の叙述は極めてシンプルである。もちろん、なぜ東学軍への弾圧や関東大震災時の朝鮮人虐殺などが「帝国の維持のための動員の犠牲者」なのかはよくわからないなど、不明瞭さや杜撰さはある。ただ、植民地支配の「犠牲」の話であることはひとまず維持されている。

 だが、日本語版では東学への言及は削除され、代わりに「同じような境遇に処された日本人」や、韓国・アメリカにおける補償の話題が挿入される。これに伴い謝罪や補償をめぐる主体間の関係性も、【1:国際】→【2:国内】→【3:国内から国際】→【4:国際】とめまぐるしく遷移する。行論の都合から考えても、明らかに【1】→【4】で話は通じる。【2】【3】は不要なのである。

 しかも厄介なことに、【3】で記されていることは明らかに本書の論旨と矛盾する。【3】で朴は、行為がなされた時点で合法であったとしても、それらの国家の過去の行為の責任を問うことは可能である、と主張する。そして具体例として、韓国での「過去事」清算や米国での日系人強制収容への謝罪と補償をあげる。言うまでもなく、韓国政府や米国政府の行った補償は、民間からの募金ではない。もし【3】のケースのような例が、元「慰安婦」女性たちへの日本政府の補償のモデルだとするならば、国民基金を拒否した当事者たちや挺対協を批判する必要はないはずだ。

 だが本書で朴は、国家補償と責任追及を求める「支援団体」を繰返し批判する。裁く法がない、という論理で日本の法的責任を否定し、行為がなされた時点で合法であるということを重視する。【2】は【3】に否定されるために呼び出された主張なのだが、本書で朴が主張するのはまさに【2】の論理なのである。冒頭の危惧はこの箇所を想定したものだ。論旨は明らかに【2】なのだが、「私は【3】のようなことも書いている」とも「反論」することで、批判者を煙に巻くことができるのだ。はっきりさせておかねばならないが、日本語版で挿入された【3】は明らかに本書の論旨と矛盾する。実際、【3】のケースや論理は顧みられることはなく、日本語版は次のように議論を展開する。

【5】「とはいえ、一部の学者が主張するように、日韓協定自体を揺るがすのは、あまりにも問題が複雑になる。それは学術的・法的・政治的議論になるほかなく、そのような議論はいまの関係を根底から崩すものなので、両国関係をいま以上に壊してしまうだろう。協定をとりあえず守るのは、単に国家間の約束だから守るといった形式的意義以上の意味がある。」(252頁)

 つまり日韓協定を改定してはならない、と朴は主張するのだ。理由としてはほとんど「ダメだからダメ」といっているに等しいため、もう少し具体的な論拠を提示している朝鮮語版の記述もみておこう。

「だからといって一部で主張するように韓日条約自体を壊し再協商することが必ずしも最善の解決策ではない。そうすれば国家としての信頼は壊れてしまうほかない。また前にもみたように、韓日合邦[ママ]が日本の国民になろうという約束であった以上、「慰安婦」動員を「法的」に問題とすることもできないのである。何よりも国家が合意した「個人の権利」が依然として残っているものとみなすようになれば、当時の朝鮮に財産を残していった日本人たちの請求権問題にも韓国は応じなければならない状況が生じうる。」(263頁)

 本書で日韓交渉を論じる際の朴の力点は、いかに韓国政府が植民地支配全体の補償を求めなかったか、にあった。普通に考えれば、ならばいまこそ韓国政府は植民地支配全体への補償を求めよ、となるはずだ(読み手もそのような展開を予想するだろう)。だが朴はあまりにもあっさりとそうした主張を捨て去る。しかも「問題が複雑になる」「国家としての信頼が壊れてしまう」からという理由で。直前の記述で「「国家がやったこと」に対して責任を問うことは不可能ではない」として韓国の「過去事」清算の例をあげた人物が、である。そして、朴はこう主張するのである。

【6】「となると、いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すことではないだろうか。」(252頁)
【7】「日本は、個人に対する法的責任は果たしたと言うだろう。しかしそれは植民地支配に対するものではなかった。だとすれば、そのような時代的限界を検証し補うことこそ、後裔たちの権利であり義務ではないだろうか。」(252-253頁)

 「当時の時代的限界を見ること」とは何だろうか。注意深く読まねばならない。【7】は一見すると、植民地支配に対する法的責任を日本が果たすべきだ、と主張しているようにも読める。「それ」は明らかに「個人に対する「法的責任」を果たしたこと」を指すため、植民地支配に対する法的責任を日本政府は果たしていない、と朴が書いていることは明白だからだ。しかしここでも「植民地支配に対する法的責任を果たせ」という主張へと展開するのではなく、「時代的限界」という語を持ちだして問うこと自体をやめてしまう。朝鮮語版もみてみよう。

「いま必要なことは韓日協定はもうひとつの帝国であった米国が主導した冷戦体制下でなされたがために、植民地支配に対し徹底して問いなおす機会を韓日双方に与えなかったことを認識することである。」(263頁)

 珍しく朝鮮語版の方がひどい。周知の通り、交渉に際し、日本政府は全力で植民地支配責任を否定した。誰かに強いられたわけではなく、主体的に否定したのである。そもそもこの文には、「植民地支配に対し徹底して問いなおす機会」を与えなかった者が誰かが明示されていない。アメリカのせいで日本が植民地支配責任を果たせなかったかのようにも読めるが、厳密にいえばアメリカの責任であるとすら書いていない。強いていえば「冷戦体制」が与えなかった、ということになろうか。前回の記事で本書では「構造」といった言葉が主体を免責する文脈でのみ用いられる、と指摘したが、ここでの「冷戦体制」という語も同様の機能を担っている。

 まだ朴が「日本政府に期待する」ことはわからない。続く段落をみよう。

【8】「近年、西洋の元帝国も過去の植民地だった地域に対して謝罪をしたことが報じられるようになった。イタリアはリビアを一九一二年から一九四三年まで支配したことについて「苦しい思いをさせた」と謝罪し、イギリスもアイルランドに対して女王が謝罪した。」(253頁)

 だから日本政府もそうせよ、と「期待する」かと思いきや、そうはならない。

【9】「もっとも、日本も、あいまいではあっても植民地支配に対する天皇や首相の謝罪はあった。そのうえ慰安婦問題に限ってではあったが補償もしたのだから、日本の〈植民地支配謝罪〉は本当は元帝国のうち、もっとも具体的だったとも言えるだろう。アジア女性基金は、オランダなどに対しては法的に終わっている戦後処理をさらに補ったものであり、韓国に対しても実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つものだった。」(253頁)

 日本政府のやってきたことはむしろ世界で一番進んでいる、というわけだ(【1】で「日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない」と書いていたはずだが)。では一体何を「期待する」のか。

【10】「しかし、そのときの処理は、すでに述べたように、あくまでも「戦後処理」(しかも法的にはしなくていいこと)と考えられ、慰安婦問題をめぐる「謝罪と補償」が〈植民地支配後処理〉であることを明確にしなかった。意識もしていなければ、意味づけもしなかったと言えるだろう。
【11】「しかも、それはあくまでもあいまいかつ非公式に行われた謝罪にすぎなかった。公式の窓口がなかったためと言えるが、公の場でなされていないせいで、過去への謝罪が韓国人に記憶される機会もそこでは失われていた。」(253頁)

 国民基金の意義付けを明確にすることを求めているものと、ひとまずは理解できる。だが、国民基金は本当に「実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つものだった」のか。ならばなぜ「〈植民地支配後処理〉の意味を持つものであることを明確にしなかった」のか。そもそも「意識もしていなければ、意味づけもしなかった」ものが、なぜ「実質的には〈植民地支配後処理〉の意味を持つ」といえるのか。重要な問いにもかかわらず、「実質的に」という語をマジックワードとして用いることにより、議論を展開するにあたって必ず論証しなければならないプロセスを省略している。ワープ航法とでも呼ぶべき、このマジックワードを用いた論証省略の「方法」は、以前に「経済協力」の箇所でもみたようにしばしば本書で朴が用いるものであるため、本書を読む際には注意しなければならない。

 さて、本題に戻ろう。この章「ふたたび、日本政府に期待する」は次のような言葉で結ばれる。

「本当の誇りは責任を認め、残された問題に向き合うことにあるはずだ。そのほうが、韓国のみならず世界の心を動かせただろう。/過去において国家や帝国が人間にもたらした不幸に対して現在どう思っているのかを、いまの日本国家に聞きたいものだ。その内容が、世界が共有すべき新たな〈価値〉となれば、すばらしいだろう。」(260頁)

 結局、「日韓協定の限界」に関連して朴が日本政府に何を「期待する」のかははっきりしなかった。「当時の時代的限界を見ること」、「時代的限界を検証し補うこと」、「冷戦体制」のもと「植民地支配に対し徹底して問いなおす機会を韓日双方に与えなかったことを認識すること」といった曖昧なレトリックが並べられるだけだ。

 ただ、朴が日本政府に求めないことだけは明確である。元「慰安婦」女性たちは損害賠償を請求できない、植民地支配の当時には責任を問う〈法〉はなかったし、日韓協定により〈法〉はなくなったからだ(矛盾だが)。日韓協定に従った紛争解決もすべきではない(憲法裁判所決定批判)、「日韓関係を悪化させただけ」だからだ。問題が明るみに出た現在の立場からも〈法〉をつくるべきではない(日韓協定再協商批判)、「問題が複雑になる」、「国家としての信頼が壊れてしまう」からだ。朴によれば、なすべきは、これら以外のことである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱

杉田敦「根源は家父長制・国民国家体制」(『帝国の慰安婦』書評)について

 遅ればせながら『朝日新聞』(2014年12月7日付朝刊)に掲載された政治学者・杉田敦による『帝国の慰安婦』の書評を知った。杉田は本書『帝国の慰安婦』を次のように評価する(強調は引用者)。

「本書で著者は、政治的な争いの中で、肝心の当事者である女性たちが置き去りにされがちなことを問題とし、韓国の運動団体側の資料からも引用しつつ、女性たちの生の声に耳を傾けようとする。[中略]戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが、募集や運営を直接手がけた、朝鮮人を含む業者の責任も問うべきだという。
 こうした内容を含む本書の韓国語版は運動団体から告訴され、著者は韓国で攻撃の的となっている。ナチス高官の弁明をも受けとめ、一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレントが、ユダヤ人社会で孤立した経緯が思い出される。
 そもそも日本の植民地支配がなければ女性たちが戦地に赴くこともなかったろうし、彼女たちの運命は、支配の記憶と重ねられてきた。しかし、欧米や韓国が日本だけを責めたために、女性差別的な家父長制や、利益のために戦争を行う国民国家体制に問題の根源があることが見失われてしまったと著者はいう。
 責任を広くとらえすぎて、責任追及を困難にするとの批判もあろう。しかし、苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」

 杉田は本書の内容について、根本的な誤解をしているのではないか。本書の問題は「責任を広くとらえすぎ」るところにあるわけではない。あまりにも狭く責任をとらえすぎることにあるのだ。これまでみてきたように、本書は恣意的な論法で日本軍の「責任」を極めて限定的に解釈し、元「慰安婦」女性たちの権利を極小化する。前後矛盾や自家撞着をもおそれず、当の政府自身が否定しているにもかかわらず、戦後日本政府が「補償」「賠償」をしてきたと強弁する。天皇制ファシズム批判、戦後日本批判には過剰なまでの反発を示す一方、「責任」を論じる段になると途端に具体性は見失われ、その責は数々の抽象概念――「帝国主義」「ファシズム」「家父長制」「国家」「国民国家」「資本主義」――へと転嫁させられる。とりわけ「構造」という概念は「運命」という言葉とあわせて、本書においては、主体、すなわち日本軍や政府(そして実は韓国政府)の責任を解除するためだけに召喚されるといってもよい。

 あるいはこうした疑問を抱く者もいるかもしれない。本書は日本軍とあわせて、業者の責任をも追及しようとしたのだ、決して免責しようとするわけではない、と。杉田が朴をアーレントになぞらえたのには閉口せざるをえないが、韓国内部の問題を指摘していると理解してのことだろう。だが果たしてそうだろうか。日本軍の責任を限定的にしか認めず、法的責任は一切否定することはすでに幾度か述べたが、そもそも本書で朴が本当に「業者」の責任を問うているのかも疑問である。朴はしばしばこうした論法を使う。もし日本軍の責任を問うならば、直接的な加担者である業者の責任を問わねばならないし、それならば朝鮮人の業者を責任もまた問わねばならない、と。それならば問えばよいだろう。だが、実際には業者の責任追及へと朴が向かっていくわけでもない。「業者」の固有名は一切登場しない。責任追及そのものに本書は関心がないように思える。

 概念の乱暴な多用、思わせぶりな〈 〉の濫用と一貫性のないキーワード――〈自発と他意による動員〉、〈戦後〉補償と〈帝国後〉補償、〈植民地支配謝罪〉、〈植民地支配後処理〉――に、政治学者としての杉田が疑問を抱かなかったのかも気になるが、それは措こう。最大の問題は、本当に本書は「女性たちの生の声に耳を傾けようとする」ものなのか、ということだ。私には、朴は明らかに証言を選別し、簒奪しているように思える。次の文章は衝撃的ですらある。

「韓国は、〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた。「被害者」に対しては疑問を提起しない、人権をめぐる意識構造に安住してきたともいえるだろう。それは、表面的に脱帝国主義の顔を持っていたが、そのような志向性が、罪を犯してしまった加害者の羞恥と悔悟を理解しようとしたことはない。傲慢は、想像力に乏しい。そしてそのような傲慢と糾弾は相手をかえって萎縮させる。そういった道徳的志向性が、相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形になったこともしばしばあった。たとえば「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」(「ニュースロ・コム」二〇一一年一二月一三日付)と話す慰安婦の言葉は、そのような心理を表すものである。
 しかし、屈服させたい――ひざまずかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義でしかない。また、大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史を思い起こすと、そのような欲望が目新しいものでもないことがわかる。それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造と言うべきだろう。」(299-300頁)

 この罵倒は度を越した名誉の侵害としか考えられない。訴訟においてこの箇所が問題になっているかはわからないが、本書を読んで憤激する当事者が存在するであろうことだけは容易に理解できる。

 だからこそ、杉田の評価は納得しがたいのだ。「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」との元「慰安婦」女性の言葉には、「傲慢と糾弾」「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」「屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義」という最大級の罵倒を投げつけ、あろうことか「大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史」になぞらえる。天皇批判は捕虜虐待と同じ「強者主義的欲望」だと貶めたとしても、「生の声に耳を傾けようとする」ものと杉田は評価するのだろうか。他方で「わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない」という証言は都合よく掠め取られ、「「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。[中略]葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる」(92-93頁)と讃えられる。これは「耳を傾け」ているのではない。朴の主張の代弁であり、証言の簒奪ではないか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-09 00:00 | 歴史と人民の屑箱