研究集会「「慰安婦問題」にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」について

 以前に若干触れたが、去る3月28日、東京大学駒場キャンパスで研究集会「「慰安婦問題」にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」が非公開で開かれた。以下では、参加した一報告者としての視点から、簡単な感想を記しておきたい。

 まず経緯を整理しておこう。この集会は東京大学の外村大氏の呼びかけにより実現した。擁護(主として在宅起訴反対声明の賛同人たち。当日はA側との呼称が用いられた)・批判(『帝国の慰安婦』批判を執筆したことがあるか、その意思があると思われる者たち。B側)双方の立場から、この問題に関心があると思われる人々に参加が呼びかけられ、実行委員会が組織された(私は実行委員にはなっていない)。

 当日は蘭信三、板垣竜太両氏の司会のもと、報告を西成彦(A)、岩崎稔(A)、鄭栄桓(B)、浅野豊美(A)、小野沢あかね(B)、梁澄子(B)の6人が、コメントを木宮正史(A)、吉見義明(B)、太田昌国(A)、金昌禄(B)、上野千鶴子(A)、北原みのり(B)、李順愛(A)、金富子(B)、千田有紀(A)、中西新太郎(B)の10人が行ったのち、総合討論に入った。討論では報告者がリプライを行い、その後、司会者が論点を整理したうえで総合討論に入った。

 研究集会は6時間近くに及んだため、ここでその内容を要約することは不可能である。いずれ集会の記録が公開されるだろうから、関心のある方はそちらを参照されたい。また、日本語で読める記事としては『東京新聞』の報道がもっともまとまっているのでご覧いただきたい。

 そもそも私がなぜこの研究集会に参加したかを説明しておく必要があるだろう。研究集会「『慰安婦』問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」の呼びかけ文(外村大氏執筆)には、次のような一節がある。

「植民地支配の反省を確立し、被害者の心に届くような謝罪と補償を実現していくためには、この問題に対する関心を高め、正確な史実を伝えるためのいっそうの努力が必要となっています。そして、目標実現のためには、幅広い市民の力をまとめることが必要です。」

 私は呼びかけ文のいう、「植民地支配の反省」の確立、「被害者の心に届くような謝罪と補償」、そして「正確な史実」を明らかにするための努力の必要、という問題意識に賛同し、本研究集会に臨んだ。上にあげた呼びかけ文の問題意識を前提として共有できるならば、私と『帝国の慰安婦』に対する評価の異なる人たちとも建設的な議論が可能であると考えたからである。

 私は、『帝国の慰安婦』には「正確な史実」を明らかにしようという謙虚な姿勢がみられず、むしろ恣意的な史料や文献解釈により「正確な史実」の探求への道を遠ざけている、と考える。「反省」や「謝罪」「補償」などの重要な用語や概念を朴裕河氏は自分流に修正し、被害者たちの目標自体を換骨奪胎している。研究集会の報告においては、これらについて具体的な事実をあげて指摘した(詳細は拙著『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』世織書房、2016年を参照されたい)。

 だが意外なことに、『帝国の慰安婦』を評価する側の報告者・発言者は、私のこうした批判に具体的な反論をいっさい示さなかった。私はこの一年半にわたりブログなどで『帝国の慰安婦』を批判してきた。日韓会談をめぐる朴氏の誤謬については『季刊戦争責任研究』に掲載された論文で指摘しており、私の『帝国の慰安婦』批判の論旨は予測できたはずである。実際に研究集会において西成彦氏は私のブログの記述に言及して反論を行った。また、浅野豊美氏は韓国の歴史学研究誌『歴史批評』に掲載した私の批判に触れていた。にもかかわらず、私の提起した論点について、ただのひとつも具体的な反論が示されることがなかった。大変意外であり、また、遺憾である。

 私は当初、次のような主張がなされるのではないかと予想していた。『帝国の慰安婦』の命題は確かに十分に立証されてはいない。だが朴氏が言及していない他の史料や証言には、朴氏の命題を支持するような内容が含まれている。『帝国の慰安婦』は論証としては不十分だが、日本軍「慰安婦」の実像に迫っている、と。これならばまだ議論になりうるが、この種の反論すらついに示されることがなかった。

 もちろん『帝国の慰安婦』の誤りや「脇の甘さ」を認める発言がないわけではなかったが、それらはいずれも極めて抽象的であり、それが具体的に何を指すのかは示されなかった。ある書物のすべてが誤っていることなどありえないから、抽象的に「誤りもある」と認めるだけでは批判に応じたことにならないのは当然である。仮にそのように考えるならば、具体的に何が「誤り」「脇の甘さ」なのかを明らかにすべきであろう。その指摘がなされず、「誤り」「脇の甘さ」はあるが評価すべき点もある(その多くは日韓和解のための意義の強調であった)、という言明を繰り返すだけでは、議論になりようはずがない。

 ただ、興味深く感じたのは、上野千鶴子氏の『帝国の慰安婦』評価である。上野氏は開口一番、私のレジュメをとりあげたうえで、A側について、すべて一緒くたにしないでほしい、私は「避けて通れない書物」とは書いたが優れた本だとは言っていない、と発言した。確かにその通りである。『毎日新聞』掲載の上野氏の『帝国の慰安婦』評には、内容がいいとは一言も書いていない(ただし上野氏も賛同人である「抗議声明」は本書の内容を高く評価している)。私自身もこの点は気になっており、実際には『帝国の慰安婦』の問題点に上野氏が気づいているがゆえに、『毎日』では奇妙な紹介の仕方をしたのではないかと推測していたので、この発言を聞いてやはり内容の評価には踏み込まないのだなと思った。

 だがここから上野氏は一転して、『帝国の慰安婦』の優れた点を指摘し始めた。上野氏によれば、『帝国の慰安婦』は日本の免責などしておらず、むしろ植民地支配の罪をつきつけたところにおいて日本人としての痛覚をもっともついた。戦時性暴力の普遍性に対して植民地女性という視点を持ち込んだ。私や金昌禄氏の「業者主犯説」との評価は誤読である。これが上野氏の『帝国の慰安婦』評価である。これは意外であった。私はひそかに、上野氏は『帝国の慰安婦』のほとぼりが冷めた頃に「別に評価していたわけではない。起訴に反対しただけだ」と言い出すのではないか、と思っていたので、ここまで内容に踏み込んだ評価をするとは思わなかった。しかし、上野氏は『帝国の慰安婦』が「業者主犯説」ではないとする根拠を一切示さなかった。これでは反論のしようがない、というのが正直なところである(*1)。

 反論に具体性がないこと以上に私が気になったのは、『帝国の慰安婦』擁護の論者たちのなかに、批判者(私を含む)に対する印象操作をするような「反論」があったことである。例えば浅野豊美氏は自身の報告において、私の批判は「先輩」たちの枠組みを前提にしており、誤っているにもかかわらず、若くて威勢のいい朝鮮人に言われると反論できないため、周囲は贖罪意識からしぶしぶ従っているにすぎない、という趣旨の「批判」をおこなった。そして浅野氏はこれを「鄭栄桓現象」と名付けた。この主張には何らの根拠もなかった。浅野氏自身、反証可能性がないことを認めながら発言していた。「研究集会」の場でこのような憶測が述べられたことに私は驚きを禁じ得なかった。

 仮に浅野氏が上のような主張をするならば、最低限以下のような手続きを経てなすべきである。私が特定の先行研究の問題意識を無批判に受容していることを指摘したいならば、「先輩」という通俗的な表現を用いず、具体的に当該の研究及び研究者を指摘すべきである。また、浅野氏の批判(「鄭栄桓現象」)が成り立つためには、(1)私の主張(『帝国の慰安婦』批判)が誤っていること、(2)周囲がそれを認知しながら贖罪意識から同意していることを立証しなければならないが、浅野氏はこれを証明しようと試みることすらなかった。浅野氏も研究者である以上、上のような手続きを欠いた批判が単なる「誹謗」にすぎないことは十分に理解できるはずである。

 それゆえ私は、浅野氏がここまでの主張を表明したからには、相応の根拠があるものと考え、報告後のリプライにおいて再度二点の質問を名指しでおこなった。(1)日韓会談で韓国政府が朝鮮人「慰安婦」の個人請求権を進んで放棄したとする『帝国の慰安婦』の主張に賛同するのか、(2)朴裕河氏は浅野の研究に言及したうえで、もし個人請求権が認められれば日本は在朝鮮日本資産の請求権を主張できるようになるというが、この主張にも賛同するのか、の二点である。ほかにも問うべきことはあったが、浅野氏は日韓会談関係文書の資料集編纂者であるから、少なくともこの二点については別途の準備を経ずとも回答できると考え限定した。だがこれについても浅野氏が回答することはなかった。

 もし何らの根拠なく上記のような主張を行ったのであれば、それは浅野氏自身の偏見の表明にすぎず、私のみならず『帝国の慰安婦』批判を行ったことのある人々の主体性を愚弄するものとみなさざるをえない。ひいては『帝国の慰安婦』擁護論は、朴裕河氏と同様「正確な史実」の探求には関心がないとの疑いを免れないのではないか。ここでは浅野氏の主張への言及にとどめたが、他の発言者も、西成彦氏をのぞいてはそもそも『帝国の慰安婦』の内容に触れることすら稀であった。これは集会主催者や参加者のみならず、そもそも朴裕河氏に対する敬意を欠く振る舞いではあるまいか。

 冒頭に記したとおり、私は本研究集会を『帝国の慰安婦』というテクストの内容をめぐる真摯な議論の場になりうると考え参加した。だが残念ながらそのような場にはならなかった、と評価するほかない。せめて本研究集会の記録ができるだけ正確な形で公表されることを願うばかりである。

*1 『帝国の慰安婦』評価とは直接関係がないが、上野氏の発言をめぐっては印象深い一幕があった。上野氏は最後の総合討論の席上、司会が論点を二つに整理して討論に入ろうとしたところに割って入り、三つ目の論点がある、として刑事告訴への批判に合意するよう参加者たちに訴えた。私は韓国の裁判所が判断すればよい問題であると考えており、上野氏のような起訴反対の立場を採らないため合意できないと指摘した。続けて上野氏が告訴は検察がしたのだから、という趣旨の発言をしたところ会場から「違う」の声があがり一時騒然となった。すると上野氏は次の用事があるからと壇上を降りて退場した(ちなみに、上野氏が総合討論の壇上にあがった時点で、すでに終了予定時刻を過ぎていた)。このため司会が整理した論点は十分に議論することができなかった。残念である。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2016-04-21 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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