「朝鮮籍=法律上の無国籍」論の陥穽

 韓東賢「「朝鮮・韓国籍」分離集計の狙いとは?――3月公表の2015年末在留外国人統計から」という記事には驚かされた。この記事は歴史的事実についても不正確・曖昧な記述が目立ち、何よりその独特の「朝鮮籍」解釈は、分離集計の問題を知らしめるよりも、むしろ朝鮮籍に関する理解に混乱をもたらしかねない。「当事者」の書いた記事であるためとりわけその否定的効果は大きいと考え、急ぎ問題点を指摘しておきたい。

 この記事は総じて非常にわかりづらいが、以下の二つの主張をしていると考えられる。

(A)政府・法務省は「朝鮮籍≠北朝鮮国籍」と解するにもかかわらず、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」との誤解に基づく自民党議員の分離集計の要望を受け容れた。これは誤解を広めることになりかねず問題である。

(B)近年の朝鮮籍者や朝鮮学校への差別を勘案すると、法務省による分離集計の開始は「朝鮮籍=北朝鮮国籍」とする「誤解」を公式見解とし、「制裁」として特別永住資格を剥奪する布石であると考えられる。

 (A)についてはひとまずよいとして、(B)は根拠がなくまた筆者が何を主張しているのか判然としない(入管特例法の改悪と、朝鮮籍に関する国籍解釈の変更がどういう関係にあるのかわからない)。だが、何よりも大きなこの記事の問題は(B)のような弾圧を批判するにもかかわらず、実際にはかような弾圧を容易にしかねない「朝鮮籍」解釈を提示していることにある。

 順を追って説明しよう。まず、韓は在日朝鮮人の国籍を論じる前提として、「ある人に「国籍」を付与することができるのは、当然ながら「その当該国だけ」だという基本中の基本」を確認する。おそらく外国人登録上の「国籍」欄と、実際の国籍をめぐる「誤解」を解きたいと考えたのであろうが、これでは何も言ったことにならない。

 正確に書くならば次のような説明になる。当該国民の国籍の決定は、当該国の国内法による。よって、日本法を根拠とする旧外国人登録証明書や在留カード・特別永住者証明書の「国籍」表示が、ただちに当該外国人の「国籍」を意味するわけではない。誰が朝鮮民主主義人民共和国/大韓民国の国民かは、朝鮮/韓国の国内法によって決まるため、これらの書類上の「朝鮮」表示は、ただちに朝鮮民主主義人民共和国の国籍を意味するものではない。よって、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」は誤解である。こう書くべきであろう。

 ただし、「朝鮮籍=北朝鮮国籍」は誤解である、という主張にはそれこそ「誤解」を招く余地があり、補足の説明が必要である。確かに、在留カード/特別永住者証明書「国籍」欄の「朝鮮」表示は、朝鮮民主主義人民共和国を意味するものではない。だが、これは「朝鮮」籍者を含む在日朝鮮人に朝鮮民主主義人民共和国国籍者がいないことを意味するわけではない。つまり、「朝鮮籍≠北朝鮮国籍」は正しいが、だからといって朝鮮籍者≠朝鮮民主主義人民共和国国民である、となるわけではない。両者を混同してはいけない(*1)。

 いずれにしても、朝鮮籍者の法的地位をめぐる最大の問題は、その「当該国」とはどこか、であるといってよいだろう。朝鮮は分断国家であるため、朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国の国籍法によれば、少くとも実体法上は朝鮮籍者はいずれの国民でもあり、朝鮮・韓国の双方が「当該国」である可能性がある。

 問題となるのは当事者たちの意思である。世界人権宣言には「すべて人は、国籍を持つ権利を有する。」「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」との規定がある(第十五条)。これを「国籍への権利」と呼ぶならば、いかなる「国籍への権利」を朝鮮籍者たちが求めているのかが重視されねばなるまい。朝鮮籍の当事者たちの意思を基準に考えた場合、「国籍への権利」の対象となる「当該国」はどこかについて、おそらく三つの考え方が存在するものと思われる。

 第一は当該国=朝鮮民主主義人民共和国であるという立場である。韓の記事が指摘するように、この立場の人々に対し、朝鮮政府は旅券を発給し国籍を認めている。だが、日本政府は分断国家のうち大韓民国政府とその国籍のみを承認し、朝鮮政府と国籍を認めないため、朝鮮を「当該国」と考える在日朝鮮人の当事者たちの「国籍への権利」は阻害されている状況にある。

 第二は当該国=朝鮮民主主義人民共和国+大韓民国であるという立場である。だが韓国政府は「朝鮮」籍のままでの韓国国籍(旅券)取得を手続上は認めないため、朝鮮籍でありかつ南北朝鮮の旅券を有する、ということは事実上不可能である。

 第三は、分断国家の過渡的状況ゆえに、現状のままでは両政府のいずれも「当該国」と認めない立場である。両政府が協議し、統一を念頭に(かつ分断を前提としないかたちで)在外同胞の国籍と法的地位問題を解決しようとする動きはいまのところまったく存在しないため、この人々の「国籍への権利」の実現も、実際には極めて困難な状況下にある。

 これら三つの立場はおそらく截然と分かれているわけではなく、個人のなかに複数の立場や考え方が折り重なっているのが現実であろう。だが間違いなくいえることは、「国籍への権利」という視点から整理した場合、わずかに旅券を発給される朝鮮民主主義人民共和国の国籍への権利にしても日本政府がその実現を実質的に阻害しているため、いずれの立場であろうとも朝鮮籍者の場合は「国籍への権利」の実現が困難であるということである。

 だが韓東賢は、これらいずれの立場でもないようである。韓は朝鮮籍者の「旅券」問題について、次のように主張する(下線は引用者。以下同じ)。

「日本における「朝鮮籍」は北朝鮮国籍ではないが、無国籍同然のいわばある種のブラックボックスであることが、韓国、北朝鮮、そして日本の各国政府が、いずれも「都合よく」事実上の「北朝鮮」籍とみなせる余地となっている。韓国政府は入国に制限を加え(2000年の南北共同宣言から2008年の政権交代までは一時的に緩和)、北朝鮮政府は自国の海外公民とみなしている(朝鮮総連を通じて旅券の発給も行っている)。
とくに韓国側のスタンスは南北分断による悲劇だと言えるが、この件でもっとも責任が重いのは日本政府だろう。物理的にも制度的にも「朝鮮籍」の人が存在するという事態をもたらしたその張本人が、事実上の無国籍扱いで放置していることだけでそもそも不当なのだ。朝鮮籍者が自由に国外を移動できる旅券を発給すべきだとしたら、それは日本政府だろう。

 ここからもわかるように、韓は日本政府こそが朝鮮籍者に旅券を発給すべきである、と主張する。この立場を敷衍すれば、朝鮮籍者の「当該国」は日本である、という主張を展開していることになる。前述のいずれとも異なる、第四の立場である。

 なぜこのような解釈になるのか。韓の主張する「無国籍」論の特徴を明確化するためにも、ここで、そもそも「無国籍」とはいかなる状態なのかを確認しておこう。一般に、無国籍には(1)法律上の無国籍と(2)事実上の無国籍という二つの範疇があるといわれる。阿部浩己の整理を引こう(『無国籍の情景 国際法の視座、日本の課題』8頁。リンク先はpdf)。

「国際法における最も一般的な無国籍者の定義は、1954 年の「無国籍者の地位に関する条約」(無国籍者条約)第 1 条 1 項に、次のように簡明に記されている。「『無国籍者』とは、その国の法律の適用によりいずれの国によっても国民と認められないものをいう」。この定義は、1961 年の「無国籍の削減に関する条約」(無国籍削減条約)にもそのまま引き継がれている。
 人は、出生の時点において、出生地国または父/母の国籍国の法令(憲法、国籍法、行政命令など)の適用により、自動的にその国の国民と認められるのが原則であるが、なかには、いずれかの事情のため、出生時にいずれの国籍も取得できない者がいる。また、自らの国籍を、事後になんらかの事情によって喪失し、新たな国籍を取得できないままの者もいる。こうした人々は、無国籍条約の想定する典型的な無国籍者にほかならず、法律上の無国籍者 ( de jure stateless person/s) と称されるのが一般的である。
 これに対して、法形式的にはいずれかの国籍を有しており、したがって法律上の無国籍者とはいえないものの、国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態におかれている者もいる。こうした人々は実効的な国籍 (effective nationality) を欠く者として、事実上の無国籍者 (de facto stateless person/s) と称される。同様の問題は、国籍を有する国に入国や滞在を許されない場合にも起こり得る。」

 阿部の整理をふまえれば、第一~第三の立場は、朝鮮籍の在日朝鮮人は(2)事実上の無国籍者であると解釈する主張ということになろう(ただし、阿部自身は朝鮮籍者は無国籍者ではないとの立場である)。実体法上は南北双方の「国民」であるため「法律上の無国籍者とはいえないものの」、結果として「国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態におかれている」からである。実体としては朝鮮・韓国国籍であるが、日本・韓国政府の政策の結果、その権利を享受できない。それゆえ「無国籍状態」だという理解である。

 だが韓の立場は、朝鮮籍を(1)法律上の無国籍とみなすものといえよう。韓は次のように記す。

「「朝鮮籍」は北朝鮮の国籍ではない。植民地時代の朝鮮半島というエリアにルーツがあることを示す、「記号」である。そして単に、1948年[ママ]の外国人登録令以来変更しなかった人とその子孫が、今も「朝鮮籍」なわけだ。理由は様々であろう。その内心を知る由はない。」

 韓の主張は朝鮮籍がただちに「北朝鮮国籍」を意味しない、という主張にとどまらない。それをふみこえて、そもそも朝鮮籍者は「無国籍」であり、かつこの人々はあらゆる意味において「北朝鮮国籍」ではないと主張しているように読める。「事実上の無国籍」という表現を使っていながらも、実際には「出生時にいずれの国籍も取得できない」「自らの国籍を、事後になんらかの事情によって喪失し、新たな国籍を取得できないままの者」、すなわち「法律上の無国籍者」と朝鮮籍者をみなしているのである。

 こうした「朝鮮籍=法律上の無国籍」論の解釈を、韓がくり返す「ある人に「国籍」を付与することができるのは、当然ながら「その当該国だけ」」という「基本中の基本」にあてはめるとどうなるか。朝鮮籍は法律上の無国籍者であり、日本政府が旅券を発給すべきとの解釈を採るわけであるから、少くとも理屈のうえでは、朝鮮籍の在日朝鮮人に「「国籍」を付与することができるのは、当然ながら日本だけ」ということになってしまう。つまり結果として、朝鮮籍在日朝鮮人の国籍問題は、日本政府の専権事項であると主張していることになるのである。

 冒頭で(B)のような弾圧を批判しながら、実際にはかような弾圧を容易にする「朝鮮籍」解釈を提示しているとしたのは、この点に関わる。朝鮮籍在日朝鮮人の国籍問題を日本政府の専権事項とする解釈は、前述した「様々」な「国籍への権利」を主張する基盤を覆すことになる。むしろ「法律上の無国籍者」とみなすことで、日本政府に朝鮮籍者の法的地位を委ねる結果を招来しかねない。建前としては朝鮮籍者の「国籍への権利」を認めないにもかかわらず、実体としては朝鮮民主主義人民共和国への「制裁」の対象として諸権利を制約・侵害する法運用を制約する法理論にもなりえず、むしろさらなる弾圧の道を開くであろう。そのうえ、日本政府が朝鮮の「国民として享受しうるはずの保護・援助を国籍国から受けられない状態」に置いている責任も無化してしまう。

 おそらくこうした批判は韓にとって予想外のものであろう。「理由は様々であろう。その内心を知る由はない」とあえて記したのは、朝鮮籍者の心情の多様性に留意してのことであろうし、朝鮮籍者の法的地位の悪化を容易にするような法解釈を意図的に示したとも思わない。だが韓が示した解釈は、それこそ「様々」な立場から「国籍への権利」を希求する朝鮮籍者の実践を、極めて狭隘かつ当事者たちの意に反する立場へと押し込め、さらには分離集計を推し進める自民党議員らが望む「制裁」を容易にしかねない危うさがあると私は考える。不用意ゆえとしても到底看過できるものではないと考え、批判を記した次第である。

*1 この論点については、下記の記事もあわせて参照されたい。

「在日朝鮮人に北朝鮮国民は一人もいない」のか――共産党の在日朝鮮人認識の問題

狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2016-03-12 00:00 | 出入国/在留管理
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