軽蔑すべき「ある在日の歴史家」とは誰か

 金明秀氏のツイッターに、以下のような投稿があった。

「ある在日の歴史家が、「下からのレイシズムなどどうでもよい。それより、国家による上からのレイシズムこそが重要だ」という主張を繰り返している。ぼくは「両方が重大に決まってるだろう。頭でっかちにもほどがある」と軽蔑していたのだけど、昨日、尊敬する大先輩から同じセリフを聞いたのだった。」

 この「ある在日の歴史家」とは誰であろうか。「下からのレイシズムなどどうでもよい。それより、国家による上からのレイシズムこそが重要だ」と主張している、「頭でっかち」で「軽蔑」すべき者とのことだ。私はこの間、「上からの排外主義」への危機意識を喚起すべく、いくつか文章を書いた。一応「在日の歴史家」のはしくれである(「下からのレイシズムなどどうでもよい。」などとは書いていないが)。これらの事実から推測するに、軽蔑すべき「ある在日の歴史家」とは私を指すものと考えられる。特に、私がかつて金明秀氏と「論争」(まともな議論にならなかったので「」を付す。本当に不毛な経験であった)をしたことを知る者ならば、すぐに私を思い浮かべるであろう。

 仮に私の主張を指すならば、朴裕河氏のように名指しで批判をすればよいであろう。批判に応じる必要があると私が判断すれば応答するし、くだらないと考えれば無視する。いずれにしても、あてこすりのような真似をする必要はあるまい。それとも、かつての「論争」の意趣返しのため、あえて名を伏してあてこすりをしたのであろうか。さすがにそこまで臆病ではないと信じたい。

 ただし、ひとつだけ確認しておかねばならない。上にも書いたように、私は「下からのレイシズムなどどうでもよい」などという馬鹿げた主張はしていない、ということだ。あるいは、そのような「軽蔑すべき」「頭でっかち」な主張をしている「在日の歴史家」が他にいるということであろうか。少くとも私の知る限りでは、そうした主張を公の場で書いている者はいないが、仮に私ではないとするならば、迷惑なのでその点をはっきりさせるべきであろう。ツイッターといえども公共の場である。言論には責任を持つべきである。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-11-16 00:00
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