なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか

 乗りかかった船であるし批判を始めた社会的責任もあるため、いま全面的に『帝国の慰安婦』の再検証をしているが、この本にはまだまだ数えきれないほどの誤りがある。誇張ではなく、毎日何かしらの誤りが見つかる。私がこれまで書いてきたことですら、本書の誤謬のほんの一部に過ぎないのである。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞文化貢献部門大賞を受賞したようだが、改めてこのような本が次々と学術・論壇関連の賞を獲得し続けることに呆然とせざるをえない。

 ところで、石橋賞の授賞理由のなかでホルヴァート・アンドリューは『帝国の慰安婦』は「日韓両国民の多くが抱く「ウソ」を冷静に分析」したとし、「本は日本人が抱く「ウソ」にも厳しい」と記している。朴裕河自身も、自著(そして自身)について左派も右派も批判したと表象しているし、朝鮮語版だけにある後記でも、ハンギョレ新聞の記者が『和解のために』を「日本右翼の賛辞を受けた」と書いたことに激怒している(318頁)。

 だが『帝国の慰安婦』に関していえば、日本の右派への批判は全く「厳しい」ものではないし、むしろ右派の賛辞を得ているという評価はあながち間違っていないと思う。アジア太平洋賞特別賞の選考委員は明らかに右派であるし、朴を賞賛する長田達治なども同様である。ほかにも例えば秦郁彦は次のように書いている。

「筆者は『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)などで、第二次大戦からベトナム戦争に至るまで、韓国をふくむ参戦諸国が慰安婦を利用していた事実があり、彼女たちは公娼(売春婦)という職業の戦地版にすぎず、日本軍慰安婦だけが批判の的にされる理由は乏しいと反論してきた。
意外にも筆者と似た理解を示したのは、韓国世宗大学校の朴裕河教授である。しかし強制連行や性奴隷説を否定し、「韓国軍、在韓米軍の慰安婦の存在を無視するのは偽善」と指摘した彼女は、慰安婦の支援組織から「親日的」だとして提訴された。
 熊谷本[『慰安婦問題』(筑摩新書)のこと]は吉見と秦=朴の中間的立場を取るが、論争の経過や争点を手際よく整理してくれているので、概説書としては最適だろう。ただし「フェミニズムによる挑戦」という観念論に傾き、韓国等の反日ナショナリズムに圧倒されがちな現実から目をそらしているのが物足りない。」(『週刊文春』2015年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号[57巻18号]、146頁)

 「秦=朴」と書くほどに、『帝国の慰安婦』は自身「と似た理解」であると考えているのである。私は秦郁彦の『帝国の慰安婦』理解は決して誤っていないと考える。朴の業者主役説をはじめとする日本軍「慰安婦」制度理解は秦郁彦と極めて似通っている。日本軍責任否定論者にとっては、朴の所説は都合のいいものだろう。しかも、「黙認」「需要」の責任はあるといったレトリックで、責任を認めたかのような粉飾までしているのだから、大変便利である。

 ただ、右派が『帝国の慰安婦』を受け容れる理由としては、こうした積極的理由(自らにとって都合がいい)に加えて、消極的理由、すなわち朴の右派批判が右派にとって痛くも痒くもない、という事実をあげておかねばなるまい。

 朴は『帝国の慰安婦』第三部第一章「否定者を支える植民地認識」で、「慰安婦」否定論者への「批判」を行っている。具体的には、(1)女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦であり、強制連行などなかった、(2)軍隊は女性たちを保護しようとした、(3)慰安婦は当時は合法だった、(4)戦場の慰安婦たちはとても「性奴隷」には見えなかった、という四つの主張への「反論」を試みているのだが、これが全く「反論」になっていない。

 そもそも、「否定者」というだけで否定論者は具体的に名指しされておらず、わずかに第四節において、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」『WiLL』2007年8月号増刊、諏訪澄「「従軍慰安婦」に入れ揚げたNHK」(同上)、木村才蔵「慰安婦問題を斬る!」『国体文化』、2007年5月、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会識員による歴史教科書問題の総括』が名指されているにとどまる。しかも最後の『歴史教科書への疑問』は日本軍「慰安婦」問題に関する記述への反論ではない。相手を特定しない批判ならば、大して痛くはないだろう。

 そして一番の問題は「反論」の論理である。詳しくは別の機会に譲るが、結論からいうならば、朴の反論は基本的に相手の主張を全て認めて事実関係を争わず、その「見方」のレベルで勝負しようとするものである。いわば、相手の土俵に全面的に乗った「反論」といえる。

 例えば、「女性たちは自発的に金儲けに行った娼婦である」という主張に対して、朴は、確かに自発的に行った娼婦だったが、そうさせた「構造」が問題だ、と切り返す。

「しかし、たとえ〈自発的〉に行ったように見えても、それは表面的な自発性でしかない。彼女たちをして「醜業」と呼ばれる仕事を選択させたのは、彼女たちの意志とは無関係な社会構造だった。彼女たちはただ、貧しかったり、植民地に生まれたり、家父長制の強い社会に生まれたがために、自立可能な別の仕事ができるだけの教育(文化資本)を受ける機会を得られなかった。」(229-230)

 「彼女たち」が「自発的」に行ったこと、「醜業」を「選択」したことを認めてしまうのである。「強制連行」の概念が恣意的に切り縮められていることの指摘すらなく、事実関係に至っては全く争わない。そのうえで「選択」させたのは「意志とは無関係な社会構造だった」と「反論」する。

 当時は「合法」だった、という主張についても同様だ。

「慰安婦たちがたとえ慰安婦になる前から売春婦だったとしても、そのことはもはや重要ではない。朝鮮人慰安婦という存在が、植民地支配の構造が生んだものである限り、「日本の」公娼システム――日本の男性のための法に、植民地を組み込んだこと自体が問題なのである。慰安所利用が「当時は認められていた」とする主張は、「朝鮮人慰安婦」問題の本質を見ていない言葉にすぎない。」

 確かに合法だった、だがそれは男たちがつくった「法」だった、という「反論」である。これほど当時の条約や法律にすら違反していた事例が紹介されているにもかかわらず、ただちに合法であったことを認めてしまう。「遅ればせながらでも、過去のあることを、「正しくないこと」と新たに認識することが重要」だという指摘は一見いいことを言っているように聞こえる。だが合法性が問題となっている際に、相手の主張を認めたうえで「慰安所の利用を常識とし、合法とする考えには、その状況に対する恥の感覚が存在しない。」などという倫理の次元の論点を繰り出すのは、単なる逃避であろう。

 植民地支配は「善政」だった、という主張への反論もふるっている。

「植民地支配の内実が実際にはよい統治だったと強調する人も日本には多い。しかし、たとえ相対的な〈善政〉があったとしても、それはあくまでも体制に抵抗しない人々に限ることでしかなかった。逆に言えば、日本の統治が〈穏健〉だったのは、日本国家への服従が前提とされていた空間でのことだった。法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである。同じく、植民地ではなく戦場で、さきの小説でのようなことがあり得たのは、そこが「国家」(法律体系)の外の空間だったからである。つまり、そこはもはや、日常を維持する法を作動させなくてよい空間だった。」(225)

 植民地統治に服従する人々にとっては確かに善政だったのだそうだ。まだまだある。

 とても「性奴隷」には見えなかった、という主張に対しては、それは彼女たちが精一杯「国家」に尽くそうとしたからだ、「愛国」しようとしたからだ、と「反論」する。

「彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは、売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な〈愛国娘〉の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で輻して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったのだろう。」
「植民地人として、そして〈国家のために〉闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民闘」の「女」として、彼女たちに許された誇り――自己存在の意義、承認――は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵二○○七)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような〈愛国〉を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。」(232)

 ここでもかつての兵士側からの一方的な追憶を他の史料によって批判的に相対化する作業などは試みることすらせず(千田夏光の本だけからでも反論できる証言は山程ひきだせる)、確かにそうだ、だがそれは彼女たちが一生懸命「愛国」しようとしたからだ、と認めてしまうのである。「戦場における兵士たちの性行為は、死という非日常を押しつけられた中で「日常」をとりもどそうとする切ない欲望の表出でもあって、一概に非難することはできない」(233)と物分りのよい態度を示しながら。

 私はこの本の核心となるテーゼの一つ、朝鮮人「慰安婦」は〈愛国〉的存在であった、という主張は、全く証明できていないと考えている(千田もそんなことは主張していない)。だが、朴は事実関係や証言、史料と真摯に向き合わず、自らが考えついた図式に基づいて右派の主張を事実認識のレベルで全面的に認めたうえで、「彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者(慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ)たちが批判するのは矛盾している」(232)といった、「愛国者」としての首尾一貫性だけを問題にする。朴の右派への「反論」は一事が万事この調子である。このような机上の屁理屈の「批判」が右派の脅威になるはずがない。右派にとって『帝国の慰安婦』の批判など何らの痛痒も感じさせないものであるばかりか、事実関係については右派の認識を全面的に肯定してくれるのでむしろ都合がいいとさえいえる。『帝国の慰安婦』が右派に受け入れられるのは当然であろう。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-10-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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