朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)

5.「反論」の検証⑤――在朝鮮日本財産と「個人の請求権」について

 朴裕河は「反論」において、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」に関連して次のように指摘した。

「鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」(476頁)

 はじめに強調しておきたいのは、こんな主張は初耳だ、ということである。確かに私は、『歴史批評』論文では朴の在朝鮮日本財産に関する主張について検討していない。だがそれは不都合な箇所であったからではない。朴の立論にとって重要な箇所ではないと判断したからである。この「反論」で朴は、「個人の請求権」が認められない論拠として、在朝鮮日本財産の問題を指摘しているが、こんな主張を『帝国の慰安婦』ではしていない。もししていたら取り上げないはずがない。驚くべき珍説だからだ。

 まずは、私が「抜いて引用」したといわれた『帝国の慰安婦』の該当箇所を全文引用しよう(段落記号は筆者が付した)。

「【A】しかし、不思議なことに、人的被害に対する要求は、1937年以降の、日中戦争における徴用と徴兵だけに留まり、突然の終戦によって未回収となった債権などの、金銭的問題が中心となっていた。つまり、1910年以降の36年にわたる植民地支配による人的・精神的・物的事柄に関する損害ではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からとするべきだが)、1937年の戦争以降の動員に関する要求だったのである。
【B】決裂することもあったほどに、互いに植民地時代を強く意識していながら、そういうことになったのは、日韓会談の背景にあった、サンフランシスコ条約があくまでも戦争の後始末――文字どおり「戦後処理」のための条約だったからである。日韓会談の枠組みがサンフランシスコ条約に基づくものであったために、その内容は戦争をめぐる損害と補償について、ということになっていたのだろう。
【C】会談は、金銭的な問題については、日本が残してきた資産と韓国が請求すべき補償金(対日債権、韓国人の軍人軍属官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)をめぐっての議論が中心だったようである。そして請求権に関して、基本条約の付随条約――「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれたのだった。つまり、日本がこだわっていた朝鮮半島内の日本人資産は放棄され、(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った。これも反共戦線を作るためのアメリカの思惑が働いてのことのようで、アメリカが日本から受け取るべき費用(引揚者の帰国費用など)をそのようにして肩代わりすることで、韓国の自立を助けたという(浅野豊美二〇〇八[『帝国日本の植民地法制』:引用者注]、六〇六~六〇七頁)。
【D】いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(『帝国の慰安婦』日本語版、248-249頁)

 【A】~【D】4つの段落のうち、『歴史批評』論文では【C】を省略し、朴が「経済協力」を「賠償金」と理解している論拠として示した。朴が「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分」としたのはこの【C】である。叙述が錯綜しておりわかりづらいため、この箇所を改めて整理し直すと以下のようになる。

(1)韓国政府がサンフランシスコ講和条約の枠組みを意識して、日中戦争以降の動員による人的被害への賠償だけを求めた(【A】【B】)
(2)日韓会談では在朝鮮日本財産と「韓国が請求すべき補償金」の処理が議題となった。米国が反共戦線を作り韓国の自立を助けるため、前者は放棄された。(【C】)
(3)日韓請求権協定により日本政府は「1937年以降の戦争動員に限る」賠償金を韓国に支払い、韓国政府が個人の請求に応えることとなった。(【D】)

 こうしてまとめると、正しいかは別にして、朴の意図はよくわかる。韓国は1937年以降の戦争に限って対日賠償請求をして請求権協定で賠償が支払われた(誤っているが)一方、日本は米国の政策により対韓財産請求を放棄した、と言いたいのであろう。ただ【C】の叙述は時系列が混乱しており、大変読みづらい。【C】をさらに分解すると以下の通りになる。

【C1】日韓会談では在朝鮮日本資産と韓国の請求する補償金が議題となり、請求権協定が結ばれた。(1952-65年)
【C2】日本は在朝鮮日本資産を放棄し、米国が戦勝国として「接受」し韓国に与えた。(1945-48、51、57年)
【C3】米国の政策の意図は反共戦線を作り韓国の自立させるためであった。(?年)

 おそらく【C2】は1957年の米国政府による米軍政令解釈の日本政府への提示を念頭に置いた叙述なのであろうが、「(アメリカが戦勝国として)「接受」し、それを韓国に分け与えた形を取った」という曖昧な書き方をしているため、日韓会談開始以前の接収と払い下げを指すようにしか読めない。よって時系列的には過去へと遡るように読めるにもかかわらず、朴は【C1】と【C2】を「つまり」で接続するため、前提知識の無い者が読むと、日韓交渉の最中に米国が旧日本資産を接収したうえで韓国に与え、日本の対韓財産請求を封じ込めたと読んでしまう可能性が高い。逆に、ある程度歴史的経緯を知っている者がこの箇所を読むと、突然タイムマシーンに乗せられて過去に放り込まれたような、不条理な感覚に襲われるのである。

 何よりここでの問題は、この叙述から元「慰安婦」被害者の「請求権を請求するのが難しいと理解する」ことができるか、ということである。

 まず、【C】における在朝鮮日本財産への言及は、あくまで米国が「反共戦線」と韓国の自立のため日本に請求を放棄させた、という主張を支えるためのものである。この主張の当否はひとまずおくとしても、元「慰安婦」被害者の「個人の請求権」が認められない論拠として触れられたわけではないことは明らかだ。本書を未読の者は「反論」の主張は自著の該当箇所を「要約」したものであると考えるであろうがが、上の引用から明らかなように、『帝国の慰安婦』で朴はそのような主張を行ったわけではない。「反論」における在朝鮮日本財産と「個人の請求権」に関する主張は、『帝国の慰安婦』にはみられない全く新しい主張なのである。

 朴裕河が『帝国の慰安婦』刊行後に講演やfacebook等で示した「要約」なるものは、多くの場合要約たりえていないが、今回も同様である。少なくとも『帝国の慰安婦』から、「この部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である」という朴の意図を読み取ることは不可能である。朴が先行研究や証言、史料を適切に読み解けていないことを私は再三指摘してきたが、ここではそれどころか、朴が自著すらも全く読み解けていないことが露呈している。

 ところで、【C】の段落には浅野豊美の著作が出典として示されている。浅野が「個人の請求権」について朴の「反論」のような主張をしたのであろうか。念のため該当箇所と思われる部分を以下に引用しよう。

「アメリカの主導する東アジアの地域統合プランがこうして大幅に修正される[中国東北・北朝鮮の重工業設備に日本から撤去した賠償設備を加えて中国・朝鮮の近代化を実現する構想が、中国共産党の勝利により日本の復興支援政策へと修正されたこと:引用者注]前に、南朝鮮における在外財産の接収は、初期の懲罰的賠償計画の一環として1945年12月の米軍政令33号によって行われた。それらは「敵産」の払下げという形で現地の住民に移譲されたが、その国際法上の位置づけは、あくまでアメリカが受けとった賠償物資を、現地の住民に対してアメリカからの援助の一部として移譲するというものであった。そして、一度接収された在外私有財産の返還は、あくまで日本政府と日本国民との間で解決されるべき問題と、アメリカはみなしていた。前述した占領方針中の私有財産処理原則にもかかわらず、アメリカが日本人私有財産の所有権移転に踏み切ったのは、北朝鮮における日本人私有財産が没収処分を受けていたため、南朝鮮でのみその補償を前提とする敵産管理政策を持続すれば、朝鮮人からの不信を招くとする理由からであった。アメリカはその処分をサンフランシスコ講和条約四条b項により日本に認めさせ、また、後述する1957年末の日韓両政府への覚書でも、在韓私有財産の請求権が日本にはないという解釈を提示することによって、両国の実質的仲介役となっていた。」(浅野豊美『帝国日本の植民地法制』名古屋大学出版会、2008年、p.606-607)

 浅野はこのように、あくまで南朝鮮において米軍政が日本財産の接収に踏み切った背景を説明しているのであって、「個人の請求権」については語っていない。本来ならこうした「反論」は無視してもよいのであろうが、朴がとりわけ強調したい論拠でもあるようなので、簡単にだけその妥当性を検証しておこう。

 朴は「米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分[…]こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。」と主張する。朴が何を言いたいのか私には正確には理解できないのだが、あえて整理するならば、「反論」には以下の二つの命題が含まれていると考えられる。

元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」は、米国が在朝鮮日本財産を韓国に払い下げて日本人の引揚げ費用と相殺させたため、認められない。
元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」を認めると、在朝鮮日本財産に対する日本人の請求が可能になる。

 結論からいえば、このような主張は成り立たないと考えられる。在朝鮮日本財産については、在朝鮮米軍政庁が1945年12月6日の米軍政令33号で接収し、政府樹立に伴い韓国に払い下げたが、日本政府はこの効力を1951年9月8日調印のサンフランシスコ講和条約第4条(b)項で認めている。1952年以降の日韓交渉で確かに日本政府は在朝鮮日本資産の問題を「逆請求権」として論点化するが、サ条約で効力を認めたため本当に請求できるとは流石に思っておらず、当時の日本側の表現を借りれば一種の「バーゲニング・トゥール」以上の意味はなかった(*1)。上の浅野の引用にもあるように、米国は1957年に日本側が権利を主張できないとの米軍政令の解釈を日本政府に伝えており日韓会談でも議論されている。

 よって旧日本財産に対する何らかの補償を日本人が韓国政府に請求するためには、現時点ではサ条約を改定するほかなく、それは不可能であろう。少なくとも韓国政府を相手にするものに関する限り、「国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になる」という事態が発生するとは考えにくい。

 また、かつても指摘したように日韓会談で元「慰安婦」被害者への補償問題が議論された形跡はなく、日韓両政府による「相殺」されたと考えることは困難であろう。何より朴の「反論」は、旧日本財産と日本人の引揚げ費用が相殺されたため、元「慰安婦」被害者たちの「個人の請求権」が認められない、という奇妙な理屈が展開されており、仮にそのような主張をするのであれば論拠を示すべきであろう。そもそも、元「慰安婦」被害者たちが求めている「請求」の内容は、単純な財産の返還・補償請求ではなく、人的・物的被害に対する補償も含まれたより広範なものだ。全く位相が異なる問題である。

 いずれにしても、朴の「反論」における主張はあまりに珍奇なため、これだけでは何を主張したいのか理解しがたい。相応の論拠を示していただきたい。

*1 太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」、『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』(法政大学出版局、2011年)等を参照。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-10-07 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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