朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

4.「反論」の検証④――【4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬】について

 いよいよ核心の第四節である。私は『歴史批評』論文の半分以上を朴裕河の韓日協定・韓日会談理解の誤謬への批判に割いた。あまりに深刻な先行研究の誤読と歪曲があり、かつそれが本書の核心的主張の根拠とされていたからだ。「4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬」はこれへの反論である。

(1)日本軍責任論の理解について

 私は『歴史批評』論文で、まず朴が日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定したことを指摘した。朴裕河はこれについて次のように反論する。

「1)慰安婦問題に関する責任について
 鄭栄桓は私が慰安婦問題の「責任を日本国家に問えない」(480)としたと整理する。だが私は「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。また、知られていない様々な状況を勘案して判断するならば、「法的」責任を前提とした賠償要求は無理だというのが私の考えだ。私が「業者」ら中間者に注目する理由は、日本国家の責任を否定するためではなく、彼らこそが過酷な暴力と強制労働の主体であり、それによる利得を得たからである。誘拐や詐欺などは当時でも処罰の対象だったからだ。何より慰安婦の「恨み」は彼らに向けられていからでもある。」

 この段落は大いに読者を混乱させる。「「法的責任を問うならばまず業者に問わねばならない」といったにすぎず、日本国家の責任がないとはいっていない。」という一文を読んだ者は、当然ながら朴が日本国家の「法的責任」を認めている、と考えるだろう。「まず業者に問わねばならない」というからには、日本国家の法的責任を問うことも想定していると考えられるからだ。この一文に関する限り、問題は業者と軍に責任を問う順序に過ぎない。だが朴の叙述はそうした予測を裏切り、あろうことか「また」という並列の接続詞を用いて法的責任を否定する文章へと接続する。結局のところ朴は、法的責任は業者にのみ問える、軍には問えない、と言っているに過ぎない。

 何より、朴が、日本軍の責任を「慰安所」制度を「発想」し、「需要」を生み出したことに限定し、これらの責任についても「法的責任」を否定した、という私の整理は何ら誤っていない。実際、朴は本書で次のように記している。

「日本軍は、長期間にわたって兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、必要とした。そしてそのような需要の増加こそが、だましや誘拐まで横行させた理由でもあるだろう。他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで巨大な需要を作り出したという点で、日本は、この問題に責任がある。[中略]慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍用慰安婦」を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある。その意味では、慰安婦問題でもっとも責任が重いのは「軍」以前に、戦争を始めた国家である。」(三二頁)
「この請求[元「慰安婦」被害者らによる憲法訴願:引用者注]の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。[中略]しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」[日本国家に損害賠償を請求する権利:引用者注]を抹消したのは、韓国政府でもあった。」(一八〇頁)

 朴が日本軍の責任に言及した数少ない箇所の一つである。注意深く日本軍の「責任」を「発想」と「黙認」に限定していることは明らかであろう。さらに今回の反論では慰安所設置の指示について次のように書いている。

「私は慰安婦問題の「本質は公式的な指揮命令系統を通して慰安所設置を指示」したという吉見の主張を大体のところ支持するが、女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える。また「兵站付属施設」だという永井和の指摘もまた支持するが、既存の遊郭を使用した場合も多かった点が補完されねばならないと考える。/もちろん、それをみる理由は日本の責任を稀釈させるためではなく、支援者たちがいう「真相究明」のためだ。」

 吉見の指摘を支持するならば、日本軍の責任は制度の「発想」や人身売買の「黙認」に留まるという朴の主張は維持できないはずだ。軍が女性の徴集を命じなければ、人身売買も起きようはずがなく、その責任を軍もまた負うべきであることは当然であろう。だが、朴は「女性の「徴集を命令したものであった」という規定は物理的な強制連行を想像させるものであり、業者の自律性を無視するものである以上、もう少し繊細な規定が必要だと考える」という弁明でもって、あくまで自らの主張は正しいという。朴のいう「業者の自律性」とは何か。軍の指示とは関係なく、業者が自ら女性を集め、軍に出向いて商売をした、ということだろうか。だとすれば吉見の指摘への「支持」と矛盾するのではないか。この箇所も全く「反論」足りえていない。

 さらに朴は、次のように私の指摘が「飛躍」だと批判する。

「鄭栄桓の私に対する批判が純粋な疑問を逸脱した曲解であることは、需要をつくったこと自体、すなわち戦争をしたこと自体を批判する私の文章を引用しながら、「上の引用は見ようによっては供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」(481)とまでいっている指摘にあらわれている。甚だしくは「業者の逸脱だけを問題視するならば、軍慰安所という制度自体の責任が免除されるのは当然の論理的帰結」(481)だと書く鄭栄桓の飛躍にはただ驚くばかりだ。
 私は「軍による慰安所設置と女性の徴集、公権力を通じた連行」(482)を同列において「例外的なこと」と記述してはいない。私が例外的であると書いたのは、朝鮮半島での「公権力を通した連行」のみである。にもかかわらず鄭栄桓はこうした方式で要約し、私が「軍の慰安所設置」をあたかも例外的なこととみなしたかのように見えるように試みる。」

 ここで朴は、当然に私の主張が「飛躍」であるかのように書いているが、「慰安婦の供給が追いつかないと分かっていたら、募集自体を中断すべきだったろう。」(『帝国の慰安婦』32頁)という叙述から、「供給が追いつく程度であれば軍慰安所制度に問題がなかったかのようにも読める」と考えるのは、決して「飛躍」した解釈ではない。むしろ素直な読み方であろう。なぜ「飛躍」なのかを説明したうえで反論すべきである。

 なお、「例外的なこと」に関するについては確かに私の書き方が不正確であった。公権力を通じた連行のみを「例外的なこと」と記述したと書くべきだった。なぜなら、「軍による慰安所設置と女性の徴集」については、「例外的なこと」としての言及どころか、本書では全く言及されていないからだ。はっきりと「軍による慰安所設置と女性の徴集」に言及していない、と記すべきであった。

(2)憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨の誤読について

 次に私は、朴が憲法訴願の論点と藍谷論文の趣旨を誤って理解していることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「2)憲法裁判決について
 憲法裁判決について、私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。だがこれはそうした形式――裁判に依拠した請求権要求という方式とその効果に対する懐疑だっただけで、補償自体に反対したことはない。にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする。
 また、私は支援団体が依拠してきた「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をもとにしては、「慰安婦制度を違法にはでき」ず、よって損害賠償を得られないという藍谷の指摘に共感したにすぎず、「責任がない」というために引用したわけではない。藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確かであり、私はその部分に注目しただけだ。「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」したという指摘もまた、単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ。鄭栄桓はいつも形式否定を内容否定に等置させる。甚だしくは、いまは支援団体自らが「法的責任」の主張を変更したことも鄭栄桓は参考にしなければならないだろう。」

 第一段落の滑稽さは今回の反論のなかでもとりわけ際立っている。「私は確かに「請求人たちの賠償請求権」に対し懐疑的である。」と書いた同じ段落で、「にもかかわらず、「請求権自体を否認する立場」だと誤読させるような整理をする」という。請求権の存在に懐疑を表明する人物の主張を、「請求権自体を否認する立場」だと整理することは「誤読」なのだろうか。そんなことはあるまい。むしろどう整理すれば「誤読」ではないのかを教えてもらいたいくらいだ。

 第二段落の藍谷論文の誤読という指摘への弁明も、全く反論の体をなしていない。本書193-195頁で、朴は藍谷論文に全面的に依拠して、「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」(195頁)ことを主張した。明確に朴は藍谷論文を「「個人の請求権を否定した研究であるかのように引用」した」のであって、私の批判が「単純な誤読か意図的な歪曲であるのみだ」という反論は全く成り立たない。藍谷論文は、「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠でありこの条約をもっては損害賠償の根拠とすることは難しいと指摘したうえで、ハーグ条約・ILO条約に基づく損害賠償請求について論じたのである。そして、これまで裁判所は個人が国際法の法的主体たりえないことを理由に損害賠償請求を退けてきたが、藍たには近年の国際法の理論的深化は個人を法的主体として認める方向へと向かっている、と指摘するのである。藍谷論文から、「法的賠償の根拠はない」という結論は導き出しえない。

 だが朴は「藍谷の意図が「個人の賠償請求権を否定」したものではなくても、そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した論文であることは確か」という。一体何を言いたいのであろうか。「そうした方法の枠組みでは「成立しえない」ことを主張した」とは、何を主張したことを意味するのか。全く意味が明らかでない。曖昧な弁明でお茶を濁すのではなく、具体的に誤読でないことを反論すべきである。

(3)金昌禄論文の誤読について

 さらに私は、韓国政府が「慰安婦」たちの請求権を進んで放棄したという朴の主張は証明されておらず、根拠とした金昌禄論文の理解も誤っていることを指摘した。この箇所は本書においてとりわけ重要な箇所である。朴は日韓会談において元「慰安婦」の請求権を韓国政府が自ら進んで放棄した、と主張した。「韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。」(193頁)と。後に自ら記した『帝国の慰安婦』の「要約」でも、朴は次のようにまとめている。

「そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。」(朴裕河<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

 この「要約」は『帝国の慰安婦』での朴の主張と若干異なるのだが、いずれにしても、日本側は「個人の請求権」を認めようとしたのに、韓国側が進んでそれを放棄した、という主張は本書の核心的主張の一つであることは間違いない。私は『歴史批評』論文において、こうした朴の主張には全く根拠がないことを指摘した。これへの朴の反論は次の通りである。

「3)韓日会談について
 鄭栄桓は私が金昌禄論文も「反対に引用」したというが、私は金昌禄が引用した様々な会談文案を鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた。これもまた根拠なき非難である。
 金昌禄が指摘したように、当時論議されたのは「被徴用者の未収金」であったし、鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。だがいまや慰安婦が「軍属」であったとする資料も出てきたのであるから、私の論拠に依拠するならば、日本が慰安婦を「軍属」として認定することもできるだろう。朝鮮人日本軍すら補償を受けられる「法」が存在したが、慰安婦たちにはそうした「法」は存在しなかったし、そうした認識は慰安婦に関する「補償」を引き出すことができるというのが私の主張であった。」

 これでは問いかけへの答えになっていない。韓国側が進んで日本軍「慰安婦」の個人の請求権を放棄した、と朴は金昌禄論文を根拠に主張した。だが金昌禄論文は元「慰安婦」個人が「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」などとは主張していない。「被徴用者」の、しかも未払い賃金の問題のやりとりを分析したに過ぎず、そこで日本政府は元「慰安婦」についても、あるいはその肉体的・精神的被害への補償についても全く言及していないのである。むしろ韓国政府は日本法上の未払賃金や恩給に限定せずに肉体的・精神的被害への補償を求め、会談で議題とならなかった事柄については「解決」の枠外に置こうとした。これが金昌禄論文の指摘である。つまり、朴が本書でくり返す「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という事実は、全く立証されていないのである。

 朴は一体何を根拠に「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」と主張するのか。根拠があるならば提示すべきだ、というのが私の批判の趣旨であった。この批判に朴は全く答えていない。朴は史料を「鄭栄桓の指摘とは異なる文脈で用いた」というのみで、全く具体的な反論を行っていない。不誠実の極みである。ついでに指摘するならば、「要約」で新たに付け加えた「韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した」という主張も、同じく全く根拠がない。未払い賃金をめぐるやりとりで韓国側がこのように主張した証拠はない。そもそも「未払い賃金」の支払いは「被害補償」ではない。

 朴は「鄭栄桓自身がいうように、当時の慰安婦に関する論議はただ「未収金」だけが問題視されたのだろう。」と私の批判を「要約」しているが、私はそのような主張をしてはいない。日韓会談関係文書から見つかっている唯一の「慰安婦」への言及は、1953年の会談で韓国側委員が「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」との指摘だけだ、と記したにすぎない。明示的に韓国政府が「慰安婦」の請求権を放棄した証拠などないことを指摘するための傍証としてあげたものだ。

 重要なことなので再度くり返すが、朴裕河の「被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だった」という主張には何の根拠もなく、今回の「反論」においても説得的な根拠は示されていない。

(4)張博珍の著書の誤読について

 最後の反論に移ろう。私は、日韓協定による経済協力が戦後補償であり、1937年以降の戦争の賠償であったという朴の理解は誤っており、根拠とした張博珍の著作の理解も誤っていることを指摘した。これに対し、朴は次のように反論する。

「鄭栄桓は私が韓日協定で日本が支給した金額を「戦後補償」だとしたというが、私はサンフランシスコ会談に依拠した会談であるため連合国との枠組みのなかで定めるほかなく、よって日本としては「帝国後処理」ではない「戦後処理」に該当するといっただけだ
 鄭栄桓は487頁から488頁で私の本から長く引用しながらも、米国が日本人たちの朝鮮半島財産を接収して韓国に払い下げ、それを外地から日本人を帰還させた費用を相殺させたという部分を抜いて引用する。だがこの部分こそが私が日本に請求権を請求するのが難しいと理解するようになった部分である。国家が相殺してしまった「個人の請求権」を再び認めるならば、日本人もまた朝鮮半島に残した資産の請求が可能になるという問題が生じるからだ。
 何より私はこの時の補償が「戦争」後処理であるにすぎず、「植民地支配」後処理ではないといい、65年補償が不完全であることを確かに言及した。それなのに鄭栄桓はこれについては言及せず、私が1965年体制を「守護」するというのである。
 私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。「戦後処理に従った補償」といった。また、張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。
 鄭栄桓がいまだに知らないのは、韓国政府がこの時、植民地支配に対する「政治的清算」すらしてしまったということだ。浅野論文は『帝国の慰安婦』出版以後に出た。私は本で日本に向けて「植民地支配補償」ではなかったため、補償が残っていると書いたが、浅野論文を読んでむしろ衝撃を受けた。韓日協定をめぐる論議は今後は浅野論文を度外視しては語れなくなるだろう。」

 「敵産接収」問題については節を改めて論じるとして、まず第一段落の「戦後補償」に関する弁明からみよう。朴は自分は日韓協定による経済協力は「戦後補償」であるとは言っていない、という。だが、本書には「日韓基本条約(ママ)は、少なくとも人的被害に関しては、〈帝国後〉補償ではない。あくまでも〈戦後〉補償でしかなかった」(二五一頁)とはっきり書いてある。さらにこの反論のなかでも、「私は韓日協定金額を[中略]「戦後処理に従った補償」といった。」と書いている。「戦後補償」と「〈戦後〉補償」と「戦後処理に従った補償」は別物なのか。
 
 今回の「反論」検証の(1)でも書いたが、朴はこうした重要な概念について必要最低限の定義すらしていないにもかかわらず、思わせぶりな〈 〉を多用するため、読者は混乱するほかないのである。朴のいう「〈戦後〉補償」が仮に「戦後補償」とは別の意味を持つ言葉なのであれば、その説明を本書でしておくべきであろう。そうした説明なしに「〈戦後〉補償」と「戦後補償」と「戦後処理に従った補償」は違うかのように主張されて、違いを弁別できる読者などいるわけがない。朴にはそもそも定義などなく、思いつきでこれらの言葉を濫用していると疑わざるをえない。

 また、朴は「私は韓日協定金額を「戦争に対する賠償金」だとはいっていない。」ともいう。だが本書には次のような記述がある。

「いずれにしても、1965年の条約及び協定内容と金銭の名目に「植民地支配」や「謝罪」などの言葉が含まれなかったのは、そのときの韓国の「請求権」が、1937年以降の戦争動員に限るものだったためであろう。そして、その賠償金はすべて韓国政府に渡され、国家が個人請求に応える形となった。」(249頁)

 朝鮮語版にも次のような記述がある。

「韓日両国が1965年の国交正常化条約[ママ]の締結に先立ち、過去についての論議を行い、その結果として日本が韓国に無償3億ドル、政府借款2億ドルの「補償」をしたことは間違いのない事実だ。ところがこの賠償[ママ]は「独立祝賀金」と「開発途上国への経済協力金」という名前で実施された。言い換えれば、日本政府は莫大な賠償を行ったが、条約では「植民地支配」や「謝罪」や「補償」といった表現を全く用いなかった。」(258頁)
「ところが結局支払われたのは1910年以降36年間にわたる「植民地支配」による人的・精神的・物的損害に対してではなく(実際の日本の「支配」は「保護」に入った1905年からというべきだ)中日戦争以降の強制動員に関する補償であった。」(259頁)

 朴は明らかに日韓協定に基づく経済協力を「賠償」「補償」と呼んでいる。今回の「反論」で、朴は挺対協の用法に従って「賠償」「補償」を使い分けたと弁明しているが、これも上の引用をみると苦しい言い逃れであることがわかる。経済協力について、一方では「賠償」といい、一方では「補償」という。「賠償」や「補償」を何らかの意図をもって使い分けている形跡は見いだせない。

 しかも、1937年以降の戦争に限られた「請求権」要求に応じたものと位置づけている。そして、その根拠として張博珍の著書を用いたのである。だが『歴史批評』論文で指摘したように、張が韓国政府が1937年以降の戦争動員被害の賠償のみを主張した、というのは1949年の韓国政府の対日賠償要求方針を指すのであって、1965年の経済協力を指すものではない。朴の日韓協定理解は完全に誤っており、その根拠とした張博珍の著作の理解も誤っている。

 朴は「張博珍の研究を引用したのは冷戦体制が影響を与えたという部分においてである。「脈絡とは全く異なるように文献を引用」したわけではなく、張博珍が「韓国政府に追及する意思がなかったと批判」した文脈を無視したわけではない。」と記しているが、以上から、この弁明が全く反論になっていないことは明らかである。1949年の韓国政府の方針を指摘した箇所を、1965年の経済協力の性格を説明するものであるかのように用いるのは、明らかな先行研究の誤用・歪曲ではないか、という質問に答えるべきである。

 そもそも最後の段落は一体何なのだろうか。浅野論文の指摘が重要だというのならば、最低限その要旨を紹介し、具体的に反論すべきではないのか。公刊前の論文をあえて反論に持ち出す以上、最低限その程度の作業を行うべきであろう。全く無意味なほのめかしをすることに貴重な紙数を割く余裕があるならば、一つでも具体的な反論をすべきである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-26 00:00 | 歴史と人民の屑箱
<< 朴裕河『帝国の慰安婦』の「第2... 朴裕河の「反論」を検証する――... >>