朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)

3.「反論」の検証③――【3.『和解のために』批判について】について

 「反論」第三節は、拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」への反論である。なお、『歴史批評』掲載の拙稿は、下記のブログ「東アジアの永遠平和のために」に全文転載していただいた。ブログ管理者のご厚意に感謝したい。

정영환「일본군 ‘위안부’문제와 1965년 체제의 재심판 ― 박유하의 『제국의 위안부』 비판」(『역사비평』111호、2015年여름)

 拙稿の「3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』」は、韓国の読者向けに『和解のために』をめぐる論争を整理したものだ。『和解のために』が出版された時点では朴裕河は韓国ではほとんど名前が知られておらず、本も話題にはならなかった。よって『和解のために』への批判も日本語圏の人々によるものがほとんどだった。いくつかの批判は韓国で翻訳されはしたがあまり知られていないため、金富子や徐京植の議論を中心に『和解のために』への批判を紹介したのである。ここでの私の批判は、以下の二つの記事をもとにしている。

朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)(2)

 私は、上の記事でも書いたように、金富子・徐京植らの朴裕河批判は妥当なものであると考えている。『歴史批評』論文でも①吉見義明の研究の誤読、②軍「慰安所」設置の目的、③国民基金の評価という三つの論点に即して議論を整理し、朴裕河批判は妥当であると評価した。朴裕河はこうした私の評価について反論を試みている。

 朴はまず、①吉見義明の研究の誤読との指摘について、次のように反論する。

「1)道徳的攻撃の問題

 鄭栄桓は金富子を引用しながら、私が既存の研究者らの文章について「正反対の引用」(477)をしたという。これは鄭栄桓が私に論旨のみならず道徳性にも問題があるかのように考えるよう仕向けるために選択した「方法」である。

 だが鄭栄桓が知らないことがある。あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない。言い換えれば、あらゆる文章は著者の全体の意図とは異なる部分もいくらでも引用されうる。鄭栄桓自身が私の本を私の意図とは正反対に読んでいるように。重要なことはこの過程に歪曲があってはならないということだが、私は歪曲してはいない。私は吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない。日本の責任を追及するいわゆる「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ。この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ。いまでは「構造的強制性」があるという者は少なくないが、「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。慰安婦を売春婦だという者たちに向けて「当時の日本が軍隊のための組織を発想したという点では、その構造的な強制性は決して稀釈されない」(改訂版、69)と。

 だが批判者たちは私の本は決して引用しない。最近ではこの問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている。これについては改めて書くつもりだ。

 2015年5月、米国の歴史学者たちの声明が示したように、もはや「軍人が連れて行った強制連行」は世界はもちろん支援団体すら主張しない。だが多くの者たちは「強制連行」とだけ信じていた時点から、強制連行ではないということがわかったために、私は「強制性」について否定的な者たちがこの問題の責任を稀釈させることを防ぐため、10年前に「構造的強制性」について語った。また、『帝国の慰安婦』で「強制性の有無はこれ以上重要ではない」と書いた。」

 朴の「反論」は妥当なものだろうか。「あらゆるテクストは常にその文章を書いた意図に準じて引用しなければならないわけではない」――確かにそうだ。引用の過程で「歪曲があってはならない」――これもその通りだ。しかしながら、「私は歪曲してはいない」――これは誤りである。「吉見義明のような学者が「「強制性」を否定している」というために引用したわけではない」という朴の反論は成り立たない。

 かつて朴裕河は『和解のために』で次のように書いた。

「ところで「強制性」についての異議は、韓国内部でも唱えられている。ソウル大学の李栄薫は、「強制的に引っ張られて行った」「慰安婦」はいなかったとしている。[中略]
 慰安所の設置には日本政府が関与したことをはじめて明らかにした、「慰安婦」研究者の吉見義明もまた、「「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない」(吉見義明・川田文子、一九九七、二四頁)と述べている。」(『和解』、62-63頁)

 この記述の問題について私は次のように指摘した。

「この段落を素直に読めば、「吉見義明もまた」「「強制性」についての異議」を唱えている論者であると読者は考えるであろう。朴はあくまで吉見の指摘した「ファクト」を紹介したに留まると反論しているが、この弁解は成り立たない。明らかに「「強制性」についての異議」の例示として(「吉見義明もまた」)、吉見の指摘が紹介されているからだ。吉見の主張の核心が、「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」に矮小化する主張への反駁である以上、これを「「強制性」についての異議」の例示として用いることは金富子のいうとおり「真逆の引用」といわざるをえない。」(「朴裕河『和解のために』をめぐる「論争」をふりかえる(1)」)

 朴の「意図」はともかく、このように『和解のために』では明らかに「「強制性」についての意義」の例示として吉見を引用している。今回の「反論」でも、朴は吉見のような「「良心的」な学者ですら、「物理的強制性は否定するのであるから、この部分は信頼しなければならないのではないか」というために用いただけだ」という。だが吉見は「強制性」を「官憲による奴隷狩りのような連行」へと狭く限定するべきではない、と指摘したのであって、「物理的強制性」(この言葉が何を意味するかが不明だが)を「否定」したわけではない。「占領地においては奴隷狩りのような暴力的な連行を示す資料さえあり、植民地においては奴隷狩りのような暴力的な連行のケースを別にすれば、広義の強制連行を示す資料はある」と、吉見は明確に指摘している(吉見義明「「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える」)。

 なぜ朴裕河は吉見の研究の意義を正しく理解できないのだろうか。もう一歩踏み込んで考えてみよう。『和解のために』以来の朴の「強制性」をめぐる議論の最大の問題は、日本の右派が設定した「狭義の強制性/広義の強制性」という政治的枠組みを受け入れるところにある。朴は「この後、軍人が連れて行ったといったような強制性に対する問題提起が受け入れられるなかで、論議が「人身売買」へと移っていったのは周知の事実だ」と、あたかも、日本軍「慰安婦」に関する研究の進展とともに、論点が「人身売買」へと移っていったかのように書く。だが、これは誤りである。軍「慰安婦」をめぐる強制性を、「軍人が連れて行ったといったような強制性」とそれ以外へ分割した背景にあるのは、実態解明の進展ではなく、政治的な要請である。

 強制性を「奴隷狩り」のような暴力的・直接的拉致に限定しようとするのは、日本の歴史修正主義者たちの常套手段であった。そしてついて安倍晋三首相(第一次内閣)は2006年10月6日、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」ことを「狭義の強制性」とし、「そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったこと」を「広義の強制性」として、前者を示す資料がないとして軍の関与を否定しようとした(衆議院予算委員会での答弁)。このような政治的な広義/狭義の分割に対し、実態からみてそうした線引きはあまりに恣意的であるとの批判があがり続けた。「強制性に対する問題提起が受け入れられ」たのではなく、政治的に無理やり狭義/広義という枠組みが作られたにすぎない。こうした事情を朴裕河自身も知らないわけがないにもかかわらず、朴は『帝国の慰安婦』においても、安倍政権による狭義/広義という政治的な線引を受け入れる。

 朴裕河の「強制性」理解が、このように安倍政権的な枠組みを前提とせざるをえないのは、その「和解」論がそもそもにおいて外交的・政治的な決着を目的として設計されているからであろう。日本軍「慰安婦」の被害実態やそれをめぐる研究と運動の進展、何より当事者たちの主張を出発点とするのではなく、あくまで日本・韓国両政府の「和解」を目的とするがゆえに、日本政府の設定した「慰安婦」問題理解の枠組みを前提に思考せざるをえない。歴史修正主義者、並びに安倍政権の設定した狭義/広義の強制性という枠組み自体を問うのではなく、その枠組のなかで、すなわち「広義の強制性」という土俵に限定して、日本政府の「責任」を問い、何らかの「和解」への行動を引き出そうとする。それゆえ、朴の日本軍責任論は、強制連行や軍慰安所設置や軍慰安婦徴集の指示といった「狭義の強制性」の土俵に踏み込みかねない事例を避け、慰安所を「発想」した責任であるとか、慰安婦を大量かつ暴力的に業者が集めねばならないような「需要」を作り出した責任、といった珍妙な「責任」論に限定されるのだ。

 吉見義明の研究の意義を朴が根本において理解できないのもこのためだ。朴裕河の「意図」はよくわかる。李栄薫も秦郁彦も吉見義明も、朝鮮では「官憲による奴隷狩りのような連行」を示す文書を確認できないという点では一致している、それなら強制連行にこだわるのをやめて、一致している論点(「広義の強制性」?)だけ議論して「和解」しましょう、というわけだ。だが繰り返しになるが、吉見はそのような論点の設定そのものを批判的に問うているのである。この点を朴は全く理解しておらず、おそらく今後も理解することはできないだろう。

 朴裕河は「「構造的強制性」という概念はまさに私が『和解のために』で初めて使った概念だった。」と誇るが、結局のところこの「構造的強制性」なる「概念」は、安倍政権のいう「広義の強制性」とほとんど大差ないものになってしまっている。「物理的強制性」なる造語は、同じく「狭義の強制性」と大差ない。吉見の議論からもわかるように、「官憲による奴隷狩りのような連行」に「強制性」を限定すべきではないという議論は、『和解のために』以前から存在する。朴のオリジナリティは、安倍政権的な政治的かつ恣意的な「強制性」の分割線を、政治主義的な「和解」の達成のために、「慰安婦」論争に持ちこんだところにあるとみるべきだろう。

 「この問題を植民地支配の問題として見なければならないという私の提起まで、引用なしに使う者まで現れている」という朴裕河の憤慨に至っては、率直にいって失笑を禁じ得ない。日本軍「慰安婦」問題を考えるうえで植民地支配という要因を重視する視点は当然ながら朴裕河のオリジナルではない。それどころか極めて一般的な指摘であろう。むしろ『帝国の慰安婦』のオリジナリティは、表面的には「植民地」について饒舌に語りながらも、実際には「帝国の問題」云々といって朝鮮人「慰安婦」と日本人「慰安婦」の類似性を強調したところにある(*1)。自著を改めて読みなおし、日本-朝鮮、すなわち宗主国と植民地の間の質的差異を軽視したことこそ、「私の提起」であると朴裕河は自覚すべきだ。

 朴裕河は次に、②軍「慰安所」設置の目的について次のように反論する。

「2)誤読と歪曲

 鄭栄桓は私が慰安婦が「一般女性のための生贄の羊」(『和解のために』87)であったと書いた部分を指し、あたかも私が「一般女性の保護を目的」(金富子)としたかのように非難する(478)。だが「日本軍のための制度」という事実と、「慰安婦が一般女性のための生贄の羊」だっという認識は代置されない[訳者注:互いに排他的ではないという意味か?]。

 歴史研究者である鄭栄桓がテキスト分析について文学研究者ほどの緊張がないのは仕方のないことだが、「批判」の文脈であれば、しかも訴訟を起こされている相手に対する批判ならば、もう少し繊細に接近せねばならない。加えて鄭栄桓は一般女性にも責任がないわけではない、という私の反駁すら非難しながら、「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)という誤読に加え、「日本軍の暴力をどうしようもない当然のものとして前提」(478)とした、「戦場での一般女性が自らの代わりに強姦された慰安婦たちに責任がある」という主張だとすらいう。

 私が一般女性の問題について指摘したのは階級の視点からだ。つまり、「学のある奥様」(『和解のために』88)の代わりに慰安婦として出た慰安婦の存在に注目したのであり、彼女たちを見下して後方で平穏な生活を送ることのできな韓/日の中産層以上の女性たち、そして彼女たちの後裔たちにも責任意識を促すための文脈である。もちろん、その基盤には私自身の責任意識が存在する。」

 「「敵国の女性」に責任があったということなのか(金富子)」としているが、金はこのような批判をしたわけではない。これは私からの批判である。もちろん、①と同様に、ここでの朴裕河の「意図」がわからないではない。私も「一般女性のための生贄の羊」云々の箇所を読みながら、本当は日本の(朝鮮が入っているとは思わなかったが)「中産層以上の女性たち」の「生贄の羊」だと言いたいのだろうな、とは考えた。だが実際には朴の「テクスト」には、次のように書かれているのだ([]内数字は筆者が挿入)。

「戦地における「慰安婦」とは、直接的には一般女性[①]の「強姦」を抑止するために考案された存在だった(吉見、一九九八、二七頁)。そのような意味では、「容認された強姦」の性格を帯びた売春は、一般人女性[②]を保護するためのものでもあった。いわば「慰安婦」とは、構造的には一般女性[③]のための生贄の羊でもあったのである」(『和解』、87頁)

 この文章をどう読んでも、「生贄の羊」となった③の「一般女性」が、「韓/日の中産層以上の女性たち」であったとは読めない。①と②の「一般女性」は、明らかに「強姦」される可能性のある中国などの「戦地における」女性を指すからだ。正しく「意図」を伝えたいならば、丁寧に推敲すべきである。

 最後に、③国民基金の評価について、朴は次のように反論する。

「3)総体的没理解
 鄭栄桓は徐京植の批判に依存しながら、アジア女性基金と日本のリベラル知識人らを批判するが、徐京植の批判にはどこにも根拠がない。旧植民地宗主国らの「共同防御線」を日本のリベラル知識人たちの心性と等置させるならば、具体的な準拠を示さねばならなかった。
そして私は韓日葛藤を挺対協の責任にだけ負わせているわけではない。日本側もはっきりと批判した。にもかかわらず鄭栄桓をはじめとする批判者たちは、私が「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」と規定し、以後その認識は拡散した。

 あまりにひどい言いがかりである。末尾では再び例の悪癖があらわれている。あたかも引用であるかのように記しているが、私は「加害者を批判せず被害者に責任を負わせる」などと書いていない。また、徐京植は何の根拠も示さずに、国民基金が「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」の一環であると主張したわけではない。徐は「和解という名の暴力」で次のように指摘している。

「前に述べたような、「植民地支配責任の回避」という先進国共通の防御線を守るために頻繁に使用されたレトリックが「道義的責任」である。

 日本政府が「植民地支配」の事実をしぶしぶ認めたのは敗戦から五〇年を経た一九九五年のことである。当時の連立政権で首相を務めた社会党出身の村山富市が記者会見で、「過去の戦争や植民地支配は『国策を誤った』ものであり、日本がアジアの人々に苦痛を与えたことは『疑うことのできない歴史的事実』」であると述べたのである。

 この談話は植民地支配の事実すら認めようとしなかった従来の政府の立場から見れば一歩前進と言うこともできよう。しかし、談話発表時の記者会見で村山首相は、天皇の戦争責任があると思うかという質問に対して「それは、ない」と一言で否定した。また、いわゆる韓国「併合」条約は「道義的には不当であった」と認めつつ、法的に不当であったということは認めず従来の日本政府の見解を固守したのである。この線、すなわち「象徴天皇制」と呼ばれる戦後天皇制を守護し、植民地支配の「法的責任」を否定すること、相互に深く関連するこの二つの砦を死守するための防御線を当時の日本政府は引いたのだといえる。

 これが、それ以来、日本政府が頑強に維持している防御線であり、いわゆる「慰安婦」問題においても国家補償をあくまで回避して「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金)による「お見舞い金」支出という不透明なやり方に固執した理由でもある。国民が支出する「お見舞い金」は「道義的責任」の範囲と解釈されるが、政府が公式に補償金を支出すればそれは「法的責任」を認めることにつながるからである。ここで「道義的」という語は、法的責任を否認するためのレトリックとして機能している。

 私たちはやがて、このようなレトリックに、別の文脈で遭遇することになる。

 先に述べた二〇〇一年のダーバン会議において、初めて、奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起された。しかし、欧米諸国はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」は認めたが、「法的責任」は断固として認めなかったのである。その結果、ダーバン会議の宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれなかった。欧米諸国が法的責任を否認する論拠は、「法律なければ犯罪なし」とする罪刑法定主義の原則であり、奴隷制は現代の尺度から見れば「人道に対する罪」に該当するかもしれないが、当時は合法だった、という論法である。

 ここに、どこまでも植民地支配責任を回避しようとし、そして、それができない場合でも、「法的責任」を否定して「道義的責任」の水準に止めようという、先進国(旧植民地宗主国)の共同防御線がはっきりと見て取れるのである。」

 これは「具体的な準拠」ではないのだろうか。朴の「どこにも根拠がない」という主張こそ「どこにも根拠がない」決めつけである。

 朴は、この節の結びとして、次のように「反論」する。

鄭栄桓は私が使った「賠償」という言葉を問題視するが、挺対協は「賠償」に国家の法的責任の意味を、「補償」に義務ではないものとの意味を込め、区別して用いている。鄭栄桓が指摘する「償い金」とは本にも書いたように「贖罪金」に近いニュアンスの言葉だ。もちろん日本はこの単語に「賠償」という意味を込めなかったし、私もまた挺対協が使うような意味に準じて、「賠償」という意味を避けて「補償」といってきた。これは基金をただ「慰労金」とみなした者たちへの批判の文脈でだった。「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」(479)という点には、私もまた異論はない。だが鄭栄桓は誤った前提で接近しながら、私が用いた「補償」という単語が「争点を解消」(480)させたと非難する。
 参考に言及するが、日本政府は国庫金を直接使えないという理由から、はじめは間接支援することになっていた300万円すら、結局は現金で支給した。アジア女性基金を受領した60名の韓国人慰安婦たちは実際には「日本国家の国庫金」ももらっていたことになる。依然として「賠償」ではないが、基金がただの「民間基金」だとの理解も修正されねばならない。」

  拙稿の関連する箇所は以下の通りである。

「『帝国の慰安婦』と関連して注目せねばならない点は、ここで朴裕河が国民基金の「償い金」を「補償」と呼んでいることだ。西野瑠美子が指摘したように、日本政府は「国民基金」の「償い金」は「補償」ではないと繰り返し主張してきた。国民基金副理事長であった石原信雄は「これは賠償というものじゃなくて、ODAと同じように、人道的見地からの一定の支援協力ということです」と語った。「償い金」が日本政府の法的責任を前提とした補償ではないということが徐京植の批判の核心であるが、朴裕河は一括してこれらを「補償」と総称してこの争点を解消してしまうのである。」

 つまり、「補償」かどうかは極めて重要な問題であったにもかかわらず、朴裕河は国民基金は実質的な「補償」だったというレトリックでこの対立点を曖昧にしてしまっている、と批判したのである。私が「「賠償」という言葉を問題視する」と朴はいうが、ここをみればわかるように、私が問題視したのは朴の「補償」の恣意的な用い方である。「賠償」の用法を問題視したのは、朴裕河の日韓協定に関する理解を問う文脈においてであり、別問題であるため、これについては後述する。また自らが挺対協の「補償」「賠償」の定義に従っているという主張についても、この「反論」で初めて登場したものであるため、節を改めて検討したい。

 いずれにしても、この項での「補償」をめぐる朴の主張は、相変わらず全く反論の体をなしていない。徐京植はダーバン会議を例にあげて、国民基金は法的責任を否定する「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」を共に守るものだと主張した。一方、朴裕河は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ことに「異論はない」という。だとすれば、少なくとも事実認識のレベルで徐京植と朴裕河の対立は無いはずだ。そして、このような事実認識に立脚するならば、本来朴裕河のすべき反論は、徐の国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」という等式は誤りだ、ではなく、国民基金=「旧植民地宗主国らの「共同防御線」」のラインの「和解」で何が悪い、というものでなければならないはずだ。徐は「償い金が日本の法的責任を前提とした補償ではない」ということをもって、他の旧宗主国が絶対に譲らない線を日本もまた守ろうとしている、と主張しているのであるから、少なくとも朴のなしうる反論は「それで何が悪い」以外にありえないだろう。


*1 『帝国の慰安婦』のこうした植民地認識の問題を指摘する興味深い書評があった。ペ・サンミ(女性文化理論研究所)「主題書評 慰安婦言説のフェミニズム的転換の必要性」(『女/性理論』31号、2014年11月、図書出版ヨイヨン)は、朴裕河『帝国の慰安婦』は「帝国主義戦争に対する歪曲された理解と、慰安婦制度が[ママ]戦場での女性動員が持つ問題の核心を度外視」している、と批判する(268頁)。「和解」が実現しないのは、朴裕河のいうように「慰安婦」の動員/管理主体(軍or業者)が不明確であることや、女性たちの「誇張された被害」に照明があたったためではなく、日本が帝国主義膨張による植民地支配と、満州事変以後続いた戦時体制下で行った収奪と搾取を認め、それへの反省をしないからだ、と至極まっとうな指摘をしている。他にも「慰安婦」たちが「精神的「慰安者」」としての役割を果たしたという朴の主張についても、日本軍側からの史料や小説をもってそのように規定することの問題点に言及している。後半の上野千鶴子評価には同意しがたいところもあるが、『帝国の慰安婦』評価としてはまっとうな書評であると思う。

 なかでも興味深いのは、朴裕河の矛盾した叙述についての次のような指摘である。

「ところが矛盾することに、著者もまた慰安婦制度が帝国主義膨張政策と相俟ったものであることを知っており、慰安婦制度には米国も例外なく責任を感じねばならないと主張している(280-289頁)。慰安婦制度が帝国主義と密接な関係を結んでいることを知っている彼女が、日本の慰安婦問題の場合は帝国主義への反省と結びつけようとしない理由は、彼女の考える韓国と日本の「和解」像が慰安婦問題における日本の責任を軽減させ、韓国における日本への反感を縮小させ、日本帝国主義自体とその遺産への総体的な反省ではなく、慰安婦個人に極限した謝罪と補償のレベルで慰安婦問題を解決しようとするためだろう。」(269頁)

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-18 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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