朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)

2.「反論」の検証②――【2.「方法」批判について】について

 「反論」第二節「「方法」批判について」の検証に入ろう。朴裕河はここで私の「方法」批判について、自らの「方法」を理解せずに批判している、的はずれな批判であると主張する。この節は三つの項に分かれているので、それぞれについて検討しよう。

「1)的外れの物差し
 鄭栄桓は私の本が概念を「定義」せず混乱しているという。だが多くの資料を用いながらも、その本を学術書の形態では出さなかったのは、一般の読者を念頭に置いていたからであり、一般の読者たちは誰もそんな問題提起をしていない。この本が鄭栄桓にとって「読みやすい本ではな」(474)いのは、概念を定義していないためではなく、この本の方法と内容が鄭栄桓にとって馴染みが薄いからだ。」

 一般書に学術書のような定義を求めるのはおかしい、実際、「一般の読者」でそのような「問題提起」をしたものはいない、という批判である。確かに、一般向けの本に学術書レベルの精緻な定義を求めるのは「的外れ」であろう。だが私は朴裕河に学術書レベルの定義を期待したわけではない。「強制動員」や「補償」、「責任」といった、本書のテーマを理解するためには不可欠の、極めて論争的な概念について、最低限の定義をすべきだと指摘したのである。それが無いと著者が何を言いたいのかがわからないからだ。必ずしも「読みやすい本ではな」いとしたのは、そのためである。

 実際に、本書は行論の都合上必要な最低限の定義すら欠いており、そのため誠実な読者ほど混乱に陥る。例えばすでに拙稿で指摘した通り、「強制動員」について朴は極めて特殊な意味で用いているにもかかわらず、全く説明がない。また、国民基金について日本政府が明確に補償であったことを否定したにもかかわらず、実質的な「補償」であるとも書いている。だとすれば著者なりの定義と説明が必要であるのは当然であろう。だがその作業が一切ないため、読み手がそれぞれの概念がいかなる意味で用いられているかを推し量り、再構成しなければならないのである。「本書は読み手に法外な負担を強いる――にもかかわらず得られるものは極端に少ない――驚くべき書物」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)」)と評したゆえんである。逆に書き手には、真意や「意図」を後出しすることで反論に代える怠慢が許される。

 次に移ろう。

「2)貶め
 鄭栄桓は私が慰安婦の差異について言及した箇所を問題視して、「差異があるという主張自体は取り立てて新しいわけではな」(474)く、「数多くの研究が日本軍が占領した地域の慰安婦徴集や性暴力問題にあらわれる特徴を論じている」という。だが私は朝鮮人と日本人のポジションの類似性(もちろん、彼らの間の差別についてもすでにかなり前に指摘した)を指摘しながら、大日本帝国に包摂された女性たちと、それ以外の地域の女性たちの「差異」を指摘した研究を知らない。鄭栄桓の「方法」は、私の本が「売春」に言及したことをもって、実は右翼がすでにした主張だと貶める方法に似ている。だが私の試みは、ただ「慰安婦は売春婦」だというところにあるのではなく、そう主張する者たちに向けて「売春」の意味を再規定するところにある。」

 この「反論」を読んだ者は、私が「朝鮮人と日本人のポジションの類似性」を指摘した研究はたくさんあると主張した、と考えるだろう。朴裕河はそれについて、そのような研究はない、自分が初めて言ったのだと反論した、と。確かに本当に私がそのように指摘したのならば、朴の反論は妥当だ。しかし、朴裕河が引用した箇所を含む段落で、私は次のように指摘した。

もちろん、朝鮮と中国の「慰安婦」にその被害実態において差異があるという主張自体は取り立てて新しいものではない。すでに数多くの研究が日本軍が占領した各地域の「慰安婦」徴集や性暴力問題にあらわれる特徴を論じている。だがこの本の問題は朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある。」(474頁)

 一読して明らかなように、私が先行研究に指摘があるといった「差異」とは朝鮮と中国のそれである。朝鮮と日本ではない。むしろ、本書の特徴として、「朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある」とはっきり書いている。私は正しく朴の主張を理解していると考えているが、どこに問題があるのだろうか。何が「貶め」なのであろうか。「鄭栄桓の「方法」は、私の本が「売春」に言及したことをもって、実は右翼がすでにした主張だと貶める方法に似ている。」という決めつけに至っては、残念ながら私には朴裕河が何を「反論」したいのかすら、この文だけでは理解することができない。
 
 三番目の項、「3)「方法」理解の未熟」は若干長いため、三つに分けて検討しよう。

鄭栄桓は朝鮮人慰安婦の「精神的慰安者」としての役割についての私の指摘が、「飛躍」であり「推測」であるという。だがこれはまず証言で容易に見いだせる。そして私が指摘しようとしたのは、心情以前に朝鮮人慰安婦がそうした枠組みのなかにいたということだ。「国防婦人会」のタスキをかけ、歓迎/歓送会に参加した者たちが、仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。根拠なき「推測」はもちろん排除されねばならないが、あらゆる学問は与えられた資料を通じて「想像」した「仮説」を構築する作業であるほかない。何より私は、あらゆることを証言と資料に基づかせた。本で用いなかった資料も、すぐに他で整理して発表するつもりだ。「同志」という単語を用いたのも、まずは帝国日本に動員され「日本」人として存在したことをいうためだった。」

 自らの「推測」には根拠があり、「飛躍」ではないという。では私が問題にした「飛躍」とは何であったか。拙稿の関連箇所を引用しよう。

「朴裕河は千田夏光が紹介したある日本軍兵士の証言――日本人慰安婦が「立派に死んでください!」と言ったという回顧――を紹介しながら、日本は「帝国の慰安婦」に日本軍兵士の身体的「慰安」とあわせて、精神的「慰安」も求めたが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(朝鮮語版、61頁)と主張する。「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍慰安婦と同様に扱うことはできない。」(朝鮮語版、62頁)という留保をひとまずはしながらも、結論的には日本軍兵士の証言をもとに、その証言には登場すらしない朝鮮人「慰安婦」の意識を推測する飛躍を犯しているのである。

 私のいう「飛躍」の意味は明らかであろう。千田夏光の紹介した証言は、日本軍兵士による、日本人「慰安婦」に関するものである。にもかかわらず、なぜそこから朝鮮人「慰安婦」の意識を「推測」することができるのか。それは「飛躍」ではないのか。これが私の批判の核心である。だがこの問いについて、朴は上にみられるように、全く反論していない。一般論を繰り返すばかりで、「証言で容易に見いだせる」とか、「あらゆることを証言と資料に基づかせた」といいながら、その実、「証言」も「資料」も示していない。なぜ、千田夏光の紹介した日本人「慰安婦」についての証言から、朝鮮人「慰安婦」の意識まで「推測」できるのか。この問いについて朴裕河は誠実に応答すべきである。

 私は本書を読んだとき、これはあくまで朴裕河の想像であり、朴の言葉を借りるならば「根拠なき「推測」」にすぎないと判断した。それゆえに、「この本の問題は朝鮮人と日本人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」という意味で似ているという命題を前提に史料を解釈するところにある」と指摘したのである。個々の証言や資料から実態に迫るのではなく、朴があらかじめ作り上げたストーリーに沿って、証言や資料を解釈しているのである。だからこそ、日本人「慰安婦」に関する証言を、ただちに朝鮮人「慰安婦」にも妥当するものと読んでしまうのだ。この「方法」にこそ、本書の最大の問題がある。

 また、朴は「「国防婦人会」のタスキをかけ、歓迎/歓送会に参加した者たちが、仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。」と「反論」を試みている。おそらく朴はここで、当事者たちは「内心その役割を否定したかった」かもしれないが、「表面的状況に対する解釈」、すなわち客観的には「歓迎/歓送」したと解釈しうる、と言いたいのであろう。

 この主張には二つの問題がある。第一に、このような「表面的状況に対する解釈」は、まさしく表面的にすぎる。普通こうした事実、つまり、(A)「国防婦人会」に動員されて「歓迎/歓送会」に参加した朝鮮人がいたという事実と、(B)内心では「歓迎/歓送」する役割を否定したいと思っていた事実を示す史料があったならば、表面的には動員されているが(A)、動員の際に用いられたイデオロギーを朝鮮人たちは内面化していなかった(B)と解釈すべきであろう。実際、(A)を示す史料は決して珍しくないが(体制のイデオロギーを「表面的」に説明するものであるから当然であろう)、(B)のような史料を見出すのは容易ではない。それはみながイデオロギーを「内面化」していからではなく、民衆の心性の記録はなかなか残されないからである。戦時体制期であればなおさらだ。それゆえ貴重なのである。にもかかわらず、朴は(B)のような事実よりも、(A)を重視するというのだ。まさしく「表面的」解釈である。

 第二はより深刻である。上に引用した『帝国の慰安婦』の記述を読めばわかるように、朴は明らかに、元「慰安婦」たちが「内心」において、「「精神的「慰安」者としての役割」への「(多少無理な)矜持」を持ち、それが「彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえた」と「想像」している。「内心その役割を否定したかった」ことを指摘したわけではない。「内心」において、生きるために「「慰安」者としての役割」を引き受けた、と主張したのだ。よって「仮に内心その役割を否定したかったといっても、そうした表面的状況に対する解釈が否定されねばならないわけではない。」という「反論」は、全く反論になっておらず、それどころか従前の自らの主張を大幅に変更しているのである。自らの解釈の誤りに気づいたならば、それを明らかにすべきである。こっそり変えるような真似をすべきではない。もしこの「反論」が自らの従前の主張とは異なることに気づいてすらいないとすれば、なおさら問題は深刻であるが。

 検証を続けよう。朴裕河は次のようにいう。

「鄭栄桓は軍人に関する慰安婦の「追憶」を論じた箇所をあげて、「追憶」とそれに対する「解釈」とに「遠い距離がある」(475)と批判する。だが学者の作業は「個別的な例」を分析して総体的な構造をみることだ。私が試みた作業は、「証言の固有性が軽視」されるどころか、この間埋もれてきた一人一人の証言の「固有性を重視」し、結果を導き出すことだった。「対象の意味」を問う作業に自らが習熟していないからといって、他の者の作業を貶めてはならない。
 同じ文脈で鄭栄桓は「日本人男性」の、それも「小説」の使用という「方法それ自体に大きな問題がある」(475)と批判する。こうした批判は、日本人男性の小説はその存在自体が日本に有利な存在であるかのように考える偏見が生み出したものだが、私は日本が慰安婦をいかに過酷に扱ったかを説明するための箇所で小説を用いた。慰安婦らの残酷な生活が、他でもない慰安婦を最も近くでみていた軍人たち、後に作家となった者たちの作品のなかにあらわれるからだ。いわば日本人たちに向けて、自身らの祖先が書いた物語であることをいうために、慰安婦の証言が嘘であるという者たち向けて、証言に力を与えるための「方法」として用いたにすぎない。鄭栄桓は歴史研究者たちによくみられる「小説」軽視の態度をあらわにしているが、小説が、虚構の形態を借りてときに真実以上の真実を明らかにするジャンルであることは常識でもある。」

 拙稿の該当箇所は上にあげた段落に続くもので、次の通りである。

「裁判で問題となった「同志的関係」を論じる方法もそうだ。証言と小説をもとに日本軍と「同志的関係」があった、「同志意識があった」との解釈をするが、ある個人が日本軍人の追憶を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的関係」にあったという解釈のあいだには、あまりに遠い距離がある。証言の固有性が軽視されているのである。日本人男性の小説を通して朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、それも日本軍との「同志意識」の存在を論じる方法自体に大きな問題がある。」

 朴裕河は、ここでも私の問いに何ら具体的に答えていない。しかも朴は、あたかも私が小説という表現形式そのものの「真実」性を否定しているかのように問題をすり替えている。『歴史批評』論文では、目次をみればわかるように本書の日韓協定理解への批判を第一の目的とした。このため紙数の都合上、「同志的関係」への批判は具体的な例をあげて行うことができなかった。私はあくまで具体的な小説作品におけるエピソードの扱い方を問題にした(ブログでは指摘したので、それは朴も理解していると思うのだが)のだが、この結果、朴の幼稚な言い逃れを許すことになってしまったのは本当に残念である。

 私がここで念頭に置いているのは、本書における古山高麗雄の小説の扱い方である。朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介して、次のように指摘した。

「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(『帝国の慰安婦』朝鮮語版、75頁)

 だがここで朴は、「古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について」)。

 朴裕河は「小説が、虚構の形態を借りてときに真実以上の真実を明らかにするジャンル」であるという。確かにそのような例もあろう。だが私が問うているのは、一般的な小説の真実性如何ではない。なぜ、古山の小説に描かれた朝鮮人「慰安婦」像から、現実の朝鮮人「慰安婦」たちに「同志意識があった」ことを主張できるのか、という具体的な問題である。この問いに答えるべきである。「歴史研究者たちによくみられる「小説」軽視の態度をあらわにしている」云々といった揶揄でもって、ディシプリンの差異へと問題をすりかえるべきではない。

 むしろ私は、本書に対して文学研究者からの異論や批判があらわれないことが不思議で仕方がない。小説の描写をただちに現実を表現するものと捉え、それを歴史的な現象の解釈にあてはめるようなナイーブな「文学」観は、端的に言って文学研究の素人のそれではないだろうか。フィクションであるところの小説から、いかなる歴史に関するリアリティを導き出し、解釈するのか。その方法こそが文学研究者の腕の見せ所であると文学研究の素人である私は想像するのであるが、朴の古山の小説の論じ方には、そうした痕跡を全く見いだせない。ただ、古山の小説の描写を引用し、そこから、「事実」を推し量るだけだ。これは「文学研究」なのだろうか。文学研究者の方々にぜひ教えていただきたい。

 「反論」第二節の最後の箇所を引用しよう。

「鄭栄桓は、自身の状況を「運命」であると語った慰安婦を私が評価したことを批判するが、慰安婦の証言に対する評価もまた「固有性を重視」することだ。「運命」という単語で自身の状況を受け入れる態度を私が評価したのは、世界に対する価値観と態度に肯定的な何らかのものを見出したからだ。個々人の価値観から生じるそうした「評価」が否定されねばならない理由もないが、それと反する態度への批判が慰安婦の「痛みに耳を傾ける行為とは正反対」(476)となるものではない。学者であればむしろ、証言に対する共感に留まるのではなく、付随的な様々な状況を客観化できねばならない。加えて嘘の証言すら黙認するという話ではないはずだ。そうした状況に対する黙認はむしろ解決を困難にする。
 何より、私が「運命」だと語った選択を評価したのは、ただ、そのように語る慰安婦が存在した事実、しかしそうした声が聞こえてこなかったという事実を伝えなかったためにすぎない。日本を赦したいと語った彼女の声を伝えたのも同じ理由だ。私は「異なる」声を絶対化しなかったし、鄭栄桓のいうようにただ「耳を傾けた」だけだ。そうした声がこの間あらわれえなかった理由は、他の声を許容しない抑圧が、彼女たちにも意識されていたからだ。さらにいえば、鄭栄桓のいう「証言の簒奪」はむしろ、鄭栄桓のような態度と思考方式をもつ者によって生じるというのが、私がこの本で指摘したかったことでもある。
 よって私の「方法」が「倫理と対象との緊張関係を欠いた方法」であり「歴史を書く方式として適切ではない」(476)という批判は、私の「方法」を理解できないところから来た批判であるにすぎない。」

 ここでも朴裕河は、私の批判を誤って理解しているようだ。私は次のように書いた。

「この「証言」を最大限評価する反面、「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と「証言」したある女性には、「〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉」、「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」、「屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義」と最大限の罵倒をする(299-300頁)。こうした文章を書く方式は、「証言」の痛みに耳を傾ける行為とは正反対の、「証言」の簒奪行為ではないか。」

 私は「自身の状況を「運命」であると語った慰安婦を私が評価したことを批判」したわけではない。なぜ天皇を批判したこの女性は、ここまで朴に罵倒されねばならないのか、と問うたのだ。結局朴はただ「耳を傾けた」のではなく、「運命」と許す声と、天皇を許さないとした声を選別しているのではないか、という問いである。また、奇妙なのは、朴の「加えて嘘の証言すら黙認するという話ではないはずだ。そうした状況に対する黙認はむしろ解決を困難にする」という「反論」である。これは何を指しているのだろうか。管見の限りでは、本書で朴は、「嘘の証言」なるものについては何も書いていない。誰かが「嘘の証言」をしている、ということなのだろうか。これだけでは全く意味が不明である(*追記参照)。

 以上みたように第二節でも、朴裕河は抽象論と揶揄・皮肉をくり返すだけで、私の批判に一切まともに答えていない。

*追記

 ようやく『歴史批評』最新号を手に入れたので確認したところ(facebookの「反論」では注が省略されている)、上記の「嘘の証言」に関する文に付した注で、朴裕河は次のように記していた。

「李容洙ハルモニの証言はこの20数年間、何度か変わった。最近、過去の証言集に対する不満を吐露したが、これは証言の不一致を指摘されたからと考えられる。http://www.futurekorea.co.kr/news/articleView.html?idxno=28466」

 つまり、朴裕河の言う「嘘の証言」とは李容洙氏の証言を指すようだ。ちなみに、「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と語ったのは李容洙氏である。朴裕河が引用した『未来韓国』の記事は、李容洙氏の「証言集への不満」について次のように紹介する。

「李容洙ハルモニは挺対協が1993年に出版した証言集への不満も吐露した。証言の聴取を不誠実に行い、日本に行き証言した時にも通訳がまずく慰安婦となった経緯が事実とは異なるかたちで伝わったというのだ。
「証言は私の命のようなもの。それなのに挺対協の担当者たちは本人に確認もせずに事実とは違う証言集を出し、6500ウォンで販売までした。証言を聞きたいならば、静かなところで正式にするべきなのに、食事をしながら「ハルモニ、どこに行って来たの?」と質問して答えたのが大部分です。それで証言にはちぐはぐなところが多いのです。」」

 ここからは、李容洙氏の「不満」とは、「慰安婦」となった経緯に関するものであることがわかる。経緯の証言の変化、不一致を「嘘の証言」などと断じることができるのかそもそも疑問であるが、変化や不一致があるからといって「〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉」、「相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形」云々といった罵倒が許されるわけではあるまい。李容洙氏が「慰安婦」被害者であることには変わらないのであるから「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と主張するのは当然ではないのだろうか。それとも朴裕河は、李容洙氏の証言の総体が「嘘」であるとでもいうのだろうか。

(鄭栄桓)


by kscykscy | 2015-09-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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