朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(1)

 韓国の歴史学術誌『歴史批評』112号に朴裕河氏(以下、敬称略)の反論が掲載された(朴裕河「日本軍慰安婦問題と1965年体制――鄭栄桓の『帝国の慰安婦』批判に答える」『歴史批評』112号、2015年秋、以下「反論」と略す)。 「反論」の目次は以下の通りである。

1.誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」
 1)慰安婦問題に関する日本国家の責任に対する立場
 2)韓日協定に対する立場
 3)方法について(以上、(1)で検証)
2.「方法」批判について
 1)的外れの物差し
 2)貶め
 3)「方法」理解の未熟
3.『和解のために』批判について
 1)道徳的攻撃の問題
 2)誤読と歪曲
 3)総体的没理解
4.鄭栄桓の「韓日協定」理解の誤謬
 1)慰安婦問題に関する責任について
 2)憲法裁判決について
 3)韓日会談について
5.生産的な談論のために

 「反論」は私の批判への反駁であると同時に、私の批判のあり方への批判も含んでいる。だが「反論」における朴裕河の反駁のあり方は、『帝国の慰安婦』における著者の「方法」の欠陥を改めて浮き彫りにしたと私は考える。率直にいって『歴史批評』編集委員会は、本人のためにも、もう少し意味のある反論になるよう意見をつけて返却すべきだったのではないかと思う。

 検証に先立ち指摘しておきたいが、朴裕河は『帝国の慰安婦』への批判的指摘の深刻さをもう少し真摯に受け取るべきなのではないだろうか。少なくとも私は、『帝国の慰安婦』が一般向けの歴史書(この本は学術書ではない)としての最低限のモラルすら欠いた欠陥品である、と主張し、研究者としての倫理を疑うような批判を放っているのである。相応の検証の末に、あまりの酷さに愕然とし、全面的な批判の論評を『歴史批評』に掲載したのである。

 しかし、今回の「反論」もまた、残念ながらあまりにレベルが低く、まともな反論になっていない。問われていることの深刻さは、批判を中途半端に切り貼りし、適当に皮肉を織り交ぜつつコメントすることで「反論」できるような次元のことではない。まず自らへの批判を丹念に読み、そして何より、自らが何を書いたかを仔細に再検討すべきである。そうでなければ生産的な論争など成り立ちようがない。手遅れかもしれないが、朴裕河には批判に誠実に向き合うよう、改めて強く求めたい。

 ただ、そういった朴裕河の杜撰さも含めて「反論」それ自体を検証することは、いまだに朴への幻想を抱いている日本語圏の人々にとってもそれなりに有益であろうと思う。以下に、「反論」を詳しく翻訳・紹介しながら、私の批判に答えたものになっているのか、「反論」たりえているのかについて、順を追って検証したい。なお、拙稿「日本軍『慰安婦』問題と1965年体制の再審判 朴裕河の『帝国の慰安婦』批判」の目次は以下の通りである。基本的にはブログで連載してきた『帝国の慰安婦』批判を基に再構成し、韓国向けに加筆修正したもので大きな変更はない。

1.はじめに
2.『帝国の慰安婦』の「方法」について
3.『和解のために』と『帝国の慰安婦』
4.『帝国の慰安婦』の韓日協定理解の誤謬
 1)『帝国の慰安婦』の憲法裁判所決定批判の論理
 2)争点の錯誤
 3)韓日会談論の問題点① 権利を抹消したのは韓国政府?
 4)韓日会談論の問題点② 「経済協力」は「戦後補償」なのか?
5.おわりに

1.「反論」の検証①――【1.誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」】について

 「反論」はあわせて五節で構成される。まずは第一節の「誤読と曲解――鄭栄桓の「方法」」からはじめよう。ここで朴裕河は反論に先立ち、私が『帝国の慰安婦』を批判したことそれ自体を問題視する。「反論」は次のように始まる(なお、以下では「反論」からの引用は青字で示す。強調は引用者。)。

「在日僑胞学者鄭栄桓が私の本『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘争』への批判を『歴史批評』111号に掲載した。まずこの批判の当為性について語る前に、批判自体に遺憾を表明したい。なぜなら、私は現在この本の著書として告発されている状態であり、そうである限り、あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになるからだ。
 実際に、2015年8月に提出された原告側文書には、鄭栄桓の批判論旨が借用されていた。[中略]私への批判に加わった学者・知識人たちがこうした状況を知ってか知らずか、私は知り得ない。だが批判をしたいのであれば、訴訟を棄却せよという声をまずあげねばならないのではないか。それこそが「法廷に送られた学術書」に対して取るべきであった、「学者」としてなすことでなかったか。」

 私の考えは朴裕河とは異なる。「あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになる」という決めつけを学術誌で表明できる感覚は、そもそも私には理解できないが、朴裕河が9人の元「慰安婦」被害者たちに「人格権と名誉権」を侵害したとして告発されたことと、公的な言論の空間で『帝国の慰安婦』を論評することは全く別の次元の問題である。私が『帝国の慰安婦』を論評する自由は、元「慰安婦」被害者の告発によっても妨げられはしない。しかも、本書は日本語でも出版されており、日本と韓国の読者を主たる対象とした本書について、告発を理由に論評を控えねばならない理由はどこにも存在しない。

 確かに私は9人の被害者たちの主張の多くに賛同するが、告発それ自体を批判する立場からしても、「人格権と名誉権」の侵害かどうかが争われる法廷での議論を離れて、本書が総体として公的な言論空間で論評されることは著者にとって望ましいことなのではないか。そして、仮に「この本の著書として告発されている状態」であるから論評をするなというのならば、本書を賞賛する論評に対してもまた、朴裕河は同様の「遺憾を表明」すべきではないのか。朴の「遺憾」の表明は次元の異なる問題を持ちだした不当なものである。

 続けて朴裕河は次のように記す。

「早くから始まりついにはハンギョレ新聞にまで引用されて私に対する世論の批判に寄与したにもかかわらず、鄭栄桓の批判にこれまで答えてこなかったのは、彼の批判が誤読と曲解に満ちたものだったからだ。彼の文章は、彼が私が行ったと主張した「恣意的引用」によって綴られたものであり、結論が先にあり、敵対を前提にしており、実際、読むこと自体が憂鬱であった。よって、具体的な反論に入る前に、まず私の立場と論拠を確認しておくことにしよう。」

 私の批判は「誤読と曲解に満ちたもの」であり「恣意的引用」によって綴られ、「結論が先にあ」る、という。だがこの指摘は誤っているうえ、反論に際して朴は再び「恣意的引用」を繰り返し、生産的な議論を妨げている。以下に具体的に検証しよう。

 朴裕河の第一の反論は、自らは日本国家の責任を追及しているのに、あたかも責任を否定したかのように歪曲する、というものだ。以下、いかに私が朴裕河の主張を「歪曲」しているか、という「反論」が続く。

「鄭栄桓は私が「日本国家の責任を否定」(482-483頁、以下「頁」は省略)したとして、「植民地主義批判が無い」(492)ために、「植民地支配責任を問う声を否定しようとする「欲望」にこの本はよく呼応」するといい、甚だしくは「歴史修正主義者たちとの隠密な関係を検討せねばならない」(491)とまでいう。だが私は慰安婦問題において、日本国家の責任を否定しなかった。私が否定したのは「法的」責任であるに過ぎず、当然ながら日本国家の責任を問うた。日本語版では「国会決議」が必要だと書きもした。にもかかわらず鄭栄桓は、こうした部分に沈黙するのみならず、「歴史修正主義者」という、韓国で批判されている存在を呼び出し、彼らと同じような存在であると考えさせるような「歪曲」を、自身の批判の「方法」として用いる。」

 このパラグラフでは、私の批判から三箇所が引用されている。それぞれの箇所を以下に引用しよう。まずは「日本国家の責任を否定」の箇所から(太字は朴の引用箇所)。

「朴裕河の「決定」批判の特徴は、以上見たように日本軍「慰安婦」制度について、事実関係のレベルで日本国家の責任を否定するところにある。だがこうした論理の基底には、憲法訴願の争点についての錯誤がある。元来、憲法訴願の争点は日本軍「慰安婦」制度についての日本国家の責任の有無ではなく、韓日請求権協定第三条が基底した「解決のための措置」を韓国政府が採らなかったという不作為が、憲法違反かどうかにあった。だが朴裕河は『和解』の論理を踏襲し、「業者主犯説」を展開して日本国家の責任を否定した。前述したように、朴裕河は日本軍の責任はどこまでも「需要」を作り出した責任、あるいは人身売買を「黙認」した責任にあり、こうした行為についても法的責任を問うことはできない、と主張する。」(拙稿「日本軍『慰安婦』問題と1965年体制の再審判 朴裕河の『帝国の慰安婦』批判」、482-483頁)

 「私が否定したのは「法的」責任であるに過ぎず、当然ながら日本国家の責任を問うた」と朴はいう。確かに責任を問うかのような記述はある。だが仔細に読むとそれは業者を主犯として、日本軍の責任を「需要」創出と人身売買「黙認」に限定するものだ。それは日本軍「慰安所」制度への誤った理解に基づくものではないのか。これが私の批判の論旨である。私は朴が日本国家の責任を「慰安婦」の「需要」を作り出し、人身売買を「黙認」したことに限定し、かつこれらの行為についても法的責任を否定した、と正確に要約している。あたかも責任を問うかのように書いているが、実際には日本国家の直接的な責任を否定し、しかも限定的に認めた「需要」「黙認」についてすら、法的責任を否定しているではないか、と私は問うたのである。これは歪曲ではなく、批判である。

 次に「植民地主義批判が無い」以下の箇所について。私は次のように書いた。

「『帝国の慰安婦』の流通と消費の構造もまた上のような徐京植の指摘を避けては理解できないだろう。「民主主義者」としての「名誉感情」を維持したまま、植民地支配責任を問う声を否定しようとする「欲望」に、この本はよく呼応しているからだ。わかりやすい歴史修正主義者とは距離を置く「リベラル」知識人たちと歴史修正主義の隠密な関係を検討せねばならない
 『帝国の慰安婦』は表面上は従来の戦争責任論の限界を克服し植民地支配責任の観点から日本軍「慰安婦」問題を論じた著作のようにみえる。だが、この本が主張する内容の核心に植民地主義批判はない。韓日会談を論じる際、朴裕河は韓国政府がどれほど植民地支配の補償を求めなかったかを強調する。これは筆者も同意する事実だ。にもかかわらず朴裕河はこの「1965年体制」を再審しようとする傾向を批判しながら、むしろ「いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すこと」「そのような時代的限界を検証し補うこと」(252-253頁)であると説く。」(同上、491-492頁)

 ここでも私は、『帝国の慰安婦』には、一見すると植民地主義を問うような叙述があるが、実際には異なるものである、と批判している。朴の議論を紹介したうえで、それを批判しているのであり、「歪曲」しているわけではない。「日本国家の責任を問うた」ことに「沈黙」など全くしておらず、むしろ長々と朴の議論を紹介したうえで、そのレトリックの詐術を暴いているのである。主張を誤ったかたちで紹介すること(歪曲)と、主張に同意しないこと(批判)の違いを、朴は理解していない

 続けて朴裕河は次のように反論する。

「鄭栄桓の言うとおりならば、この本に対する日本人たちの反応――「この問題提起に日本側がどのように答えていくのかという問いが私たちに向けられている」(杉田敦、書評、朝日新聞2014.12.7)、「どこでもあったことだと日本が強弁せず、帝国主義膨張を越える思想を新たに提起できるならば世界史的意義は大きいのではないか[という朴裕河の問いに]私は反対する理由を考えられない」(山田孝男、コラム、毎日新聞2014.12.21)、「私はこの本を読んで慰安婦のお婆さんたちに対する痛い気持ちが一層深まっただけだ」(若宮啓文、コラム、東亜日報2014.7.31)――はみな誤った書評だという話になる。ある右派は私の本が戦争責任の枠組みでのみ扱われてきた慰安婦問題で、植民地支配責任を問おうとするものだといって「日本の左派より怖い本」だといったり、「固陋とした支配責任論を持ち出してきた」と非難すらした。」

 このパラグラフに典型的にあらわれているように、朴はしばしば、進歩メディアの××が評価しているのに私を右翼だというのか、とか、逆に、右翼の××が私を批判するのに歴史修正主義だというのか、といった論法での「反論」をする。だが朴裕河批判の多くは、産経・文春的な歴史修正主義のみならず、朝日・岩波的なリベラルを批判している。朴が『産経』的な右翼であるとだけいっているわけではない。その『朝日』的な言論を批判しているのである。それは朴自身がよくわかっているはずである。「リベラル」による賞賛記事を持ちだしても何の「反論」にもならない。

 ついでにいえば、『帝国の慰安婦』の出版元=朝日新聞出版と同系列の朝日新聞や元朝日記者の若宮の好意的書評を紹介しても、一般的にはただの「宣伝」と受け取られるだけだろう。また、『週刊文春』で秦郁彦が朴裕河の主張は自らと同じものと褒めていたが、それはどうなるのか。そもそも、紙数を充分に与えられなかったと憤るならば、誰それに褒められた/けなされたから、といったことで自らの主張を飾り立てるような幼稚な「反論」など載せないほうがよい。言論は社交ではないのである。ちなみに、朴裕河の言うとおり、私はこれらの論評における『帝国の慰安婦』の評価は誤っていると考えているので、このパラグラフに異論はない。

 朴はさらに「歪曲」の実例として、次のように記す。

鄭栄桓は同じ方法で私が「韓日合邦を肯定」したと書く。だが私は韓日合邦無効論に懐疑を示しながらも、「もちろん現在の日本政府が慰安婦問題をはじめとする植民地支配に対する責任を本当に感じるのであれば、そしてそれを敗戦以後国家が正式に表現したことが無かったという認識がもし日本政府に生じたならば、「法的」には終わった韓日協定だといっても、再考の余地はあるだろう。女性のためのアジア平和国民基金の国内外の混乱は、その再考が源泉的に排除された結果でもある」(『和解のために』235)と書いた。私は韓日合邦も韓日協定も「肯定」していない。」

 朴裕河には、引用でもないのに引用符を用いる、という研究者としては致命的な悪癖がある。この箇所を読んだ者は当然ながら、私が、朴が「韓日合邦を肯定」したと書いたと思うだろう。だが驚くべきことに、私はこんなことは書いていないのである。実際この引用には頁数が記されていない。存在しないから当然である。そもそも私は「韓日合邦」などという表現は用いない。私が「併合」の問題に言及したのは以下の箇所である。

「ところで金昌禄によれば、こうした韓国政府の「経済協力=賠償」論は、韓日基本条約第二条の解釈と関連があるという。韓国政府は第二条をはじめから韓国併合条約が無効であることを表現したものとして解釈し、「併合無効論」を前提にした「経済協力」であるため、「賠償」であるという解釈を採ったのである。『帝国の慰安婦』では、朴裕河は「併合」が法的に有効であることを繰り返し主張しているため、1965年当時の韓国政府とも立場は異なる。」(488頁)

 これがどうして「韓日合邦を肯定」という話になるのだろうか。朴は韓国併合条約が無効であることを認めない、と書いただけだ。「韓日合邦無効論に懐疑を示し」たことは、当の朴自身が認めている。しかも、朴の紹介する『和解のために』からの引用は、「併合」条約に関する主張ではなく日韓協定についての説明であって、何らの「反論」にもなっていない。しかも、こうした杜撰な「反論」をもとに、朴裕河は次のような主張を展開する。

「私は慰安婦を作り出したのは、近代国民国家の男性主義、家父長主義、帝国主義の女性/民族/階級/売春差別意識であるため、日本はそうした近代国家のシステムの問題であったことを認識し、慰安婦に対し謝罪/補償をすることが正しいと書いた。にもかかわらず鄭栄桓は「朴裕河は韓日合邦を肯定し、1965年体制を守護しており、慰安婦のハルモニの個人請求権を認めない」というのである。私は「学者」によるこうした歪曲は犯罪レベルのものであると考える。
 鄭栄桓の批判の「方法」は、徐京植や金富子ら他の在日僑胞たちの私の批判の方式と非常に似ている。彼らもまた、『和解のために』の半分が日本批判であるという事実に言及せず、私を「右翼に親和的な歴史修正主義者」というようにいってきた。」

 ここでも、引用でもないのに引用符を用いる悪癖があらわれている。後述するが、朴裕河が元「慰安婦」女性たちの対日賠償請求権を認めていないのは、『帝国の慰安婦』の叙述を読めば明らかである(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)」も参照)。また、韓日協定の再協商を否定し、協定の枠内での交渉を求めた憲法裁決定すら認めないのも同様である。「韓日合邦を肯定し」た云々は馬鹿げた「歪曲」であるが、併合条約の不法性を認めないのも上にあるように事実ではないか。朴裕河の主張を要約して紹介し、かつそれを批判的に論評したことが、なぜ「犯罪レベル」なのか。朴がそこまで主張するのならば、私の批判がいかなる「犯罪」を構成するのか、説明すべきであろう。この箇所は私に対する名誉毀損であるというほかない。

 また、私は「『和解のために』の半分が日本批判であるという事実に言及せず」に批判したわけではない、言及したうえで、その批判のあり方を批判したのである。それは、上にあげたいくつかの引用を読めば明らかである。事実に言及していないのではない。朴の主張を承認していないだけだ。両者を混同してはいけない。

 「反論」第一節は残すところ三つのパラグラフとなった。以下に引用する。

「鄭栄桓は私が「1965年体制の守護を主張」(492)しているという。だが再協商が無理だという考えが、ただちに「守護」になるわけではない。実際、私は日本に向けて書いた箇所で韓日協定は植民地支配への補償ではなかったと書いた。鄭栄桓がいうような「守護」どころか、その体制に問題があるとはっきりと指摘した。韓国政府が請求権を無くしてしまったことを指摘したのは、1965年体制を「守護」するためではなく、自身らがしたことへの「責任」意識が伴わねばならないと考えたためだ。」

 協定への評価については、第二節以降で本格的に論じているので、ひとまず措く。第一節の締めくくりとして、朴裕河は次のように指摘する。

「鄭栄桓とは異なり、批判したいと考えるほど、自らも省みるのが私の「方法」である。歴史学者や法学者には馴染みのない方法かもしれないが、問題それ自体以上に、両国の「葛藤」の原因と解消に関心が大きい研究者として必然的な「方法」でもある。
 鄭栄桓は日本語版と韓国語版が異なることに、陰険な「意図」があるかのようにいうが、この本が対立する両国国民らに向けて可能な限り事実に近接した情報を提供しながらも、「どう考えればよいのか」に重心を置く本である以上、日本語版が日本語読者を意識して「再び」書かれたのは当然のことだ。また、時々刻々悪化する韓日関係を眺めながら、可能な限り早く出さねばならないという考えにとらわれた韓国語版には、当然ながら粗い箇所が多かった。よって日本語版を書いたときにそれらを修正するのも当然のことだ。「韓国の問題」、「日本の問題」を別に見ることができるよう構成を変えたのも、そうした脈絡からであるに過ぎない。」

 「方法」云々はくだらない言葉遊びなので相手にする必要はあるまい。しつこいようだが、ここでも引用でもないのに、引用であるかのように引用符を用いる悪癖が出ている。私は朝鮮語版と日本語版での書き分けに、「陰険な「意図」があるかのようにい」ってはいない。「意図」という言葉自体、私は使っていない。読者が異なる以上、朝鮮語版と日本語版で内容が異なる場合があるのは当然であろう。あたかも私が書き分けたことそれ自体を批判したかのように書くのは、それこそ歪曲である。かつて書いた指摘を再掲する。

「その前に、本書を「読む」上で、筆者の主張の再構成や矛盾の指摘、そして日本語版と朝鮮語版を比較対照することがいかに重要かについて記しておきたい。言うまでもないことだが、日本語版の刊行に際して加筆や修正を加えることは当然ありうることだ。修正を行ったこと自体を批判するつもりは全くない。これまでの作業は、あるいは悪意をもって朴の主張を歪曲するためにあえて重箱の隅をつついているにうけとられるかもしれないが、私からすれば筆者の主張の再構成という作業抜きに本書を「読む」ことが出来てしまう方が不思議である。

 論旨の再構成と矛盾の指摘という作業が重要な意味を持つのは、本来これらの前後矛盾や不整合、自家撞着は本書の欠陥を示すものにすぎないにもかかわらず、ある局面においては、本書への批判を無効化する機能を果たすからである。AとBという相対立する叙述が同居することは、普通に考えれば単なる欠陥である。だが雑多な情報が不整理のまま盛り込まれ、明瞭さが著しく欠如している場合、A批判に対しては「Bとも書いている」と言い返し、B批判に対しては「Aとも書いている」と言い返すことであたかも反批判をしているかのような外観を取り繕うことが可能になることがある。本書はまさにその典型例といえる。」(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)」

 また、朝鮮語版と日本語版の双方を読んだ立場からいえば、後者よりも前者のほうがはるかに内容としては整っている。「韓国語版には、当然ながら粗い箇所が多かった」というが、日本語版のほうが粗さが増しているのである。『歴史批評』論文では紙数の都合上省略せざるを得なかったが、これまでの記事を読んでいただければ、日本語版がなぜ原書に輪をかけて支離滅裂なものになったかがわかると思う。

 以上、全五節の「反論」のうち、第一節についてほぼ全文を引用して検討した。この「反論」には、『和解のために』批判への反論と同様の、朴の手法が典型的にあらわれている。日本を批判しているのに、あたかも歴史修正主義者や右翼のように扱う批判者は、私の主張を歪曲している、という「反論」である。だが、こうした「反論」は上に見たように、完全に破綻している。また、恣意的な引用にとどまらず、「反論」では引用らしきものの創作すら行っている。『帝国の慰安婦』で露わになった問題点が、再び噴出しているのである。

(鄭栄桓) 

by kscykscy | 2015-09-15 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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