【紹介】朴裕河氏の反批判二篇

 朴裕河氏が自身のfacebook上に、私への反批判を投稿した。

 朴の今回の投稿は、今年の6月に韓国の歴史研究雑誌『歴史批評』に掲載された私の朴裕河『帝国の慰安婦』批判(「日本軍「慰安婦」問題と1965年体制の再審 朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『歴史批評』111号、2015年6月)への反論である。下記のfacebookのページで朴の主張を読むことができるので関心のある向きは確認されたい(但し朝鮮語である)。なお、私の『帝国の慰安婦』批判は『季刊戦争責任研究』にも掲載されている(「歪められた植民地支配責任論――朴裕河『帝国の慰安婦』批判」、『季刊戦争責任研究』84号、2015年6月)。こちらは日本語なので同じく関心のある方は参照していただきたい(『歴史批評』とは内容は若干異なる)。


 反論は(1)と(2)に分かれているが、(1)はほとんどが徐京植や金富子への批判に費やされており、私の批判への反論は(2)でなされている。『歴史批評』にもこの反論のうち(2)が掲載されたようだ。ちなみに、(1)には次のような一節がある。

「彼ら[徐京植ら在日朝鮮人知識人]は「戦後日本」を全く評価しない。そしてそうした認識が韓国に定着するのに大きく寄与した。/端的にいって、正しいかどうかは別にして、2015年現在の韓国の対日認識は、彼ら在日僑胞が作り出したものだといっても過言ではない。」

 もし本当に韓国における日本のリベラルや「戦後」への「不信」の定着に在日朝鮮人知識人が寄与したのだとすれば、大変誇らしいことだと私は思う(私は「不信」だとは思わないが)。ただ残念ながら韓国の対日認識の形成に在日朝鮮人の知識人が寄与できているとは到底思えない。日本は「平和主義」で「反省してきた」と宣伝する日韓の知識人(*1)を胡散臭いと思う大衆的な反日感情には、当然ながら相応の根拠があるわけで(九条があるのに何で自衛隊があるんだ、安倍に議会の圧倒的多数を与える者たちが反省しているわけがない、と思うのは当然だろう)、こうした正しい日本認識を大衆が持っているというだけではないだろうか。むしろ多くの在日朝鮮人知識人は胡散臭い役割の片棒を担いでいると思う。

 一方(2)の反論は次のように始まる。「在日僑胞学者鄭栄桓が私の本『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘争』への批判を『歴史批評』111号に掲載した。まずこの批判の当為性について語る前に、批判自体に遺憾を表明したい。なぜなら、私は現在この本の著書として告発されている状態であり、そうである限り、あらゆる批判は執筆者の意思を離れ、直接・間接的には告発に加担することになるからだ。」

 印象深いパラグラフである。朴の反論への反批判は今後順次行うとしても、反論を読む限り、残念ながら朴は私の批判の意味をまともに理解していないようであり、何より自分がどんなことを『帝国の慰安婦』に書いたのか忘れてしまっているようでもある。朴の反論の日本語全訳と私のこれまでの主張を並べるだけで、日本語の読者への反批判は済むような気もするし、手元に朴の反論の日本語訳もすでに用意しているのだが、流石に著者本人の了解なしに全文公開するわけにも行かないので、今後これまでと同様のスタイルで反論を検討していきたい。

 なお、先月の『ハンギョレ新聞』に私とノルウェー在住の韓国研究者・朴露子氏の対談が掲載された。朴裕河『帝国の慰安婦』をはじめとする「和解」論を主題としたもので、日本語訳もネット上に公開されているので併せて参照されたい。

“과거 얽매이지 말자는 ‘한-일 화해론’, 중국과 대립 부를 위험”
【朴露子-鄭栄桓 教授対談】「過去に囚われるのをやめようという『韓日和解論』、中国と対立を呼ぶリスク」

*1 和田春樹は安倍談話について『中央日報』の取材に対し、「歴史修正主義であった安倍総理が「平和国家」へと転換した戦後日本の一般的理解を認識している点は合格点」と評価するコメントをしている。(『中央日報』2015年8月21日付web版)。小此木政夫、船橋洋一、若宮啓文などの韓国紙向けコメントもほぼ同趣旨である。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-09-04 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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