以前の記事で、朴裕河『帝国の慰安婦』の憲法裁判所決定への批判が先行研究の誤読と歪曲に基づく根拠の無いものであることを指摘した(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)」)。この記事を執筆した際に割愛したもう一つの論文の誤読について、補足として指摘しておきたい。 「韓国憲法裁判所の判決を読む」で朴は次のように指摘する(強調は引用者)。
朴が根拠とした論文は、藍谷邦雄「時評 「慰安婦」裁判の経過と結果およびその後の動向」(『歴史学研究』849号、2009年1月、以下藍谷論文)である。この箇所を素直に読めば、藍谷邦雄が日本政府に「損害賠償を求めるのは不可能」、国際法に基づき「「法的」に日本を追及できるものではない」と主張しているように読者は受け取るであろう。だが実際には、藍谷論文の主張は朴の主張とは全く異なるものである。 藍谷論文の課題はタイトルにもある通り、1990年代以降の「慰安婦」裁判の経過をたどり、特に裁判で問題となった争点を紹介するところにある。朴が参照したのはこのうち国際法をめぐる争点を整理した「3 国際法による主張について」である。 藍谷は国際法に基づく原告の主張について、(1)賠償の根拠と(2)違法性の根拠に分けてそれぞれ検討する。(1)についてはハーグ第3条約及びILOの強制労働禁止条約をあげ、それぞれが損害賠償責任及び違法な強制労働への報酬を支払うべきと規定しており、国家無答責がなく時効・除斥期間も適用されないため原告の重要な根拠となったことを紹介する。(2)については「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」をあげ、「国際法上も「慰安婦」制度を違法行為と認定すべき根拠であることに、争う余地はなかった」と評価する。ただし、同条約はあくまで違法性の根拠であるため、「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」とも指摘した。 朴が「損害賠償を求めることは不可能」と主張した根拠は、藍谷論文のこの箇所である。朴はわざわざ傍点を付して「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえないことは、止むをえないところである」という藍谷の指摘を紹介し、上のように主張したのである。 だが、すでに説明した通り、藍谷論文は元「慰安婦」への損害賠償が不可能と主張したわけではない。「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」は違法性の根拠であるため、賠償については別の法規によって主張しなければならない、と述べたに留まる。また、引用文の第一段落では、あたかも藍谷論文が「慰安所運営が不法行為」との主張を否定するものであるかのように記しているが(「慰安所運営が不法行為だと主張する。しかし国際法の専門家である藍谷邦雄弁護士は…」)、この論文は「不法行為」であることを否定してもいない。 それどころか、藍谷論文は国際法による主張について次のように指摘する。
つまり藍谷は、ハーグ条約及びILO条約に基づく損害賠償請求に対し、国は個人は国際法の主体ではないとの論法で斥けてきたが、近年の人権条約は「個人の国際法上の法主体性を当然視」するに至っており、国の論法はこうした国際法の発展から逸脱するものであると批判したのである。朴のいうように、日本政府に「損害賠償を求めることは不可能」などと主張したわけではない。「挺対協の主張する法的賠償の根拠はない」という主張の根拠にもなりえない。 「3 国際法による主張について」は四つのパートで構成されており、それぞれ番号が付されているのだが、朴はこのうち①②③だけを紹介し、なぜか本節の結論にあたる上の④に一言も触れていない。この結果、③の末尾の違法性の根拠であるから賠償については別の法により主張すべしという意味の「この条約が損害賠償をすべしという根拠にはなりえない」という一節が、あたかも本節の結論であるかのように読者に示され、「損害賠償を求めることは不可能」という朴の主張の「根拠」とされることになった。繰り返しになるが、藍谷論文はこのようなことは全く主張していない。ここでも朴は論文の趣旨とは真逆の主張の根拠として歪曲しているのである。 ちなみに、藍谷論文の「結論」は次のようなものである。
すなわち、近年の判決の法理は、「アジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」)に繋がった悪しき法解釈」をただす可能性を有しており、むしろ「新たな被害回復立法」を求める契機となりうるのではないか、これが藍谷論文の結論である。ここでの「新た被害回復立法」が、「アジア女性基金」とは全く異なるものであることは言うまでもないだろう。 (鄭栄桓)
by kscykscy
| 2015-02-25 00:00
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