朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)

 本書『帝国の慰安婦』が、日本軍の「責任」について極めて限定的にしか認めず、それに対してすらも「法的責任」を認めない立場であることを前回みた。それでは軍の責任と密接な関係にある、元「慰安婦」女性たちの権利、なかでも「個人の請求権」についてはいかなる認識を示しているのだろうか。本書の「請求権」認識は以下の通りである。

(1)人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。
(2)元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない。

 第四章の「韓国憲法裁判所の判決〔ママ〕を読む」は、以上の二つの主張を、韓国憲法裁判所の決定への批判的な検討を通じて示した章である。韓国の憲法裁判所は2011年8月30日、日韓請求権協定により元慰安婦女性たちの請求権が消滅したか「否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲である」との決定を下した。本章で扱われるのは、この「決定」の妥当性である。

 朴は、2011年の韓国憲法裁判所の決定は、「支援団体」の認識に依拠した不正確なものであり、決定をきっかけに始まった「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と極めて否定的に評価する。以下、憲法訴願審判の争点を確認したうえで、その論拠と論理の問題点について検討しよう。

1.憲法訴願審判の争点

 まずは韓国憲法裁判所の決定をめぐる争点を確認しておこう。2006年7月5日、「日本軍「慰安婦」被害者である64名」(=請求人)は、憲法裁判所に憲法訴願審判請求を行ったが、請求の要旨を「決定」は以下のようにまとめている(原文と日本語訳及び関連資料は、女たちの戦争と平和資料館「韓国憲法裁判所決定「慰安婦」全文(日本語訳)」で閲覧できる)。

「請求人らは、請求人らが日本国に対して有している日本軍慰安婦としての賠償請求権が、この事件の協定第2条第1項によって消滅したか否か関して、日本国は上の請求権が上の規定によって すべて消滅したと主張し、請求人らに対する賠償を拒否しており、大韓民国政府は請求人らの上の請求権は、この事件の協定によって解決したものではないという立場であり、韓・日両国間にこれに関する解釈上の紛争が存在するので、被請求人としてはこの事件の協定第3条が定めた手続きに従い、上のような解釈上の紛争を解決するための措置を取る義務があるにもかかわらず、これを まったく履行せずにいると主張し、2006 年 7 月 5 日、このような被請求人の不作為が請求人らの基本権を侵害し、違憲という確認を求める、この事件の憲法訴願審判を請求した。」

 賠償請求権の有無について、韓日両国に明らかに紛争が存在するにもかかわらず、韓国政府は請求権協定第三条に規定された解決のための措置をとっていない、こうした「不作為」は請求人の基本権を侵害するものであり、違憲である。これが被害当事者らの主張だった。つまり、憲法訴願審判の争点は請求権協定をめぐる紛争を解決しない韓国政府の不作為の違法性の有無であった。

 韓国政府の反論は次の二点に要約できる。

(1)韓国政府は請求人らの基本権を侵害していない。そもそも侵害されたと主張する基本権の内容が明らかではなく、戦時期の不法行為の主体は日本政府であって韓国政府ではない。よって、請求権協定に従った国家の具体的作為義務までは認定されない。何より、韓国政府は「請求人らの福祉」のために努力している。
(2)韓国政府に具体的な外交措置をとるべき法的義務はない。外交保護権の主体は国家であるため個人が自国政府に主張できるものではなく、憲法上の基本権ではない。また外交保護権の行使等については国家の広範囲な裁量権が認められるため、具体的な外交措置をとるべき法的義務があるとはいえない。

 ここからも明らかなように、審判対象となった争点は、請求人らが「日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権」が日韓請求権協定により「消滅したのか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為が、請求人らの基本権を侵害するか否か」であった。日本軍の行為がいかなるものであったか、それが国際条約に反するものであったか、請求人らの賠償請求権は認められるか、といった論点について被害当事者と韓国政府が争ったわけではない。

 そして、結果的に憲法裁は請求人の主張を容れ、2011年8月30日、以下の決定を下した。

「請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲であることを確認する。」

 元「慰安婦」の被害当事者の賠償請求権をめぐり請求権協定の解釈上の紛争があるにもかかわらず、これを「解決」しようとしない政府の不作為は憲法違反である、との決定を下したのである。「決定」の論理の詳細は原文及び日本語訳にあたっていただきたいが、韓国政府の負うべき国民の外交的保護義務を、以下のように、憲法前文を一つの重要な根拠として認めたことは注目すべきところだろう。

「韓国憲法は、前文で「3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」の継承を明らかにしているところ、たとえ韓国憲法が制定される前のことだとしても、国家が国民の安全と生命を保護すべき最も基本的な義務を遂行出来なかった日帝強制占領期に、日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の政府が、国民に対して負う最も根本的な保護義務に属すと言える。」

2.憲法裁判所「決定」理解の問題点

 それでは本書がこの憲法裁判所の決定をどう論じたかをみよう。まずは上にあげた朴の第一の主張――人身売買の主体は業者であり日本軍ではない。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――に関連する箇所から。

 朴は、請求人の主張を次のように批判する。前回も触れた箇所だが再度引用しよう。

「この請求の根拠は最初にあるように「婦女売買禁止条約」に日本が違反したというところにあった。そして、被害を受けた「個人」の「損害賠償」が請求されていないと言う。つまり「婦女売買」の責任主体を日本国家にのみ帰している。しかし人身売買の主体はあくまで業者だった。日本国家に責任があるとすれば、公的には禁止しながら実質的には〔中略〕黙認した〔中略〕ことにある。そして、後に見るようにこのような「権利」を抹消したのは、韓国政府でもあった。
 実際に、このとき外交通商部は、被害者が日本の賠償を受けるように動くことが政府の義務ではなく、政府が憲法違反をしているとは言えないと、強く反論している。」(180)

 第一に注目すべきは、朴が憲法訴願の争点とは異なり、日本軍「慰安婦」制度に関する事実認定のレベルで日本国家の責任を否定していることである。前回みたように、朴はこれらの「責任」ある日本国家の行為についても法的責任を認めないのであるから、結果的に請求人たちの賠償請求権をそもそも認めない立場であることになる。つまり朴は、人身売買の主体は業者だったのだから、日本国家に法的責任はなく、請求人たちに賠償請求権はないと主張するのである。憲法訴願に即して言えば、日韓両国間に請求権の有無をめぐる紛争は存在しない、という認識なのであろう。

 これは被請求人であった韓国政府の立場とも異なる朴独自の主張である。朴は「五年もかかった裁判の末に、裁判所は訴訟者たちの味方になった。裁判所が、日本国家だけを責任主体とする考えに同調した形となる」(180頁)と、あたかも韓国政府が自らと同様の主張をしたかのように書く。だが、内容を読めばわかることだが、被請求人である韓国政府は、さすがにこのような反論をしたわけではない。韓国政府の外交が請求人の基本権を侵害しているわけではない、と述べているにすぎない。上の二つの段落は前半を証明する論拠として外交通商部の主張があるように記されているが、まさしく「実際に」は、この二つの段落は全く違うことを論じているのだ。

 そもそも、「決定」が引いているように、韓国政府は過去に、日韓請求権協定によっては「日本政府等、国家権力が関与した「反人道的不法行為」」は解決しておらず、「日本政府の法的責任が認定される」という立場を示した(2005.8.26「民官共同委員会」決定)。決定への少数意見を述べた裁判官の主張も、同じように、あたかも朴の主張――請求人にはそもそも賠償請求権がない――に同調するものであるかのように引かれているが(195-196頁)、あくまで韓国政府の義務について論じたのであって、請求人たちの賠償請求権を否定したわけではない。外交通商部の反論と同様、朴の主張とは異なる争点について論じた文であるため、誠実に本書の記述を読もうとする読者であればあるほど、ますます混乱させられることになる。

 このように、憲法訴願の争点を大幅に踏み越え、事実認定のレベルで(人身売買の主体は業者である!)日本国家の法的責任を否定し、請求人たちの賠償請求権を認めないところに本書の「画期性」がある。1990年代に始まった元日本軍「慰安婦」が原告となった戦後補償裁判はいずれも最終的には敗訴に終わったが、原告の請求を斥けた判決においても、事実認定のレベルでは日本軍の「直接経営」や「設置管理」を不法行為と認めたケースがあったことはよく知られている。しかも、後述するように、厳密にいえば、日本政府も個人の請求権が消滅したと主張しているわけではない。だが朴は韓国政府や日本政府の立場をはるかに踏み越えて、請求人たちの損害賠償請求権そのものを否定したのである。

3.日韓会談論の問題点――金昌禄論文の歪曲

 次に朴の第二の主張――元「慰安婦」女性たちの請求権は日韓会談で韓国政府によって放棄された。よって、元「慰安婦」女性たちには日本国に対する損害賠償の請求権がない――を検討しよう。

 朴は、憲法裁の決定を批判しつつ、以下のように賠償請求権否定論を補強する。

「繰り返すまでもなく、慰安婦たちの多くが過酷な人権蹂躙的状況にいたことが確かな以上、そのことに対して後世の人によるなんらかの謝罪と補償が行われるのは当然のことである。しかし韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。何よりも、このときのすべての判断は「朝鮮人慰安婦」に対する不十分な認識と資料に基づいて下されたものだった。」(193頁)

 日韓会談で元「慰安婦」女性たちの個人請求権を放棄したのは韓国政府だった、という主張は本書で度々繰り返されるものである。

 もし朴のこの主張が事実ならば、日韓会談研究における極めて重要な発見であることは疑いを容れない。日韓請求権協定において「完全かつ最終的に解決された」とされた「財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権」が一体何を指すのかは、日韓会談研究における極めて重要な論点であったが、元「慰安婦」女性をめぐる問題が議論されたのかいなかは明らかになっていないからだ。近年公開された日韓会談関係文書からも、1953年の会談で韓国側委員が占領地から引き上げた朝鮮人の「預託金」を議論する文脈で、「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきたものがある」と述べたことが指摘されるに留まっており、請求権をめぐる交渉で議論されたかいなかは明らかではない(吉澤文寿「日韓請求権協定と「慰安婦」問題」、西野瑠美子他編『「慰安婦」バッシングを越えて』大月書店、2013年)。

 だが朴の主張は、これらの研究の成果を踏まえたものでは全くなく、先行研究の歪曲によりなされたものである。上記の主張に際し朴が依拠したのは、金昌禄の論文、「1965年韓日条約と韓国人個人の権利」であるが(国民大学校日本学研究所編『外交文書公開と韓日会談の再照明2 議題からみる日韓会談』ソニン、2010年。以下金論文と略記する)、朴は金論文の趣旨を全く理解しておらず、むしろ論文の趣旨とは正反対の主張の論拠としている。以下に検討しよう。

 金論文の課題は、1965年の日韓条約及び諸協定の調印により「韓国人個人の権利がいかに処理されたのか」(229頁)、両国政府が「何を「合意」したのか」(230頁)について検討するところにある。これまで日韓両政府は、請求権協定により「完全かつ最終的に解決された」「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題」(第二条第一項)とは何かをめぐり互いに異なる解釈を採ってきたが、そもそも65年の調印当時にはいかなる内容での「合意」がなされたのかを、主として韓国側公開の会談関連文書を用いて探ろうというものだ。

 金論文の結論は、この問いに直接かつ明確に答えうる資料は韓国側公開の資料からは発見できなかった(258頁)、というものだ。ただし、「糸口」となる資料はある。そこで金論文が注目するのは、1961年の予備会談及び第六次会談での「被徴用者」をめぐるやりとりである。

 日韓予備会議に先立ち、韓国側は「韓国の対日請求要綱」(1960.11.10)を提示して「弁済を請求する」「請求権」として五項目を示した。なかでも「被徴用人未収金」をめぐり日韓は、(1)解決時期、(2)補償金の性格、(3)補償の形式をめぐって対立したことを金論文は紹介する。日本側は、(1)国交正常化後に、(2)日本法(国民徴用令、工場法、援護法)で認められるものに限り、(3)「個別的に解決する」ことを提案したのに対し、韓国側は、(1)正常化前に、(2)日本法以外の「新たな基礎のもと」で「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」を、(3)韓国政府への一括支払することを求めた(249頁)。

 本書で朴が引用したのはこの箇所である。金論文を引用したうえで、朴は以下のように指摘する。

韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある
 日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国の訴訟が敗訴したのは単に〈日本の謝罪意識がない〉ためのことではない。すでによく知られているように、一九六五年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは、時代的な限界でもあった。」(188頁)

 もし金昌禄氏がこの箇所を読んだら、驚きのあまり卒倒するのではないだろうか。

 そもそも、ここで扱われた日韓間の議題は「被徴用者の未収金」問題であって、日本軍「慰安婦」問題ではない。また「被徴用者の未収金」は、請求権協定のいう「財産、権利及び利益」に属するものであって、反人道的不法行為や強制動員を理由とした損害賠償請求などの「請求権」に関連するものではない。金論文はこれについて明確に分けて議論しており(245-246頁)、まともに読めば混同の余地はない。

 何より金論文が正しく指摘するように、ここでの日本側代表の提案の趣旨は、補償を日本の「法律上有効に成立したものに限」り(250頁)、日本の法が想定しない「被徴用者の精神的、肉体的苦痛への補償」は一切不可であると主張するためのものだった。これは、金の指摘するように「関連資料の多くが消失し、韓国人が日本国内の法的手続を踏み支給を受けることが容易ではないことを考えると、事実上補償を有名無実化しようとする主張であった」(250頁)といえる。日本法はいうまでもなく元「慰安婦」を軍人・軍属として扱っておらず、この条件のもとで補償の対象となることは絶対にない。「日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能」になるはずがないのである。何より、元「慰安婦」は軍に直接雇用されたわけではないとくどいほど強調するのは朴自身ではないか。

 むしろ金論文は、韓国側代表が会談で議論されなかった問題以外の請求権行使の余地を残そうと試みたケースを紹介している。第六次会談では、韓国側は先に示した請求権要綱の内容に関連して、「要綱第一項乃至第五項に含まれないものは、韓日会談成立後であっても個別的に行使できることを認めること。この場合には、国交正常化まで時効が進行しないものとすること」を提案した。その理由は、「議題に入っていないにもかかわらず、会談が成立したからとこうした個人の請求権がなくなるのは困難な問題ではないか。よって、この場合には会談とは関係なく個人間の請求または裁判所への訴訟を提起できるようにしよう」というものだった(251頁)。だが日本側は、あくまで会談により請求権問題を完全に終結させるという立場を譲らなかった。

 金論文は、韓国側のこうした要求について「極めて妥当なものといわざるえない」と評価する(252頁)。だが、1962年11月の「金・大平メモ」による合意以後、経済協力の名目をめぐる「大きい話」についての議論に移り、これらの個人の請求権が具体的に何を指すのかは議論されなくなってしまった(254頁)。このため、1965年の協定締結の時点での「請求権」の範囲を明らかにすることはできなかった、と金論文は結論づけたのである。

 つまり、金論文は日本軍「慰安婦」問題などの、会談では議論されなかった問題に関する請求権行使の余地を残そうとした韓国側代表の提案を指摘したのにも拘らず、朴は、むしろそれとは真逆の主張――韓国政府こそが日本軍「慰安婦」などの請求権を進んで放棄した――を展開するために用いたのである。こうした引用は単なる誤読を越えた、論文の趣旨の悪質な歪曲である。

 金論文をふまえて韓国政府の問題を指摘するならば、むしろ会談におけるこうした請求権をめぐる議論を政治的な考慮により取っ払い、足早に協定締結へと走ったことにあるといえるだろう。だからこそ、憲法裁の決定は、以下のように指摘するのだ。

「さらに、特に、韓国政府が直接、日本軍慰安婦被害者たちの基本権を侵害する行為をしたのではないが、上の被害者たちの日本国に対する賠償請求権の実現、及び人間としての尊厳と価値の回復において、現在の障害状態がもたらされたことは、韓国政府が請求権の内容を明確にせず、「すべての請求権」という包括的な概念を使って、この事件の協定を締結したことにも責任があるという点に注目するなら、被請求人〔韓国政府:引用者注〕にその障害状態を除去する行為に進むべき、具体的な義務があることを否認するのは難しい。

 すなわち、憲法裁判所の「決定」は、韓国政府にも責任があるがゆえに、そこから排除された人々の基本権を保護する「具体的な義務」がある、と論じたのだ。もちろん、韓国政府に責任があるといっても、憲法裁判所は朴のように請求人たちの賠償請求権が請求権協定によって失われたと主張したわけではない。むしろ日韓交渉でほとんど議論されなかった問題があり、依然として請求権があると主張する人々がおり、そこに相応の根拠がある以上、協定に基き解決するべき義務があると判断したのである。「決定」をきっかけとする「「外交的解決」の試みは、日韓関係を悪化させただけだった」(196頁)と朴は切り捨てるが、歪曲と混同、事実誤認により勝手に被害当事者たちの権利を消滅させることにより問題を「悪化」させているのは、朴自身ではないだろうか。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2015-01-06 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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