歴史的事実への侮蔑――工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』批判(2)


 「改めて震災現場に立ち返りつつ、あらゆる史料を再検証することで、歴史の真相に迫ってみたい」(8頁)――工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』の虐殺正当化論は、この「宣言」とは全く異なるものであり、あらゆる意味で「論」の体をなしていないことは前に指摘したとおりである。まともな論証は試みられてすらおらず、わずかに挙げられた史料にも恣意的な引用や省略が施されている。この本を貫いているのは、「現場に立ち返」り「あらゆる史料を再検証する」真摯さとは真逆の、歴史的事実に対する徹底的な軽視と侮蔑である。

 前回にあげた例以外にも、この本には事実探究への軽視とそれを糊塗し粉飾するための小細工があふれている。例えば大韓民国臨時政府と日本国内の朝鮮人「テロリスト」のつながりを「証明」しようと、工藤は以下のように記す。

「彼ら活動家の本拠地は上海である。日韓併合以後、上海のフランス租界へ脱出して作った「大韓民国臨時政府」、すなわち「上海仮政府」の庇護のもとにテロリストは生き延び、目標達成のため日本国内への侵入を繰り返し、時機をうかがってきた。
 その実相は当時の新聞記事からも顕著に分かる。震災前後に絞り、見出し中心に拾っておけばおおむね次のとおりである。
[神戸新聞]に掲載された記事
「不逞の徒と気脈を通じ内地に潜める魔の手/在京鮮人七百余名中上海仮政府に縁ある者二割」(大正九年八月二十七日)
「怪鮮人は春画を売って上海仮政府へ走らうとした不逞の徒」(大正十三年七月二十七日)
[神戸又新日報]に掲載された記事
「不逞鮮人崔の自白から判明した事実/上海仮政府の計画も明察し、内地在住の一味も知れた」(大正十年十一月十日)
「怪鮮人密書事件の黒幕に妖美人/上海仮政府重要委員を父として鄭を愛人とする金玉華/李、鄭は近く警視庁護送」(大正十二年四月二十五日)
「怪鮮人の行動/大阪の同志等と結んで上海仮政府の密偵及主義宣伝/旅費調達に裸体写真を」(大正十三年七月二十七日)
[九州日報]に掲載された記事
「友禅職工に化けた不逞鮮人の一旗頭/上海仮政府の隠密/同志の統合に失敗し何れへか姿を晦す」(大正十二年二月二日)
(京都大学人文科学研究所データベースで検索。主に西日本地域の新聞が対象になっている)」(272-273)

 工藤はこれらの記事を列挙した後、「新聞記事の第一報の段階なので、その後の事件捜査と結末がどうなったのかは判断できない。/すべてがテロ犯人と断定することは必ずしもできないが、概略をみるだけでも、いかに上海仮政府との関係が密接に繋がっていたかは充分知れる」(273)との解釈を示す。

 私はこの箇所を読んだとき、怒りを通り越して笑ってしまった。「見出し中心に拾っておけば」とか「概略をみるだけでも」などと書いているが、工藤がこれらの記事の本文にあたらず、データベースの検索結果を適当に貼り付けている(つまりコピペしている)ことが明らかだからだ。「見出し中心」「概略をみるだけでも」などと、あえて「見出し」を列挙したかのように書いているが、おそらく工藤は「見出し」しか見ていない。

 上の引用の末尾にある「京都大学人文科学研究所データベース」とは、正確には水野直樹氏のHPにあるデータベース「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」のことである。京大人文研のサーバー内にあるだけで、人文研のデータベースというわけではない。このDBは多くの研究者の尽力により構築されたもので、1945年以前の朝鮮人関係の新聞記事見出しを検索できる。極めて有用なツールであるが、もちろんこれだけでは記事の内容はわからない。

 さて、このDBの「見出し」に「上海仮政府」と入力して検索すると以下の結果があらわれる(工藤の挙げた記事は青太字にした。ぜひこちらから試していただきたい)。

1. 『不逞の徒と気脈を通じ内地に潜める魔の手/在京鮮人七百余名中上海仮政府に縁ある者二割』 神戸新聞 1920/8/27 〔7/8〕 東京・東京 【民族運動】
2. 『怪鮮人東上/自称上海仮政府の外務大臣/内鮮融和の偉大を米国に見せつくる為めか?』 京城日報 1921/8/17 〔4/1〕 下関・山口 【警備】
3. 『労働争議と不逞鮮人何等の関係もない/上海仮政府は財政難に弱る』 大阪朝日 1921/8/21 夕 〔2/1〕 神戸・兵庫 【労働運動】
4. 『不逞鮮人崔の自白から判明した事実/上海仮政府の計画も明察し、内地在住の一味も知れた』 神戸又新日報 1921/11/11 〔7/10〕 東京・東京 【民族運動】
5. 『上海仮政府の密使東上/大阪で落合うて』 大阪朝日 1921/12/1 夕 〔2/7〕 大阪・大阪 【民族運動】
6. 『一鮮人の口から洩れた不逞鮮人の陰謀/上海仮政府の内情暴露(門司)』 門司新報 1921/12/25 〔1/2〕 北九州・福岡 【民族運動】
7. 『篠山峠で朋輩に殺された/飴売り鮮人/三篠に居て上海仮政府関係者/犯人挙らば事件拡大?』 中国 1922/7/9 〔〕 広島・広島 【警備】
8. 『笹島町署逮捕の 怪鮮人は不逞漢 I 團に属する「漢鐘旭」 上海仮政府と氣脈を通ず』 新愛知 1922/8/27 〔 〕 ・愛知 【】
9. 『友禅職工に化けた不逞鮮人の一旗頭/上海仮政府の隠密/同志の統合に失敗し何れへか姿を晦す』 九州日報 1923/2/2 夕 〔1/2〕 京都・京都 【民族運動】
10. 『怪鮮人密書事件の黒幕に妖美人/上海仮政府重要委員を父として鄭を愛人とする金玉華/李、鄭は近く警視庁護送』 神戸又新日報 1923/4/25 〔7/10〕 神戸・兵庫 【民族運動】
11. 『上海仮政府の密使と称する鮮人/県特高課の手に捕はる』 大阪朝日 1923/6/12 神付 〔1/8〕 神戸・兵庫 【民族運動】
12. 『怪鮮人は春画を売って上海仮政府へ走らうとした不逞の徒』 神戸新聞 1924/7/27 〔6/3〕 神戸・兵庫 【民族運動】
13. 『怪鮮人の行動/大阪の同志等と結んで上海仮政府の密偵及主義宣伝/旅費調達に裸体写真を』 神戸又新日報 1924/7/27 〔7/10〕 神戸・兵庫 【民族運動】
14. 『何時内地へ潜行したか/上海仮政府の鮮人巨魁内地の情勢を隈なく探って再び上海へ帰る途中を水上署で捕る』 神戸新聞 1927/11/12 夕 〔2/1〕 神戸・兵庫 【社会】
15. 『上海仮政府の不逞鮮人幹部捕はる/使命を果たして上海に帰るべく乗船間際に神戸水上署に』 大阪毎日 1927/11/12 〔7/4〕 神戸・兵庫 【民族運動】
16. 『上海仮政府幹部/不逞鮮人捕はる/乗船間際を神戸水上署に』 中国 1927/11/13 〔〕 神戸・兵庫 【民族運動】
17. 『上海仮政府のマークや暗号電文所持/兵庫駅の掻払ひ鮮人、重大な秘密を包むか』 神戸新聞 1928/7/4 夕 〔2/6〕 神戸・兵庫 【社会】
18. 『上海仮政府と通じ在京鮮人の不穏計画/一味に明治中央大学の学生闘士派遣から発覚』 九州日報 1934/6/17 〔1/7〕 東京・東京 【民族運動】
19. 『上海仮政府の手先ら捕はる/委員長の密使に唆かされ渡航の準備中を』 大阪朝日 1934/6/17 〔11/7〕 東京・東京 【民族運動】
20. 『上海仮政府と結ぶ3鮮人検挙さる、金鉱成金の長男をシンパに大々的補給を策す』 社会運動通信 1934/6/19 〔2/1〕 東京・東京 【共産主義】
21. 『憲兵、警官を躍らせた怪鮮人/上海仮政府員の正体』 大阪毎日 1934/10/20 福岡 〔5/7〕 福岡・福岡 【犯罪】

 工藤のあげた6件の記事が、いずれもこの検索結果内から抜き出されたものであり(1,12,4,10,13,9の順序で並んでいる)、「見出し」はそのままコピペされていることがわかる。西暦だけは元号に書きなおされているが、なおす途中で書き損じたのであろうか、4の記事は11月11日付にもかかわらず、「十一月十日」と誤って記されている。

 興味深いのは、なぜ工藤がこのような書き方をしたかである。上海臨時政府と関係のある日本国内の朝鮮独立運動家は、工藤からみればそれだけで「テロリスト」ということになるであろうから、独立運動史の先行研究を読めばそうしたケースを見つけ出すのは決して難しいことではない(もちろん、だからといって震災時に800人の「テロリスト」が皇太子暗殺のために暗躍したなどということを「証明」できるわけではないが)。少なくとも臨時政府と独立運動家の一般的な関係に言及したいのであれば、わざわざこんな書き方をする必要はないのである。

 にもかかわらず工藤がこうした馬鹿げた小細工をしたのはなぜだろうか。好意的に解釈すれば「見出し」の差別的で煽動的な表現(「怪鮮人」!)によって、読者に「テロリスト」の脅威を印象づけたかったから、という見方もできるが、実際のところは字数を埋めるか、「あらゆる史料を再検証」したかのような外観を整えるためといったところではないだろうか。つまり一次史料を博捜したかのようなハッタリをかますための引用というわけだ。水野直樹氏の名が伏せられ、「京都大学人文科学研究所データベース」などという不正確な名をあげたのも、あるいはこちらのほうが権威付けできると考えたからかもしれない。

 いずれにしても、この「見出し中心」云々の箇所からわかることは、工藤は自らの読者をハナから馬鹿にしているということである。記事本文にあたっていないことを自ら明らかにした上で「見出し」だけを羅列することは、「私はまともに調べる気がありません」と自白するに等しい行為である。まともに「論証」を試みようとする者ならば絶対にやらない。「見出し」のコピペで「あらゆる史料を再検証」したと信じるようなレベルに自らの読者の知的水準を設定しているのである。

 私は、その著作の端々からかいま見える工藤のこうした姿勢に、歴史修正主義の本質的要素があらわれていると考える。史料批判や引用、論証が杜撰で未熟であることとは次元を異にする、歴史修正主義固有の「歴史的事実への侮蔑」とでも呼ぶべき精神的姿勢である。工藤には「あらゆる史料を再検証」することにより歴史的現象の「現場」を再構成しようという意思自体が存在しない。むしろ上のような記述からわかることは、工藤がかつて起こった歴史的事実そのものを徹底的に馬鹿にし、侮蔑し、冷笑しており、そこには、自らの「自由」に歴史像を操作できるという暗い確信があるということである。そしてこれはすでに述べたように、読者を侮蔑することでもある。おそらく工藤には論証を通じた読者の説得という発想自体が欠落しているのである。工藤の前にいるのは、煽動の対象としての「読者」だけである。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-06-17 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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