悪い朝鮮人だけ殺せ?――民族差別・民族教育弾圧批判

 在特会が2013年2月に掲げて有名になった「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」というプラカードがある。言うまでもなくこのプラカードは朝鮮民族全体の殺害を煽動する最悪のレイシズムの表現であり、反対するのは当然である。だが、これに憤る人びとは一体この文句のどの箇所を問題だと考えているのだろうかについて、ある疑念があった。もしかしたらこの人びとは「良い韓国人」まで「殺せ」と言ったことに対し、激しく憤っているのではないか、「悪い朝鮮人だけ殺せ!」こそが正しいのだと考えているのではないか、という疑念である。

 このプラカードは意識的に書かれていたように思う。「良い韓国人/悪い韓国人」を分けて後者への差別を肯定しながら、自らだけは救われようとする哀れな「戦略」を採る人びと――「北朝鮮」が差別されるのは当然だが、自分たちは違う、「北朝鮮」に制裁を加えるのは賛成だが、民族差別はいけないと弁明する人びとを嘲笑するようなメッセージだ。もちろん在特会は完全なるレイシストであるから、そんな弁明などはお構いなしである。こうした「戦略」をあえてあざ笑うために「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」というプラカードを掲げたのではないかと私は考えていた。

 いうまでもなく、こうした「戦略」を採った民族団体の典型は民団である。以前に『民団新聞』の論説を取り上げたこと があったが、ここであらためて民団自体が無償化問題にどのような態度を採ってきたかを振り返っておく必要がある。

 民団はこれまで二度、朝鮮高校生への「無償化」適用に事実上反対する意思を日本政府に伝えている。一度目は2010年9月の「朝鮮高校に対する授業料無償化についての意見書」 である。この意見書は、無償化は「原則的に適用されるべき」と主張しながらも、「そのためには、次の点について朝鮮学校の検証と改善がなされなければならない」として三つの条件をつけた。(1)朝鮮学校の「人事権及び学校経営権」から朝鮮総連を分離すること、(2)「金日成、金正日父子の崇拝教育」をはじめとする「思想教育」をやめること、(3)朝鮮戦争やラングーン事件、大韓航空機事件と拉致問題に関する教育内容を是正すること、である。

 意見書は無償化について「原則的に適用されるべき」としているため、一見すると民団は条件付き賛成の立場のようにみえる。だが問題はそう単純ではない。実はこの意見書が提出される直前の2010年8月31日には、文科省の「高等学校等就学支援金の支給に関する検討会議」(5月26日設置)が、「高等学校の課程に類する課程を置く外国人学校の指定に関する基準」を発表していた。検討会議は、無償化の基準を客観的に専修学校と同等の教育条件を備えているかで判断するとし、「外国人学校の指定については、外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものである」とする政府統一見解を明記した。つまり教育内容にかかわらず無償化の適用について判断する、という基準が示されたのである。

 民団の意見書は明らかにこの指定基準を修正させるために出されたものだ。検討会議が個別教育内容の判断によらないという方向へ傾いたのを押し戻し、教育内容を問題化させて無償化の適用から排除させようとしたのである。無償化に「事実上反対する意見書」だと評したのはこのためである。さらにこの意見書は末尾で「大阪府をはじめとして幾つかの自治体でも、朝鮮学校の内部の透明化を求める動きが出ております。各都道府県としても、同様な取り組みがあってしかるべきと考えます」とも述べて、当時橋下知事のもとで進んでいた朝鮮学校への介入を高く評価したうえで、「総連をはじめ一部人士の「無償化は民族教育の保障」という主張はあてはまらないことは明白であり、個人崇拝、思想教育はやめさせなければなりません」と、現行のままでの無償化排除は決して民族差別ではない、と主張したのである。

 二度目は2012年2月13日の民団団長による文科大臣への申し入れ である。この申し入れでは、無償化適用に「慎重を期する必要がある」として先の意見書よりもさらに排除のトーンを強め、その理由として「朝鮮高校は運営面においても教科内容の面においても、また教育全般面においても朝鮮総連の指導を通じ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の完全なコントロール下にあり、日本社会一般の常識をはるかに越えるような教育、指導が現在も変わらず行われてい」ることをあげた。また、念入りに「仮に就学支援金の支給対象に含めることになる場合には、教育内容と運営の全般的において文部科学省から特段の指導を講じることを条件に付するべきであると考えます」と、とにかく教育内容と運営に行政が介入するよう求めている。

 結局これらの要望がかない無償化については依然として朝鮮高校生は排除されたままであるが、民団の徹底した朝鮮学校の教育内容や運営への介入要求についても、神奈川などの自治体レベルでの教科書記述の修正要求(「神奈川モデル」 )にみられるように、全国的に実現しつつあると言ってよい。こうした経過をみれば、大阪などの極右首長の自治体や執拗に補助金の削減を訴えてきた「救う会」や在特会に加え、民団もまた教育内容への介入という形態の弾圧の推進者であったことは明白である。

 しかも民団は、もし文科省が朝鮮高校生を無償化適用から外したとしてもそれは民族差別にはあたらないと繰返し主張した。他でもない在日朝鮮人から「民族差別ではない」とのお墨付きが得られるのだから、文科省としてはこれ以上の援軍はない。こればかりは極右首長や救う会、在特会がいくら頑張ってもできない。「当事者」ではないからである。そうした意味では、民団の果たした負の役割は極めて大きく、朝鮮学校のみならず在日外国人全般の権利状況を引き下げるのに大いに貢献したといえる。

 こうした民団の「戦略」は弾圧を正当化し民族分断を加速させる悪質なものであると同時に、極めて愚かな振る舞いでもある。いま各地でなされている朝鮮学校の教育内容への干渉は決して朝鮮民主主義人民共和国に関連するものに限られてはいない。民主党政権下においては無償化適用を阻止するためもあり、自民党や橋下なども総連との関係に焦点を絞って攻撃していた。だが自治体によっては朝鮮近代史教育全般に干渉するケースがあらわれており、安倍政権が成立してからはこうした動きはさらに拡がりを見せている。

 二つの事例をあげよう。埼玉県の上田知事は2012年6月22日の県議会で、朝鮮学校の教科書について「日本が日韓併合条約を捏造したとか、戦後、在日朝鮮人の帰国について必要な対策を講じなかったとあるが、いずれも事実に反する。拉致問題も記載していない」と発言した(『産経新聞』2012年6月22日付web版、強調引用者)。上田知事は「全部断ち切ると、子供たちが反日教育だけを受ける可能性がある」「在日の人が日本社会で共生できるように、きちっとした教育をしてもらいたい。それを見極めるために要請、指導をして判断をする」とも述べている(同上)。ここで問題とされている「教育内容」は、決して拉致問題にとどまることなく、「併合条約」の不法性や朝鮮人の帰国に関する記述にまで及んでいるのである。

 また、今年3月25日、四日市市議会が四日市朝鮮初中級学校への補助金を可決した際、議会は同校が拉致問題や領土問題についての教育内容を改善したことを確認することを条件とした(『朝日』2014年03 月26日・朝刊、3社会)。ここでの「領土問題」とは、「竹島」について日本政府が領有権を主張している事実を教えることを指す。実はこれでも相当にトーンが弱まっており、この日の議会では、1.拉致の首謀者が誰か、国家ぐるみの犯罪であったこと、2.竹島は日本固有の領土であること、3.正しい歴史教育をきちんと教育内容として実践をしていること、を確認したうえでないと補助金は出すべきではない旨の修正動議が出されていた(否決)。(四日市市議会中継の「再生リスト2」を参照)。

 そもそも2013年度の四日市市による補助金は、民主党の諸岡覚議員の修正動議が可決されて全額削減されていたのだが、その際の諸岡の排除の理由付けも「本来、母国北朝鮮が賄うべき民族教育の予算を本市が肩がわりすることは間接的な経済支援であり、これは国連決議の本来趣旨からも逸脱するものである」ことに加えて、朝鮮学校の「学習の中身は、日本国政府の見解とは大きく異なる反日教育であり、我々の先人の歴史をおとしめる内容が含まれております」というものだった(四日市市議会会議録中の諸岡発言を参照)。

 これらの埼玉県や四日市市の事例からもわかるように、現在の各自治体による教育内容への干渉のレベルは朝鮮民主主義人民共和国との関係に加えて、歴史教育にまで及んでいる。いまのところは威嚇の段階で留まっているものの、韓国併合条約は合法である、「竹島」は日本の領土であるといった内容を教えることを補助金支給の条件にするというレベルまで要求の水準は上がっている。これが朝鮮学校が直面している現実なのである。これらの干渉が、東京韓国学園の教育内容にまで及ぶ可能性がないと言い切れるだろうか。「日本社会一般の常識をはるかに越えるような教育、指導が現在も変わらず行われてい」ることをもって朝鮮学校の教育内容への干渉を正当化した民団は、その時批判しうるのだろうか。民団の弾圧正当化が愚かな振る舞いであり、在日外国人全体の権利状況を引き下げるものだと考えるゆえんである。

 こうしてみると、民団が「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」というスローガンのどこに反発したのかがわかるだろう。2013年2月に掲げられたこのスローガンは、上に見た民団の無償化排除正当化論の展開をあざ笑うかのようなものだった。いうまでもなく民団は「良い韓国人」として振舞っていたにもかかわらず、「殺せ」といわれたのだから。冒頭で「もしかしたらこの人びとは「良い韓国人」まで「殺せ」と言ったことに対し、激しく憤っているのではないか」との疑念を持ったのは、こうした民団の振る舞いを見ていたからでもある。明らかに民団は「悪い朝鮮人だけ殺せ!」の論理に立っていた。

 自治体の極右首長や救う会、在特会は今後も朝鮮学校補助金に狙いを定めて教育内容への干渉を強めることは間違いないだろう。これらの攻撃が民族教育権への深刻な侵害であるという事実を繰り返し主張していく必要がある。民団や救う会の枠組みのなかでの「反差別」や「反ヘイトスピーチ」では、この点が全く問題化されないどころか、むしろ侵害はより一層強まっていくだろう。偶然元しばき隊の清義明という人物のツイッターを目にしたが、朝鮮学校への教育内容への干渉や補助金削減、歴史修正主義を肯定しているようであり、非常に象徴的だと感じた。おそらく朝鮮学校の関係者が最も頻繁に接触せざるをえないのはこの種の主観的には善意でありながらも、平気で「監視者」として教育内容に口出しする人間たちであろうから、繰り返しになるが、こうした言説こそが最大の問題であると強調しておきたい(この人物のツイッターは非常に典型的なのである意味いい教材になる)。こうした「反差別」界隈の体質こそがむしろ問題化されなければならないのである。

 本質的な問題は、いま行われている朝鮮学校の無償化排除がすでに明白な民族差別であるという点にある。行政による排除が韓国学園にまで及んでいるかどうかは関係ない。だがこの点は充分に理解されていないようだ。2014年4月号の『現代思想』に掲載の金泰植「朝鮮学校の現在」に次のような一文があった。

「現在の状況は「民族教育への弾圧」というよりも「朝鮮学校への弾圧」というほうが正しい。何故なら同じ「民族」である韓国学校は無償化の適用対象であり、ヘイト・スピーチの対象にはなっても、行政による差別は行われていないからだ。」(167頁)

 この記述は非常に危ういものである。金の立論によれば、韓国学校も含むあらゆる在日朝鮮人の民族教育が排除されない限り、「民族教育への弾圧」とは言い得ないことになってしまう。仮に一校だけを対象としたものであったとしても、それが民族教育を狙った弾圧なのであれば、「民族教育への弾圧」であることは明白であろう。もちろん今ある民族教育のなかで圧倒的多数を占める朝鮮学校が閉鎖に追い込まれれば、日本における朝鮮民族の学校教育は事実上壊滅するだろう。そういう意味でも朝鮮学校への攻撃は事実上民族教育全体への攻撃に等しい性格を持っている。だが重要なのはそうした比重の問題ではなく、朝鮮学校が「無償化」から排除されているという一点で、すでに民族差別であり「民族教育への弾圧」だということだ。しかも、上に述べたように現在行われている干渉は、明白に民族教育そのものに向けられているのである。こうした論法は、上述の民団や補助金停止派の「民族差別ではない」という弁明を正当化する危険性がある。

 以前に紹介した朝鮮大学校の冊子で正しく指摘されているように、「在日朝鮮人は過去日本の植民地統治と侵略戦争の犠牲者として日本にきた人びとであり、その子孫である。[中略]日本政府は、以上のような民族教育の国際的慣例からしても自国の教育方針にてらしてみても在日朝鮮人の民族教育を当然認めるべきである。/とくに、日本政府は不幸な過去の歴史的事実からみても、在日朝鮮人の民族教育の権利を保障すべき歴史的、法的、道義的責任がある」。こうした民族教育の権利は、朝鮮民主主義人民共和国の公民としての教育を受ける権利と矛盾するものではない。エスニックな教育だけが民族教育として認められるわけではなく、そこには当然ネーションとして自己を形成する教育の権利も包含されている。とりわけ、植民地支配を行い、朝鮮民族の自決権を否定してきた日本政府は、より手厚く自決権を認め、ネーションの形成のための教育を保障する義務を負っているともいえる。朝鮮民族、とりわけ在日朝鮮人の歴史的経験に即してみるならば、民族的マイノリティの権利であると同時に、民族の自決の権利という二重の権利性という次元で、民族教育権をとらえる視点が求められるのではないだろうか。

 「悪い朝鮮人だけ殺せ!」という言説を許さない実践と思想こそが必要なのだ。

(鄭栄桓)

by kscykscy | 2014-04-21 00:00 | 朝鮮学校「無償化」排除問題
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