歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(6・終)

 いまから二年ほど前、このブログで與那覇潤『中国化する日本』について批判したことがある。最後の(5)が(続)で終わっているように、当初はもう少し続けるつもりであったが、結局今日に至った。十分書くべきことは書いたと思っているが、当時書く予定だったものが若干残っており、また、近年の新著のなかにも相変わらず問題が散見されるので、これまでの記事を再掲すると同時に以下に補足をしてひとまず完結としたい。
*参考
 
 さて、かつて書いた一連の批判について與那覇は一年前、以下のようにコメントしている。
 
@aiharatakuya 「どうせ右翼の與那覇だから捻じ曲げて引用しているだろう、と思って原典に当たったら本当だった。歴史学界全体が右傾化しているのか!」とかいうお笑いブログのPV稼ぎに貢献なんかしないよ。「敵の敵は味方」で低レベルな味方を増やして、損をするのは君たちの「運動」
2013年4月12日 - 19:11
@aiharatakuya 「君が」中身のないレッテル張りをしてるんだよ。お笑いブログの著者が、最初から相手をこき下ろしてやると決めつけて、しかし自分では学問的な反論ができないから、せいぜいが(準)専門書と一般書の違いでしかないものを「歪めた引用」とか称しているようにね。ブロック
2013年4月12日 - 19:35
 
 ここでいわれている「お笑いブログ」とは、他でもない私のブログである(やりとりの相手は私ではない)。断っておくが私は與那覇という人物を右翼だとは思っていない。この人物に「思想」などは無いと理解している。「歴史学界全体が右傾化している」とは確かに考えており、それについては改めて書きたいが、上の一連の文章で書きたかったのはもう少し別の次元のこと、すなわちタイトルにも掲げた「知的頽廃」である。
 
 このタイトルは藤田省三の1965年のエッセイ「「論壇」における知的頽廃」から借用したものである。藤田はこのエッセイの冒頭で次のように書いている。
 
「現代の日本には奇妙な「専門家」がいる。彼は、いついかなる時でもあらゆる問題についてたちどころに「解説」を加え「意見」を発表する。まるで神様のような存在である。あるいは神様以上の存在だ、というべきかもしれない。何故ならば、神はいくらこちらが要求しても、時と次第によっては答えを「保留」して発表しない場合がままあったからである。
〔中略〕
 ところが、わが奇妙なる「専門家」はどうだろう。彼は、どんな問いであろうと需要(おもとめ)に応じて、たちどころに答えるばかりであって「答えない場合」などはおよそないから、神以上の存在となってしまい、したがってこれに対していくら対決しても、論理的演繹力も解釈学も弁証法も何も生れようがない。生身のままで高々と昇天して神のいる天国をも通り越し「新しい境地」を「切り開いた」のが、この方々である。
〔中略〕
 こうした奇妙な「専門家」は、いまや日本社会の狭い表層に満ち溢れて奇妙な「レヴュー」を見せながら、歴史と人民によって屑箱に放り込まれるまで、何としてでも浮き流れようとしているかに見える。彼は「論壇」なる架空の壇をあたかも実在であるかのように追い求め、現実に対する何等の緊張もない言葉の山を蒐集し、相互に手を取り合って、ちょっとした数量の勢力が出て来るとその前に真心込めた風をして叩頭する。そのくせ社会主義国の官僚主義や個人崇拝のこととなるとロクロク知りもしないで多言を弄する。また日本のデモクラットの抵抗を見てはセセラ笑う。「数」さえそろえば頭を下げることにしているものにどうしてそういう資格があるのか。事実に対する緊張を欠いた「言葉の集合」のことを、ある人は、「だからそれは無いものだ」と言ったことがある。現実に対して何らの積極的(方法的)機能をも持たないが故にそれは非存在なのである。だがこの「有識者」は彼の言論が非存在であることによってのみ生の現実の上に浮流することが出来ている」(藤田省三「「論壇」における知的頽廃」、飯田泰三・宮村治雄編『藤田省三小論集 戦後精神の経験Ⅰ 1954-1975』影書房、1996年、p.182-185)
 
 半世紀以上前の文章だが、與那覇と彼をとりまく環境の問題を過不足なく表現していると思う。『中国化する日本』や彼がtwitterなどで繰り出す「言葉の集合」、そしてそれを受容する出版業界の質は、まさに藤田がここで批判した「知的頽廃」という名にふさわしい。あるいはこの批判すらも過大評価かもしれない。
 
 すでに上の文章でも書いたが、そもそもこの本で用いられる「中国化」という言葉は、概念としての最低限の条件を満たしていない。以前に引用しなかったもののなかから、以下の文章を挙げよう。
 
「なんでわざわざ「明治維新は中国化である」という、ことさらに煽情的なものいいをするかというと、「どうして中国や朝鮮は近代化に失敗したのに、日本だけが明治維新に成功したのか?」という学問的に不毛なだけでなく、政治的にもしばしば有害な(しかしなぜか日本史上の最重要課題だと誤って信じられている)問題設定にいい加減、終止符を打ちたいからです。
 こんなものは、一言で答えられる。日本にとっての「近代化」や「明治維新」は要するに「中国化」の別名に過ぎないのだから、「どうして中国や朝鮮は中国化に失敗したのに、日本だけが中国化に成功したのか?」などという問いは文字通りナンセンスです。だって、中国は「中国化」するまでもなく最初から(厳密には、宋代から。朝鮮は本当はもっと複雑ですが、おおむね李朝から)中国なんですから。
 この、「西洋化」の大部分は内容的に「中国化」と重なるので、中国や朝鮮では「西洋化」を必要とする度合いがそもそも低かったという視点を忘れて、「なぜ中国や朝鮮でなく、日本だけが」という形でばっかり考えていれば、誰だって「中国人や朝鮮人と違って、日本人は偉いからだ。賢いからだ」式の答えしか出せないのは当然です。あとは、大和魂だ武士道だ万世一系だ富士山だと、「日本にしかなさそうなもの」をとりあえず列挙して「ほれみろ、日本は中国よりすごい、朝鮮よりすごい」と連呼するだけの「危険なナショナリズム」しか残りません〔中略〕
 そうすると、「明治維新を語るのは、すなわち中国・朝鮮を貶めることだ。アジア侵略の『いつか来た道』を繰り返すことだ」とか騒ぎ立てて、NHKが『坂の上の雲』をドラマ化するのにもいちいちイチャモンをつける「面倒な左翼のオジサン・オバサン」が出てきて、「どうして日本人が自国の歴史を語ることがイカンのだ。中韓ごときにこれ以上ペコペコするな!」という「厄介な右翼のオジサン・オバサン」が反論し……という、あの見ていてどっと疲れるマンネリの構図から、いつまでも出られなくなってしまいます。
すなわち、日本人は、待ちに待たせてきた「中国化」をいよいよ敢行する際に生じる巨大な変化に紛れ込ませて、その際いっしょくたに「西洋化」もなし遂げてしまうことができたけれども、中国人や朝鮮人は早々と「中国化」を達成してしまっていた分、「西洋化」のタイミングを逸する格好になったというのが、東洋/西洋の別にも、日中韓のいずれにも偏らない、真にフェアな歴史認識というものです(宮嶋博史「日本史認識のパラダイム転換のために」)。」(『中国化する日本』、p.132-135)
 
 これを一読して、その意味を理解できる読者が存在するだろうか。與那覇は、中国/朝鮮はすでに11世紀/15世紀頃に「中国化≒西洋化」していたから、19世紀に「中国化≒西洋化」する必要が無かった、日本は「江戸時代化」していたので「中国化≒西洋化」する必要があった、と述べている。しかしだとすると、「中国人や朝鮮人は早々と「中国化≒西洋化」を達成してしまっていた分、「西洋化」のタイミングを逸する格好になった」という評価の意味が全くわからない。そもそも中国・朝鮮は「中国化≒西洋化」していたから「西洋化」する必要が無かった、だから「なぜ日本だけが西洋化したのか」という問いはおかしい、と言っておきながら、一方では、中国・朝鮮は「西洋化」していたから「西洋化」するタイミングを逸した、ともいう。全く破綻しているというほかない。

 ただし、単につじつまが合わないとか荒唐無稽であるという以上の問題が、この本にはある。それが與那覇の朝鮮侵略についての認識である。

 そもそも、東アジアの近代化をめぐる国際環境、特に「外圧」の質をめぐる議論においては、日本が進んだ発展段階に達していたことのみをもって説明しようとする傾向に対し、これを世界史的な連関のなかで解く視点の必要性が提起されてきたのは周知の通りである。ほかならぬ日本自体が「外圧」そのものとなることへの注意を喚起することによって、国際関係分析を抜きにした安易な比較論が批判されたのである。こうした研究蓄積がどれほど社会的な歴史意識に反映しているかは大いに疑問であるが、この論点をめぐる議論がそれなりに生産的な研究蓄積を生んだことは評価できるだろう。しかし與那覇はこの論点自体を不毛であると一蹴して、中国/朝鮮はすでに11世紀/15世紀頃に「中国化≒西洋化」していたから、19世紀に「中国化≒西洋化」する必要が無かった、と「一言で答えられる」と断定する。しかし、だとすると朝鮮や中国でこの頃みられた近代的諸改革への動きを、與那覇はどのように説明するのであろうか。また、こうした諸改革の動きが、それこそ「外圧」によって封殺されるプロセスを、與那覇はどのように理解しているのだろうか。あまりに乱暴な説明であるといえる(*1)。
 
 また、上の引用文にもあるように、日本特殊論を批判した返す刀で、與那覇は『坂の上の雲』批判を揶揄する。ここでいう「NHKが『坂の上の雲』をドラマ化するのにもいちいちイチャモンをつける「面倒な左翼のオジサン・オバサン」」とは一体誰を指すのか不明であるが、歴史学者だとすれば中塚明氏や安川寿之輔氏であろうか(中塚明・安川寿之輔・醍醐聰の三氏には『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実』(高文研、2010年)  という著作がある)。
 
 中塚らの日清・日露戦争賛美論批判は、それこそ「歴史学の成果」の上に立ち、日本の近代史認識をめぐる重要な問題点を提起したものだと私は理解している。だが與那覇は、こうした『坂の上の雲』批判の出典すらあげず、歴史修正主義と同レベルのものとして揶揄する。與那覇は他の箇所で「日本で『嫌韓流』の鎖国主義者たちが衛正斥邪派(李朝末期の排外的超保守派)よろしくその排除を騒ぎ出した」(238-293)とも書いており、衛正斥邪派を『嫌韓流』と同一視している。驚くべき「歴史学者」である。
 
 もう一箇所だけ引用しよう。在日朝鮮人の参政権に関する文章である。
 
「まず、江戸時代的な日本社会の欠点はどこにあるか。おそらく、それは正しい意味での「封建遺制」、すなわち自給自足的な思考によって社会のあり方を捉え、他人の得は自分の損と思い込んでしまう百姓根性ではないでしょうか。
たとえば外国人参政権というのは、私はそう安易にほいほいあげていいものとは思いませんが、しかし反対のロジックとして「今ある家産は盗まれる」式の発想でものをいわれる方が多いのには辟易します。参政権ってのは定額の財産じゃないんだから、そういうゼロサム・ゲームで考えるべきものじゃないでしょう。「他の奴らに取られて減る」という性格のものではなくて、あげたらバーターになにを得られるかで判断すべきものでしょう。――これはふたつの文脈から考えることができます。
 ひとつは、いわゆる歴史問題としての文脈で、そもそも戦前には普通選挙法施行以降、内地の朝鮮・台湾人男性が享受していた参政権を、戦後になってとりあげてしまったことへの補償をどうするか、という問題です。しかもこのとりあげ方がまずくて、韓国や北朝鮮の独立(1948)すら待たずに、国籍法上彼らはまだ日本人である状態のままで参政権だけ先にとり上げて(1945)、後から国籍も召し上げる(1952)という形にしてしまった。「国籍喪失と同時に参政権も消滅」だったら一応筋は通るわけですが、そうではなかったわけで、これはやっぱり問題があるでしょう。
 ただ、私はこちらに関しては、謝罪決議なりなんなりで解決のしようがあろうと思います。「また謝罪か」と文句をいう方が出そうですが、そういう人は謝罪と参政権付与とどっちがいいんですか。政治的な謝罪というのもまた、「やったら減るもの」じゃなくて、本来そのことによって何か(たとえば道徳的な名声)を得るためになされる一種のバーターなわけですから、植民地を失う際にこちらに手落ちがあった以上、そこのところを考えていただきたいなと思います。
 在日参政権への反対は主として右派に目立ちますが、大帝国を築いた戦前の日本を本当に誇らしく思うなら、内地移住者の参政権を容認していた伝統も誇りに思ってほしいし、逆に付与賛成の左派の人は、「なんでもかんでも戦前の悪口」をちょっとは改めて、議論の前提となる史実をきちんと教えてほしい(ちなみに、私は大学の教養科目で教えています)。(284-286)
 
 改めて説明するまでもないが、ここには在日外国人の政治的権利という視点は一切ない。朝鮮人や台湾人の参政権行使という問題を真摯に考えようとする姿勢もない。むしろその権利を他の目的のために利用しうる手段とみなす発想によって貫かれている。「ほいほいあげていいものとは思いませんが」という文に示されているように、與那覇はあくまで自ら(つまり日本人)が、在日外国人の政治的権利を操作しうる位置にいることを自明視している。
 
 このように、朝鮮の近現代史に関わるこの本の歴史認識はあまりにひどい。特に「北朝鮮」に関する與那覇の嘲弄はますますタガが外れてきている。『中国化する日本』についてはすでに書いたが、昨年出版された東島誠・與那覇潤『日本の起源』太田出版、2013年から関連する箇所を抜き出してみよう(強調は引用者)。
 
「與那覇 都の壮麗さによって人々を帰依させるというのは、王権のあり方としては普遍的ですよね。しかし、実力がともなっていないから虚勢になってしまうというのが、日本の個性なのかもしれない。いまだと、北朝鮮でも平壌に凱旋門を持っているような感じでしょうか(笑)。」(42-43)
「與那覇 [中略]父親が全権力を独占して、バタッと死んで、後継者の息子が全権力をまた独占するというのは危ないわけですよね。両者の継受の瞬間が権力の空白状態になって、すべてがひっくり返る恐れがあるから。そこで、いわばバッファー(緩衝帯)として、やがてこの世を去る人と、これから家督を握る人とが半々くらいで権力を持ち合う期間が必要とされる。近年の北朝鮮などを思い出しても、それ自体はわかりやすい。」(68)
「與那覇 非常に重要ですよね。そもそも古代でも、唐朝成立(618年)の衝撃があったからこそ大化の改新(645年)が起きて、最後は朝鮮半島をめぐって白村江の戦い(663年)にまで至るように、中国大陸と日本列島の動乱はいつもリンクしていたと見るべきではないか。近現代に入っても同様で、たとえば朝鮮戦争が起きると、日本でも共産党が暴力路線に走って革命しようとするわけです。勝ち目があるわけないじゃない、とあとから見たら絶対思うのですが、それでも半島で金日成同志が民族統一のために戦っているのであれば、日本でも米帝に対する革命を起こして支援しなくては、という話になる。」(132)
「與那覇 [中略]むしろ東照宮をわざわざ造って家康を神格化したり、こじつけめいた理屈で家綱にもオーラをまとわせようとしたり、相当いろいろな工夫をして継承に正当性を賦与する必要があった。何度も例に出して恐縮ですが、北朝鮮でも代替わりごとにがんばって、「指導者たるにふさわしいエピソード」を創作しないといけないようなものですよね(笑)。」(139)
 
 與那覇がここで(笑)いながら援用する「北朝鮮」の事例には、全く何の意味もない。不必要にもかかわらず、ウケを狙って援用しているのである。なぜこれほどまで「北朝鮮」を(笑)うことができるのか、つまり、なぜそれほど無邪気に近年の「北朝鮮」言説を内面化できるのか。「ごく普通の日本人」であるとしかいいようがない。
 
 ちなみに、彼は日常的に以下の様に「北朝鮮」「北朝鮮化」という言葉を使っている。
 
 確か與那覇は「北朝鮮化」したくなければ「中国化」するしかないと言っていたと思うのだが、「日本を「中国化・北朝鮮化」させないために、現法案に反対します。」とはどういうことだろうか。もう首尾一貫性などどうでもよいのだろう。ここでは宋代の中国などはもはや関係なく、単に現に存在する朝鮮・中国へのネガティヴなイメージが利用されているにすぎない。ネット右翼と大差ない。
 
 かつての批判の記事を再掲して結びとしたい。
 
「與那覇に限らず、現在の朝鮮は戦前の日本である、あれは天皇制である、とするレトリックは、現代日本ではむしろリベラルや左派に好まれる傾向がある。かつて大西巨人は、戦時期には沈黙・翼賛していたにもかかわらず、敗戦後突如として軍部や軍隊の非合理・暴力性を「暴露」し始めた知識人たちの姿勢を「過去への叛逆」と揶揄した。しかし、このレトリックは、ここでの「過去」に朝鮮を代入することにより、わずかながらあった「叛逆」のリスクすら欠落させた、極めて自己愛的で攻撃的なものといえる。大日本帝国という過去に批判的であるようなポーズを装いながら、その問題点は朝鮮のみに継承されたとして大日本帝国の過去そのものに向き合うことを回避し、同時に、元「帝国」の人間として、その遺産=朝鮮を何とかしなければいけない、というこれまたナルシスティックな「使命感」「義務感」に燃えることすらできる。そして、それから切り離されたところの平和で民主的な戦後日本への歪んだ自己愛を満たしつつ、右派の朝鮮脅威論に直接対峙せずに、むしろそれと癒着しながら「お前こそ日本を北朝鮮にする気か」と「反論」することも可能になる。
 こうしたレトリックは、現在の朝鮮への「制裁」をリベラル・左派が容認することを正当化するばかりか、場合によっては「人道的介入」すら後押しすることになるだろう。和田の意図はそこには無いとしても、安易に戦時期日本と朝鮮の現状を似ているとするのは、こうしたレトリックを誘いこむ危険なものだ。私は與那覇のこの杜撰な本に、そうした頽廃的な日本のイデオロギー状況の反映を見る。」(歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(5)

(鄭栄桓)


*1
 ただ、この「乱暴さ」は実は與那覇だけのものではない。ここで典拠となっている宮嶋博史「日本史認識のパラダイム転換のために」(『「韓国併合」100年を問う 『思想』特集・関係資料』岩波書店、2011)において、宮嶋は西川長夫の「日本型国民国家」論を批判しながら、次のように書いている。

「引用文中で太字でしめした諸改革〔西川が列挙した1870年代の日本の諸改革〕は、中国や朝鮮ではもともと実施する必要がないものであった。すなわち、戸籍制度や徴兵制度はすでに存在しており、土地売買や職業移住の自由も認められていた。郡県制も古くから実施されていたものであり、支配層の帯刀や宗教調査のための宗門人別制度などは、廃止するまでもなく、もともと存在しないものであった。すなわち、国民国家の諸要素をモジュールとして移入しようとする際に、日本では必要であった改革のかなりの部分が中国や朝鮮では必要のないものであったわけである。こうした現象が生じた最大の原因は、中国・朝鮮においては集権的な官僚制国家体制がすでに存在していたところに求められるが、それこそは儒教モデル受容の産物にほかならなかった。
 したがって問われるべき問題は、国民国家を形成するために必要な諸要素のかなりの部分をすでに実現していた中国や朝鮮の「旧社会」の内実をどう理解するのか、それと比較した場合の日本の位置をどう考えるのか、ということである。しかし、西川の議論ではこうした部分がまったく捨象されているのである。西欧化を「文明化」ととらえた場合、今述べたように、西欧や日本で近代になってはじめて実現されたものの相当部分は中国・朝鮮でははるか以前に実現されていたのであり、こうした条件は中国や朝鮮の近代的変革に独特の性格を与えることになった。すなわち、一方では、近代的変革を行うためには何が課題であるのかが不分明になり、西欧モデルの受容という課題を切実なものと認識することを困難にするとともに、他方では、自己の伝統を文明と認識し、西欧文明を相対化しようとする動きが必然的に登場することになったのである」(p.18-19)
「西川の国民国家論と関連させていえば、中国や朝鮮では日本よりも国民国家を形成することが困難だったのであり、そのもっとも大きな要因として儒教的な文明主義の存在があったということができる。これまで日本の歴史学界では、こうした儒教的文明主義の存在を否定的にとらえてきたのであるが、二一世紀の今日の時点に立ったとき、こうした理解は根本的に再検討されなければならないと考える。西川の国民国家論が国民国家に対する批判にとどまっていて、出口が見えないように感じられるだけに、国民国家を日本のように速やかに形成することがきわめて困難であった中国・朝鮮の近現代史を、その困難さのゆえに日本とは別の道を歩んだものとして見直すことが、大きな意味をもちうるであろう」(p.20)

 與那覇と宮嶋の記述を比較すると、宮嶋が一般的に理解可能な概念を用いていることや、論理の粗雑さの違いはあるとはいえ、ほとんど似た主張をしていることがわかる。つまり、この論点に関しては與那覇は確かに、出典表示した論文に即して、自らの議論を組み立てていると言っていいだろう。ただし、宮嶋は近代日本国家の侵略的性格を重視するべきであると説いており(p.14-15)、この点は與那覇とは全く異なるが、大筋においてはその理屈は同様である。

 ここで宮嶋は西川長夫を批判しているのだが、実際には批判というよりも補完といったほうが適切である。宮嶋は西川が「東アジアにおいては日本だけがこうした条件〔国民国家の諸装置を受容する〕を備えていたという認識」を前提にしている、と批判する(p.17-18)。しかし、上の主張をみると、日本だけが国民国家に適合的な条件を有していた、という点については宮嶋は西川と同一の立場に立つ。しかし、西川はなぜ中国・朝鮮は国民国家形成が困難だったのか、という問題に答えていない、というのが宮嶋の批判なのである。そして、その答えは宮嶋によれば「儒教的な文明主義の存在」のため、ということになる。

 この論理には與那覇に通じる、あるいはそれ以上の問題性が含まれている。時務論として宮嶋の「史論」をみた場合は、その論理は国民国家の形成が困難だった朝鮮の内在的要因こそが、人々の未来にとって何らかの意味を持ちうる、というものといえる。これは乱暴にいえば朝鮮停滞性史観を裏返したものである。

 宮嶋は在日朝鮮人の「アイデンティティ」について次のようにも書いている。

「このように中国・日本と比較してみると、朝鮮の中間団体の特徴としてあげられるのは、統一的なアイデンティティの欠如ということになろう。中国における気、日本における天皇制に匹敵する存在を欠く朝鮮では、さまざまな中間団体を貫く共通の原理が存在しないのである。非漢族、反日という民族主義の言説が今日においても強調されるのは、統一的なアイデンティティの創出のための努力と見られるのである。
 しかし私が注目したいのは、統一的なアイデンティティの不在がもつ積極的な面である。今日海外に定住する韓国人・朝鮮人の数は、本国内居住人口との比率で見れば、世界最大の移民国と言われる中国を、はるかにうわまわっている。その逞しい定着力は、彼らのアイデンティティの柔軟性ゆえではないだろうか。今日まで営々と続けられてきた在日韓国人・朝鮮人による日本社会との「共生」のための営みは、彼らの柔軟なアイデンティティの確立の努力であるとともに、日本人の狭隘なアイデンティティに対する問題提起でありつづけている。」(岸本美緒・宮嶋博史『世界の歴史12 明清と李朝の時代』中央公論社、1998年、427-428頁)

 つまり、(在日)朝鮮人は日本人や中国人のように統一的なアイデンティティを持ちえない歴史的な「原理」のもとで生きてきた。だからこそそれを求める(「反日」)。しかしその不在こそが積極的である、という理屈である。あとがきであるとはいえ、こうした植民地支配下での民族分裂政策や、解放後の朝鮮分断の暴力、そして在日朝鮮人の経験を軽視した「超歴史的」な「評価」の仕方は歴史学的な検証に耐えるものではないばかりか、こうした暴力を免罪することにもなりかねないと私は考える。朝鮮民族に未来永劫統一するなと言っているに等しい。與那覇の言説がこうしたある種の歴史学者の仕事の「結果」であるということを、強調しておきたい。

by kscykscy | 2014-04-09 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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