「今日の朝鮮人民は半世紀前の朝鮮人民と同じではない」――ある韓日条約批判からの抜粋

 『売国的「韓日条約」は無効である』という冊子がある。1965年12月に朝鮮大学校の「朝鮮にかんする研究資料」第13集として出版されたもので、編集兼発行人は李珍珪である。韓日条約・諸協定の締結直後に出版されたこの冊子は、この条約のもつ問題点を網羅的に批判した解説と、朝鮮民主主義人民共和国の声明、韓国の知識人の宣言書や学生運動の闘争スローガンなどの資料をおさめた附録によって構成されている。

 この冊子の基本的立場は、韓日条約を批判し、この条約で扱われた諸問題は本来ならば統一朝鮮と交渉すべきことであり、それが現在困難であるならば日韓両政府に朝鮮政府も加えた三者で協議すべきであるというものだ。だが、こうした一般的な立場にとどまらず、この冊子は個別の論点に踏み込んだ批判を展開しており、その内容には「現代的」なものも少なくない。原則とする立場も極めて明瞭である。もちろん今日の立場からみて不十分な点はあるが、いま再読する意義はあると考える。

 「今日の朝鮮人民は半世紀前の朝鮮人民と同じではない」――半世紀前=1910年代の、つまり支配された朝鮮人と、今日=1965年の解放された朝鮮人は違うのだという立場から発せられたこの冊子の提起する論点は、2014年を生きる「今日の朝鮮人民」にとっても示唆を与えるところが大きい。果たしていまから「半世紀前の朝鮮人民」と、「今日の朝鮮人民」が同じでありえているのか。日朝交渉の再開や「第二の日韓協定」もささやかれるなか、再びこの問いについて考えなおす必要があるのではないだろうか。以下にテーマごとの抜粋を掲載する(下線はすべて引用者による)。

(鄭栄桓)

*参考
カテゴリ:「日朝平壌宣言」批判
http://kscykscy.exblog.jp/i4/
カテゴリ:世界「共同提言」批判
http://kscykscy.exblog.jp/i3/
「「不幸」と「不正義」――「日朝平壌宣言」批判」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-4.html



1.「請求権」「経済協力協定」と朝鮮人民の賠償請求の権利について

「朝鮮人民は、日本帝国主義者が朝鮮人民にあたえたすべての人的、物的被害にたいして賠償を要求すべき当然の権利をもっており、日本政府にはこれを履行すべき法的義務がある。したがって、「対日請求権の解決および経済協力の協定」を通じて、日本当局と朴正煕一味間にやりとりするのは私的な金銭の取引きにすぎず、決して賠償金の支払いではない朝鮮民主主義人民共和国政府は、対日賠償請求権を保有するということを日本政府に重ねて警告する。」(「「韓日条約」と諸「協定」は無効である――朝鮮民主主義人民共和国政府の声明」[1965.6.23]、p.110)

「ほんらい、請求権にかんする問題は、日本帝国主義の約半世紀にわたる植民地支配の結果、朝鮮民族にもたらされた被害にたいする賠償でなければならない。
 それにもかかわらず、この協定ではその性格をあいまいにし、「請求権」が「韓国」と日本国双方にあるかのように表現し、ついには賠償問題が「経済協力」の問題にすりかえられてしまったのである。[中略]このように、「請求権」が双方にあることを明記し、かっての侵略政策が合法化される結果となった。すなわち、問題の本質をいんぺいし、転倒させたのである。
 そればかりか、賠償問題は半世紀間に朝鮮人民が受けた莫大な物的、人的被害にたいする日本政府の公正な賠償問題であり、全朝鮮人民の利益にかかわる問題である。したがって、全朝鮮人民を代表する統一政府が対象でなければならないし、それが今日の情勢で困難であるならば、朝鮮民主主義人民共和国政府と「韓国政府」および日本国政府の三者が協議のうえで解決しなければならない性質のものである。それにもかかわらず、日本政府は朝鮮人民の意思と利益を代表しない朴正煕「政権」を相手にして問題を「解決した」と記している。[中略]これは朝鮮人民にたいする冒瀆であり、挑戦である。朝鮮人民はこのような「協定」が完全に無効であることを宣言するとともに、賠償にたいするいっさいの権利を保留するものである。」(「「韓日経済協力」と日本独占資本の南朝鮮への再進出」、p.35-36)

「「請求権」が両国双方にあるかのように描き出した前文にかわって、ここではもはや、すべてが「経済協力」の名のもとに統一されてしまったのである。しかも、その金額の算定が全く不明瞭なものである。日本帝国主義の三十六年にわたる朝鮮の支配によって、多数の朝鮮人民が虐殺され、太平洋戦争に数多くの朝鮮人が動員され犠牲になった。朝鮮人民の土地と財産は奪われ、貴重な地下資源と朝鮮民族がのこした誇るべき文化財が略奪された。これらの人的・物的損害は、初歩的な資料によるだけでも数兆円にたっするといわれている。それにもかかわらず、「韓日特別委員会」で明らかになったように具体的な資料にもとづかず、政治的目的のためにこの問題が利用されてしまったのである。
[中略]
 これは、かっての植民地政策による罪過を清算し「真の友好と善隣」関係を樹立するものではけっしてないことを証明している。すなわち、日本は罪の清算ではなしに、お恵みをほどこす主導的立場に立って、商品と技術の援助をヒモつきでおこなうというのである。」(同上、p.36-37)

「文化財問題をはじめ、朝・日両民族によこたわる未解決の諸問題は、朝鮮にたいする日本帝国主義の植民地支配の結果生じたものであり、問題解決の第一歩は、日本側がかって日本帝国主義の朝鮮人民にくわえた犯罪行為・略奪について深く反省し、それを正しく解決する姿勢をとることである。そして、朝・日両国人民の利益にともに合致するように解決しなければならない。そのためには、とうぜん統一された朝鮮の政府との間でこれらの問題を処理するのが原則である。[中略]
 したがって、アメリカ帝国主義によってでっちあげられ、朝鮮人民の誰をも代表しえない朴正煕売国徒一味との間でとりきめられたいかなる「条約」や「協定」も、朝鮮人民を拘束することはできない。それらは何らの法的根拠もなく、すべて無効である。
 朝鮮人民は不法、不当に略奪された文化財の返還をはじめ、各種の賠償を日本政府に要求する権利を放棄していないのである。
 今日の朝鮮人民は半世紀前の朝鮮人民と同じではない。」(「欺瞞的「文化財協定」について」、p.91-92)

2.法的地位協定批判

「もともと在日朝鮮人は、すき好んで日本にきたのではない。在日朝鮮人は、過去日本帝国主義が朝鮮を植民地として支配していた時、土地をうばわれ、職をうばわれ、とくに侵略戦争のための徴兵、徴用などで強制的につれてこられ、酷使と虐待のなかでどうにか生きのびてきた人びとであるか、その子孫たちである。
 したがって、在日朝鮮人は、八・一五解放と同時にその奴隷的状態がただちに改善され、国際法ならびに人道主義的な諸原則にもとづいて、何らの迫害と差別もなく公正にとりあつかわれなければならなかった。
 にもかかわらず日本当局は、在日朝鮮公民を法的保護の外におき、朝鮮国籍取得の権利、就業の権利、民族教育の権利、祖国往来の自由などをふくむ民主主義的民族権利をはなはだしく侵害してきた。」(「いわゆる「法的地位協定」と在日朝鮮人の基本的人権」、p.61)

「在日朝鮮人は、独立国家の公民として、外国人として日本にすんでいる。在日朝鮮人は、朝鮮民主主義人民共和国の国籍法によって、共和国公民としての法的地位が保障されており、共和国の政治的ならびに法的保護をしっかりうけている。[中略]
 今日、国際法に公認されている原則は、誰が自国民であり、誰が自国民でないかの決定権を、その国の国内法、すなわち国籍法に任せている。[中略]このように、国籍の決定権は各国の国内法に一任されているので、各国の国内法の内容に相違が生じ、たとえば、血統主義と出生地主義の相違から、一個人に二つ以上の国籍があったり、またいかなる国の国籍ももたない場合ば生ずることもありうる。この何れも、人権を保護する見地からみた場合不利益となるので、今日の国際条約はこのような事態が生じないように考慮している。[中略]一方、個人が国籍をもつことは、世界人権宣言にも公認されている基本的人権であり、個人の意志に反して国籍をうばうことはできない。また、個人は国籍を選択する自由をもっている。[中略]
 さらに、現代の国際法は、外国人の法的地位を規定するにあたって、民族的蔑視と迫害を加えたり、かれらの人権をふみにじるような国家のいかなる行為をも禁止しており、また一般的に外国人に自国民が享有している同等の権利をみとめるか、または最恵国待遇をあたえている。[中略]共和国の憲法第87条には、民族的不和をかもしだすような宣伝せん動すら厳重な犯罪行為として刑罰で制裁することを規定している。
 日本政府にはこのような国際法上の諸原則や国際慣例にもとづいて、在日朝鮮公民に外国人としてのすべての合法的権利と待遇を保障すべき法的な義務がある。在日朝鮮公民から朝鮮民主主義人民共和国の国籍をうばい「国籍のない朝鮮人」をでっちあげたり、朝鮮国籍への変更の権利をうばい「韓国国籍」を強要したり、在日朝鮮人を差別し迫害するようなことは、国際法上絶対にゆるされない。
 さらにそればかりでなく、日本政府は、過去日本帝国主義が朝鮮人民のまえにおかした罪過にてらし、在日朝鮮公民に民主主義的民族権利を保障すべき歴史的道義的責任がある。元来、在日朝鮮人にかんする問題は、日本帝国主義の朝鮮占領とその植民地支配がのこした産物であり、日本政府はその歴史的、道義的責任を回避することはできない。」(同上、p.61-63)

「もともと居住の自由は、国籍をとわず何人にも保障されるべき基本的人権の一つであり(世界人権宣言第13条、日本国憲法第22条)、それに在日朝鮮人はすき好んで日本にきたのでもない。にもかかわらず、「法的地位協定」は、在日朝鮮人から居住の既得権すら奪おうとしており、「韓国国籍」をもつ者にいわゆる「永住権」なるものを付与すると規定して「韓国国籍」を強要し、かれらをアメリカの手先朴正煕一味のファッショ的統制の下におく一方、在日朝鮮公民から朝鮮民主主義人民共和国の国籍をうばおうとしている。これが全く不当であることは、すでにのべたとおりである。
 しかも「永住権」の範囲は制限され、かえって日本政府に「治安対策」推進の武器を与えている。「ひきつづき」日本に居住しているという条件をつけ、たとえば戦時中に夫が徴用されて妻子が本籍地に疎開したとか、学童疎開で子どもたちを故郷にあずけたとか、徴兵、徴用で家族を故郷に残したまま強制連行されてきた人たちや、一度でも解放後朝鮮にかえったことのある人や八・一五解放後日本にわたった朝鮮人はその範囲から除外され、家族離散のうき目をみることになっており、「協定永住権者」の子孫についても何らの確定的な保障はない。それに、許可要件審査に「家族関係及び日本国における居住経歴にかんする陳述書」が要求されており、強固に把握され、また退去強制事由が拡大され、日本当局の「自由裁量」によって勝手に追放されるようになっている。このように結果的には、空虚な在留権にすぎなくなるのもならず、在日朝鮮人にたいする治安維持的な規制を強化しようとたくらんでいる。」(同上、p.67)

「在日朝鮮人は初歩的な基本的人権である祖国への往来の自由さえみとめられず、解放後20年もたった今日まで、日本国内にかんきんされた状態におかれている。[中略]のみならず、反朝鮮、反総聯宣伝と民族教育にたいするデマと中傷をくりかえし、民族離間と民族排外主義をしきりに鼓吹している。岡山、京都などでは、在日朝鮮人を大量的に追放し虐殺せよ、とせん動するビラが白昼公然とばらまかれ、朝鮮総聯中央の名前をいつわった悪質な文書を散布したり、名古屋でみられたように武装スパイを朝鮮総聯に侵入させるという卑劣な謀略までおこなわれている。一方、あらゆる宣伝手段を利用し、在日朝鮮人が「抗日パルチザンを結成しようとしている」とか、「反日教育をやっている」とか、朝鮮大学校で「軍事訓練をしている」とか、全く根も葉もない中傷をくりかえしている。こうして日本国民に在日朝鮮人と民族教育にたいする不信感をいだかせ、在日朝鮮人と朝鮮総聯および民族教育にたいする非友好的な迫害、弾圧政策をつよめるとともに、奴隷的な「同化」を強要しようとしている。」(同上、p.70-71)

3.民族教育の保障と「同化」教育批判

「在日朝鮮人は過去日本の植民地統治と侵略戦争の犠牲者として日本にきた人びとであり、その子孫である。[中略]日本政府は、以上のような民族教育の国際的慣例からしても自国の教育方針にてらしてみても在日朝鮮人の民族教育を当然認めるべきである。
 とくに、日本政府は不幸な過去の歴史的事実からみても、在日朝鮮人の民族教育の権利を保障すべき歴史的、法的、道義的責任がある
 それにもかかわらず、日本当局は、侵略と戦争につながる「韓日条約・協定」の批准発効をたくらみながら、在日朝鮮人の民主主義的民族教育をみとめないで、不当にも弾圧を加えるために、最近ふたたび民族教育にたいするいわれのない中傷、ひぼうをみだりにしている。[中略]
 もともと各種学校の設置認可は自治体の首長の権限に属することである。ところが、日本の文部省は1950年3月14日次官通達をだして事実上朝鮮人学校にたいする設置認可を不当にも拒否させている。[中略]ひとり教育に必要ないっさいの権限と条件をととのえた朝鮮人学校にたいしては、認可もあたえず、免税などの措置を講じないばかりではなく、初級学校の児童たちにまで普通定期券を買わせている。これは不当な民族差別であるというべきである。」(「民族教育の正当性と「同化」教育の不当性」、p.77-78)

「日本当局は、民族教育にたいする弾圧を企図する一方、独立国家の在外公民である在日朝鮮人の子弟に屈辱的な「同化」教育を強要しようとしている。
 文部省が出している「文部時報」(1965年8月号)は「韓国人」が「わが国社会に調和した存在となるかいなかの基礎は教育によって培かわれるので、彼らとしては進んでわが国の学校に入るように」しなければならないといっているし、上記「調査月報」も「これらの人達にたいする同化政策が強調されるゆえんである」とおくめんもなくのべている。
 「同化」政策なるものは、侵略を合理化するために、帝国主義国家が植民地人民の言語、歴史、文化、風習などを抹殺して自己のそれを強要する植民地政策である
 在日朝鮮人は、日本の植民地統治時代に朝鮮人民の民族性を抹殺するための奴隷的「同化」教育を強要されたことを忘れてはならない。[中略]われわれはここで、つねに侵略と戦争と結びついて、朝鮮人民の民族教育が弾圧され、「同化」教育が強要されて来た歴史的事実を指摘しないわけにはいかない。[中略]
日本当局は在日朝鮮人の子弟が、日本の「社会によく適応した調和的存在」になり、「彼我双方の安定と幸福」のために「同化」教育をする、というが果たしてどうであろうか。」(「民族教育の正当性と「同化」教育の不当性」、p.78-80)

4.「東北アジア軍事同盟」批判

「「韓日条約」の侵略的、売国的性格はまた、この「条約」がアメリカ帝国主義のあやつりのもとに日本軍国主義者と朴正煕一味を結託させて「東北アジア軍事同盟」をしあげるためのものであるということにある。軍事的、侵略的な性格こそは、この「条約」のもっとも大きな特質である。
 このことと関連して注目をひくのは、「国連協力」をうたった前文と第四条である。すなわち、前文では「国際連合憲章の原則に適合して緊密に協力すること」と「サンフランシスコ講和条約」を「想起」することがうたわれており、第四条ではa項とb項で「相互の関係において国際連合憲章を指針とする」こと、「国際連合憲章に適合して緊密に協力する」とと二度も「国連協力」が強調されている。
 これは、この「条約」の軍事的、侵略的性格をもっとも集中的に表現したものである。
 周知のように、国連は一貫してアメリカ帝国主義の侵略政策の道具として利用されてきた。とくに朝鮮についていえば、国連は完全にアメリカの侵略の道具としての役割をはたしてきたし、いまもはたしている。
[中略]
 したがって、「国連協力」というのは、つまるところ軍事作戦行動を含むアメリカの南朝鮮におけるこのような侵略行動に全面的に協力するということである。これはとりもなおさず、日本の自衛隊が「国連軍」に協力するという名目で南朝鮮に進出することを意味する
 このことは、この「条約」が「国連協力」と「サンフランシスコ講和条約の想起」という規定にみられるように、アメリカの極東侵略政策の重要なかなめである「日米安保条約」と緊密にむすびつけられているという事実によっていっそう明瞭である。周知のようにいままでアメリカ帝国主義が「東北アジア軍事同盟」を実現するうえで大きな障害となったのは、日本と南朝鮮かいらい「政権」とのあいだに正式の「国交」がなかったことである。だが「韓日条約」の締結によってこの障害はとりはらわれた。「韓日条約」が「日米安保条約」にむすびつけられたことによって、日本と南朝鮮かいらいはアメリカの指揮のもとに1つに統合され「東北アジア軍事同盟」は事実上完成したことになる。よくしられているように「日米安保条約」は「サンフランシスコ講和条約」の産物であり、その精髄である。「日米安保条約」も「国連原則の尊重」をかかげ「個別的、集団的自衛権」にもとづく「相互防衛」をうたっている。ところで、日本政府の公式見解によれば、「安保条約」にいう「自衛権」の範囲は朝鮮をふくむ東北アジア全部となっている。
 このことと関連して注目すべきことは、旧「安保条約」締結のさいにとりかわされ、現在もなお効力をもっている「アチソン-吉田交換公文」である。この文書で日本は、「国際連合がその憲章にしたがってとるいかなる行動についてもあらゆる援助をあたえること」、「国際連合の行動に従事する軍隊を日本国内およびその附近において支持すること」を約束しているのである。
 これは、「韓日条約」によって、日本の自衛隊が「国連軍協力」という名目で海外派兵を禁じた日本国憲法や自衛隊法をも排除し、南朝鮮に出動することが可能になるということを意味する。なぜなら、日本政府の見解によれば「日米安保条約」とその附属文書は、日本国憲法より優先するからである。すでに1961年に当時の池田首相は、「いまの国連憲章あるいは国連警察軍として出ることは憲法違反ではない場合もある」とのべているのである。
 以上であきらかなことは、「韓日条約」が「東北アジア軍事同盟」を完成させ、日本の自衛隊を南朝鮮にひきいれるための事実上の軍事条約であるということである。」(「売国的「韓日条約」の本質」、p.19-21)

by kscykscy | 2014-03-30 00:00 | 日朝平壌宣言批判
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