閑話休題:「教育と外交(政治)は別」という言葉について

 朝鮮高校生の「無償化」からの排除は明らかに外交的理由によるものである。つまり、「無償化」を認めると、現在政府が「制裁」を科している朝鮮民主主義人民共和国を利することになる、と民主党政権は判断し、就学支援金の適用の判断を外交の論理――というよりも、「制裁」の論理に従属させたのである。誰の眼にも明らかであったこうした排除の動機について、当初民主党政権は否定し詭弁を弄していたが、天安艦沈没事件後、この詭弁すら放棄して居直るに至った。

 さて、これに対する批判として「教育と外交(政治)は別」という言葉をしばしば耳にする。この言葉は一面では正しい。確かに、就学支援金制度創設の趣旨を鑑みれば、外交上の理由で朝高生のみを支給から排除するのは許されない違法な行為だ。ただ、「教育と外交は別」のスローガンは、一種の曖昧さと弱さを残しているのではないかと思う。

 「教育と外交は別」には以下の三つの用法がある。

(1) 正しい用法

 本来、「教育と外交は別」という言葉を仮に用いるならば、朝鮮高校生がいずれも朝鮮民主主義人民共和国の公民であり、かつ、個々の信条として共和国を支持していたとしても、それとは無関係に就学支援金は支給されるべきだ、という意味で用いるべきであり、これが唯一正しい用法である。つまり、在日朝鮮公民が日本で朝鮮の公民教育を受ける権利の尊重と、日本の対朝鮮外交とは別だ、という意味である。これは現行法における就学支援金支給の要件からも当然に導かれる原則であり、いわば、日本政府は自らの定めた法を遵守せよというスローガンに等しい。問題の根本は日本政府の違法な行為にあり、これを前提としてのみ、「無償化」排除批判論は権利論としての相貌を保ちうる。

 但し、この正しい用法においても、「教育と外交は別」というスローガンは、朝鮮への「制裁」については態度を留保するものとなる。というよりも、留保していることをアピールする面すらあるともいえる。もちろん、現行法上「制裁」解除が「無償化」適用の必要条件ではないことは明らかなのであるから、あえてこの論点に触れずに「教育と外交は別だ!」とのスローガンを用いることがただちに問題であるとは言い切れない。ただ、現実に「制裁」が在日朝鮮人の諸権利を制約する重要な前提となっている以上、「制裁」反対無き「無償化」排除批判は不充分であり、弱さを残していると思う。

 そうした意味で、「正しい用法」であっても、特に用いる必要はないように思う。「「無償化」を適用せよ!」で充分だろう。

(2) 誤った用法

 しかし、現在「教育と外交は別」というスローガンは全く誤った意味において用いられることが多い。それは、朝鮮高校生には韓国籍者や日本国籍も多く「北朝鮮」とは直接の関係はない、学校運営においても「北朝鮮」とは距離を取っている、だから就学支援金を支給すべきだ、という用法である。この用法によれば、日本政府は朝鮮学校の性格を誤認している、という主張になるのであるから、厳密にいえば「教育と外交は別だ!」とは言っていないことになる。ここで実際に叫ばれているのは、「教育と外交は別だ!」ではなく、「朝鮮高校(生)と朝鮮民主主義人民共和国は別だ!」というスローガンだからだ。

 ここでは問題の根本は日本政府の無知にあることになり、「知って下さい、見て下さい、国益になります」が問題解決の唯一の手段となる。こうした思考からは権利論の生じる余地は無い。しかも、朝鮮民主主義人民共和国と密接な関係を有する教育機関である場合排除していいのか、という問いとの対決を避けているため、「教育と外交は同じだ!」という主張を許容する余地を残すものとなっている。

 というよりも、この用法はむしろ朝鮮への「制裁」を容認し、かつ「無償化」適用を擁護するために編み出されたといってもいい。朝鮮民主主義人民共和国への「制裁」は必要だが、それと朝鮮高校生は別だ、という『朝日新聞』の主張などはその典型といえよう。

(3) 悪用

 さらに悪いのは、「教育と外交は別」という曖昧さを残したスローガンが後者の意味として誤認されて流布した状況に乗じて、これを朝鮮学校に対する教育干渉の論理として用いるケースである。つまり、朝鮮民主主義人民共和国との関係を有しているから「無償化」から排除するのだ/されるのだ、「教育と外交(政治)は別だ!」、関係を断ち切れ、と。言うまでも無く、これは橋下の用法である。しかし、橋下だけではなく、「無償化」排除批判論者の一部にもこうした心性は共有されている。

 現在の日本で見られるのは、ほとんど(2)か(3)の誤った用法である。おそらく主観的には誤った用法との意識は無いのであろう。以前に触れた「朝鮮籍者は朝鮮民主主義人民共和国国民ではない!」と主張した共産党議員の「無償化」適用擁護論が悪意より発しているとは思わないが、結果としてこうした擁護論がもたらすのは、在日朝鮮人の権利の後退である。しかも、(2)は、(3)の朝鮮民主主義人民共和国と関係を有する教育機関は排除してよい、という主張について対決せず、事実上容認する論理に立つため、被害を拡大させることになる。

多くの場合、主観的には(2)の立場の人間は、自らを(1)と近しい立場であり、(3)とは敵対すると考えている。だから批判されると「何で味方なのに批判するんだ!」と逆ギレする場合が多い。しかし、実際に(2)が論理のレベルで対立しているのは(1)であり、(3)とは親和的である。むしろ、この(1)と(2)の対立が十分に認識されないところに、問題の深刻さがある(私の金明秀批判をめぐるnosなる人物の対応はその典型といえる)。

 いずれにしても、比較的よく使われる割には、「教育と外交は別」という言葉を用いる利点は無いように思える。使用を控えた方がいいのではないだろうか。
by kscykscy | 2012-05-16 00:00 | 朝鮮学校「無償化」排除問題
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