歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(5)

6.朝鮮民主主義人民共和国は日本が「敗戦時に捨ててきた過去」?

 以上で「帰ってきた朝鮮出兵:植民地問題をまじめに考える」をほぼ全て引用した。

 これまで見たように與那覇の朝鮮観・植民地観は極めて杜撰なものである。この本には他にも朝鮮に関する言及が散見されるが、なかでも朝鮮民主主義人民共和国に関する記述は単なる力量不足に留まらず、粗野なイデオロギーの剥き出しの発露となる。レーニンに関する箇所で触れたが、與那覇は現在の「論壇」の空気上、叩いても構わないとみなした対象に対してはおそろしく乱暴に扱う傾向があるが、朝鮮民主主義人民共和国に関する記述にはそれが最も端的に現れる。

 例えば、この本の「結論」にあたる第十章の「北朝鮮化する日本?:日本の未来予想図②」で與那覇は、「中国化」に反対する「右」の主張――「品格ある国家」「反フェミニズム」「教育基本法改正」「道徳教育徹底」「派遣労働反対」「資本の国外移転反対」「憲法停止」――を列挙し、「そこまでやったら北朝鮮と変わらないジャン」と揶揄した上で、次のように記す。 
「中国化とはグローバル化の別名ですから、あくまでも対抗して江戸時代風の社会を維持するとなったら、それは北朝鮮のように鎖国するほかない。
 むりやり日本を「再・再江戸時代化」するには、要するに「北朝鮮化」しか方法がないのです。というよりもむしろ、建国当初に「江戸時代化」したまま一切の変化を拒絶して、来るところまで来てしまったのが現在の北朝鮮だということもできます。」
  ここで何らの説明なく用いられる「北朝鮮化」なる言葉は、「江戸時代は主体思想の夢を見たか:北朝鮮問題をまじめに考える」という節で初めて登場する。
「小単位ごとの自給自足体制(それ自体が飢餓の一因となることが多い)ゆえに、統治機構のトップ(やはり、彼自身が飢餓をもたらしている疑いが強い)に解放者としての期待を託してしまうという点だけを見れば、確かに江戸時代は北朝鮮に似ていなくもない。国民の海外渡航を禁じ、極端な貿易統制を敷いているので亡命や食糧輸入の道が閉ざされている点も同じですね。
 要するに、東アジアの歴史的な文脈の上では、条件さえ整えば日本も含めてどこでも「北朝鮮化」する可能性があるのだと思っておいた方がいいのです。この感覚の有無が、あまたの北朝鮮論のうち、単なる「バッシング」と有意味な「分析」とを区別する指標になると私は考えています。
〔中略〕
 というか、むしろ江戸時代より後の日本が、共産化や個人崇拝へと突き進まず、それなりに議会制自由民主主義に似ていなくもない近代化のルートに乗れたことの方が、ひょっとすると奇跡だったのかもしれないと思うことがあります」(p.111-112)
  これは果たして「分析」だろうか。與那覇はある面からみれば「江戸時代は北朝鮮に似ていなくもない」、だから「東アジアの歴史的な文脈の上では、条件さえ整えば日本も含めてどこでも「北朝鮮化」する可能性がある」、という。もちろん、ここでも「北朝鮮化」なる概念の定義や説明は一切ない。そもそも、與那覇の「似ていなくもない」という判断は、恣意的かつ超歴史的に要素を抽出した結果なのだから、同じような「方法」を使えば、どこにでも「北朝鮮化」と「似ていなくもない」事象を探し出すことは可能だろう。なお、近代日本は「個人崇拝」ではなく、「議会制自由民主主義に似ていなくもない近代化のルート」を歩んだことを「奇跡」とする認識の問題点については後述する。

 ついでに書いておくと、この本の基本的コンセプトは「中国化」でも「江戸時代化」でもなく、この「似ていなくもない」という言葉にある。宋代の中国と現在のグローバル化は「似ていなくもない」(だから「中国化」で括れる)、江戸時代と1930年代の日本は「似ていなくもない」(だから「江戸時代化」で括れる)、江戸時代と現在の北朝鮮は「似ていなくもない」(だから「江戸時代化」≒「北朝鮮化」)、というわけだ。「似ていなくもない」史観とでも呼んでおこうか。與那覇は「この感覚の有無が、あまたの北朝鮮論のうち、単なる「バッシング」と有意味な「分析」とを区別する指標になると私は考えています」と誇っているが、普通こういうのは「思いつき」というのであって「分析」とは呼ばない。

 さて、本題に戻ろう。「北朝鮮化する日本?:日本の未来予想図②」では與那覇は続けて次のように書く。
「北朝鮮についての学術的な研究書なら、著者の政治的な立場を問わず書いてあることがですが、北朝鮮のあの特異な体制というのは、李朝の儒教原理主義的な王権や檀君神話があったところに、帝国時代の日本の天皇制や国体論、戦時下の総力戦体制や軍国主義、独立後はソヴィエト=ロシアのスターリニズムや共産中国の毛沢東主義……といった、近代の北東アジア全域からさまざまな経路で流れ込んだイデオロギーのアマルガム(ごった煮)です。
 よくもまあここまでダメなものばかり摂取したなあとも思いますが、これは笑いごとではなくて、ある意味で政治と思想は中国様式、経済と社会は日本様式という形で戦時期に実をつけた昭和日本のあのブロンが、当時植民地だったかの地域だけその後も育ち続けたとみることもできる――国体護持のためには餓死をも辞さず、という「あの戦争」を支えた日本人が、あの地域にだけはまだ残っているのだと考えれば、かの国の一見非合理な行動様式も理解がつこうというものです(和田春樹『北朝鮮』)。
 いわば私たちが敗戦時に捨ててきた過去、パラレルワールドのような「ありえたかもしれないもうひとつの日本」がそこにあるともいえるのであって、北朝鮮に言及しない昭和ブームなんてなにほどのもんなのだろう、と私は思います。
 さる朝鮮研究者の方も仰っていたことなのですが、どういうわけか昨今のわが国では、北朝鮮が嫌いな日本人ほど日本を北朝鮮にしたがる傾向がある気がします。北朝鮮でさえ核武装したのだから日本もそうしろ、経済封鎖で飢えても国家独立のためなら我慢すべき、とか。強力な外交のために報道の自由も規制しろ、政府の命令に従えない人間に人権なんか認めるな、とか。徴兵・徴農で過酷な現場に放り込んで甘ったれた国民性を叩きなおせ、とか。
 たとえばかのような人々の存在が、私が北朝鮮を東アジア史上におけるブロンの一類型と見、近隣社会の歴史的文脈ではいつでもそうなる可能性があると、判断する所以なのです。」(p.282-284)
  「よくもまあここまでダメなものばかり摂取したなあ」という嘲笑は與那覇にこそふさわしい。具体的な問題点を見てみよう。

 まず、朝鮮民主主義人民共和国は「建国当初」から「鎖国」しているわけではない。米韓との間では戦争状態が継続しており、また米韓日の経済制裁を受けているため著しく対外活動を制約されているが、数多くの国々と国交を結んでいる。また、現在の状況は明らかに90年代以降に形成されたものであって、「建国当初」からのものではない。これは別に「最新の研究」によらなくとも、教科書レベルの認識である。和田春樹の著書にも書いてある。

 また、「北朝鮮についての学術的な研究書なら、著者の政治的な立場を問わず書いてある」とハッタリをかまし、特に典拠を挙げずに「アマルガム」云々と書いているが、おそらくこの箇所は和田の「北朝鮮の政治文化の特徴はすぐれてプラグマティックな折衷主義文化である」(和田『北朝鮮』、p.134)という記述に依拠しているのだろう。和田は朝鮮の伝統文化やソ連文化、キリスト教などを挙げているが、與那覇は和田が列挙するものに「李朝の儒教原理主義的な王権や檀君神話」「帝国時代の日本の天皇制や国体論」などを付け加える。

 この記述の問題点は三つある。第一は朝鮮民主主義人民共和国の「政治と思想」を他律的なものと位置づけることである。「政治と思想は中国様式、経済と社会は日本様式という形で戦時期に実をつけた昭和日本のあのブロンが、当時植民地だったかの地域だけその後も育ち続けた」という記述からは、與那覇が朝鮮の「政治と思想」の固有性をほとんど認めていないことが読み取れる。これは中国の歴代王朝と「大日本帝国」に翻弄された存在としてのみ朝鮮をみなす、再版他律性史観である。

 第二はこれと表裏をなすが、與那覇が朝鮮の政治文化における「抗日(遊撃隊)」の要素を完全に無視していることである。和田は朝鮮を「遊撃隊国家」であると規定しており、この「遊撃隊」はいうまでもなく「抗日遊撃隊」である。和田は現在の朝鮮国家のアイデンティティの中核に「抗日遊撃隊」があると繰り返し述べている。しかし、與那覇は勝手に夾雑物を挟み込みながら、この点については一行も触れようとしない。

 この問題にもよくあらわれているが、この本の特徴は「侵略」や「植民地責任」に対する與那覇の姿勢にも示されているように、近代日本の侵略とそれに対する中国・朝鮮の抵抗――つまり(反)帝国主義/(反)植民地主義という要素を徹底的に軽視するところにある。

 そして、代わりに與那覇が持ち出すのは「近世」という要素である。以前に触れた植民地化を豊臣の朝鮮侵略の「思想の遺伝子」の残存としてのみ捉えることもそうであるし、ここで朝鮮の政治文化として「儒教原理主義」を持ち出すのもそうだ。また、與那覇は日中戦争についても「近世の衝突」(第七章のタイトル)と捉える。そこでは、朝鮮や中国の民族運動やそれを支えるナショナリズムの発展から、日本の侵略への闘いの過程で形成される抗日・反帝の側面は捨象されることになる。そして逆に「近世」社会からの連続性が強調されることにより、日本の侵略への抵抗は、「近世」社会の構造の違いへと還元されることになる。こうした一見、歴史を巨視的にとらえるかのような素振りで、実際には近代日本のアジア侵略の影響を少なく見積もろうとする傾向が、この本には散見される。これは現在の歴史系「論壇」全体の問題とも関わるので、後述したい。

 第三は現在の朝鮮は敗戦前の日本である、と規定していることである。與那覇は「よくもまあ」以下で、朝鮮への揶揄を繰り返すが、これは和田の本の次の箇所を参照したものと思われる。
 「現在の北朝鮮はある部分では戦争末期の日本に似ている。工場は動かず、食べるものはなく、買い出し生活、竹の子生活で、女たちの着物が食べ物に交換された。人々は満員の汽車に窓から乗っていた。大勝利の知らせに歓呼したことも忘れて、空襲で焦土になっても、本土決戦、本土玉砕と言われれば、それを覚悟していた、自分たちの指導者、天皇を信ずる以外ほかにどうすることもできなかった。それでいて天皇が戦争は終わりだと言えば、それを喜んで受け入れ、天皇を批判することもなく、アメリカの進駐軍を歓迎し、天皇の「人間宣言」も受け入れた。もともと天皇が現人神だなどと思ったことは一度もないのである。天皇政府が国体護持を唯一の条件としてポツダム宣言を受諾したとき、国民が考えたことは、やめられる戦争なら、なぜもっと早くやめなかったのだということだった。国民は指導者の決断を求めていたのである。
 その日本の状況を思い出せば、現在の謎の国北朝鮮をもっともよく理解できるのは日本人であるように思う」(和田春樹『北朝鮮』岩波書店、p.310)
  これは和田の本の最末尾「11 北朝鮮のこれから」の「国民の気持ち」の記述である。いわば「あとがき」的な部分といえる。注意深く読めばわかるが、和田が末尾にこの記述を挟み込んだのは、日本と朝鮮との国交正常化の必要性を日本国民に訴えるためである。それは、その直前の箇所で和田が日朝国交正常化に関連して、日韓条約を超える内容を日朝条約に盛り込むことによって日韓条約を修正することが朝鮮民族にとって好ましいと述べた後、次のように書いていることからもわかる。
 「だが、まさにその点が日本側の最大の障害なのである。91年-92年の第一次交渉のさいの日本政府の態度は基本的には65年の日韓条約締結のさいと変わっていなかった。〔中略〕しかし、日本政府としても30年前の条約と同じ文言で条約が結べるとは考えてはいないだろうが、北朝鮮は経済的に窮地にあるので、条約文にはあまりこだわらないで、すぐに妥結することを求めるだろうから、心配ないという考えもあるかもしれない。
 しかし、金日成の満州抗日戦争以来、抗日遊撃隊をモデルにした遊撃隊国家として自らを主張してきた北朝鮮は、経済危機だからといって、無原則的な妥協はできない。ここで民族間の和解のために日本政府から原則的な筋の通った条約をかち取れば、朝鮮民主主義人民共和国は民族の歴史にその存在のあかしを残すことができるのである。
 満州以来の抗日遊撃戦争が日本の謝罪で終わったと考えれば、自分たちは勝利したとみなすことができ、遊撃隊国家を終わらせることができる。日本と和解すれば、遊撃隊国家は終らざるをえないとも言える。日本と和解したあとで、「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式で」というスローガンを掲げることはもはやできないからである。
 金正日は、彼の国を遊撃隊国家から正規国家に変える課題をかかえている。自分が劇場国家の主から普通の国家の指導者に変わるためには、金日成ができなかった「人間宣言」を行わなければならないのである。日本との和解はその契機を与えるだろう。」(p.307-308)
  ここからもわかるように、和田が現在の朝鮮の国民感情と、戦時末期の日本のそれが似ていると指摘したのは、以上のような朝鮮政府の論理の説明を前提に、朝鮮国民のレベルでも「戦争をやめる」ことへの渇望が存在しており、それは戦時期末期を知る日本国民にも理解できるはずだ、と主張する文脈においてである。

 一応和田の著書においては、朝鮮の苦しい現状の原因は日本側にもあることが前提となっており、日本と朝鮮の関係性を問題にしている。しかし、與那覇はこの意味を全く理解せず、「国体護持のためには餓死をも辞さず、という「あの戦争」を支えた日本人が、あの地域にだけはまだ残っている」と別のかたちで「引用」する。そもそも和田の記述は「分析」ではないので、この箇所を何らかの分析であるかのように参照すること自体が問題なのだが、與那覇の記述では、和田の意図とは違いむしろ関係性と歴史性は一切捨象される。それどころか、誤った事実に基づいて彫琢された「北朝鮮」像が、日本の歩むべきでない未来としてのみ表象されるのである。つまり、ここでの「北朝鮮」像はああなりたくなければ「中国化」するしかないよ、という主張を補強するための道具に過ぎない。

 與那覇に限らず、現在の朝鮮は戦前の日本である、あれは天皇制である、とするレトリックは、現代日本ではむしろリベラルや左派に好まれる傾向がある。かつて大西巨人は、戦時期には沈黙・翼賛していたにもかかわらず、敗戦後突如として軍部や軍隊の非合理・暴力性を「暴露」し始めた知識人たちの姿勢を「過去への叛逆」と揶揄した。しかし、このレトリックは、ここでの「過去」に朝鮮を代入することにより、わずかながらあった「叛逆」のリスクすら欠落させた、極めて自己愛的で攻撃的なものといえる。大日本帝国という過去に批判的であるようなポーズを装いながら、その問題点は朝鮮のみに継承されたとして大日本帝国の過去そのものに向き合うことを回避し、同時に、元「帝国」の人間として、その遺産=朝鮮を何とかしなければいけない、というこれまたナルシスティックな「使命感」「義務感」に燃えることすらできる。そして、それから切り離されたところの平和で民主的な戦後日本への歪んだ自己愛を満たしつつ、右派の朝鮮脅威論に直接対峙せずに、むしろそれと癒着しながら「お前こそ日本を北朝鮮にする気か」と「反論」することも可能になる。

 こうしたレトリックは、現在の朝鮮への「制裁」をリベラル・左派が容認することを正当化するばかりか、場合によっては「人道的介入」すら後押しすることになるだろう。和田の意図はそこには無いとしても、安易に戦時期日本と朝鮮の現状を似ているとするのは、こうしたレトリックを誘いこむ危険なものだ。私は與那覇のこの杜撰な本に、そうした頽廃的な日本のイデオロギー状況の反映を見る。

(続)
by kscykscy | 2012-05-13 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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