歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(4)

5.帝国主義論と「植民地責任」

  與那覇は前回のシュンペーターに関する記述に続けて、次のように書く。
 「いまだに「日本の植民地経営が赤字か黒字か」が「植民地責任の有無を問う最大の論点」だと勘違いしている人がいますが、そもそも「植民地を保有する以上、宗主国は必ず儲けているのだ」というのは、いつまで経っても西洋資本主義諸国で社会主義革命が起きない(がロシアでなら起こせるかもしれない)理由を説明するためにレーニンがこじつけて作った話で、もともと実証的な根拠があるわけではないので、平素は反共を旨とする保守の論客が、この話題の時だけ突如としてボルシェヴィキになるというのは滑稽です(いまだに日本での革命をあきらめきれない左派の論者が、血眼になって「儲けていた証拠」を捜しまわっているとしたら、それも別の意味で滑稽ですが)。」
 さて、「日本の植民地経営が赤字か黒字か」を「植民地責任の有無を問う最大の論点」と主張する者などいるのだろうか。おそらくこれは、植民地支配は「持ちだし」だった、とする主張を念頭においたものと考えられるが、「持ちだし」論者ですら、「日本の植民地経営が赤字か黒字か」という粗雑な立論をしているわけではない。そもそも與那覇の主張では、総督府財政において支出が収益を上回っていた、という意味なのか、あるいは本国財政も含めての収支のことを言っているのか、あるいは企業経営や金融・貿易などを含むものなのか、全くわからない。

 続く記述を読むと、どうやら與那覇は「植民地経営」が赤字であったと考えているようだが、少なくとも朝鮮総督府財政のレベルでは支出が収益を上回ったことは無い。しかし朝鮮には本国財政からの補充金が投入されており、これは年間1000-1500万円規模であった。これが「持ちだし」論の論拠となるのだが、水野直樹が指摘するように、補充金が総督府財政に占める割合は5%に過ぎず、総督府財政の大部分は朝鮮民衆の負担によって成り立っていた。また、歳出もその大部分は日本人官吏の給与であり、警察・法務関係の治安政策関連支出が教育・勧業・医務衛生を超えた。つまり、総督府財政の第一の目的は植民地支配の維持そのものにあった。さらに台湾は早くに補充金無しの財政へ移行しており、「持ち出し」論の前提すら成り立たない(水野直樹他『日本の植民地支配』岩波ブックレット、p.38-39)。與那覇は論点を不正確に把握している上に、事実認識すら誤っている。

 続くレーニンへの罵倒も奇妙である。與那覇はわざわざ注までつけて「要するに先進国から順番に「進んだ社会主義」に移行していかない理由を、「西欧列強は植民地から搾取した冨で本国の労働者を買収して、革命を遅らせることができるからだ」と言い訳したのです」(p.195)と念入りにレーニンを貶める。つまり與那覇は、(1)「植民地経営が赤字か黒字か」が論点であると誤認された背景にはレーニンの議論がある。(2)しかしレーニンのそれは「ためにする議論」で根拠がない、(3)よって、「植民地経営が赤字だ」ということにこだわる「保守の論客」は、保守なのにレーニンの作った前提に乗っかっており滑稽だ、と言っているわけだが、これは極めて乱暴な単純化――というよりも、端的に言って誤った記述である。

 ここで與那覇がレーニンのどの著作を想定しているのかわからないが、仮に「帝国主義論」だとするならば、レーニンの目的が独占資本主義の「発達」の延長線上における帝国主義戦争――つまり第一次世界大戦の必然性の論証にあったことは周知の事実である。また、レーニンの「帝国主義論」は実証的なスタイルで論証を試みており、ただちに「こじつけ」であるとは言い得ないのは読んだことのあるものならばすぐにわかる。驚くべきことに與那覇のレーニンに関する記述には一切出典表示が無く、その根拠を確認することすらできない。

 おそらく、與那覇が「左右」を斬る、というスタイルの維持を最優先した結果、こうした乱雑な記述が飛び出したのだろう。またこれは與那覇が、レーニンならいくら乱暴に罵倒しても現在の「論壇」で物言いがつくことは無い、と判断していることも示している。植民地支配は持ち出しであったという植民地支配肯定論の「論拠」に持ち出されては、レーニンもたまったものではないだろう。

 続く記述に移ろう。
 「確実なのは、植民地主義とは根本的に「大きな政府」の政策だということで、朝鮮植民地についていえば、低賃金の朝鮮人労働者が内地に流入してしまうと日本人の職が失われて困るから、現地に雇用を作って人口流出を防止するために、総督府が公共事業を打ったのです(水野直樹「朝鮮人の国外移住と日本帝国」)。
 あえて現在の日本でたとえれば、これは「在日の人の雇用を在日社会内部だけでまかなえるように、公共事業は朝鮮系企業に優先して発注する」という政策と同じなので(そういう人種隔離的な発想が正しいとは私は思いませんが)、そんな話を聞いたら「ここにも在日特権が!」と眼の色を変えて騒ぎ立てそうな方々に限って「日本の朝鮮経営は赤字!赤字!」と絶叫している様子は、文字通りマンガというか、この人たち資本主義社会でちゃんと生きていけるのかなあと心配になります。」
 つまり、與那覇の理屈は、「植民地経営は赤字である」→しかしそれは植民地主義が「根本的に「大きな政府」だからだ」→実際、朝鮮植民地では朝鮮人の雇用創出のため公共事業を行った、というものである。

 さて、出典は水野直樹の論文である。この論文で水野は、「20世紀前半の世界全体を見渡しても、植民地住民が支配本国にこれほど大量に流入した例はない」(p.262)ことを前提に、朝鮮人の渡日増加が、結果として朝鮮植民地における工業化政策へと跳ね返っていくという相互作用を指摘した。

 與那覇の「公共事業」「雇用創出」云々と関連する箇所についての水野の説明は次のようなものだ。すなわち、1920年代の朝鮮人の渡日者増加は、日本では「社会的軋轢、失業問題の発生などは社会秩序を乱す要因と見なされた」(p.262)。このため、1930年に内地では「労働手帳」制度により失業救済事業から朝鮮人を排除し、1934年の閣議決定「朝鮮人移住対策要目」では渡航抑制のため朝鮮内での「安住」と朝鮮北部・中国東北への移住促進が決定された。そして、これを水野は次のように位置付ける。
 「しかし、ここで考えたいことは、朝鮮人渡航の増加が日本帝国の政策に与えたさらに大きなインパクトである。「要目」で、内地渡航の制限と合わせて、朝鮮内での生活安定、そのための窮民救済事業の実施などが決められ、さらに満洲や朝鮮北部への移住の促進が謳われた。ここには記されていないが、すでに二〇年代後半から見られた認識――朝鮮内で労働力を吸収する産業の育成がなければ朝鮮人の内地渡航を抑制することはできないとする認識――が、日本政府・植民地当局に共通して抱かれるようになったと考えられる。一九三〇年代の朝鮮では工業化が急速に進んだとされるが、その背景には、朝鮮人労働者の日本流入を抑制しなければならないという認識があったといえよう。日本の朝鮮支配は、世界史的に見て植民地工業化を許容した稀有な例としてあげられることがあるが、それは帝国本土の社会秩序維持・防衛のためにとられた政策とも関連するものであったのである」(p.264)
 つまり、一般に朝鮮植民地支配は「世界史的に見て植民地工業化を許容した稀有な例」とされるが、その背景には、「朝鮮在住労働者ガ漫然内地ニ渡航スルハ益々内地ニ於ケル内鮮人ノ失業問題ヲ深刻ナラシメ彼我相互ノ不幸ヲ招来スル」(「朝鮮在住労働者ノ内地渡航問題ニ関する調査要綱」1929、水野p.262)という要請があった、ということを水野は指摘したといえる。與那覇は「日本人の職が失われて困る」ため、と乱暴に要約しているが、厳密いえば「内地」側官庁は、朝鮮人失業者増大による「社会秩序」撹乱――つまり治安問題発生を恐れたのである。

 與那覇は植民地主義一般についての説明の論拠として水野論文を用いたが、すでにみたように水野論文は1930年代以降の植民地工業化の背景に関する考察であり、しかも、その工業化自体が特殊な事例であることをわざわざ指摘している。よって、水野論文は與那覇の説明の論拠とはなりえない。当然ながら、水野の記述は、植民地が黒字か赤字か、という「論点」とは直接には何の関係もない。さらに、実施された窮民救済事業はわずかなものであり、「公共事業」による「雇用創出」などにはあたらない。

 また、それに続く段落の「朝鮮系企業」云々は全く事例説明になっていない。そもそも1930年代以降の朝鮮へと導入されたのは大部分日本資本なのであるから、「朝鮮系企業」はアナロジーとしては極めて不適切である。それとも、與那覇は、日本が朝鮮の民族資本に投資し、それによって朝鮮人の雇用を創出した、とでも思ってるのだろうか。もしかしたら本当に與那覇はそのようなものだと誤解しているのかもしれない。そう考えると上の珍奇な記述もすべて合点がいく。

 以上の植民地をめぐる記述の最大の問題は與那覇が「「日本の植民地経営が赤字か黒字か」が「植民地責任の有無を問う最大の論点」だと勘違いしている人」を揶揄しながらも、自らが「植民地責任の有無を問う最大の論点」を何だと考えているかを示さないことにある。ここで與那覇は「左右」から超然とした自己を演出するだけで、自らの意見を開陳しようとはしない。

 ところが、最近のツイッターで與那覇は次のようにつぶやいた。
「ちょっち意外な反応が。「南京事件はあった」「植民地責任もあった」「移民受け入れに賛成」「外国人参政権も賛成」「憲法9条を守れ」って1つでも言うと最近は「左翼」らしいけど、拙著は全部入ってるし…w」
http://twitter.com/#!/jyonaha/status/198330238810337280
 「拙著」とは『中国化する日本』を指す。與那覇はこの本で「植民地責任もあった」と書いた、と主張しているが、実際にはこの本に「植民地責任もあった」と主張した箇所は無い。上に書いたようにそもそも論点すら明らかにしていない。

 例えば、上の引用に続く箇所でも與那覇は次のように書くのみである。
「この田舎侍の発想で農地を分捕りにいっただけの植民地主義は、実はただのムダ」という点に戦前から気づいていた日本人こそ、かの石橋湛山です。彼の植民地放棄論(小日本主義)とは、単なるヒューマニストの気紛れではなくて、朝鮮への独立賦与を通じて日本の道徳的名声を高めることが、最後には世界市場での日本の国際的競争力を強めることにつながると判断した上での、現実的な戦略でした――日蓮宗の家に生まれ、大学ではプラグマティズムを専攻した生い立ちならではの、グローバリゼーションと「中国化」の親和性に立脚した政策提言といえるかもしれません(増田弘『石橋湛山』)。
 しかし、最後は「再江戸時代化」が進む世界と日本の情勢が、その実現を妨げました。昭和日本は満蒙地域を中心としたブロック経済の確立に固執して、当該地域への「江戸時代」輸出にのめりこんでいきます」(p.194-195)
 石橋湛山の「小日本主義」が植民地支配責任論ではないように、「植民地主義がただのムダ」であることを指摘することは、「植民地責任もあった」と主張することとは異なる。よって、上の自分は『中国化する日本』で「植民地責任もあった」と書いた、とする記述は虚偽のものであるといえる。むしろこの本の特徴は、侵略や植民地支配責任の問題を正面から論じることを徹底的に避けるところにある。

 ところで、些細な記述ながら與那覇の「思想」を表すものとして興味深いのが、石橋の「小日本主義」が「朝鮮への独立賦与を通じて日本の道徳的名声を高めることが、最後には世界市場での日本の国際的競争力を強めることにつながると判断した上での、現実的な戦略でした」という主張である。

 増田の著書を確認したが、少なくとも石橋が朝鮮への独立付与が日本の道徳的名声を高めると主張した、という記述は見当たらなかった。むしろ、石橋は、第一次世界大戦後の世界の趨勢は「門戸開放」へと向っており、日本が中国での利権に固執すれば英米諸国から非難を受け孤立する可能性が高い、と見ていた。実際には石橋は「満州国」建国後はこれを承認して「小日本主義」を放棄することになるのだが、少なくとも朝鮮独立付与=日本の道徳的名声向上、という主張をしたという記述は増田の著書からは確認できない。

 むしろこれは與那覇の「思想」を表明したものといえる。実は、與那覇は後述する朝鮮人・台湾人の参政権「停止」に関する箇所で、「政治的な謝罪というのもまた、「やったら減るもの」じゃなくて、本来そのことによって何か(たとえば道徳的な名声)を得るためになされる一種のバーター」であると述べている。本来、植民地支配責任を承認するということは、当然ながら支配自体が誤りであったことを前提としている。よってかかる責任論に基づく朝鮮からの撤退あるいはそれに関連する弾圧的諸施策への謝罪は、マイナスをマイナスとして認める行為に過ぎない。しかし、ここで與那覇が開陳する「謝罪」観は、それによって「道徳的な名声」つまり何らかの利益を得ることを目的としている。

 こうした「思想」を持つ人間は、「謝罪」がバーターになりえないと判断した場合には、絶対に謝らない。日本政府がまともに「謝罪」しようとしてこなかったのも、そう判断してきたからであり、また、90年代に細川内閣から村山内閣にかけて「お詫び」がなされたのも、それにより何らかの利益=「国益」が発生する、あるいはしなければ不利益が生じる、とみたからだ。しかし、それがどれほど被害を受けた人びとを愚弄するものとなり、いかなる結果を生みだしたかは、「国民基金」の顛末がよく示している。與那覇の「思想」はこうした「国益論的謝罪論」を忠実に再現したものといえる。與那覇が「植民地責任もあった」と書いた、という虚偽の主張をするのは、それこそ、「左派だと誤解される自分」アピールをする方が得になると判断した結果の浅知恵であろう。

(続)
by kscykscy | 2012-05-12 00:00 | 歴史と人民の屑箱
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