自民党憲法草案批判にみる「護憲派」の朝鮮侮蔑意識

 先日、自民党が憲法改正草案を発表したが、これに対するネット上の「護憲派」による批判のレトリックがあまりに醜い。例えば、「甲賀志」@hiroujinによる『「国民の基本的人権は国家が自由に剥奪できます」という自民党改憲案のトンデモ内容まとめ』である。

 ここで@hiroujinは、冒頭から「自民党の改憲草案が北朝鮮じみていて、失笑すらわいてこなかった」「基本的人権や財産権にしても「公益及び公の秩序に反する」と判断されれば簡単に剥奪される。一体これはどこの北朝鮮の憲法なのだ? この憲法を制定させたら最後、日本国民一億人は全員、自民党の奴隷と化すのは確実だ。」などと、繰り返し自民党の憲法草案が「北朝鮮じみてい」る、「北朝鮮の憲法」のようだ、というレトリックを用いて自民党の憲法草案を批判する。

 また、このまとめへのコメントも「こんな憲法案を出す様な自民党員なる方々は、少なくとも建前上は自由で民主的な国では生き辛かろう。北朝鮮にでも亡命されては、いかがだろうか??」「国家がどこまで公共の福祉のために個人の権利を抑制出来るか、その限界を定めるのが民主主義国の憲法。政府が勝手に個人の権利を定義していいのは中国や北朝鮮。政府に個人の行動を制約する権利を無制限に与えるのがこの改憲案。」など、中国や朝鮮を引き合いにだしながら、自民党の憲法草案を罵倒するものが続く。

 他にも関連するツイートとしては「反原発芸人」を自称する「モン=モジモジ」@mojimoji_xの「自民党の憲法草案関連のTWを最初に見たとき、ほとんど憲法停止みたいな話だったから、アフリカかどっかの国の話かと思ったよ。よもや自民党だったとは。この国、すごすぎ。」というものもある。この「モン=モジモジ」に至っては「アフリカかどっかの国」などと、もはや具体的な国名すら挙げずに自民党批判のレトリックに援用している。

 こうしたレトリックは「左派」政党にまで浸透している。例えば、日本共産党の機関紙『赤旗』の政治部記者は次のようにつぶやいた。

「「国防軍」に「秘密保全」から「軍法会議」まで、まるで最近、例の「打ち上げ」に失敗したどこかの国のよう…。そんな自民党「憲法改正草案」の現物はコチラ→ http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf (J)」
https://twitter.com/#!/akahataseiji/status/195830409240641536


 この「「打ち上げ」に失敗したどこかの国」は、明らかに朝鮮民主主義人民共和国を指している。そもそも朝鮮の正規軍は「国防軍」という名称ではなく、憲法にも「秘密保全」「軍法会議」に関する条文は存在しない。逆に、世界的にみればこれらにあてはまる朝鮮以外の国が存在する可能性は大いにあるにもかかわらず、あえて自民党の憲法草案が「例の「打ち上げ」に失敗したどこかの国」のようだと語る。つまり、この『赤旗』記者は、日本の反朝鮮情緒に訴えかけるかたちで、これを自民党批判に転用しようとしているのである。自民党の憲法改正草案に対し、決して論理のみによらず、日本人読者のなかにある反・朝鮮情緒を自らの側へと動員して批判しようとする野卑な心性が垣間見える。

 一方では「北朝鮮のミサイルに備えよ」「中国の脅威に備えよ」と改憲を主張し、他方では「お前こそ日本を北朝鮮や中国のようにする気か」と護憲を語る。これが2012年の日本の寒々しい憲法論議の光景である。

 とりわけ護憲派の自国の憲法をめぐる現状に対する陶酔ともいえる優越感と、それと裏腹の中国・朝鮮への侮蔑感は見ていてうんざりする。もし一片の良識があるならば、一度として政府に憲法をまともに守らせることのできなかった自らの非力と、「平和憲法」を自称しながら周辺諸国の脅威であり続けてきた「戦後」の歴史を恥じこそすれ、上から目線で朝鮮や中国をダシにして「護憲」を唱えるなどできないはずである。

 この憲法論議が恐ろしいのは、「護憲派」は主観的には改憲派に対抗しているつもりかもしれないが、結局は改憲論者と朝鮮・中国への侮蔑意識を共有している点にある。いやそれどころか、護憲派と改憲派は、日本人の中の「北朝鮮」に対するネガティブな感情を、互いに奪い合っているとすらいえる。もはや護憲派にとっても、他国に対する偏見や排外主義的情緒は、克服すべき対象ではなく、取り込み、動員すべき資源なのであろう。「護憲派」は劣情の動員競争で右翼やファシストに敗北することは間違いないが、「護憲派」たちは負けながらも朝鮮侮蔑意識の固定化にだけは寄与することになるだろう。

 早くから金光翔氏が「〈佐藤優現象〉批判」などで繰り返し指摘したところであるが、「朝鮮脅威論」「中国脅威論」と共存しうる護憲論(例えば「超左翼おじさん」こと松竹伸幸などはその典型だが)は、この間、日本のリベラル及び左派勢力が一貫して追求したことであった。今回の自民党憲法草案への「批判」には、そうしたリベラル・左派の病理が端的に現れているといえる。総保守体制下の憲法論議にふさわしい光景といえよう。

*参考
閑話休題 戦後日本と憲法九条の教訓 
http://kscykscy.exblog.jp/10830734/
筑紫哲也の反テロ戦争的「情」について
http://kscykscy.exblog.jp/10338360/

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追記

 ブログ「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント 」で重要な指摘がなされていた。「本当に平和を望んでいるんだ、9条護憲だ、と言うならば、「北朝鮮のロケットが国民6年分の食料費などというのは嘘だ! 北朝鮮は日本にとって脅威ではない!」と断固主張してみるが良い。絶対に無理だろうが。彼らにとってはそんな事よりも、口先だけ平和主義・護憲派を自称して自分が「良識派」であるかのように装う事の方がずっと大事なのだ。」という指摘は全くその通りであると思う。

「こういう「良識派」ぶった日本人学者の方がタチ悪い 」
http://sgwse.dou-jin.com/Entry/405/
by kscykscy | 2012-04-29 00:00 | 日朝関係
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