続々・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判

1.はじめに

 金明秀氏(以下、敬称略)が私の「抗議」に接し、一連のツイートを投稿した。しかし、ツイートは抗議への弁明や訂正ではなく、私の批判に対する反批判である。抗議に対する弁解は無い。本来ならば、これらの非難の撤回を前提とすべきだが、この度の金の反批判にも数多くの誤りが含まれているため、問題点に即して逐次検討したい。

*参考
金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判
続・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判(以下、続編記事)
金明秀氏の筆者に対する不当な非難への抗議(以下、抗議記事)


2.「朝鮮大学校あたりの人」について

「ぼくがふと別件で書くことを思い立って、たまたまアクセスしなければ、半年だろうが一年だろうが読まれずに放置されていたわけでね。「緊急で…抗議する」というなら、こちらのツイートを読んだその場で@を付けて反論してくればいいものを。疲れるなぁこの人。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195858336275632129

「別件というのは、(1)かつての記事からこの人を「朝鮮大学校あたりの人」と思い込んでいたが、続編の書きぶりは研究者の思考様式とは異なるので、おそらく見当外れの見立てだった、(2)同業者なら同じ土俵で論じることができるだろうにと書いたが、1を前提とするなら的外れだった、ということ。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195859509506355200


 これは明らかにおかしい。抗議記事を読めば明らかなように、金が私を「朝鮮大学校あたりの人」だと推定したツイートは、続編記事についての感想としてつぶやかれたものだ。当然ながら、最初の記事への感想ではない。にもかかわらず、「かつての記事からこの人を「朝鮮大学校あたりの人」と思い込んでいたが、続編の書きぶりは研究者の思考様式とは異なるので、おそらく見当外れの見立てだった」とはどういうことだろうか。もし続編を読んで「見当はずれの見立てだった」と思ったのならば、なぜ続編記事に対し「朝鮮大学校あたりの人」と推測したのか。これは全く成り立たない弁解である。なぜこのような明らかに虚偽の弁明をするのか、私には理解しかねる。

 なお、念のため断っておくが、私は自らが「朝鮮大学校あたりの人」ではない、そのような推定は誤りだ、と弁明しているわけではない。前回の抗議記事でも書いたように、金のふるまいは、批判対象の属性を無根拠に推定し、かつ、その推定に基づき批判対象を不当に印象操作することによって、批判内容そのものの信頼性に打撃を加えようとする悪質な「人格攻撃」である、と主張しているのである。


3.「人格攻撃」について

「しかも、ぼくのツイート群をつまみ食いして印象操作かw それでよくも人格攻撃じゃないなどと言い張れたもんだな。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195860662243700737


 私はつまみ食いではなく、関連するツイートを全文掲示し、私の批判が「人格攻撃」ではなく内容への批判であることの証明を試みた。確かに私の口調は激しいが、それは金の人格攻撃に向けられたわけではない。「つまみ食い」とは具体的にどの部分を指すのであろうか。金は根拠を提示すべきである。


4.「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」との主張に対しては、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが「有効な打撃を与える」リスク・コミュニケーションだ、という金の主張は誤っている、という私の批判について

「愛読者になっていただいたらしいから、あなたが設定したアジェンダに沿って答えてあげましょう。論点1はエビデンスがない。つまりはあなたの思い込みです。一方のぼくはといえば、傍証ぐらいはあります。一応はプロの研究者なのでね。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195861654112698368


 これは反論というより、最大限好意的に解釈しても反論の予告である。私としては新たな反論をする必要を感じないため、初めの批判記事の該当箇所を再掲するに留める。

 「「リスク社会」云々は一種のハッタリと考えられるので無視して構わないだろう。ここでの核心は、高校「無償化」除外に対し在日朝鮮人は「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが有効だ、という部分にある。さて、在日朝鮮人は高校「無償化」除外に際し、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するべきだろうか。また、そうした反論は果たして有効だろうか。
 現状をみるに、確かに朝鮮高校や在日朝鮮人団体のうち、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という理屈で「無償化」除外反対を訴えるものはいない。理由は明白であろう。そもそも事実に反するからである。朝鮮学校は在日朝鮮人の民族教育のために存在しているのであり、「日本の国益」とは無関係である。市民社会に訴えるために「日本の多文化共生に役立っている」くらいは言っている朝鮮人団体もあるかもしれないが(それ自体大変危うい主張であると思うが)、さすがに「朝鮮学校は日本の国益につながっている」はない。
 何より、「日本の国益につながっている」などという理屈は事実に反する上、これまで日本政府の弾圧政策にも屈せず民族教育を継続し、担ってきた在日朝鮮人一人ひとりの歴史と尊厳を毀損するものである。金明秀氏のいうように「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という理屈を用いて仮に「無償化」適用となったとしても、私は、その後永久に朝鮮学校は「日本の国益」という鎖につながれ、また、数多くの在日朝鮮人の尊厳を傷つけることにより、金銭ではあがないきれないほどの大きな「損害」を蒙ることになるのではないかと考える。」(「金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」



5.「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」との主張に対しては、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが「有効な打撃を与える」リスク・コミュニケーションだ、という金の主張には有効性が無い、という私の批判について

「論点2もあなたの思い込み。『人権と生活』にも書いたとおり、この点に関するぼくの主張は多数のエビデンスを前提としている。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195862078123278336


 これも同様であるため、私の批判を再掲する。

 「ただ、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」というレトリックはおそらく「有効」ですらない。金明秀氏は「有効な打撃」を与えうると主張しているが、実際にはむしろ逆の効果しか生まないことは明らかだ。そもそも、「日本の国益」という言葉は、その性質上日本政府あるいは日本人マジョリティに独占的な解釈権がある。一度「朝鮮学校は日本の国益につながっている」などというレトリックを用いたが最後、今般の情勢をみればわかるように、政府や自治体、マスコミ、右翼、ネットイナゴが朝鮮学校に押し寄せて「日本の国益」に反する「事実」を無限に挙げ続けるだろう。これに反論するのは困難である。何より金明秀氏自身が認めているように、「この種のデマは事実に基づいて形成されるのでなく、情動的側面が強いため、反証する事実を示すだけでは修正されにくい。しかも、「反日教育」というあいまいで都合のよいマジックワードが、あらゆる反論を無効化してしまう」からである。よって有効ですらない。」(「金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」


6.金は自らの主張は「ネトウヨ」の「認識フレーム」を転換させるものだ、と主張したが、金の主張はむしろその「認識フレーム」にとどまることを積極的に主張したものである、という私の批判について

「論点3。ぼくは「ネトウヨ」の「フレーム」を転換するということは論じていないつもりなのだけどね。いま自分の原稿を確認してみたが、やはり書いていない。藁人形を勝手にこしらえてぼくの名前を張り付けられても、それはぼくじゃないよ。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195863162929688576


 これはあまりに明白な言いがかりである。金は2012年1月9日、私の批判への弁解として、次のようにつぶやいた。

「ぼくが試行錯誤して見つけた中では、「朝鮮学校は日本の国益になる」というレトリックがネトウヨの認識フレームを揺るがす効果を持っているというだけの話。手段として有効な別のレトリックがあるなら、それを使えばいい。 @gurugurian @mujigedari」
https://twitter.com/#!/han_org/status/156291332254613504


 このように、金は明確に「「朝鮮学校は日本の国益になる」というレトリックがネトウヨの認識フレームを揺るがす効果を持っているというだけの話」と自らのエッセイについて補足説明をした。私は決して揚げ足をとっているわけではない。そもそもこのツイートがあったからこそ、私は「ネトウヨ」の「認識フレーム」云々に言及したのである。しかも、私は続編記事でわざわざこのツイートを引用し、次のように批判した。

「しかし、一方で金は、私の批判への弁明として「あのエッセイで最も重要な論点は、認識のフレームを転換するような運動が必要だということ」「「朝鮮学校は日本の国益になる」というレトリックがネトウヨの認識フレームを揺るがす効果を持っているというだけ」とも述べている。しかし、「朝鮮学校は日本の国益になる」というレトリックは、「国益になるなら無償化してやる」という「認識フレーム」を前提にしている。「国益にならない」と思ってる「ネトウヨ」に、いや国益になるよ、と言い返すことが「認識フレームを揺るがす」ものではないことは明らかである。金は「国家の敵」云々の箇所でも「その不正義を許容できるのか」と結論をぼかして書いているが、これはおそらく「その不正義を許容して、それを前提に戦うべきだ」と書いてしまうとあからさまに卑屈であるため言いづらいが(実際には金の主張は卑屈なのだが)、「その不正義を許容すべきではない」と書くと自らのエッセイと矛盾することになるからだろう。」(「続・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」)

 以上の事実から、私に対する「藁人形を勝手にこしらえてぼくの名前を張り付けられても、それはぼくじゃないよ」という批判はあたらない。金への批判としては上に掲げた主張に付け加えるものは無い。


7.金は「歴史的、現在的日本の加害を問わない、日本国民国家の枠組みの中での「多文化共生論」や「在日論」などは、抑圧者の論理と支配に加担する犯罪行為だとさえいえる」との徐勝の主張を好意的に引用し賞賛しているが、むしろ金の主張こそが「日本国民国家の枠組みの中での「多文化共生論」や「在日論」」である、という私の批判について

「論点4。あなたがまったく理解できていない重要な論点が少なくとも2つあり、その一つがここだ。ナショナリズムと一口に言っても、多様なスタイルが実践され、提案され続けている。あなたが70年代的なナショナリズムしか想定できないからといって、ぼくもそうだと決めつけられては困る。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195864159123021827


 確かに私には、金のこのツイートも含めて、なぜ金が徐勝氏の批判を肯定的に引用するのか理解できない。

 むしろ金のエッセイの趣旨からすれば、徐勝の主張は批判の対象になるのではないだろうか。なぜなら、金は短期的に見た場合、マジョリティの認識フレームを転換させるのは困難であるから、その枠内での主張を行うべきだ、と主張しているからである。これはあてこすりではなく、単純に論理の問題として徐勝の指摘は金のエッセイの主張とは全く異なるものであり、むしろ金の主張は徐勝の批判対象であると思う。もちろん、私は金の主張と徐勝のそれが異なること自体が非難の対象になるとは思わない。率直に言って、単純に論理のレベルでなぜ金が徐勝氏のあの指摘を賞賛するのか私には理解できない。ただ、その要因は、私の理解力の不足ではなく、金の自説に対する理解力の貧しさにあると考える。


8.金は、宮台との論争についての私の記事が「誤解」であると主張するが、誤解ではない、という私の主張について

「論点5。ぼくは宮台氏に粘着しているわけではないので、彼がその後どういう主張を展開しているか知る由もない。が、あの議論の場面で彼は自説の誤りを明確に撤回し、その後は少なくともぼくが知るかぎり、ぼくが批判した内容の発言はしていない。あなたはリアルタイムで見てたわけじゃないんでしょ?」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195865270777167872


 ここにも問題のすりかえがある。私は以前、金と宮台のやり取りについて次のように記した。

「つまり、宮台によれば日本政府は「『在日=強制連行』図式」を前提に在日朝鮮人の法的地位に関する政策を採ってきたのであるが、その「図式」は虚偽であるため「在日政策」も変更すべきである、ということになる。よって特別永住外国人が日本国籍を取得しないまま地方参政権を取得することには反対だ、というわけだ。
 宮台の議論については金明秀がこれを批判して、両者の間に若干の論争があったようだが、この部分については全く触れられぬまま終息を迎えたようである。私は宮台の議論は「『帰化すればいい』という傲慢」ともいえるものであり、ヘイト・スピーチであるという金明秀の結論に賛同するのであるが、なぜ金がこの点に触れず、また、宮台がこの説を維持しているのにも関わらず矛をおさめて和解したのか理解しかねる。
 問題点は極めて単純である。宮台のいうところの「『在日=強制連行』図式」に則って日本政府が「在日政策」を立てたことなどあるのか、ということである。私の知る限りそんなことは一度も無かった。もしあるというなら宮台は論拠を示すべきだろう(まさか小学校時代の教師の言が証拠とでもいうのだろうか)。」(「戦後日本政府の在日朝鮮人「政策」と強制連行問題」)


 また、続編記事で私は次のように記した。

 「実はこのブログで金に言及したのは今回が初めてではなく、以前にも一度宮台真司の問題と関連して触れたことがある(戦後日本政府の在日朝鮮人「政策」と強制連行問題)。
 その時私は、宮台が、日本政府がこれまで現存する在日朝鮮人の大多数は強制連行による被連行者及びその子孫であるという「図式」に基き「在日政策」を立ててきた、という驚愕の新説を主張したことに触れ、金がなぜ宮台がこの主張を取り下げていないにもかかわらず和解したのだろうか、と書いた。これに対し、金は「ありゃ、kscykscy氏に誤解されておる。ちょっと凹むなぁ。その「驚愕の新説」を取り下げたので「矛をおさめて和解した」のだけど…。」とあたかも私が「誤解」したかのようにつぶやいた。
しかし、少なくともネット上にある文章を見た限りでは、宮台は、日本政府がこれまで現存する在日朝鮮人の大多数は強制連行による被連行者及びその子孫であるという「図式」に基き「在日政策」を立ててきた、という認識を誤りとは認めておらず、私は誤解だとは思っていない。もし誤解というなら証拠を示すべきだろう。」(「続・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」)


 ここからもわかるように、私は論争の「その後」の宮台の主張を問題にしたわけではない。

 私は論争を「リアルタイム」で読んでいたが、なぜ宮台が、日本政府がこれまで現存する在日朝鮮人の大多数は強制連行による被連行者及びその子孫であるという「図式」に基き「在日政策」を立ててきた、という主張を修正していないにもかかわらず、金が批判の矛を収めたのか純粋に疑問に思ったのである。金も日本政府がこのような認識を前提に在日朝鮮人への政策を立てたとは思っていないであろうから、不思議に思い、それを指摘したのである。しかしこれに対し、上に挙げたように、金はその指摘は私の「誤解」であるとツイートした。

 確かに宮台は自説の一部を修正した。しかし、当時の宮台のツイートをみる限りでは(私も「その後」の宮台のツイートは見ていない)、上記の点についての自説修正は無かった。このため、金による「誤解」との指摘は大変意外であった。私としてもそれなりに探索したが、現時点では金による私の主張が「誤解」だとする指摘は妥当性を欠くものであると考えている。


9.「リスク社会」というハッタリについて

 「さて、あなたが自分で設定したアジェンダは以上の5点だったみたいだけど、大事な論点が一つ抜けてるんだよね。「金のいう「リスク社会」云々はハッタリである」というあなたの認識の妥当性だ。先ほど書いた、あなたが理解できていないことの一つがそれ。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195865754778865664

 「なるほど、「ハッタリ」だという指摘は完全な誤りというわけでもない。震災直後、リスク論に世間の注目が集まっていたので、いい機会だと思って名前を借りたという側面は確かにある。また、本来の論点は「再帰的近代における他者論」なので、ベックよりもさらに適切な研究者はいる。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195866565894356993

 「でもね、「再帰的近代(あるいはリスク社会あるいは排除型社会)における他者」という問題設定そのものはハッタリじゃないんだよ。あなたの言うとおり、ベックはそういう趣旨では書いてないんだけど、この分野ではむしろオーソドックスな問題設定なんだ。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195867108020723712


 この金の弁明に、私は正直困惑せざるを得ない。エッセイを読めば誰しも理解できると思うが、金は明らかに「リスク社会における「他者」」を論じると表明し、ベックを参照した。しかし、ここに至ってエッセイの「本来の論点は「再帰的近代における他者論」」である、論点を理解しろという。後出しジャンケンそのものである。率直に言って、あのエッセイから「「再帰的近代における他者論」という「本来の論点」」を見抜くことなど不可能である。また、「再帰的近代」と「リスク社会」そして「排除型社会」は明らかに異なる概念である。これを安易に並列して、付け足し的に言い逃れようとする姿勢には「社会学者」としての誠実さを疑わざるを得ない。

 また、私は「「リスク社会における「他者」」という問題設定そのもの」がハッタリであると述べているのではない。私は続編記事で次のように記した。

 「ちなみに、前回の記事で私は金のいう「リスク社会」云々はハッタリであると書いた。理由は金のベックからの引用はほとんど意味がないからだ。確かにベックは「危険社会」がスケープゴート社会への内在的な傾向を含んでいると指摘しているが、その際に、「他者」の側が「リスク・コミュニケーション」をする必要があるなどとは一言も書いてない。金のベックからの引用はすべて『危険社会』からのものだが、そもそも「リスク・コミュニケーション」なる語自体が『危険社会』には登場しない。よって私はベックへの言及はその社会科学的分析を前提にするためではなく、自らの主張を粉飾するためのハッタリと判断した。エッセイは金の地の文章として読めばそれで十分である。」。」(「続・金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」)
 

 ここからもわかるように、私は金によるベックの引用そのものがハッタリである、と述べた。エッセイにおける金の主張の根幹をなす部分はベックとは何ら関係ないため、あくまで金の地の文章としてエッセイを読めば十分だ、と指摘したのである。

 なお、誤解を避けるために断っておくが、私はハッタリとしてのベックの引用自体を非難するつもりもない。短いエッセイであるから、引用が断片的になることは十分ありうる。しかし、あのエッセイには、「リスク・コミュニケーション」云々についてもベックが主張しているかのように読めてしまう不親切さがある。このため、ベックとは無関係に、金の地の文として読めば十分であると釘を刺したのである。もちろん、ベックと無関係な金の地の文であることが、それ自体として文章の妥当性を損なうものでもない。

 「日本(と朝鮮籍在日)に固有の問題ももちろんある。歴史性を度外視しては何も語れない。でもその一方で、これは世界的に同時に進行している現象の一部という側面もある。その両者を視野に入れることで、この困難な状況を生き抜く活路を見出そうというのが『人権と生活』のエッセイの趣旨だった。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195868220891217920

 「ぼくは何度も何度もそのことを指摘したはずだが、あなたは一貫してその論点をスルーした。それこそ、この問題を認識するフレームを持ち合わせていないか、あるいは意図的にぼくの論点を矮小化しようとしているかのいずれかでしょうね。いずれにせよ、議論が成立する状況じゃない。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195868864616214528


 「~という側面もある」までの箇所は、「日本(と朝鮮籍在日)」と並列する意味が不明なのを除けば、一般論としては同意する。しかし、金のエッセイは、日本の固有性と、世界的な同時進行現象であるという側面「を視野に入れることで、この困難な状況を生き抜く活路を見出そうという趣旨」に留まるものではない。これについてはすでに再三述べたので、繰り返す必要はないと思う。また、金は「何度も何度もそのことを指摘したはずだが、あなたは一貫してその論点をスルーした」と述べているが、私は金のベックを援用した「リスク社会」及び「リスク・コミュニケーション」論はベックとは関係の無いハッタリである、とすでに述べた。「ハッタリ」については、上に挙げたツイートで明らかなように金自身も認めている。私は決して論点をスルーしていない。


10.結び

「批判自体は歓迎です。それが適切な論点であれば、なおありがたい。でも、あなたの続編以降のそれは、批判という形式をかたった攻撃感情の発露でしかない。自分の正義に酔っぱらっていると、落とし穴に落ちますよ。」
https://twitter.com/#!/han_org/status/195870277870161921


 以上からもわかるように、私の批判は金に対する「攻撃感情の発露」ではなく、金の主張への批判である。私は金の人格に問題があると言っているのではなく、また、金を攻撃することそのものを目的にしているのでもなく、金の主張が誤っている、と述べているのである。

 また、前回の抗議の繰り返しとなるが、金に対し、私の主張が「陰で人格攻撃」「卑劣な対応」「言いがかり」「主張の内容ではなく人格を攻撃する愚論」であるという非難を撤回することを求めて、この記事の結びとしたい。
by kscykscy | 2012-04-28 00:00 | 朝鮮学校「無償化」排除問題
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