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福島は「植民地」なのか――高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』について

 高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2012)を読んだ。ここで高橋は繰り返し沖縄と福島をはじめとした原発立地地域は戦後日本の「植民地」である、と述べている。以前、徐京植のドキュメンタリーやコラムに触れた際、原発労働や原発被災を安易に植民地支配のアナロジーで語ることの問題に言及したが、この本で高橋は「植民地としての沖縄・福島」論を相当な紙数を割いて展開している。以前に批判した徐京植のそれと同様、そこでの論理展開は大変に問題があるため以下に指摘したい。

 *以下の記事も参照
  「フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての"3.11"」批判
  http://kscykscy.exblog.jp/16234278/
  徐京植を読み直す――「反動的局面」と現在(1)
  http://kscykscy.exblog.jp/17810683/

 この本の趣旨は戦後日本の根幹には戦前より引き継いだ「犠牲のシステム」があり、沖縄の米軍基地と福島は原発は戦後日本の「犠牲のシステム」そのものである、というところにある。そして高橋は、原発が「犠牲のシステム」であることに触れた後、「植民地主義」という節で次のようにいう。

 「ここで立てなければならないのは、次の問いである。すなわち、戦後日本の「国体」ともいうべき日米安保体制もまた犠牲のシステムであり、そこで犠牲とされたのはまさに沖縄ではなかったか。〔中略〕もちろん、両者〔福島と沖縄:引用者注〕の違いを軽視することもできない。「銃剣とブルドーザー」で建設され、そのまま居座り続ける米軍基地と、立地自治体からの誘致を前提とする原発とは同じではありえない。だが、その他もろもろある違いを踏まえたうえで、両者の類似点を考えていくと、そこに浮かび上がってくるのはやはり一種の植民地主義ではないか、という思いを禁じえない。戦後日本国家は、一つには米軍基地の沖縄への押しつけというかたちで、もう一つには原発の地方への集中立地というかたちで、中心と周縁とのあいだに植民地主義的支配・被支配の関係を構築してきたのではないだろうか。」(73-74頁)

 つまり高橋は沖縄への米軍基地押しつけ、原発の地方への集中立地は「植民地主義的支配・被支配の関係」であるというのである。当然ながら、原発の地方への集中立地は朝鮮や台湾支配と同じということか、という疑問が浮かぶが、これに対して高橋は次のように述べる。

 「「植民地主義」という同じ言葉を使うことによって、私は、戦後日本における東京と福島、ヤマトと沖縄、旧日本帝国における日本と朝鮮・台湾といった諸関係を、同一視しようというのではまったくない。/福島は沖縄に対してヤマトの一部として、朝鮮・台湾に対しては日本の一部として、植民地支配する側にあったのであり、沖縄でさえ朝鮮・台湾に対しては、日本の一部として植民地支配する側に位置づけられてしまう。このように「植民地主義」といっても、質的な違いがあることは言うまでもないのだが、にもかかわらず私があえてその言葉を使おうと思うのは、日本国家の植民地主義的性格がいかに根深いかを強調するためにほかならない。戦後日本においても植民地主義は、沖縄を犠牲とする日米安保体制というシステムとして、また原発という犠牲のシステムを国策とするというかたちで、今日まで生き残ってきたと言わざるをえないと思う」(74)

 一方で朝鮮・台湾への植民地主義とは「質的な違いがある」と言いながら、しかし「日本国家の植民地主義的性格がいかに根深いかを強調するため」に、あえてそれを植民地主義と名指すというのである。この「あえて強調する」という姿勢には非常に本質的な問題が含まれていると思うが、これについては後述する。こうした議論からは、質的な違いがあるならば、それは植民地主義とはいえないのではないかという疑問が浮かぶが高橋は他の箇所でも、確かに朝鮮・台湾とは違う、でも植民地といえる、という論法を繰り返す。例えば次の記述。

「〔原発をめぐる:引用者注〕首都圏(中央)をはじめとする都市部と地方とのあいだに、一種の植民地支配関係があることを示してはいないだろうか。つまり、そこには法的・制度的な意味での植民地は存在しないが、沖縄の場合と似た意味で、事実上の植民地主義が作用しているのではないか。原発の場合でも、その利益を享受している植民者側の人々は、それが植民地主義であることをふだん意識することはない。ということは、ここにもまた無意識の植民地主義が存在するのではないだろうか。〔中略〕

 
 もちろん、沖縄と福島の「植民地」としての位置は同じものではない(「福島」という名前は、ここでは福島県を指すと同時に、全国の原発立地地域の象徴でもあるような名前として使いたい)。/植民地支配は、かつての日本でいえば典型的には朝鮮や台湾などで行われていたものであり、そこには法制度上も明白な差別が存在した。〔中略〕旧日本帝国において沖縄は、朝鮮や台湾とは区別された内国植民地であって、沖縄の人々も朝鮮や台湾に対しては、「日本人」として植民地支配者の位置にあったということができるだろう。/だから、日本がかつて朝鮮や台湾を植民地支配したことと、戦後日本において沖縄が一種の植民地であったことを同じ意味で語ることができないし、ましてや福島や原発立地地域が中央や都市部の一種の植民地であるということを同じ意味で語ることはできない。朝鮮や台湾が日本の植民地であったという場合の「植民地」、戦後日本において沖縄がヤマトの一種の植民地であったという場合の「植民地」、さらに、福島や原発立地地域が中央・都市部の一種の植民地であるという場合の「植民地」、これらそれぞれにおける「植民地」の意味は決して同じではない。

 
 さらに、ここで比較の対象としている沖縄と福島の違いについていえば、沖縄の米軍基地は沖縄県民が誘致して存在しているわけではないという明白な事実がある。〔中略〕それに対して、福島などの原発立地地域では、当該の原発立地自治体が誘致してはじめて原発は立地できる。そこでは一応、地方自治という建前のもとで議会が誘致決議をし、首長がそれを誘致するかたちをとっている。この違いを無視することはできない。/沖縄と福島には、このような無視できない違いがいくつも存在する。にもかかわらず、やはりそこには一種の類似した植民地支配関係が見てとれるし、そのように見ることによって浮かび上がってくる重要な面も存在するはずだと私は考える。」(195-198)


 朝鮮・台湾の「植民地」、沖縄の「植民地」、福島の「植民地」のそれぞれの意味は「決して同じではない」とまで言いながら、それでも「植民地」と規定する理由は何か。ここで高橋は沖縄と福島に共通する「植民地支配関係」の類似点として以下の三点を挙げる。

「まず第一に、いずれの場合にも、そこには構造的な差別がある」(196-198)
「第二の類似点として、経済的な利益によって、そのリスクや負担、すなわち犠牲が補償されるかたちをとっていることが挙げられる。沖縄あるいは福島は経済的に困っているので、そこに米軍基地を置くこと、あるいは原発を立地とすることと引き換えに、中央政府から経済的な利益を提供する、という構図である」(199)
「沖縄と福島の第三の類似点として、このような構造的差別、意識的・無意識的な植民地主義を隠蔽するために、「神話」が必要とされてきたということが挙げられる」(205)


 なお、第三の類似点は具体的には沖縄の場合は「抑止力の神話」であり福島の場合は「安全性の神話」、そしていずれも国民の総意により選択されたという「民主主義の神話」がこれを支えているという。

 率直に言って、これは全く「「植民地」としての福島」の説明になっていない。これらの類似点をもって「植民地」であるといえるならば、もはや「植民地」という概念にはほとんど意味が無くなってしまう。これは「何世代にもわたり健康と生活に決定的な損傷を与える」ことをもって原発事故と植民地支配は類似していると記した徐京植も同様である。そもそも高橋は沖縄の米軍基地と福島の原発の類似点を挙げているが、これらと朝鮮・台湾への植民地支配との類似点を挙げていない。沖縄と福島にはこれだけ類似点がある、沖縄は植民地である、だから福島も植民地である、という理屈になっている。朝鮮・台湾への植民地支配とは「質的に違う」ことを認めるにもかかわらず、それでもなお「植民地」だといえるのはいかなる理由からなのか。これに対する高橋の答えは無い。

 私はこうした安易な「植民地」概念の濫用は、植民地支配への正確な認識を妨げる結果を生むと思う。例えば、上の「類似点」をみても、第二の点は明らかに朝鮮植民地支配にはあてはまらない。基地や原発の設置と引き換えに「経済振興」が与えられるという構造は、高度成長期における開発主義国家の利益誘導ではあっても、植民地主義のそれではない。朝鮮植民地支配において物的・人的な収奪を可能にしたのは、見返りとしての「経済振興」ではなく、暴力である。高橋は植民地主義の問題を国内における地域間の差別と格差の問題に矮小化していると言わざるを得ない。

 このように、高橋において「植民地」は概念というよりも地域間格差の比喩として用いられているのであるが、問題はそうまでしてなぜ福島=「植民地」という比喩を用いる必要があるのかである。これについて高橋は「私があえてその言葉を使おうと思うのは、日本国家の植民地主義的性格がいかに根深いかを強調するためにほかならない」と述べている。一種の戦略として「植民地」という言葉を用いているというのである。つまり、原発被害の延長線上に沖縄の米軍基地を展望し、そして他方で朝鮮・台湾への支配の歴史へと遡行しうるようなものとしての、「福島=植民地」規定とでもいえるだろうか。

 だが私はこうした論理構成は、高橋自身の「戦後責任」論の論理自体を覆す可能性すらある危うい議論だと思う。例えば沖縄の米軍基地の問題は、確かにそれを押し付けられた地域住民への被害の問題でもあるが、より本質的にはその銃口を向けられた相手に対する加害の問題――「他者」との関係の問題であるはずだ。歴史的にみるなら、沖縄の米軍が朝鮮、ベトナム、そして中国に対する脅威になり続けてきたこと、そしてそれを「復帰」後も日本政府と国民が支持し続けてきたことであろう。この点を外してしまうと、基地問題は他のいわゆる迷惑施設の問題と変わりが無くなってしまう。しかし、福島―沖縄―朝鮮・台湾を「植民地」で結ぶ、という発想は、「福島=植民地」というアクロバットな規定で「植民地」という本来「他者」であったものを日本という「自己」の内に取り込み、そこから「他者」無き沖縄、「他者」性を排除された朝鮮・台湾への共感を紡ごうとするものである。これはまさしく90年代における加藤典洋の論理ではないだろうか。

 「福島=植民地」規定はこのように考えると、高橋にとって極めて危険な跳躍になりうる。この本のなかで徐京植と共に福島を訪ねたとの記述もあるため、徐の「「奪われた野」=福島」という議論と、高橋の「福島=植民地」規定には関連があるのだろう。また、以前の「奪われた野」についての記事で触れたように、その周りには韓国の進歩系の知識人たちがこれを積極的に受容する空気があるようだ。こうした空気のなかで、90年代に日本の戦争責任・植民地支配責任の問題に鋭い感受性と批判意識を発揮してきた人々が理論的な混沌へと陥っている。危機的な状況である。
by kscykscy | 2012-04-11 00:00
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